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日本はなぜ5世紀まで文字が無かったのか? @ [日本史板]


日本はなぜ5世紀まで文字が無かったのか? @ [日本史板]
1:日本@名無史さん2014/06/28(土) 03:20:25.50 .net
普通に考えておかしいと思うだよね。
5世紀以前も中国と繋がりが有ったんだから、文字が入って来ていて当然だとおもう。
文字を書くことが禁忌になっていたのかしら?
2:日本@名無史さん2014/06/28(土) 07:24:51.32 .net
話せば判るからだろ。
3:日本@名無史さん2014/06/28(土) 09:56:16.80 .net
今の日本でいうネトウヨのような国粋主義者がいて、日本の文化を汚す文字の輸入に断固反対していたとか?
4:日本@名無史さん2014/06/28(土) 12:47:16.30 .net
【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。

日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。

主要な説は2つある。1つ目は、定住が始まった3万年~1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。
この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。

 もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。
最近の考古学上およびDNAの証拠は、いずれもこちらの説が有力であることを示している。
ソース AFP
日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
管理人より:系統不明な言語は他にもいくつかあります。スペインのバスク語など。(主要言語ではないですが)
10:日本@名無史さん2014/07/21(月) 01:02:45.99 .net
支配者すら文字を持っていなかったということ?
13:日本@名無史さん2014/10/07(火) 15:47:49.85 .net
支配階級は、その文化的権威として、庶民が使う言葉とは違う外国語を操れるということで、余計に特権的存在であったわけだから、庶民が使っている自国語にわかりやすい文字を当てて、庶民に知識を広げようという発想はほとんどなかったんだろうね。

日本では文字の読み書きが相対的に普及していたんだろうが、それも誇張されて語られ過ぎている。
日本でも学校教育が普及するまでは文字を読み書きできなかった百姓が圧倒的多数だったことに変わりない。
14:日本@名無史さん2014/11/30(日) 15:33:52.18 .net
日本独自の文字ができたのはカタカナが最初だろ、5世紀よりずっと遅いじゃん(ひらがなはそれより少しだけ遅い模様)

もっとも、蒙古文字・西夏文字やハングルなどと比べたら明らかに早いけどさ。
15:日本@名無史さん2014/11/30(日) 15:53:57.17 .net
文章言語は書記言語だからまだまだ完成されてるとは言えないけどなw
基本的に日本語の標準語を作ったのは文壇の連中だからなw
16:日本@名無史さん2014/11/30(日) 15:57:18.92 .net
随分と口頭言語からは外れてるのが多いから難しい問題やね
18:日本@名無史さん2014/12/10(水) 22:43:41.21 .net
倭王武の上表文ってかなり流暢な四六駢儷体で書かれてるけど誰が書いたのかな
管理人より:「上表文」というのは、君主に対して文書を送ること。「倭王武」は雄略天皇のことで、宋の順帝に対する上表文が「宋書」の倭国伝に残っているそうです。(478年)
例えば、「躬ら甲冑を環き、山川を跋渉す」などは『春秋左氏伝』にも見られる字句である。この上表文を書いた雄略朝官人の漢文の教養の深さが窺われる。
19:日本@名無史さん2015/02/13(金) 23:49:12.32 .net
オレ、倭人ってのはそもそも支那南部沿海州の海洋民族で、朝鮮半島にも日本列島にも台湾、沖縄等の周辺島嶼にも、幅広く拡散していた同一集団の事ではないかというイメージを持ち始めてるんですが、
でもあのあたりの連中だったら既に漢字文化圏の筈では無いのか?と。
20:日本@名無史さん2015/02/14(土) 10:29:53.69 .net
天皇陵を発掘すれば木簡が出てくるんじゃないの?
木簡
管理人より:「木簡」というのは、紙が発明される前に、木の板に文字を書いてヒモで連ねたもの。クルクルっと巻いて収めたわけですね。
製紙技術は前漢時代の中国ではすでに存在していました。なんと紀元前150年もの昔。すごいですね。やはり漢字は筆写するのがめんどうだから、木版印刷も早くから(9世紀)発明されています。
21:日本@名無史さん2015/02/15(日) 15:08:17.61 .net
奴国では支配層は普通に漢字使ってたぞ
ただ庶民は全然使ってないけど
22:日本@名無史さん2015/02/16(月) 06:37:49.70 .net
Japan:1794
23:日本@名無史さん2015/02/18(水) 13:33:14.12 .net
文字がなかったということ必要なかったということは、争いが少なくムラ社会内で完結した生活をおくっていたんじゃなかろうか
28:日本@名無史さん2015/02/19(木) 01:49:52.91 .net
>>1
支那は今でも表音文字つかってないしな。
おかしいってほどでもない。
38:日本@名無史さん2015/02/19(木) 14:23:12.02 .net
漢字は難しすぎるからね。
漢字を使いこなすには漢文に精通しなければならない。
時間がかかって当然。
53:日本@名無史さん2015/09/26(土) 16:09:24.80 .net
>>38が指摘したように、漢字は難しいからだろう。

当時、漢字で書く=漢文で書くということ。
漢文が書けるようになるには、四書五経などの古典を読み、暗誦すること。
古典の語彙を自由自在に用いて、古典と同様の文章が書けるようになること。
そのような知能を身に着けた人が、社会の上位層の中にある程度現れて、行政文書や文学作品を作ることができるようになって、初めて文字が社会に定着する。

ここまで到達するのは並大抵ではないと思う。
管理人より:「四書五経」は儒教における経書として最も重要とされている書物のこと。
四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいい、五経を以て四書よりも高しとする(「礼記」の成立受容史については「三礼」の項を参照)。 「楽経」を含めて四書六経ともいう。
39:日本@名無史さん2015/02/19(木) 17:08:52.24 .net
漢字は不便で不完全な文字だしな。
だから平がなや片かなの発明につながったんだろうな。
40:日本@名無史さん2015/02/19(木) 18:44:15.29 .net
カタカナはヘブライ文字に酷似していてその転化では?とのお説も。

又、日本語とヘブライ語(ヘブル語)には全く同じ発音と意味を持ったコトバ(これもヘブル語)や、類似した意味のコトバが数千語以上に及ぶとか。
更に、日本語では意味不明な囃子ことばはヘブライ語での空耳では(宗教上の)意味を成している


ワッショイ(日本語では意味不明)=神が来た!
ドッコイショ。=神の助けを受けて前進!


漢字導入のチラウラはヘブライ語、ヘブライ的な物の一掃の意味合いがあったのかも?
因みに、キリスト教(景教)は紀元1世紀半ばには既に中国(後漢)に渡来して全土に根付いています。
管理人より:このへんは「日ユ同祖論」の根拠のひとつ。日本へやってきた最大の渡来人一族の秦氏は、中央アジアの弓月国の出とも言われますが、当時は景教(キリスト教で異端とされ、東方に流れたネストリウス派(ユダヤ系)の根拠地)だったという説も。
もちろんこの「日ユ同祖論」に対する反論も同じくらい多数あります。
44:日本@名無史さん2015/02/20(金) 08:08:08.83 .net
有ったけど

 ①神性を重んじる祭祀の際には、文字はヒト穢れ扱いされる習わしが有り実務以外ではなかなか用いられなかった

 ②新参者である半島からの渡来人が政権を握ると、殆ど焚いた。古事記日本書紀には焚き残しの歴史が書いてある

こんなとこ
45:日本@名無史さん2015/02/20(金) 10:17:22.55 .net
大和言葉を話していて文字を使わない日本人
→大陸人と交流するもジェスチャーしか通じない
→話し言葉を文字にする作業にとりかかる


こういうことだよね
46:日本@名無史さん2015/02/20(金) 10:38:07.12 .net
中国人が使ってる文字がアルファベットならもっとすんなり日本に伝わってたよな
47:日本@名無史さん2015/02/20(金) 12:07:51.43 .net
サンスクリット語を漢字仮名で書いた経文について書かれた漢文解説書を、百済人が漢字仮名の百済文解説書にして聖徳太子に伝えた三経義疏などが、仮名形成過程の有力な事件とされているが、その割には100年以上後の太安麻呂が、いきなり語り部を呼んで古事記を編んだりと不審点が多過ぎる

半島系渡来人による政権交代が有った度に焚書が行われ、文字使用開始年代がガンガン後代に下げられていったと考える方が妥当
49:日本@名無史さん2015/02/20(金) 13:11:31.42 .net
言霊なんて言われ方があるように、言葉には不思議な力があると信じられていた。
今もその残滓はある。
文字にしてしまうと、その力が失われると考えられていたからじゃないか。


確か北欧のゲルマン人も似たような感じだったらしいな。
文字は、現代に置き換えるなら、音楽を音符で聴く(?)ようなものだったとか。
55:日本@名無史さん2015/09/26(土) 16:56:02.55 .net
文字という重要な問題を放置して勝手な妄想を展開している邪馬台国論争は愚者の饗宴(シンポジウム)に過ぎない。
文字がなければ官僚制も通信制度も成立しないわけで、「文字以前」は部族国家レベルに過ぎない。


にもかかわらず「4世紀には大和朝廷が成立していた」と平然と宣うヤツらがいる。もうバカかアホかと。

インカみたいな縄の結び目でもいいから、4世紀に「文字」があったことを証明してから言えと言いたい。
63:日本@名無史さん2015/10/01(木) 18:59:06.96 .net
>>55
官僚制と通信制度がなぜ大和朝廷成立の必要条件になるのかさっぱり理解できない
そもそも大和朝廷そのものが元は部族長の寄合って部民制見ればわかるだろうに
69:日本@名無史さん2015/10/03(土) 19:12:17.76 .net
>>55
>文字がなければ官僚制も通信制度も 成立しないわけで、
租賦を收むる邸閣あり、国々には市ありて交易の有無は大倭をしてこれを監せしめうる。
女王国より北は、特に一大率を置き、諸国を検察せしめ諸国これを畏憚す。
常に伊都国を治め、国中の刺史の如し。王が使いを遣わし京都・帶方郡・諸韓国に詣で郡使倭国に及ぶと、皆津に臨みて捜露し、伝送の文書・賜遺の物を女王に詣でるに差錯する得ざらず。

(魏志倭人伝)

つまり通信制度も官僚制度もあったわけだ

>インカみたいな縄の結び目でもいいから
文字なし、唯木を刻み縄を結び(文字の代わりとする)。

(隋書倭国伝)

木を刻むってのはちょっとわからないが、縄を結ぶってのはおそらく琉球の藁算と似たようなものだろうね
藁算(わらざん)
56:日本@名無史さん2015/09/26(土) 22:28:03.93 .net
漢字は日本にも紀元前からあるだろ
ただ欧米至上主義がはびこり、日本野蛮説が主流を占める今、難癖言う奴多いから、無視してるだけだろ


この風見鶏は主流が変化するな否やすぐに強い方に媚びて、態度を変化させるはわかりきっているのだがw
60:日本@名無史さん2015/09/29(火) 02:41:28.09 .net
中国周辺のほとんどの民族は、基本的に漢字文化圏として国を作り始めることが多い。独自の文字を作るのは、10世紀前後ぐらい? のところが多い。
カタカナひらがなは、その中では早い方の部類に入る。
西夏文字とか契丹文字とか、いろんな文字が相次いで出てくるけどな。


それらと比べるとハングルは少し遅かったような気がするが、まあ朝鮮も例外じゃなかったとは言えるだろ

>>56
紋様というか、呪的記号として使ったとおぼしい墨書土器の時点では「文字の利用」とは言いがたい。
中国での甲骨文字時代の用法と大差ないか、もう少し古い段階と似てるだろう


古墳時代ぐらいになると文字の利用がある気がするんだが、古墳時代初期までさかのぼれると断定されてはいなかったような?

文書行政が確立すると言えるようになるのは律令時代だね。
それ以前は、中央と地方の間で日常的に行政文書が往来することはなかったから、文書行政とまで言える段階ではない。
墨書土器
管理人より:「墨書土器」というのはこういう感じで文字が書かれているもの。写真は福岡県みやこ町・歴史民俗博物館の公式サイトより
人面墨書土器
「墨書土器」で検索すると、なんかいろいろヒットするんですが、このように顔が描かれているものもけっこうあるみたい。「人面墨書土器」と言うそうです。カワイイ。写真は福岡県大野城市公式サイトより
57:日本@名無史さん2015/09/27(日) 07:05:34.21 .net
文字のない国家はどのレベルにまで到達できるのだろうか。
中国において、夏王朝には文字がなかった。だが、一定規模の儀式を行っていた痕跡があるらしい。


殷王朝には文字(漢字)があったが、それは祭祀において用いるもので、行政文書や文学作品に用いることはなかった。
文字を行政文書にまで用いるようになったのは周王朝からである。

この中国の例を参考にすれば、わが国においてまだ文字がなかった時代、どこまでの水準の国家を形成できていたか、推定できるのではないか?
64:日本@名無史さん2015/10/01(木) 20:29:07.21 .net
なんか思い込みの激しい人が多いなぁ
文字がなくても官僚制は成立しうるよ?

「文書行政」ってのは官僚制の必須条件ではない
66:日本@名無史さん2015/10/03(土) 09:06:43.52 .net
>>64
その通りだと思う。中国でも殷までは文書行政が行われていなかったことを考えれば、文字がなくても国家組織は形成できると思う。
67:日本@名無史さん2015/10/03(土) 16:34:36.25 .net
いや、周でも文書行政と呼べるレベルの政治はなかったと思う
だからこそ、春秋時代までは都市国家ばかりで領域国家が成立してないんだよ

文書行政と呼べるのは戦国時代からだろ
70:日本@名無史さん2015/10/03(土) 20:03:40.29 .net
政治レベル的には官僚制じゃなく、せいぜい原始官僚制だろ
官僚制よりもむしろ封建制の方が近そうだ
73:日本@名無史さん2015/10/04(日) 06:58:40.22 .net
70は邪馬台国や大和王権においては、律令を完備した中央集権国家はできなかった、ということを言いたいのだろう。
それはその通りだ。わが国が律令国家を目指すのはもっと後の話だ。


だが、まだ文書行政の始まっていなかった大和時代以前においても、素朴な形での官制は存立できるし、そのような国家を議論することもできる。
論語を読むと、春秋時代の官制に関する記述が断片的に出て来るが、あのくらいは可能ということだろう。
74:日本@名無史さん2015/10/04(日) 08:22:27.73 .net
3~4世紀は墨書土器などで文字の痕跡がある。
一文字だけ書かれていることが多い。田の字が多い。


5世紀は金石文の痕跡が残る。鉄刀などに彫られた文字である。
文字の形をみると、彫りの職人は書き順やとめ、はらえなどを意識していない、でたらめな彫り方になっており、彫り職人は文字を使い慣れていないことがわかる。


6世紀は木簡が出始める。手習いの細片が多く、文字を習うという習慣が始まっており、文字が下級役人に浸透し始めてきている。

7世紀には戸籍が出始める。
文字を文化行政に実用的に使用し始めていることが推測できる。


8世紀には万葉仮名など日本独自の使用法に、魔改造が始まる。
76:日本@名無史さん2015/10/04(日) 18:16:41.68 .net
5世紀時点で、すでに倭の上表文を見てわかる通り、四六駢儷体の高度な漢文能力を持った官僚層がいた模様
78:日本@名無史さん2015/10/04(日) 21:46:14.56 .net
>>76
百済の官僚に依頼して代作してもらったって説が今のところ主流だろ

私見では、百済から派遣してもらってた技能職官僚のなかに、外交文書を書くことのできる人がいたと思ってる


記紀では、初代の派遣記事はなくて、いきなり前任者との交替という形で記載されてるから、いつからいたかは不明。
欽明朝の頃に交替の記事が出てくるのみ。
77:日本@名無史さん2015/10/04(日) 21:04:53.94 .net
三世紀 土器に一文字書いてあるってのは

かなり嘘

研究者が文字らしきもので留保してるだけで文字ではないといっていい
80:日本@名無史さん2015/10/04(日) 23:32:48.10 .net
日本にいつ漢字が入ってきたか分からないが、魏志や魏略を信じるならば3世紀には既に識字層がいたことになる

例えば魏志によると、一大卒の職務に文書の検閲が含まれること、他にも曹丕が倭国に檄文を送ったことが書いてあるが、普通文字読めない人に手紙は書かないでしょう

そもそも「一大卒」という官名や「自謂太伯之後」といった言葉は中国の史書に詳しくないとまず出てこないでしょう
81:日本@名無史さん2015/10/05(月) 12:00:48.44 .net
一説によると、東晋朝のあたりの時代に中国から周辺諸国に多くの知識人が流れたというし、高句麗や百済に文章のうまい人が入ったのもその時代だったのかもねえ

日本にだけ来なかったとも考えがたいけど。
84:日本@名無史さん2015/10/06(火) 21:35:54.67 .net
金印からだろ。
文字の説明もなく金印だけよこす訳ないじゃん
94:日本@名無史さん2015/10/10(土) 08:10:31.17 .net
かつての公式な文章と言えば、漢文。だが、漢文は習得するのにおびただしい時間と労力がかかる。
子供のころから経書を暗記し、語彙の集積を築かなければならない。


そのような漢文を習得できる環境に育った知識層がまとまった数で出現するには、時間がかかる。
わが国における漢文習得の歴史をながめて見るのも必要だ。
99:サガミハラハラ2015/10/13(火) 10:10:46.18 .net
文字の渡来使用は紀元前3世紀の徐福日本渡来まで遡ります。
ただしその使用はほとんど植民した中国人(徐福集団)にかぎられていたようです。

文明の優れた中国人は文字を使えない原住民を馬鹿にしていたのでしょう。
やがて前30~40年ころ、渡来人と倭人の間に確執がつよまり、ついに軍事衝突に発展、結果は倭人側の圧倒的勝利となったのです。
倭人は中国文明の産物を徹底的に破壊、特に学問の象徴ともいうべき文字を破壊し使用を禁止したのです。
以後文字は忌避されるようになったのです。
93:日本@名無史さん2015/10/08(木) 20:25:50.20 .net
代書人みたいなのがいたのでないの?
恋文を卑弥呼様の姪に送りたいのだけど、米一俵で書いてくれないだろうか?
見たいなやり取りをしていたのでないの?

なんか最後のやつは、戯曲の「シラノ・ド・ベルジュラック」みたいでロマンチックですね。かつてスティーヴ・マーティン主演の「愛しのロクサーヌ」というコメディ映画で…あー関係ないからやめとこ。

というわけで、日本人が文字を扱うようになったのは、いつごろか。5世紀より前の日本には本当に文字がなかったのか?というテーマのスレ。
どっちかていうと考古学的なスレですかね。考古学ネタはネタ切れ寸前だから、そっちでやればよかったかも。

スレ見てると、「文字を忌避する習慣があったのでは」という意見もあり、なかなかおもしろいですね。これはなんだか、ありえるような気もします。「言葉には力がある」というような風習は世界にチラホラ散見されますし。
一方で、例えばラテン語の格言である「Verba volant, scripta manent(「言葉は消え去り、文字だけが残る」/ローマの元老院議員カイウス・ティトゥスが残したとされる言葉)」なんていう対局の考えもあり、文字に対する認識の違いが、現在の状況の差を作ったのだ!(ナ、ナンダッテー!)
…なんてね。

まぁ年末ですから、ドクターの皆さんもいろいろ妄想してみてください。

さて、当サイトの年末年始の予定ですが、年末は31日まで更新する予定ですが、1/1~5日か6日までは、たぶん更新をお休みさせていただきます。
え、なに?正月くらい休みたいのか、ですって?違いますよ。

昨年は年末年始休まず更新したんですが、どうも3が日はあんまりアクセスがなかったということもありますが、それ以前に!仕事がヤバイ!
なぜか1/4には「とりあえず納品」しにいかねばならず、3が日はその辻褄合わせのために、管理人は死ぬ思いで仕事をしなければならないんです!正月休み?そんなもんネーヨ!!ヽ(`Д´)ノ

…というわけでご了承いただきたいと思います。
下には下がおるんや…と思いつつ、お正月にゆっくりできる皆さんの幸運を噛みしめていただきたい。
1.5追記:当記事を朝目新聞さまでご紹介いただきました!
よく見たら7個くらい載ってました。ありがてぇ…(*´Д`)
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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.12.28 1:30
    神代文字でぐぐれ。


    文字はもっと昔からあった。ただ方言のように、各地方で違う文字を使っていた。
    そして唐が攻めてくるらしいという情報がもたらされると、共通文字の使用が期待される。
    そこで選ばれたのが当時全国的に広まりつつあった漢字、つまり敵国語。

    日本は音に漢字を当てはめるだけという独特の使い方を全国に伝えていく。
    これは唐での漢字の使われ方と微妙に異なるため、日本人は読めるけど唐人には読めない。

    こうして漢字は日本で独特の発展を遂げ、日本の共通使用文字になった。


    ちなみにカタカナは漢字と全く関係ないからな。
    カタカナというものは各地方の神代文字からそれぞれいいところ取りをして作られた。

    著名な人が書いた神代文字の札は、伊勢神宮をはじめ各地方の神社に奉納されている。
    よって神代文字の存在は歴史的事実。左翼がいくら否定しても覆らない。
      • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2015.12.28 2:44
      >>文字はもっと昔からあった。ただ方言のように、各地方で違う文字を使っていた

      漢字より古いとなると弥生以前?
      各地の遺跡からも発見されるのかな
      なかなか興味深い
      • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2015.12.28 7:30
      神社に札が奉納されているから事実、なんて安易に言っていいなら、史料批判なんて、ひいては歴史学なんて要らないよねえ…

      サヨク的思想から否定したがるアホも一部いるのだろうけど、大半はその存在&真性を証明できないから否定するんだよ。
      日本語の起源も一緒。決定的な史資料がなくて何とも言えないから、放置という態度がとられている。ちなみに、故・大野晋氏は、日本語起源論で晩節を汚したと言われている。
      • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2015.12.29 13:03
      神代文字でぐぐってみたら後代の偽作とする説が支配的になっているって書いてあった
        • ※12 : ドクター・ノオ・ネーム
        • 2015.12.30 6:50
        CiNiiとか、国立国語研究所の日本語研究・日本語教育文献データベースで調べてみればすぐわかるけど、神代文字が学問的に問題とされる文脈は、研究史研究か思想・宗教。それもマイナーな媒体にしかない(論文が複数あるのは韓国日本学会の雑誌というオチ)。

        要するに、似非科学のようなもので、研究に値しないんだよ。
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.12.28 3:19
    日本の文字や由来で、土偶もトンチ言語アツシも夜の太陽のことも話題が出ないのは低レベルすぎ
    っていうか土偶がウィンターカウントと同様の絵文字だっただけで文字がなかったわけじゃない
    あと言霊は文字にすると消えるんじゃなくて永久化して呪いになる、だから忌避される
    それと神代文字とか同祖論はいい加減はずかしい、日本人は月の民トンチ、ユダヤ人(ラビ)は星の民ルリム、両方夜の一族だったけど別氏族、太陽の民は現代のエチオピア人で呼称はヘノキ、光の一族海の民は混血のこと所謂シュメール人で呼称はサンガ
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.12.28 5:13
    何を何個取引したとか文字で現さないと商売も難しい面があるから、漢字が入って来て木簡や割り符のシステムも出来てかなり発展したんだろうなと。元から文字もあったとは思うけど一般人以外の貴族層や祭事に関わる層しか使わなかったイメージがある。
      • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2015.12.29 13:08
      取引の個数は魏志倭人伝に記されている木彫りと縄編みで記録していたのかもしれない
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.12.28 11:53
    ここまで神代文字に関して明確な反論がなくてワロタ。
    よっぽど都合が悪いんだろうなあ、左翼や学者にとってw
      • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2015.12.28 13:48
      論証してないのだから、反論のしようがないよ(苦笑)

      博士ちゃんねるでコメントするんだからさ、少しは学問的な素養をつけてよ

      まあ、論証しようとすらしていないのは、学問的素養以前の話だけどね
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.12.28 12:21
    関係はないが「○○にとって都合が悪いから△△を隠しているorデータを改竄している」と、陰謀論を唱えてくるやつの話はまともに聞かないようにしている。
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.12.28 13:20
     タミル語起源の方が、遺伝子からみた移動との整合性があるけど、いったいどこから朝鮮との関連性を持ってきたんだ?ペトログラフも本物かどうかは別として、九州のいろんなとこで見つかっている。
    • ※13 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.12.30 10:15
    うーん、土器や銅鐸の文様、なんかをみると、文字成立以前に漢字が入ってきたので、そこで発達が止まってしまった感じ?
    フゴッペ遺跡はどうだったかな、と思って調べたら、現代人のいたずら書きの可能性があるとされて保存されなかったため消えてしまったとか、これじゃあ再検証できないじゃあん
    • ※14 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.12.31 17:24
    文字があっても書ける人が少数だったとかじゃないかな?
  1. >神代文字でぐぐれ。
    >要するに、似非科学のようなもので、研究に値しないんだよ。

    神代文字で盛り上がってますね。
    これもそのうちスレを取り上げようと思いますので、神代文字ageの※1ドクターも、どうぞお楽しみに。
    ---------------
    >土偶もトンチ言語アツシも夜の太陽のことも

    これ初めて聞きました。なんていう学者が研究してるんですか?
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    >魏志倭人伝に記されている木彫りと縄編みで

    あー!インカ文明のキープとかなんのために使ってるのかよく知りませんでしたが、計数のためにやってたんですね。なるほど。
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    >タミル語起源の方が、遺伝子からみた移動との整合性があるけど、

    タミル語起源説もあるんですねぇ。まぁ昔は朝鮮半島にも日本人は住んでたし、言語的に似通ってきても別におかしくはないかなと思います。相違点も多いですが。
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    >土器や銅鐸の文様、なんかをみると、

    文字をちゃんと文字として捉えてたか、ただの外国のクールなマークだと捉えていたか、が焦点でしょうか。
    • ※16 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.1.3 23:10
    最近ちょうど、『ホツマツタエ』という本を、思考が逝っちゃってる人から薦められて読んだのだが、「神代文字研究家」って狂いっぷりがすごいね。論理がまったくかみ合ってないし、そもそも話がまったくわからない。

    ここまでわからん本読んだのは、ジャック・ラカン以来のことだわ。
    • ※17 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.1.4 12:18
    中国から文字は伝わって来ていたが、古墳時代は部族同盟レベルで官僚機構もなく、文字があまり使われなかった。

    半島の領土を失い体制の危機が迫り、飛鳥時代から中央集権制度に転換、官僚制度が必要になり、文字も使われるようになった。
    • ※18 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.1.6 1:52
    ラカンと神代文字を一緒にせんでくれ
    • ※19 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.3.6 22:02
    神代文字厨鬱陶しいわw
    文字がないだけ、食料や資源に余裕があったって事だろ?
    漢字渡来以前は縄文・弥生土器の文様記号で呪詛を表していたが、漢字に因って断絶してしまっただけの事
    • ※20 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.4.27 22:42
    神代文字って結局あったのかなかったのか全く分からんよな。
    俺はあったほうにかけて、焚書説を押す。
    日本人って外国のものをありがたがって自国のものをけなす傾向があるし。
    • ※21 : 名無しの権兵衛
    • 2016.6.3 8:57
    神代文字って一種類じゃねーからな
    20種類くらいあった気がする
    九割ガセだが古・阿比留文字はマジだと思う

    あと大陸系・半島系がヤマト王権なら漢字はもっと早かったはずだから天皇は縄文系だと思う
    縄文時代から今も(しめ飾りとか)儀式で使ったものは焼き払いで使い捨ての習慣があるから文字も書いたら焼き捨ててたのではないかな
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