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【五条大橋】源義経って本当に天才だったの?【壇ノ浦】 @ [日本史板]


【五条大橋】源義経って本当にイケメンの天才だったの?【壇ノ浦】 @ [日本史板]
1:日本@名無史さん2005/08/07(日) 20:05:51
源義経 義経ってホントに頭が良くて、美少年だったの?
違うとは聞きましたけど・・・・(´3`)
3:日本@名無史さん2005/08/07(日) 20:18:53
鈍かったとか、背が低くてそこまでイケメンでもなかったという・・・
5:日本@名無史さん2005/08/07(日) 20:30:04
源頼朝頼朝の怒りを買うと分かっていたのかね?
6:日本@名無史さん2005/08/07(日) 20:33:47
頼朝が嫉妬し、また恐れたんだと思う。
7:日本@名無史さん2005/08/07(日) 20:43:10
天才な部分もあるが天然な部分も。
8:日本@名無史さん2005/08/07(日) 20:46:25
確かに弟に天才がいりゃあマジ怖いつーか、ねたましいよな・・
9:日本@名無史さん2005/08/07(日) 21:07:57
戦術家では優秀だったかもしれないが戦略家としてはダメだな
10:日本@名無史さん2005/08/07(日) 21:11:40
静御前義経は疎いんだな。
でもなぜ、そんなやつに静御前は嫁いだんだろう?
13:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA2005/08/07(日) 23:53:59
源範頼『徒然草』が『平家物語』を評して、
義経については詳細に書かれているが、範頼についてはよく知らなかった様だ
と述べていますね。

どうも範頼の存在を無視して、義経単独の手柄として強調されている事が多い気がします。屋島あたりはまだしも。

>10
嫁いだといっても、選択権のある対等の立場でもなし。
少なくとも、侍る様になった頃には将来性もあると見られていたのでは。
加賀神社奉納絵馬「屋島の戦い」
管理人より:山野野衾さんが言ってる「屋島」とは「治承・寿永の乱」の合戦のひとつで有名な「屋島の戦い」。
上記の作品では、合戦の冒頭平家方の提示した「扇の的」を、弓の名手・那須与一が見事撃ちぬいてみせる名場面(右側)と、義経の「弓流し」といって、合戦の最中に落としてしまった弓を危険をおかして取りに戻ろうとする義経(左側)。
なんでも義経は力が弱かったため、「大将なのにこんな弱い弓を使ってるのかと笑われるのがイヤだった」とのこと。
11:日本@名無史さん2005/08/07(日) 22:45:18
恵俊彰容姿は恵俊彰。
池谷幸雄運動能力は池谷幸雄。
ヨハン・クライフ発想はサッカーのヨハンクライフ。
新庄剛志性格は新庄剛。
15:日本@名無史さん2005/08/08(月) 01:14:13
>>11
発送はサッカーのヨハンクライフですかw
なるほどとオモタ
14:日本@名無史さん2005/08/08(月) 00:11:41
今で言ったら仕事出来るけど空気読めない奴
16:日本@名無史さん2005/08/08(月) 09:01:56
でも、佐藤兄弟も弁慶も伊勢三郎もよく忠実に義経につかえたなー(駿河次郎も)
義経の下を早いうち去っとけば義経の家来は死ぬことは無かった
17:日本@名無史さん2005/08/08(月) 18:14:01
源義経源頼朝
義経は天才戦術家、頼朝は天才戦略家、二人そろってワンセットだな
共にすごした時間が短すぎたのが源氏の不運だろう。
結局のところ、コミュニケーションの不足が疑心暗鬼を産んだ典型だな。

ほらプロ野球の世界でも、主力選手が監督の批判をしたとか、監督が愚痴をいって選手をけなしたとかでチームがドタバタするでしょう。
梶原景時この場合スポーツ新聞の役目を果たしたのが梶原景時の讒訴状だ。
日本のそういういじましい伝統は現代にも脈々と受け継がれているわけだな。
23:日本@名無史さん2005/08/10(水) 17:06:37
ナポレオン・ボナパルトスケールの小さなナポレオンてとこか。
しかし義経は負け無しだが。
24:日本@名無史さん2005/08/11(木) 20:38:01
西暦千百年代時点で騎兵の集中的奇襲運用。
天才性はナポレオソより上。
29:日本@名無史さん2005/08/19(金) 06:57:44
ナポレオンは戦略家としても優秀だろ。
27:日本@名無史さん2005/08/19(金) 02:53:31
母はかなりの美人で後に清盛の嫁にもなった
父義朝もかなりの美形
その子義経が不細工っておかしくないか?

少なくてもブサではないだろ。
28:日本@名無史さん2005/08/19(金) 03:16:37
けど超小柄の出っ歯がちょっとした定説ですよね。
う~ん真実はdotuchi??
30:日本@名無史さん2005/08/20(土) 11:06:00
義経は少数の兵を率いて奇襲をするのは得意だったが、大軍を率いて正攻法で攻めるという場合はうまくいっただろうか?
梶原との対立もあったように、自分と意見の異なるものをうまく従わせることが出来ないのであれば、大軍の統率はかなり無理だと思う。

もっとも梶原とは相性の問題もあったかも知れないが。
31:日本@名無史さん2005/08/20(土) 11:14:11
後白河天皇頭がよく美青年?

後白河から官位もらってる時点でアホ。
あの肖像画をみるかぎりブ男。
61:日本@名無史さん2005/12/09(金) 22:58:01
>>31
あの肖像画って薄く髭生やして、扇子をついてる
つまりコレか?
http://www.nikkei.co.jp/kansai/history/26821.html(サルベージできず)
描かれたの義経が死んだ後らしいし、この記事を見る限りブサイクとは言えんような、無論イケメンとも言い切れん。
63:日本@名無史さん2005/12/10(土) 19:12:24
>>61
父親も母親も美形だったんだからブサイクになる方がむしろ難しいかもね
義経像(作者不詳)
管理人より:記事がサルベージできなかったのでWikipediaから作者不詳の「義経像」。後世の戦国時代か江戸時代に描かれたものだそうです。
壇ノ浦大合戦図(歌川芳員)
壇ノ浦の戦い」で平家一門に大勝した義経および彼の一門は、後白河法皇に激賞され、官位をさずかったそうです。頼朝はこれを知り激怒、任官した連中の東国への帰還を禁じることに。
この戦いで鬼武者・平教経に一騎打ちを迫られた義経は、船の上をピョンピョン飛んで逃げるという離れ技を披露します。これがいわゆる義経の「八艘飛び」。
32:日本@名無史さん2005/08/20(土) 11:45:10
天才というより、戦の常識を知らなかった所謂、素人のバカ勝ちみたいなところはあったでしょう。

当時の戦ではまず鏑矢を打ち、双方名乗りを挙げてから開戦が戦の常識。
しかし義経は、屋島でも一の谷でも、逆落としで無予告奇襲しちまった・・・


また第三者の仲裁の期間中は、休戦するのが当時の戦の常識。
しかし義経は、一の谷で上皇の仲裁で停戦中の平氏に騙まし討ちをかけちまった・・・


海戦では非戦闘員ではない水夫を殺さないというのは当時の戦の常識。
しかし義経は壇ノ浦で敵船の水夫からまず射殺して機動力を奪っちまった・・・

華々しい戦果でその時はよかったかもしれんが、この後、戦の常識が崩れ、鎌倉・足利へと武士の戦の仕方は、裏切り・夜討朝懸け・人質調略と乱れに乱れ、やがて下克上の戦国時代に至る。
ある意味、"掟破り"の魁として、秩序を重んじる頼朝からみれば、鬼子だったのでは?

常識ない奴が一番危ないのは今も昔も同じよ。
33:日本@名無史さん2005/08/20(土) 14:48:29
>>32
漏れも相当の歴史ヲタだが、その考えはなかなかいいぞ
34:日本@名無史さん2005/08/20(土) 16:09:12
>>32
玉葉を読んだ限りじゃ、当初後白河は平家と和議を結ぶつもりだったようだが、結局「近臣の者の強い進めで」一の谷合戦直前で、平家討伐に切り替えた。
源氏にはその院宣が届いたが、平家に届く前に源氏は院宣に従い平家に攻撃を仕掛けてしまったんじゃないか、という話だ。


だから別に義経は、というか源氏は騙まし討ちをしたつもりはなかった、停戦協定は打ち切られたと思ってたんじゃないか。
吾妻鏡にも7日に戦仕掛けるでーと、平家に予告してたようだし、まあ平家にしてみりゃ、源氏の言い分より院の院宣の方を信じるのは当然だが、都落ちの時点で後白河に裏切られてんのに、バカ正直に後白河の言い分を信じるのも愚かだよなーと思う。

ところで、壇ノ浦の水夫梶取を射った話だけど、物語以外にこのことを書いた史料はある?
探してるんだが教えてくれ。
摂州一ノ谷源平合戦の図
管理人より:「一ノ谷の戦い」では、裏にある断崖絶壁の上から、騎馬突撃による奇襲!「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」という有名なシーンがあります。
37:日本@名無史さん2005/09/09(金) 18:29:09
井沢元彦によると
「最高の戦闘技術にして、最低の政治センスすら持っていない」
と厳しいコメント
38:名無しさん@そうだ選挙に行こう2005/09/11(日) 12:43:50
「天才」だったのではなくて「天然」だった。

と言えばしっくり来るのでは?
52:日本@名無史さん2005/11/16(水) 23:28:45
>>38
天然って響きがなんか萌えるな。

とある歴史まんがでは、解説役のお姉さんが、
頼朝は鎌倉に政権を置こうと思っていたから、いくら弟でも朝廷から位を授かることを許すわけにはいかなかったでしょ。
義経は戦の達人だったけれど、そこんとこよく分かってなかったんじゃないかしら
と厳しいコメントを寄せている。
40:日本@名無史さん2005/10/03(月) 12:46:26
八艘飛びが一騎打ちから逃げる為のものだったって知ったときは思わず笑ってしまったが、よく考えれば敵に回したらたまらんだろうな…
41:日本@名無史さん2005/10/03(月) 14:18:11
チンギス・カン>>1
大陸に渡って成吉思汗を名乗ったほどの漢だぞ(^^;
管理人より:実は義経は死なずに生き残って大陸に渡り、チンギス・カンとして勇名を欲しいままにした…という「義経=ジンギスカン説」というのがあります。
44:日本@名無史さん2005/10/03(月) 22:13:12
頼朝は社長とは言え、いつ他の役員(株主)から解任・罷免されてもおかしくない状態。

しかし社長の弟で平泉物産から中途採用された源義経は、関西支社の支社長補佐として、本社から派遣された梶原常務六波羅エンタープライズとの売上競争の施策で対立しプロパー社員を敵に回す。

更に頼朝社長は経団連から脱会しようとしていたが、後白河会長に気に入られた義経は会社の承認もなく、勝手に経団連の代表幹事に就任してしまった。

天才的営業センスで六波羅エンタープライズを倒産に追い込むものの、経営センスに欠ける義経は社を追われることになった。


一説によると退社後、海外に渡った義経は有限広司大元蒙古を設立し、初代社長になったとも言われる。

現代風だとこんな感じか・・・?
60:日本@名無史さん2005/12/07(水) 18:37:14
派遣会社社長・頼朝
派遣先・後白河法皇
派遣社員・義経

こんな感じでしょ。
んで、義経が勝手に直接に派遣先から地位と給料もらったので、派遣契約解消っていうワケだな。そして、派遣先からもクビになると。

これではダメリーマンではないか!?
45:日本@名無史さん2005/10/06(木) 12:17:30
義経は軍事的天才というよりも、ルール無用の残虐ファイターがしっくりくるんだよな
46:日本@名無史さん2005/10/16(日) 21:21:52
義経は残虐超人だったのか・・・
47:日本@名無史さん2005/10/16(日) 21:35:18
壇ノ浦以外は、常に奇襲戦法だよね。
51:日本@名無史さん2005/11/16(水) 20:05:08
源義経「まず・・・漕ぎ手を射よ!!!」
57:日本@名無史さん2005/12/05(月) 12:52:25
>「まず・・・漕ぎ手を射よ!!!」
平家物語を読み直す必要がありと思われ
59:日本@名無史さん2005/12/07(水) 15:08:20
新世紀大河ドラマ・小悪党義経

義経「まず漕ぎ手を射よ!!」
梶原「なんと仰せになったー!?」
義経「射よ!!
駿河「ははっ!!」(弓矢ピュピュピュピュピュピュ!!)

漕手「ぎゃああああああ!!」
漕手「ひ、ひいいいっ、うびっ!」
漕手「たたた、助けてく・・・ぐびゃっ!!」(弓矢ピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュ!!)

教経「おのれ卑怯者めが!!(平教経、義経の方へ船を出させ、将船に移る)
郎党「おのれ、ぎゃああああああっ」
郎党「あれが能登守じゃ!!討ち取っ!!」

弁慶「御曹司!!」
義経「あわわわわわわわ!!!!俺は死にとうない、勝ち戦で討ち死になど真っ平じゃ!!三郎、弁慶、忠信!!俺を守れ!!俺を守れえええっ!!!(義経、八双飛び)

教経「・・・・・・!!矢張り義経の首刎ねること能わずかっ!貴様ら、死出の供を致せ!!」
安芸「ぐびゃあ!!離せ!!嫌じゃ!!嫌じゃアアア!!」(ちゃぽーん)
義経「はははははは、奴め、一人勝手に死におったわ!!それ、掃討せい!!!」
管理人より:小者臭w
「梶原」→梶原景時、「駿河」→駿河次郎、「教経」→平教経(能登守)、「安芸」→安芸太郎です。
66:日本@名無史さん2005/12/12(月) 20:49:02
ジャンヌ・ダルク要するに義経ってジャンヌダルクだろ?
ジャンヌが強かったのも無知で戦争のマナー破りまくってたかららしいじゃないか。
67:日本@名無史さん2005/12/12(月) 21:05:01
> 無知で戦争のマナー破りまくってたかららしいじゃないか
平家物語を読み直す必要がありと思われ
76:日本@名無史さん2005/12/17(土) 23:01:40
伊勢義盛天才的な戦術って、義経の手腕というより伊勢三郎の手腕じゃないの
伊賀の人でしょ。
86:日本@名無史さん2005/12/18(日) 12:00:46
>>76
伊勢三郎がどーしたこーしたなんて誰も知らんよ。
小説と史実ごっちゃにすんな。
80:日本@名無史さん2005/12/18(日) 00:46:30
残ってる肖像画をみるかぎり美少年て感じではないね
82:日本@名無史さん2005/12/18(日) 02:03:04
>>80
>>残ってる肖像画
想像画だよ。
90:日本@名無史さん2005/12/22(木) 21:25:55
>>80
あの座ってる肖像画は桃山時代に描かれたモノらしいぞ。
義経が死んでから何百年か経って描かれたモノ。
83:日本@名無史さん2005/12/18(日) 10:26:17
チビで反っ歯の猿顔イメージは誰が作った
84:日本@名無史さん2005/12/18(日) 11:06:29
『源平盛衰記』でーす。
88:2005/12/18(日) 21:26:14
誰かがヨソでカキコしていたが、実際は頭脳も優秀で、かなり美男子だったらしい。
頼朝が天下取った後、世間は頼朝にヨイショするために、事実と曲折したことが伝わった時期もあるとのこと。
あの肖像画も残された書物も、事実と違うのではないかとのこと。
49:日本@名無史さん2005/10/17(月) 11:00:37
一騎打ちじゃあ勝てそうにも無いので一番乗りで点数稼ごうとしたのはいいが、指揮を部下に丸投げするは、一回ならいいが何度も何度も一番乗りしようとして他の武士たちのチャンスを奪いまくったり、一所懸命な坂東武者たちは怒り心頭だっただろうな
53:日本@名無史さん2005/12/05(月) 04:27:57
源義経と武蔵坊弁慶と云えば日本史上に名高いホモカップルなのに、その真の姿が誤って伝えられているのは残念だ。

武蔵坊弁慶芝居では義経は白面の貴公子に、弁慶は巨漢の豪傑に描かれるから、弁慶がホモの立ち役で義経が受身の印象を持ってしまうのは大きな誤りだ。
日本の武士道では主従の絆は必ず男色で、忠義の証に己の身で奉仕する菊花の契りが忠臣の道だから、主君の方が受身である筈がない。
それなのに何故義経弁慶の関係が逆さに伝わってしまったのかと云えば、弁慶の方が義経よりも年上の巨漢と思い込んでしまったのが原因だ。
弁慶は武術の達人だから、強い大男で義経の保護役のように思われてしまうのも無理はないが、真実の弁慶は大柄と云っても色白ぽっちゃり型の典型的受身タイプで、歳も義経よりもやや年少だった。

こう云えば有名な五條大橋での刀狩りの話も納得出来る。
弁慶は比叡山で男色の味を仕込まれた後脱走して、都で稚児夜鷹として荒稼ぎしていた不良少年で、五條大橋が縄張りで彼が狙う刀とは即ち男根の意だ。
小坊主姿の弁慶は美貌と菊門の締まりの良さで評判の売れっ子となったが、客に大金を要求し拒むと山で覚えた武術で強請るから暴力夜鷹と恐れられても、美尻の魅力は絶大で、乱れた世相でホモ趣味者は激増したから相手には事欠かなかった訳だ。

ホモSEXを堪能した上大金を巻き上げて弁慶は恐いもの無しだ。
54:日本@名無史さん2005/12/05(月) 04:28:31
ある日も五條大橋で客を狙っていると、小柄な若侍がやって来た。
浅黒い精悍な美青年でこれが実は義経だが、好みのタイプにそそられた弁慶が魔羅振りも良かろうと見当を付けて近付き袂を引いて誘うと、義経はOKして二人は河原の草むらの中だ。
義経が袴を脱ぐと予想以上の逸品が飛び出し、弁慶が驚喜して尻を剥き出すとすぐに根元まで突き入れられた。
鋼鉄の勃起の抽挿は強烈で、弁慶がかつてない快感に酔う一方で、義経も弁慶の根締めの凄さに声を上げたものだ。

終わっても快楽の余韻で腰が抜けたままの弁慶を置いて義経が去って行こうとするから、ようやく弁慶が追いかけて「やい、ただ食いはならねえぞッ!金を寄越せッ!」と脅すが「金はないさ、あれだけ掘ってやったんだからこっちが貰いたいぐらいだヨ」ととぼけた返事だ。
ここが腕の見せ所とばかりに弁慶が柔術を仕掛けると、義経は他愛も無く躱しあっという間に弁慶を逆手に捻じ上げ、たちまち褌で縛り四つん這いにして「もう一ぺんやり度いか」と再び腰を使い始めると、弁慶は被虐の快感でもう死んでも良い程だ。
義経に心底魔羅惚れした弁慶が感泣し乍ら「兄貴!降参だぜ!俺が悪かった、もう悪さはしないから家来にして呉れヨ!」とせがむと、義経も弁慶に強い性的魅力を感じていたから「好きにしろよ」と受け入れた。

これが義経十六歳、弁慶十五歳の時で、後に義経は挙兵して親の仇の平家を倒し武将として名を上げ、弁慶は無二の忠臣として最期まで主君に仕えた訳だが、これも男色の絆の故だ。
55:日本@名無史さん2005/12/05(月) 04:28:54
朝廷に出た義経は新進政治家として羽振りの良さが周囲の反感を買い、ホモ的魅力抜群の弁慶を家来にしているのも嫉妬の的だ。

後白河法皇や兄の頼朝が二人の仲を裂いて弁慶を取り上げようとするからとうとう二人は心中を試みた。
小舟で嵐の海に漕ぎ出すとホモ愛は嫌が上にも盛り上がり、抱き合って勃起を押し付け合えば死さえも喜びだが、船は岸に打ち上げられて心中は失敗し、陸奥の地へ駆け落ちとなった。
頼朝は激怒して指名手配にして追っ手を遣わして来た。

難所の安宅の関では関守が怪しみ白州へ連行して尋問だ。
お前らは人相書に似ているゾ
私供は旅の芸人です、お通し下さい
ならば、その芸をやって見せろ!

万事休すとなったが、磨き込まれた拷問道具が壁に整列しているのを見て、関守のSM趣味を察した弁慶は一計を案じた。

では御覧下さい
弁慶はいきなり義経の服を剥ぎ取って下帯で縛り上げ蹴転がして折檻を始めると、義経も弁慶の計略が判ってされるままとなり、笞の味にヨガリ声を上げ乍ら、剥き出した弁慶の勃起を銜え込んだ。
主従逆転の異様な状況で二人の性感は高まり強烈なホモ場面を披露したから、我慢出来なくなった関守は「俺も仲間に入れろッ!」と飛び込み三人プレイを堪能した。
関守は刺激的なSEXに満足し、二人が逃げ出しても知らぬ顔だ。

関所は抜けてもとうとう衣川の隠れ家に追い詰められた。
進退窮まり最期の手段で弁慶は己の身を売って義経を助ける決心で、追っ手の武者達に全裸で仁王立し勃起を扱いて誘惑すると、その男振りの良さに興奮して武者達はわっと弁慶に飛び掛かり集団プレイが始まった。
弁慶が矢だるまになって勃往生したとはこの事で、矢すなわち男根を十数人分も上下で味わい、弁慶はその快感と身を呈して主君を助ける奉仕の喜びで自身もぎんぎんの勃起だが、余りの強烈な快楽の為に往生してしまった訳だ。
その隙に義経は難を逃れ、嫉妬と恋男と別れる涙を流し乍ら北へ向かった。

その後、義経が蒙古に渡って成吉思汗として活躍し勃起を振るって亜細亜大陸を暴れ回るのもこの時の弁慶の犠牲があっての故だ。
58:日本@名無史さん2005/12/05(月) 13:12:41
>>53
学校の授業よりこの板は勉強になるな

もォー、どうしましょう、このスレ…。笑

最後の安宅の関で弁慶が云々…というのは、歌舞伎の「勧進帳」なんかで描かれる場面ですね。
実際にはホモ芸を披露して、関守を巻き込んでの大乱交…ではなく、山伏の姿をしてすり抜けるはず(当時山伏は関所スルーだったので)が、「山伏なら勧進帳を持ってるはずだから読んでみろ!」と言われるんですね。そんなの見たことない弁慶、白紙の巻物を広げ、適当にそれっぽいものをアドリブで読み上げて、危機一髪を切り抜けるというエピソード。

こうやって義経の生涯を振り返ってみると、後にあれこれ追加された妄想エピソード等々も含めて、実にドラマチックです。
幼い頃から天狗に武芸を叩きこまれ、五条大橋で弁慶を倒し腹心の部下に、そして静御前という絶世の美女をゲット。知略を駆使して平家一門をバッタバッタとなぎ倒すものの、兄貴に疎まれ日本全国を流浪する、悲運のイケメン貴公子。

…こんな設定も一般庶民は思うところがあったようで、これから「判官びいき」なんていう言葉が生まれることに。
実は生きていて、大陸に渡り…という伝説は、同じく庶民に愛された真田幸村なんかも同様ですが、やはりどこかで生きていて欲しい…という切実な願いがあったかもしれませんね。

スレでは戦のやり方が卑怯だ…という意見が思いのほか多くてビックリしますが、洋の東西問わず、それまでの戦争のやり方を激変させたのは、常にそういう枠にとらわれない天才たちです。正々堂々と戦ってアッサリ負けては意味がないし、戦争に卑怯もクソもあるか…って感じですけども、ネ。
だからこそ頼朝には疎まれたのかも。己の才能をうまく御することができなかった天才も、やはり歴史上は多いですねぇ。

義経記五条橋之図(月岡芳年)
トップ絵は月岡芳年の浮世絵「義経記五条橋之図」。
京の五条大橋には、毎晩橋を通せんぼして刀を奪う盗賊・弁慶が現れて人々を困らせていた。
1000本の刀を集めるという願をかけた弁慶。ちょうど1000本目の餌食として現れたのはなんとたおやかな白拍子姿の美女。白い頭位を踏んづけて剥ぎ取ると…サッと飛んで身を翻し、今まさに刀を抜こうとする牛若丸!
ネェーもう、月明かりの五条大橋を中心に、牛若丸の身軽さと、弁慶の力強さの対比が素晴らしい、躍動感あふれる作品です。

古今東西、女装して敵の目をごまかす英雄というのは、枚挙に暇が無いですが、やはり英雄たるもの水も滴るイイ男であってほしい…という願望なのか、はたまた女装趣味の変態性向が英雄の条件のひとつなのか…。
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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.1.26 4:54
    先祖を悪く言いたくはないですが、義経は天才でも天然でもなく欲深い卑怯者だったと思っています
    本来は資産である民を守るために一騎打ちがあり、そのための侍です
    ゆえに八艘飛びは戦場での職務放棄にほかならず、美談へ改変は当時地位の低くかった役者たちが御機嫌取りのために作っただけだと思います
      • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2016.1.26 18:50
      この戦の目的は平家を滅ぼすことなんだから、職務放棄ってのはどうなんでしょうか
      そもそも「武士道」なんてのは比較的後代のものだし、これら一連の戦は言ってしまえば源氏がふっかけた覇権争いで、民を守る云々は関係ないでしょう

      まあ当時の人にとって奇襲は卑怯だろうけど・・・
      まあ勝てば官軍と世に言いますし
        • ※4 : ※1
        • 2016.1.26 20:22
        兵士である足軽は民であって侍ではない、戦闘専門ではなく兼業農家、そして被害が兵士にまで及ばぬように将のみで決するのが昔の戦
        将が負けると芋づる式に家が潰れる、これで頭の挿げ替えいわゆる覇権争いは完了なわけ、民間人である兵士に怪我させる必要ないのに自分は逃げて兵士に戦わせるってのは侍としての仕事してないよねって話、他人に否定的な意見を出すなら歴史の勉強くらいはしようよ
          • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
          • 2016.1.27 0:07
          歴史の勉強とは例えば義経の子供はみんな幼くして亡くなってるよね、とかかな
          先祖という言葉の範囲をどう取るかなんだろうけど、一般的には直系を指すよね
          ま、これはただの揚げ足取りだけど
          それとも本当に直系だったりするのかな
          だったらロマンだねえ

          八艘飛びが卑怯というのは、見方一つだね
          正々堂々と討つのがそりゃあ一番だろうけど、相手は剛の者、教経
          そして戦局は自軍有利(だったはず)
          となればわざわざ危険を冒してまで一騎打ちに拘る理由がどこにあるのか
          わざわざ弓を拾いに行くところからも義経は自分が弱いことを自覚してる
          ましてや将が討たれればそれまでだというのなら、源氏の世、武家の世を築こうというのが頼朝の狙いなのだから、なおのこと義経は討たれる訳にはいかなかったのではないのか
          と、こういう論も成り立つわけだが
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.1.26 19:15
    ┌(┌^o^)┐<ホモォ……ホモォ……
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.1.27 0:25
    「義経は(当時の)戦争の常識を知らなかった」という書き込みと
    ナポレオンと比較する書き込みがあるが、
    実はナポレオンも敵である他国の軍人から
    「ナポレオンは戦争を知らない(から厄介だ)」と言われていたとか。

    当時の軍隊は
    王や領主が無理矢理徴兵した人間や金目当ての傭兵から構成されているものであるのが
    普通であり、
    構成員の戦意が、特に損害を受けた場合や過酷な命令を受けた場合低く、
    また兵員の再補充も難しいため、戦闘継続能力の限界が低い。
    また、国内に対しても軍事力によって王の権力が保障されているため、
    政権側の人間にとっても自国軍隊の大きな損害は許容できるものではない。
    このため、当時の戦争は、配置・兵力等で優劣がはっきりした時点で
    劣勢側が撤退や不利な条件をのんでの停戦を指向し、
    優勢側も自軍の損害の可能性を考え、
    追撃を早期に切り上げたりや停戦をすんなり受け入れたりする傾向があった。

    しかし民主主義国家の国民軍を率いていたナポレオンが持っていたのは
    「自ら自己の国家に奉仕する精神を持った兵士により構成された軍隊
     (そして民主主義国家においては全ての国民は「自ら自己の国家に奉仕する精神を持っている」)」
    である。
    このため、彼は、他国軍であれば許容できないレベルの損害を彼の軍隊に許容させることができた。
    また、彼の軍事的天才の発現である大胆な軍の機動も、
    彼の兵士に過酷な移動をさせられるからこそ発揮できることである。
    当時にあって、ナポレオン(とフランスの国民軍)の出現は、
    日本の戦国時代において一向一揆衆に軍事的天才を持つ指揮官が現れたかのような
    インパクトがあっただろう。

    その後、(日本の明治維新も含めて)各国が民主主義国家となって行く背景には、
    この「民主主義国家の持つ戦争遂行能力の高さ」もあることは忘れてはならないだろう。

    しかしここで思い起こされるのが「孫子」である。
    「孫子」では、
     ・(国家の得失が自分達の得失に直結していることを理解させることで)
      国民に自ら国家のため戦う精神を持たせること
     ・戦争指導者には利害を冷静に見極めた上でどこまで戦うかを判断し、
      必要とあれば「不利な条件をのんででも戦わない」・
      「損害が広がる前にあえて負けた状態で戦争を終わらせる」こと
    の双方の重要性が説かれている。
    民主主義国家は前者については極めて高い適合性を示す。
    だが同時に、後者についてはないがしろになる危険性が高い。
    恐らくこの問題の最も顕著な発露が第二次世界大戦の勃発に見られるだろう。
    「あの状況」で戦争を切り上げることの出来た
    日露戦争時の日本の首脳陣や対ソ戦時のフィンランド首脳陣は
    実に希有な優秀さを示したのである。
  1. >天才でも天然でもなく欲深い卑怯者だったと
    >八艘飛びが卑怯というのは、見方一つだね

    現代の歴史学者は義経を「卑怯」ということで矮小化しようとする向きがありますね。
    「まず漕ぎ手を射よ!」も独自研究の域を出ないし、当時書かれた書物には、義経の戦術を非難したような言葉はほとんど見当たらない、という説も。
    (参考:http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/yoshitune06.htm)
    (およびWikipedia「壇ノ浦の戦い」脚注2)

    どちらにせよ、彼の配下には優秀な武将もけっこういましたし、ただ卑怯で欲深いだけの男に、死ぬまで付き従ったりはしないのでは、とも思えます。
    妄想エピソードは話半分としても、それなりに魅力的な人物だったかも…しれませんよ、ウフフフ。
    ---------------------
    >┌(┌^o^)┐<ホモォ……ホモォ……

    なんか日本史は油断するとすぐ濃厚なホモスレになりがちです。笑
    ---------------------
    >「ナポレオンは戦争を知らない(から厄介だ)」と言われていたとか

    ほーそうですか。不利な戦況を覆そうとすれば、それまで誰も思いつかなかった珍奇な作戦を考案せざるを得ないのかもしれないですねぇ。
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.2 13:30
    菊花の契りってそーゆー意味だったの?
    し、知らなかった。
    ついでに雨月物語クグッたら新鮮な驚きがあって面白かったよ。
    そーゆー意味関係無しでね。
    • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.2 13:50
    奥州から弁慶と二人だけで来たんだから義経の立場上、頼朝の居並ぶ家臣を前に手柄を立てざるを得ないし、頼朝にしても扱いずらかったとテレビの番組で見たよ。
    結果は早い時期から頼朝、義経、双方の家臣達も予想してたのではないかな。
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