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大奥について知ってる事を語るスレ @ [日本史板]


大奥について知ってる事を語るスレ @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2011/11/09 14:42:57
少なくともエロゲみたいなハーレムじゃない。
大奥 (Wikipedia) 大奥 大奥(おおおく)は、江戸城に存在した将軍家の子女や正室、奥女中(御殿女中)たちの居所。あるいは、江戸時代の大大名家の奥向の別称でもある[1]。
初代将軍・徳川家康の時代から、江戸城に「大奥」と呼ばれる区画は存在していた。しかし当時は、政治を行う場である「表」と、城主とその家族の私的な生活の場である「奥」の境界が存在していなかった。この境界が江戸城に現れたのは、元和4年(1618年)に2代将軍・徳川秀忠が「壁書」を制定した時である。以後、本丸は幕府政庁の「表」、将軍が政務を執る「中奥(奥)」、将軍の私邸「大奥」に区分された。3代将軍徳川家光乳母・春日局によって組織的な整備がなされていき、こうして現在知られる形の大奥に整えられていった。
3: 日本@名無史さん 2011/11/10 08:15:31
大奥はハーレムだよ。終了
5: 日本@名無史さん 2011/11/11 00:53:42
徳川慶喜はマン拓回収が趣味だったそうだな。
8: 日本@名無史さん 2011/11/14 18:11:17
伏魔殿
9: 日本@名無史さん 2011/11/15 13:01:52
嫉妬の渦
10: 日本@名無史さん 2011/11/16 12:44:43
百合の園
17: 日本@名無史さん 2011/11/23 23:42:38
官能
18: 日本@名無史さん 2011/11/24 00:05:48
小説
19: 日本@名無史さん 2011/11/25 16:19:46
鬼六
20: 日本@名無史さん 2011/11/29 16:44:50
先生
21: 日本@名無史さん 2011/12/05 16:25:43
張り形の多くは捨てられたり土中に埋められたり、処分されたので
実際に大奥女中が使用した痕跡のあるものは、あまり後世に残っていない。
22: 日本@名無史さん 2011/12/14 13:42:16
歴代の御台所の大半は夫である将軍とは不仲
23: 日本@名無史さん 2011/12/15 12:18:00
>>22
まあ、それもよく分からない。
将軍と御台所が完全別居にまで至ったのはホモ将軍家光の時だけで、
それ以外の御台所は毎朝将軍と顔を合わせ、毎朝一緒に大奥にある仏間でお参りし、
大奥勤務女中の挨拶を受けたり、お茶をたてたり、将軍が政務のために表御殿へ向かう時間まで、
将軍と御台所は常に共に過ごしていた。

たとえ側室が寝所を勤めても、将軍が起きている時間の大部分を一緒に過ごすのは御台所。
一概に不仲ともいえない。
24: 日本@名無史さん 2011/12/15 13:25:41
少なくとも、マザコン将軍綱吉とその御台所が仲良かったとは思えない。
25: 日本@名無史さん 2011/12/15 13:34:07
>>24
しかし、徳川綱吉が甥の家宣を養子に迎えた際、
徳川綱吉&鷹司孝子夫妻、徳川家宣&近衛熙子夫妻の合わせて4人で、
一緒に会食した記録が残ってるんだよな。

(武家では男女は一緒に食事しない慣例だったが、公家では当たり前だかららしい)
不仲だったら、正室連れまわして夫婦で行動することもなかっただろう。
桂昌院のことはそれはそれとして、特に不仲を思わせる記録もない。
徳川将軍家御台所 (Wikipedia) 徳川将軍家御台所(とくがわしょうぐんけみだいどころ)では、徳川将軍家の御台所について扱う。
御台所とは大臣や将軍の妻に対して用いられる敬称で、江戸時代においては主に江戸幕府将軍の正室の呼称として用いられていた。
(中略)御台所の住まう場所は、大奥「御殿向」の北西にある「松御殿」ないし「新御殿」と呼ばれる場所だった[5]。居間に当たるのは「御上段」・「御下段」・「御休息」で、「御切形の間」が寝所に当たる。日常生活において、御台所が手を動かすことと言えば食事の時くらいで、その他の厠、爪切り、お召し替えなどでは全て女中たちが代わりに手を動かしてくれた。1回の食事のためにいつも10人前が用意され、そのうち2人前はお毒見役のための毒見用である。毒見を通過した御膳のうち、御台所が実際に食べるのはわずかに2人前(どの料理にも2箸しか手をつけず、もう1人前がおかわりの分だった)であり、残りの6人前は食事当番の女中が食べた。お召し替えは1日に5回。入浴、朝食前の「お朝召し」、総触れ(毎朝行なわれる将軍への謁見)前の「総触れ召し」、「お昼召し」、「お夕方召し」、「お寝召し」とがあった。
29: 日本@名無史さん 2012/02/11 22:09:12
幕府の財政が逼迫していたのにどうしてあんなに立派で豪華な着物を着てたの?
当時も女公務員はお金をいっぱいもらっていたの?
39: 日本@名無史さん 2012/02/17 17:37:32
>>29
大奥の奢侈が幕府財政悪化の原因
30: 日本@名無史さん 2012/02/13 10:11:44
大奥について知ってることを語るスレ。だがだれも知らないみたい。
31: 日本@名無史さん 2012/02/13 20:51:32
昔、ひいおばあちゃんが、私の曾祖母から、三位様から謝意がどうのこうの言ってたけど忘れた って言ってた
32: 日本@名無史さん 2012/02/13 21:14:19
三位様って何者?
33: 日本@名無史さん 2012/02/13 21:33:39
>>32
分からない
さんい?って聞きなおしたら「そう一位二位三位の三位」って言われたの覚えてる
管理人より:これは…貴重な証言のような気がしますが、民俗板ならこっから盛り上がるところ、日本史板の住人はいまいち学究心が薄い。
38: 日本@名無史さん 2012/02/17 12:17:11
大奥→江戸時代のシロアリ、現代の天下り官僚以下
春日局→君側の奸
君側の奸 (Weblio辞書) 君主の側で君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような奸臣(悪い家臣・部下)、の意味の表現。「君側」は主君の側、という意味。
40: 日本@名無史さん 2012/02/17 23:37:39
勝海舟は大奥解散が幕末最大の難関だったと氷川清話で言っていた
45: 日本@名無史さん 2012/02/20 21:56:24
セクースの時は4つ布団が引かれるんだよね。真ん中に将軍様と側室の布団。両側に女中の布団。
側室が閨の中で、将軍様におねだりしない為の監視。
将軍様に失礼になるので、決して見ないようにするらしいけど、翌日に一部始終報告される。
56: 日本@名無史さん 2012/02/24 03:06:04
>>45
知識が中途半端だね。

将軍とお相手の中臈、お添い寝役のお坊主と中臈に間には
ちゃんと衝立がおかれるんだよ。
で、お添い寝役は御寝の二人には一応背を向けて寝ることになってる。
48: 日本@名無史さん 2012/02/21 20:34:09
正室や側室がウンコした後、ケツ拭くのも女中が拭くんだろ
57: 日本@名無史さん 2012/02/24 21:30:42
見たことねーからわかりっこない。
58: 日本@名無史さん 2012/02/24 21:44:59
↑歴史学全否定するアホ
59: 日本@名無史さん 2012/02/24 21:55:44
将軍の寝床が歴史か?。バカ
60: 日本@名無史さん 2012/02/24 22:06:32
↑恥の上塗りのアホw
何を食べていたか、どんなものを着ていたか、どんな生活習慣だったのか等々
文化・風俗も歴史のうちだ
70: 日本@名無史さん 2012/02/27 10:00:36
越後屋、(三越)がタダで着物と小判をもってくるか?
71: 日本@名無史さん 2012/02/27 20:25:01
>>70
いつもTVで「お主も悪よのう」と言われてる。
73: 日本@名無史さん 2012/03/04 13:19:27
上臈御年寄って言葉は、徳川前期からあったものなのか?
何となく中期以後からのもので、それ迄は単に上臈だったような気がするのだが。

そもそも大奥の上臈・小上臈・中臈・御年寄などの職制・言葉は、
院御所・摂関家・宮家などの奥向きを手本にして、成立したものだろうし、
それらの奥向きでは、上臈と御年寄とは職制も呼称も出身階級も別物。
上臈御年寄 (Wikipedia) 上臈御年寄(じょうろうおとしより)は、江戸時代の大奥女中の役職名。単に上臈と称されることもある。将軍や御台所への謁見が許される「御目見以上」の女中であり、大奥における最高位。
76: 日本@名無史さん 2013/02/27 15:09:37
>>73
公家や武家でもともとあった「老女」という職種を
柔らかく「御年寄」と言い換えたもの

老女は男性の老中に匹敵する地位で奥をまとめる女中のトップ
77: 日本@名無史さん 2013/03/06 00:34:42
>>76
大奥に御年寄が誕生するより前の時代から
公家方の奥向には老女だけでなく御年寄という言葉もあったよ

それに>>73が問題にしてるのは「御年寄」ではなくて「上臈御年寄」
78: 日本@名無史さん 2013/10/21 14:39:14
もともと宮中に仕える身分の高い女官(尚侍や典侍)の呼び名が「上臈
「上臈御年寄」は公家出身の身分の高い大奥女中という意味での
江戸時代の造語でしょ
武家出身の御年寄は上臈を付けなかったらしいから
79: 日本@名無史さん 2013/10/21 17:09:03
「上臈御年寄」って言葉は、大奥で江戸時代のいつ頃から使われた言葉なのか?って疑問。
単なる「上臈」や「御年寄」は前期からだろうが、「上臈御年寄」という呼称は前期にはなかった気がする。

例えば、家慶に仕えた姉小路は、職制名を「上臈御年寄」とされるが、
綱吉に仕えた右衛門佐は、時代的に「上臈御年寄」ではなくて「上臈」だった気がするのだが。
80: 日本@名無史さん 2013/10/25 10:40:02
生家あるいは養家が堂上の公家で、将軍のお手付き・お部屋様であった、
お万の方、お振、大典侍(北の丸)、新典侍、お須免の方(新典侍)、お幸の方、お品の方、は、
その職制の呼称は、将軍付きでお手付きの上臈か、あるいは大上臈か小上臈であって、
お手付き中臈ではなかったはずだし、上臈ではあっても上臈御年寄と呼ばれる事はなかったはず。


家治時代のお品の方を最後に、以後はお手付きの上臈という存在はいなくなる。
家継・吉宗・家重の時代には当代の御台所が不在で、少なくとも当代御台所付き上臈は皆無。
色々考えると上臈御年寄という言葉の発生時期は、家治時代か家斉時代あたりなんだろうか。
62: 日本@名無史さん 2012/02/25 08:34:46
大奥とか目的は一つなんだからみんな裸でいいのにね
66: 日本@名無史さん 2012/02/25 10:24:21
将軍様もやはり48手は会得して、ヒーハー言わせたんだろうか?
67: 日本@名無史さん 2012/02/25 10:33:39
正上位が主流、バック、座位は邪道。正一位だから。
69: 日本@名無史さん 2012/02/27 01:40:23
>>67
途中まではバックでもいい? フィニッシュはちゃんと正上位にするから。

久々の日本史ネタの更新です。知られざる日本の後宮「大奥」の世界でしたけどいかがでしょうか。
84レスしかついてない段階でのフライングまとめだったので、やや内容が薄いのは致し方ありませぬが…。
↑ここでも触れたように、歴史系まとめはとにかく競合が多くて厄介。
今回はスレタイで検索して、ネタかぶりがないことを確認の上まとめましたので、たぶんウチが一番乗りですよヒャッホーイ!(1月5日現在

今回のトップ絵は、映画(だと思いますが)「大奥」のワンシーン。
このなんていうんでしょう、昔の女性が寝所で着てるこの白い薄物は、なんかエロくていいですよね。

「ヌフフ、ういやつよのぅ…。もそっと近う寄れい」
「い、いけませぬ、さようなことは…ッ」
良いではないか、減るものではなし…
「お、お戯れは、おやめくださりませ!」

…というシーンがあるかどうか定かではないのですが(観てないので)、こないだ正月に実家に帰った時、管理人の愚弟が「代官プレイは男の三大ロマンのひとつだ!」と熱く語っていました。
残りのふたつはこちらにおいでの男性のドクターに考えていただきたいと思っています。
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元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1320817377/

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