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江戸時代の職業身分制度である士農工商についてだが @ [日本史板]


江戸時代の職業身分制度である士農工商についてだが @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/01(火) 20:37:11.08
坊主を忘れてないか?
2: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/01(火) 21:25:22.86
神主さんとか坊さんは除外されてなかったか?
3: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/01(火) 21:27:52.84
何で除外されたの?
4: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/01(火) 22:19:04.02
数が少ねえのと武士や商人が出家することもあるからだろ
6: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/02(水) 01:29:00.91
神主、坊主は士分でしょ
上級のは官位を持ってた
11: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/03(木) 10:06:03.94
これって老若男女、大衆みたいな意味でしょ
たとえば農民かつ工人みたいな層だってかなりいたんだし
13: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/03(木) 19:51:27.35
>>11
士農工商なんて実際存在しなかったから今は小学校の教科書からも削除された。
今の教科書には武士が百姓(農民・漁民)と町人(職人・商人)を統治したと載ってる。
14: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/03(木) 21:03:48.44
>>13
存在していたよ
ただ幕末などは足軽にランクアップしたりありだったので明確さは薄れていた
15: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/03(木) 22:44:56.60
士農工商なんて明治政府が創ったファンタジー
20: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/04(金) 17:20:54.73
>>15
武士、百姓、町人を士農工商と言い換えるのにどんな政治的意図があるのか理解しがたい
22: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/04(金) 18:34:35.51
>>20
あたかも農工商に序列があるかのような印象操作をすること
51: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/04(日) 16:46:15.22
>>20
江戸時代が厳しい身分制の社会で、庶民は虐げられており、それを開放したのが薩長政権なのだからありがたく思いなさい。
96: 日本@名無史さん 投稿日:2015/11/19(木) 00:05:09.86
>>15
っていうか、明治大正にも「士農工商」が身分制を表すなんてことは教科書には書いてなかったんだよ。
書いてあってもまだ江戸時代を知る人が明治大正にはいるか「そんなのなかったよ」で誰も信じないだろw

この士農工商が小学校にできたのは昭和の戦中(満州事変以降)かららしい。
つまり軍部の捏造だろう。
軍部の偉い人は東北の貧農だし、贅沢禁止令を出したりしてた。
226事件では財閥(商人)憎しを叫んでいた。

で、どういう政治的意図で作られたのかわかったよね?

要するにマルクス主義が入っているんだw
管理人より:ナ、ナンダッテー!Wikipediaの「士農工商」によると、
儒教において社会の主要な構成要素(官吏・農民・職人・商人)を指す概念である。「四民」ともいう。日本では、近代になり江戸時代の身分制度を意味すると捉えられるようになったが、1990年代ごろから実証的研究が進み、誤った認識であることが理解されるようになった。
身分制度はあったけど、流動性はけっこうあって、インドのカーストみたいに厳しいものではなかったとする説が現在では有力だそうです。また、部落差別を助長するという非難を招くため、放送禁止用語になっているとのこと。
16: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/03(木) 23:15:23.81
39: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/14(月) 21:09:16.92
>>16
手元の高校日本史の教科書には載ってるのだが。
円周率=3とかもそうだがろくに調べもせず適当なこと言わんでほしいね。
58: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/16(金) 21:42:07.30
>>16
白土三平流の貧農史観はもう古いんだな
59: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/22(木) 09:52:03.23
おもしろいよね。
教科書に「庶民は苗字を持てなかった」とか「重い年貢で苦しくコメの飯は正月くらいしか食べられなかった」「ぼろぼろのあばら屋に住んでいた」とか、「うわー江戸時代ってひどかったんだなあ」と信じてたんだよw


神社の奉納とか先祖のお墓とかに苗字が書いてあるのを見てるのにさw
家だって江戸時代に建てた家が近所にいっぱいあるのにさ。
豪邸とは言わんが、ケヤキの太い大黒柱を使った結構立派な農家の住宅だ。

>>58
それの影響は大きいような気がするねえ。
63: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/23(金) 06:29:27.10
>>59
名字を持たない人も居たし、持っていた人も公式には使えなかった。
水戸藩のように、墓石には名字を刻んで構わないという藩もあったけど。
65: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/23(金) 08:45:35.64
>>59
そら人によるよ。
庄屋階級なら下級武士より恵まれていたし、貧農は教科書通り貧農。
19: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/04(金) 16:58:25.80
士農工商は「無かった」なんて言い方をしてしまうとややこしくなる
27: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/08(火) 22:45:00.52
>>19
いつもの極端から極端に振れるというアホの特徴です。
マルクス史観から平成マンセー史観へと変わり、30年後にはまた逆に振れる。
士農工商は、純然たる身分ではなくとも、職業の貴賎を表す観念ではあったでしょう。
士農工商とはもともと儒家や法家の思想で、統治者たる士が一番尊く、次は食料を作る農、その次は不要不急のものを作る工、最も卑しいのは右から左へ動かすだけで何も作らない商とされており、江戸幕府は儒教を国教とし、孔子廟まで建てるほどなので、教養ある中上級武士ならそれぐらいの知識は弁えていたはず。
26: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/06(日) 21:57:11.63
士農工商って中国は周代の制度だけどな
日本では農工商が一つの身分として成り立たなかったから
28: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/08(火) 22:52:32.67
実際上の区別はなくとも、儒教にかぶれたインテリからすると、どんなに大きな身代を築いた商人であっても、あんなものはパチンコ屋や風俗産業の経営者ぐらいにしか見えていない。
29: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/08(火) 23:10:18.47
「士農工商」はピラミッド型で学んできましたが、この身分制度は、江戸時代に存在していません。
「士農工商」は、元々は今から3000年前の中国の文献に出てきます。
それを私たちはあたかも日本の言葉であるかのように考えてきたんです。


中国での意味はピラミッドではありません。
中国では皇帝がいて、その下に民がいます。
職業で分類するならば、「士農工商」は横並びで4種類です。
民全体を表すことから「みんな」という意味でも使われていました。
これが中国の「士農工商」の考え方です。

この言葉自体は、奈良時代にすでに日本にきています。

関連して「士」という文字ですが、「武士」ではありません。
例えば、大学を出れば卒業証書に「学士」という称号がつきます。
税理士、会計士など何らかの専門家、あるいは役人という意味で使われてきました。
3000年前の中国の言葉を、わずか150年前の江戸時代の身分制度に適用することは、無理な話なんです。
管理人より:出展はコチラの模様。→【人権フォーラム】被差別部落の歴史に学ぶ
37: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/11(金) 10:10:27.35
鎖国だって「無かった」なんて言い方をしてしまうとややこしくなるからな
40: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/14(月) 21:33:24.79
教科書から消えたもの 元寇
教科書からの「消え方」というのは、三種類あります。
教科書の改訂は、四年に一回なのですが、その四年に一回の改訂の中で、付け加えられたり消えて行ったりしていくのですが…

第二のパターンは、まず小学校の教科書の記述が変わり、それからだんだんと中学、高校と「下から上に」変わっていくパターンです。
これは新発見などももちろんそうなのですが、「読み方」や「説明の仕方」が変わって、誤りでもないので、「この新しい学年」からそのように記述を変化させていこう、という意図がある場合です。
「士農工商」などが典型的な例で、小学校では説明の仕方が変わった、もう教えなくなったが、中学や高校は「まだ」そのまま、という場合も一時期起こります。

ある学年の子が成長していく中で、小・中・高、一貫して説明がブレないように、同じようにするためだと思います。
世界などでは、この傾向が多く、コロンブスの新大陸「発見」が「到達」に変わる、というようなこともありました。
41: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/15(火) 00:12:06.30
中学校でも平成24年から士農工商の記述がなくなりましたよ。
42: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/15(火) 10:34:43.02
このブログ信憑性に欠けるなあ
山川、実教、東書の教科書を調べたが元寇という表現は消えてはいない
47: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/16(水) 18:50:53.71
>そのため、今の教科書では『モンゴルの襲来』と書かれるようになってきている。
モンゴルって当時の言葉じゃないんじゃね?
蒙古襲来か元襲来あたりがふさわしいし、襲来・侵略はの一文字で表現できるから、元寇で何の問題もないと思うが??
49: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/17(木) 06:40:03.40
単に漢文の素養のないバカがせっせと勘違い振り回して用語置き換えをしてるだけじゃね?
その種のバカも、「蒙古は差別用語」なんて知識だけはある。

しかし、蒙古は奴らが自称してた国名だろうがよ。
45: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/15(火) 18:59:28.40
士農工商って本来は古代中国のカースト制だからな
とくに最下層の商人階層は頑民と呼ばれる殷の末裔によって構成され、浮浪的な性質を持ち半ば異民族扱いされていた

「商人」自体がもとは殷人が自らを指す際に使ったこと語だしな
46: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/15(火) 21:54:35.06
殷:滅亡後
商人という言葉は、商(殷)人が国の滅亡した後の生業として、各地を渡り歩き、物を売っていたことに由来するとされる。
そこから転じて、店舗を持たずに各地を渡り歩いて物を売っていた人を「あれは商の人間だ」と呼んだことから「商人」という言葉が生まれたというものである。


ただし、白川静は「商に商業・商賈の意があるのは、亡殷の余裔が国亡んでのち行商に従ったからであるとする説もあるが、商には賞の意があり、代償・償贖(とく)のために賞が行なわれるようになり、のちにそのことが形式化して、商行為を意味するものとなったものと思われる」と否定している。
48: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/17(木) 00:02:46.44
当時の人の実態に沿うならという言葉も使用できなくなる
50: 日本@名無史さん 投稿日:2015/09/18(金) 07:18:09.65
>>48
しかも、幕末維新期の用例であれば、旗本の家中でも普通に藩と自称している。
おかげで、各地の郷土史家が旗本の研究で藩って言葉を使っていたりする。
管理人より:「藩屏(防御のための囲い・塀)」なんて言葉もあるし、どうでしょうかなー。
53: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/04(日) 18:32:40.84
庶民は地租改正されて全員納税義務を負い、徴兵や教育まで義務づけられたのが維新だろw
庶民にとっては江戸時代の方がずっと負担が少ないわw
55: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/04(日) 19:20:20.85
国民皆兵制になったのは実質太平洋戦争直前だけどな
昭和10年になっても入営率は10%と志願兵制をとっていた同時代のイギリスよりも低い
67: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/23(金) 16:22:28.62
天領とか尾張・広島とかの豊かな藩の百姓ならまだしも、慢性的に飢饉と疫病が蔓延していた東北諸藩の百姓とか、薩摩や会津みたいなお侍が威張り腐って常軌を逸した税率を絞り取っていた藩の百姓に比べたら、原始人の方がまだまともな生活を送れていただろうな。
74: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/24(土) 09:05:45.67
>>67
幕末明治維新のころ幕府領では反乱が殆どなかったどころか、近藤勇とか土方歳三の類いがでてきたのも、善政が続いていたからだな。

代官と周辺の小禄の小役人しかいなかったので、寄生する連中が少なかったのと、旗本にとっては代官は出世の重要なステップなので時代劇みたいな詐取は殆どなかったとか。
88: 日本@名無史さん 投稿日:2015/11/08(日) 12:00:31.29
>>74
土方の姉貴が嫁いだ佐藤彦五郎は治安の悪さから幕府に武装する許可を求めている。
甲州騒動がいいように無宿無頼が横行するこの地域は、幕府の治安維持のマンパワーが圧倒的に足らず、佐藤のように自衛のために武装する富裕農民が多く、近藤や土方はそういう社会情勢から生まれた。
69: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/23(金) 18:15:40.58
徳川家康「百姓は死なぬよう 生きぬよう」
これが日本史上最大の英雄の言葉で、こんなのがまかり通ってしまうんだから日本って為政者階級にとり無茶苦茶緩い国だよなあ…。

もし仮にこれと同じことをフランスでルイ16世あたりが、大衆に向かって大声で叫んだらどうなるんだろ?
おそらくボッコボッコにリンチされて、死にそうになったら一旦中止、回復を待って再開。
もう死なせてくれっていうまでそれが繰り返されたに違いない(笑)
71: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/23(金) 20:24:34.07
その言葉は後世の書物にしか見えないもので本当に家康が言ったかどうか
秀吉と同じく作合いによる中間搾取を否定していったことから農民のことをどうとも考えない人だったとは思えない


ちなみに近世ヨーロッパではホッブズの王権神授説に見られるように王=神の御使いであり、超常的な力を有し、同じく神に選ばれし者か聖遺物でしか傷つけることのできない不死身の存在と考えられおり、庶民にとっては刃向うとかまず考えられない存在
76: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/24(土) 11:51:44.21
>>71
農民側もなんだかんだと理由を付けて年貢率を下げようとするし、農民が変に裕福になると、土一揆のような反乱の温床になりかねない。
その兼ね合いじゃねーの。
管理人より:正しくは「百姓共をば、死なぬように生きぬようにと合点いたし収納申し付くるよう」で、「落穂集」に出てくる家康の言葉とされているんだそうです。
それと»71さんが言う「王権神授説」ですが、ホッブスは逆に「社会契約説」といって、王の権利は市民との契約により認められたものであるという説を唱え、王権神授説には反対の立場。国王は神の代理人である…という考え方自体は、古くはメソポタミアからあったそうです。
70: 日本@名無史さん 投稿日:2015/10/23(金) 19:12:12.38
とりあえず一括りにして「江戸時代は~だった」は無理がありすぎる
何を入れても
118: 日本@名無史さん 投稿日:2015/12/28(月) 19:03:12.83
AA:MMRキバヤシおれたちはとんでもない思い違いをしていたようだ。コレを見てみろ。
『赤穂浪士』という単語をローマ字に表記する
ako-ro-shi
そして最後の仕上げに意味不明な文字aと-を削除し残りの文字を取り出す。

するとできあがる言葉は・・・・・・『koroshi』
『赤穂浪士』とは『殺し』を表す言葉だったのだ!!

AA:MMRナ、ナンダッテー!まぁあの、「ヌルポ」「ガッ!」みたいなもんですから。

管理人の小学校のときに、隣のクラスが文化祭かなんかの出し物で、「百姓がお上の圧政に耐えかねて一揆を起こす」みたいなお芝居をやってたもんですが、「一揆じゃあ!」と叫ぶ庄屋さん役の男の子がなかなかの熱演で、以後、彼はアダ名が「庄屋」になりましたよね。

歴史研究っていうのは、新しい資料が発見されたり、研究によってそれまでの意見が覆ることがよくありますんで、我々が子供の時に習ったことが現在では否定されてても、珍しいことではないでしょうか。
管理人は子供の時から小咄とかに目がなく、そうした古典的なエピソードから垣間見える庶民の暮らしは、なんとも気楽で活き活きとしていて、あまり厳しい身分制度で貧困に満ちている…というイメージは最初からなかったです。

古今亭志ん朝 Shincho Kokintei たがや 落語 Rakugo落語の「たがや」なんか聴いてみると、これは花火大会でごった返す橋で、お侍とぶつかって因縁付けられた町人がキレてケンカ売る話ですから、なおさらそう感じます。実際の暮らしはどんなもんだったんでしょうかね。

学校の歴史の授業なんてどのみちたいしたこと教えてないですから、教科書の細かい記述なんてどうでも良いと思いますが、「元寇」を「モンゴル襲来」というのはだいぶん思い切りましたねぇー。ホントにそう書いてるのかな。「モンゴル」という名称は元は部族の名前なんだそうで、国の名称として使われたのは、1924年の「モンゴル人民共和国」が最初だそうですから、けっこう違和感あるな。笑

阿倍仲麻呂(葛飾北斎)
トップ絵は葛飾北斎の手による浮世絵「阿倍仲麻呂」です。
2.29追記:当記事を「朝目新聞」様でご紹介いただきました!いつもありがとうございます!やっぱり庶民は将軍様が一番エライ!と思ってそうな気がする。
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現在参加者22名(9月27日 14時32分現在)
    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.19 21:22
    邪魔な文字をノイズとして省くキバヤシほんと好き
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.19 22:30
    時代劇とか小説とかで、農民の子供が商人に丁稚奉公してるって設定を何度も見聞きしてたのに、なぜ教科書に書いてある士農工商を疑わなかったんだろう、子供の頃の俺は
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.19 22:46
    まあ農工商の境目なんて無いようなものですし、幕末には武士が貧乏になりすぎて商人や庄屋が跡取りの株を買うなんてことも良くありましたからね。坂本龍馬の家とかもその一例のはず。
    本スレにもあるように豊かさという面ならば武士≧町人>>>下級武士って感じだったようです。

    ただ農民、とくに東北の農村にすんでいた農民はかなり厳しい生活をしていたと思いますよ。平時はそれなりに米が取れますがそれは地主と役人に搾取されましたし、冷夏ともなれば凶作により飢饉に苦しむことになりましたから。

    もっともこれは明治維新を経ても変わらず、その後の大陸進出の原因にもなっちゃいますが。解決するのはマッカーサーの農地改革を待たなきゃいけないですね。
    • ※4 :  
    • 2016.2.20 8:24
    明治維新の最大の目的はバカバカしい規制の撤廃だから。自由の為に戦ったのが薩長。自由を重視する薩長閥は自らの非難をほとんど放置したので、庶民からの膨大な悪口が残っている。
    薩長閥が社会主義者の役人(軍部を含む)によって追い出された後に、バカバカしい規制を大量につくるようになって言論の自由もなくなり、太平洋戦争。
    戦前、戦後の社会主義者がつくった用語が士農工商。社会主義者が非難するのが薩長閥で、自由を敵視する社会主義者は薩長閥が壊滅した後の太平洋戦争すら薩長閥の責任にするから笑える。
      • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2016.2.20 10:51
      薩長独占資本が軍部主導のテロリズム革命によって転覆する。マルクスの予言通りだな
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.20 12:32
    東北の貧窮は搾取が原因というより、作高が安定しないのが原因。
    食べれるだけまで人口は増えるので、そこで冷害の年がくると大変な事になる。
    東北人は江戸幕府でも昭和の軍部でも高い地位にいたけど、ほとんど対策できていない。
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.20 14:08
    そろそろ左派学者によって
    階級闘争史観にのっとって資料学説が
    取捨選択捏造されてきたってことが
    一般に周知されだしても良い頃だと思う
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.20 18:36
    身分制度の固定は、豊臣秀吉の太閤検地以降により明晰になる
    検地によって田畑の区割りが明確になって、同時に所有者(権)も確定する
    で、離農したら没収になるから、畢竟百姓はその身分を自ら手放さくなった
    ただ、財産を譲れるのは長男だけで、よほどに大きくないと分家は認められない
    これは、士分は勿論大名クラスでも同様で、跡継ぎ無き場合はお取り潰しが常套
    で、次男以降は跡継ぎに寄生するか、家を出るしかなくて、この場合は身分からは開放される
    まあ、こういう下地があって、以降の度重なる諸制度の発布で、古い制度が削除されることなく、
    上書き上書きされていった結果、身分固定制度に近い運用をしてたのは事実だよ
    それを指して、当時の人間が士農工商と言っていたかは別だけど、
    軍事都市である江戸は、建前上士分だけが住む町であって、その他の人間は、
    士分が生活するために必要だから仮に住まわしてやってるっていうスタンス
    だから、その順位が士農工商になるってのは当然の帰結なんだよ
    人別帖に記載されれば、それがその人の社会保障となって、それが生涯続くということだし、
    人別帖に記載のない無宿人が捕まれば、人足寄場に送られるって言うのもそういうこと
    ただ、江戸文化揺籃期に、人別帖記載外の歌舞伎役者が民衆の人気と財力にモノを言わせて、
    表通りに名目上の商店を持つことを願い出るようになる
    それが、成田屋とか中村屋とかの歌舞伎役者の屋号の名残になってるんだが、
    このような抜け道があるってことが、確固たる制度ではなく慣例に近いことの証左
  1. >邪魔な文字をノイズとして省くキバヤシ
    元祖のキバヤシもそんな感じなんですかねw
    --------------------
    >東北の農村にすんでいた農民はかなり厳しい生活を
    >東北の貧窮は搾取が原因というより、作高が安定しないのが原因
    なるほどー。
    それでも現在はコシヒカリだのなんだのあるわけで、過酷な環境にもめげずがんばった成果ですかね。
    --------------------
    >成田屋とか中村屋とかの歌舞伎役者の屋号の名残になってるんだが、
    成功したならなんとかなるのであれば、そこそこ緩かったんですかねぇ。
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.2.22 8:20
    あくまでここ数年で出て来た説の1つって前置き付きなんですが
    東北で起きた大飢饉の内、数万人規模の餓死者を出したとされて来た南部藩については、
    どうも上納する年貢を減らすために死者数を過剰に捏造して報告したと解ったそうです。

    研究者が最近藩の日誌を洗い直したところ、実際にその当時そこに居た人数に比べて、
    幕府に報告した資料や表向きの戸籍情報の人数が著しく少なくなっていたそうです。

    特に「天保の大飢饉」の際には、前後で逆に人口が増加している事も発覚したそうで、
    農業人口が壊滅的被害を受けたはずなのに比較的短期間で石高が回復している事や、
    当時の郷土史で商人間に特に混乱が見られない事も裏付けになっているとの事。

    もちろん、技術の未発達等で今より収穫が不安定だったり死者も出たりした様ですが、
    いわゆる「大飢饉」が起きた時期には大体幕府や各藩の失政が重なっていて、
    米の流通量や物価に混乱が生じやすく直後に改革されている事も留意すべきですね。
  2. >どうも上納する年貢を減らすために死者数を過剰に捏造して報告した
    おー、なんとも日本人らしい対処法。
    良かった、飢饉で亡くなったご先祖はいなかったんや…となれば良いでしょうが、実際には、お上と庶民の化かし合いってところですかねぇ。
    • ※12 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.25 7:59
    28年度の東京書籍(中2)は「元寇」ですよ
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