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邪馬台国九州王朝説の信ぴょう性 @ [日本史板]


邪馬台国九州王朝説の信ぴょう性 @ [日本史板]
1:日本@名無史さん 2014/08/28(木) 23:57:38.88
wikとか見たらすごい面白そうなんだけどトンデモ説の域はでてないのかな?
管理人より:日本史板のまとめですが考古学カテゴリーでの更新です。
九州王朝説」は、吉田武彦という研究者によって提唱されている、7世紀末まで九州に日本を代表する王朝があった、という説。他の学者からの反論も多くて現状有力説とは言えず、トンデモの扱いの模様。
もともと「九州」という言葉は、周以前の古代中国で、国土を9つに分けて統治していた習慣より「天下」を意味する、というのが根拠のひとつになってるとか。へ~。

志賀島の金印(左)
他にも福岡の志賀島で発見された有名な「金印」も有力な証拠のひとつ。画像一番左が金印で、真ん中はほぼ同じ時期に制作されたという中国で発見されたもので、金印の真贋論争にはほぼ決着がついたとのこと。右は前漢の武帝が「テン国」に送ったとされるもの。(参考:九州国立博物館
九州国立博物館
3つとも太宰府の九州国立博物館にあるそうです。とても優美な外観と内装を持つ美しい博物館ですよ。ここで昔やってたフェルメール展は良かったなぁ…。
3:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 00:13:55.86
記紀は捏造だとか言いつつ自分で歴史を捏造しちゃったやつ
4:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 09:47:54.60
世界史的には間違いなく存在したが日本史ではまるで無かったことになってる九州王朝は実在する。

征西大将軍こと後醍醐天皇の皇子、兼良親王の北九州に成立させた王朝。
少なくとも、世界史的には実在する。
5:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 16:38:16.01
どこまで信じれるか、だと?

何一つ信じられませんが、何かw
6:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 18:27:29.58
やっぱり記録に残ってないから信じられないのかな?
天智天皇と天武天皇あたりってかなり怪しいと思うんだがどうなんだろ?
10:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 18:50:23.29
>>6
記録に無いものを勝手に妄想するのは「歴史」じゃないの。
日本史板じゃなくてオカ板とか創作文芸に行ってください。
7:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 18:31:25.93
記録に残ってないのは、そもそも九州王朝なんて無かったから。
私は天智・天武あたりが別に怪しいとは思わない。以上
管理人より:「九州王朝説」の
『古事記』や『日本書紀』には、同父同母の天智が「兄」で天武が「弟」と書かれているが、天智は671年に46歳で没し、天武は686年に65歳で逝去しているので天武のほうが4歳天智よりも年上である。また天武は天智の娘を4人も妃にしているので、天武と天智が兄弟であることはない。
「天智」は、(殷)最後の暴君とされる(紂王)の愛した「天智玉」に由来し、「天武」は、「天は武王を立てて悪しき王紂王を滅ぼした」に由来する。「天智」「天武」の諡号は、殷王朝から周王朝への易姓革命を意識して付けられたものである(森鴎外『帝謚考』)。
日本書紀によると天武は、三種の神器の一つである草薙剣に祟られているので、天武は、本来正当な後継者ではなかったと考えられる。
このあたりでしょうかね。また継体天皇の九州由来説も。
8:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 18:38:02.18
倭国と日本は別物
日本の国号を奪った。

唐書に記録があるし。天武が革命っぽい事を言ってた記録とかもあったんじゃなかったっけ?
9:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 18:42:52.90
>>8
もういっぺん良く読んどけ
442 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 23:59:56.49
>>438
倭国も日本国も「やまとのくに」で基本は同じです。
中国では国名が変わると王朝の交替を表わすので、中国側がこの国名変更に色々思い悩んでいる様子が看て取れます。

唐書よりも古い本の「通典」や「唐会要」と比較してみると、何となく事情が見えてくるのではないでしょうか。
「明史日本伝」などを読むと分かりますが、中国の史書は結構いい加減(説明不十分)なところがあります。
中国の史書を「文字通り」読むだけではいけないことを知っておくべきでしょう。

まあ、中国にとって日本は、東海の辺鄙なところにある島国に過ぎませんから仕方ありませんが。
王朝が変わるというような意味でのリセットはまず無いですね。
飛鳥京域からは斉明朝以降の木簡が見つかりますが、極端な断絶を示すようなものはありません。
それに、記紀が書かれたのは西暦710年代つまり今からちょうど1300年前のことで、壬申の乱は672年ですから、1972年の日本を知る人が今でも大勢いるように、672年の飛鳥を知る人も当時まだゴロゴロいたはずで(現に天智・天武の子女たちが何人も存命ですから)、そのような中で国の大枠やトップに関わる事項が史書で根本から改変されるなどということは、考えづらいと思われます。
12:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 19:12:48.16
>>9
それは一例で。

天智天皇が紂王で天武天皇が武王みたいな説とか。天武の方が年上とか。
さらにその前の聖徳太子非実在説と日本書記の信用度
日本書記の編纂を命じた天武天皇。
17:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 19:22:11.36
>>12
逆にそういう「説」を疑ってみることも必要だよ。
あと、君は日本書紀とか信用できないとかいって九州王朝に期待を寄せているようだけど、九州王朝説は日本書紀以上に信用できない、といっても過言ではない。
15:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 19:19:55.47
けど古代史が記紀のとおりとも思えないんだよね。
21:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 19:34:38.69
>>15
そこいらのオッサンの与太話より記紀を信じるね
管理人より:「記紀」は「日本書紀」と「古事記」の総称。もちろん内容は神話と渾然一体となっているのですが、この頃の日本の書物は極端に少なくとても重要な資料でっす。
20:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 19:33:23.61
倭奴国該当は九州です
昔の日本史の常識ではな
九州は橘氏系の氏族の拠点でもある
橘氏関係から調べていくのが正解
22:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 20:14:06.47
そもそも、もう4世紀には漢字は流入してたから、当時の記録は伝聞として200年くらいは残ってたはずなんだよね。
したがって、九州王朝なんて存在しえないんだよね。
23:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 20:25:54.58
似たようなので王朝交代説ってのもあるけどそっちの信用度はどんなもん?
25:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 20:39:42.18
>>23
王朝交代説ってのは三王朝のが有名だけど、今は政権持ち回り説なんてのもあって、ヤマト王朝とか王権というより、ヤマト政権とか言ったりする。
それに地方の豪族とかも独自の勢力持ってたから、ヤマトも有力な「一地方政権」的な見方もある。
中央集権国家としての日本国が出来た8世紀頃~が王朝というにふさわしい。
24:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 20:36:39.07
議論は停滞気味だね
継体天皇新王朝論もあくまで俺の私見だけど積極的に新王朝だ!簒奪だ!という人は最近はあまりいないような気がする
66:日本@名無史さん 2014/10/19(日) 09:14:55.85
>>継体天皇新王朝論
ある意味では正しいでしょう。
まともな実力者で天皇になりたがる人物が全く出てこなくなったので、九州主導で継体が押し出された。
引き受ける代わりに生命保証してほしいと願ったので、その目的のため倭国副王が難波宮に設置された。

天皇家を強く太くするため編み出された万世一系法の弊害が極みに到達した時代なのだ。
72:日本@名無史さん 2014/12/24(水) 18:27:14.64
>>66
越と近江って明記されてるのにわざわざ九州に持っていく理由を知りたいね
73:日本@名無史さん 2014/12/24(水) 19:01:10.26
>>72
古来の史実書物なんて客観的立場で書いてない限り捏造だらけだから、よほど信頼に足らないと眉唾ものだね
しかも越と近江って邪馬台国時代の文化的遺跡なんて皆無でしょw

前から思ってんだけど継体関連なんて、無理に整合性を持たせようとするところなんてかなり眉唾ものだよ
74:日本@名無史さん 2014/12/25(木) 08:29:57.53
>>73
5世紀末から6世紀の人物である継体帝と3世紀の邪馬台国とが関連しないからって何だってんだ
管理人より:「継体天皇」は第26代の天皇。応神天皇の子孫…ということになっていますが、血縁関係が明らかではなく、戦後継体天皇から連なる血統が現在の皇室につながっている…という説が盛んに議論されました。(「王朝交替説」など)
現在では王朝簒奪説よりは大和王朝中枢の豪族の支持を得て、即位したという説が有力なようです。
26:日本@名無史さん 2014/08/29(金) 20:57:39.87
九州に王朝なんかないない。
鹿児島住みだけれどこんな田舎にまず人が居た訳がない。

熊襲とかの野蛮人位のもんでしょ。
上野原遺跡も嘘臭いから、遺跡周辺は工場地帯だけど、建設前の事前調査も無視してガンガン建物建ててるよ。
96:日本@名無史さん 2015/08/18(火) 08:31:00.18
>>26
何を持って田舎だとして人がいないと断定したのかは知らないけど、南方のポリネシア系の人が日本に流入するときに真っ先に上陸するであろうところは地理的にお前のとこと沖縄だよ
28:日本@名無史さん 2014/08/30(土) 07:17:09.32
けど出雲地方は古代では大都会だったわけでしょ。
今、九州が田舎だからといって当時も田舎だったとは限らない。
30:日本@名無史さん 2014/08/30(土) 07:57:59.04
>>28
出雲が都会だったというより、今の京都のあたりも出雲だった。だから、京都には出雲のつく地名が多い。
鴨族じたいが出雲族だし。
出雲は大和(日本)を譲る代わりに、出雲に神殿を建ててもらったもの。
29:日本@名無史さん 2014/08/30(土) 07:48:21.95
桜島大噴火、 桜島は、かつては文字通り島であったが1914年(大正3年)の噴火により大隅半島と陸続きとなったというから、桜島周辺を掘れば、ポンペイ遺跡が出てくるだろうね。
31:日本@名無史さん 2014/08/30(土) 13:11:05.24
倭王武の上奏文や稲荷山鉄剣銘文から考えるに、少なくとも雄略天皇の時代は王朝といっても差支えないと思う
32:日本@名無史さん 2014/08/30(土) 19:40:05.30
埼玉の古墳から長い文章が書かれた剣がみつかるぐらいなんだから。
他の古墳も調べれば古代史の事が解るような史料が見つかるのかな。
宮内庁が許可出す事ってあるのかなあ?
管理人より:「倭王武の上表文」というのは、5世紀頃の日本にいたとされる「倭の五王」の最後の王「武」が宋の順帝に送った上表文。
封国は偏遠(へんえん)にして藩(はん)を外に作(な)す。昔から祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。王道融泰(ゆうたい)にして、土を廓(ひら)き畿を遐(はるか)にす。累葉朝宗(るいようちょうそう)して歳(としごと)に愆(あやま)らず。
宋書の「倭国伝」に記されているそうです。倭王武=雄略天皇であるとする説も。
稲荷山古墳出土鉄剣」は、埼玉の稲荷山古墳から出土した5世紀または6世紀ごろの鉄剣。
辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。(表)
其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(ワク(カク)カタキ(シ)ル(ロ))の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。(裏)
が記されています。
34:日本@名無史さん 2014/09/08(月) 19:57:52.03
記紀なんての自体が全部作り話っていうのが当たり前の事実だろうけど。
何故そう言い切れるか?今に残ってるから。今に続く権力に都合がいいから残されたのです。
35:日本@名無史さん 2014/09/08(月) 20:52:17.89
>>34
ハァ、じゃあなんで邪馬台国論争に参加されてるんで?
魏志倭人伝も信じないんでしょ?
36:日本@名無史さん 2014/09/08(月) 21:25:35.46
そういう次元の話じゃ無い。
北九州に王朝のようなものがあったであろう事は想像する事が容易い。
なのに記紀には磐井の乱程度の事しか大きな話題が無い。そんなわけないだろう?

吉野ケ里然り、多くの大規模な遺跡が見つかっているのにこれらをいちいち邪馬台国に結びつける必要性は無い。
本来、魏書に僅かに残る邪馬台国の記述をを古代日本の統一王朝のように捉える意味もないのだ。
裏返せばこれらの歴史の流れという定説が全て後付け設定なんです。


アカデミズムってのの現場で当たり前のようにそれが何の疑問も持たれない。気持ちの悪い話だ。聖書物語に近いね。
39:日本@名無史さん 2014/09/09(火) 18:02:33.67
>>36
アカデミズムにも受け容れられない与太話は聖書偽典以下だね。
37:日本@名無史さん 2014/09/08(月) 21:27:29.91
邪馬台国の規模からして、どう考えても九州の国とは思えないんだが。

邪馬台国=大和朝廷だろ
記紀で九州の国は小国扱いだし
40:日本@名無史さん 2014/09/13(土) 17:32:48.88
北部九州は7世紀くらいまで、相変わらずのマイペースで、墳墓も前方後円墳を作ったかと思えば、でっかい円墳も作る。
まったく統一感がなく、広域支配された形跡もない。

ある程度の連合はあったのかもしれないが、実態は小国の集合体で、なにかあればすぐばらばらになる。
倭人伝に書かれたままの状態。
46:日本@名無史さん 2014/10/05(日) 00:25:58.02
日本中に王朝が幾つもあったんだよw
47:日本@名無史さん 2014/10/05(日) 16:13:45.11
王朝と言うより各地に固まって各々の
暮らしをしていたんでしょう
48:日本@名無史さん 2014/10/05(日) 16:59:11.76
九州王朝が成立するのは、6世紀の前半からだね。

それ以前のどの段階で、ある程度まとまるようになったのかは分からないが。
54:日本@名無史さん 2014/10/06(月) 01:22:16.58
九州王朝が存在したらしたらでよいではないか。
どのみち、大和天皇家とは接続がないのだから。
神武東征があったのは卑弥呼金印仮授以前である。
55:日本@名無史さん 2014/10/06(月) 04:18:03.82
>>54
九州王朝説は本家の古田とは別に取り巻きが妄想膨らまして、各自勝手な説を唱えてどんどん増殖しちゃったからなぁ

九州王朝が畿内勢力を併合して統一政権になったとか、九州王朝と畿内王朝が合体したとかのバリエーションもある
67:日本@名無史さん 2014/10/19(日) 12:03:15.84
>>55
古墳時代スレに「倭の五王=仁徳の弟から九州王朝に分岐した」といってるやつがいた
もうどんどん収拾つかなくなってるな
57:日本@名無史さん 2014/10/06(月) 10:10:17.52
1)天皇家には姓が無い。
2)阿蘇山のある倭国の王「阿毎」多利思比孤だった。
3)故に天皇家とは異なる倭国が阿蘇山の付近にあった。

3段論法によって九州王朝が存在した事が証明できる。
58:日本@名無史さん 2014/10/06(月) 10:42:26.81
このように、お話になりません
75:日本@名無史さん 2014/12/27(土) 06:30:25.52
邪馬台国は九州にあって、大和朝廷に滅ぼされた
76:日本@名無史さん 2014/12/27(土) 07:26:01.71
旧肥前国、肥後国が女王国。
そのうち肥後国が邪馬台国
漢委奴国王の帥升は奴国=筑前国


筑後川沿いの筑後は広大な土地であったが、筑後川が暴れ川であることと、広大な低湿地地域であることから、あまり使える土地ではなかった。
しかし、灌漑土木技術が進むに連れ、広大な良田となる。

有明海湾岸を支配する肥国と筑後川沿いを確保しようとする筑前奴国で抗争が勃発。
その境界である吉野ケ里、安永田や、瀬高、大牟田、玉名では、大量の武器と戦死の痕跡が残る。


ついには筑前が久留米高良山を取り、戦争は終了、
合併はしていないようだが、不戦協定が結ばれる。


景行天皇が残る熊襲退治を行い、九州は統一される。
帰りに肥後地域を通るが、ここでは戦争になっていない。
九州王朝設立。
80:日本@名無史さん 2014/12/28(日) 19:55:39.36
>>76
熊襲勢力が大分鹿児島
邪馬台国が肥前肥後
大和朝廷が筑前

こんな感じだね
87:日本@名無史さん 2015/01/23(金) 08:22:36.37
天智天皇は水城の修復なんかもしてるから、九州王朝系の話がはめ込まれてると思ってる。
天武天皇が畿内王権系で、白村江の敗北で疎開してきた天智天皇を殺ったのでは。


まあ、まだ妄想段階だけどね。
88:日本@名無史さん 2015/02/15(日) 12:44:27.61
桓武天皇で皇統が天智系に移ってる時点で永久に妄想確定です
89:日本@名無史さん 2015/02/22(日) 08:52:40.87
畿内以外に、日本の歴史も文化もあるわけないだろ
九州王朝とかいうトンデモ妄想は、日本史や日本文化に対する侮辱行為で反日行為と言える


熊襲土人は畿内や京都の歴史を勉強しろ
90:日本@名無史さん 2015/08/18(火) 05:18:24.23
そもそも中国の王朝に遣いを送れるのは中国に近い地域を支配してた王のみ。
関西や関東の王様では道中よその國からの妨害に遭うものな。
91:日本@名無史さん 2015/08/18(火) 06:20:02.61
>>90
九州が他の地域に隷属していたかもしれないことは想像しないらしい。
よその国は必ず妨害するものらしい。
倭と中国の間には朝鮮があったわけだがね。
92:日本@名無史さん 2015/08/18(火) 06:30:48.67
北部九州の遺跡数はそうとう多いからね。
ほかのどこがここを支配できるというんだ?
93:日本@名無史さん 2015/08/18(火) 06:58:34.49
>>92
いつの時代の話をしてる?
百済はなぜ倭の遣使を妨害しなかった?
140:日本@名無史さん 2015/10/07(水) 22:51:56.73
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有、大山為限、山外即毛人之國。
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。

あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。


『新唐書』日本伝
其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
※「筑紫」=北九州


(まとめ)
日本と倭国は別種。
日本はどこかの小国だったが倭国を併合した。
(旧唐書)

日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は北九州にいた。(新唐書)

ハイ、えー管理人は福岡の人間ですので、邪馬台国とか欲張りは言いませんが、九州にもなんか統一王朝があってほしいなあ…という思いを込めて最後のレスを持ってきました。
若干印象操作じみていますが、九州人は郷土愛が強いので、これくらいのワガママは大目に見ていただきたいと思います。(スレは公平を期してまとめた「つもり」です)

というわけで、九州王朝説はなかなかロマンがあって良いのですが、古代日本には文献がほとんど残っておらず、信ぴょう性はあまり高くないようですね、ザンネン…。
九州は大陸との関係も深そうだし、黒潮を辿って東南アジアからもやって来やすい、ということもあり、なんかあっても良さそうですよねぇ。なんかあるやろ、ネ?
ひょっとして、阿蘇山が噴火して、そこにあった王朝が跡形もなく消えてしまったんでしょうか…、という妄想をしてみる管理人です。

トップ絵は佐賀と福岡の県境にある超巨大な遺跡群「吉野ヶ里遺跡」。
二重の濠に囲まれた40ヘクタールにも及ぶ集落で、その防衛機構はなかなかのものだったと言いますから、争いも多かったことでしょう。
この吉野ヶ里遺跡には復元模型がたくさん展示されているわけですが、こういうのを見てると古代人の息吹が感じられて、ワクワクしますよね!
卑弥呼サマもこゆところに住んでたんでしょうか。
5.10追記:当記事を「朝目新聞」様でご紹介いただきました!「士農工商」についてはウチでも以前やりましたね。なくなってるなんてショック。
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    • ※1 : 名無し
    • 2016.5.2 21:57
    九州王朝説の場合、
    まずは、九州の何処なのかを決めてから話をしてほしい
    色々な説が乱立してるし範囲が広すぎ
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.2 22:18
    金印の定義からしてそうなんだけど
    九州王朝説は九州人学者の「九州に素晴らしい歴史があってほしい」って願望が
    明治維新以降政府のお墨付きを受けすぎてて
    まともに研究すらできない状態。
    なかったとは思えないけど、「あった」と言うと
    たちまちそれが日本を支配してたって結果に結びつくから厄介
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.2 22:42
    稲作の渡来は北部九州から日本全土さらに朝鮮半島まで広がった。
    この地域で一番最初に豊かになっていったのは北部九州だったことだけは間違いなさそう。
    その後はまったく不明。
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 3:07
    九州民の妄想w
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 3:44
    九州王朝なんてないと思うがね
    「日本」、「天皇」という言葉も天武からでそれ以前は色々な豪族がいて、それらをまとめた者が王を名乗ってた(つまり歴代の王朝に繋がりがない、天下をとったものが王を名乗る)
    邪馬台国は当時の天下をとってた国の名で近畿にあったってことだと思う
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 5:13
    魏志倭人伝の旅程は歴訪日を加算して方角距離を正確とすると、今の佐賀県庁辺りに辿り着くらしいですね
    http://sinzitusikan.blog.fc2.com/blog-entry-199.html
    こことか

    個人的には小国乱立だけど大和っていう共同体に属してる、緩い中央集権国家だったんじゃないかと思います
    人も物も流すし言葉も通じるけど喧嘩するときは喧嘩する
    外人に何処の国の人?って聞かれたら「日本」と答えるけど、同じ日本人に聞かれたら「邪馬台国」って答える感じの島国の中のオラが村国家

    今の村社会の根源は既にこの時代に出来ていたんだよ!(ババーン
      • ※12 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2016.5.3 23:14
      佐賀県説は、ちょっとこの作者(?)の方の思い入れが強すぎるような気がします
      まあ、この手の手前味噌論理のせいで、邪馬台国があちこちにできるハメになったのは、
      想像に難くありませんが
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 11:09
    まんがの神武やナムジしか知らないのでアレなんですが、いつまでたっても進展しない話しですね。
    傍から見てると全部正解でいいよ、もう。と言いたくなりますが、
    論争してる人達は楽しそうだから、少しうらやましくもあります。
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 11:28
    7c以前は記紀と外国史書の記述が合わんからな
    九州王朝があろうがなかろうが、この事実は変わらん
    • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 19:28
    畿内最西端にある、本州分水嶺最低高度線上にある、本州横断路の存在を知ってから、
    邪馬台国畿内説は一気に信憑性が高まったと個人的には思ってる
    九州、出雲、大和に有力な分権国家があったのは確実なんだけど、
    それらの連立・対立関係の時代と優越がはっきりしないから、政治情勢とかで判断するのは困難
    ただ、邪馬台国の所在地を示す魏志倭人伝の記述のみからでは、
    九州説を裏付けるには弱いんだが、件の本州横断ルートならば結構強固になるんだよね
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 19:34
    TOKIOの邪馬台国SSが面白かった。九州よりはアリかと思った。
    • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 21:10
    福岡出身で、吉野ヶ里遺跡とか遠足で行ったから九州説を指示する
    しかし根拠はない
    多分畿内だろうなとは思ってる
    • ※13 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.5.3 23:44
    文献史だけで語ろうとするから、トンデモ説とか出てくるので。
    考古学的成果を援用すれば少なくともこんな頓珍漢な議論にはならないだろ。

    と、考古畑の読者がマジレスしてみる。
  1. >まずは、九州の何処なのかを決めてから話をしてほしい
    九州説の中なら、北部の佐賀、熊本、福岡あたりが有力ぽいですねぇ。
    ------------------------
    >九州人学者の「九州に素晴らしい歴史があってほしい」って願望
    そういう側面はけっこうあるかと思いますね。笑
    ------------------------
    >歴訪日を加算して方角距離を正確とすると、今の佐賀県庁辺りに辿り着くらしい
    >佐賀県説は、ちょっとこの作者(?)の方の思い入れが強すぎるような
    とりあえず唐津に到着したのは事実ってことで良いんでしょうかね?
    ------------------------
    >本州横断路の存在を知ってから、邪馬台国畿内説は一気に信憑性が高まった
    やっぱり畿内説が有力なんですねぇ。
    ------------------------
    >TOKIOの邪馬台国SSが面白かった。
    ちょっと気になったんで調べてみましたが、これおもしろいですねー!
    むかしの中国人は瀬戸内海を川だと思ったらしいんで、ありえなくもないですよ。邪馬台国は四国にあった!
    ------------------------
    >吉野ヶ里遺跡とか遠足で行ったから九州説を指示する
    九州人ならそうですよね!
    ------------------------
    >考古学的成果を援用すれば少なくともこんな頓珍漢な議論にはならない
    考古学板だったらきっとそっち方面で盛り上がったのではないでしょうか。考古学板すげぇ過疎なんでそこがザンネンです。
    • ※15 : 名無し
    • 2016.5.10 5:20
    現時点で記紀しかないのでそれを基準にするのは仕方ない
    日本は島国な上に字が入るのが遅かったし中国もあくまで自国史のおまけでたまに書くくらいなので中東や欧州のように相互補完できないのだから

    根拠としては薄いが薄い中では最も濃いので考古学ではわからない部分の日本史の定説の基準は記紀になってしまう
    支配者に都合のいいような歴史書になるのは万国共通だし記紀はそこまで都合よいとは思えないな
    闇討ちとか汚いこともやってるし都合よくするならそんなこと書かなかったはず
    • ※16 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.2.28 11:04
    記紀が信用できないのは大化の改新あたり以前の記録を焼き過ぎてるからだろ。
    縄文土器なんて一万年以上前のものが当たり前のように有るし、漢字伝来以前から日本語そのものは存在した。
    都市国家なんてそこらじゅうに有ってもおかしくないわ。
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