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なせ古代には女帝が多数存在していたのか? @ [日本史板]


なせ古代には女帝が多数存在していたのか? @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2016/02/08(月) 01:52:08.58 .net
当時の政治情勢を踏まえて80文字以内で説明せよ
って問題が法政大学の入試で出たのですが、これって明確な理由が有るのでしょうか?


僕は「男女の身分差が少なかった」「まだ男しか皇位に就けないと言う決まりが無かった」この二点を纏めたのですが、調べてみたところしっかりとした理由は見つけられませんでした

もし宜しければ皆さんの意見と回答の要点を教えてもらえませんか?
管理人より:日本史板のまとめだけど考古学カテゴリーでの更新…く、苦しい。
5: 日本@名無史さん 2016/02/08(月) 02:24:30.89 .net
>>1
マジレスすると、古代の大和朝廷は騎馬民族王朝の風習が色濃く残っていたのと、血族間の争いがあったからなんだよ。

騎馬民族王朝は、中国や倭国(卑弥呼やその後継者たちの間に血縁関係はない)と違って、血統が重視される。しかも、男系だ。
ただ、長男とは限らない。←ここは大事なところだから、よく覚えておいてくれ。


えっ男系?女帝の話なのに男系?
と思うかもしれないが、その疑問に答える前に、なぜ男系かを簡単に説明しておこう。
それは、騎馬民族では何よりも戦闘が重視されたから。
戦闘で活躍するのは、やはり男。
王は戦略上の能力が優れていなければならなかったし、その男系の子孫はそれを受け継ぐ可能性が高いと考えられた。

ここからが、女帝の話。
騎馬民族では、戦時に王が亡くなることも少なくなかった。
その場合、後継者を決定するまでの間(長男とは限らないからね)、誰かをリーダーにしてまとまらなければならない。

そう、ここで女帝だ。
後継者が決まるまでの間、王の妻、多くの場合正妻が、一時的に王の代理となる。
これが、騎馬民族の女帝。


そして、日本の女帝も全てこのケースだ。
初期の大和朝廷には、騎馬民族の風習が残っていたわけ。
6: 日本@名無史さん 2016/02/08(月) 03:22:02.03 .net
>>5
ありがとう。
つまり、代打とか中継ぎとかってのを簡単に纏めるのか。

だけど大学側は生徒にその回答を求めてたのかな
そしたらレベルが高すぎですわ
9: 日本@名無史さん 2016/02/08(月) 18:42:27.45 .net
>>5
これほんとなの?
推古天皇はリリーフ?
10: 日本@名無史さん 2016/02/09(火) 01:36:12.78 .net
>>9
推古天皇は典型的な騎馬民族型の女帝だよ。
少し特別なのは、次の皇子が死んだことで、在位期間が延びてしまったこと。
17: 日本@名無史さん 2016/02/09(火) 02:49:24.13 .net
倭国の王はどう見ても血縁関係ないだろ。
18: 日本@名無史さん 2016/02/09(火) 02:55:06.05 .net
倭国の男王と卑弥呼、その次の男王、台与、どこにどう血縁関係があったと?
どこかにそんなこと書かれてるか?
19: 日本@名無史さん 2016/02/09(火) 02:59:02.55 .net
>>18
説明されないとわからないって、かなり疎いみたいだね

台与は卑弥呼の「宗女」つまり一族の娘。血縁ないのに宗女とはいわないでしょ。
倭王讃から武までの5人もすべて男系の一族。
20: 日本@名無史さん 2016/02/09(火) 03:10:50.05 .net
宗女は、一族の娘ではないよ。そういう例はない。
同じ宗教の女だ。
24: 日本@名無史さん 2016/02/09(火) 03:24:39.98 .net
俺も宗女は一族という意味だと思ってたけど、それだと、台与の前の男王は血縁関係なかったことになるんだよね。

倭国では、あまり血縁は重視されていなかったのかな。
26: 日本@名無史さん 2016/02/09(火) 07:35:22.01 .net
>>24
そうだね。大和朝廷にはあり得ない承継。
28: 日本@名無史さん 2016/02/11(木) 13:59:19.92 .net
>>1
騎馬民族征服王朝説で有名な江上波夫氏は、
「日本古代の女帝については、折口信夫氏の、女帝すなわち宮廷神と天子との中間に立つ、中天皇(なかつすめらみこと)という巫女説などもあるが、現在では井上光貞氏や直木孝次郎氏らの考説が一般の承認を得ているようにみられる。
それは推古以下、元明にいたる五人―じっさいは四人であるが、皇極(斉明)を二人とかぞえて―の女帝が、皇后またはそれに準ずる皇太子妃であったことに着目して、彼女らが女帝になったのは、いろいろな問題があって、皇位継承者をすぐには決定しがたいばあい、とくに有力な候補者が対立していたり、直系の皇子または皇孫が皇位継承の候補者の一人でありながら、幼少その他の理由ですぐには即位できないばあいなどに、男子の天皇と天皇との中間をつなぐものとして、そういう意味の中天皇(なかつすめらみこと)として現れたという解釈である。

そのことは、宣化天皇が亡くなったとき、欽明天皇がすぐに即位することを躊躇して、群臣に「自分は年少で見識が浅く、政事に習わない。山田皇后(安閑天皇皇后)はあきらかに百揆(もものまつりごと)に通じておられるので、頼むから皇后のところに行って、天皇になっていただけ」といわれたが、山田皇后は固辞して受けられなかったという所伝に照しても、その正当なことがうなづけよう。

ただここに一つの疑問が残るのは、皇位継承問題が主要な理由ならば、推古天皇皇女あるいは山田皇后以前にも、そのことがあってもよいと思われるのに、この特定の時期にのみ女帝が輩出したのはなぜだろうか、ということである。
29: 日本@名無史さん 2016/02/11(木) 13:59:50.39 .net
続き。
それについて、岸俊男氏や直木孝次郎氏は、そのころ皇后が「おおきさき」として、他の妃たる「きさき」から区別されるようになり、その地位が向上しており、また私部などがおかれて、経済面からも皇后の勢力が安定した結果、皇后はかなりの権勢をもつようになって、そのような裏づけができたことが、皇后をして天皇の地位におしあげた一つの理由ではないか、と考えておられる。

たしかにこれも理由の一つではあろうが、私は、同じ時期に、皇女を后妃にするふうがさかんになったこと、皇太子による摂政など、いわゆる皇親政治が行われたことにも留意し、女帝の即位も、豪族をなるべく政権の座から遠ざけて、皇室による中央集権を指向した、一連の政策に出たのではあるまいかと憶測するものである。

それはとにかく、応神から雄略までの諸天皇の皇后は、多くは天皇に立ちえなかったであろう。
というのは、出自がほとんど葛城などの臣姓の、国神系の豪族で、天皇氏ではなく、血統の原則から天皇になる資格がなかったからである。
光明皇后が聖武天皇のあと、天皇に立つべき諸種の条件をそなえながら、それにならなかったのも、彼女も天皇氏出身ではなく、血統の原則にはずれていたからであろう。」
と推測されているけど、こんな難問を大学の入試問題に出すとか、法政鬼だな。
管理人より:「騎馬民族征服王朝説」は、東北ユーラシアの騎馬民族に、日本人のルーツがあるという、江上波夫の仮説。ただし疑問と批判が非常に多く、メインストリームにはなっていません。
31: 日本@名無史さん 2016/02/11(木) 16:25:58.30 .net
古代ではシャーマンとして政治を主宰する必要から女帝を立てた。
32: 日本@名無史さん 2016/02/11(木) 17:02:30.14 .net
>>1
エマニュエル・トッド(Wikipedia)
当時は男性の識字率が低く、先進的な家族構造である共同体家族も少なく、絶対核家族や直系家族が多かったから女性の権利も高かった
と、書けば、ちょっと知ってる人なら、トッドかと思うだろうが、古代が本当にそうであったか検証してないから分からん

それに、当時の政治情勢を踏まえて、と書いてあるので間違いとされる可能性が高い
採点する人が開明的な人物なら分からんけど
30: 日本@名無史さん 2016/02/11(木) 15:42:47.00 .net
あの、予備校の出してる模範解答を載せても宜しいでしょうか
33: 日本@名無史さん 2016/02/11(木) 18:07:30.84 .net
>>30
読んでみたい。
34: 日本@名無史さん 2016/02/11(木) 18:28:55.00 .net
嫡系への皇位継承を重視した天皇家と、嫡系に娘を嫁がせて天皇の外祖父となることを目指した藤原氏の意向が合致し、後継が成長するまでの中継ぎとして女性が皇位に就いた。
らしい
51: 日本@名無史さん 2016/02/14(日) 23:40:43.71 .net
>>34
それだと、古代は、という設問なのに、飛鳥奈良時代の女帝についての理由付けにしかならない。
56: 日本@名無史さん 2016/02/16(火) 02:35:53.42 .net
>>34
え、なんか卑怯な答えだな
なんでいきなり藤原が出てくるんだよ
時代限定じゃん
42: 日本@名無史さん 2016/02/12(金) 14:46:57.61 .net
卑弥呼やトヨ、神功皇后の例からしても、女性の地位が高かったんだろうな。
母が誰であるかも重要だったように見えるし。

まあ、求める答えは分からんが、たったひとつの答えだけが正解というんじゃなくて、論じ方の問題って気はするが。


あ、法政か、ならわからんな。
44: 日本@名無史さん 2016/02/13(土) 20:36:26.25 .net
女帝中継ぎ論だとフェミニストがうるさい
46: 日本@名無史さん 2016/02/13(土) 23:29:30.45 .net
女系と女権を意図的にごっちゃにした議論をしたがる馬鹿が定期的に湧く
管理人より:「女系天皇」とは、母が天皇である(父親が天皇ではない)ことを主な根拠として即位する天皇のこと。「女性天皇」とは違います。
48: 日本@名無史さん 2016/02/14(日) 04:50:13.06 .net
外国人が書いた魏志倭人伝と、後世に書かれた日本書紀

これくらいしか史料が無い時代のことで論を立てろって無茶苦茶過ぎないか?
55: 日本@名無史さん 2016/02/15(月) 01:57:24.33 .net
>>48
だよね
57: 日本@名無史さん 2016/02/18(木) 00:31:59.88 .net
存在はしていたが、それが多数なのか少数かのかは比較の対象によって何とでも言えるだろ
59: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 15:37:24.02 .net
シャーマンだったからでは?
63: 日本@名無史さん 2016/02/26(金) 00:18:39.81 .net
>>59
全く答になってない。0点。
65: 日本@名無史さん 2016/02/26(金) 20:46:26.44 .net
>>59
推古以降の日本のすべて女帝の中でシャーマンはいないけど?
72: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 01:39:08.23 .net
倭国の卑弥呼や台与が、何らかの女性ならではの宗教的な権威を持っていたことは十分あり得る。
なにしろ、鬼道だからね。


でも、推古天皇もそうだけど、日本国の女帝にそんな力があったという話はない。
倭国の女帝と日本国の女帝は、次元が異なる。
75: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 15:46:30.95 .net
まだ天皇として幼過ぎる男子が成長するまでの繋ぎとして、その母親(つまり亡き天皇の皇后、ただし皇族に限る)や、その姉が即位したと何かの本で読んだわ。
持統天皇や称徳天皇辺りがそうじゃなかったかな
76: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 19:49:24.75 .net
>>75
騎馬民族の風習だね
77: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 22:35:45.41 .net
書いとくか。
「大陸の騎馬民族国家において、皇妃が政治や軍事に関与し、また君主の後継問題に活躍したことについては、匈奴・突厥・拓跋魏について概説したときに、ところどころで言及した。
すなわち匈奴の冒頓単于の閼氏の軍事への容喙、セン渠閼氏の単于後継問題における暗躍、呼韓邪単于二人の姉妹の閼氏による単于後嗣の順位の決定、突厥の大義公主の軍事・外交への干渉、拓跋魏の文明皇后の執政などである。
このほか、遼(契丹)の建国者(遼太祖)耶律阿保機の皇后述律氏、明大の蒙古の英傑順義王俺答汗の妃三娘子など、夫の死後に国政を執った皇妃は、騎馬民族国家においてはすこぶる多い。

遼の述律皇后については、太祖の死後、彼女が夫の功臣を、あの世で太祖が待っているであろうと、つぎつぎに殉死せしめたので、ある者があの世で太祖がいちばん待ちうけておられるのは皇后自身だろうというのを聞いて、自分は国事に責任があるから死ぬわけにはゆかないが、身がわりにといって、その一腕を断ち切って、太祖の陵に納めたという伝説が残っている。

これはもちろんたんなる伝説にすぎないが、そこに、騎馬民族国家の后妃にいかにもありそうな、策略にとみ、豪放果敢な、男まさりの一女性が描きだされていてなかなかおもしろい。
しかし史実としては、述律皇后が摂政したのは、太祖の第一子の東丹国王倍にではなく、彼女の寵愛した第二子の大元帥尭骨に遼の帝位を継がせる工作をするためであったに相違ない。
そうしてじっさい、尭骨は摂政太后や群臣の支持をうけて即位することができた。すなわち遼の太祖である。
そうしてこのように次の君主(ハーン)が決定・即位するまで、皇太后が国政をみるという、騎馬民族国家に一般的な現象が制度化されたものが、チンギス・ハーン蒙古の監国皇后にほかならないと思われる。

このチンギス・ハーン蒙古の監国とは、大ハーンの死後、次の大ハーンの選出されるまで、蒙古帝国の内治・外交・軍事の一切の権能を委ねられて、統治に当たるもので、第一代チンギス・ハーン死後は、その末子のツルイが最初の監国になったが、第二代のオゴタイ・ハーンの死後は、その皇后のトラキナが、第三代のグユク・ハーン死後は、その皇后のオグール・ガイミシが監国になった。
108: 日本@名無史さん 2016/06/20(月) 23:09:45.35 .net
>>77
匈奴や突厥、遼の皇后は、自ら兵馬を率いて戦場に赴くのもザラだったから、日本の女帝や皇后とは比較にならない
78: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 22:37:27.72 .net
続き。
監国のもっとも主要な任務は、クリルタイ(大集会)を招集して、次期の大ハーンを選定・推戴することにあったが、監国は原則的に大ハーンと同等の権力をもって、みずからのイニシアティブで蒙古帝国の統治を行うことができた。
それで監国皇后トラキナは、チンギス・ハーン以来の功臣で、夫オゴタイ・ハーンの時代に右丞相であった鎮海を免職し、その他前代からの多数の要人をしりぞけ、一方、回教徒のアブドル・ラーマンを財政長官に登用したりした。

また大ハーン後継者選定のためのクリルタイも、トラキナによって招集されたが、第一回、第二回とも流会となったのは、オゴタイ党とツルイ党との党派争いで、直接には、ツルイ党を支持する長老のバツーと、オゴタイの長子グユクを第三代のハーンにすえようとする監国トラキナとの対立であった。
それでグユクが選定されることが予測されたクリルタイに、バツーが口実をもうけて参会しなかったのである。

しかしついに、第三回のクリルタイは、バツー不参加のまま開かれ、トラキナの希望どおり、グユクのハーン位相続が決定した。彼の即位は儀式が終わって、七日間宴会がつづき、グユクは父オゴタイ・ハーンの宝庫に蔵められた金銀・布帛・宝玉を参会者一同に賜わることになったが、そのときその配分を委ねられたのはツルイの寡婦シュールククテニ(スルカタイ)皇妃であった。
当時彼女は、トラキナ、バツーをのぞく、蒙古皇族最高の地位にあったのである。

このように蒙古帝国でも、皇妃の地位・権威は、次の世代の王公のそれよりも上にあった。
ただ彼女ら大ハーンの皇后が、監国にとどまって、大ハーンそのものになることがなかったのは、彼女らがみな、外婚制によって、蒙古王室の氏族「黄金氏族(アルタン・オボク)」以外の氏族の出身者であったからで、血統の原理によって、彼女らは大ハーンになることは不可能であった。
79: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 22:38:27.68 .net
続き。
次に、グユク・ハーン死後、監国になったオグール・ガイミシ皇后の時代には、ハーン位をめぐって、オゴタイ党とツルイ党との争いはますます激しくなり、こんどはツルイの長氏メンゲを推すバツーを中心としたツルイ党と、オゴタイ・ハーンの孫シラムンを推すオゴタイ党との対立抗争となった。
この抗争は数年間続き、その間クリルタイは前後三回開かれ、二回は流会になったが、第三回目に実力者バツーとツルイの寡婦シュールククテニ皇妃の力によって、ツルイの長氏メンゲが代四代の大ハーンに決定した。
これに対してオゴタイ党は、メンゲ・ハーン暗殺の陰謀を企画したが失敗し、その党に属した多くの王公は追放され、さきの監国オグール・ガイミシもその陰謀に加担したものとして残酷な処刑にあった。

蒙古の監国皇后は、これをもって最後としたが、それは、代四代のメンゲ・ハーンの死後は蒙古帝国は事実上分裂して、もはや全国的なクリルタイも開けず、大ハーンを選定・推戴しうる可能性もなくなったからである。
かくてクビライはみずからクリルタイを開いて、大ハーンの位についたが、それはもはや蒙古帝国のそれではなく、いわゆる元帝国のそれであった。」
江上波夫著「騎馬民族国家」p238-242.
80: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 22:45:44.67 .net
初期の大和朝廷は騎馬民族の風習を引きずっていたものと思われる。
だんだん中華文化になっちゃったけど。
81: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 22:51:02.17 .net
騎馬民族って言ってもモンゴル系やトルコ系はあり得ない
扶余などのツングース系か鮮卑などのシナチベット系の遊牧民しかあり得ないわけだから、本国が中華にそまれば当然そうなるよな
91: 日本@名無史さん 2016/03/06(日) 09:32:24.60 .net
皇統における男系・女系の定義は下記のとおりであり、無意味な議論は不要!

◇男系
 初代天皇の血統が男系で繋がっている系統

◇女系
 初代天皇の血統が女系でしか繋がっていない系統
92: 日本@名無史さん 2016/03/07(月) 17:44:35.34 .net
初代天皇の定義がいまいち不明確だが、実在したと言い切れない気がする「神武天皇」のことだとしたら、多分、すでに今の天皇家は繋がってないんじゃないかな

繋がるとしても女系に女系でかろうじてなんじゃねーかって気がする
94: 日本@名無史さん 2016/03/07(月) 19:29:34.13 .net
女帝どころか、熊襲の酋長も女がかなりいた様なので、これは大和朝廷に限った問題ではない
100: 日本@名無史さん 2016/03/09(水) 08:11:02.21 .net
>>92~94
それをいっちゃおしまいよ

正史では男系続いているんだからヽ(^o^)丿
95: 日本@名無史さん 2016/03/08(火) 07:52:34.76 .net
一部に提唱されている説で、古代には即位するには三十歳以上、って年齢制限があったんじゃないかというのがある
兄弟継承が多くなったのもそのせいではないか
女帝が多数輩出されたのもこれに関係があるのでは?
96: 日本@名無史さん 2016/03/08(火) 17:23:02.94 .net
確かに、若くして即位しても安定が保たれる為には王家の血筋に神聖なイメージがつかないと難しい

王朝の初期にそれは無理だよなあ
97: 日本@名無史さん 2016/03/08(火) 19:23:34.97 .net
法政の合格水準がどれくらいか受けた事無いので知らんが

はしか一吹きでガキが粗方死んじまう御時世だったから、跡目争いで揉めた場合に死んだ帝の妃が即位して、取り敢えず勢力争いがペンディングされるケースが多かった

くらいがベストじゃね?
98: 日本@名無史さん 2016/03/08(火) 19:26:01.89 .net
>>97おまけ
昔を知る者には実に信じ難いが、法政の教授会は今や極左韓流命になってるからねぇ…
>1は出題意図解ったかな?
99: 日本@名無史さん 2016/03/09(水) 01:02:40.79 .net
じゃあ、「偉大なる善徳女帝に追従したから」
109: 日本@名無史さん 2016/06/21(火) 17:30:11.10 .net
事情がどうであれ、女帝が誕生する余地があるということは、外戚の力が天皇家を超えてないということでもあるな。
外戚の藤原氏が摂政なんて位に付けるようになってしまったら、帝は幼くても問題ないことになってしまった…むしろ幼い方がいい。
母や姉が替わりを務める必要がなくなってしまい、女帝を立てる必要もなくなる。


古代のこの時期…持統~称徳あたりってのは、天皇家と豪族達との権力をめぐる綱引きが激しかった時期でもあるでしょう。
それも三世一身の法?とか墾田永年私財の法だっけ
これで藤原氏をはじめとした豪族が力を付けちゃって一気に天皇家の力が弱まった。

おそらく>>1の解答としては、そういうことをまとめてやればいいのでは
36: 日本@名無史さん 2016/02/11(木) 19:39:58.97 .net
アホの法政が史実を踏まえた解答を期待してるわけないだろ。

「定説はないが、私は~と考える。すなわち~。例えば~。これに対して近代においては~。以上の通り、古代においては~。」

適当に書けば満点だよ。アホの法政なんだから。

うーん、なるほど。というわけで、こないだやった、世界史板の ↑これと雰囲気的には似てる感じですが、古代限定なので、考古学でいきます。

日本では男系天皇(男性天皇とは別)しか即位できないことになっているわけですが、これはタテマエ上は「神武天皇の血筋を直系でずーっと引いている」ということになっています。現在の今上陛下に至るまで、例外なく「男系男性天皇」「男系女性天皇」のいずれかしか即位していません。
しかしこのへん「女系」と「女性」を混同し、現在の皇太子殿下ご夫妻の子供である愛子内親王殿下(女性)を、次の次の陛下に…!というような動きが何度かあったんだそうですね。(女系天皇問題)
仮に愛子様がご即位あそばしたしたとして、この方自体は直系ですが、皇族ではない一般男性などと結婚しちゃうと、そこで直系は途絶えてしまう。ゆえに王朝交代ということになりかねないんだとか。けっこうおおごと。
現在では、秋篠宮ご夫妻の間に悠仁親王殿下がお生まれになったため、この件はひとまず解決。

まぁ、そもそも「古代」っていうくくりもなんか漠然としてるし、「女帝が多数」つってもたったの8人(10代)ですからね。うち6人が集中して即位してるとはいえ、歴史問題の設問としてはちょっと曖昧で不適当にも思えます。
いくらでも恣意的な解答/採点ができるわけで、左翼系の先生が多いとかそゆことを加味すると、どうやらフェミニズム論や、女性の権利とか、現代の女系天皇問題とか、そういうアレに絡めるのが、設問の意図なのかな。

それにしても古来より、シャーマンや巫女になって神様を代弁するのに女性が多いのはなんででしょうね?
女性の方が神がかりやすいとか?
神様もやっぱりピチピチした美女がお好みなのか…。

Trailer of The Empress of China武则天トップ絵は、「武媚娘传奇(The Empress of China)」という中国の映画より。香港版のタイトルは「武则天」です。
唐の高宗のお妃サマで、長い中国史上唯一の女帝・武則天の生涯を描いた、チャイナ・ファンタジー的なスペクタクル映画で、主演はモデルとしても有名なファン・ビンビン(范冰冰)。

ファン・ビンビン
コスプレしてない時の女帝サマはこんな感じの美女です(壁紙サイズ)。中国のモデルとか女優は、すっごく艶めかしい感じのひと多いですねぇ~。
7.22追記:当記事を「朝目新聞」様でご紹介いただきました!
朱元璋といえば、「凌遅三千刀、滅九族!!」ですね。
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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.18 21:15
    後継者争いが激しいときその皇子の暗殺が絶えなかった
    この暗殺を直接または間接的に行うのは圧倒的に男性が多い
    そのため後継者争いが激しい場合は女性が皇帝になった

    なんか恥ずかしいw
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 0:04
    う~ん、いまだに騎馬民族王朝征服説を引きずってる方がいるとは…
    管理人氏も注記しているように、考古学的にすでに否定された説なんだけどな。
    終戦直後の左派的な史学史の中から生まれてきた説ってことを知ってれば、その時点で眉唾物って気づくんだけど、やはり主張されている方はそういった方なのかねぇ
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 8:07
    宗教的に女性が同等だったから…ではないの?

    政治向けに組織化されてない古代宗教ってどこも豊穣や多産の象徴として女の神様いるし。
    仏教入ってから穢れってイメージがついたのでいなくなったんだと思う。
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 8:54
    >2
    自分は江上波夫の本を高校時代に読み、大学では江上の弟子筋の教授に教わったものですが、その教授ですら騎馬民族説が否定されていることを当然のこととして受け入れていたし、自分が江上波夫の話題を出すとあれはどこがどうオカシイかってのをこんこんと語られたもんですわ。
    学問の世界にいる人で、ちゃんと江上説を知っている人は、これがどれだけトンチンカンかよく分かってると思う。いまだにこだわっているのはろくに勉強していない(江上説が盛んだったころの本しか読んだことがない?)人たちばかりじゃないですかね。

    左派がアレを意図的に使うってことは現代では少なかろうと思いますわ。左派の人たちそんなに勉強家じゃあないんで、極端に露出の少なくなった江上説をいまだに持ち出して天皇制否定するとかそういうところまで頭は回らないかと。
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 9:05
    女帝がいた方が男がワクワクするから
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 9:41
    ※5
    ネタなんでしょうけど、あながち的外れってことでもないんですよね
    小説版ガンダムで富野監督も述べてたが、「WAVE(女性兵士)が半数近くを占める中、通信や補給に女性が多く配属されるのは、『この人に合うために、必ず帰ってくる』という思いを男に起こさせる為」だって
    宇宙戦艦ヤマトのクロージングでも、真っ赤なスカーフを女性が振ってくれるから、生死を掛けても出陣できるほど、男は単純ってことだと思います
    男性統治者への帰属意識は絶対的な”力”への傾倒だけど、女性統治者へは崇敬とか憧憬とか保護意識とかそういうものが強く出る
    で、どちらが表に強く出てるかってだけで、これは安定統治のためには必ず両輪でないといけない
    厳格と慈愛とか、統制と許容とか、宗教的指導の場合でも必ずそのスタイルを守ってる
    キリストには聖母がいるし、イスラムやユダヤでは預言者やラビがその任を負う
    「お父はん怒ってはるけど、お母はんが一緒に謝ってやるさかいに」ってな具合

    男性統治者が表の場合は裏に必ず女性(的)統治者が居て任に当たってて、相撲部屋で親方が表を仕切り、おかみさんが”奥”を仕切るようなもんだし
    同様に、女性統治者が表の場合は、必ず荒事やら汚れ事を担当する有能な”補佐”がいるのは、エリザベス1世統治時代のソールズベリー公がいい例です
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 9:41
    ただ単に適任者がいなかっただけ。
    スペイン・ハプスブルグ家のように戦争以外で断絶した王家も多数存在する、徳川家は大奥に莫大な費用を投入し嫡流の存続に勤めている。
    現代のように出産の安全性が確立しておらず尚且つ戦乱が続く時代には男子の継承者を確保することが困難だった。
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 10:29
    ※6
    ※7
    いやそうした一般論だと、古代日本のある一時期にだけ女帝が存在した理由にはならないじゃん。
    男系男子の後継者がある程度きちんと存在してきたからこそ女帝の必要性が薄れているというのが現在も含め多くの時期に当てはまることだと思うが、推古朝以来しばらくの間だけ限定して女帝が乱立・・・とまではいかなくてもポンポン登場していた時代があったわけで、じゃあその時代にどんな特徴があってどういう理由で女帝の即位が要請されたのか、その理由を述べてくれないとスレの話題に合致しないでしょ。

    逆に言えば、一般論からいって女帝に一定の需要が存在するのなら、この特異な時期以外の場面でももっと女帝とか、武家の女棟梁とかがいてもいいわけで。そんなものに需要を認めなかったのが日本だけでなく多くの男系社会において当然の観念だったんだから。例外が存在したのはなぜなのかって話をしてもらわにゃならん。
    • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 11:45
    もっと読書系のスレまとめてください
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 13:34
    女を神として祀りあげたほうが男集団がまとまる
    女を女集団に入れても男を男集団に入れても同性ではくだらないマウンティングが始まる
    人間の神格化もそうだがトップだけ特別な存在にしておけば争いが起きにくい
    今でいうオタサーの姫はとても理に適ってる
    • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 15:56
    騎馬民族説はとっくに否定されたやつだと思ったがw
    あれはあくまで朝鮮半島から日本人の祖先がやってきた論が有力だった頃の話

    昔は宮家の数も少なく、適齢の男子がいない場合も多く、かといって代打として適当な男子を立てると権力争いになってしまうので、仕方なく女性が代打として立ったって感じじゃね
    宮家が増えて男系継承のシステムが確立されてからは女性の代打の必要もなくなったって事で
    • ※12 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.19 19:48
    推古天皇のときは実権は馬子にあったけれども、女帝は簡単に言いなりになるような人物ではなかった。これは日本史上の幸い。皇極天皇の時は権力は入鹿の手にあり、天皇の実績は雨乞いくらい。同じ女性が一代とんで斉明天皇になると中大兄皇子が政治を担っていて、天皇は土木工事のやり過ぎで批判されたりしている。中大兄の失政のスケープゴートにされた感がないでもないが、この人物は本当の意味でお飾りだったものと思われる。持統、元明、元正天皇は天智天皇と天武天皇の血筋を統一するために配置されているように見える。壬申の乱以来の皇統争いを鎮静化するのが目的だったのか。孝謙天皇は藤原氏の血をひく初の天皇。藤原氏の権力強化に一時は協力的だったけれども、後見人の光明皇太后崩御後に色々と騒ぎを起こしている。以後藤原氏が女性天皇を立てなかったのは一族の女性であっても最高権力を与えると御しがたいのが分かったからではなかろうか。
    • ※13 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.7.21 17:18
    適当な奴だったんだろ
  1. >いまだに騎馬民族王朝征服説を引きずってる方がいるとは
    >左派の人たちそんなに勉強家じゃあないんで、

    そんな多くはない感じですけどもねぇ。でも、騎馬民族説は、いろんなことに説明がつけやすく、便利だ!みたいな話も聞きました。
    歴史と政治的意図は、まぁわけてほしいですよね。
    ------------------------
    >女性統治者へは崇敬とか憧憬とか保護意識とかそういうものが強く出る
    >今でいうオタサーの姫はとても理に適ってる

    誰の~ためだとぉ~、おもーっているーかァ♪ですね。
    まさかオタサーの姫が出てくるとは!
    ------------------------
    >そうした一般論だと、古代日本のある一時期にだけ女帝が存在した理由にはならない
    そーですねぇ。流行り廃りなのかなー。
    ------------------------
    >宮家が増えて男系継承のシステムが確立されてからは女性の代打の必要もなくなった
    >女性であっても最高権力を与えると御しがたいのが分かった

    なるほどー。裏でゴニョゴニョして形骸化しようとしたのは、このへんが最初ですかねぇ。
    よくまぁ形式だけでも残ったものです。
    ------------------------
    >もっと読書系のスレまとめてください
    実は管理人もちょっと増やそうかな、どうしようかな、と思ってたところなので、若干頻度増やすことにします。(若干ですが)
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