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最初の天皇はどうやって天皇になったか @ [日本史板]


最初の天皇はどうやって天皇になったか @ [日本史板]
1: 天皇はどこから来た?01/10/21 22:03
1げとー
管理人より:ずいぶん昔のスレですが、考古学カテゴリーでのまとめ。
2: 日本@名無史さん01/10/21 22:31
最初に「天皇」を名乗ったのは天武じゃなかった?
5: 日本@名無史さん01/10/22 00:35
>>1
西の方から旅してきて、バトルロイヤルを制したらしい。
6: 日本@名無史さん01/10/22 00:42
神武天皇は後で付いた呼称。
それまでは「大王」とか呼んでたらしい。

「天皇」という呼称がでてくるのはもっと後の時代で、奈良時代あたりだったかな?

つまり1への回答としては、最初の天皇(神武かどうかは別)は、後世の大和政権が「天皇」を称するようになったときに「天皇」になった。


これでおけ?
7: 01/10/22 00:52
じゃ、最初の大王はどうやって大王になったのんでしょうか?
年代はだーいたいいつぐらいか?
大王が北海道以外の日本統一をするのにあたっての戦争で、なにか少しでも記述に残ってるのはありますか?
9: 日本@名無史さん01/10/22 02:04
>>7
やはり崇神天皇じゃないの。
応神天皇から王統は代わってるけど。
10: 日本@名無史さん01/10/22 03:30
>>7
9も正しいと思うよ。(漏れはうろ覚えだけど)
ただ、北海道以外の日本っていう意味で言えば、東北は後々まで大和政権傘下では無いよ。
坂上田村麻呂征夷大将軍が征伐に行ったりしてるでしょ?
阿部比羅夫とかも。
あと、大和政権ってのは有力豪族の連合政権であって、「大王」ってのはのちの天皇ほど権力は無かったと考えられてる。
場合によっては「公選」だったんじゃないかという説もあるね。
管理人より:というわけで最初のころの陛下一覧はこのとおり。神武天皇→綏靖天皇→安寧天皇→懿徳天皇→孝昭天皇→孝安天皇→孝霊天皇→孝元天皇→開化天皇→崇神天皇→垂仁天皇→景行天皇→成務天皇→仲哀天皇→応神天皇…とここまでで初代から15代まで。
8: 日本@名無史さん01/10/22 00:54
天皇と仰々しく称するようになったのは天武朝の頃からだろう。
それまでは大王。

アズマの連中は今でも酋長と呼んでいるが。
12: 日本@名無史さん01/10/22 06:39
応神天皇が、実質的な最初の大王
それ以前の天皇は、便宜上天皇になっているだけ
あ、でも卑弥呼っていう説もあるな
15: 邪馬台国@名無史さん01/10/22 15:55
最初の大王が、天皇家であるという前提を抜きにすれば、神武以前に、饒速日という大王と思われる人物が存在し(と言うか、神武はこの饒速日から大和を譲られたのです)それ以前にも大国主とか素戔嗚尊とかがいます(笑)(しかし、何故に大国主の後を継いだ、天孫ニニギは高千穂に行ったのですかねぇ)

まあ、神話はともかく実存したと思われる大王としてはやはり、祟神天皇か(一説に、神武=祟神同一人物説というのがある<神武、祟神の、2人ともハツクニシラシシスメラミコトと言われているから)応神天皇だろうねぇ
管理人より:「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」は、日本の神様のひとりで、神武天皇の神武東征の際、大和地方の豪族ナガスネヒコが奉じる神様として登場。(古事記)
素戔嗚尊はもちろん「スサノオ」のこと。お姉ちゃんがアマテラス、お兄ちゃんがツクヨミというエリート一家の暴れん坊。(日本書紀)
16: 神武天皇01/10/22 21:12
うむ朕が生きておった頃は朕は確かに天皇とは呼ばれなかったぞ。
しかしながら、大王=天皇と考えても良いはずじゃぞ。
天皇が天子とも帝(御門)とかいろんな呼称があったようにな。
天皇も天子。大王も天子じゃ。だから大王=天皇じゃ。
大王と天皇を分けようとするのはいささかナンセンスと言うものじゃ。
22: 日本@名無史さん01/10/23 03:42
「大王」と最初に称したのは応神の頃からだとすれば、漢字が日本に伝わる前から「大王」と称していた訳か?
23: 日本@名無史さん01/10/23 03:51
いや、「オオキミ」っていう呼称はあったんだと思う
それに「大王」という字をあてただけ
25: 日本@名無史さん01/10/23 06:09
奴王のように初期の「天皇」は「キミ」という言葉に「王」という字を当てていたのでしょう。
後に「オオキミ」と呼ばれるようになって「大王」天武朝頃に「天皇」と称するようになったのでしょう。
28: 神武天皇01/10/23 22:39
じゃから、大王=天皇って言ってもいいんだって。
推古の時、隋あてにおくった手紙の中にも推古の事を日の出ずる国の「天子」って書いてあるんだから。推古の時は無論大王だった。
天皇も天子、大王も天子。
∴大王=天皇って言っても何の問題もない。ていうかそんな事を論じるのはナンセンス。


そんな事を厳密に区別しようとするのは学者かサヨだけ。
中国史の春秋時代と戦国時代を厳密に区別しようとする事と似たようなもの。
30: 天武01/10/23 23:27
>>28
天子は中国の言い方、で、日本も対等に付き合うために天子にしたんじゃ?
天子対天子=対等みたいな。
で、天皇は天武からで良かったはず。それまでは大王。
豪族連合の有力者=大王 で、それが天皇に繋がっていったはず
29: 日本@名無史さん01/10/23 23:25
あなた16の人だね。
頑固そうだから論破しようとまでは思わないけど、遣唐使・遣隋使を送っているうちは、朝貢していると考えるのが普通じゃないか?(そもそも中華思想は対等な国交など認めていない。)

「朝貢」するのは中国の皇帝を認めることから始まるのであって、それに認めてもらうことで「裏付け」としている点に置いて、やはり同質のモノではないよ。
言葉の違うというよりは、質自体の違いではないのかな?
32: 日本@名無史さん01/10/24 13:56
そもそも日本天皇と名乗っても,それだけでは対等にはなれないだろう.
こっちは「日本天皇」だが,シナの皇帝は,ただの「皇帝」だ.
「随の」とか「唐の」とか,ではなくて,全世界の皇帝なのだから.
34: 日本@名無史さん01/10/24 15:22
>>32
それは違うよ。。。あくまで「大唐皇帝」等というのが正式の称号です。
そして「皇」とか「帝」という言葉自体に全世界を統轄する支配者という意味を持たせているのです。
ですから唐でも「天皇」という称号を使用した例もあるでしょう?


「皇」とか「天子」という言葉は、チャイナの華夷思想からすれば許されざる対等称号であり、だからこそ
「其國書曰日出處天子致書日没處天子無恙
云云帝覽之不悦謂鴻臚卿曰蠻夷書有無禮者勿復以聞」
という発言になるし、チャイナ事大主義に立つ韓国が「日王」に拘っているわけです。

なお、チャイナが諸外国との通好を朝貢と位置づけたのと、諸外国がそれを朝貢と認めたかどうかは別問題です。
お互いに外交を国内的にどう位置づけるかは、一律には言い得ません。書紀では「呉」との通好(本来は明らかに日本の朝貢・册封)を「呉」の朝貢として日本華夷思想に立って記述してるでしょう?
35: 日本@名無史さん01/10/25 02:11
「皇」って宗教的な意味の字?
39: 日本@名無史さん01/10/26 08:06
>>35
「皇」は「光り輝く」が原意、転じて「威光あまねき~」。
周代の金石文(青銅器)では天子にかかわるものをあらわす形容詞(「天子の~」)
戦国期には名詞化して、太古の聖君主(三皇五帝)の称号とされた。
41: むかし01/11/02 01:58
武則天「天皇」という言葉は、唐時代の名前が出てこないが、中国唯一の女皇帝の時に作られた、と聞いたよ。
この女皇帝は新しい言葉や漢字を作るのが好きで、水戸光圀の圀の字も作ったとか。
42: 日本@名無史さん01/11/02 09:16
天皇称号と則天武后とは直接関係はありません。もう少し勉強なさい!
67: 日本@名無史さん01/11/09 23:04
>>42
ちくま新書の「天皇がわかれば日本がわかる」によると、天武天皇の時代に、則天武后が「天后」、高宗が「天皇」と(一時的に)名乗っていたので、これをまねたのではと考察されています。
唐ではその後「皇帝」に称号を戻してますが。
45: 日本@名無史さん01/11/02 22:22
古代大和王朝の有力豪族ってみんな渡来人系だよね
だから天皇家ってつい最近まで、ひょっとしたら一番純粋な漢民族の血統なのかも
46: 日本@名無史さん01/11/02 22:39
>>45
みんな渡来系? 何処の国の話だ?
47: 日本@名無史さん01/11/03 23:16
古代日本の有力豪族層は、弥生時代に日本に渡来してきた大陸系の民族が主となっていて、縄文時代以前に見られる古い日本人を支配していたとされている。
彼らは人種的に厳密な生物学的分類では違う種族という研究がある。
50: 日本@名無史さん01/11/04 00:05
>>47
電波国の研究じゃなかろうね?
どこの馬の骨が言ってるのか明記してくれないと、ここでは信憑性を認めてもらえないよ。
君だって、ハングル板で不勉強を晒している、気の毒な朝鮮民族の痛いレスを見た事あるでしょ?
48: 日本@名無史さん01/11/03 23:36
皇帝の称号は秦の始皇帝からだよね。
これと天子を混ぜて、天皇を造語したという説はどうよ。

まあ、渡来人の入れ知恵だろうな。
酋長テンノウ自体が渡来人かもしれんがな(w
49: 教えて厨房01/11/03 23:45
天皇、地皇、人皇。あわせて三皇。
51: 01/11/04 00:30
とうりすがりだが、47の考えってスタンダードじゃないの?
混血は急速にすすんだだろうが、縄文系から天皇家がでてくるわけがない
渡来有力豪族にきまってるでしょう


それとも熊襲、隼人が天皇に?琉球人かよ?(w
52: 日本@名無史さん01/11/04 00:45
>>51
>縄文系から天皇家がでてくるわけがない
何を根拠に言ってるんだ?
55: 日本@名無史さん01/11/04 20:52
渡来人って普通古墳時代以降に渡来してきたのを指すんでしょ?
弥生人が大陸外から来たのはあたりまえだと思うが
56: 日本@名無史さん01/11/09 21:37
弥生人は南方から潮流にのってきたものがおおいらしいね。
あとは大陸から樺太経由みたい。
58: 國學院大學一OB01/11/09 21:50
フレイザーによれば世界各地の王は、古代の呪術師、または呪医が直接的に発展したものであるという。
世界最古の王である皇室が呪術的要素に彩られているのはそのためです。
「ヤマトの酋長」というのは決して間違った見方ではないと思います。
この日本という国が急ごしらえにでっちあげたハリボテではなく、長い歴史と人人の暮らしの上に成立したものである証であるのです。
62: 國學院大學一OB01/11/09 22:05
古代王権の持つ「外来性」というのは、古代王においてはむしろ必要なことで、皇室の起源が半島や大陸に結びついているのはむしろ当たり前のことです。
63:  01/11/09 22:07
>古代王においてはむしろ必要なことで、
なんで「必要」なんて勝手に決め付けられるんだ?
頭の悪い学校の人間はこれだから嫌だ。
68: 日本@名無史さん01/11/09 23:11
古代王権の持つ「外来性」というのは古代王においてはむしろ必要なことで
古代王というのはむしろもっと平和的な存在なのです。
つまり大陸から渡来した呪術者が武力によらずに、新式の手品で原住民騙して王になったてことだな
69: 日本@名無史さん01/11/09 23:13
くわせ者ですな
73:  01/11/11 09:17
帝みかど、大王おおきみ、お上かみ、主上しゅじょう、天皇てんおう(てんのう)、皇帝こうてい、

だいたいどれも似たような形で使われてた。
あえて天皇としたのはずっと後になってから。少なくとも江戸初期あたりまでは別段天皇とは言わなかった。


泉涌寺行ってみな。
安丸良夫に聞いてみな。
網野善彦に聞いてみな。
色川大吉に聞いてみな。
今谷明に聞いてみな。
高木博志に聞いてみな。
74: コピペ~01/11/11 10:13
>>73
ここにいろいろ書いてある

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1004867291/l50(元スレ見つからず
26 :日本@名無史さん :01/11/06 01:00
・天皇権威の強化

光格天皇は強い君主意識を持っていました。君主は仁を第一として一身を顧みることなく天下万民に仁を施さなければならない。
そうすれば神の加護により天下泰平を維持することが出来る、という趣旨のことを書いています。

光格天皇はまた強烈な皇統意識を持ち、綿々と続いた天皇歴代に連なるという意識がいろいろなところに出てきます。
これらの意識は若いときに学問に熱中したことから身についたのでしょう。
現在の御所は1854(安政元)年4月に焼けて再建された物ですが、これは1788(天明8)年に焼けて、1790(寛政2)年に造営されたものをほぼ再建したといわれています。
したがって、現在の御所は光格天皇のときに造られた物とほぼ同じです。

御所の焼失に際して光格天皇は復古的な御所の造営を幕府に要求して、松平定信との粘り強い交渉の末要求通りの御所を作ることを勝ち取りました。
ただしその仕返しから父親の典仁親王に上皇位を与えることは幕府から拒絶されてしまいました。

また1807(文化4)年幕府はレザノフとラックスマンの事件の報告を軽い気持ちから行っています。
いろいろな流言蜚語が飛び交っていたのが理由ですが、これ以後朝廷は対外情勢の報告を幕府に求めるようになりやがて口を出し始めます。

1817年光格天皇は譲位しますが、このとき天皇号を第62代村上天皇(摂関時代の天皇)以来900年ぶりに復活しました。
この間冷泉~後桃園は「院号」が与えられていました。
しかし院号は金を出せば庶民でも戒名としてもらえるものでありがたみに欠けていました。

そして死後には醍醐とか白河といった地名を使った追号ではなく諡号が与えられました。
これまた第58代光孝天皇以来900年ぶりのことでした。
天皇号も諡号の復活も幕府との交渉の結果実現したものです。

光格天皇以降、天皇には天皇号と諡号が贈られています。

最後に天皇と公家の教育軌間として学習所(学習院とも、明治の学習院の基)を計画し死後に実現されました。
学習所では「六国史」などがゼミ形式で講義され、公家の政治的自覚を高めました。
77: 通りすがり01/11/17 17:45
通りすがりの者です。全くのシロートですが、私も『天皇』と言う名称の由来を考えておりましたのでちょっと書かせて頂きます。

当然漢字伝来後につけられたのでしょうが、それを名乗る系統が、数多くの部族を戦い従えてきたことは記憶されていたでしょう。
確か『魏志倭人伝』に倭国は『百余国分かれて争う』のような一文がありましたね?
それぞれに『王』に類する人物がいたでしょう。

これらを束ねた系統は『百(国)の大王』とされ、これに伝えられた漢字の『天皇』という文字が充てられたと考えたのです。
これなら漢字としても相応しいのは当然として『百の大王』という来歴も示せる(一白大王に分解して組み立て直し)一石二鳥的名称として採用されたのではないのでしょうか?
78: 日本@名無史さん01/11/18 01:53
>百の大王
なんて読むの?
91: 覚醒右翼01/12/04 12:37
なにを言うか貴様等!
天皇は元々、天皇と呼ばれていたのだ。

スメラミコトと。スメラとはすべてを統一する神のことを表す。神国日本2660年。
すべての霊力は天皇から発生し。現世の天照大御神に還元されるのだ!
そんなこともわからんで書き込むんじゃねー!
92: 覚醒右翼01/12/04 12:38
大王と呼ぶヤツ。すべて鬼畜米兵!!>貴様等
93: 日本@名無史さん01/12/04 12:39
大王
94: 覚醒右翼01/12/04 12:40
貴様ーーーーー!。ヒツギノスメラミコトと呼べ
95: 13901/12/04 12:53
電波は電波板に行け。

というわけで、天皇が「天皇」という呼称を使い始めたのはいつだったんでしょう?というスレですね。
最初から使ってたよ、いや奈良時代とかだよ、いやいや江戸時代までは使ってなかったよ!と様々な説があるようですが、管理人はこのあたりあんまり詳しくなくてよく知りません。

“天皇”の呼称は誰がいつころから始めましたか
というアレによると、「天皇」の呼称が使われた最も古い資料は、
大阪府南河内郡国分町の松岡山古墳から発見された「船首王後墓誌銘」の銅版で、戊辰年十二月(668年)と記載されています。
668年正月に天智天皇が即位しており、これを境に以前は王、以後は天皇と言う言葉が使われていることが発掘や唐・新羅などの外交文書で確認されています。
なんだそうですね。

まぁ、中国の「皇帝」にも遠慮があったことを考えると、「皇」の字を堂々と使うのは、初期の頃ははばかられたかもしれません。
壬申の乱(672年)で大友皇子(弘文天皇)を倒し、即位したとされる天武天皇(40代)あたりからではないか、とする説が有力のようで、天武天皇は道教思想に傾倒しており、「天皇」「地皇」「人皇」の三皇から、取ったのではないかとも言われているとか。

で、この頃「日本書紀」や「古事記」が編纂されたそうですんで、過去に遡って適用されてものでしょうか。
近隣の中国を見て、皇帝だのなんだのド派手な称号を見るにつけ、いろいろと思うところもあったのかもしれません。

知り合いに天皇マニアがいるので電話で聞いてみたら、このひとは「推古天皇(33代)から始まったよ」説を推したいとのことでした。
「王」っていう称号は中国の皇帝の許可をもらって名乗ることができるんだそうで、遣隋使の国書などにある「日出づる処の天子」発言に見られるように、中国の皇帝の対等の地位としての「天皇」を名乗り始めたのでは…みたいなこと言ってました。日本が日本のアイデンティティを確立したのはいつかってことだから、おもしろいテーマだねぇ、だそうです。

大日本史略図会 第十五代・神功皇后(月岡芳年)
トップ絵は月岡芳年による浮世絵「大日本史略図会 第十五代・神功皇后」より。なんか神功皇后がちょっと西洋のドレスみたいの着て、ずいぶんハイカラに描かれています。
神功皇后というと、女だてらに武器を取り、三韓征伐で朝鮮半島の南部を切り取ってきたという伝説を持つわけですが、そのシーンです。
11.28追記:当記事を「提督の野望 海軍広報 Ver7.0」さんでご紹介いただきました!
とゆーわけで、提督閣下は「天智天皇→持統天皇」あたりだよ説なんですね。いろんな説があるんですなぁ。考え方もそれぞれみたいでおもしろい。
12.1追記:当記事を「朝目新聞」さんにてご紹介いただきました!
神武天皇享年127歳ていうのは、当時は年の数え方がお米の収穫で…っていう説ありますよね。
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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.11.26 3:39
    中華帝国は至上で世界を支配してるから対等関係はない・・
    ってのは自称だからねw

    とゆうか北の遊牧民族に毎回ボコられてカツ上げされてたのが実情
    17世紀に銃器が台頭するまで勝った事なんてほとんど無い
    最後の王朝が女親族王朝なんだし
    これって阿Q的な精神的勝利法だよね
    だからこの手の朝貢したら下とかあんま関係ない
    金印貰った部族って中華王朝より戦争が強い場合がほとんどなんだよね
    つまり安全保障上必要だから歓待してるだけ
    弱い相手には銅印とかだから
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.11.26 10:37
    ※1
    奴隷が鎖自慢してら
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.11.26 14:22
    どうでもいいけど電波板とかあんのね
    まとめてくれないかなー|´-)
  1. >どうでもいいけど電波板とかあんのね
    たぶん、スレで言われてる電波板とかアズマとかそういうやつは、東亜板とかそのへんのことかなーっと思います。
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.11.26 16:48
    電波板は電波お花畑板ってのがネタ雑談のとこにあるな
    しかしこの黎明期の雰囲気は今見ると妙に癒やされるね
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.11.28 0:43
    最大トーナメントの優勝者だったんだろ(適当)
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