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世界史ちょっといい話 Part3 @ [世界史板]


世界史ちょっといい話 Part3 @ [世界史板]
112: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/06/24 21:46:42
袁術の美談
陸績が6歳の時、袁術の下へ行き、橘を出されたことがあったが、彼は橘を三枚(枚は数え方)懐に入れておき、辞去する際にこれを落してしまった。
袁術いわく「陸君、客として来ていながら、橘を持って行くのかね。」
陸績は言った、「持ち帰って母に食べさせたかったのです。
袁術はこれをおおいに奇とした。後世、二十四孝の一つとされている。
『真・恋姫夢想』の劇中でもネタにされていて今更ですが、一応。
袁術 (Wikipedia) 袁術 袁 術(えん じゅつ/すい[1])は、後漢末期の武将・政治家。後漢の司空である袁逢の子。太僕である袁基の同母弟。袁紹の従弟又は異母弟。
後漢の名門である汝南袁氏出身。当初は官界にあったが、董卓による動乱の中で群雄の1人として名乗りを上げ、反董卓連合の崩壊後は孫堅らの支持を受けて一族の袁紹と抗争を繰り広げた。一時は曹操に破れ揚州に追いやられるが、孫策らの力により揚州を実効支配し勢力圏を再構築。やがて自らを帝舜の血族である陳の宣公時代の大夫・轅濤塗の末裔と称し、皇帝を自称し、仲王朝を創設したが、孫策らの離反や曹操の攻撃により数年で瓦解し、失意の内に没した。
管理人より:袁術で検索して画像のっけたかったのですが、なんか萌え絵ばっかりヒットする件。
113: 世界@名無史さん 2012/06/24 21:56:16
なんでかカーチャンネタって無条件でウルウルくるナー
105: 世界@名無史さん 2012/06/19 00:10:09
フェデリコ二世の第六回十字軍を紹介しようと思ったけど、感情こもりすぎて1レスに収まらない。
誰か綺麗なまとめ頼む。
106: 世界@名無史さん 2012/06/19 16:14:01
破門された王が話し合いでエルサレムを得た
114: 世界@名無史さん 2012/06/27 04:30:57
>>106
アル・カーミルとフリードリヒ2世ね
フリードリヒ2世の墓が19世紀に調査されて
>棺の中の彼はイスラム風の衣装を身にまとい、
>シャツの袖にはアラビア語で「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ
>というカーミルに向けられたと思われる言葉が刺繍されていたことが記録に残っている。
周辺に心を許せる人間がいなさそうだったフリードリヒ
かつて敵だった人間が一番心を理解し許せる相手だったとは皮肉だが
感動するエピソード
フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) (Wikipedia) フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) フリードリヒ2世(Friedrich II., 1194年12月26日 - 1250年12月13日)は、神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝の皇帝(在位:1220年 - 1250年12月13日)、及びシチリア王(フェデリーコ1世、在位:1197年 - 1250年)。イタリア史関係では、イタリア名のフェデリーコ2世(Federico II)で呼ばれることが多い。
(中略)
学問と芸術を好み、時代に先駆けた近代的君主としての振る舞いから、スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトはフリードリヒ2世を「王座上の最初の近代人」と評した[1][2]。中世で最も進歩的な君主と評価され[3]、同時代に書かれた年代記では「世界の驚異」と称賛された[4]。
117: 世界@名無史さん 2012/06/28 15:18:40
明治時代の雑誌に掲載されていた記事ですが。
アメリカのとある少年が仔犬にヴィクトリアと命名し、
我ながら良い名だと思った少年は、ヴィクトリア女王に「陛下の御名をいただきました」と手紙を送った。
手紙を読んだ女王は少年の無邪気さを喜び、米国大使を通じてこの少年の身元を照会し、
「私の名を使っていただき嬉しく思います、その後ワンちゃんはお元気ですか」と返事を書いたとか。
ヴィクトリア (イギリス女王) (Wikipedia) ヴィクトリア (イギリス女王) ヴィクトリア(英語: Victoria、1819年5月24日 - 1901年1月22日)は、イギリス・ハノーヴァー朝の第6代女王(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日)、初代インド女帝(在位:1877年1月1日 - 1901年1月22日)。世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、その治世はヴィクトリア朝と呼ばれる。在位は63年7か月にも及び、歴代イギリス国王の中でも最長である[注釈 1]。
122: 世界@名無史さん 2012/07/09 02:41:28
アメリカンフットボールの黎明期のこと
激しいスポーツなので、選手が死亡する事故があって、アメリカのマスコミや世論は、「あんな危険な競技は禁止すべきだ!」という論調で沸騰した
が、その死亡した選手の遺族が、「故人はアメリカンフットボールが大好きでした。どうか、故人が愛したスポーツをなくさないでください」と嘆願する手紙を当時の大統領セオドア・ルーズベルトに出した
ルーズベルトは、アメリカンフットボールを存続させ、その代わりに、二度とそのような事故がないよう、防具をつけるように指示した
アメリカンフットボールの選手がプロテクターを身に着けるのは、それ以後のことである
セオドア・ルーズベルトという大統領は私個人としてはあまり好きではないが、このエピソードは好きだな
セオドア・ルーズベルト (Wikipedia) セオドア・ルーズベルト セオドア・”テディ”・ルーズベルト(英語: Theodore "Teddy" Roosevelt、発音 /ˈroʊzəvɛlt/ roe-zə-velt[1][2]、1858年10月27日 - 1919年1月6日)は、アメリカ合衆国の第25代副大統領および第26代大統領。第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは従弟(12親等)に当たる。彼はその精力的な個性、成し遂げた業績と合衆国の利益、国の発展期に示したリーダーシップと、「カウボーイ」的な男らしさでよく知られる。共和党のリーダーおよび、短命に終わった革新党の創設者であった。大統領就任までに市、州、連邦政府での要職に在籍した。彼はまた政治家としての業績と同じくらい、軍人、作家、狩猟家、探検家、自然主義者としての名声も併せ持つ。
123: 世界@名無史さん 2012/07/09 08:43:08
日本も「危険だから禁止!」と短絡的になるまえにこういう発想をすべきだな
124: 世界@名無史さん 2012/07/09 09:23:55
中世イングランドでやってたフットボールなんて本当に死者続出だしなw
125: 世界@名無史さん 2012/07/09 11:07:06
>>124
ルールなんてない御神木奪い合うはだか祭みたいなものだからなw
リアル首絞めとかやってる版画とかも残ってる
126: 世界@名無史さん 2012/07/09 18:15:32
ちょっとオカルトちっくだけど、イギリスの幽霊関係の本にあった話
ナポレオンがなぜイギリス侵攻しなかったかというと
イギリス中の魔女が集まって、ナポレオンの心にイギリス行くな!
と念じたから
ヒトラーがイギリス侵攻しなかったのは
イギリス中の超能力者が集まって、ヒトラーの心に働きかけたから
それと第1次大戦や第2次大戦で、大陸で戦うイギリス軍が不利になったとき
雲の上から高らかなラッパとともに、弓矢で応戦する援軍があらわれて助かった
ってのもあった

カミカゼが吹いて蒙古軍を倒したって話と似てるな、島国根性かなーと
思ったんだがどうであろう、各々方
127: 世界@名無史さん 2012/07/11 00:58:46
何故侵攻しなかったって、トラファルガーで負けたから侵攻できなかったんだろ
128: 世界@名無史さん 2012/07/11 08:02:54
>それと第1次大戦や第2次大戦で、大陸で戦うイギリス軍が不利になったとき
>雲の上から高らかなラッパとともに、弓矢で応戦する援軍があらわれて助かった
>ってのもあった

それアーサー・マッケンの小説「弓兵伝説」が実話として広まっちゃったんだよね
129: 世界@名無史さん 2012/07/11 22:00:40
フィクションが伝説となる、これも定番なんだろうな
130: 世界@名無史さん 2012/07/12 23:41:05
>>129
南京大虐殺みたいなもんだね
120: 世界@名無史さん 2012/07/01 20:05:31
ムガル帝国五代皇帝、シャー・ジャハーンの治世の時の話。
皇帝、シャー・ジャハーンは悩んでいた。
ペルシャから訪れた大使がインド式のお辞儀をしないのである。
いくら親切にもてなしてもその大使は皇帝を侮っているのか
高飛車な態度を貫き続け決してインド式のお辞儀をすることは無かった。

そこで皇帝は一計を案じた。
謁見の場で大使に会う予定だが入口の大門を閉じて、くぐり戸だけ開けておくように命じる。
このくぐり戸と言うのが、体を大きく曲げ、ちょうどインド式のお辞儀をするときのように
頭を地面のほうに下げ、大層苦労してやっと人一人が通れるようなものだった。
皇帝としては

「大使はインド式のサラームよりもっと卑屈な姿勢をさせられた」

と、言う事にしたかったのである。


が、大使はこの計略を見破った。
大使はくぐり戸を頭から入らず後ろ向きに入ったのである。
皇帝は裏をかかれた事に腹を立て大使に向かって

このろくでなしめ!そんな恰好をしてロバ小屋にでも入る気か!

と怒鳴った。
すると大使は平然として

こんな狭い入口をみてロバ小屋と思わぬものがありましょうか

と答えたという。
121: 世界@名無史さん 2012/07/08 07:43:04
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 2
シャー・ジャハーンがある日、大使に向かい
自分が造営させている新しい都市であるデリーは
イスバハーン(ペルシャの首都)に比べてどう思うかと尋ねると大使は声高に誓ってこう言った。

神にかけてイスバハーンはあなたのデリーの土埃には及びません。

シャージャハーンはこの言葉をデリーに対する賛辞と受け取った。
が、大使はデリーの土埃が酷いのでからかってやったのだと語ったという。
131: 世界@名無史さん 2012/07/15 10:19:01
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 3
シャージャハーンが大使に

「歴代のペルシャ王に比べてインドの王たちの権勢をどう思うか言え。」

と迫ったところ。
大使が答えるには

インドの王様がたと言えば十五、六の大きな月で、ペルシャの王たちと言えば二、三の小さな月と申しましょうか。
これほどよい比較の対象はありません。


シャージャハーンはこの答えを聴いて、たちまち良い気分になったが
すぐその後で、この比喩は自分にとっててあまり有利なものではなく
大使が言いたかったのはインドの王はだんだん小さくなり
ペルシャの王は三日月のようにだんだん大きくなるということに気が付いた。
134: 世界@名無史さん 2012/07/22 08:26:05
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 4
ある時シャー・ジャハーンは大使の返事がぞんざいで傲慢だったのでけしからぬと思いこう言わずにはいられなかった。

「このろくでなしめ、お前のような気違いを送ってよこすとはシャー・アッバース(サファヴィー朝の第5代皇帝)の宮廷にはまともな人間がいないと言うことか。

すると大使は

いえ、とんでもない。宮廷には私よりはるかにまともな人間が、しかも大勢おります。が、陛下にふさわしい大使を、と言う事でございましょうな。

と答えたという。
シャー・ジャハーン (Wikipedia) シャー・ジャハーン シャー・ジャハーン(ペルシア語: شهاب‌الدین محمد شاه جهان Shehābo'd-Dīn Moḥammad Shāh Jahān, 1592年1月5日 - 1666年1月22日)は、ムガル帝国の第5代皇帝(在位:1628年 - 1658年)。第4代皇帝ジャハーンギールの第3皇子で1628年帝位につき、1658年、第3皇子アウラングゼーブに簒奪されるまで統治にあたった。
タージ・マハルの建造者である。
137: 世界@名無史さん 2012/07/22 16:42:54
>>134
この大使絶対後藤又兵衛って名前だろ
まさかペルシャにいたとは…
135: 世界@名無史さん 2012/07/22 11:30:13
大使こんなことしてて酷い目に合わなかったのかな?まぁ、大丈夫か?面白いし
151: 世界@名無史さん 2012/07/28 18:50:49
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 5
シャージャハーンはついにキレた。
皇帝は不遜で何度も煮え湯を飲まされたペルシャの大使に敬意を払う事は無くなり
隣接する大国の使者だというのに大使を気違いとしか呼ばなくなった。
ある日、皇帝は密かに命を下した。
口先では適わないとからと実力行使に出て屈服させようとしたのか
…それとも事故に見せかけた暗殺を狙ったのか。
大使が城の会議室に続く狭い通路を通る際に強情で機嫌の悪い象を一頭放つ事を命じたのである。

後日、大使が駕篭に乗ってその通路を通る時が来た。
手筈通り暴れ象が放たれる。
が、大使は間一髪のところで駕篭から飛び降り難を逃れ
手練れの部下に象の鼻を射かけさせ追い返す事に成功したという。



>>135
御明察
136: 世界@名無史さん 2012/07/22 14:12:45
この逸話は一休とんち話のたぐいでは?w
139: 世界@名無史さん 2012/07/22 18:43:14
なんだかんだで、シャー・ジャハーンがいい人だったんだろう、実話なら・・・・
140: 世界@名無史さん 2012/07/22 18:46:19
ここまでコケにされてるのに言い返すしかしないって事はそれだけ当時のペルシャが脅威だったって事じゃないか?
アッバース1世は衰退しつつあったサファヴィー朝を盛り返した中興の祖らしいし
アッバース1世 (Wikipedia) アッバース1世 アッバース1世(1571年1月27日 - 1629年1月19日)は、サファヴィー朝の第5代シャー(在位:1588年 - 1629年)。
(中略)アッバース1世はサファヴィー朝を建て直すため、まずは内政改革を行なう。王朝創建以来、権力を牛耳っていた軍事貴族(キジルバシュ)を弾圧して政治から遠ざけ、代わって奴隷身分の優れた人材を多く登用したのである。地方長官にも家柄ではなく能力が重んじられて、奴隷階級出身者が数多く地方長官に任じられている。
142: 世界@名無史さん 2012/07/25 18:35:15
真偽はさておき確かなのはこの大使は糞ムカつくって事だw
143: 世界@名無史さん 2012/07/25 19:07:54
イイハナシでなくおもろい話だなw
153: 世界@名無史さん 2012/07/29 00:23:58
「城の会議室に続く狭い通路」でも象が暴れるスペースがあったってのが何かスケールが違うわ
155: 世界@名無史さん 2012/07/29 10:26:28
まぁ一国の君主をあれだけおちょくればなw
156: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/07/29 10:42:30
ブッダを象に襲わせたダイバダッタといい、事故に見せかけた暗殺で象暴走はインドの伝統ですか。豪快な。
157: 世界@名無史さん 2012/07/29 17:10:44
日本だと暴れ馬か角に松明を灯した牛?
159: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/07/30 06:51:29
>角に松明を灯した牛
源義仲の策が有名ですが、長門本『平家物語』も言及しているように、元ネタは田単でしょうね。伊勢盛時もやったという話があります。
馬は『雑兵物語』に陣中での暴れ馬に気をつけよとはあるものの、人為的に暴れさせて利用したという話は、寡聞にして存じません。

『徒然草』に、人を突く牛は角を切り、人を食う馬は耳を切って標にするという決まりが見え、これは平安期まで遡るようですが、牛馬を利用して平時に殺した話が、はてあったものかどうか。

馬が厩で守護のために飼われていた猿(孫悟空が天で厩番を命じられたのもこれに由来するといいます。タイでは象舎の番にも飼われていた)に噛み付いて片輪にしたという話はありますが、人を殺した話はなし。
名馬生喰というのは人に噛み付く気性から命名されたそうですが、殺した訳ではなく、だからこそ飼われたのでしょう。

ヘラクレスが捕えたディオメデスの馬や、小栗判官が乗りこなした鬼鹿毛は実際に人を食い殺したとされていますが、どちらも性質を誇張した伝説です。
144: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/07/25 22:26:40
バーブルやアウラングゼーブなら洒落にならず、フマーユーンならボケ殺し、アクバルなら機智で返すイメージがあるという点では、この手の話で出す名がシャー・ジャハーンというのは絶妙。
146: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/07/26 22:27:50
>>144
>アクバルなら機智で返すイメージがある
でも、アクバルにもビールバルという頓智で有名な人物がいるよ。
アクバルとビールバルのエピソードもユーモアに満ちててなかなか面白いよ。
賢い君主のイメージの強いアクバルだけど、ビールバル相手には一杯食わされてる。
147: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/07/26 22:54:27
義満に対する一休、秀吉に対する曽呂利新左衛門のようなものですか。
これが家康や吉宗相手だとしっくりこないわけで、そこそこ活気と流動性のある時代の君主の方が、こういう胡散臭い人物が出る余地がありそうです。
真の馬鹿殿相手ではないというのもまたよし。

アクバルにも名言は多い。
才能に違いがあるのは、人類が永続する源泉である
など。
148: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/07/26 23:26:45
>>147
なるほど、それなりに活気ある君主のほうが頓智もより引き立つということかな。

>アクバルにも名言は多い。
アクバルは基本的に名君だったので、インドでは今でも好かれてるらしく、
その手の名言もそれなりに多く残ってるんだろうね。
149: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/07/26 23:40:07
ちなみに、ビールバルのエピソードで一番好きなのは以下の話。ちょっと頓智とは違うけど。
ある日、ビールバルは子供の世話に追われ、宮廷に遅刻してしまった。
アクバルはビールバルに対し、「子守りぐらいで遅れるとは情けない」と怒ると、
ビールバルはそれに反論し、「子供の世話はとても大変なのですよ」と言った。
そして、アクバルに対し「実際に子守りをやればその大変さが分かるでしょう。 今から私が子供の役をやるので、アクバル様は私を子供だと思ってあやしてください」と言った。
そして、いきなり子供のように泣き出し「あれが欲しいよー、これが欲しいよ~」と駄々をこねだしたのだ。
アクバルが必死であやそうとするも、ビールバルはいつまでも泣いて駄々をこねまくった。
とうとうアクバルは降参して、子守りの大変さを認めたのだった。めでたし、めでたし。
アクバル (Wikipedia) アクバル ジャラールッディーン・ムハンマド・アクバル(ペルシア語: جلال‌الدین محمد اكبر , Jalāl'ud-Dīn Muhammad Akbar)は、ムガル帝国の第3代君主(在位:1556年 - 1605年)。アラビア語で「偉大」を意味するアクバルの名にふさわしく、中央アジアからの流入者であった祖父バーブルの立てたムガル朝を真に帝国と呼ばれるにふさわしい国家に発展させ、アクバル大帝(اکبر کبیر , Akbar-e kabīr)とも呼ばれる。
150: 世界@名無史さん 2012/07/28 10:44:44
これもしアクバルが放置プレイしたらビールバルは悲惨な状況になるな
160: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/07/30 06:54:21
ルイ6世の長子のフィリップは、放し飼いになっていた豚に突進されて落馬したことが原因で落命しています。悪い話(?)ですが。
落馬が原因で死亡した人物は数多いものの、これはなかなか無い死に方。
161: 世界@名無史さん 2012/07/31 21:08:38
フィル・ヒッポス(=愛馬者)が落馬って笑うところ?
163: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/08/01 22:28:55
>>161
流石。

>>162
わざと家畜を放って挑発するという話もよくあったのでしょうね。
『イリアス』にも、私戦の動機の一つとして挙げられていましたが。

『正法念処経』の挙げる地獄の中に、雨炎火石処といい、象に酒を飲ませて人を殺した者が墜ちる地獄がありました(それ以外の罪人もいますが)。
象関連以外の罪も墜ちる条件に含まれているものの、『往生要集』にも登場しないマイナー地獄ですが、多分インドでは象で人を殺す人間もそれなりに想定されたのでしょう。
管理人より:フランスの歴代王族に多かった名前の「フィリップ」はラテン語の「Philippos(馬を愛する者)」から来てるんだそうですね。philo=愛、hippos=馬でしょうか。
1.31追記:コメ欄でご指摘をいただき、ラテン語ではなくギリシャ語由来だろうということで、ギリシャ語由来の「Φίλιππος」でひとつよろしく。ありがとうございました。
ルイ6世 (フランス王) (Wikipedia) ルイ6世 (フランス王) ルイ6世(Louis VI, 1081年12月1日 - 1137年8月1日)は、フランス・カペー朝の第5代国王(在位:1108年 - 1137年)。第4代国王フィリップ1世と最初の王妃ベルト・ド・オランドの子。肥満王(le Gros)または戦争王(le Batailleur)と呼ばれた。
強力なイングランド王ヘンリー1世、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に挟まれながらフランス王権の防衛に努めた。
165: 世界@名無史さん 2012/08/07 20:34:35
ガトリングガンを開発したガトリングはこの発明で兵士の死傷者が減ると考えていた
百人分の働きをする武器があれば戦争に投入される兵士が少なくて済む
投入される兵士が減れば死傷者も減るという理屈だった

ガトリングガンを過去の物にしたコルト・ブローニングM1895重機関銃を開発したブローニングはこの発明で戦争がなくなると考えていた
強力な兵器が存在すれば戦争は起きないという理屈だった
リチャード・ジョーダン・ガトリング (Wikipedia) リチャード・ジョーダン・ガトリング リチャード・ジョーダン・ガトリング(Richard Jordan Gatling、1818年9月12日 - 1903年2月26日)はアメリカ合衆国の発明家。世界初の製品化された機関砲であるガトリング砲の発明で知られている。
ジョン・ブローニング (Wikipedia) ジョン・ブローニング ジョン・モーゼス・ブローニング(John Moses Browning, 1855年1月23日 - 1926年11月26日)は、アメリカ合衆国の銃器設計家である。本来、名字Browningの発音は「ブラウニング」に近いが、慣例的にブローニングと表記される。
(中略)
そして1895年に6mm口径の弾薬を利用したコルト・ブローニングM1895重機関銃として販売されることとなった。この機関銃には現在のマシンガンの多くで使用されている給弾機構「ガス・オペレーション式」が使用され、それまで機関銃の機構として用いられてきた手回し式のガトリング銃を完全に過去の物としたのである。
192: 世界@名無史さん 2012/08/31 21:30:42
>>165
第一次大戦中にドイツ側の毒ガス研究者も似たような事言ってたな
166: 世界@名無史さん 2012/08/07 21:28:20
まあ、原爆を開発したオッペンハイマーや水爆を開発したテラーも、多かれ少なかれだいたい同じようなことは考えてたろ
167: 世界@名無史さん 2012/08/07 22:26:54
その手のはなしは死の商人との謗りを回避するための言い訳じゃまいか?

久々に、「世界史ちょっといい話」シリーズの更新です。
パート化した記事はあんまり続けると飽きられそうなので、たまーにやります。

トップ絵は、十字軍のテーマがあったので、フランチェスコ・アイエツの「エルサレムの近くで飢え渇く十字軍(Crusaders Thirsting near Jerusalem)」(1850年)。アイエツは女性を描かせるとなかなか色っぽくてイイ!(゚∀゚)=3
十字軍は第3回がおもしろいですが、これは回を追うごとにどんどん形骸化していき、4回の時には、コンスタンティノープル略奪というワケのわからないことに。
これはボスフォラス、ダーダネルス両海峡を独占して、そこそこ繁栄してた東ローマ帝国うぜぇー!ということで、ジェノバの商人がいろいろ裏で画策してたとかなんとか。
そもそも十字軍は東ローマ帝国皇帝の要請で始まったことなので、ワヤクチャなことに。
だいたいそもそも、アラビア人もトルコ人も異教徒に対してはとても寛容だったので、これはキリスト教圏の横暴と言える事件でしょうね。
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元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1327366681/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.1.30 22:01
    Philipposはギリシャ語由来ですよ
    • ハイ、ギリシャ語・ラテン語由来です。
      ギリシャ語「Φίλιππος」、ラテン語「Philippos」由来と両方書けば良かったんでしょうけど、フランス語はラテン語からの派生言語なので、ギリシャ語は省略してます。
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.1.31 19:59
    フィリッポスっていう名前は、ラテン語の要素はあんまりないよね。
    俺も不自然に感じた。
    ギリシア語→ラテン語→フランス語っていう伝わり方なのかもしれないけど、Philoっていうのはギリシア語を取り入れたラテン語で使う言葉なので、固有のラテン語ではなく、外来語。
    馬はラテン語でEquus(単数主格)っていう固有の語彙があるから、ラテン語を通して伝わった名前だとしても、ギリシア語由来と書いた方がいいかも。
    • ああ!確かに!ad equisとかそんなのありましたっけね。
      ギリシャ語由来の方に訂正しておきます。↑のドクターもありがとうございました。
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