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すべての存在が実感できない、信じられない @ [哲学板]


すべての存在が実感できない、信じられない @ [哲学板]
1: 考える名無しさん 2016/12/09(金) 18:18:11.87 O.net
例え話ですが…

私は北海道に行ったことがありません。
テレビで北海道の景色を見たことはあるし、北海道出身の知り合いもいるので、北海道はあると思う、あるに決まってるんですが、自分が経験していないことをどうしても信じきることが出来ません。


「実は北海道は無くて、自分は騙されているかも」
という思いが常にどこかにあります。
もちろん北海道に限らず、行ったことのない場所、触ったことのないもの、テレビで見るだけの有名人。

それらが本当にあるのか、いるのか、信じきれないのです。
自分という存在も同じで、姿は鏡に写った姿、心というものはそもそも形がなく触れない。
だから実は今は夢の中にいるんじゃないか?と思うこともあります。
人生に現実感がない、とでも言うのでしょうか…。


こういう考え方って変なんじゃないか?
今の状態をうまく表現できる言葉がなくて困っています。
管理人より:元スレタイトルは「哲学的立場からアドバイスが欲しい」でしたが、内容がわかりづらいのでタイトル変更してます。例によってコテハンの連投はほぼ全部カット。
2: 考える名無しさん 2016/12/09(金) 18:20:46.91 O.net
ここにスレを立てといて申し訳ないのですが、哲学に関しては全くの素人です。ごめんなさい

もし、みなさんのアドバイスが頂けたとして、それを理解できたらいいのですが…。
3: 考える名無しさん 2016/12/09(金) 19:09:01.72 0.net
陰謀論にハマりそうだな・・
4: 考える名無しさん 2016/12/09(金) 23:31:26.04 0.net
テレビ画面の向こう側の存在よりも、顔すら見えない文字の向こう側の存在の方が信じるの難しいと思うけど?

ここにあるのはただの記号
ここに人間は存在しないよ
君は何にアドバイスを求めてるの?
本当にそれ人間?


なーんてね
6: 考える名無しさん 2016/12/09(金) 23:47:14.83 0.net
とりあえず、そんな事考えてたらこの世界で生きてけないよ
疑ったところでしょうがない、割り切るしかない

そういうことは
「え?マジで北海道なんか信じてるの?無いょ」
って言われてから悩めばいい
たぶん生涯言われないよ


仮に北海道が無かったら、全世界が君を騙してることになる
あまりのスケールのデカさに考えることがあほらしくならない?
14: 考える名無しさん 2016/12/10(土) 23:23:03.70 0.net
フリードリヒ・ニーチェ>>6
ニーチェは同情するなと言ってる
7: 考える名無しさん 2016/12/10(土) 01:51:38.00 O.net
>>1です。
意見ありがとうございます。

似たような感じとして、AとBが同時に同じ場所でXという経験をしたとします。
このときAとBが経験したことは同じなのでしょうか?

通常「同じ」とするのが普通だろう、というのはわかるんですけど、これについても『AとBは存在が違うわけだから同じじゃないのでは?』と思ってしまいます。


具体例をあげると、地震で被災した人を見たら普通は『可哀想だな。大変だな』と思うんだと思います。
でも正直、私は「関係ないな」と思う部分もあるんです。
寧ろ被災してもいないのに「可哀想」とか何でわかるの?
と思ったりしてしまいます。
一般的なリアクションとして「可哀想」と思うのを否定しているのではなく、どこか空々しく感じるんです。

「可哀想とかいいながらヘラヘラ生活してるじゃん」(自分も含めて)という感じです。
そう考えていくと、人と人は究極的には解り合うことは不可能で、一見同じように見える意見も単にワガママの集合体でしょ、という受け止め方をしてしまいがちです。

そういう自分が辛いです。
19: 考える名無しさん 2016/12/11(日) 23:25:55.18 0.net
>>7
まず、「AとBが経験したことは同じ」ではないというのが普通です。
経験は主体と客体の関係において成り立つ(「純粋経験」論は考慮しないものとする)ので、主体が別の存在であれば、経験は当然異なります。

さらに「人と人は究極的には解り合うことは不可能」だというのは言うまでもない当然の前提ではないでしょうか。
個別に自我をもつ存在である人間が、各人に(ある程度)共通に与えられた「人間本性」に基づいて互いにコミュニケーションをとるのだから、相互理解が限定的なものに留まるのは当たり前のことです。
逆に言うと、「人と人は究極的には解り合うことは不可能」だからこそ、コミュニケーションが成り立つ(そこそこ続き、ほどほどで終わる)のです。
22: 考える名無しさん 2016/12/12(月) 00:24:45.49 O.net
>>17
「もう少しアバウトに生きろ」ということでいいんですかね…w

>>19>>20
理解できた(と思った)範囲でレスさせて下さい。
確かに完璧にわかりあえていたらそもそも話す必要とか無さそうですよね。
そして性格もあるのかもしれませんが、「シンパシー」を軽んじているフシはあるかもしれません。


私が想像するに世間のみなさんはもう少し適当というか、 例えば対人関係で何か言われたとしても適度に流してあまりストレスを溜め込まないようにしている。
そういうテクニックのようなものを持っているように感じます。

しかし、私はちょっと厳しいことを言われるただけで、(大袈裟に言えば)この世の終わりかというくらいに深刻に受け止めてしまいます。
言った相手はそこまでのレベルでは言ってないんでしょうけれど…。
このような思いがあるから、自分は相手に厳しく言えないし、言われたくもない
人を拒絶しているようで心のどこかでは人恋しくて仕方がない。
それを上手く表現できないでいるのかも知れません。


正直に言って私はずっとニートなんです。
少数の心を許した、厳しいやり取りの前に自分なりに、心の絆を感じ信用した友人以外との接触はほぼ絶たれた状態で生きてきました。
このまま生きていたい。でもいつかは家族の世話にならず、1人で生きていかなければならない
しかし、世間は(経験していないが故に)恐い、恐く感じる。
油断して、下手に心を許したら手痛いしっぺ返しを食らう。
それなら今のままでじり貧の方がまだマシに感じる。


そうやってずっと怠惰に生きてきました。正直、こんな生活楽しくないです。
でも楽しくするよりは怠惰で、厳しいことを言われることも少ない方を生きてきました。

もうそろそろ限界が近いのかも知れないですね。
だからといって踏ん切りもつかないのですが…。
毎回の長文で申し訳ないです。
9: 考える名無しさん 2016/12/10(土) 03:06:08.69 0.net
所詮分かり会う努力をするのが精一杯で、理解しようとしたって同じ感じ方はできないだろうし、同じだと証明するすべもないと、思う
10: 記憶喪失した男& ◆WSFRN7wyiQ 2016/12/10(土) 04:53:57.39 0.net
  唯我論の否定

哲学に悩むものは思った。
ただこの宇宙で真理と呼べるものは「我思うゆえに我あり」だけであり、それ以外の感覚も、自分の周りの世界もすべて実在するとは限らない幻想の世界ではないのかと。
この宇宙に物質が存在しているという証拠がどこにある。
そんなものは、感覚器がそう認知しているだけであって、それは嘘の情報かもしれないじゃないか。


すると、へげぞはいった。
「おれは自分に意識があることを確かめた。少なくともおれには意識がある。
そこでだ、おまえには意識があるか。おまえなら、おまえに意識があるかどうかを確かめることができるはずだ。
もし、おまえに意識があるのなら、おまえが「我思うゆえに我あり」ならば、おれも「我思うゆえに我あり」であるため、この二つの意識をつなぐ物質の世界が存在すると想定した方が良いのではないかな。
おれはおれに意識があることを教えた。おまえはおれにおまえに意識があるかどうかを教えてくれ。
そうすれば、おれにもおまえに意識があることがわかる」


哲学に悩むものは、確かに自分に意識があるのを感じとった。

へげぞはいった。
「ついでにいっておくと、おまえが意識したものしか存在しないのだとしたら、おまえが気絶している時や眠っている時は世界は消えてなくなってしまっていることになる。
毎日、意識が消えるように眠っているおまえが、意識しか世界の存在理由がないなどと考えるのは愚かなことだと思わないかね」


そして、哲学に悩むものは、今度は世界の構造という新たな謎に悩まされた。
15: 考える名無しさん 2016/12/11(日) 01:23:30.57 O.net
>>1です

>>9
根本的にはわかり合うことが不可能だと仮定すると、その為の努力は虚しいものになりそうですね。
努力することには意味があるのでしょうか…
でもそう考えてしまうと『出来るとわかるものにしか努力しない』ということになってしまうのでしょうか…。


>>10
答えが合ってるかはわかりませんが、夜眠って、朝起きた世界は連続してるように受け止めていますが、果たしてそうなのでしょうか?
一見、一つの世界を人類が共有しているように感じますが、一人一人(動物なら一匹一匹)、完結した世界が乱立してる状態にも感じます。
16: 考える名無しさん 2016/12/11(日) 01:28:15.10 O.net
>>1です。連投してすいません

自己啓発本のようなものを読むと『人生(状況)は自分でコントロールできる』というような言い方をしています。
何となくですが、多くの人がそれを受け入れてるとも感じます。
一方で禅をわかりやすくした本を読むと『状況を受け入れること、それに合わせて生きること』を説いているように私には読めました。
そう考えると今ある状況に対して受動的になる、流されるまま生きるという感じになります。

正直、私は非常に怠惰な人間です。
都合よく『なぁんだ、頑張っても無駄じゃん。このままダラダラしよう』という感じで生きています。
禅がそういう教えをするわけないのですが、自分が置かれた状況について能動的になれない、人生を傍観して何年も過ごしている。

動き出すのは恐いけれど、人生を諦められない
「何かあるんじゃないか」という思いが常に燻っている。
そういう自分が情けないのです。


わかりづらい長文ですみません…
21: 考える名無しさん 2016/12/12(月) 00:20:05.93 0.net
>>16
人生論は深入りすると難しいですが、あくまで一般論としてレスしてみます。
>自己啓発本のようなものを読むと『人生(状況)は自分でコントロールできる』というような言い方をしています。
>何となくですが、多くの人がそれを受け入れてるとも感じます。
自己が状況を規定(限定、否定)するという発想ですね。

>一方で禅をわかりやすくした本を読むと『状況を受け入れること、それに合わせて生きること』を説いているように私には読めました。
状況が自己を規定(限定、否定)するという発想ですね。

どちらか一方のみだと不十分な議論です。
まず前者。一般的に状況は自分でコントロールできません。
いくら自己啓発された人でも不慮の事故や天災はコントロールできません。
もし仮に完全に状況を自分でコントロールできたとしても、そんな人生は退屈そのものです。

次に後者。「状況を受け入れる」とは、単なる現状肯定にすぎません。
現状に問題がある場合、それを変革しなくてもよいというのでしょうか。


しかし、どちらにも一理はあるのです。
両者を組み合わせて考えてみましょう。
自己と状況が噛み合わない、矛盾対立しているとは、相互に規定(限定、否定)しあう関係が成り立っているということです。
西田幾多郎的に「矛盾的自己同一」といえるかもしれません。
事実としてこのような関係が成り立っている以上、なすべきことはこの関係を解消することではなく、深めていくことです。
「自己が状況に介入し、状況が自己に介入する」ことを繰り返し味わっていくことが人生です。
その過程で、自己と状況は少しずつ発展していくことでしょう。
27: 1です 2016/12/12(月) 01:12:28.19 0.net
携帯からPCに移動しました。

>>21
レスしている間にまたお言葉をいただけていたようで、ありがとうございます。
なかなか難しそうですが、状況を変えるには自分が動くことも大切なんですよね…。


>>23
北海道はあくまでも例でして。
例えば「石ころ」があったとして、私が認識しているのは『その石ころ』であって、おそらく世界中に五万とある石ころのほとんどは認識しておらず、触ることもなく。
それらは果たして「ある」ということになるのだろうか?
石ころは誰かに見つかるまではないのと一緒ではないか。
誰かにとってはあるけど、私にとってはないのではないか?


そう考えると私という存在も、私を認識している人がいてこその存在なのではないか。
自分で自分が「存在している」と言い切れない以上、それはとても不安定な状態じゃないのかなと、上手く説明できていないかもしれませんが、そのように感じているのです。
17: 考える名無しさん 2016/12/11(日) 02:02:41.54 0.net
「ものごとがもともとの役割を果たすように管理することだ。私の役目は世界と世界とのあいだの相関関係の管理だ。ものごとの順序をきちんと揃えることだ。
原因のあとに結果がくるように。意味と意味が混じり合わないようにする。現在の前に過去がくるようにする。
現在のあとに未来がくるようにする。まあ多少の前後はあってかまわない。
世の中に完璧なものなんてありゃしないんだ、ホシノちゃん。結果的に帳尻さえちょんちょんとあえば、私だっていちいちうるさいことは言わない。私はこう見えて、けっこうアバウトなところもある。
アバウトというか、もっと専門的に言えば『継続情報の感知処理の省略』ということになるんだが、
『海辺のカフカ』第30章より
18: 考える名無しさん 2016/12/11(日) 21:30:14.06 0.net
この世界は仮想現実というやつだな。この板でもときどきスレがたつ。
管理人より:そゆのを総称して「シミュレーション仮説」と言います。詳細はコチラのスレを。
30: 考える名無しさん 2016/12/12(月) 10:29:36.28 0.net
言ってみればみんな騙された痛い目にあってから次は騙されないように気をつけたり、調べたりしてるわけですよ
31: 考える名無しさん 2016/12/12(月) 10:31:05.25 0.net
ニートならそれこそ騙され易いので人一倍経験しないと無理ですね
騙されない事より経験する事が大事です
34: 考える名無しさん 2016/12/13(火) 22:11:28.16 0.net
>1です

>そうやってずっと怠惰に生きてきました。正直、こんな生活楽しくないです。
>でも楽しくするよりは怠惰で、厳しいことを言われることも少ない方を生きてきました。
>もうそろそろ限界が近いのかも知れないですね。
>自分で自分が「存在している」と言い切れない以上、
>それはとても不安定な状態じゃないのかなと、
仏陀もニーチェも、生きることは「苦」であると考え、そこから出発しています。
私も、生きることがそんなに「楽しい」ものだとは思わないし、「安定」したものだとも思いません。

例えばこういう掲示板で自信満々に書いている人も、会社の中で自信満々に見える人も、内実は、そうでもないはずです。


普通は、そういう「苦」や「不安定」を、適当に誤魔化して生きている人が多いのだろうけど、哲学や宗教は、それを正面から受け止めて考えるものだと思います。

それに対する仏陀とニーチェの答えは、それぞれ異なりますが、とにかく、生きることは「苦」であり「不安定」なものである、それを前提として、そこから出発すればいいと思います。
139: 美魔女 2017/02/13(月) 05:36:03.04 0.net
>>34
正解ですよ♪
39: 考える名無しさん 2016/12/14(水) 01:23:19.84 0.net
私に足りないのは経験、そうなんですよね。
成功も失敗もするからこそ考えるという風になるんだと思います。
しかし、現状では行動を起こす前に失敗の方に目を向けてしまう。
失敗=恥。避けるべきもの。
こういう考えに支配され切っているようにも感じます。


人は自ずから変わっていくのでしょうか、それとも外からの影響を受けて変わっていくのでしょうか…。
その両方かもしれませんが、私は外からの影響を拒絶し続けているのかもしれませんね。。。
40: 1です 2016/12/14(水) 01:23:53.84 0.net
>>39は私です。
41: 考える名無しさん 2016/12/14(水) 01:34:52.76 0.net
この前、双子の幼児がプールにいて、一人の幼児がプールに楽しそうに躊躇なくざばーんっと飛び込んで、もう一人の幼児はプールサイドで恐る恐る覗き込んでるビデオを見た

ザバーンの子は色んな怪我するだろうけど、その分学習して賢くなるだろうな
プールサイドの子は失敗の経験数が足りたくて学習量がもう一人と比較して少ないだろうな
そんなことを思った

わたしは歩ける、と理解してから歩き始める赤ちゃんはおらんね
45: 1です 2016/12/14(水) 19:28:09.33 O.net
『歩ける』と知ってから歩き出す赤ん坊はいない

歳を取るにつれて、どれができて、どれが出来ないのか、わかっていなければならないと思ってしまうのは私だけでしょうか…。

私は何のために生きているのでしょうか
なぜ生きているのでしょうか

なぜ人生を終える方法があることを知っていながらそうしないのでしょうか
そんなことばかり考えます…。
47: 考える名無しさん 2016/12/14(水) 23:55:52.79 0.net
>>1
存在の認識ってのは、知覚から始まって理性で存在を認めることによる。
では、アメリカに行ったことがない人でもアメリカは存在すると思っているのはどういうことか?
それは人間の認識というものは社会的なものでもあるからだ。

また、いままで経験したことのない未来の設計図を描けるのも、人間の高度な意識の力(抽象化、概念化…)によるもの。
53: 考える名無しさん 2016/12/15(木) 15:16:41.34 O.net
人のことが信用できない
自分にとって役に立つか立たないか、という判断基準がどうしても入ってしまう。


例えば家族、ソリが合わないし、邪魔に感じることもしばしば
しかし、まだ一緒に住んでいるのは利用価値があるから。
飯が出てくる、ほっといても服がきれいになる、金銭的に楽など
特に飯や洗濯など目に見えて役に立つことをする母親よりも、リタイアしてる父親の方が利用価値が低く、邪魔に感じる。

親子の関係とはなんなのだろうか?
57: 考える名無しさん 2016/12/15(木) 23:55:54.07 0.net
>>53
いちおうというか、とりあえずというか、客観的実在がどうあるかという話と、個人的な価値判断とは別次元の問題だと考えてみれば?
本当は関連しあってるんだけどさ、それはまた後で考えることにして
54: 考える名無しさん 2016/12/15(木) 23:33:36.37 0.net
>>1
それらが本当にあるのか、いるのか、信じきれないのは当然。
認識には発展段階があるから。
客観的実在に対する人間の認識は段階的に発展し深まっていくものだから、途中で曖昧さや誤謬や懐疑があるのは当然。
61: 考える名無しさん 2016/12/16(金) 00:33:27.59 0.net
生きることに意味なんか無いんだよ
ただ、むなしいだけさ・・・

心に風がヒューヒュー過ぎて行く
むなしさ
生きることに
嫌んなるぅ世界
生きていたくは無い
この、心の、むなしさ
66: 考える名無しさん 2016/12/16(金) 22:23:40.91 O.net
心を入れ換えるにはどうしたらいいですか?
具体的には怠惰な自分に決別して働き者の心を手に入れたいです。

自分を律することがまるで出来ないのです
67: 考える名無しさん 2016/12/16(金) 22:28:03.43 0.net
>>66
自分を律するように出来てから来てください

因みに哲学者の99%は所謂ニートや金持ちのボンボンで働き者とは対極にある人たちです
嘘ではなく事実ですよ
試しにウィキペディアで哲学者を調べてみてください
親の仕送りや財産で生計を立ててる人ばかりですから
72: 考える名無しさん 2016/12/17(土) 07:41:27.46 0.net
>>66
先ずは生活を変えましょう。
基本的に意識は存在に規定されます。
一人暮らしでもすればアパート代を稼ぐとか汚れた食器を洗うとか、イヤでもしなければならなくなります
73: 考える名無しさん 2016/12/17(土) 09:43:44.54 0.net
一人暮らしは良いかも知れませんね。
大抵、真理を求める修行者の物語というのは一人暮らしや一人旅という設定ですし、誇りある自己を確立するための要素として無頼や自由は付き物です。

それに一人暮らしなら出掛けている間にオカンが勝手に部屋に入って掃除をして、隠しているAVやデラべっぴんが見つかり、家族会議が開かれるといったリスクもありません。


やはり共同生活というコミュニティは組織である関係から、何か材料を見つけては相手より序列上の優位に立とうという目論見がありますからね。
まず、隠しているエロ本などが弱みとして狙われるのが常なのです。
(動物的センチメンタリズム、ホモサピエンスのマウンティング行動)

そしてあなたは家族の前で「この胸が大きい子の見開きページがくっついていた」だの、「この箇所でビデオが停止されていただの」プライベートな問題を根掘り葉掘り追及され、ようやくハイハイから立ち上がろうとしていた己の自己を踏みつぶされ、へし折られ、萎縮させられてしまうわけです。

もっともそれも何れジェダイへ至るための試練なのかも知れませんが、本当に必要なカリキュラムなのかと言われると私には疑問です。
74: 考える名無しさん 2016/12/18(日) 11:25:08.73 O.net
立場が人を作る
ということでしょうか…。

つい働かずに暮らすことを望んでしまい自己嫌悪になります。
75: 考える名無しさん 2016/12/18(日) 16:45:34.77 0.net
そんなの働いてる人間も同じ
みんな働きたくねーんだよ


働かなくて食っていけそうなの?
どーなの?

それが問題の本質
101: 考える名無しさん 2016/12/20(火) 11:20:39.25 0.net
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン哲学とは、水に浮くことの出来ない者が溺れまいとして必死にあがいているようなもの――
といったのはウィトゲンシュタインだったかな?
102: 考える名無しさん 2016/12/20(火) 20:55:53.39 O.net
世界には必要のないものもあるのでしょうか?

「この世界に必要のない人はいない」というようなことを言う人もいます。
もしこれが本当なら私も世界に必要だということになりますが、私には自分という存在が世界に必要だとは全く思えません…。

存在する=必要とは限らないのでしょうか?
106: 考える名無しさん 2016/12/20(火) 23:28:07.46 0.net
自分が気にしなけりゃいいってことは、独り言いってるのと変わんないね
会話にならないもの

これはもぉ…重症ですね。笑
人生に一度くらいは、こんなふうに思い悩む時期は誰しもあるものですが、あまりこじらせすぎないように気をつけたいところです。

で、まぁこの»1さんはニートだということで、通常よりは他人との関わりあいが少なそうです。
失敗することを恐れていて、このままではいけないという焦りはあるのですが、さりとて社会に出ていく気合が持てないでいるんですねぇ。

失敗することを極端に恐れるひとは確かにけっこういますけど、しかしよくよく考えると、人生で失って困るものなど実はほとんどない、ということにやがては気づくはずです。
管理人はね、この記事をご覧のお若い方にゼヒとも言いたいですよ、「君、失敗を恐れることなかれ」と。

なんにせよ、»1さんは頭の中で一生懸命あがき続けているわけで、そのうちなにか答えが出ると良いんですけども。

時の癒やし
トップ絵は、もう何回か出してるスペインの写真家ユーヘニオ・リキュエンコさんの「時の癒やし」という作品。
このひとの作品はいつも、ファンタジーと妄想がないまぜになったシュールなのが多いですが、これはわりかし普通のやつですね。でも良い写真です。
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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.13 21:43
    あれ?離人症性障害って言っちゃいけない流れ?
    哲学的に解釈しないといけないのかな?
    俺空気読めてない?
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.13 21:43
    経験って過大評価されてる気がする。
    騙される人って何回騙されても、やっぱりまた騙されるものだと思う。
    経験しないほうがいいものだってたくさんありそう。
    ゲームの経験値のようなものでは絶対にないだろうな。
    • ※3 :
    • 2017.6.13 21:59
    ニートという状況下のせいで現実的認識が出来なくなっているだけだから、余り考えないでその状況下から脱出する事を第一優先にした方が良い。有る程度才能が有ったり、勉学を積んだ人がそういう状況下で深いエリアまで熟考に熟考を重ねると何か新しい境地に達する事も有るけど、なんにも無い人がその状況下で熟考してもどっかしら壊れるだけだから。後で公正した時、何やってたんだ自分、てなるだけだよ。人によって壊れる部分は様々で君の場合現実的認識が出来なくなる、幻想的なまでの猜疑心が生まれてしまっている。
    自分の事だから特別なものに感じるかも知れないけど、寒い中半袖でいたら風邪引いた、と同じ位単純な構造の問題、原因だから本当考えるのやめてその生活から脱出しな。まともな状態、状況下になってまだ考えたければ考えれば良い。
    • ※4 : かに
    • 2017.6.13 22:06
    失敗し続けたのちのニートです
    失敗怖くないって言われても実際にやってみてできないことばかりが露見して
    対処しきれなくなって動けなくなりました

    ただ言えることは生きるテーマみたいなのがないってことで
    仕事にも身が入らず続ける意味を持たせることができないということです
    いつ死んでもいいように生きてる感じで

    とりあえずネットで毎日ヒントを探して何かに引っかかってうまくいけば幸い
    みたいなそんな毎日です
    • ※5 :
    • 2017.6.13 23:35
    >>かにさん
    何故失敗するのか?の検証が必要。
    病院行ってもなんとかならない人って生活、環境、失敗経験による行動の自己制限、など様々な要因が重なってしまっているから最低限の状態まで回復、抑制出来ない事が多い。
    医者もアドバイスは出来るけど、生活の中まで入ってお金の面から生活の面倒からなにからは見れないからね。介護と呼べるレベルのケアが必要な人も少なくない。
    特別な稀な病気っていうのは確かに有るけど、殆どの病気に最低限の
    対処法、治療法が存在する。自己流で私の場合は、俺の場合は、とやってしまうとどんどん自分の中の価値観だけでの判断になってしまう。あまりにも煮詰めてしまうと、もう、医者にも誰にも理解出来ない領域に達してしまう。とにかく君は全く特別では無いし、普通に医療系の学会に理解されている精神状態に有る。細かい部分は自分で調整しても良いが、理解有る医者を探して指示を仰いだらどうか?
    とっくの昔に医者に解かれている問題を自己流で解こうとしている状態はかなり勿体無い状態だ。何故そうなってしまうのか?上手く行かない複数の要因をきちんと認識し、信用の置ける医者に話して見たらどうか?個人的には内科の病気で理由が分からず、7件回ってようやく病気の原因が分かり治癒出来た事が有る。医者によって得手不得手、得意な領域などが異なるので、きちんと自分の症状を把握して定評の有る病院に行って嘘偽りなく全てを医者に話す事をお勧めする。
    哲学的というより、精神障害的な問題にしか見えない。
    • ※6 : a
    • 2017.6.14 5:22
    僕は哲学したいんだという人に
    病院行ったら?とアドバイスする人
    0から1になりたい人に
    マイナスから0になるためのアドバイスをする人
    どちらも優しさなんだろうね、きっと
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.14 8:06
    偉そうに説教しだす人を釣ろうとしてるだけに見えるけどな……
    どうも本物のニートには見えない。
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.14 13:19
    昔そんなアニメが有ったなぁ
    今居る日本は本当は宇宙船の中に在って、国民全部がでかいコンピューターに騙されてるみないなの
    マトリクスの現実版みないな感じのやつね
    • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.14 15:14
    エーレクトロワールド
    地面がーふるーえてー砕けたー
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.14 16:25
    なんだっけ”目に見えるものしか信じない、だがそこに見えるものはあなたの心にある。”だったかな。
    誰かの小説だけどな。
    • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.14 18:07
    すべては中途半端な懐疑主義から生まれた誤解でしかない。

    まず、自分が感じる世界の実在性を疑うとする。
    「自分から見えるすべてのものは信じられない」
    ここで重要なのは、何かを「疑う」ためには、必ず何かを「信じる」事が前提になっている。
    たとえば「我思う」と考えて、そこから自我の実在性を証明したと考えよう。この時、無意識に「自我」というものに同一性を担保している。つまり、この疑惑には「時間」という概念を信じる事によって成立する(自分が瞬間で同一性を失っていると考えてみよ)。

    そもそも、自分から見える世界に疑惑を持つ事に意味があるのであろうか? もちろん意味はある。世界は目に見えるものの事実の総体ではない。世界の見方にはあらゆる方法がある。たとえば目の前にあるあじさいは何故「赤紫」に見えるのだろうか? これは緑色の光を吸収して青色と赤色の光を反射しているからである。当然可視光線以外で見れば違ったものに見える。
    この様に世界の見え方についていろいろな知識を得るとしよう。それはとても有益である。だが、いつまでたってもそれは「自分が知り得る世界の事実」でしかない。
    自分の外側の世界を想像しても、それはいつまで経っても自分が知りうる世界でしかない。
    つまり、世界とは自分の限界であると考えられる。この様に考えるのであれば、いわゆる独我論にいきつく事になるであろう。独我論は徹底する事により実在論になる。なぜならば、自分の外側を考える事が不可能であるからだ。
    すべてはあるがままに実在していると考える他ない。

    さて、「幸せ」と「不幸」についてだが、これらは世界で起こる事実とは無関係である。「生きる事は苦痛だ」と言った場合、自分が感じている世界が苦痛である。という意味以上持つものではない(ただしそれは世界の真実となる)。
    ある程度の裕福さが人には必要だが、その裕福さは思われているほど高くはない。幸福度に関しては心理学でちゃんと統計があり、相対的な感情によって起きる事が知られている。
    世界と幸福に直接の関係性はない。幸福な生とはあくまでも、そう生きる事によって得られる感覚でしかない。
    ウィトゲンシュタインの草稿の中で、「幸福に生きよ!」は命令形で書かれている。
    • ※12 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.16 0:04
    「自分が認識するかどうかに関わらず物事は存在するのか」ってのは、ニートとか思春期とか経験とは関係なしに哲学上の問題だね

    寝てる間にも世界はあるのか、外出中も部屋はあるのか、と問われても「あるに決まってる」と言うだろうけど、それを証明するとなると厳しい
    証明は極めて難しいのに、寝てる間も世界は存在することや外出中も部屋が存在することは何故か確信している。そうした確信はいかにして成立するのか

    こういうことを考えるのは楽しいよ
    • ※13 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.16 3:15
    一切唯心造と色即是空
    絶対に確定していることなどない。全ての物事はただ心が造り出している。
    自分の存在すら(仮) 詳しくはwikiや本読んで。
    哲学だと以上で締め括られちゃうけど、
    仏教的には、そこからどうすればいいのだろうねー。

    失敗を繰り返したりするのなら、失敗しないレベルまで引き下げて
    自分の立ち位置を修正して、それに納得すると少し楽よね。
    10分の運動もできない人がフルマラソンできないでしょ。
    肉体的な事なら成人すればある程度できるようになるけど、
    社会的な事は、ただ生きているだけでは訓練されないから。
    僕の文章力は小学生並だけど、その辺から気を付けて進めば中学生程度にはなれるのよ。
    • ※14 :
    • 2017.6.16 19:40
    酷いことを言って申し訳なく思います
    拗ねてました
    • ※15 : 通りすがり
    • 2017.6.17 23:52
    AがBを証明するために必要であるならば、Aの証明がまず必要。従って人が何かを存在するとするならば、人は自身を証明しなくてはならない。  
    しかし数学で変数が一つ有っても何も証明できないように、人は自分という最小単位で自分自身を証明することは出来ない。式の変数の全てが不明である時、等式は解けないから、理論的にはあらゆる事柄についての証明は究極的には出来ない。  
      
    統計の基礎を勉強しても同じ答えになる。うろ覚えだけど中心極限定理では標準誤差が最も重要な値で、サンプル全体がたまたま標準的でない変わり者揃いである確率を表す。サンプル数をどれだけ増やしても標準誤差はゼロにはならない。従って全人類の観測そのものが宇宙の例外的姿を観測している可能性もゼロではない。  

    人間に出来るのは記録を出来る限り正確にとって、そこから対象を出来る限り正確に捉えようとする努力だけ。それ以上は人知では辿りつけない。
    • ※16 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.18 1:31
    リングの鈴木工事を読んだらいいんじゃないですかね
    ループの終わり方とおなじなのかも
    それか夢を見続けるか
    知覚を疑い出したら何も信用出来ない
    死ぬ事すら信用出来ない
    試して見るのが1番です
    • ※17 : ななし
    • 2017.6.19 18:44
    そのことについて詳しく知っているが私は答えないただ言える子
    • ※18 : ななし
    • 2017.6.19 18:51
    左右されないこと、子供と接する仕事するといいよ。野菜作ったり料理したりすると良いでしょう。楽しく生活しましょう。
    • ※19 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.9.4 23:07
    疑問が出てきた瞬間に、その疑問についての疑問を抱く。
    スマートな否定の否定ができていない。 トートロジーな仮定の上に成り立っている。
    だからと言って、スラングやタームを覚えたとしても、意味の連鎖が冗長しただけで認識が覆っていない。
    楽しくない。
    我々は楽しめない性質なのだから、より悲しまなくて済むように、精神を引きずるしかない。
    この疑問が晴れなくても、飢えないし凍えない。
    でも、疑問を解消したいという意思さえあれば、すこしは味が付くかなと思う。
    罵倒語を集めよう。 悲観する語句を集めると、すこし、広がった気になる。
    情けない、忍びない、世知辛い、貧しい、乏しい、うろたえる、おこがましい、不憫、憂う。
    それを自分の情緒に照らすことで、明るくなるかもしれない。
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