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陰に隠れがちな世界史上の人・国・出来事 @ [世界史板]


陰に隠れがちな世界史上の人・国・出来事 @ [世界史板]
1: 世界@名無史さん 2012/03/26 22:35:00
・マウリヤ朝に対してマウリヤ朝の版図に入らなかったインド南部
・アテネ、スパルタに対してテーバイ
・クレオパトラ7世に対してクレオパトラ1~6世
・西ヨーロッパを荒らしたほうのバイキングに対してビザンツ帝国までいったほうのバイキング
・バグダードに対するサーマッラー
・元に対して北元
・キリスト教に対してマニ教
・国共内戦に対して、国民党と共産党がともにソ連の影響下で成立したこと

のように、あのメジャーなものの陰に隠れて微妙に知名度が低い世界史上の事柄について語りましょう。
2: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/03/26 23:19:38
ベヌスティアーノ・カランサ アルバロ・オブレゴン パッと思いついたのがメキシコ革命のベヌスティアーノ・カランサ及びアルバロ・オブレゴンだなぁ。
一応、彼らのほうが勝者のはずなのに、エミリアーノ・サパタやパンチョ・ビリャに比べると、知名度が圧倒的に低い。
最終的にメキシコ革命による国家体制を決めたラサロ・カルデナスも、日本だと知名度がいまひとつだけど、彼は活躍した時期がだいぶ後期だったから仕方ないかな。
メキシコ革命 (Wikipedia) メキシコ革命 メキシコ革命(メキシコかくめい、Revolución Mexicana)はラテンアメリカで最初の社会革命であり、メキシコのその政治体制を決定づける事件であった。1910年にはじまり、国内を二分する激しい戦いが断続的に10年以上続いた。
(中略)
最終的な勝者となったオブレゴンは1920年6月大統領選に立候補し、当選する。この間、オブレゴンはビリャ派・サパタ派の残党と最終的な和平協定を結び、両派はついに武器を置く。だが、フランシスコ・ビリャは1923年7月23日、秘書と護衛をのせた車を自ら運転中、何者からか銃撃を受け射殺された。
3: 世界@名無史さん 2012/03/27 00:06:18
ジュゼッペ・ガリバルディ ガリバルディ
イタリア統一を決定的にするシチリア王国撃破と潔い引き際は評価されるべき
イタリア統一運動 (Wikipedia) 1843年時点のイタリア。 イタリア統一運動(イタリアとういつうんどう)は、19世紀に起こったイタリア統一を目的とした政治的・社会的運動である。イタリア語でリソルジメント(Risorgimento)と呼ばれ、日本語でもそのまま用いられる。
(中略)
1861年にはイタリア王国が建国され、統一は一応の成立を見る。1866年にはヴェネツィア、1870年にローマなどの教皇領の残りを併合し、半島の統一は終了するが、イタリア人(イタリア系の文化を持つ者)が住む土地全てを統一の対象としたこの運動において、未回収地の併合はその後も政治課題として残った(イレデンタ回収主義[3])。最終的に未回収のイタリアがイタリア王国に統合されるのは、第一次世界大戦におけるイタリアの戦勝の後であった。
5: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/03/27 00:15:40
>>3
そもそもガリバルディってマイナーかな?リソルジメントの中じゃ結構有名なほうだと思うんだけど。
ジュゼッペ・マッツィーニ むしろマッツィーニなんかのほうがガリバルディやカヴールの影に隠れててマイナーな気がする。
7: 世界@名無史さん 2012/03/27 00:29:20
>>5
ガリバルディもマッツィーニもリソルジメントに関しては同じくらい有名だと思う。
陰に隠れているのは、ガリバルディのラテンアメリカでの軍歴とマッツィーニが晩年に社会主義のアンチに転じたこと。
8: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/03/27 00:42:12
>>7
僕は学校でガリバルディの名前は教えられたけどマッツィーニは全く触れられなかったので、まだガリバルディのほうが知名度は上かなと思ってた。マッツィーニもそれなりに有名だけど。

確かにガリバルディがラテンアメリカの大戦争に参戦したことはあまり知られてないね。
コロラド党側についてアルゼンチンでのロサス独裁を打倒しようとしてたんだけどね。
マッツィーニも確か晩年には社会主義者と対立し、パリ・コミューンを批判したりするんだっけ。
リソルジメントにおける知名度が高いので、ここら辺のことは確かに陰に隠れてるね。
管理人より:ガリバルディのトリビアをひとつ。
アメリカ南北戦争の時、北軍の司令官として、当初ガリバルディが予定されてたそうです。ガリバルディは「最高司令官なら」という条件で受けようとしたけど、合衆国憲章により、軍の最高司令官には大統領しかなれないため、条件が折り合わず実現しなかった…んだそうです。

Wikipediaの記述とちょっと違うのでほんとかどうかは知りません。
4: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/03/27 00:13:36
ガイウス・ユリウス・カエサル グナエウス・ポンペイウス モーツァルトなしでもサリエリの知名度は低かったでしょうが、カエサルがいなければポンペイウスは名将としてもう少し知られていたのでは。

曹操 曹丕 曹植ばかり有名ですが、曹操・曹丕の文才もかなりのもの。

鳩摩羅什 玄奘三蔵 鳩摩羅什の旧訳だと観世音菩薩なのが、玄奘の新訳だと観自在菩薩。
今では、伝玄奘訳『般若心経』ぐらいでしか知られておりませんね。
9: !kab 水 ◆TCygujgOWY 2012/03/27 10:09:44
フアン・セバスティアン・エルカーノ デルカーノなんかもマゼランから比べると知名度がすごく低い気がするんだよな。

ディエゴ・デ・アルマグロ あとインカ征服で活躍したアルマグロだな。
ルーケは征服前に死んでしまったからしょうがないけど。
コンキスタドール (Wikipedia) コンキスタドール コンキスタドール (Conquistador) とはスペイン語で「征服者」を意味するが、とくに15世紀から17世紀にかけてのスペインのアメリカ大陸征服者、探検家を指す。
代表的なコンキスタドールとしては、1521年にアステカ王国を侵略したエルナン・コルテス、1533年にインカ帝国を侵略したフランシスコ・ピサロが挙げられる[1]。
10: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/03/27 12:16:21
>>9
ディエゴ・デ・アルマグロはすごい不憫だよなぁ。
せっかくフランシスコ・ピサロと共にインカ帝国を征服したのに、美味しいところはピサロにとられて、自分たちは厳しいチリに行くはめにになった。
まぁ、ピサロもわりと自業自得な最期を迎えてるのがせめてもの救いかな。

エンヴェル・パシャ そう言えばエンヴェル・パシャの中央アジアでの活躍もこのスレの例に当てはまるかな。
彼は青年トルコ革命のほうでばかり有名だからね。
第1次世界大戦後の彼の行動は、ケマル・アタテュルクの陰に隠れてて、あまり目立ってない感じがする。
11: 世界@名無史さん 2012/03/27 12:40:41
ポーランド入れろ
ポーランド (Wikipedia) ポーランド ポーランド共和国(ポーランドきょうわこく、ポーランド語: Rzeczpospolita Polska)、通称ポーランドまたはレヒア(en:Lechia)は、中央ヨーロッパに位置する共和制国家。
(中略)
10世紀に国家として認知され、14世紀から17世紀にかけては大王国を形成した。その後衰退し、18世紀には3度にわたり国土が隣国に分割されて消滅した。第一次世界大戦後の1918年に独立したが、第二次世界大戦ではナチス・ドイツとソ連の侵略を受けて再び国土が分割された。戦後の1952年に人民共和国として国家主権を復活、1989年に民主化を果たして共和国となる。
管理人より:どうでもいいですが、Wikipediaのこの記事は大変充実しており、ポーランド愛の感じられる内容となっています。
12: 世界@名無史さん 2012/03/27 13:11:38
ヤゲヴォ朝連合として欧州の大国だったのにポーランドはなぜか地味だよな。
イヴァン雷帝の没後混乱するロシアに戦争吹っかけたりしたしな。
15: 世界@名無史さん 2012/03/27 23:59:36
ヤン3世 (ポーランド王) >>11
第二次ウィーン包囲では、ポーランド・リトアニア共和国のヤン3世の戦術眼にもとづき攻撃開始、精鋭フサリアの中央突破でオスマンを瞬殺した。世界史板じゃだいぶ有名になってきてるのが救い。
管理人より:フサリア→ポーランド軽騎兵のこと。「装飾騎兵」とも。勇猛で知られ、第一次世界大戦前くらいまでは大活躍した…はず。
16: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/03/28 00:34:08
>>15
確かに世界史板ではポーランドはだいぶ有名になってきたけど、個人的にはそのポーランドの陰に隠れてリトアニアの存在感が薄くなってる気がする。
リトアニア大公国が東欧では結構大国だったことはもっと知られても良いように思う。
しかも、キリスト教徒を多く内包してたとは言え、結構長い間異教の信仰も保持されてた。
中世ヨーロッパにおいて異教を信仰しながらも大国を築いてた辺り、独特で面白いと思う。
リトアニア (Wikipedia) リトアニア リトアニア共和国(リトアニアきょうわこく、リトアニア語: Lietuvos Respublika)、通称リトアニア(リトアニア語: Lietuva)は、ヨーロッパ北東部の共和制国家である。
(中略)
13世紀以降リトアニアは大公国として認知され、16世紀半ばからはポーランド王国と合同し、その黄金時代を現出した。しかし、実現はしたものの結局は撤退に終わったモスクワ占領を経て、17世紀半ばの大洪水時代を契機に国家は衰退し、18世紀には3度にわたり国土が隣国に分割されて国家は消滅、現在のリトアニアにあたる地域の多くはロシア帝国の領土となった。
13: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/03/27 15:50:30
>>12
確かにヤギェウォ朝及び共和国時代のポーランド・リトアニアはマイナーだね。
同時代の他のヨーロッパの出来事の陰に隠れて目立ってない感じがする。
でも、さらに言えばリトアニアがその中でもよりマイナーかなぁという気がする。
ポーランドの強大さばかりが強調されてるせいで、ポーランドと連合になる前の、リトアニアがそれなりに広大な領土を持ってたのはあまり知られてないからね。
17: 世界@名無史さん 2012/03/28 00:55:57
リトアニアって「最後の異教国」と日本語で紹介されている文章を見ることが
よくあるけど、この「異教」という言い方にいつも違和感を感じる。


「異教」ってキリスト教やイスラム教から見れば、改宗前の宗教は「異教」となるのだろうが、それぞれ個別だった筈の宗教を「異教」とひとからげに表現するのはなんとかならないものだろうか。
現在のキリスト教徒が、改宗前の時代を「異教」と呼ぶのはまあわからないでもないが、大多数がキリスト教徒ではない日本人が「異教」の用語を使うのはなんか違和感がある。
18: 世界@名無史さん 2012/03/28 01:09:28
>>16
うーん、ドイツ騎士団との抗争以外、世界史のメインストリートから逸れてるからねぇ・・・
モンゴル弱体後のベラルーシ・ウクライナの包摂とか、当該地方にとっては大事な歴史だけど・・・
異教の件は、十字架に太陽神の象徴が痕跡として残ってるらしいね。関連遺跡が世界遺産になってるとか。
20: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/03/28 09:08:34
>>17
確かに言いたいことは分かるんだけど、異教と言った方が分かりやすいからね。
まぁ、あえて言うならロムヴァという呼称があるんだけどね。そっちで言うべきかな。

>>18
確かにそうなんだよね。そもそも東欧史自体、世界史のメインストリートじゃないので、どうしてもマイナーになりがちなんだよなぁ。
異教信仰の痕跡は今でも残ってて面白いのに。
22: 世界@名無史さん 2012/03/28 20:08:28
>リトアニアって

バルト三国が独立したときのTVニュースを姉とみていたとき姉の感想に違和感があったので
「リトアニアはTVの試験放送が日本よりはやいんだよ」って言ったら姉の反応に益益違和感が増大した…

どんなイメージなんだよ>リトアニア
73: 世界@名無史さん 2013/03/09 01:16:27
高校の世界史の教科書や資料集では、ポーランド・リトアニア共和国やその立憲政治、共和政ローマに酷似した政体や階級構成、そして世界初の立憲君主制民主成文憲法が全く出てこない。
どうなってんの?


やっぱり強者の歴史なのね。
ただしポーランド・リトアニア共和国の場合は膨大な一次資料があるから勝者でも歴史の真実は変えられない。
76: 世界@名無史さん 2013/10/03 21:19:14
>>73
膨大な一次資料があるから都合のいい部分だけを恣意的に選んで勝者の歴史を書けるんだと思うよ
23: 世界@名無史さん 2012/03/29 02:04:28
ヨーロッパ史だとデンマークも不遇だな
かってはイングランドも征服して「北海帝国」を築いて悦に入ってたのに
近代史以降ではイングランドはおろか、かっての支配地、属国のスウェーデンより影が薄い。
東欧だとブルガリアか
バルカン半島に二度も大帝国を築いたのに、なんかビザンツ帝国、モンゴル帝国、オスマン・トルコ帝国のかませ犬程度にしか知られてない。
アジア史だとチャンパ王国
インドシナ半島に、クメール朝や中国歴代王朝と戦って1500年にわたり栄えたにもかかわらず、現代では言語も宗教も文化も異なるベトナムの歴史の一部に組み込まれてしまっている。
デンマーク (Wikipedia) デンマーク デンマーク(デンマーク語: Danmark, 発音 [ˈdænmɑɡ̊] ( 聞く))は、北ヨーロッパのバルト海と北海に挟まれたユトランド半島と、その周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家である。
(中略)
11世紀初頭の30年間にはカヌート大王がデンマークとイングランドを支配した(北海帝国)。14世紀後半にはマルグレーテ1世の手により、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを支配下にしたカルマル同盟を築き大国として存在した。
ブルガリア (Wikipedia) ブルガリア ブルガリア共和国(ブルガリアきょうわこく)、通称ブルガリアは、東ヨーロッパの共和制国家である。
(中略)
スラヴ人を支配下に置き、680年頃東ローマ帝国に支配を認めさせて、ブルガリア(ブルガール人の国)を建国した(第一次ブルガリア帝国)。ブルガール人はスラヴ人より人数が圧倒的に少なかったために10世紀までにスラヴ人と混血・同化し、現在のブルガリア人が形作られた。
管理人より:バルカン半島はギリシャの上、トランシルヴァニアの下…と言えばいいんでしょうか。エーゲ海に囲まれた半島。
チャンパ王国 (Wikipedia) チャンパ王国 チャンパ王国(ベトナム語:Chăm Pa, 192年 - 1832年)は、ベトナム中部沿海地方(北中部及び南中部を合わせた地域)に存在したオーストロネシア語族を中心とする王国。その主要住民の「古チャム人」は今日のベトナム中部南端に住むチャム族の直接の祖先とされる。中国では唐代まで林邑と呼び、一時環王国と自称したが、宋代以降は占城と呼んだ。
27: 世界@名無史さん 2012/04/03 20:38:30
ユゼフ・ポニャトフスキ ユーゼフポニャトフスキー元帥
管理人より:なんか書こうよ!仕方ないのでWikipediaから略歴抜粋。
ユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ(波: Józef Antoni Poniatowski, 1763年5月7日 - 1813年10月19日)は、ポーランド・リトアニア共和国の貴族、オーストリア軍の将校、およびナポレオン1世の下でも将軍として活躍して1813年にフランス帝国の元帥となった軍人である。
32: 世界@名無史さん 2012/04/14 00:37:26
メソポタミア文明の辺境地に位置し、2000年間に渡りメソポタミアの諸王朝と争ったエラム人たち。

時代がはるかに下ってペルシア帝国草創期にも、先進地域の住民として、ペルシア帝国を支える内政官僚として登用された。
エラム語だって、城塞文書や宝蔵文書のように、帝国の公用語として使用されたのだが、彼らは、ペルシア帝国末期にはなぜか影が薄くなっている。

個人的には、アラム系の連中に役割を奪われたのではないか?と推測している。
アラム語が帝国の公用語となってから、アラム人の活動が広がり、彼らに重責を奪われたのでは?と勝手に推測している。
33: 世界@名無史さん 2012/04/14 01:14:16
>>32
エラム語ってインドのドラヴィダ語系との関連が議論されるけど、どうなんかね
もし正解なら、イラン東部にまで散在していたろうから、消失してしまうのも不思議な話なんだけどね
よほどアケメネス朝の統治がうまくいってて、エラム系がイラン系に溶融したと考えるべきなのか・・・
エラム (Wikipedia) エラム エラム(Elam)は古代オリエントで栄えた国家、または地方の名。紀元前3200年頃から紀元前539年までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。
(中略)
言語
  • エラム語の言語系統はわかっていない。
  • 紀元前3000年頃からアケメネス朝の時代まで行政語などとしてエラム語も使用され続けた。
  • 原エラム時代の言語と、その後のエラム語に直接繋がりがあるかどうかについては完全には証明されていない。
35: 世界@名無史さん 2012/08/06 17:09:03
北極で闘ったドイツ陸軍
フビライ没後のモンゴル帝国のその後
ダゴベルト1世 ダゴベルト1世以降のメロヴィング諸王とヴェルダン条約以降のカロリング諸王
管理人より:中世初期のヨーロッパ史は資料があまり豊富でないとか聞きますね。
ヴェルダン条約とは、フランク王国が3分割された条約のこと。(843年)
40: 世界@名無史さん 2012/08/07 23:20:17
五賢帝だとアウレリウス・ピウス
五賢帝 (Wikipedia) 五賢帝 五賢帝(ごけんてい)は、1世紀末から2世紀後期に在位したローマ帝国の5人の皇帝、またその在位した時代のこと。しばしばネルウァ=アントニヌス朝、ネルウァ・トラヤヌス・アントニヌス朝(英語:Nerva–Antonine dynasty)とも称される(この場合はルキウス・ウェルス、コンモドゥスも歴代皇帝に含まれる)。ローマ帝国始まって以来の平和であった、パックス・ロマーナと呼ばれる時代の一角をなす。
41: 世界@名無史さん 2012/08/07 23:22:09
アントニヌス・ピウス アントニヌス・ピウスだ(・ω・`)
死にたい
43: 世界@名無史さん 2012/08/08 17:40:59
ルキウス・ウェルス 五賢帝時代で影の薄い皇帝と言えば
ルキウス・ヴェルス一択だろ
44: 世界@名無史さん 2012/08/08 20:46:47
>>43
ルキウスの親父の方は、某風呂マンガとその映画化で知名度上がったけどな。
管理人より:マンガ「テルマエ・ロマエ」の主人公、ルシウス・モデストゥスの息子がルキウス・ヴェルスなのかどうかはマンガ読んでないのでわからない…。
テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)
ヤマザキマリ
エンターブレイン
45: 世界@名無史さん 2012/08/08 23:25:38
ネルウァ ネルウァも地味じゃね?
46: 世界@名無史さん 2012/08/15 09:13:47
帝政ローマの皇帝じゃないほうのもうひとりの執政官なんかも、おおむね影が薄い。
たとえばマルクス・ユニウス・シラヌスといわれても誰それ?って感じ。
初代皇帝の同僚ですがな誰それ知らぬす
48: 世界@名無史さん 2012/08/15 10:40:54
>>46
知らぬス
管理人より:帝政ローマ初期執政官一覧
紀元前25年 アウグストゥス IX, マルクス・ユニウス・シラヌス
とあります。顔写真探せず…、悔しい…。
47: 世界@名無史さん 2012/08/15 09:55:32
エカチェリーナ1世 アンナ (ロシア皇帝) エリザヴェータ (ロシア皇帝)
エカチェリーナ2世は有名だが1世の方のエカチェリーナ(ピョートル大帝の妻、農民出身の洗濯女)
アンナ(ピョートル大帝の姪)
エリザヴェータ(ピョートル大帝の娘)

は影薄い。
エリザヴェータは七年戦争とか、嫁(エカチェリーナ2世)との確執で一応出てくるか。
51: 世界@名無史さん 2012/09/29 00:27:04
アメリカ大陸を「発見」したコロンブスは何度も映画化されているのに、
オーストラリア大陸や南極大陸を「発見」した人物は、映画化してもらうどころかろくに名前も知られていない。
52: 世界@名無史さん 2012/09/29 20:58:53
ウィレム・ヤンス クリスファー・コロンブスの知名度の何百万分の一だろうかな。ウィレム・ヤンスって。
やったことは似たようなものなのに、何この扱いの差は。
管理人より:Wikipediaに日本語記事がない…、寂しいでヤンス。ゆえに英語版に貼ってますが、「ウィキペおたく百科事典」というところに一応記事あり。
6.12追記:本スレの方で、
94 :世界@名無史さん:2014/06/11(水) 15:25:10.95 0
まとめスレから来たんだけど、
>>52のウィレム・ヤンスの肖像が別人のような気がする
http://science-2ch.net/a/1640
…というご指摘を受けたわけですが、こちらのサイトを観る限り合ってるように思える。
「Willem Jansz」で画像検索した結果もやっぱ合ってる気がします…。正しい画像があればそっちに差し替えますけどもね。どれが正しいのか、管理人よくわからない。
3.15追記:さらに本スレの方で、
221 :世界@名無史さん:2014/07/29(火) 15:11:40.99 0
»94
オーストラリアを見つけた航海者のウィレム・ヤンスゾーンと、地図作成者のウィレム・ヤンスゾーンがいて、その絵の人物は後者だな。
その「博士ちゃんねる」とかいうまとめスレの管理人が勘違いしてる。 同じオランダ人で生年が近いので間違えられやすい。

一般には地図作成者の方が大陸発見者より有名のようだ。
というわけで調べてみたところそのとーりでした。本スレ221さんどうもありがとう、やっと意味がわかりました。
で、オーストラリア大陸を発見したウィレム・ヤンスゾーンさんの肖像画を探したかったのですが、どうも見つかりませんねぇ。
地図作成者の方は「ウィレム・ブラウ」とか「ウィレム・ヤンスゾーン・ブラウ」とか呼んで区別するようです。→英語版の記事
53: 世界@名無史さん 2012/09/29 21:14:04
ヤン・ファン・リーベック ケープにヨーロッパ人で初めて上陸したヤン・ファン・リーベックもほとんど知られていない
長崎の出島にも来てるのに
管理人より:ケープ→アフリカ大陸最南端の岬「喜望峰」のことですね。
56: 世界@名無史さん 2012/09/30 10:40:27
>>53 >>54
たぶんオランダの探検家たちは、自分の功績をことさらに誇ることがない堅実なサラリーマンだったんだろうな。
自分の発見を喧伝するためなら手段を選ばない強欲コロンブスの方が歴史に残るってのは、悲しい現実だな。
58: 世界@名無史さん 2012/09/30 18:19:15
>>56
オランダ人たちが東インド会社のサラリーマンなのに対してコロンブスは山師の探検家だからね
54: 世界@名無史さん 2012/09/29 23:25:29
ベートーヴェン ヨハン・ゼバスティアン・バッハ ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル フランツ・ヨーゼフ・ハイドン ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト クリストフ・ヴィリバルト・グルック クロード・ドビュッシー
ベートーヴェンの自室には五枚の肖像画があった。
バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、そしてグルック。
このうちグルッグの知名度が今では低いが、ベートーヴェンの劇的な音楽性はグルッグの影響だと、ドビュッシーなどは分析している。
管理人より:ベートーヴェン→バッハ→ヘンデル→ハイドン→モーツァルト→グルック→ドビュッシー……の順です。なんかドビュッシーってツノゼミみたいな形してますね。
55: 世界@名無史さん 2012/09/30 01:14:04
アントニオ・サリエリ ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ベートーヴェン フランツ・シューベルト フランツ・リスト カール・ツェルニー ヨハン・ネポムク・フンメル ジャコモ・マイアベーア
アントニオ・サリエリも「アマデウス」で酷い事描かれているが
史実はモーツアルトの他にもベートーヴェン、シューベルト、リスト、ツェルニー、フンメル、マイアーベーアを教え育てたエロい人だったのにな
管理人より:サリエリ→モーツアルト→ベートーヴェン→シューベルト→リスト→ツェルニー→フンメル→マイアベーア……の順です。
ちなみに、フンメルのWikipediaの記事はどうも綴りが間違ってるようですね。
×Johan Nepomuk Hummel
○Johann Nepomuk Hummel
「n」はふたつあったッッ!!!!
59: 世界@名無史さん 2012/09/30 23:45:08
>>55
リストは時代が違うだろうと思ったけどwikiにサリエリに師事したと書いてあるな
何歳の時にどういう状態のサリエリから指導されたんだ?
61: 世界@名無史さん 2012/10/03 00:42:59
>>59
少年リストの先生

サリエリは幼い頃に両親を亡くし宮廷音楽長が引き取り父親同然に育てたので生涯、その恩を忘れずに才能のある若い音楽家を見つけると無償で教育し援助したそうな
60: 世界@名無史さん 2012/10/02 22:16:11
>>55
ベートーベンやモーツァルトは伝記やら映画やらいろいろあるけれど、ツェルニーって伝記とか映画とかみないよね・・・。
ピアノやっている人ならだれでも一度はお世話になるのに。
管理人より:ピアノの教則本である「バイエル」を終了したら次は「ツェルニー」というのが流れですね。
62: 世界@名無史さん 2012/10/03 00:49:24
>>60
「カルル・チェルニー―ピアノに囚われた音楽家」という伝記本があるけど入手困難
63: 世界@名無史さん 2012/10/04 23:56:10
>チェルニー
昔、「モーツァルトは子守唄を歌わない」って小説とその漫画化で準主役張ってたな
ベートーヴェンとチェルニーとシューベルトが探偵役でモーツァルトの死因を探るって話
78: 世界@名無史さん 2013/10/06 16:58:43
世界三大海戦のうちトラファルガーのネルソン提督と日本海海戦の東郷司令長官は誰でも知っているが、残りのひとつレパントの海戦で勝者となった提督は知名度が極端に低い。

確かで始まる名前の人。
79: 世界@名無史さん 2013/10/06 20:00:53
>>78
ド・・・ドン・ジョバンニ
80: 世界@名無史さん 2013/10/06 21:22:59
ドン・フアン・デ・アウストリア マジレスすると、ドン・フアン・デ・アウストリア。
カール5世の私生児で、当時のスペイン王フェリペ2世の弟だ。
レパントの海戦 (Wikipedia) レパントの海戦 レパントの海戦(レパントのかいせん)は、1571年10月7日にギリシアのコリント湾口のレパント(Lepanto)沖での、オスマン帝国海軍と、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍による海戦である。
(中略)
1570年にオスマン帝国のスルタンであるセリム2世がキプロス遠征を行い、ヴェネツィア共和国は同年にキプロス防衛のためにカトリック教国の艦隊を結集させようとしたが、スペインが消極的だったため、翌年8月にファマグスタが陥落し、キプロスはオスマン領になる。

ハイ、画像大量で疲れましたが、やっぱり、人の顔がたくさんあると、賑やかでいいなぁ。管理人だけかな。
今まで著名人の顔を貼りたいがために註釈つけてましたが、最近は著名人には小さい画像+Wikipediaへのリンクだけにとどめて、その他専門用語だけ註釈つけるようにしてます。
オチに使った「ドン・ジョバンニ」はモーツァルトのオペラですね。

トップ絵は最後にも出てきた、レパントの海戦。
アンドリース・ファン・イートヴェルト(Andries van Eertvelt)の「レパントの海戦」です。
ベルギーの画家ですが、発音これであってるんだろうか…。Wikipediaの方の絵は作者の名前がないからわからないなぁ。

レパントの海戦は古式ゆかしいガレー船同士、乗り込んでカタをつけるタイプの、最後の海戦としても有名ですね。スペインの無敵艦隊がこれで敗れることとなりましたが、古来、無敵と名のつくものが無敵であったためしなし。
ガンダムのシロッコは誰もが知ってますが、レパントのシロッコ(マホメッド・シャルーク)はあんまり有名でないですね。こちらが元祖だと思うんですが。(元はイタリアに吹く暑い南風のこと)
レパントの海戦についての歴史小説は、以下のがまぁまぁでしたヨ。主にカトリック側のバルバリーゴ提督の視点から描かれています。
レパントの海戦 (新潮文庫)
塩野 七生
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元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1332768900/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.12.8 2:38
    レイフ・エリクソンで、アメリカ大陸発見者、ウィルバーフォースイギリスの奴隷廃止
    こういうテーマだと違うところだと使い古された意見や常識の範囲(世界史の範囲)ばっかでイヤんなる。
    たまに感心するものでも漫画の請け売りとかでとても冷める、いや、これは俺が悪いんだけどさ。 
    その点、こういう専門を謳うところは流石にそういうのがすくなくて楽しいです。
    まぁ、僕のあげたのも結局高校知識なんですけどね(笑)
    • >レイフ・エリクソン&ウィルバーフォース

      おおー知らなかったので調べてみましたけど、いいとこ突いてますねー。
      バイキングはもっと昔からアメリカ大陸まで足を伸ばしてたという説が、かなり現在では有力とか。
      世界史板は博学な人が多いから楽しいですよ!
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