縄文時代と縄文文化について語るスレ @ [日本史板]
- 2018.1.10 21:02
- カテゴリー : 考古学
- [トリビア] . [ミステリー] . [文系考察] . アパッチ族 . イヌイット . インディアン . マタギ . モヒカン族 . モンゴロイド . 囲炉裏 . 土間 . 定住 . 屋根 . 床 . 弥生人 . 洪水 . 海人 . 深鉢式土器 . 混血 . 火焔土器 . 炉 . 稲作 . 竪穴式住居 . 縄文人 . 縄文土器 . 縄文時代 . 藁葺き屋根 . 製鉄 . 貝塚 . 貝殻文円筒土器 . 農耕 . 遺跡 . 高台
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![縄文時代と縄文文化について語るスレ @ [日本史板]](http://science-2ch.net/wp-content/uploads/2018/01/ZlxQueTX.jpg)
1: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 11:52:45.77
縄文時代は、今から約1万6,500年前(紀元前145世紀)から約3,000年前(紀元前10世紀)まで約1万3千年以上続いた。
縄文時代の終わりについては地域差が大きいものの、弥生人の渡来により定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化の登場を契機とする。
しかし、東北北部から北海道では続縄文時代と呼ばれる時代が古墳時代まで続き、縄文的なくらしは東北の山間部では昭和初期まで残っていたのである。
この悠久なる縄文時代や縄文文化について語るスレが日本史板にないというのは奇異な感じがする。
さあ、このスレで語ろうではありませんか。
縄文時代の終わりについては地域差が大きいものの、弥生人の渡来により定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化の登場を契機とする。
しかし、東北北部から北海道では続縄文時代と呼ばれる時代が古墳時代まで続き、縄文的なくらしは東北の山間部では昭和初期まで残っていたのである。
この悠久なる縄文時代や縄文文化について語るスレが日本史板にないというのは奇異な感じがする。
さあ、このスレで語ろうではありませんか。
管理人より:日本史板のまとめだけど、「考古学」カテゴリーでの更新!
2: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 11:57:41.28
田舎の藁葺き屋根の家って、単に竪穴住居をかさ上げしただけだよね。
竪穴住居そのものも、室町時代まで孫zないしたようだし縄文文化の影響はずーっと残っていた。
竪穴住居そのものも、室町時代まで孫zないしたようだし縄文文化の影響はずーっと残っていた。
3: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 12:11:08.42
囲炉裏というのは竪穴式住居の中心にあって家族団らんの場でもありました。
その文化を今も引き継ぐ家は、北日本各地にたくさん残っていますし、今も家を新築するとき、囲炉裏を作る家があります。
その文化を今も引き継ぐ家は、北日本各地にたくさん残っていますし、今も家を新築するとき、囲炉裏を作る家があります。
4: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 12:31:53.14
土間も、縄文時代の竪穴住居の床を何とかして残そうとした試みなんじゃないのかな?
全部を板で敷けば確かに快適になるだろうが、以前の土床生活の忘れたくなかった。
全部を板で敷けば確かに快適になるだろうが、以前の土床生活の忘れたくなかった。
5: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 18:22:03.13
>>2
それは違うぞ。
竪穴式住居は、円形が基本だし、床を掘り下げる、そして壁は無い。
よく知らないで書いてるようにしか見えない。
>>3
竪穴式住居のそれは「炉」であって、囲炉裏と呼ぶのは恣意的です。
繋がってる可能性は否定しないけど。
>>4
土間は基本的に作業場だと思うけど。
それは違うぞ。
竪穴式住居は、円形が基本だし、床を掘り下げる、そして壁は無い。
よく知らないで書いてるようにしか見えない。
>>3
竪穴式住居のそれは「炉」であって、囲炉裏と呼ぶのは恣意的です。
繋がってる可能性は否定しないけど。
>>4
土間は基本的に作業場だと思うけど。
7: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 18:32:31.10
確か、壁がある室町時代の竪穴住居の絵があるという話だが…。
基本は竪穴住居なんだけど、一部に板敷きの壁があって、そのため形は確かに四角くなっているとか。
基本は竪穴住居なんだけど、一部に板敷きの壁があって、そのため形は確かに四角くなっているとか。
6: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 18:30:36.82
>>5
基本は円形だが、巨大竪穴住居だと卵形とか楕円とかになっているだろ。
で、居住性を上げようと板で壁を作ると、確かに住居の形は矩形になるわな。
それに合わせて竪穴住居の要領で屋根を載せたのではと思っている。
土間は作業場とは限らないよ。
昔のオレの家だと、(聞いた話だが)、土間に台所があってそこでなんだかんだいろんなコトをしていた。
その上に板と畳の居間があるって感じ。
土間の延長に居間があるという雰囲気。
基本は円形だが、巨大竪穴住居だと卵形とか楕円とかになっているだろ。
で、居住性を上げようと板で壁を作ると、確かに住居の形は矩形になるわな。
それに合わせて竪穴住居の要領で屋根を載せたのではと思っている。
土間は作業場とは限らないよ。
昔のオレの家だと、(聞いた話だが)、土間に台所があってそこでなんだかんだいろんなコトをしていた。
その上に板と畳の居間があるって感じ。
土間の延長に居間があるという雰囲気。
8: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 19:19:13.61
>>6
大きくなると楕円になるのはその通り。
でも掘り下げるのと壁を作る間にはだいぶ隔たりがある気がする。
土間については台所も含めて作業場と書いたんだけど、いろんな事って?
>>7
それはどういう話?
大きくなると楕円になるのはその通り。
でも掘り下げるのと壁を作る間にはだいぶ隔たりがある気がする。
土間については台所も含めて作業場と書いたんだけど、いろんな事って?
>>7
それはどういう話?
10: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 20:24:21.45
>>8
そうだなだからこそオレは、土間こそが普段の生活の大部分を過ごしたトコだと思っている。
今は生活が恵まれていて、TVもあるし金を出せば何でも揃うが、昔はそうじゃない。欲しいモノは作らなきゃならなかった。
だから、昔の農民は作業ばかりしていたんだよ。
土間は玄関であり、作業所であり、台所であった。
土間で採ってきた山菜の下ごしらえをしたり、藁を叩いて柔らかくし、わらじなどの藁製品を作った。
竹を切って竹製品も作った。籠や傘なども作った。
TVもないし、ラジオもないから、土間での作業の合間に色々な会話をした。
洗濯も料理も今みたいに簡単にできる作業じゃなかった。
まあ寒い季節になると、居間での作業もおおくなるけどね。
居間は食事をしたり、寝たりするとこ。応接間でお客さんを応対したが、いずれにせよ特別なトコロ。
そうだなだからこそオレは、土間こそが普段の生活の大部分を過ごしたトコだと思っている。
今は生活が恵まれていて、TVもあるし金を出せば何でも揃うが、昔はそうじゃない。欲しいモノは作らなきゃならなかった。
だから、昔の農民は作業ばかりしていたんだよ。
土間は玄関であり、作業所であり、台所であった。
土間で採ってきた山菜の下ごしらえをしたり、藁を叩いて柔らかくし、わらじなどの藁製品を作った。
竹を切って竹製品も作った。籠や傘なども作った。
TVもないし、ラジオもないから、土間での作業の合間に色々な会話をした。
洗濯も料理も今みたいに簡単にできる作業じゃなかった。
まあ寒い季節になると、居間での作業もおおくなるけどね。
居間は食事をしたり、寝たりするとこ。応接間でお客さんを応対したが、いずれにせよ特別なトコロ。
9: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 19:26:43.02
掘り下げた上に板敷きの壁をつくった室町時代の庶民の住居の絵があるって話だ。
だから、人が壁の窓から顔だけ出している絵になっている。
かなり昔のコトだから詳しい内容は忘れた。スマン。
だから、人が壁の窓から顔だけ出している絵になっている。
かなり昔のコトだから詳しい内容は忘れた。スマン。
11: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 20:37:29.76
竪穴式住居は冬暖かく、夏涼しい。究極の省エネ住宅だったのだ。
もちろん、高温多湿の稲作地帯では使えないが。
もちろん、高温多湿の稲作地帯では使えないが。
17: 日本@名無史さん 2011/08/15(月) 22:59:51.17
>>11
そんなにすばらしい住宅ならずっと住み続けたはずだが。
そんなにすばらしい住宅ならずっと住み続けたはずだが。
36: 日本@名無史さん 2012/02/10(金) 18:07:07.11
>>11
江戸時代に発掘された竪穴住居のスケッチが菅野真澄の本に描かれてたけどたしかそんな感じだったような。
縦穴住居は、根城城の発掘でも出てきたから、戦国時代までは存続してたでしょ
江戸時代に発掘された竪穴住居のスケッチが菅野真澄の本に描かれてたけどたしかそんな感じだったような。
縦穴住居は、根城城の発掘でも出てきたから、戦国時代までは存続してたでしょ
管理人より:というわけで竪穴式住居の画像。湿気とかだいじょぶかな。
13: 日本@名無史さん 2011/07/23(土) 09:53:07.99
縄文集落は海進期には海の見える舌状台地と言われる高台に作られていました。
水捌けのよい土地で雨が振っても排水されやすい土地です。
そこで稲作はできないけれど稲作などしていなかったし、海や大きな湖に続く階段を降りて、そこで葦舟を浮かべ貝や小魚を取っては干して売っていました。
それでもって、貝がらや生活ゴミは一箇所に捨てる村の掟があってそこが貝塚です。
水捌けのよい土地で雨が振っても排水されやすい土地です。
そこで稲作はできないけれど稲作などしていなかったし、海や大きな湖に続く階段を降りて、そこで葦舟を浮かべ貝や小魚を取っては干して売っていました。
それでもって、貝がらや生活ゴミは一箇所に捨てる村の掟があってそこが貝塚です。
18: 日本@名無史さん 2011/08/16(火) 13:09:28.06
縄文時代最盛期っていうのは北海道が今の関東と同じくらいの気候風土で、関東は今の九州と同じくらいの気候風土だったと聞く。
それがやがて寒冷化して狩猟採集ではやっていけなくなっていった。
それがやがて寒冷化して狩猟採集ではやっていけなくなっていった。
19: 日本@名無史さん 2011/08/18(木) 21:20:03.43
しかし、九州に移り住んだ縄文人の一部は、隼人になったり佐伯になったりして生き残った。
24: 日本@名無史さん 2011/12/07(水) 17:21:59.95
稲作が発達するまでは戦争なんて無かったというのだから皮肉なものだな
25: 日本@名無史さん 2011/12/07(水) 20:25:35.68
稲作、定住生活こそ全ての罪悪の源だった。
狩猟生活が続いていさえすれば、扶養できる人口は限られていたし、猟で命を落とす確率も高かったので人口爆発はありえない。
現に縄文時代は1万2千年もの間続いた。
弥生人は、伝染病と領土争いと人口爆発を招いた。
狩猟生活が続いていさえすれば、扶養できる人口は限られていたし、猟で命を落とす確率も高かったので人口爆発はありえない。
現に縄文時代は1万2千年もの間続いた。
弥生人は、伝染病と領土争いと人口爆発を招いた。
28: 日本@名無史さん 2011/12/10(土) 13:29:40.38
縄文人はイヌイットやアメリカインディアン、アマゾンの奥地に一部が純粋な形で残っていた。
しかし、遠征には男だけしか伴わない匈奴などのツングースに侵略された地域では、男は殺され女は慰めものにされたので、女系しか残っていない。
ミトコンドリア遺伝子で人類の分布を調べると、実態とかけはなれたものになるのはそのためです。
しかし、遠征には男だけしか伴わない匈奴などのツングースに侵略された地域では、男は殺され女は慰めものにされたので、女系しか残っていない。
ミトコンドリア遺伝子で人類の分布を調べると、実態とかけはなれたものになるのはそのためです。
31: 日本@名無史さん 2011/12/25(日) 10:40:25.33
世界五大文明
メソポタミア文明、エジプト文明、インド文明、黄河文明、縄文文明
メソポタミア文明、エジプト文明、インド文明、黄河文明、縄文文明
32: 日本@名無史さん 2012/01/08(日) 13:12:53.87
金属器ないからそりゃムリ
33: 日本@名無史さん 2012/01/10(火) 22:56:10.59
縄文時代も製鉄あったらしい
遺跡も少しは出てくる
しかし脆くて実用に耐えれたかは疑問
遺跡も少しは出てくる
しかし脆くて実用に耐えれたかは疑問
50: 日本@名無史さん 2012/02/15(水) 22:56:08.45
縄文人がもともと住んでたところに弥生人(弥生系の文化?)がきて弥生時代に入ったらしいけど、じゃあ縄文人はどこにいったの?アイヌ人?
100: 日本@名無史さん 2012/04/07(土) 12:05:11.62
>>50
大部分は、弥生人と和合混血し大和民族に変身したのですよ。
だから現代日本人に、ぎょろ眼二重も吊り眼一重もおるのですよ。
>縄文人はどこにいったの・・・・・・
お子ちゃまですか?大部分は、弥生人と和合混血し大和民族に変身したのですよ。
だから現代日本人に、ぎょろ眼二重も吊り眼一重もおるのですよ。
51: 日本@名無史さん 2012/02/16(木) 20:21:06.34
縄文人と弥生人が混じって弥生時代に突入したんだろ。
俺が住んでいるトコは、弥生時代はなかったけどね。
俺が住んでいるトコは、弥生時代はなかったけどね。
54: 日本@名無史さん 2012/03/08(木) 01:37:41.72
縄文土器のあのゴテゴテした装飾は日本各地で同じだったの?
青森のも九州のも同じだとしたら誰かが伝えたか同じような感性だったのか。
縄文人だって質素な弥生土器のようなものや、まったく違う形態の土器を作った人はいなかったのかな
素人の意見ですまん。
青森のも九州のも同じだとしたら誰かが伝えたか同じような感性だったのか。
縄文人だって質素な弥生土器のようなものや、まったく違う形態の土器を作った人はいなかったのかな
素人の意見ですまん。
291: 日本@名無史さん 2014/02/06(木) 19:39:05.25
>>54
なんとなく日本全国、デザインが似てるのがすごいよね
なんとなく日本全国、デザインが似てるのがすごいよね
293: 日本@名無史さん 2014/02/10(月) 09:32:11.46
>>54
地域によって違うらしいよ。
典型的なゴテゴテは、東北だ。
ただ、奈良の橿原遺跡からも東北の縄文土器に似たのが出てくるらしいから、交流は現代人が考える以上にあったんだろ。
地域によって違うらしいよ。
典型的なゴテゴテは、東北だ。
ただ、奈良の橿原遺跡からも東北の縄文土器に似たのが出てくるらしいから、交流は現代人が考える以上にあったんだろ。
55: 日本@名無史さん 2012/03/08(木) 03:29:20.49
地域ごとの特色がある。
だから知識の有る人が見れば何処の物と判る。
だから知識の有る人が見れば何処の物と判る。
管理人より:縄文土器の地域比較。上のやつは新潟で出土したやつで、フチの形状から「火焔土器」とも呼ばれます。そして真ん中のは東京で出土したやつ。下のは九州で出土したものですが、縄文ではなく貝殻でつけた文様。地域色出てますなー。
56: 日本@名無史さん 2012/03/10(土) 11:24:03.70
知恵のないものがどんどん開発を進めた結果、縄文時代の遺跡はほとんど残っていない。
57: 日本@名無史さん 2012/03/10(土) 15:20:29.98
縄文時代の遺跡は、大抵洪水を避けて高台にある。
東北地方の高台はまだまだ開発されていないトコが多いから、これからだろ。
それこそ、今回の震災で高台に住宅地がたてられるコトが多くなるだろうから、色々発見されることも増えるんじゃないの?
東北地方の高台はまだまだ開発されていないトコが多いから、これからだろ。
それこそ、今回の震災で高台に住宅地がたてられるコトが多くなるだろうから、色々発見されることも増えるんじゃないの?
58: 日本@名無史さん 2012/03/10(土) 16:56:09.37
洪水を避けてというか、縄文海進で今の平野部は海だったからな。
61: 日本@名無史さん 2012/03/10(土) 19:34:11.72
>>58
内陸部でも高台に竪穴住居作って住んでいたよ。
内陸部でも高台に竪穴住居作って住んでいたよ。
62: 日本@名無史さん 2012/03/10(土) 22:00:20.86
今、高台に移転して一息吐いても海が高くなった頃には、また津波がそこまで来ちゃう。
氷河期が来て海面が下がると、去年津波が来たところも高台になる。
新築するのはもう少し待とうかな。
氷河期が来て海面が下がると、去年津波が来たところも高台になる。
新築するのはもう少し待とうかな。
64: 日本@名無史さん 2012/03/11(日) 09:49:37.45
結局は出生率の僅かな違いが日本の将来を決めているのだ。
縄文系は未婚率が高く衰退しまくっている。
あなたの周りの高齢未婚者を見回してみてください。
たいてい縄文系の顔をしているでしょう?
もともと弥生系に比べてコミニュケーション能力が劣っているので、
対人ストレスの多い現代社会には不向きなのです。
縄文系は未婚率が高く衰退しまくっている。
あなたの周りの高齢未婚者を見回してみてください。
たいてい縄文系の顔をしているでしょう?
もともと弥生系に比べてコミニュケーション能力が劣っているので、
対人ストレスの多い現代社会には不向きなのです。
管理人より:半島系の話で荒れてるので全部カットしてますが、ここから下の流れ、なんでインディアンが出てくるのか流れがよくわからなくなってしまった…。
68: 日本@名無史さん 2012/03/19(月) 07:20:29.93
じゃ~インディアンは何なんだい?
それと縄文人は弥生人に淘汰されたのか?
それとも自然と混血混住したのか?
韓国人って確かに色白だけど体毛があんまり濃く無くてツルンとしてるんだよ。
あとやっぱり骨格というか顔が日本人と違う。韓国人の顔の骨格はごつごつしている。
日本人は丸い顔で結構地黒ッポイ人も多い。
日本人の方が、人種的に東南アジアに近い感じがする。
弥生人も長江文明の系統で今の福建省あたりの居た連中らしいが。
それと縄文人は弥生人に淘汰されたのか?
それとも自然と混血混住したのか?
韓国人って確かに色白だけど体毛があんまり濃く無くてツルンとしてるんだよ。
あとやっぱり骨格というか顔が日本人と違う。韓国人の顔の骨格はごつごつしている。
日本人は丸い顔で結構地黒ッポイ人も多い。
日本人の方が、人種的に東南アジアに近い感じがする。
弥生人も長江文明の系統で今の福建省あたりの居た連中らしいが。
69: 日本@名無史さん 2012/03/19(月) 07:45:56.61
>>68
少量のシベリアの血で東アジアの形質が壊されてんのよ。新モンゴロイド顏はドンドン増える。あ
少量のシベリアの血で東アジアの形質が壊されてんのよ。新モンゴロイド顏はドンドン増える。あ
71: 日本@名無史さん 2012/03/20(火) 10:14:24.04
>>68
インディアンはモンゴロイドだけど古モンゴロイドではない
そもそもインディアンは最近発生した東アジア系のモンゴロイドよりも新しいタイプだから、縄文人はY染色体のDNA分布を見る限り、弥生系に淘汰された訳でも無い様だ
混血したか住み分けてたのどちらかだ
日本人の顔が他の中国人韓国人とちょっと違うのは縄文人と混血したからだろう
インディアンはモンゴロイドだけど古モンゴロイドではない
そもそもインディアンは最近発生した東アジア系のモンゴロイドよりも新しいタイプだから、縄文人はY染色体のDNA分布を見る限り、弥生系に淘汰された訳でも無い様だ
混血したか住み分けてたのどちらかだ
日本人の顔が他の中国人韓国人とちょっと違うのは縄文人と混血したからだろう
70: 日本@名無史さん 2012/03/20(火) 07:26:02.82
ネイティブ・アメリカンとはいっても、古い時代の神話を持っていて、家畜のもたらす疫病にバタバタ倒れた"モヒカン"と、家畜を飼っていて、神出鬼没の高機動力を持ったアジア人のような容貌の"アパッチ"は人種的にそんなに近いとは思えない。
72: 日本@名無史さん 2012/03/20(火) 10:20:16.39
日本人のツラを薄顔に変えてるのは元は少量の血。東アジア全体に言える事だがな。
74: 日本@名無史さん 2012/03/20(火) 11:15:55.30
日本人は、南方系の海人、出雲族の血が色濃く混じっているところが朝鮮人との違いだ。
出雲族、安曇族、天族などと呼ばれる海人集団が、魚の群れを追って東に移動してきて港となる入江に住み着き、そのあと、農耕民族が稲作を持って平野部に入ってくると、海のものと交換して、そして男と女も交換するようになって血が混じり合ったのだ。
縄文系と弥生系はこうして混じり合ったのだろう。
出雲族、安曇族、天族などと呼ばれる海人集団が、魚の群れを追って東に移動してきて港となる入江に住み着き、そのあと、農耕民族が稲作を持って平野部に入ってくると、海のものと交換して、そして男と女も交換するようになって血が混じり合ったのだ。
縄文系と弥生系はこうして混じり合ったのだろう。
81: 日本@名無史さん 2012/03/24(土) 18:23:04.15
>>74
縄文人が海人?
遺物も伝承も蝦夷を見ても普通に山の民。
だいたい彼らと縄文とは全然時代が違います。
縄文人が海人?
遺物も伝承も蝦夷を見ても普通に山の民。
>出雲族、安曇族、天族などと呼ばれる海人集団が、魚の群れを追って東に移動してきて港となる入江に住み着き
どうみても弥生人です。だいたい彼らと縄文とは全然時代が違います。
117: 日本@名無史さん 2013/05/08(水) 21:06:47.76
>>81
どっちもいるだろ。
関東の貝塚や、福井の鳥浜なんかは海人だよ。
どっちもいるだろ。
関東の貝塚や、福井の鳥浜なんかは海人だよ。
78: 日本@名無史さん 2012/03/20(火) 16:07:54.28
海人男に農耕女、男が海なら女は港、ドドドッドット入港だい!
不漁の時も米や稗・粟などの穀物があれば飢えることはないし、田畑を耕しながら辛抱強く待っていてくれる弥生系の嫁は海の男にとっては何よりありがたい存在だはず。
不漁の時も米や稗・粟などの穀物があれば飢えることはないし、田畑を耕しながら辛抱強く待っていてくれる弥生系の嫁は海の男にとっては何よりありがたい存在だはず。
79: 日本@名無史さん 2012/03/20(火) 16:22:14.80
実際に縄文文化を引き継いだ、「またぎ」はそうなっていたな。
またぎで山に入る男。それを田畑を耕しながら待つ女という構図はあった。
ただ、ホントに昔ながらの農業は無茶重労働なのだが。
またぎで山に入る男。それを田畑を耕しながら待つ女という構図はあった。
ただ、ホントに昔ながらの農業は無茶重労働なのだが。
82: 日本@名無史さん 2012/03/24(土) 18:24:58.66
すごい電波スレ。
東日本の民族的コンプを感じる。
東日本の民族的コンプを感じる。
84: 日本@名無史さん 2012/03/25(日) 12:16:30.13
>>82
すごい電波
西日本の民族的コンプの間違いだろ
すごい電波
西日本の民族的コンプの間違いだろ
うーん、なるほど…。
まぁ東と西で争った場合どちらが強いのかというやつをこないだやりましたが、なんでこんなに仲が悪いのか…。
途中で竪穴式住居の話が出てるのですが、こういう形状の住居は世界でも類型が多いらしく、中国、アメリカ、ヨーロッパでも同様のものが見つかっています。簡単に作れて効率が良いということなんでしょうね。
地面の掘り下げ方は地域によって違いがあり、通常は1メートル弱くらい、しかし北海道あたりでは2.5メートルも掘り下げた例もあるとか。土を掘り下げる関係上中央の炉に火を入れると案外暖かく、冬も快適にすごせるんだそうです。
この中で家族単位の10人ほどで暮らしていました。
この竪穴式住居は案外長く使用され、平安時代ころまでは庶民の家として残ってるようですが、鎌倉時代にはほぼ完全に消滅して平屋に。
木造建築技術の向上や、建築用の工具の発達とともに消えてしまったということなのかな。
わりと快適にすごせる竪穴式住居も、湿気だけはいかんともしがたく、雨が降った際に住居内の土間に水が染み込むのを防ぐために、屋根の下に溝を掘るなど様々な工夫が取られた例も。
当初ご飯を作るところの「かまど」と、暖を取るために置かれた中央の「炉」は別々でしたが、時代を経るごとに住居の規模は小さくなっていったため、平安時代ごろにはかまどと炉は統合されていき、スレで言われてるように「囲炉裏」になっていくのでしょうね。
「炉」を囲んで縄文人たちはどのような会話を交わしたものでしょうか。
ウンコする時は、わざわざ外に行ってやるんでしょうけど、寒い冬に外に出るのが億劫で、家の中でしちゃったりしなかったんでしょうか。
ケツを拭くのになにを使ったのでしょうか。
気になります。(どうでもいい)
まぁ東と西で争った場合どちらが強いのかというやつをこないだやりましたが、なんでこんなに仲が悪いのか…。
途中で竪穴式住居の話が出てるのですが、こういう形状の住居は世界でも類型が多いらしく、中国、アメリカ、ヨーロッパでも同様のものが見つかっています。簡単に作れて効率が良いということなんでしょうね。
地面の掘り下げ方は地域によって違いがあり、通常は1メートル弱くらい、しかし北海道あたりでは2.5メートルも掘り下げた例もあるとか。土を掘り下げる関係上中央の炉に火を入れると案外暖かく、冬も快適にすごせるんだそうです。
この中で家族単位の10人ほどで暮らしていました。
この竪穴式住居は案外長く使用され、平安時代ころまでは庶民の家として残ってるようですが、鎌倉時代にはほぼ完全に消滅して平屋に。
木造建築技術の向上や、建築用の工具の発達とともに消えてしまったということなのかな。
わりと快適にすごせる竪穴式住居も、湿気だけはいかんともしがたく、雨が降った際に住居内の土間に水が染み込むのを防ぐために、屋根の下に溝を掘るなど様々な工夫が取られた例も。
当初ご飯を作るところの「かまど」と、暖を取るために置かれた中央の「炉」は別々でしたが、時代を経るごとに住居の規模は小さくなっていったため、平安時代ごろにはかまどと炉は統合されていき、スレで言われてるように「囲炉裏」になっていくのでしょうね。
「炉」を囲んで縄文人たちはどのような会話を交わしたものでしょうか。
ウンコする時は、わざわざ外に行ってやるんでしょうけど、寒い冬に外に出るのが億劫で、家の中でしちゃったりしなかったんでしょうか。
ケツを拭くのになにを使ったのでしょうか。
気になります。(どうでもいい)
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島国だから変化のチャンスも限られるし順当な発展だと思うわ
遅かれ早かれだよなw
北海道アイヌだって、東北大名にいじめ殺されてたし
人間が億劫だからって家の中でするとは思えないなw それこそ「便所」が発明されるまでは必ず外でしてたでしょう。モンゴル人だって冬はあのクソ寒い中、クソは外へしに行くよ
そういう意味では弥生時代はないって話になりつつあるらしいです。
DNA的にも大陸や半島とは全く違うし、日本の方が圧倒的に古い。渡来人はいない。
稲作は縄文時代にはもうしていたみたいだし、集落の周辺には、クルミとか、どんぐりの木が人工的に植えてあったそう。どんぐりはアクを抜かなきゃ食べれないので、土器で煮ていたようです。
えぇ…
釣られてみるけど、いつの間に弥生時代無くなりつつあるんだよ…
専門の時代違うけど、考古学初めてこの方そんな話聞いたことないぞ…
人骨の話だって、本当に長細いだけを抜き出しているのだとしたら青谷上寺地とか、鳥浜の報告書に乗っている図面、図版、化学分析データは何なんだよ全部嘘か。
ほんとにそうならマスコミにでも持って行ってみろ。税金の無駄遣いとして特ダネになるぞ。第二のゴットハンドとして騒げるぞ。
自レス失礼
うっかりミス
×鳥浜
〇土井ヶ浜遺跡
弥生時代の始まりをいつの時点とすべきかは、諸説ある。
そもそも弥生時代とは、弥生式土器が使われている時代という意味であった。ところが、弥生式土器には米、あるいは水稲農耕技術体系が伴うことが徐々に明らかになってくると、弥生時代とは、水稲農耕による食料生産に基礎を置く農耕社会であって、前段階である縄文時代(狩猟採集社会)とはこの点で区別されるべきだとする考え方が主流になっていった。
そのような中、福岡市板付遺跡において、夜臼式土器段階の水田遺構が発見され、従来縄文時代晩期後半と考えられていた夜臼式土器期において、すでに水稲農耕技術が採用されており、この段階を農耕社会としてよいという考えが提出された。その後、縄文時代と弥生時代の差を何に求めるべきかという本質的な論争が研究者の間で展開され、集落の形態や墓の形態、水田の有無、土器・石器など物質文化の変化など様々な指標が提案された。
全く違うってことはないぞ。
7割くらいは大陸と同じだ。違うのは3割で、それが(微妙な)違いになってる。
ですよねw
まとめたあと、なんとか川の一部を家に引き込んで、簡易水洗トイレができないものか…と考えたものですが、高台に作る関係上、当時の技術では難しそう。川の近くに小さな竪穴式便所を作ったほうが早いという結論に。
うっかり縄文時代にタイムスリップしたらそれで乗り切ろうと思います!
やっぱ弥生後期ぐらいから急激に栄えたのか。
ゴッドハンド事件とか…他にもいくつかあるけど。
金鉱持ってる様なウハウハ生活してたんかな?
稲城市のニュータウン造成地で住居跡遺跡の調査よくやってた
多摩地区在住だがそこらじゅうで縄文遺跡でてる感じがする
間違えた
×御蔵島
〇神津島
今でも神津島は黒曜石が大量にある