人気サイト様 最新記事

博士ちゃんねる ヘッドライン

レスの強調ウゼェー!というドクターへ

レス内の強調表示をOFFにする コチラをクリックして切り替えてください。設定は30日間Cookieに保存されます。
現在のステータス:強調有効

【穀潰し】江戸時代のニート【昼行灯】 @ [日本史板]


【穀潰し】江戸時代のニート【昼行灯】 @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2017/03/16(木) 23:06:00.81 .net
江戸時代でニートが出来たのは公家、大名、豪商、豪農の子息くらい

百姓なら農作業に従事させられたし、武家なら家を追い出され浪人して他家に仕官した
町人は家業を継がされたし、女は年頃になれば他家に嫁がされた
親が養えなければ娘は身売りされて遊郭で働かされ、息子は寺に入れられ坊さんになった
障害児は産まれた時点で産婆に絞められた

人口の大多数を占める一般庶民にニートは飼う余裕はなかった
まともに働いてる人でさえ飢饉で餓死してたくらいだし
3: 日本@名無史さん 2017/03/17(金) 20:39:21.78 .net
鎌倉時代がすごい

天皇 お飾り
将軍 お飾り
執権 お飾り
得宗 実権

どんだけ
4: 日本@名無史さん 2017/03/17(金) 20:43:37.74 .net
得宗も末期はお飾りで御内人が仕切っていたがな。
鎌倉幕府のすごいところは、時宗の頃には最高意思決定機関の評定も形骸して、寄合と呼ばれる得宗一家の家族会議で全部決めていたことだからな。
管理人より:「得宗」は、後に鎌倉幕府の実権を握った北条家惣領の流れをくむ家系のこと。この得宗に実権が集中した時代を「得宗専制」とも呼び、源氏将軍→執権政治に次ぐ鎌倉幕府第3の時代という区分です。
22: 日本@名無史さん 2017/06/02(金) 13:33:37.73 .net
昔は百姓をすると言うカモフラージュがあったからな。
24: 日本@名無史さん 2017/06/02(金) 17:09:48.90 .net
>>22
今でも百姓をすることはできるよ
市の臨時職員として人口減の限界集落でお年寄りの代わりに、農作業をしてくれる勤労世代を募集している
ただし市の規定で臨時は3年未満の雇用がほとんどだがw
給料は税込み20万弱(手取り15万程度)
お前らそれも嫌だと言うだろうけど
25: 日本@名無史さん 2017/06/03(土) 19:21:48.72 .net
>>22
農作業手伝わされてるしニートとは全然違うよ
ちなみにナマポは江戸時代でいう乞食
26: 日本@名無史さん 2017/06/03(土) 21:11:41.19 .net
江戸勤番は半年で40日くらいしか出勤してなかったんだろ
しかも勤務時間は3時間くらい

こんなの今じゃフリーターとしてすら認めてもらえないレベル
27: 日本@名無史さん 2017/06/05(月) 21:44:32.15 .net
昔(昭和初期以前)は貧しかったから家に穀潰しを置いておく余裕もなく、無理やりにでも農作業とか工場労働とかやらされていたが、高度経済成長期以降は一般家庭でもニートを余裕で飼育できるくらいの経済力はついてきたからな
48: 日本@名無史さん 2017/07/18(火) 20:08:18.43 .net
>>27
それもあるんだが今より社会も人間も優しかったと思うぞ
今はとにかく余裕が無い
ワープアがナマポ叩く
既婚子持ちが未婚やDINKSを罵倒してるからな
50: 日本@名無史さん 2017/07/18(火) 20:29:18.56 .net
>>48
それはネットがなかったからだろw

昔だって仲間内ではやってたと思うぞ
村八分なんて今より酷かったし
生活保護もなくてニートなど自動的に死ねだった

今のほうが平和だよ
実名顔出しで面と向かって罵倒する奴はほとんどいない
28: 日本@名無史さん 2017/06/05(月) 23:25:28.07 .net
武士の家なら家長の奴隷、農村なら地域社会に無理やり引きずり出されて、村民全員の奴隷がデフォだからね
江戸時代でニートになれば、待っているのはそれこそ地獄よ
33: 日本@名無史さん 2017/06/14(水) 23:38:37.33 .net
そもそも江戸時代は、家から追い出されて無宿者となった時点で犯罪者扱いだから、仕事せずに養ってもらう為には家長である父親や長男に絶対服従せにゃならん
ニートなんて針の筵、この世の地獄よ
44: 日本@名無史さん 2017/07/13(木) 18:22:45.52 .net
人間関係でいえば、田舎は互いに支え合う温かい面もある一方、完全に村社会で異端者や余所者に厳しいから、ドライな人やコミュ障には結構過酷な環境だよ

都会は自立を求められる一方、個人主義が尊重されてるから人付き合いは気楽っちゃ気楽
自分は自分、他人は他人という感じだし

周りと同調して濃厚な人間関係の中で生きたい人は田舎
他人と一定の距離を保ち、我が道を進みたいという人は都会で暮らすのが向いてると思う
49: 日本@名無史さん 2017/07/18(火) 20:10:35.49 .net
江戸時代の東北地方は悲惨で特に江戸4大飢饉で最大級の天明の大飢饉では、弘前藩の人口の三分の1が餓死で死亡したそうだよ
51: 日本@名無史さん 2017/07/18(火) 22:43:31.16 .net
江戸時代の農民は子だくさん、10人子供産むなんてざらなんだけど、そのうち成人なれるのは2~3人程度。
希に全員生き残ってしまったら食えなくなるから丁稚奉公させたり。
丁稚奉公に出すのはいいほうで口減らしって殺してしまったり売ったりって普通に行われていた。
江戸時代はそんな時代だぞ
52: 日本@名無史さん 2017/07/19(水) 19:33:07.31 .net
江戸時代の人口比率

公家・神官・僧侶:1.5%
武士:7%
百姓:84%
町人:6%
穢多・非人:1.5%
53: 日本@名無史さん 2017/07/19(水) 20:52:24.27 .net
あくまで代官所や寺社が把握していた人口比率であって、戸籍のない流民や貧民や在留外国人や家政奴隷はどうなっているかすら不明
54: 日本@名無史さん
628世界@名無史さん2017/07/20(木) 10:58:45.830
薩摩藩の人口の約30%は武士だったそうですね。
普通の藩は人口の7%が武士なので薩摩藩は普通の藩に換算すると、77万石×約4倍=約300万石の戦闘力があったんですか?
629世界@名無史さん2017/07/20(木) 10:59:41.090
ベストアンサーに選ばれた回答

薩摩藩の3割は武士階級と準武士階級(足軽・与力)でした。
宝暦年間では薩摩藩(琉球の16万人を除いて)の人口は約71万人でした。

90ヶ所の外城(麓)に4万5千名、21ヶ所の私領に2万人、鹿児島城下に5千名の城下士と準武士階級2万人が、いわれる戦闘要員で、派兵できるのは、この2割の1万8千名でしょう(21万人の武士階級には妻子が含まれ、俸禄で働くのは9万人)。

他藩は7%ぐらいの武士階級でしたので、割合で9万名もの武士をそろえるのには、幕府の軍役規定で約300万石なら7万5百名。
4百万石で9万4千名となるので、戦闘力の基礎力は質問者の言われるとうりです。
55: 日本@名無史さん
>>54
薩摩藩は半士反農が多いので、確かに石高の割には戦闘員は多かったが、防衛戦や内乱ならともかく、領外の戦闘は農作業があるため嫌がり、朝鮮の役で豊臣家が満足する兵数を揃えるのに苦労している。
関ヶ原で島津家の兵員が少ないのも同じ理由。
56: 日本@名無史さん
>>55
関ケ原で島津の兵力が少ないのは当主が出陣してないからだよ
西軍で奮闘した島津義弘は当主の弟
島津は弟が勝手にやったことですと言って家康からの追及を逃れた


実際、島津本国には関ケ原直後にも兵がかなり残っており、家康の島津征討にも徹底抗戦の構えを見せたため、コストがかかるとして家康死後秀忠が中止した
57: 日本@名無史さん
>>56
義弘の目は中央を向いていて、義久は独立独歩。
その辺の意識の違い。
朝鮮の役でも義弘が「兵を出さないと秀吉の覚えがヤバイ」と言っても義久は渋ったし、関ヶ原でも「兵を出さないと戦後の発言力がヤバイ」と言っても義久は渋った。

それでも参戦はボランティア的に許されたが、半士半農だと自主的に領外にはいきたがらないわな。
58: 日本@名無史さん
>>57
島津は中央とほとんど絡まなかったことで鎌倉時代から幕末までの長きにわたり、ずっと鹿児島の支配者だったからな
江戸時代中期以降公家の近衛やら将軍家とも縁組しだしたが、それまではほぼ結婚も島津の同族内で行っていた

半士半農とかは関係ない
他藩でも下っ端の武士は武士の身分を買った元農民や元商人だったり、藩から貰う禄だけでは生活できないので副業やりまくってた
59: 日本@名無史さん
>>58
いや、関係あるだろうよ。
鎌倉、室町時代は農繁期の戦は避けるものだった。
勿論兵が集まらないから。
織田、豊臣になって中央では兵農分離が進んで時期を選ばなくなったが、島津は旧態依然としていたので、留守が長い外征や中央への参戦は義久筆頭にとかく嫌われた。
60: 日本@名無史さん
>>59
だから、54は江戸時代の薩摩藩の戦闘要員だろう
秀吉の刀狩令が出て江戸時代の士農工商で、初めて武士とそれ以外に分かれた

鎌倉時代の武士が普段田んぼ耕していたのは普通だろう
戦国時代の足軽だって百姓をかき集めたもの
それと江戸時代の武士は全然違う
62: 日本@名無史さん
>>60
薩摩は江戸時代も郷士が農業やってたよ。
あそこは藩士多すぎで緑高低めだから、畑仕事しないと生計が成り立たない。
68: 日本@名無史さん
>>60
会津は下級武士の一部は半農やってたぞ?
そんでその他下級の連中よか安定した生活していた
61: 日本@名無史さん
清やオスマンは長きにわたる平和ですっかり文弱になったけど
日本が泰平の世を経ても尚武の心意気を保てたのは武士道があったから?
63: 日本@名無史さん
>>61
いや、尚武は薩摩と会津くらいでしょ
長州と水戸はキチガイ
戦やって意外に強かったのは庄内と長岡だけど
65: 日本@名無史さん
尚武の心意気を持ってたのは薩長土肥などの地方武士
幕府を守るべき旗本はニート化してた
66: 日本@名無史さん
つか、地方の藩士はたいてい尚武路線よ、徳川の旗本がニートだらけで特殊だった
それがモロに弱点として出てしまったのが幕末
71: 日本@名無史さん
武家て、それは旗本や大名家レベルの次男さんなんの話だろ
下級武士なんかの次男三男なんか大抵全うな養子なんてないから町人職人だぞ。

幕府直属の御家人ですら、貧困すぎて御家人株売られまくってて、御家人層の七割が売買されての相続人が跡を取ってる。
その売買先は大半が庄屋豪農の次男三男
85: 日本@名無史さん 2017/08/05(土) 13:02:48.19 .net
江戸時代、豪商でもない商家でごく潰し息子に悩む姿は頻繁に描かれてるよ。
89: 日本@名無史さん 2017/08/05(土) 22:18:37.16 .net
>>85
商家なら穀潰し1匹買う程度の余裕はあったのね
百姓なら子供に食わせる余裕がないと丁稚奉公に出されたり、寺に入れられたり、遊郭に売られたり、酷い場合だと間引きされていた
91: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 08:46:59.71 .net
>>89
明治から昭和30年台までの農村がそうだったというのはよく聞く。
あと奈良時代の天平期(8世紀中ごろ)と戦国時代も。

江戸時代の農家は、そんな印象はないなぁ。
むしろ、いろんなお触書で、農民たちがお茶を飲んで怠けたり遊んだり贅沢してることを戒めるものがあって、それが農民たちに無視されて武士たちは困っていたという話のほうが多い。
士農工商や切り捨て御免という言葉がある割に、武士たちは農民を斬り殺したら自分も死罪となり自分の家族までも巻き添えになるから、農民たちに強いことは言えず農民のほうが強かった。(江戸幕府への忠誠に関わる大名行列の際だけは別)

おそらく、あなたが言ってるのは江戸時代じゃなくて奈良時代の天平文化期か戦国時代、明治から昭和30年代頃までの農村じゃない?
94: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 09:27:31.94 .net
>>89
現代でも、家業の跡取りでもない限り、子というものは家をでて社畜奉公したり、職人、職工になったり、頬紅つけて赤いベベきて水商売や花婿探しのオフィスに進んだりしなきゃならんだろ
96: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 09:51:02.31 .net
>>94
赤いべべの意味は分からないけど、確かに今でも貧困状態のひとが、自由とかまともな暮らしを手に入れたかったら、最初は過酷な仕事や人に見下される仕事に就くしかない。
ちなみに私も最初赤ちゃんを連れてキャバクラの寮に入った。
その会社では、稼げない女は、寮費とか食費のために給与を前借して、いつまでも稼げない人は、ヘルスだのソープだのと言う、系列の店に送り込まれてた。
私は赤ちゃん連れて自立するために、今は仮の暮らしだと言い聞かせてすごく頑張ったから、会社にも貢献したし、税と寮費をひかれた手取りで月200万ほど稼いで、わずか3か月半で200万以上の貯金をしてから辞めることができた。


いつの時代も、貧困世帯は、身売りするか、最低賃金の仕事をいくつも掛け持ちするなどしなくちゃならない。
江戸時代(とりわけ3代将軍以後)は、そういうことが少ない時代だったんだろうね。
管理人より:「金魚の昼寝」という童謡があって、その中の歌詞に
赤いべべ着た可愛い金魚 おめめをさませば御馳走するぞ
なんてのがあります。「べべ」とは「幼児の着物」を指す古い言葉。
86: 日本@名無史さん 2017/08/05(土) 13:07:06.31 .net
江戸狂歌:唐様で売家と書く三代目
*裕福な商家の息子として唐様の書も身に付けている
87: 日本@名無史さん 2017/08/05(土) 13:10:12.21 .net
商家の息子は跡取りじゃないしな
だいたいできるやつを婿にとって継がせる
90: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 07:54:24.12 .net
>>87
実際に江戸の人が詠んだ狂歌に何をケチつけてんだか
管理人より:「売家と 唐様で書く 三代目」というのは、
初代が苦心して財産を残しても、3代目にもなると没落してついに家を売りに出すようになるが、その売り家札の筆跡は唐様でしゃれている。遊芸にふけって、商いの道をないがしろにする人を皮肉ったもの。
だそうです。
92: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 09:20:00.67 .net
農家ゆうてもセンサマンベツやろ

農家の詳細は2割の役付庄屋と豪農と8割の平百章以下の零細や小作だ。
95: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 09:42:01.87 .net
>>92
江戸時代は五人組や村請制と、個々の世帯に負担を負わせずに済む助け合う体制が出来上がってたし、水呑百姓、小前百姓などは税負担も、人頭税的な税もなかったし、奈良時代のように貧しい農家が個々に苦しみ、口減らしが必要、ということはなかったはず。
管理人より:「五人組」というのは、江戸時代に始まった、農民や下級武士を五戸前後で束ねて、組織化した制度。五人組は相互扶助だけでなく連帯責任もあったため、年貢の取り立て時にモメることもあったとか。これらの五人組を庄屋さんなどのもとに組織化しました。
97: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 11:02:53.03 .net
金持ちでもない一般家庭でもニートを飼育できるようになったのは高度経済成長期あたりからか?
昭和前期あたりまでは皆貧乏で農業、漁業、工場労働、兵隊、商売で無理にでも働かされ、女なら嫁に行ったり、身売りされたり、遊郭に売られたりして、ニートが出来たのは資産家や地主の道楽息子くらいだったような気がする
99: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 12:52:57.78 .net
そもそも御家人株があれだけ売り買いされた相手が豪農庄屋の次男三男だらけ。
さらには一代限りの郷士株なども庄屋が買いまくってる

これだけの資金力あるのは江戸時代は一部の御用商人以外は上層百姓のみ
完全にニートを越えて、今で言えば仕事から家から高級車から嫁まで全て与えられてるんだか
100: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 22:04:38.03 .net
>>99
そうよね。
底辺層は義務を免じられて、なんだかんだ食べさせてもらえてたわけだし、ごく潰し抱えて稼ぎの悪い本百姓たちも、村請制や結でなんだかんだ支えられていた。
江戸時代は、民が最も守られた時代と言える。
101: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 22:52:19.85 .net
いやいやいやいや、小作は現実上層百姓の所有物扱いであり、五人組の枠外でしょ。
小作以下はかなり冷遇な時代だろ

終戦時の農地解放見ればわかるだろ
105: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 23:34:29.79 .net
>>101
>>100を読んでからレスすれば?

江戸時代、水呑百姓(小作人)は、税、年貢を納める義務もなく、人の土地を借りて暮らさせてもらってて、奴隷でも何でもなかった。
今の貧乏人に比べたらだいぶましでしょ。
107: 日本@名無史さん 2017/08/07(月) 00:01:58.92 .net
サヨクはマルクス以来、ことあるごとに「国民は奴隷だ」「民はみな奴隷だ」と言いたがる。
ばかばかしい。
20: 日本@名無史さん 2017/05/28(日) 19:04:40.43 .net
高齢ニートは、親の死後、養ってくれる身内・親戚がいなければ

外食・介護などのブラック正社員になる
バイトで細々と食いつなぐ
ホームレスになる
生活保護を受給する
刑務所に入る
人生を終わらせる


という6つの選択肢からどれかを選ぶことになる
>>1よ、覚悟は出来てるのか?

三代目古今亭志ん朝 - 芝浜
いやいや、新しい年が来んだから、畳はきれいな方がいいよ。いいもんだなぁ、昔のひとはうめぇこと言ったよ。「畳の新しいのと」……女房は古いのがイイけどなぁ?
江戸末期に作られた(らしい)落語の演目のひとつに「芝浜」というやつがありますが、ご存知の方いらっしゃいますでしょうか。三代目・桂三木助師匠が得意とした人情噺で、以下のようなストーリー。(動画は古今亭志ん朝師匠のヤツ)

魚屋の熊は、刺し身をさばく腕の良い職人なのだが、酒が好きで怠け者なのが玉に瑕。
いつも昼間っから酒をのみ、近所から借りてる借金もけっこうな額になってて、女房をやきもきさせている。
ついには仕事にも行かなくなって酒びたりになってしまうが、女房に急かされて市場に出たところ、50両という大金の入った財布を拾う。
これで飲み放題だと浮かれる熊とは対象的に、女房は亭主に怠けグセがつくのと、お上から睨まれるのが怖くて、「酒を飲んで見た夢だ」と熊を騙して、こっそりそれを役人に届けてしまう。
起きた熊に「バカなこと言ってんじゃあないよ!」と、滔々と今までの苦労を話して聞かせる女房。ついに熊も目を覚まし、どれほど苦労をかけてきたかを知るのだが…。

…というわけで、ほんわかのラストが素晴らしい噺。
落語なんかには、ろくに仕事もせずに毎日ダラダラしてる穀潰しの亭主…のようなキャラがよく出てきますね。
また、金離れの良いのが「江戸っ子の粋」みたいなところもあったから、家族を支える大事な生活費を簡単に手放しちゃうことも。

どうやって生活してるんだろうなぁ…とも思うし、なんだかんだでいい加減なアレでも生きていけるのか…とも思うし、その実態はよくわからないですが、社会福祉なんてない時代だから、考えてみるとやっぱりなんだか厳しそう。
スレで言われてるように、今より相互扶助の精神はずっと強かったのかもしれないですが、同時に枠にはまらないひとへの風当たりは強かったのではないかとも思えるのですが、実際はどうだったんでしょうか。

上記、落語の「芝浜」で、その根底に描かれているのは、日本古来よりある「労働の美徳」みたいなことですよね。
今現代の世の中だと、あんまりピンとこない価値観かもしれないですねぇ…。

「昼行灯」なんて言葉もありますが、これは日中に灯る行灯のように、ボンヤリしてる…というところから、転じて「役に立たない人間」という意味になりました。
トップ絵の行灯の写真はコチラより。→部屋の雰囲気を良くする和風の行灯 | Besty

以下本題と関係ないお知らせ
管理人多忙のため、明日(18日)の更新おやすみです!さらに今週はたぶん日曜(21日)も更新できない…と思う。
2.6追記:当記事を「朝目新聞」さんでご紹介いただきました!
坂本龍馬嫌われるようになっちゃいましたねぇ…。
芝浜~落語小説集~
芝浜~落語小説集~
posted with amazlet at 18.01.16
小学館 (2016-09-30)
売り上げランキング: 49,844



人気サイト様 最新記事

博士ちゃんねる ヘッドライン

    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.17 23:10
    江戸時代には江戸しか存在しなかったわけじゃない。江戸以外の地方は酷かったんじゃないの?
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.18 13:28
    江戸時代の「百姓」の全員が「農業従事者」という訳ではなかったという話はあるな。
    商工業者を「町民」に分類していたのは、ある規模の大きい都市だけ。
    「村」にいた商工業者は「町民」ではなく農地を持たない「水呑百姓」に分類されていた。
    なので、廻船を何隻も持って日本中と商売している「水呑」とか普通にいたという。
    まあ、一方で江戸や大坂のような巨大都市は独身の若者が多く、しかも平均寿命が短かった。
    地方からあふれた若者を吸い込んで使い捨てにする恐ろしい場所でも会った。
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.22 15:59
    労働環境も労働に対する価値観もぜんぜん違うから
    比較にならない
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.24 14:23
    甘えてる病人とか昭和は一生懸命だったときく
    • ※5 : ななし
    • 2018.1.24 14:31
    ニートに優しい社会になってほしいたぶん対人関係にうまくいかないのだろう内職や人と話さない仕事で活躍してほしい。
    • ※6 : 農耕採集女将
    • 2018.1.29 9:02
    江戸時代のお江戸は世界一の都市でしたが、
    参勤交代等による単身赴任が非常に多く、参勤交代勤務=男子
    お江戸の男女比率は4:1と極端でした。
    その数少ない女性(妾)を複数抱えられる大店の旦那や
    江戸城(千代田城)もあって
    一般庶民の男女比率はこれより酷いものでした。
    結婚できない男性があふれる状態です。

    となると、芝濱に出てくる夫婦の形態は真っ赤な嘘
    こんな甲斐性無亭主はとっとと捨てられ
    三行半を書かせられ(後から元亭主がロミオ化されないための書状)
    女房はもっと稼ぎの良いイケメンと一緒になっちゃいます。

    三食昼寝付きが出来るようじゃなければ
    女性は嫁に行かなかったんですよ~
  1. トラックバックはまだありません。


コメ欄での議論はおおいにけっこうですが、当サイトではドクター同士の罵り合いは禁止となっております。反論する際には、相手の意見・人格を尊重し、どうぞ冷静に。
*