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悟る必要ってあるか? @ [哲学板]


悟る必要ってあるか? @ [哲学板]
1: 考える名無しさん 2017/06/15(木) 16:22:07.73 0.net
何かを見て、言葉になる以前の感情を持って、一つの行動が変わればそれでいいじゃん
2: 考える名無しさん 2017/06/15(木) 16:23:17.27 0.net
上位を目指そうが、結果的に下位に向かうと直感できる道に何かを望んで進もうが、鏡に映るのが今なんだし
7: 考える名無しさん 2017/06/16(金) 08:47:04.18 0.net
悟るという行為が他の何より愚かという言い方はしないが、死を意識しているのであれば、悟るより諦める方がよほど利口だと思うのだが
905: 考える名無しさん 2017/09/03(日) 12:04:00.71 0.net
>>7
諦めることを悟ると呼ぶのでは?
908: 考える名無しさん 2017/09/06(水) 10:55:22.36 0.net
>>905
気が付くことだよ、諦めることじゃない。
多くの人が諦めかけたときに、気が付くことができる
自己愛で俺俺俺俺状態で、主観まんセー、感情で強引に思考や思い込み学習

集中をしているときには絶対にやってこない「気が付く」という現象、落ち着いて無心となり考えるのとやめたとき、行ってきたことが脳内で整理される、それが「気づく」ということだ、
執念と強情と努力を繰り返しているときには気力が高く、高いときには気づけない
そして悟りは特別な超能力でも特別な才能でもない
それぞれ個々の対象に対してそれぞれ1つ1つ悟る


悟りになれば何でも悟り得るというわけじゃない
物事を具現化して理解しようとすればするほど遠ざかる悟りだ、故に諦めによって近づくことができる
8: 考える名無しさん 2017/06/16(金) 09:30:13.77 0.net
悟るも諦めるも愚語
10: 考える名無しさん 2017/06/16(金) 11:34:25.36 0.net
>>1
大人になるってことだよ

「大人になる必要ってあるのか?」
16: 考える名無しさん 2017/06/16(金) 11:50:41.76 0.net
>>10
大人を見て、あれになろうと本当に思えたのか?
成長と衰えには抗えない、集合意識による社会システムで未成年と成年という認識すら常識のように存在している。
私は彼らを見て同じような意識でありたくないと思ったし、それに関して考え始めないのは諦めのように感じられた
管理人より:大人になるってどゆことなの!?という若々しい問いに答えるスレはコチラ。
15: 考える名無しさん 2017/06/16(金) 11:42:31.37 0.net
おまえら相当溜まってんな
まあ俺もだけど
17: 考える名無しさん 2017/06/16(金) 12:05:46.68 0.net
飛ぶ鳥を見た時、その背景である大空もあなたは見れているだろうか?みたいな言葉は誰の言葉だったっけか。
私は、不安からではない疑問を持ち、見渡す力を持つべきだと思う
悟るほど考えた人は、最終的に何者でもなくなるんじゃないか
18: 考える名無しさん 2017/06/16(金) 12:13:39.18 0.net
意思のかたさは、粘土くらいがちょうどいいと
25: 考える名無しさん 2017/06/17(土) 00:42:03.51 0.net
それがどの程度のものであれ、悟った人間を見ていると、生きる上で悟りが障害にすらなってるように見える時があるんだよ
26: 考える名無しさん 2017/06/17(土) 18:22:43.73 0.net
偉人のはじまりは、知をもって成す、だが知より悟りをもって成すことには叶わず、悟りをもっても和をもて成すことには届かない

そんな程度では何も成せない、それが力というものなのよ
29: 考える名無しさん 2017/06/18(日) 02:16:06.57 0.net
>>26
偉人になろうと叶う必要はないし、届こうと思う必要もないしなろうとする必要もない。
他人の目など必要ない。私の知る多くの悟った人間とは、他人の目などないところで、誰かに認められるようなことの決してない場所で、素晴らしくあろうとしていた。

それを踏まえた上で私は悟る必要はないと思うわけだが。
君はそんな勘違いを持ちながら何になれた?本当はなろうともしてないのではないか?
28: 考える名無しさん 2017/06/18(日) 02:11:08.19 0.net
言葉が重要だ、感情では哲学板にいる必要などない
31: 考える名無しさん 2017/06/18(日) 02:20:47.90 0.net
>>28
いたいかどうかは本人たちが決めることだ
32: 考える名無しさん 2017/06/18(日) 03:27:05.54 0.net
感情のコントロールがものすごく必要性ある
それが出来ないとダメだな。
33: 考える名無しさん 2017/06/18(日) 15:48:40.26 0.net
>>32
ただ溜め込むだけだとダメだけどな
34: 考える名無しさん 2017/06/18(日) 18:32:26.06 0.net
悟りを知らないのか?
35: 考える名無しさん 2017/06/18(日) 19:07:53.01 0.net
>>34
知ってるよ。
人間にはあまり必要のないものだ
37: 考える名無しさん 2017/06/19(月) 07:59:41.54 0.net
>>35
まったく知らないと自慢するのって恥ずかしいとは思わない?
38: 考える名無しさん 2017/06/19(月) 18:15:42.67 0.net
>>37
あなたを見ていて心から必要ないと思うよ。
悟ろうとする意志自体は、損ではないが唯一でもない。
意思の統一ができないことは中学の歴史の教科書を読むだけでもわかることだ。
互いの悟りが同一だとは思わないし、望むつもりもない。

だから、あなたの言葉選びは幼稚だ、と言っても、次に私の言葉を使ってでしか言い返せないのではないか?
40: 考える名無しさん 2017/06/19(月) 18:43:20.05 0.net
誰にも悟ってほしくないという異様な焦り
42: 考える名無しさん 2017/06/19(月) 19:24:33.89 0.net
>>40
悟れとも悟るなとも言わんよ。
他人がどちらを選択するかに強い興味は持てない。
知りたいのは選択が理由をもってなされているかどうか。そしてどんな理由かだよ
45: 考える名無しさん 2017/06/19(月) 20:32:55.64 0.net
>>1
「悟り」って、何のことだと思ってるの?
「悟り」の意味が漠然としていたのでは、そもそも話しにならない。


例えば道元の場合、「悟り」とは…
道元「自己をはこびて、萬法を修証するを迷いとす。萬法すすみて、自己を修証するは悟りなり 」
47: 考える名無しさん 2017/06/20(火) 00:32:19.13 0.net
>>45
一人一人の悟りが似ようとも同一なわけないだろう。
私の文章の中から誰かが経験を思い出し、それに関して考えたことを述べてくれれば良いわけで、それがないというのであれば、残念だがここで話す気にも私はならない
54: 45 2017/06/20(火) 14:50:47.25 0.net
>>47
>一人一人の悟りが似ようとも同一なわけないだろう。
なぜ「同一なわけない」と君は思うの?
「同一なわけない」というのは、自明なことではないからね。

仏教には、「真如(空・法界)」と呼ばれる絶対的真理があってそれを体現することが「悟り」だから、いろんな悟りがあるということにはならない(真理が一つなのだから悟りも同じであることになります)。


(ただ、君は「多くの悟った人間」と書いているけれども、一般の人が仏教でいう「悟り」に至るには、ほとんど無限の時間がかかるとされているので、釈尊の他にその悟りに至った人は多くはないと思われる。)

(また、君は「悟った人間を見ていると生きる上で悟りが障害にすらなっているように見える時がある」と、書いているけれども、仏教の悟りは〈障害がなくなること〉なので、君が見たのは「悟った人間」ではないことになります。)
62: 考える名無しさん 2017/06/20(火) 18:34:25.80 0.net
>>54
誰が仏教が教えとして指す悟りを話しているというのだ。
あなたが他人の言葉を信じるように、私はあなたが述べた仏教の悟りについて全てを肯定するつもりはない。海と空を同じ青と呼ぶな
管理人より:仏教における「悟り」とは、
迷いの世界を超え、真理を体得すること[1]。
…と、なんかわかったようなわからんような説明が書いてあります。
55: 45 2017/06/20(火) 14:52:01.36 0.net
仏教を離れて哲学的にいえば、「同一なわけない」という考え方は、〈相対主義〉という考え方です。
例えばニーチェの次のような言葉がそういう考え方です。

フリードリヒ・ニーチェ「同一のテクストが無数の解釈を許容する。つまり〈正しい〉解釈などは存在しない。」
「真理とは、それなくしては或る特定種の生き物が生きられないような種類の誤謬である。」
相対主義の難点は、相対主義者は自分の考えの正当性を主張することができなくなることです。
例えば上の「〈正しい〉解釈などは存在しない」という考え方も〈正しい〉とはいえなくなるし、「真理とは、…誤謬である」という考え方も「誤謬」であることになってしまうので、そこに自己矛盾が生じるからです。
63: 考える名無しさん 2017/06/20(火) 18:41:40.72 0.net
>>55
作る人間と、それを振り回す人間
71: 考える名無しさん 2017/06/20(火) 19:50:22.23 0.net
金の切れ目が縁の切れ目という悟り
75: 考える名無しさん 2017/06/20(火) 22:37:31.60 0.net
>>71
いいじゃないか
79: 考える名無しさん 2017/06/23(金) 08:21:05.89 0.net
人間は大きな変化に耐えられない。
悟ろうとすれば、それしかなかったのだという理解と共に苦しむ時がくる
80: 学術 2017/06/23(金) 15:10:09.28 0.net
変化を耐えるより自分を変えることだ。
83: 考える名無しさん 2017/06/23(金) 21:11:46.32 0.net
>>80
自分を信じることだよ、自分を信じきることがどれだけ難しいか。
86: 考える名無しさん 2017/06/23(金) 23:43:01.60 0.net
>>83
自分が間違っていると思えないなら悟らないほうがいい。
自分含め多くの人間がそれをできないと思うから、必要はあるか?と聞いたんだよ
84: 考える名無しさん 2017/06/23(金) 23:35:15.43 0.net
>>80
もはや自分ではないな、それは
81: 考える名無しさん 2017/06/23(金) 15:22:52.63 0.net
仏教の話だよね?

1. 生ある物は輪廻転生する。
2. 生は苦である。
3. 悟り(=アートマンとの合一)を得ると、輪廻転生しなくて済む。


これがバラモン教の世界観なわけ。仏教は悟りを得て輪廻転生のサイクルを脱するための教えの一つ。
1.-3. を信じるなら、悟りを得ることの意味が生まれるが、必要性は生じない。
悟りを得る必要があっても、仏教を信奉する必要性は生じない。

バラモン教徒でも仏教徒でもヒンドゥー教徒でもない自分は、1.-3.のどれも妄言として退けて信じないので、悟る必要性がないどころか、悟りという概念すら存在しないようなもの。
あまっさえ仏教は無用の長物。
85: 考える名無しさん 2017/06/23(金) 23:40:55.84 0.net
>>81
悟るのに宗教なんか必要ないよ。
仏教の話なんかしてない。生きている時間以外は興味ない。
そんな文字上の話じゃなくて経験的な話をしたいんだよ
管理人より:「あまつさえ」の使い方がおかしい。
親の財布から金を盗んでおいて、あまつさえパチンコに使うなどもってのほかである。
というような使い方をします。「それだけでなく」「それに加えて」というほどの意味で、裁判の論旨くらいでしかもう目にしない言葉かもしれない。
87: 考える名無しさん 2017/06/24(土) 01:24:36.94 0.net
悟る「必要」はないと思います。

悟りは必要とか不要とかの煩悩を捨てるからその問いが対象外でしょう。
食べ物すら「必要」ではない。
なければ死ぬだけ。

生にも死にも悟りにも価値はないし。
88: 考える名無しさん 2017/06/24(土) 07:58:59.55 0.net
>>87
屁理屈が聞きたいんじゃないんです。
まるで人間が精神でしかないような考えは馬鹿みたいです
91: 考える名無しさん 2017/06/24(土) 21:38:42.55 0.net
>>88
あれはお釈迦さまの四苦をテンプレで書いただけなので、馬鹿みたいに見えるということは四苦を理解する努力もしなかったようです。
価値相対主義も言葉は知っていても体得できてないので、生に輝くような価値を見出しているようです。


常人として100点です。
周りの人と話が合うと思うのでその方向で行かれるといいと思います。

悟りとか異常なことは人生から除外しましょう
92: 考える名無しさん 2017/06/24(土) 23:37:49.48 0.net
>>91
宗教の発生理由と信じ方の理解が乏しい人が多いようで。
救われたいような状況や上位になりたいなんて思っちゃうような人間に僕もそんなの求めないけどね
管理人より:仏教における「四苦」とは、万人の持つ根源的な苦しみ、「生」「老」「病」「死」の4つ。
100: 考える名無しさん 2017/06/25(日) 23:29:48.72 0.net
哲学、悟り、思考、知識、なんであれ、選択肢になりえないものは必要ではないよねってこと。
MP足りてないのに奥義覚えてたってね
103: 考える名無しさん 2017/06/27(火) 18:13:11.66 0.net
>>100
奥義なんてものは誰でも知っているが誰もが使えない類を言うんだよ、
知っていてもそれが何?と考えて選べない。
貴方のような思考がそれをさせる。
104: 考える名無しさん 2017/06/27(火) 18:24:06.11 0.net
>>103
例えに定義付けから入ろうって考え方が嫌だなあ。
なんの反論にもなってないし
107: 考える名無しさん 2017/06/28(水) 11:57:37.57 0.net
半年前、出来心で瞑想やってたらなんか変性意識状態?になって脳内が初めて精通を迎えた感覚になった
それ以来、世界観が変わったわ 好奇心が暴走してる
悟りへの道に入ったかもしれん

スレタイ、人間は生きて死ぬわけでそれに必要なものなんてないわけだが、俺からいわせれば悟りへの過程でえらい虚無的になるだろうし、ボーッとするし、サイコパスっぽくなるし、まあ必要、不必要だのと考えるほどには世俗者なんだし、悟りなんていらないんじゃね

孤独に震えて死にたいやつは少し悟れば確実に楽になるよ
レッツ瞑想
109: 考える名無しさん 2017/06/28(水) 15:27:19.06 0.net
>>107
目閉じて落ち着くのは勧めるけど、私は全員に悟りとして瞑想を勧めるべきではないと思う。
悟る時、大体の人は一転したかのような変化があり、五感がよく効くようになると聞く
あなたの言う好奇心についてが例だ。

私が懸念してるのは五感が過敏になり必要以上に不幸や悪意を感じ取ることだ。
その目で鏡を見て幸せになれる人間がどれだけ少ないことか。
絶対だと言う大きな基盤より、絶対ではない小さな部品として何かを得ることを私は勧めるし、その点でスレタイに至る。
自分が絶対だと思える人間なんぞには何も言わんが
93: 考える名無しさん 2017/06/25(日) 00:50:04.37 0.net
悟りってなに?意味不明
94: 考える名無しさん 2017/06/25(日) 00:58:35.67 0.net
>>93
哲学板でいつも思うけど、疑問から自答につなげようとしない人は諦めたほうがいいと思う

なんかですねぇ、スレ読みながら思ったんですが、「悟る」っていう感覚は、悟った本人にはわかるんだろうけど、悟ってないひとにはサッパリわかんないわけですよね?
Aさんが「ついに悟りを得たぞぉー!」と盛り上がってる横で、Bさんは「悟るってなんだよ、ホントなのかよそれ…」ていう状態。

これって卑近な例で考えると、男性から見た女性の「イクっていう感覚」と似てるんじゃないでしょうか。
男性はいいですよ、わかりやすいんですから。
しかし、女性のそれを100パー看破できる男性というのはいないはずです。まぁ中には「オレは演技とそうでないのを見破れる!」と主張する方もおられるでしょうが、しかしそれは永遠のミステリーですよ。
よくわかんない方はコチラを参照していただきたい。

で、これは実はイッた本人にも言えることであって、自分は「イッたつもり」でいるけれども、それが世間の女性一般が体験してる「イク」と同じ感覚なのかどうかは、やはり永遠のミステリーだってことです。
ブッダだって彼氏(?)に「もぉー、今日3回も悟っちゃった…♥」って言ってても、本人が「悟った」と思ってるだけで、ホントに悟ったかどうかは定かではない。

ナ、ナンテコッタ!
なんという哲学的なテーマですか!

「仏教における『悟り』と、女性のオルガスムとの類似性」
今年の管理人の研究論文のタイトルが決まったようです。このスレを読むまでは「そぼろ丼の容器と、そぼろ肉の剥落に起因する心理的因果関係」にしようと思ってましたがやっぱりこれにします。
今年のノーベル哲学賞は管理人がいただく!
以下、本題と関係ないお知らせ:
先日も告知しましたが、今週は21日も更新おやすみです~。
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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.20 22:41
    小乗仏教の悟りは五蘊の他に人格的な主体はないという人空を悟るとされる。
    大乗では、人空に加えて、五蘊にも自性がないという法空を悟ることをいう。
    これは唯識派でも中観派でも同じ。

    また、大乗では仏になるまでには十段階の過程(十地)がある。その最初の段階で二空を悟る。これは仏になる前の段階であり、龍樹菩薩や無着菩薩のように実際にそこに至った人がいるとされている。そこに至るまでの瞑想方法もかなり具体的に規定されている。したがって、この初地に到達するのはかなり現実的な問題と考えられてきた。

    こういうことは自分で専門書を読んで、少し集中して研究すればわかることなのだが、無知のまま適当に仏教を語っている人がいつもいるのは遺憾である。
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.20 22:51
    上のレスで「真如」について語っている人がいる。真如とは唯識派の論理で主体と客体が一体となっている事実をいう。これは何も神秘的なことではない。誰でも実感できることだ。たとえば、いま自分が見たり聞いたりしている世界はそこに実在しているともいえるが、実はそれは自分の心における認識以外の何者でもないといえる。それを分析的に考察するから主体と客体が意識されるのだ。

    つまり、悟っていない凡夫でも真如の中に生きている。ただ、そのことを瞑想などの修行によって身にしみて思い知らされたことがない一般人は、すぐに忘れてしまうというだけだ。

    ただし、中観派の見解では、その真如にも自性(固定的実体)がないことを悟ることが要求される。それが実感できたときに菩薩の初地に入ったといえるのである。
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.20 22:54
    とりあえず悟ってから考えれば?俺はそうしたよ
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.20 22:57
    ちなみに、ヒンドゥー教ヴェーダーンタ派が説く真理は、梵我一如、すなわち自己と世界の一体性であって、これは唯識派が説く真如と似ている。
    相違するのは、ヴェーダーンタ派はそのブラフマン、あるいはアートマンが無自性という事実ではなく、何らかの永遠不変の実体であると考えている点である。

    そのほか、サーンキャ派やジャイナ教が想定している解脱論も独自の見解で興味深いが、その手の専門書を読めばわかることなので、説明は割愛することにする。
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.20 23:02
    まさか「哲学ニュース」の野郎が、明日の8時の更新でこの話題を蒸し返したりしないだろうな。同じコメントを何度も書くのは面倒だから嫌だ。
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.20 23:08
    空き家には主人がいないから浮浪者や鳥獣、妖の類が入り込む。鏡には決まった色がないから色々なものが映る。心に主体があったら外の物に動かされるようなことがあるか。というのは兼好法師。
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.20 23:37
    理と知は異なる
    理は利を産むが有に至らず
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.21 12:39
    悟りは言葉で表す概念ではないのでは。
    言葉を使って思考する哲学とはちょっと相性が悪い。
    • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.21 13:03
    >>※
    その通りですね。

    実体験の伴わない思考する哲学では堂々巡りしてしまいますので、探す必要の無い探している答えに気づけない。

    答えを見つける為に何処に行く必要も無く、何もする必要はありません。
    • ※10 : a
    • 2018.1.21 13:09
    米1
    ドクターでもない門外漢ながら失礼しますよっ

    それじゃあ他力と言う名の依存になってしまわないかな
    主体も客体も実は同じ対象を違う側から見る姿勢じゃないのかな

    真理といえばコレが人間の全てですというのと同じで
    人間を観測器としたならその観測限界や人間的認知による存在の外と内の狭間への理解という事ではないだろうか
    その「境界」といものを記号的という発明によって便宜上、主体や自我や直観と表現されているのであって
    この自分か自分じゃないかにひたすらこだわる事の無意味さを同時対極的(ニヒル)に内包しているのではないだろうか

    自分と呼ぶには不確かなモノ=客体によって自分が定義されるのはどこまで行っても客体による自力だし
    疑い様のない自分という要素の集合こそが自力による他力だし、構造的にも色即是空空即是色に対応すると思うんだ

    線として見ればどこまでもどこまでも拡大して自他を強調することに夢中になるけど
    フッと、この曖昧な自力と他力という非皮膜的、非境界的なボワッとした界面を想うとき
    逸れがどこまでもどこまでも全て自分の事として「気付き」になるのだと
    唯識に関する理解については、もうかなり確信的に思い込んでる(鼻血

    前述の互いの関係性によって人間というのが成り立つのだとすれば言わば現象の所有権という功利的思考ではなく
    やはりそのような気付きに向かって我々の科学やあらゆる理解は進行しているのだと感じる
    決してこれが先人の予言ということではなく、意識と言うものが遅かれ早かれそのような特性を持ち得ると示唆しているような気がしている
    • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.21 13:51
    この世は悟りのコンクール。
    残念ながら、100万人に1人しか境地に到達出来ない。

    悟った者は天国で900年間遊んで暮らせる。
    • ※12 : a
    • 2018.1.21 14:00
    米11
    ゴールではないという意見を見るけども
    ゴールがあるならスタートがあるわけで
    スタートがあるというならソコには他力が不在になる
    だから悟りとは姿勢の事であって
    悟り自体に何か特異性を感じるなら悟りという言葉に意味などないとした方がマシじゃないかな
    ただただ”今を感じて”過ぎ行く今より感じ今より考え今より生きることだと想う
    臭い主張には臭く応えたい!
    • ※13 : a
    • 2018.1.21 14:32
    訂正(気付き)   だから悟りとは「より宇宙的自然的抽象的現象的姿勢」の事であって

    有り難う 
    • ※14 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.21 17:53
    超感覚や超能力、超理論力が開花して世のため人のためにならないなら何の意味もない
    • ※15 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.21 18:40
    東南アジアで大乗とか小乗とか魔改造される前の、釈迦の初期仏教では
    執着するから苦労する(渇愛)⇒こだわんなきゃいいじゃん!(悟り)

    の分析過程が悟りのすべてだぞ。
    悟ろうと執着する時点でもはや悟りからは遠くなるんだぞ。
    • ※16 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.21 19:25
    瞑想してた訳じゃないけど「悟った」感覚の経験あり。
    思考回路を制限してたある種のたがが外れて、一気に思考の自由度が爆発的に増し、安心感や高揚感に包まれた。恥ずかしながら「悟っちゃった」と有頂天になって思考の遊びを続けていたら、ある時自己矛盾に気づいて一気に死の恐怖が訪れ、パニック後短期的なうつ状態に。その後もある種の幻覚や妄想や悪夢が断続的に現れたり色々ありつ、4ヶ月位で落ち着いた。
    この経験を通して分かったことは全知とは無知であり、偏見とは本能であり存在の条件。客観的な世界は必ず矛盾を含み、この世の全ては真であり偽であると知った上で、それぞれの内に矛盾のない多世界を別次元から繋いでいくことが知を蓄積する方法。その先に何があるのかはちょっと分からない。
    • ※17 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.21 19:47
    悟りは草
    • ※18 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.21 22:06
    実に面白い。こういう、明確な答えのない(あったとしてもそれを証明することが困難な)問いに対して交わされる議論は、読んでいて非常に楽しい。
    一通り目を通して感じたのは、やはり人は物事を思考・認識する際に言葉を使用し、言葉にできないものを考えることが苦手である、ということか。悟りとはおそらく概念的で感覚的なものなのだろうと想像しているのだが、だとすればそれを共通の認識として得るのは難しい。
    悟りは、一般的な現代人の価値観において必要か不要かで言えば、おそらく必要ではない。しかし悟りを開いた人に言わせれば、それはまた違うのかもしれない。これはわからないな…
    • ※19 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.22 2:40
    悟りが仏教の悟りのことならとっくにその内容はわかってる
    問題はそれを体験として実践するには日常生活から離れてトレーニングしない限り非常に難しいということ
    • ※20 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.22 8:36
    言葉にした時点で情報は劣化して「体験」「経験」を伝えることは難しい。
    「悟り」に関しては仏教用語なので、それ以外の情報を求めるなら、尋ねる言葉を変えなければいけない。
    またスレ冒頭の「諦める」は「四諦」からわかるように「あきらかである、あきらかにする」的な意味があり、それが変化したものである。状況が変わらなくても理由がわかれば概ね納得できるのは僕たちの利点だ。

    当たり前を見つけたのが釈尊であるとするなら、形而上学を扱っている物理学者は現代的な悟りに近い人たちなんじゃなかろうか。
    今のところ100%の「当たり前」は誰もが死ぬということ。だからどのように死ぬのか、つまりどのように生きるのが良いだろうか、というのが仏教だ。
    死後の世界や超能力などとはあまり関係ないのであしからず。
      • ※21 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2018.1.22 15:18
      情報化することは英語でinformというように、何かを型にはめること。
      無限の意味をもつ言の樹から一片の言の葉を切り取ることであり、常在の真実を無常の物に変えること。
      しかし人はその無常の言の葉の中に真実の欠片を見ることもできる。
      ゆく河の流れに乗った一片の言の葉は、二度と同じ形で還ることはなく、掬おうとすると砕け散る。
      だから人は言の葉の写真を撮って、確かに真実の欠片がそこにあった事実を残そうとする。
      でもその写真にはそこにあった真実の欠片は写っていないし、見返す度に色や形を変える。
      写真はまた河に流すことで、別の誰かの言の葉に還る。
      写真を撮るのをやめて、真実の欠片を見続ければ、それは繋がって大きな真実に成長するが、それは人との関わりを断つことであり、真理を得た人は孤独な光になって光速で別の世界へ飛んでいく。
    • ※22 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.22 20:55
    悟りが必要とか必要でないとかそういうもんじゃない
    悟りを欲するものが悟りを得る
    だから誰彼れに悟りを強いても無意味
    己自らが欲しなけりゃ意味がない
    悟り、それは自分自身のことなんだから
    自分で見つけなきゃ
    自分で坐らなきゃ
    時間的概念を無視すれば修すること即悟りよ
    道元ちゃんも言ってるし間違いない
      • ※23 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2018.1.24 11:00
      >※22
      そうそう、逆に言うと、人間には必要なときに悟る機能が備わっているということ。
      食べる必要がある時に食欲が湧いて食べる、悟る必要がある時に悟欲が沸いて悟る。
    • ※24 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.25 8:44
     ※1悟りは必要ではなく、あなたはすでに悟っているのです。

    人間は悟った状態で生まれてきます。悟る必要はなく、常にあなたは悟っているのです。

    では何故分離が起こるかと申しますと、周りの者が「パパ」、「太郎」、「パパ」、「太郎」・・・
    と、繰り返しあなたと私は分離した存在なのだと言い聞かせるため赤ちゃんは、
    「私は太郎と言うんだ」と実際には存在していない幻想の「私」を作り上げるのです。

    人間の全ての苦しみは「私」という他とは分離した存在だと信じ込むことに起因しています。

    あなたは何事とも分離していないとう真実に気づくとき、思考に静寂が訪れ、それが本当の
    自分だと思い出すのです。

    思考と思考の間に存在する静寂の空間が増えるほど本当の自分がもっと明らかになるのです。
    それが悟りです。本当の自分を再び思い出すのです。
    ですからあなたはすでに目覚めている。
    • ※25 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.25 9:36
    仏教における悟りには段階がある
    釈尊が悟ったものは人の身で獲得できる最上位の認識
    スレや米欄に出ている認識内容は、釈尊の求める悟りには至っていない

    管理人がいうように、その最上位の悟りでも認識できているのは当人にしか分からないこと
    結局、他人から見たらオカルト(隠された何か、目に見えないもの)でしかない
    悟りに興味があるならば、そこへ至る方法論を学び、自ら実践するしかない
    このサイトを好む知性がある人ならば辿り着ける
    偏見や先入観を捨てて書物に当たってみるといい
    • ※26 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.1.25 10:34
    鉄鼠の檻
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