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日本の4世紀から5世紀の間ってなにが起こったの? @ [日本史板]


日本の4世紀から5世紀の間ってなにが起こったの? @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2015/03/25(水) 04:18:03.17 .net
語れ
管理人より:日本史板のスレだけど、考古学カテゴリーでのまとめ!
2: 日本@名無史さん 2015/03/25(水) 10:33:33.34 .net
邪馬台国の後継大和朝廷が中国~東海まで支配地域を拡大
神功皇后が反乱し庶子の応神天皇が九州から大和に攻め上ぼり即位
22: 日本@名無史さん 2015/03/29(日) 09:50:00.08 .net
>>2
あなたの説を支持しますよ。
ところで神功皇后は西暦350年以降くらいの人、その子の応神天皇は西暦400年頃の人。台与女王は西暦250年~300年頃の人ですね。
すると西暦300年頃から350年頃までの邪馬台国、および大和朝廷はどんな歴史の流れをたどったんでしょうか。
大和朝廷の事実上の創始者と目されている
崇神天皇と邪馬台国との関係はどんな関係だったのでしょうか。
ぜひあなたのお考えをお聞かせ下さい。
4: 日本@名無史さん 2015/03/25(水) 13:49:16.37 .net
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。

『新唐書』日本伝
其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
※「筑紫」=北九州
(まとめ)
日本と倭国は別種。
日本はどこかの小国だったが倭国を併合した。(旧唐書)
日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は北九州にいた。(新唐書)
5: 日本@名無史さん 2015/03/26(木) 02:21:18.61 .net
>>4
>倭国を併合した
「為倭所并」の部分は受け身表現で書かれてあるので「倭国を併合した」ではなく「倭に併合され」と訳すのです。

つまりかつて「日本」という小国があったが倭に併合された。
日本という国はなくなってしまったが、今度は征服した倭の方が「日本」という国名を名乗るようになったということです。
6: 日本@名無史さん 2015/03/26(木) 05:41:56.51 .net
>>5
違うだろうね。
11: 日本@名無史さん 2015/03/26(木) 16:48:03.89 .net
>>1
前方後円墳を作りまくっていた
14: 日本@名無史さん 2015/03/27(金) 06:43:53.52 .net
天孫降臨、神武東征勢力による日本列島征服
19: 日本@名無史さん 2015/03/28(土) 14:52:36.22 .net
出雲

古墳(全部で五百五十基)については、大きな特徴があり、四世紀のものは、方墳
(百十一基)、前方後方墳(三百四基)、四隅突出型方墳(五十五基)で、出雲東部に
多く、大和型の前方後円墳(三十基)よりはずっと古く、かつ多い。特に長野県に多
い四隅突出型墳は、鴨緑江中流にある高句麗系のものである。
20: 日本@名無史さん 2015/03/28(土) 16:48:27.99 .net
四隅突出が長野に多いとか電波にもほどがある
23: 日本@名無史さん 2015/03/29(日) 10:01:45.83 .net
長野の古墳は高句麗型
30: 日本@名無史さん 2015/03/29(日) 12:22:46.64 .net
>>23
×四隅突出=高句麗型
41: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 14:54:25.65 .net
>>23
高句麗方面から豪族または技術者集団が入って来たのは間違い無いけど庶民は南方系じゃないと習俗と噛み合わない
26: 日本@名無史さん 2015/03/29(日) 10:55:08.74 .net
東国の歴史は書紀にも古事記にも殆ど登場しない。
しかし高句麗が朝鮮半島を南下して支配したこの時期、日本海を越えて大量に高句麗から渡来した足跡がある。
大和と東国2つの日本が確実にあった。
33: 日本@名無史さん 2015/03/30(月) 20:35:33.92 .net
ドングリ食ってたんだろ
40: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 14:36:49.87 .net
>>33
ドングリ拾い→栗栽培→米作は文明は全て北からやって来た事にしようとしている勢力によるプロパガンダ
南から里芋(タロ芋の仲間)そして米と入って来たのです
何れもバイカル湖畔が原産では有り得ません
36: 日本@名無史さん 2015/04/09(木) 11:38:48.46 .net
ハニワと古墳が流行りのスタイルだった
37: 日本@名無史さん 2015/04/09(木) 11:46:01.41 .net
最後に、日本における馬と人との交渉の変遷について概観する。
前述したように中新世の地層や沖積層の地層から馬の化石骨の出土はあるが、明らかに縄文、弥生時代の馬と推定できる馬骨の出土は一例も無く、この頃日本列島に馬は棲息していなかったと考えられる。
現在の在来馬にいたる日本の馬は、4世紀末から5世紀頃に乗馬の技術や飼養技術とともに持ち込まれた家畜馬が起源と考えられている。


現在では、野沢謙により提唱されている説がより現実的であるとされている。
彼は現存する東アジア在来馬の血液蛋白を指標とした遺伝学的解析をおこなった結果、日本の在来馬は古墳時代に蒙古系馬がモンゴルから朝鮮半島を経由して、九州に家畜馬として導入されたものが起源であるとしている。
馬の進化と人間との関わり (9)
38: 日本@名無史さん 2016/02/18(木) 20:28:53.89 .net
4世紀には朝鮮半島をめぐって高句麗と争っていた
5世紀に広開土王が死んだら一旦は高句麗と倭は手打ちになり、高句麗の手引きで仲良く宋に朝貢、これから倭の五王はじまる

倭王興まではよかったが、475年からまた倭と高句麗の関係は険悪になった
45: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 15:48:43.23 .net
五胡民族紛争から逃げてきた漢人、半島人を受け入れて漢化してた
46: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 16:18:59.35 .net
日本が中国化したころだな
48: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 19:29:24.10 .net
>>45-46
それはない。
ただの難民が入ってきただけでは治安が悪化する程度

ただの難民(字もよめない農民の類)は移住先の文化に同化されてしまう
ある程度まとまった集団を維持した状態で来る連中は移住先に文化をもたらすけど、そういう連中は記紀とか姓氏録とかに帰化人として出てる
49: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 19:45:01.97 .net
帰化人だの名簿だのでるの壬申の乱以降だけどな
51: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 20:11:01.02 .net
>>49
名簿が出た時が渡来時期かよw
50: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 19:47:06.56 .net
弥生人だのが渡来した言われとるんは最新の研究じゃあ2800年前
53: 日本@名無史さん 2016/02/25(木) 23:50:33.09 .net
>>50
そんな話は初耳だが。ソースはよ
55: 日本@名無史さん 2016/02/26(金) 01:47:06.09 .net
>>53
弥生人の多数を占めるハプロO系統の最初の渡来って事だよ
57: 日本@名無史さん 2016/02/26(金) 20:44:31.56 .net
>>55
そんなこた聞いてない、ソース出せってこと。おまえの妄想なの?
54: 日本@名無史さん 2016/02/26(金) 01:25:57.74 .net
漢字が使われ、詩歌や仏教崇拝など大陸文化に染まり始めた時代
58: 日本@名無史さん 2016/02/27(土) 00:59:32.57 .net
日本が中国文化の派生形としても、分化したのはいつよ
今でも同じとは絶対に言えないわけだが
60: 日本@名無史さん 2016/02/29(月) 02:20:01.41 .net
文字すらもたず記録も残さないような野蛮人などどうでもよくね?
61: 日本@名無史さん 2016/02/29(月) 02:33:46.43 .net
中国文化?
日本のが中国より古いよ
変な信仰あるんだよな
63: 日本@名無史さん 2016/02/29(月) 09:50:41.45 .net
>>61
なるほど、変な信仰がある奴は他人もそうだと思い込むのか
62: 日本@名無史さん 2016/02/29(月) 08:40:17.50 .net
戦後教育で洗脳されてるからな
65: 日本@名無史さん 2016/02/29(月) 13:43:54.70 .net
高句麗は南下して楽浪郡を併合してさらにその南の三韓にも進出しようとして、新羅や百済と戦ってた
新羅や百済は単独で高句麗に対抗できないから倭国の力も借りないとならん
だから人質だしたり「敬仰」したりしてたわけだろ
つまり侵略者は高句麗のほうだぞ
80: 日本@名無史さん 2016/03/11(金) 20:21:45.21 .net
>>65
公開土王碑文や日本書紀でも最初に手を出したのは倭ってことになってるが
82: 日本@名無史さん 2016/03/15(火) 20:50:46.98 .net
>>80
広開土王碑文は問題外だからさておくとして、日本書紀の件はどこをさしていってんの?
まさか大伴狭手彦とかじゃあるまいなw
67: 日本@名無史さん 2016/02/29(月) 19:13:26.87 .net
高句麗も新羅も百済も日本の属国やぞ
68: 日本@名無史さん 2016/02/29(月) 21:13:15.57 .net
>>67
高句麗に関しては時期によるな
69: 日本@名無史さん 2016/02/29(月) 23:59:10.65 .net
どんぐり文化の記録は日本の方が古いのかなw
84: 日本@名無史さん 2016/03/17(木) 18:47:46.77 .net
三韓征伐も知らんのか
つうか公開土王碑文より日本書紀のほうがよっぽど問題外だろ
86: 日本@名無史さん 2016/03/17(木) 21:58:10.05 .net
>>84
バカかおまえは。
神功皇后は新羅を征伐したのであって高句麗を征伐などしとらんわ
85: 日本@名無史さん 2016/03/17(木) 19:06:05.05 .net
日本書紀の雄略23年の条に筑紫の安致臣・馬飼臣らが船師を率いて高麗へ出撃したという記事があるよね
倭王武が宋に高句麗遠征の許可を求めたのが前年の478年のことなので時期的にも合う
87: 日本@名無史さん 2016/03/18(金) 19:07:27.41 .net
日本書紀 第九巻
高麗・百濟二國王、聞新羅收圖籍降於日本國、密令伺其軍勢、則知不可勝、自來于營外、叩頭而款曰「從今以後、永稱西蕃、不絶朝貢。」故因以、定?官家屯倉。是所謂之三韓也。
まぁゴミみたいな日本書紀の記述なんてどうでもいいがな
史料的価値は皆無だし
88: 日本@名無史さん 2016/03/19(土) 02:50:37.88 .net
>>84-87
高句麗と百済が内属していたのは新羅征伐より後だろ
記紀は語部の伝承が根本史料だから物語調になってる
新羅征伐のラストで
「これから三韓との国交が開けました、めでたしめでたし」
と言ってただけなのを歴史書っぽく脚色したから、まるで新羅征伐の直後にさっそく百済や高句麗が帰属してきたかのような印象になってるけど、実際は日本書紀自身が百済が初めて帰化したのは丁卯の年だといってるわけで、新羅征伐の時ではない。

当然、高句麗との接触も新羅征伐よりずっと後だろう
90: 日本@名無史さん 2016/03/19(土) 10:18:44.73 .net
>>86
三韓は旧馬韓弁韓辰韓だから高句麗は入らないよ

百済新羅高句麗を三韓と呼ぶのは後の時代
91: 日本@名無史さん 2016/03/19(土) 11:35:38.47 .net
それが日本書紀では高句麗を三韓に含めているんだよ
原型となる伝承では馬韓弁韓辰韓だったんだろうけど
92: 日本@名無史さん 2016/03/19(土) 15:44:42.14 .net
その辺りからも、奈良大和朝廷が半島との争いの歴史にはあまりコミットして無かったってことがよくわかるね
記紀作者はよくわかっていない

忙しいので注釈なーし!オチもなーし!ゴメンネ!

というわけで、文字文化がなかったせいか、イマイチよくわからない日本の先史時代。
古事記と日本書紀の末尾をとって、まとめて「記紀」と呼ぶのですが、日本最古の歴史文献であるこれらが書かれたのが8世紀始めごろ。
漢文の編年体書かれているわけですから、中国から漢字文化が入ってきて、やーっと文章として残すことができるように。

それまでの時代、そこそこまとまった文化があったようにも思えるのですが、文字は全然使ってなかったのか、それとも使ってたけど残ってないのか、よくわからない系です。
聖徳太子などが編纂したもっと古い史書もあったそうですが、家事で焼失しているんだとか。歯がゆい。

最後の方で神功皇后の三韓征伐が語られていますが、ここに言う「三韓」とは日本書紀によれば「高句麗・百済・新羅」と書かれていますが、5世紀ごろまでは「馬韓・弁韓・辰韓」を三韓と呼んでいたそうですね。
いずれにせよ、記紀の方では神功皇后が軍を率いて海を渡ったら、恐れをなして勝手に降伏した云々というわけで、ホントに征伐しにいったのかどうかもよくわからない。
神功皇后かどうかはわからないけど、誰かが攻めに行った…ということだけはどうやら確実だそうです。

政治色の濃い当時の歴史書ですから、客観的な事実が気になるところですが、タイムマシンでもない限り真相はわからない…かもしれません。気になりますね!
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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.4.7 11:29
    家事で焼失したのか…w
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.4.7 16:47
    火を起こすのに薪が足りなかったからくべちゃったんだヨ<家事で焼失
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.4.12 11:36
    この当時の人々の意識の中に対馬海峡に国境線を引く発想はあったのか?
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