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【名門】庄屋・名主・本陣・郷士【富裕】 @ [日本史板]


【名門】庄屋・名主・本陣・郷士【富裕】 @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2016/11/02(水) 22:15:07.50 .net
金もあり名誉もあり、はたまた苗字帯刀など特権もある。
外見は二本差しに雪駄を履き絹服を着、屋敷は塀はあり門あり、玄関、書院造。傍から見ればどこの殿様か上士か?
しかし、身分は徒歩より下…が、家の歴史、プライドは下手な侍には負けない。
語りましょう。
管理人より:過去スレリンク省略。スレその4.1より。
2: 日本@名無史さん 2016/11/02(水) 22:16:07.17 .net
享和元年(1801)の御触書
領主によって苗字帯刀を許された庶民は
(1)郷士のように由緒あって以前から許されていたもの
(2)奇特な行為によって褒賞として新たに許されたもの
(3)町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの


武士への憧れ(PDF)
郷士の士族編入について

浪人扱いの郷士は概ね卒→平民の過程をたどった模様です
3: 日本@名無史さん 2016/11/02(水) 22:22:24.75 .net
鄕士制度の構造と機能(PDF)
苗字帯刀
1059398495
苗字帯刀Part2
1143035977
苗字帯刀Part3
1206605722
苗字帯刀Part4
1220137047

等あるので各自ググるように
4: 日本@名無史さん 2016/11/02(水) 22:26:12.29 .net
大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(1)
明治の廃刀令まで、百姓は江戸時代でも脇差しは指していました。
これが当時の1人前の成人男子の指標だったからです。
脇差しに加えて、太刀を指すことを帯刀と言って、帯刀が武士だけになるのは、戦国時代が終わってから100年後の17世紀後半のことになります。
それまでは百姓も大小2本の刀を指し、ドラマでも出てきたように、弓・鑓などで武装していました。
6: 日本@名無史さん 2016/11/02(水) 22:34:10.35 .net
また、先祖が武士であった庄屋らが「郷士」と私称するケースが天領等に多々あったようです。
7: 日本@名無史さん 2016/11/02(水) 22:42:13.23 .net
管理人より:「庄屋」は、江戸時代に代官の元で村政を担当する地方三役のひとつ。村長さんに相当。残りのふたつは「名主」「肝煎」。
8: 日本@名無史さん 2016/11/03(木) 09:36:58.75 .net
秩父では有力名主が忍藩の命令を農家に伝え、農家からの要望や集めた年貢を忍藩に取り次いだが、彼らはもと北条家旧臣であった
9: 日本@名無史さん 2016/11/03(木) 10:15:16.98 .net
天領の苗字帯刀が稀という話もあるけど、幕末に献金で代官所が結構許可だしてるよ
10: 日本@名無史さん 2016/11/04(金) 22:55:55.31 .net
『京都壬生八木家の歴史 1』(八木 喜久男/著 角川書店(発売) 2006)
壬生郷士の自称郷士から郷士(浪人)身分獲得を詳しく書いてある。
12: 日本@名無史さん 2016/11/07(月) 10:00:16.55 .net
戦国時代、庄屋は自警団みたいな自衛戦力持ってたの?
自分の国が攻められたら総乱取りされる危険があるでしょ?
15: 日本@名無史さん 2016/11/07(月) 21:49:16.47 .net
上にもあったけど天領や大きな藩は兵農分離をゆっくり行ったようで、帯刀人改等の資料は17世紀後半まである。
なので士であった庄屋ら郷士を自称し、また富の蓄積に伴い身分さえ手に入れるようになるのは、近い歴史の連続性があるように思う。
農に身分を落とされても気持ち的には士なんだろうな。
16: 日本@名無史さん 2016/11/09(水) 15:50:18.76 .net
大塩平八郎の乱には大阪近隣の富農の類が大塩の門人として多く参加したけど、けっこう郷士っぽい経歴の家が多い。
与力の家と養子や婚姻でつながっていたりして、乱への参加が士分取り立てのチャンスと見た門人もいるくらいだ。
17: 日本@名無史さん 2016/11/10(木) 00:00:54.65 .net
剣客 白井亨
『天真伝白井流兵法遣方』における白井亨の履歴について
『兵法遣方』では祖父彦兵衛が出た中野の白井家の家格を「郷士」としているが,当時の公式文書には白井姓を見ることができないことから,白井家が正式な郷士身分であったとはやや考えにくい。
しかし,白井家は中野でも草分け的な古い家で,中野の名主や郡中代を代々勤め,天領であったこの土地の支配の末端を担う家柄であった。
近世においてはこのような地域の有力者が,正式な身分ではないものの,自らを郷士と自称することもあったことから,白井家が郷士を自称していたことは十分に考えられる。
20: 日本@名無史さん 2016/11/13(日) 15:39:40.93 .net
江戸時代の庄屋は元は西軍の武将が関ヶ原の敗戦で帰農したそこそこの武将達
21: 日本@名無史さん 2016/11/13(日) 16:11:10.24 .net
そんなことは分かっている
22: 日本@名無史さん 2016/11/13(日) 17:06:07.15 .net
つまり先を読む能力に欠けるご先祖
23: 日本@名無史さん 2016/11/13(日) 18:40:34.55 .net
うーむ。うちの先祖は主家の移封に付いていかず新田開発庄屋になったけど、主家取り潰しになったから先見の明があった。
24: 日本@名無史さん 2016/11/13(日) 18:42:23.99 .net
あーでも付いていった家も石高の割に多くないんで余程問題のある殿様で取り潰しも近いと思っていたのかも。
25: 日本@名無史さん 2016/11/14(月) 18:13:41.76 .net
東北の方の庄屋も帰農侍なの?
戦自体少なく占領もされていないし伊達や相馬見たく武士が多いイメージ。
29: 日本@名無史さん 2016/11/15(火) 22:50:45.11 .net
>>25
東北の戦は結構あるよ。知られていないだけ。
鉄砲の伝来数は少ないのだろうが、城構えを見ると鉄砲への対策も時代と共に行っているから確実にあったはず。


>>26
先祖が武士の庄屋は多いぞ。ただの農民になるよりマシ。
先祖が蝦夷の大名もいたし、抗争は結構あるんだよなあ。
26: 日本@名無史さん 2016/11/15(火) 10:38:26.03 .net
城持ちから没落して庄屋に成り下がり人生ってどんな気持ちなんだろうな
27: 日本@名無史さん 2016/11/15(火) 17:59:52.92 .net
現代でいえば自分で経営した会社が潰れたってことだろ。良くあることだ
32: 日本@名無史さん 2016/11/16(水) 17:40:51.02 .net
>>26
庄屋になるだけマシ。
むしろ今の時代の方が、横の繋がりが希薄になり、没落しても浮かび上がれない。
28: 日本@名無史さん 2016/11/15(火) 19:34:53.61 .net
http://www.ninohenosato.com/%EF%BC%93-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%8D%E5%8F%B8/(リンク切れ)
坂上田村麻呂の四代裔(『地下家伝』だと七代裔) の坂上頼次の山本荘司家の家系なんかもいい例だね
坂上季長、坂上季猛(卜部季武)、坂上頼継と清和源氏の御家人で鎌倉将軍、室町将軍とも関係が深いけど

戦国時代に秀吉の旗本だった坂上頼泰を最後に庄屋、郷士になってるな
坂上党棟梁の家は庄屋に落ちても、坂上党で従えてた田村氏は戦国時代後も大名を保ててる
31: 日本@名無史さん 2016/11/16(水) 16:51:27.76 .net
よく天領庄屋の格式の高さ…という文章がありますが、天領庄屋だと、実態として格式の高さを表す部分ってどういう場面になるのでしょうか?
藩領の庄屋と並ぶとき上座になったり、もしくは家の造りに違いなど現れるのでしょうか?
47: 日本@名無史さん 2016/11/17(木) 02:53:42.42 .net
>>1
組頭、年寄も入れてちょ。
48: 日本@名無史さん 2016/11/17(木) 05:17:45.77 .net
庄屋ってどんな仕事してたん?
小作の管理と年貢の取り立てだけ?
酒蔵や金貸しとかも兼業してたん?
50: 日本@名無史さん 2016/11/17(木) 14:26:59.83 .net
関係ないが、宇和島伊達家とか中身は仙台の伊達家の武士だから、言葉が伊予の領民と違うって話があったな
こういう話は結構ありそう
管理人より:このへんでコテハンの長文荒し全部カット。話題がまったく繋がらず残念…。
126: 日本@名無史さん 2016/11/27(日) 04:41:13.59 .net
私の先祖は戦国武将◎?だと誇らしげに言うう奴には「なんだ人殺しの家計か」といってやろう。
128: 日本@名無史さん 2016/11/27(日) 09:18:12.90 .net
>>126
農民も普通に足軽小者の類になったり落ち武者狩りやらかしたりで殺しまくってるわな。
129: 日本@名無史さん 2016/11/27(日) 09:18:16.14 .net
うちの一族のうちの一軒は、江戸後期の打ち壊し一揆の時に打ち壊しに会った庄屋の中に名前が出てくるなw
笑えるわ。
131: 日本@名無史さん 2016/11/27(日) 11:10:55.11 .net
東北北部の農村は、大抵が落ち武者と地元民の混血だ。
最初(鎌倉時代)に農民になった「落ち武者」の有力者が庄屋になる。
その後(戦国時代)、いくら大名の血族が跡目争いに敗れその地に家臣団を連れてやってきても、既に庄屋がいるから、その下に甘んじるしかなかった。


>>129
ウチの地区では、住民に反発されてその後遺恨まで残った庄屋がいるのだが、その後その庄屋から凄い農業指導者が出た家系もある。
130: 日本@名無史さん 2016/11/27(日) 09:28:41.87 .net
加古川筋一揆とか面白いんだよな。
地域経済史とかを調べてたら、名前が出る家々が軒並み襲われてるんだから。
132: 日本@名無史さん 2016/11/27(日) 12:40:58.70 .net
昔の「家格」っていまいち分からんね。
おれが子供の頃は、みんな似たような百姓に見えたんだけど。
近所の親世代に言わせると、村の中でもかなりの格差があったらしい。
金持ちとか貧乏とは違う、「何か」


俺のうちは貧乏で、近所の家がうらやましかったが、俺の父親は何度も「区長」が回ってきた。その近所のおっさんはやったことがない。
じいさんが金持ちだったかというと、まあ爺さんは若い頃はそこそこ金はあったらしいが子供の頃は親が酒飲みで身代を潰していたとか。

田舎の区長や議員や町長や村長(戦前は特に)とかは、なんらかの基準で選ばれているらしい。
昔、庄屋だったというのもあるかも知れんが、では何故庄屋になったのか?
じいさんや曾祖父さんの結婚相手は村の中にはいない。
近隣と遠くの村(町?)の醤油屋や酒屋とかが多い。
133: 日本@名無史さん 2016/11/27(日) 14:08:23.10 .net
庄屋になれる基準を明確にするのは難しいだろうね
中世からの領主的なむらおさからの庄屋は分かりやすいけど、江戸時代より前なら 武士が知行地に帰農したようなのも多いだろうね

庄屋が江戸時代に何家かに代わってるような村でも、庄屋になってる家が組頭とかにはなってない場合も多いんだよね
庄屋格、組頭格の家って不文律の何かがあるんだろね
163: 日本@名無史さん 2016/11/30(水) 15:58:03.43 .net
男子たるもの外出時には身に寸鉄を帯びるのは当たり前のこと
164: 日本@名無史さん 2016/11/30(水) 18:06:05.84 .net
どの本だったかなあ。
江戸時代の村の移り変わりを調査したやつ。
小作は子孫が絶えて絶家する確率が高く、地主層は分家を出す。
120~130年の間で、絶家が20~30%だったそうだ。

江戸時代だけで、貧乏小作の子孫は半分以下に減り、元地主層は二倍以上に増える。
これが1000年以上続くと、日本中が源氏の子孫と藤原の子孫と神武(アマテラス?)の子孫と、神様の子孫ばっかりになるな。
165: 日本@名無史さん 2016/11/30(水) 18:17:54.00 .net
そりゃ分家は血統家筋の保存が目的だから、そのリスクヘッジができない小作が滅びやすいのは当たり前だ。
ガキはヨバイなどの乱婚によってでっちあげることはできるが、収入減少による絶家への流れは、確率論的にどうにもならんだろうよ。
280: 日本@名無史さん 2016/12/14(水) 18:21:57.69 .net
代々名主

村長

町長

大家

公務員

サラリーマン

ニート←NOW
281: 日本@名無史さん 2016/12/14(水) 18:28:53.26 .net
城主→戦国大名下級家臣→庄屋--------→医者→医者→キャリア官僚→ニート
なぜだーーー??と10年ぐらい前にも書き込んだわwwww
282: 日本@名無史さん 2016/12/14(水) 21:33:57.24 .net
土地があると何となく食えちゃうんだよな

以前どっかで書いたと思いますが、小学生のころ、学芸会みたいなやつで隣のクラスがやった演物は、一向一揆がテーマの劇でした。
悪代官の圧政に耐えかねて、「一揆じゃーッ!」と叫ぶ庄屋さんに唱和して、ついに立ち上がる農民たち…。

この庄屋さん役の男の子が迫真の演技でして、彼のあだ名はこれ以降「庄屋さん」となったものです。

というわけで、江戸時代の庄屋さんみたいな地方の名士たちを語るスレ。こういうのは管理人好みなのですが、いかんせん荒しがひどすぎてうまくまとまらなかったです。
お侍さんは、貧窮すると寺子屋を開いたり、占いをやったりしたものですが、それもこれも、当時の武士たちの必須教養のひとつだったからでしょう。

庄屋さんとか、コミュニティの顔役ってのは、きっとある種の教養とすぐれた判断力、人望のようなものが必要であったろうことを考えると、元お侍さんとか、公家崩れみたいなひとがなってもおかしくはないですね。
そうやって落ち着いてみると、案外居心地もよく、そのまま庄屋さんとして生涯を終えたものでしょうか。
胸にくすぶる、出世欲や功名心の炎は、無事に消せたのでしょうか…と考えるのも、また歴史のロマンですかねぇ。

東海道五十三次 御油
トップ絵はあんまり庄屋さんぽくないけど、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の「御油」より。
広重を始めとする江戸の浮世絵師たち、白の使い方が実にうまいですよね~。白い部分が多いのに、時間帯は薄暮だというのがよくわかります。すごい。

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.6.30 8:38
    今の政治家さんだって、代々世襲の家と新興さんでは、明らかに核の違いがある
    新興さんでも、創業者一族として企業の全面バックアップで政治家になった人と、
    市民団体(ごとき)から推されてなった人とでは、明らかにヒエラルキーの階層が違う
    まあ、それと資質とは全く別物だとは思うけどね

    あと、百姓というか士族以外の帯刀に関しては、厳密な運用規定があるよ
    冠婚葬祭とか式典とか上位者を家に迎えるときの、礼装の一種で帯刀する場合と、
    道中手形を持った上で、道中の護身用装具として、道中脇差を帯刀する場合くらい
    前者ではもちろん、後者でも3寸以上抜いたり、ましてや振り回したりしたら、
    それはそれでお咎めの対象だから、武士の帯刀とは意味合いが違う
    用もないのに脇差を差して歩いていたら、当然お咎めを受けることになるけど、
    そこは色々と抜け穴がある時代だから、まあケースバイケースとも言える

    なお、渡世人・無宿人が脇差を持ってるのは、「自分らは常に旅人ですから」という体
    一処に1日以上滞在してはならぬという建前だから、「一宿一飯の恩」ってのが成立する
    恩義を返すために長ドスを振り回して刃傷沙汰になっても、大事でないなら処払いで済む
    土地の者にとって処払いは大変重い罪だけど、流れ者には痛くも痒くもない処置だから、
    地元のヤクザが、一宿一飯の恩義を盾にそいつらに厄介ごと片づけさせようっていう、
    いざというときのフェールセーフシステムの一種

    武士にとってはもちろん、一般人にとっても、帯刀するってことの意義(と責任)はそれなりにある
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.6.30 16:36
    庄屋、名主ほど偉くないけど、従兄弟が18代目になる農家。祖父は村の収入役、伯父は村会議員、従兄弟は役場勤め、伯母、叔母は電電公社の電話交換手。伯父(次男)は大学に行って教師になり、商店に婿入り。父は相当出来が悪かったらしく自衛隊行き。
    小作よりちょっと良い農家でも長くやっていると、なかなかのコネですね。
    ちなみに村会議員はいくつかの集落で話し合いをして代表者が立候補する感じ。評判が良ければ次回もその人がやり、悪ければ交代。地域代表の意味合いが強いので、落選はほぼなし。
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.7.2 12:41
    江戸近郊(今の23区の端の方)の庄屋は、江戸の都心部で公共工事があると
    農閑期の農民を組織して送り込んだりしてたんでしょ。
    他にも手広く商売して殆ど総合商社みたいな感じで。
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.7.3 8:01
    ※3
    組織して送り込んで、それで仲介料を取るとか、人足代をピンハネするとかいうわけじゃない
    公共工事にはいろんな形態があって、地元民がお上に願い出てやるものとか、お上が大名とか寺社とかに命じてやらせるとか、様々
    前者ならば、費用から何か何まで地元が賄うことになるので、その地元の人間が私財を投げうったり分担しあうことになるし、後者でも結局一般労働力については近場に頼むことになる
    で、そういう組織だった動きをする場合には、畢竟地元の有力者である庄屋(江戸期には西国での呼び名で東国では名主)に束ねを頼むことになるってだけ
    土地土地に依るけど、庄屋・名主が手広く何かをしてるってのは、その土地の保安官補であり、民事裁判官であり、町役場窓口代行であり、銀行窓口代行であり、郵便窓口代行でありとかの、準行政代執行官を兼ねてたっていうことで、商売でやってるというより、使命感からやってると言った方が正しいと思うよ
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2018.7.7 15:44
    各藩でもその立場役職は違うでしょうね
    まあ簡単には「地主階級」であったこと
    その中でも小作農を抱えていた者という理解が良いのかもしれません
    たとえば兵庫の丹波地方は豪農と言われる実力者はかなりいたそうですが
    中丹と呼ばれる京都側にはそのようなお金持ちというか実力者はそんなに居なかったようです
    京都綾部市は「グンゼ」の本社がある町ですが、この会社も綾部の有力者数軒が協力して作ったと言われていますし、「国には国是があるのだから、郡部にも郡是があっていい」という名前だそうです
    これこそという主張ができなかった地域であったということでしょう
    漁業の場合は「網元」がいますし、そのような者が一種の警察権やの調停権を持っていたという理解でも良いかもしれないとおもっています
    たとえば奉行は江戸幕府では町方トップとして警察犬を握っていますが、阿波徳島では奉行の支配は数名の下級武士を抱える地域の一般的には代官と言われるようなな職名ですよ
      • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2018.7.8 9:13
      >※5
      町方トップとしての警察”犬”とは、なかなか皮肉が効いてますね
      ※1の人の「市民団体(ごとき)」ってのも、なかなかだけど
    • ※6 : 農耕採集女将
    • 2018.7.8 8:33
    あらまあ!私向きのスレッド!!
    まずもって、江戸時代には約300程の藩がありましたが
    現代の都道府県と言うより、
    ヨーロッパの諸国形態に近いと考えた方が良いのが藩でした。

    自治権がかなり強力で
    その藩独自の法律や行政機構でした。
    これが現代も残っている郷土色豊かな各地域となる訳です。

    なのだ単純に庄屋・名主・本陣・郷士と言っても
    各藩によって職務内容も職権範囲も違ってきます。

    それでいて御公儀(江戸幕府)からの通達も順守されていて
    連合国家でもあり、その上に御公儀が鎮座している
    現代の感覚では推し量れない国体になっています。
    更にこの上に京都におわす帝がいらっしゃるのだから
    (征夷大将軍は建前上、帝が命じ、あくまで帝を守護する将軍(武家の頭領)です)
    混乱してきます。

    それと庄屋、名主等の職分名も藩の家格によって
    使える単語が決められています。(御公儀の裁量)
    なので肝入り、検断等を使っている藩もあります。

    某藩で言えば
    村方は
    大下書ー名主ー乙名ー組頭ー(百姓ー名子)
        L田屋ー御制札守
         L下書ー小走
    町方は
    庄屋ー乙名ー組頭ー(町人)

    この他にも
    海岸沿いでは乙名と共に地頭や浦乙名、網持がおり
    町方でも目明かし管轄で小屋者がいたりします。

    これが藩が違うと名前が違ったり職務内容、組織形態がかなり違ってきます。
    • ※7 : 農耕採集女将
    • 2018.7.8 8:43
    長くなりますが続けて

    そして某藩では名主は村選出です。
    表向きは藩からの裁可によって決定します。
    が、藩から村方へ「名主の目論見を出すよう命じられ」
    村内相談で候補者数名を書状にて提出
    名前順番が村での候補順位そのままです。

    その中から、藩では選んだと言う躰を成していますが
    必ず一番目に書かれた者を選び任命します。

    村の意向を無視することなく任命しておりました。
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