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平氏が平家と呼ばれるのに源氏は… @ [日本史板]


平氏が平家と呼ばれるのに源氏は… @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2012/02/11(土) 19:00:08.05 .net
源氏を源家と呼ばないのはなぜ?
2: 日本@名無史さん 2012/02/11(土) 20:44:20.55 .net
平氏と平家を混同しちゃ駄目だな。
鎌倉幕府の本質は、関東在住の武士だが、有力御家人は平氏が主流。
あの北条氏だって平氏。
清盛一族を平家と称して、他の諸々の平氏と明確に区別する必要があった。
当時の血統の意識はそんなもんでって、頼朝は単なる神輿であって、たまたま源氏だっただけ。
3: 日本@名無史さん 2012/02/11(土) 21:39:44.19 .net
源氏のことを「源家」と書いた例は『太平記』などにある。
『日葡辞書』にも、「Guenqe 源氏の家・一族」とある。
まあ清盛一族を特に「平家」と称するのとはちょっと趣が違うが。
14: 日本@名無史さん 2012/02/18(土) 21:12:35.90 .net
>>2-3
平時忠って、清盛一族じゃないどころか高望流ですらないよね
65: 日本@名無史さん 2012/11/07(水) 19:04:55.52 .net
>>2
平家は滅亡したけど平氏は現代まで受け継がれている。
鎌倉時代の北条家や織田家は平氏、なので織田信成は平氏の末裔でもある。
いまだに平氏と平家の区別つかんタワケがおるからこんなスットボケたスレが出来上がるんじゃ嘆かわしいんじゃ
73: 日本@名無史さん 2013/02/06(水) 01:24:50.07 .net
>>65
鎌倉時代の執権やってた北条氏は、鎌倉幕府とともに滅亡した。現存していない。
伊勢新九郎長氏(=北条早雲)の末裔は、河内狭山藩の藩主として幕末まで続いた。

早雲の出自は一応、伊勢平氏の末ということになっている。
織田氏は一応「平氏」ということになっているが、はじめのうちは藤原氏を名乗っていた頃もあって、あとから平氏になったということだ。
4: 日本@名無史さん 2012/02/12(日) 07:14:10.49 .net
ヘイケボタルはヘイシボタルとは呼ばないわなw
5: 日本@名無史さん 2012/02/12(日) 10:45:34.23 .net
もし頼朝周辺の血族のみを源家と言うなら構成員が結構寂しくなるな
6: 日本@名無史さん 2012/02/12(日) 17:27:49.27 .net
>>5
でも源家は頼朝一族だけでしょ?
7: 日本@名無史さん 2012/02/12(日) 20:57:32.87 .net
◆源頼朝◆
父方:河内源氏、 母方:藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)

■藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)
・母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、都を下り豊田に土着、高橋荘・高橋新荘を立券し皇室に寄進、後に岡崎に移り住む
・その息子藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)

■三河国高橋荘(愛知県豊田市)・高橋新荘(愛知県豊田市)
・三河国高橋荘:源頼朝の実弟(八田知家)の家系(中条氏)が代々地頭
・三河国高橋新荘:荘官の足助氏(足助重長)から、源頼朝の嫡男である頼家に室を出し、生まれた子供が実朝を暗殺した公暁
8: 日本@名無史さん 2012/02/12(日) 20:58:03.44 .net
【鎌倉幕府】

■頼朝姻族(将軍御一家、源頼朝の女系一族、足利家、一条家、北条家の3家)
・足利義兼:幕府内序列2位、上総介、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡)、母方から菅生郷(愛知県岡崎市)を相伝、嫡男が足利氏として初めて三河守護

■関東御分国(将軍家が知行国主とし、国司は将軍家が推挙、当初(頼朝時代)は三河国、駿河国、武蔵国の3ヶ国後に9ヶ国)

国司一覧
・三河守:源範頼(河内源氏、頼朝異母弟、室は安達盛長(三河守護、室は丹後内侍(比企氏))←頼朝が初めて国主として推挙した事例
・駿河守:源広綱(摂津源氏、古井城主(愛知県安城市)、後に実兄が伊豆守になり、伊豆に移り住み頼朝と懇意)←太田道灌の先祖
・武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、従兄弟(方原師光)が三河国形原荘荘官)
・伊豆守:山名義範(河内源氏、実父は矢田城主(愛知県西尾市)の矢田義清(足利義兼(上総介)の兄、孫が初代細川氏の細川義季))
・相模守:大内惟義(甲斐源氏、平賀義信(武蔵守)の息)
・上総介:足利義兼(河内源氏、幕府内序列2位、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡))
・信濃守:加賀美遠光(甲斐源氏)
・越後守:安田義資(甲斐源氏)
・伊予守:源義経(河内源氏、頼朝異母弟)

■政所(一般政務・財政を司る)
・別当:大江広元(牛田城主(愛知県知立市)、五男(海東忠成)が熱田大宮司一族に養子入り、娘が高階惟長(菅生郷(愛知県岡崎市)郷司)の室)
・令:二階堂行政(母親が頼朝の祖父(初代藤姓熱田大宮司/本貫地:三河国額田郡)の妹、岐阜城を築城)
10: 日本@名無史さん 2012/02/13(月) 12:30:36.08 .net
氏と家を理解していないので、スレ主のような阿呆が沸く。
つまり根幹を理解していないので、当然歴史も教科書通りで全く理解していないのであろうな。
おそらくスレ主は男系と女系すらも区別つかんのだろう。
12: 日本@名無史さん 2012/02/13(月) 22:01:42.49 .net
>>10
なんつうか、スレの趣旨を理解しておらず何を語るべきかの分別のつかない典型のようなコメ乙。
13: 日本@名無史さん 2012/02/15(水) 21:55:49.41 .net
>>1
源家といえば、八幡太郎義家の家系を指すjk
71: 日本@名無史さん 2013/01/29(火) 14:24:24.93 .net
>>13
そーなの?
源義家を略して源家なんてオチじゃないだろうな。
15: 日本@名無史さん 2012/02/19(日) 10:30:55.36 .net
平家は伊勢平氏の傍流だというが、嫡流ってどこなの?
16: 日本@名無史さん 2012/02/19(日) 17:19:28.90 .net
伊勢にいた平氏じゃね?
17: 日本@名無史さん 2012/02/20(月) 12:33:54.62 .net
だからそれは何氏な訳よ
18: 日本@名無史さん 2012/02/20(月) 18:05:24.40 .net
伊勢氏はちがうの?
19: 日本@名無史さん 2012/02/23(木) 01:45:48.62 .net
『滝山寺縁起』(愛知県岡崎市)
伊勢氏
新編岡崎市史20(総集編)
足利家の根本被官で室町幕府政所執事などを務めた武士。ふつう桓武平氏で平季衡の子孫とする。
『滝山寺縁起』にみえる足利家被官の藤原俊経(肥前前司)・藤原俊継(伊勢前司)は「伊勢系図」にのる同名の人物と官途が一致するので伊勢氏の先祖にあたるとみられる。
とすると桓武平氏というのも必ずしも信をおけないことになるが、もとは藤原姓であったのを事情あって後に平氏に変えたのかも知れない。

『縁起』に登場する伊勢氏は、俊経・俊継父子のほかに、俊経の兄弟に滝山寺僧円辰、その子に同じく増恵がおり、鎌倉中期の滝山寺の隆盛に尽くしたひとが多く出た。
鎌倉時代の伊勢氏について知りうることは少なく、上総で足利貞氏の守護代を務めた伊勢九郎宗継がいるが系図にはあらわれない。
康暦元年(1379)に尊氏の近習であった貞継(俊継の孫)が政所執事に任じられ、以後伊勢氏がこの職を世襲した。ほかに将軍右筆や御番衆になった一族もいる。
明徳2年(1391)伊勢貞行が御料所額田郡山中郷の代官に任じられ、以後山中郷は伊勢氏の所領となった。寛正6年(1465)当時、山中郷代官は伊勢氏被官の蜷川親賢であった。
松平3代信光とその一族は、伊勢氏の被官となることによって西三河で勢力を拡大することに成功した。
20: 日本@名無史さん 2012/02/23(木) 01:47:55.22 .net
伊勢俊継(初代伊勢氏)
新編岡崎市史20(総集編)

鎌倉中期の武士で足利氏被官。『滝山寺縁起』に伊勢前司藤原俊継とある人で、肥前前司俊経の子。
滝山寺に足利義氏追善のため檀那として法華堂を造営し、田畠3町8段をこの堂に寄進した。
また碧海荘青野・宇祢部の料田畠も足利(斯波)家氏に働きかけて寄進させた。
そのほか滝山寺の諸造営にかかわって財政的な援助を惜しまなかったのは、叔父の円辰や従兄弟の増恵が滝山寺僧侶であったからであろう。

文永11年(1274)6月23日鎌倉で死去した。58歳。
21: 日本@名無史さん 2012/02/23(木) 01:51:36.23 .net
増恵(伊勢俊継(初代伊勢氏)の従兄弟)
新編岡崎市史20(総集編)

鎌倉中期の滝山寺僧侶。聖蓮坊大進法眼。父の円辰(相模法橋)は足利家被官藤原(伊勢)俊経の弟で、やはり滝山寺の僧であった。俊経から持仏堂を譲られ自身の持仏堂とした。吉良荘の奉行として足利家の所領経営も担った。

建長6年(1254)の本堂屋根葺替工事に大勧進を勤めたほか、同7年の温室改造、正嘉元年(1257)の一切経蔵建設、文応2年(1261)の山王社宝殿改築などにかかわり、最盛期の滝山寺経営に重要な役割を果たした。
弘安6年(1283)2月13日衆徒訴訟の使者として鎌倉に滞在中に没した。75歳。
>吉良荘の奉行として足利家の所領経営も担った
←これ重要
22: 日本@名無史さん 2012/02/23(木) 10:26:11.70 .net
↑岡崎市史を引用されても、なんだかよく分かんないな

「平氏の嫡流」っていうと、どうも「氏長者」的な存在を知りたいんだろうけど、神皇正統記を書いた北畠親房が、「凡称氏長者、王氏、源氏、藤氏、橘氏有此号」としていて、厳密には、いわゆる嫡流と言い切れる系譜は存在しないのではないかな

鎌倉期なら得宗家の北条氏が平氏では出世頭だろうから、まあそれが氏の長者、ひいては「嫡流」的存在ともいえるだろう
25: 日本@名無史さん 2012/02/23(木) 20:35:20.69 .net
>>1
平氏は殆ど桓武平氏に限定されるるから家という概念で纏めやすいけど、源氏は嵯峨源氏から始まって幾つもの源氏が並立してる上に、家格としては清和源氏より村上源氏の方が上だから家という概念では纏めにくい
27: 日本@名無史さん 2012/02/24(金) 07:13:25.70 .net
中世は三河中心でみれば、全てが読み取れる

上総で足利貞氏の守護代を務めた伊勢九郎宗継

馬鹿な関東人だと、足利宗家と伊勢氏の最初の接点はこれになるからな

三河で足利義兼と藤原俊経(初代伊勢氏の伊勢俊継の父)

これが正解
28: 日本@名無史さん 2012/02/29(水) 14:16:11.10 .net
普通に、義家の家系が源氏の宗家、すなわち「源家」といっていいだろう。
今日、平家・源氏で定着しているのは、平家物語・源氏物語のせい。
34: 日本@名無史さん 2012/03/03(土) 01:47:30.59 .net
>>28
目からウロコですた
35: 日本@名無史さん 2012/03/03(土) 04:00:25.07 .net
>>28
源氏長者(奨学院・淳和院の別当)に清和源氏が就いたのは室町時代の足利義満が最初だから、義家の子孫なんて事は直接には何の関係ありません
36: 日本@名無史さん 2012/03/05(月) 13:35:15.36 .net
>>35
「源氏長者」ではなく、「源家」の話でしょ

三浦義明: われ「源家」累代の家人として、いま貴種再興の秋に逢う。これ喜ばしからずや…とかなんとか
37: 日本@名無史さん 2012/03/08(木) 22:10:59.55 .net
>>36
ちと待て、三浦氏って、坂東平氏だろう。
38: 日本@名無史さん 2012/03/09(金) 22:50:29.86 .net
>>37
三浦は坂東平氏といわれてるね。異説もあるが。
千葉、上総、畠山、大庭、梶原、秩父、等々、みな同じ。
坂東平氏は、頼義・義家のころは源氏の家人だった。
29: 日本@名無史さん 2012/02/29(水) 22:09:48.80 .net
主人公が藤原氏だったら、光藤原氏でも良かったのだろうか
30: 日本@名無史さん 2012/02/29(水) 23:40:47.16 .net
天皇の御落胤で皇族から臣籍降下した大変な貴種が光源氏である。
と言うキャラ設定が物語上で重要。
光源氏には実在のモデルが居て源融(とおる)ではないかと言われています。

因みに、源融~源綱=渡辺綱(渡辺氏を名乗った始祖)。
渡辺(源)綱の「打出の小槌」(資金源、地盤)は淀川下流域の交通、物流を掌握した事によるとか。
渡辺氏の総氏神は座摩(イカスリ)神社(摂津一宮。宮中に鎮祭の御巫神の一座と同体)
地名も渡辺。
おとぎ話の「打出の小槌」も実在?したそうで兵庫県芦屋市打出町はその長者さまのお屋敷が有ったことからの地名
31: 日本@名無史さん 2012/03/01(木) 07:28:05.62 .net
更衣腹の皇子が大変な貴種として処遇されてたといえるかは微妙だよね。
32: 日本@名無史さん 2012/03/02(金) 21:41:05.13 .net
>>31
皇族のままなら母の身分が低いから日陰者だけど、臣籍降下させれば
源常(左大臣、嵯峨皇子)源融(左大臣、嵯峨皇子)
源高明(左大臣、醍醐皇子)源兼明(左大臣、醍醐皇子)
のように国政に関与出来る上級貴族になれる可能性が出て来る

この中で源兼明は皇族に復帰して兼明親王となったけど、その為に左大臣を辞任する事になったので甥の円融天皇の事を「君(円融)昏くして臣(藤原兼通)諛ふ」と非難してる
兼明にとっては左大臣>親王って事だわな
管理人より:「更衣」とは、本来は帝のお召し替え担当でしたが、寝所に入れるためお手つきになることが多く、後に下位の后妃としての扱いを与えられた女官。源氏物語の主人公「光の君」のお母さんは「桐壷の更衣」とアダ名された美女です。
47: 日本@名無史さん 2012/05/20(日) 21:13:22.33 .net
源氏が武家棟梁となったのは、頼信、頼義、義家の河内源氏三代において関東の平氏を家人にしたから。
源氏の家来になるのをよしとしなかった平氏の一部が伊勢に移り、伊勢平氏となった。

伊勢平氏は、源氏(河内源氏)と比べると武家のランクは低かったが、河内源氏の興隆を阻まんとする院により、源氏の対抗馬として採用される。
河内源氏は戦に強い者が多すぎたため、義家没後、内訌となり凋落していく。

こういうことですね。
48: 日本@名無史さん 2012/05/22(火) 16:46:16.93 .net
>>47
伊勢平氏のうち正盛の系統は、荘園の寄進や賄賂で白河院に接近
58: 日本@名無史さん 2012/08/21(火) 22:56:49.06 .net
源氏は清和源氏、宇多源氏、村上源氏、正親町源氏とかたくさんあるのに、何で平氏は桓武平氏だけなの?
59: 日本@名無史さん 2012/08/21(火) 23:59:55.60 .net
>>58
嵯峨源氏抜かすなッW
板東平氏・伊勢平氏・・と、居るでは無いか・・。
61: 日本@名無史さん 2012/08/22(水) 00:04:53.92 .net
>>58
アッ・・
佐々木源氏も無い・・
63: 日本@名無史さん 2012/08/26(日) 19:40:58.28 .net
>>61
佐々木源氏!?
佐々木天皇なんていたか?wwww
60: 日本@名無史さん 2012/08/22(水) 00:03:39.25 .net
仁明平氏・文徳平氏・光孝平氏とマイナーなのも・・
62: 日本@名無史さん 2012/08/22(水) 00:18:59.26 .net
坂東平氏と伊勢平氏は桓武平氏で、佐々木源氏(近江源氏)は宇多源氏じゃん
64: 日本@名無史さん 2012/08/27(月) 09:16:46.72 .net
佐々木氏は、宇多源氏だな、近江源氏も同じ流れだ。
佐々木源氏は存在しないw
66: 日本@名無史さん 2012/11/26(月) 18:49:56.16 .net
平氏と平家の違いなんてみんな知ってる。
このスレで話題になってるのは平氏に平家があるのに(有名なのに)、源氏に源家がない(有名でない)理由だ。

偉そうにしてんだから、教えてくれるんだろうな。
68: 日本@名無史さん 2013/01/26(土) 16:18:09.88 .net
>>66
「平家物語」には、源氏・平氏の使用例はともにある。
一方で、平家の使用例はあるのに源家の使用例がない。

平家は平清盛一族のことを指すのに対して、源家と呼ぶべき突出した源氏一族がいなかったことに由来する。

違いが分かっているなら源家の用例がない理由が分かるだろう。
現代人が源氏、平家とよびならわしているわけではなく、平家物語の時代から源家という用例がなかった。
72: 日本@名無史さん 2013/01/29(火) 21:56:42.07 .net
もう覚えている人も少なくなったかも。光GENJI。

光GENJIしゃかり~き、コロンブス~
というわけでですね、なるほど言われてみれば!というスレ。(管理人だけか)
内容は全然違うけど「平家物語」も「源氏物語」もあるのに、なぜその逆の組み合わせはないのか!

「源義家」略して「源家」説はちょっとワロてしまいましたが、「氏(うじ)」とか「家」とかいうアレは日本史ヲタでもなければよくわからない仕組みですよね。管理人もこのへんさっぱりわからん。
平氏の一流、平清盛に連なる一門をなぜ特別に「平家」と通称できたかには、宮廷での権力を独占できたかどうか、という点が大きいみたいです。
他の平氏一門など歯牙にもかけないくらい強大にならないと「平家」っていえばあそこだよねー!とはならないのかもしれない。

日本には他にも個人や血縁を示す記号として「姓(かばね)」というものがあります。
これは君主との関係を示す名前の一部…ということで制度化され、8つくらいあったようですが、時代を経てほとんど「朝臣(あそん)」「宿禰(すくね)」に集約されてしまったとか。

で、まぁこれらの細かい区分けは、明治時代に統一され、公式に「氏」や「姓」を名乗ることはなくなりました。
わかりやすくはなったかもしれないですが、格式のようなものは失せてしまい、世が世なら管理人だって、「源朝臣ちゃんねる」とか名乗ってたのかもしれない。(イミフ

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.3.12 22:55
    ノッブの自称平氏は源平交代思想絡みの設定って話で終了やなかった
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.3.12 23:06
    屏風絵を見て思い出しましたが江戸時代の武家マナーでは平氏の人に平家都落ち等の源平関連の図柄の屏風を贈ったりするのは非礼なこととされていたとかなんとか耳嚢に書いてありました
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.3.14 3:59
    普通に源家って言うよ、平家は月の裏側の連中と関係してる
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.3.17 22:30
    豊臣も豊臣家滅亡であって豊臣氏滅亡ではない
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.3.18 12:28
    平家の「家」というのは特定の個人、この場合平清盛を中心とした『家族集団』の事を指す用語。だから『平氏』ではない『平家』もいる。平家家人の藤原景清や高倉天皇なども『平家』
    『源家』というのも存在はしたが、『平家』が平清盛を中心にした家族のみなのに対して、『源家』はたくさん存在した。そのため『源家』と言ってもどの家のことか分からなくなるので、『源家』という言い方は廃れてしまった。
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.3.18 23:43
    源氏なんて、しずかちゃんぐらいしか知らんわ。
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