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天皇家と将軍家はどちらが格上だった? @ [日本史板]


天皇家と将軍家はどちらが格上だった? @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 16:31:12
管理人より:元動画がもう見られなくなってたので、たぶん黄門様の麿(一条三位)の回ではないかと思って差し替えてます。スレでたくさん出てくる官位については、こちらにわかりやすくまとまっておりますゆえ、適宜ご照覧くだされい。→ 官位相当表(抄)
2: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 16:32:43
天皇家に決まってるだろ
3: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 16:36:00
徳川家は腕っ節で天下を取ったのかそれとも天皇家から任されてたのか
24: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 17:40:27
>>3
家康に限らず、尊氏や頼朝も腕っ節で天下を取り、天皇から「任される」というカッコウを採ってきた。
あ、秀吉や清盛も文官系だけど同じ事だな。
当然「任す」方が格上。
4: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 19:50:03
天皇の喪、将軍の喪
では、圧倒的に将軍のほうが長いのよん。

将軍の方が日本では重要であるということを天下に知らしめる目的。
5: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 20:21:09
徳川歴代将軍の官位は従一位~正二位で、官職は太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣。
征夷大将軍として大政を委任されていた。
大政を委任されていたから慶喜は大政奉還を行った。
天皇の政(まつりごと)であるから「大政」といい、それを委任されていた将軍が天皇に還し奉るから「奉還」という。

大政奉還は大政委任なくしてはありようがない。大政奉還はあった。
ゆえに、大政委任があった。
7: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 20:38:34
>>1
その「水戸黄門」の場面について。

徳川光圀(1628~1700)は、1690年に従三位権中納言に叙せられている。
「黄門」とは権中納言の中国名「黄門侍郎」の略称で、ドラマで光圀を中納言としているのは誤り。権中納言が正しい。

光圀が頭を下げている菊亭左大臣は、今出川公規(1638~97)だろう。
ただ、公規は左大臣ではなく従一位右大臣。
また、菊亭というのは今出川家の通称で、今出川家では大納言までは菊亭を名乗り、大臣になれば今出川家を名乗るので、その場面で菊亭と名乗っているのは誤りである。

だが、いずれにせよ従三位権中納言たる徳川光圀が、従一位右大臣である今出川公規に頭を下げるのは当然のことだ。
20: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 16:29:59
>>1>>7
その悪公家の家名の設定が、「一条」は拙かったな 。
摂家になっちゃうじゃんw

>中納言としているのは誤り。権中納言が正しい。
それはそのとおりだけど、この時代の大納言・中納言・中将・少将は権官ばかりだから、公式の場以外、一々「権」を付けて読んではいなかっただろ。
9: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 21:01:59
おい権中納言光圀!
左大臣閣下に土下座せんかい!
ちょっと無礼すぎるぞ!
10: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 21:32:17
権中納言はまだともかく、その臣下の者が土下座しないのはいかにもひどい(w
14: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 00:05:41
馬鹿が洗脳される皇国史観でなら天皇
事実の歴史では将軍のほうが上

天皇が攘夷を泣いて幕府に頼んだが幕府は日本を守るために開国した
外国も幕府を相手にしており天皇は無視
15: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 00:19:52
皇国史観に批判的な俺が>>14にはため息しか出ないのは何故だ
歴史をもうちょっと勉強しなさい、としか言えない。
16: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 00:32:01
幕府は天皇に攘夷を約束しておきながら何もしないので、天皇から征夷大将軍を解職すると脅されて慌てた。

諸外国が条約締結のために来日した時、条約締結は天皇の大権なので、勅許を得るまで使節を待たせた。
井伊直弼は天皇の勅許を得ずに条約を締結したとされるが、実際は勅許を得るために最後まで努力した。
17: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 00:40:14
将軍補佐役であった松平定信は、15ヶ条からなる「御心得箇条」を将軍に提出した。その中にこうある。
古人も天下は天下の天下、1人の天下にあらずと申候、まして60余州は、禁廷より御預り遊ばされ候御事に候へば、仮初にも御自身のものと思召すまじき御事に御座候。
征夷大将軍は天皇の統治権(大政)を委任されているだけであることを、幕閣の重職にあった松平定信自身が将軍への諭しとしている。
18: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 02:02:57
>1
格は天皇が上。そんなの当たり前。我が国で天皇より上などない。
天皇の父が上皇で院であっても、格は子供の現天皇のほうが上。
問題は実質。院は誰を天皇にするかに容喙したが、その逆はない。
幕府は誰を天皇にするか容喙するが、朝廷が誰を将軍にするかに容喙はしない。
19: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 16:08:50
個人崇拝者は天皇や毛沢東やスターリンや金正日を絶対視するから常識が通じない。
崇拝者同士で教祖様万歳の世界しか知らないから。
31: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 21:57:57
>>19
キミって日本史板で何を学んだの?
天皇と毛沢東とかを一緒こたにするとか有り得ないんですけど
そもそも体系からして全く違うし
21: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 16:31:01
どっちも漏れより格下
23: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 17:29:57
ヘタレの徳川慶喜が鳥羽伏見で逃げなければ、または小栗上野介の主張をいれて箱根で海陸軍共同作戦で薩長を殲滅していれば、今頃>>1みたいなことを言う奴はいなかった筈。

大事な局面で本当に尊王かぶれのとんでもない奴が将軍になったもんだ。
25: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 19:03:59
_________征夷大将軍__________

:順番
(幕府内) 人名 在職年 備考(官位は、将軍就任時と退任時。そして没後の贈官位)

1 大伴弟麻呂 793-794? 従四位下→従三位
2 坂上田村麻呂 797-811? 陸奥出羽按察使従四位下陸奥守→大納言正三位
- 文屋綿麻呂 813 征夷将軍。参議従三位→参議従三位
- 藤原忠文 940 征東大将軍だが、異伝あり。参議正四位下→参議正四位下
3 源義仲 1184 従四位下伊予守→従四位下伊予守
4 (1) 源頼朝 1192-1199 1195年辞任の説あり。正二位前権大納言→正二位前権大納言
5 (2) 源頼家 1202-1203 従二位左衛門督→正二位左衛門督
6 (3) 源実朝 1203-1219 従五位下→右大臣正二位左近衛大将
26: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 19:05:38
7 (4) 藤原(九条)頼経 1226-1244 摂家(藤原)将軍。九条道家の子。正五位下右近衛権少将→正二位前権大納言
8 (5) 藤原(九条)頼嗣 1244-1252 従五位上右近衛権少将→従三位左近衛中将
9 (6) 宗尊親王 1252-1266 皇族将軍。後嵯峨天皇の皇子。三品→一品中務卿
10 (7) 惟康親王(惟康王→源惟康→惟康親王) 1266-1289 従四位下→二品
11 (8) 久明親王 1289-1308 後深草天皇の皇子。三品→一品式部卿
12 (9) 守邦親王 1308-1333 不詳→二品
13 護良親王 1333 二品兵部卿→二品兵部卿
14 成良親王 1335-1336 上野太守四品→上野太守四品
15 (1) 足利尊氏 (高氏→尊氏) 1338-1358 正二位権大納言→正二位権大納言。贈従一位左大臣。追贈太政大臣。
16 (2) 足利義詮 1358-1367 参議従三位左近衛中将→正二位権大納言。贈従一位
17 (3) 足利義満 1367-1394 従五位下左馬頭→准三宮従一位前左大臣。将軍辞職後、太政大臣。
18 (4) 足利義持 1394-1423 正五位下左近衛中将→従一位前内大臣。贈太政大臣
27: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 19:07:04
19 (5) 足利義量 1423-1425 正五位下右近衛中将→参議正四位下右近衛中将。贈従一位左大臣
20 (6) 足利義教(義宣→義教) 1429-1441 参議左近衛中将従四位下→従一位前左大臣。贈太政大臣
21 (7) 足利義勝 1442-1443 正五位下左近衛中将→従四位下左近衛中将。贈従一位左大臣
22 (8) 足利義政 (義成→義政) 1449-1473 正五位下左馬頭→准三宮従一位前左大臣。贈太政大臣
23 (9) 足利義尚(義尚→義煕) 1473-1489 従五位下左近衛中将→従一位内大臣右近衛大将。贈太政大臣
24 (10) 足利義材 (義材→義尹→義稙) 1490-1493 従四位下右近衛中将→参議右近衛中将従四位下。
25 (11) 足利義澄(義高→義遐→義澄) 1494-1508 正五位下左馬頭→参議従三位左近衛中将。贈太政大臣。
26 (10) 足利義稙 (義材→義尹→義稙) 1508-1521 再任。従三位権大納言→従二位権大納言。贈太政大臣従一位
27 (12) 足利義晴 1521-1546 正五位下左馬頭→従三位権大納言右近衛大将。贈従一位左大臣
28 (13) 足利義輝 (義藤→義輝) 1546-1565 従四位下左馬頭→参議左近衛中将従四位下。贈従一位左大臣
29 (14) 足利義栄 1568 従五位下左馬頭→従五位下左馬頭
30 (15) 足利義昭 (義秋→義昭) 1568-1573 実は出家時の1588年までは名目上在任。参議左近衛中将従四位下→従三位権大納言。将軍辞職後、准三宮
31 (1) 徳川家康(松平元信→松平元康→徳川家康) 1603-1605 従一位右大臣→従一位前右大臣。将軍辞職後、太政大臣。贈正一位
32 (2) 徳川秀忠 1605-1623 内大臣正二位右近衛大将→従一位右大臣右近衛大将。将軍辞職後、太政大臣。贈正一位
28: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 19:08:07
33 (3) 徳川家光 1623-1651 内大臣正二位右近衛大将→従一位左大臣左近衛大将。太政大臣宣下固辞。贈太政大臣正一位
34 (4) 徳川家綱 1651-1680 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
35 (5) 徳川綱吉 1680-1709 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
36 (6) 徳川家宣(綱豊→家宣) 1709-1712 内大臣正二位右近衛大将→内大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
37 (7) 徳川家継 1712-1716 内大臣正二位右近衛大将→内大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
38 (8) 徳川吉宗(松平頼方→徳川吉宗) 1716-1745 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位。贈太政大臣正一位
39 (9) 徳川家重 1745-1760 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位。贈太政大臣正一位
40 (10) 徳川家治 1760-1786 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
41 (11) 徳川家斉 1787-1837 内大臣正二位右近衛大将→従一位太政大臣。贈正一位
42 (12) 徳川家慶 1837-1853 従一位左大臣左近衛大将→従一位左大臣左近衛大将。贈太政大臣正一位
43 (13) 徳川家定 (家祥→家定) 1853-1858 内大臣正二位右近衛大将→内大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
44 (14) 徳川家茂(慶福→家茂) 1858-1866 内大臣正二位右近衛大将→従一位右大臣右近衛大将。贈太政大臣正一位
45 (15) 徳川慶喜 1866-1867 正二位権大納言右近衛大将→内大臣正二位右近衛大将。明治時代、従一位。公爵。勲一等旭日大綬章。贈旭日桐花大綬章
34: 日本@名無史さん 2006/12/13(水) 11:31:45
>>1
これは、2代目の黄門様だよね?
初代の黄門様の再放送でもほぼ同じ話を見た。

そのときの悪役公家は、六条三位(>>1は一条三位になってるけど)。
やはり、「麿は帝の臣じゃ~!徳川の家来ではおじゃらん!」とやって、そこで左大臣が登場。
で、うっかり八兵衛が助さんに「左大臣様ってそんなに偉いの?」と聞いて、助さんが「左大臣様と言えば、摂政・関白様に次ぐ重職だ 云々」と答えるシーンがあった。
38: 日本@名無史さん 2006/12/13(水) 23:56:49
まあ、武家権力に反感を持ってる奴らには朝廷をちらつかせ、一般向け・対外向けには武家が日本国の統治権の主体であったと。
この点から、どっちが上かは明白。

実質的にも、武家は朝廷をコントロールできたけど、朝廷は武家の言い成り・あるいは武家権力の範疇でしか行動の自由を許されなかったわけで。
39: 日本@名無史さん 2006/12/14(木) 01:03:53
>>38
ようするに安倍首相のほうが天皇より偉いってことですね
40: 日本@名無史さん 2006/12/14(木) 01:07:03
日本においては、権威と実権は分離されてる事が分からない人のスレ?w
41: 日本@名無史さん 2006/12/14(木) 04:49:46
格式の上下を問うならば、権威の頂点である天皇が上に決まってるじゃん!
43: 日本@名無史さん 2006/12/14(木) 17:25:58
はい基本中の基本
武家の憲法、御成敗式目。ここにね、
「これから、武家は直接天皇より官位をもらっちゃだめだよ。将軍が天皇から官位をもらう窓口だから君たちは将軍からもらうんだよ。」
って事になった。
結果、日本中の武家が全部将軍の下に集まる事となった。でもその権威の根本は、朝廷からの官位
朝廷が直接官位を将軍以外にも出したら、将軍が統率できなくなるっていう理由

即ち、将軍が天皇より上ってのは全くありえない。
45: 日本@名無史さん 2006/12/15(金) 00:30:34
天明の大飢饉が幕府の衰退を決定的にした。
将軍のお膝元である江戸で大規模な打ち壊しが勃発し、幕府の威信が大きく揺らいだ。

そんな時、光格天皇が即位した。
大飢饉の余波で困窮した人々に京都所司代は何もしてくれなかった。
人々は御所の千度参りをを行い、その数は万を数えるまでになった。

光格天皇は幕府に庶民の救済を命じた。幕府はこれに服従した。
以降、幕府は日本に来航した外国人についての朝廷への報告等を義務づけられる。
現在の天皇家は、この光格天皇の直系。
46: 日本@名無史さん 2006/12/15(金) 06:29:37
左大臣様が悪さしてたら誰が懲らしめたのか…
47: 日本@名無史さん 2006/12/15(金) 10:35:24
>>46
関白殿下連れてきたんじゃない?
48: 日本@名無史さん 2006/12/15(金) 12:21:24
関白殿下が悪さすれば天皇陛下、天皇陛下が悪さすれば…
49: 日本@名無史さん 2006/12/15(金) 16:13:10
もちろん幕府。「当今御謀反」てやつ?
51: 日本@名無史さん 2006/12/15(金) 23:36:53
なぜ徳川将軍は正二位どまりが多いのだろう?
公家だと大臣までつとめた人で正二位どまりなのは早死にした場合くらいでしょ?
52: 日本@名無史さん 2006/12/15(金) 23:59:00
別に大臣の仕事してたわけじゃないし。
現代だって将軍どころか「大佐」が一番偉い国あるし。
53: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 03:01:28
日本の場合、形式的に言えば「将軍は天皇の弟」だ。
55: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 03:28:28
>>53
ちがう

将軍は天皇の臣下「朝廷内の征夷大将軍と言う一役職名」
朝廷の長が「天皇」だから将軍は正二位クラスの低い身分でしかない。
54: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 03:19:47
もっとも天皇の権威も、中国の皇帝からの冊封を受けたことにハッするわけだが。
56: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 11:49:45
>>54
嘘つき発見。
日本の天皇の権威は、中国の皇帝の冊封を受け入れずに、独自の天皇と名乗ったことに起因するものです。
管理人より:天皇の始まりとはなにか。
57: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 12:56:34
将軍家の方が格上とかいう奴、大丈夫か??
権威と権力の違い分かる?
将軍家は言ってみれば世襲している軍人首相みたいなもの。内政・外交の権限を任されているだけ。

「じゃなぜ開国の時に朝廷を相手じゃなく幕府を~」っていうのも、各国要人が日本に来た際、交渉するのは首相でしょ?
58: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 18:37:44
天皇に権威があったとしたなら、そんな権威ある地位にありながら、ずっと日陰で貧窮に喘いでいたのは、歴代の天皇がよほどのクズで無能だったことになる。
後醍醐のようなやつも、人々の人望を失い世間から見放され、結局天皇なんか要らないとなったのが歴史的事実。

権威ある地位に能力のある人物がつけば世の要望に応えられるだろう。
なのに天皇を求める人々はいなかった。世襲制の近親相姦一族ではクズが天皇になる。
天皇や公家=愚か者のイメージは京の人々が金のムシンに来る公家や皇族を実際に見て得たイメージだろう。

「今日(京)の諸受け(商家)の襖ガミ、うらを反せば供花(公家)の小門(証文)」

京の人々に天皇や公家は馬鹿にされ蔑まれている。
61: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 19:07:56
>>58
それは言いすぎかと。。

第一、天皇の権威の拠り所は、俗世の皇帝としてのものと神道の教皇の二つなわけだが、武家政権によって前者の役割が薄められ、後者は仏教の浸透や本地垂迹説の定説化によって力を失った。
平安時代においても後者は大きな力を失っていたけど、天皇の側近たる貴族が皇帝としての権威を利用し、権威自体を高めていたから権威が後の世よりも高く見えるだけ。
60: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 19:03:53
だからその権威をありがたがるのは、徳川以下の田舎武士どもなわけで、実体を知ってる京都の住民が馬鹿にするのは当然。
62: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 20:45:17
疑問なのだが、京の朝廷を攻めて天皇の権威を力ずくで奪う事とかできなかったの?
64: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 22:34:17
>>62
そんなことをすれば全国の大名、特に西国諸大名を敵に回すことになる。
幕府は西国大名が参勤交代の際に入京することを禁じていたのは、朝廷と結びつくことをおそれたから。
63: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 21:30:53
力ずくで奪うことが出来るのは「権力」。
「権威」の方は国や時代で違う。
この国の最高の権威の必要条件は、アマテラスの直系であることなので力で奪うことはムツカシイ。
やろうと思えば出来たかもしれないが、温存する方が楽だったんだろう。
65: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 23:39:28
朝廷にそこまでの「値打ち」があったかちょっと疑問だな。
諸大名をまとめる権威があったのなら、そもそも戦国時代にならないと思ふ。
74: 日本@名無史さん 2006/12/17(日) 06:58:31
そりゃ格はいつまでたっても、天皇や摂関のほうが上。
何たって日本のナンバーワンとナンバーツーなんだから。(皇太子はよけといて)

しかし実質的には遙かに以前から武家の方が上。
12: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 23:30:42
>>1
なんかこれ見てドラマとは言えちとショック…
子供の頃からこの世で黄門様は、将軍の次にもしくは年を取ってる分とてつもなく偉い人間なのだと思ってたが、このスレ見てると上には上がたくさんいるのね…

こないだ、愛知県が主催したナンチャラ芸術展みたいなやつで、昭和天皇陛下のお写真を燃やす映像?みたいなやつが展示されて、物議を醸してたようですね。
「陛下のお写真を燃やすなどけしからん!不敬だ!」「いや、表現の自由は守られるべきだ!」
というわけだったそうで、最初はなんの騒ぎかよくわかりませんでした。
あまりにもTwitterのTLに、例の金髪のおっさんがドアップで出てくるから、さすがにウンザリして、「津田」を禁止ワードにしたもんね。

このように、上皇陛下も今上陛下も、ましては宮内庁も、なにも言ってないのに、不敬だとかなんとか庶民が勝手にやってくれる…というのが「皇室の権威」なのでありましょうかなあ。

朝廷と幕府の関係というのは、かなり前から「権威」と「権力」ということで分離し、持ちつ持たれつやってきました。
権力を持たない権威だけの君主、というのは、現代を除けば世界史的にはかなり珍しいケースです。普通、君主は権力を失ったら権威も失うものだから。
日本以外にそんな例はあるのかな?

日本の天皇は、言ってみれば皇帝と法皇を兼ねた地位なのだから、そう簡単に権威は失わないのだ!
という向きもあろうかと思いますが、神道っていうのは教義がないし、宗教っていうのとは少し異なるんですよね。
それに世界各国宗教の代表者というのは、絶大な権力を振るうと相場が決まってます。

天皇の地位に取って代わろうとしたのなんて、平将門公くらいですか?
彼も厳密に言えば、天皇とは別の「新皇」という位を自称したにとどまるし、しかもあっという間に討伐されてしまいました。

徳川江戸幕府は300年近く続き、日本に平和をもたらしたわけですが、倒幕を考える連中の頭には、だいたい「尊皇」というのがあったことでしょう。
古代はどうだったかわかりませんが、現代にいたるまで日本人が持つ不思議な感覚かもしれません。長い時間というのは、さほどに偉大なものなんですねぇ。

即位礼正殿の儀トップ絵は、こないだおこなれた「即位礼正殿の儀」より。
東京は折しも雨模様だったというのに、即位の儀が始まった途端に快晴に。皇居方面には虹も出たとかで話題になってました。
皇室の権威の前には、天候すら跪くのだ…と言いたいところですが、雨が降ったら降ったで、「天叢雲の剣が雲を呼んだのだ!」ということになるのではありますまいか。日本人というのはのんきなものですよ。

令和が良い時代になりますように。

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.11.2 1:00
    「天叢雲の剣が雲を呼んだのだ!」

    これはないなw

    今回のは即位礼正殿の儀というある種の特別性だけでなく
    「インスタ映え」や「Twitter映え」と新聞やTV映え?しそうな
    映像としての特別なモノ(虹)が出たから話題になったんであって
    雨でも晴れでも即位礼正殿の儀そのものに対する話題しか出てこないだろうと思う。
    せいぜい、反天皇にしろ皇道派にしろ極一部の思想を持つ人が話題にするだけだろうな。
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.11.2 1:14
    日本国王の地位はかつて天皇が有していたが
    懐良親王が得た後は足利将軍家や豊臣秀吉らがその地位を継ぎ徳川家康も自らをそう称した
    その後も天皇が日本国王の地位に復帰することはついに無く、明治維新を迎えている
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.11.2 2:34
    上皇陛下も今上陛下も、ましては宮内庁も、なにも言ってないのに、不敬だとかなんとか庶民が勝手にやってくれる…というのが「皇室の権威」

    これって庶民の爺さんの写真燃やして展示してもそこらの芸能人や政治家の爺さんの写真を燃やして展示しても炎上しただろうから皇室の権威とは違うような?天皇に関連することだけ特別に起こりうることなら炎上やらバカッターなんて言葉は生まれてないだろうし。
    こういう炎上騒動が生まれる背景にはネットによって多くの批判が見やすく同調あるいは批判しやすくなったのが要因かもね。言ってしまえば私が発言してる炎上は悪いことや管理人が発言している陛下のお写真燃やし騒動語りも自身には無関係なのに一種の否定や批判を込みで回答してる、まぁ炎上させてると違いはない。ネットのせいで多くの批判が見える形になって同調あるいは否定されやすくなったのと簡単に自身の主張を世間に広めることが出来るのが昔との大きな違いなのかな。

    本スレと無関係な話でスマソ
    • >※3
      いやーどうでしょうかね。
      管理人のお写真を燃やす芸術作品があっても、話題にはならないのは確実ですw
    • ※4 : 誤字
    • 2019.11.2 2:35
    >>3
    まぁ炎上させてると

    まぁ炎上させてる人と
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.11.2 8:58
    「天皇家と内閣はどちらが格上か?」って置き換えれば自明の理でしょ
    実権はどちらにあるのかとか、どっちがどっちに(心底)敬意を払ってるのか、
    そういったものも含めて、根底にある関係性は似たなようなもんですよ
      • ※9 :  
      • 2019.11.4 12:00
      >※5
      あえて違いをあげるとするなら。

      前近代においては法制度上、天皇は将軍の格上に置かれていた。この場合の法制度上というのは禁中並公家諸法度のような将軍側が起草した法律も含む。
      『最上位の権威たる』天皇が一切の権力的行為を、将軍に委任する形を取ってる。

      一方、現代においては天皇は法制度上も明確に一切の権力を持たない象徴であり、国事行為さえも内閣の助言と承認に基づかなければならないと明確に一切の権力的行為を、『最上位の権威たる』憲法によって制限されている。

      前近代の天皇と将軍の関係を現代のなにかに例えるなら、天皇とは日本という会社の株式の大部分を所有する大株主であるものの、具体的な会社の運営は取締役会たる幕府及び代表取締役社長たる征夷大将軍に全て委任している、という感じではなかろうか。最高意思決定機関である株主総会(=朝廷)はあるけど、大株主は会社の運営が分からないから、実際のところ形骸化している。そんな感じ。
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.11.2 10:20
    形式的には天皇の方が格上で、実質的には将軍の方が上で終わりじゃん。
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.11.3 14:29
    天皇は飾り。
    http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/829.html
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.11.5 0:22
    天皇が最上位だけど、将軍の言うことには一切逆らえない
    で終わらせちゃじゃダメなのかね
    今と同じだと思うが
    • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2019.11.17 11:47
    一般庶民の目線で言えば、江戸時代にゃ将軍家のほうが権威は高かったと思うけどな。
    幕府は初代家康を神様にして必死で神格化してるし
    江戸時代の読み物を読むと恐れ多い感じが随所で伝わってくる。

    庶民は天皇のこと知らせるのにお稲荷さんの正一位から説明せにゃならんし
    京都でも「ごっさん(御所さん)」みたいな呼ばれ方してあんま畏れられてはいない感じ。
    尊王思想があるのは知識階級だけ。
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