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壇ノ浦の戦いで平家はなぜ退却しなかったの? @ [日本史板]


壇ノ浦の戦いで平家はなぜ退却しなかったの? @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2017/02/12(日) 14:06:37.26 ID:.net
沖縄に逃げちゃえばよくね?
2: 日本@名無史さん 2017/02/12(日) 14:36:30.36 ID:.net
宋へ逃げればいいんじゃね

平家は宋と貿易してたじゃん
3: 日本@名無史さん 2017/02/13(月) 00:08:25.20 ID:.net
当分大丈夫という逃げ場所が無かったし、もう疲れてしまったんだよ。
時代が下って、三浦氏だって(宝治合戦)、鎌倉北条氏だって(元弘の乱)、集団自決する必然性なんてどこにも無かったしね。

対照的に、さらに時代が下って、足利直冬、懐良親王、古河公方のような粘り腰なら、いくらでも粘れる。
30: 日本@名無史さん 2017/02/20(月) 08:27:54.15 ID:.net
そんなことはない。
都落ち前に頼朝側から持ちかけた和議、手打ちのタイミングもあったし、粘り腰ならいくらでも粘れる(>>3)。
4: 日本@名無史さん 2017/02/14(火) 00:16:43.89 ID:.net
三種の神器渡してごめんなさいすれば良かったのでは?
6: 日本@名無史さん 2017/02/15(水) 23:41:15.72 ID:.net
>>4
> 三種の神器渡してごめんなさいすれば良かったのでは?
それで許されるという保証なんてどこにもないでしょ。
藤原泰衡は、言われた通り、義経を殺して首を鎌倉に届けたけど、滅ぼされたよ。
後白河法皇から出された三種の神器の交換条件が、平家の赦免ではなく、重衡の身柄の返還だったこともポイントだね。
7: 日本@名無史さん 2017/02/15(水) 23:53:27.70 ID:.net
ぶっちゃけ北条氏・安達氏が、鎌倉を捨てて、地盤の陸奥(+蝦夷地)へ逃げていたら、建武政権はお手上げだったでしょ。
その後の建武政権の崩壊を見たら、5年陸奥で耐えたら、勝ってたかもね。
9: 日本@名無しさん 2017/02/16(木) 10:58:04.40 ID:.net
>>7
そもそも鎌倉を落とした新田勢には奥州軍も加わっていたぞ
奥州は関東の御家人らの飛び地が多いんだから
管理人より:あんまりうちではまとめてない時代だけど。
5: 日本@名無史さん 2017/02/14(火) 22:24:15.38 ID:.net
本土には平知盛の前衛軍だけを残し、平宗盛の本軍と、安徳天皇の御座船は沖縄へ移動させておくべきだった。
源氏の大軍が押し寄せて本土を失陥すれば、平知盛は奄美大島まで撤退して、守備を固めればよかった。
13: 日本@名無史さん 2017/02/18(土) 17:14:29.38 ID:.net
源義仲と和睦して同盟を結んで京都を奪還するのがよかった。
そうすれば、平家・義仲・頼朝がそれぞれの勢力を保持した状態で並び立ったのではないか。
14: 日本@名無史さん 2017/02/18(土) 20:19:20.30 ID:.net
院が義仲に平家追討をけしかけているのだから無理。
義仲は、倶利伽羅峠の戦いの前に、すでに嫡男の義高を鎌倉に人質として送っているので無理。

平家追討は、自分の力を誇示する、正統性を示す、わかりやすい目標でもある。

それに義仲というのは、本当にポッと出て、すぐに消えた勢力なので、平家に限らず、義仲がまともな(交渉)相手として認識されていた期間は非常に限られるので、その点でも実現性に乏しい。
すなわち義仲の勢力が認知された横田河原の戦い(1181年7月)から、倶利伽羅峠の戦い(1183年6月)まで2年しかない。

義高を鎌倉に送った後、倶利伽羅峠の戦いの後では、ノーチャンス。
平家からは自力でどうこうできる相手じゃない。
15: 日本@名無史さん 2017/02/18(土) 20:25:56.11 ID:.net
北陸は平家の虎の子の地盤、兵糧の補給地だったので無理。
北陸・越後は仏教勢力の強い土地で、
すでに平家と延暦寺(の末寺末社の白山神社)がモメており(白山事件)、白山神社が義仲に加勢したので無理。
16: 日本@名無史さん 2017/02/18(土) 20:32:30.63 ID:.net
結局、平家滅亡の直接の原因になったのは、平家が(頼朝と義仲が争っている間に)自力で勢力を盛り返した後に致命的な大敗北を喫した一ノ谷の戦い、「一ノ谷の騙し討ち」(※)だよ。

(※)後白河法皇が院宣で和議の提案をした、休戦・武装解除を命じたという。
20: 日本@名無史さん 2017/02/18(土) 22:11:06.85 ID:.net
源義仲は、源頼朝・義経に攻撃され、都を防衛しきれず、粟津の松原で滅ぼされてしまうが、この間、義仲のほうから平家側に和睦の打診があった。
この和睦の打診に平家側が乗っておけばよかったと思う。

確かに息子の義高を鎌倉に人質に取られているが、義仲自身が鎌倉勢に討ち取られてしまっては元も子もない。だから、義仲は平家との和睦さえ模索したのだろう。
平家は鎌倉政権を主敵とみなし、これを防御するため、源義仲・源行家など源氏の諸流を自軍に編入しておくべきだった。
都を奪還した後、公卿の官位を与えるなどの破格の条件で懐柔すればよいだろう。

長期的には、頼朝と義経が不和になる可能性もあるのだから、義経も切り崩して陣営に加えれば、かなり補強される。
21: 日本@名無史さん 2017/02/18(土) 22:56:42.29 ID:.net
>>20
義仲「(対頼朝・義経に集中したいので)和睦しようよ。」
平家「じゃあ北陸の知行国、国衙領返してよ。」
義仲「それは無理。」

 糸冬 了

この結果が、平家の盛り返し、福原奪還、瀬戸内海制圧なので、ここまでは平家にとって何も問題がない。
25: 日本@名無史さん 2017/02/19(日) 18:52:37.35 ID:.net
>>21
平家が木曽義仲に対して冷淡に接した結果、義仲も平家も鎌倉方に各個撃破された。
だから、義仲が鎌倉方の攻撃を受けて窮地に立ったとき、平家は義仲を支えて鎌倉方の京都制圧を阻止しておけばよかったと思う。
26: 日本@名無史さん 2017/02/19(日) 19:18:18.48 ID:.net
>>25
一ノ谷の合戦前までは、平家にとってほぼ理想的、何も問題がない情勢。
院を信じた平家が間抜けだっただけ。
一ノ谷直前の情勢で、源平で頼朝と宗盛を入れ替えていたら、平家が勝っていただろう。

・義仲は平家を京都から追い出した張本人であること
・それが原因で、平家の面々は解官されていること
・鎌倉に義高を人質に出していること
・義仲には、北陸・越後しか残されていないが、元々、平家から奪ったものであること
・北陸に強い影響力がある延暦寺傘下の白山神社が義仲に加勢していること
・義仲もまた源氏で、平家ではないこと

非現実的な仮定は無意味、超人的な博愛主義を前提とすることは無意味だよ。
24: 日本@名無史さん 2017/02/19(日) 01:22:46.53 ID:.net
京都では後鳥羽天皇がすでに即位していたので、今さら平家と安徳天皇に神器を持ってノコノコ戻ってこられては困るんよ。
27: 日本@名無史さん 2017/02/19(日) 21:50:48.67 ID:.net
史実では、鎌倉政権が圧倒的優勢となり、鎌倉政権は平家だけではなく、奥州藤原氏も滅ぼしてゆく。
したがって、平家が滅亡を免れるには、「鎌倉政権といかに対峙するか」を考えねばならない。
それには、鎌倉政権と敵対したり、離反することになる人物を平家方に引き入れることが大切だ。

源義仲 源行家 源義広(志太先生) 源義経 上総介広常

上記の人物の何人かを早期に平家方に引き入れておくのが効果的だ。
さもなくば、やはり史実通り、平家は壇ノ浦で滅亡してしまう。
28: 日本@名無史さん 2017/02/19(日) 23:58:43.43 ID:.net
あのさぁ、そんなこと言い出したら、頼朝を処刑しておけばよかったとか、維盛の言う通り、一日も早く関東へ出陣しておけばよかったとか、そういう話になるんだよ。
挙げている名前もメチャクチャw

上総介広常?
上総氏の家督を争った広常の弟(印東常茂)が平家方なんだけど?(笑)
広常は平家方の藤原(伊藤)景清が上総介として赴任してきたときに、徹底的に苛め抜かれたんだけど?

義経?
義経は、父親を殺され(殺したのは長田忠致だが、獄門にかけられている)
産みの母親(常盤御前)が清盛の妾にされて、娘も産んでるんだが。
後白河法皇が平家追討の院宣も(頼朝宛に)出してるし。

行家?
以仁王の令旨を全国にバラ撒いた張本人なんだけど?(笑)
35: 日本@名無史さん 2017/02/20(月) 17:26:46.65 ID:.net
>>28
× 藤原(伊藤)景清

○ 藤原(伊藤)忠清
31: 日本@名無史さん 2017/02/20(月) 08:42:06.07 ID:.net
壇ノ浦の戦いって、平家が勝てる要素なかったの?
32: 日本@名無史さん 2017/02/20(月) 11:37:16.55 ID:.net
万一壇ノ浦に勝ったとしてもそれだけじゃもう情勢は引っくり返らんところまで行っちゃってるからなあ
33: 日本@名無史さん 2017/02/20(月) 14:59:59.45 ID:.net
どして?
36: 日本@名無史さん 2017/02/20(月) 21:41:49.98 ID:.net
>>33
勝ち抜き戦でこんな感じだった

__ 源氏 - 平家

先鋒 義経 - 宗盛 大将
次鋒 範頼
三番 梶原
四番 畠山
五番 土肥
六番 三浦
七番 和田
八番 北条
副将 比企
大将 頼朝

つまり源氏は一度にど負けても余裕だが、平家にはあとがなかったということ
34: 日本@名無史さん 2017/02/20(月) 15:30:44.74 ID:.net
海戦で勝っても陸の三方塞がりをなんとかしないと状況は変わらない
37: 日本@名無史さん 2017/02/20(月) 23:48:38.30 ID:.net
兵力の問題を考慮しないから分からないんだよ
当時の日本の総人口700万人程度
ここからさらに近畿と関東の田舎の動員を考慮すると、平氏源氏合わせて最大で1万動員するのが限界
源平合戦は両軍合わせて5千程度だろう

つまり兵力の差がなくて小規模の戦争だから戦略や士気でいくらでも戦局を動かせて、とんずらという選択枠はなかった
さらに平氏はいざとなったら西の豪族も味方にできた。

結局、平氏に隙を与えて戦局を立て直す暇を与えなかった源氏の戦略が上手かったってことでしょう
175: 日本@名無史さん 2017/04/24(月) 22:18:37.38 ID:.net
>>1
沖縄に逃げても自活出来ないよ。新田開拓から始めて何年もかかる

>>37
元寇で10万以上動員してるのに1万は過小過ぎる
176: 日本@名無史さん 2017/04/24(月) 23:48:58.74 ID:.net
>>175
なんくるないサー
42: 日本@名無史さん 2017/02/21(火) 22:47:15.25 ID:.net
壇ノ浦の合戦の時点では、九州を源氏側に押さえられてしまっているので、平家はこれ以上逃げる場所がなくなっている。
壇ノ浦の合戦以前に、逃げるルートを確保しておかねばならなかった。
45: 日本@名無史さん 2017/02/22(水) 21:32:19.04 ID:.net
>>42
最後の拠点だった屋島を奪われたから彦島しか残らなくなったんでしょ
43: 日本@名無史さん 2017/02/22(水) 00:30:03.70 ID:.net
硫黄島(鬼界ヶ島?)、八丈島は?
46: 日本@名無史さん 2017/02/22(水) 22:10:35.31 ID:.net
>>43
壇ノ浦の合戦で敗北したときには、すでに瀬戸内海の制海権を源氏側に奪われているので、九州北部の海域を通って対馬海峡沿いに逃れるしか
あるまい。
その後、九州西部の海域を南下すれば、鬼界ヶ島に逃れることができるだろう。

壇ノ浦の合戦の前に、先遣隊を鬼界ヶ島に派遣し、安徳天皇と女院がお住まいになる御座所を建設しておくことが必要だ。
44: 日本@名無史さん 2017/02/22(水) 10:11:44.03 ID:.net
本州から離れた流刑地に行って、罪人を接収しながら勢力を大きくするんじゃ
63: 日本@名無史さん 2017/02/27(月) 13:52:22.77 ID:.net
鬼界ヶ島の周辺には多くの島嶼があるから、平家は一門を派遣して、島々に基地を建設するのだろう。
それぞれの島で取れた産物を本拠地である鬼界ヶ島に運んでくるから、物資は次第に豊かになってくるはずだ。

九州南方の島嶼に栄える平家・安徳天皇海洋帝国は、奥州藤原氏の南方版となるのではないか?
64: 日本@名無史さん 2017/02/27(月) 22:58:24.39 ID:.net
壇ノ浦の戦いでは、平家がよもや宋に逃亡ということがないように、緒方一族が逃亡海路を制圧していた。
もう平家は逃げ場がなかったとしか思えない。
69: 日本@名無史さん 2017/03/04(土) 10:15:44.87 ID:.net
四国だけではなく、南九州にも拠点を作っておけばよかった。
そうすれば、本土を失陥した後でも、容易に南方の島嶼に逃げることができる。
71: 日本@名無史さん 2017/03/04(土) 13:18:37.94 ID:.net
そもそも平家が最も強固な地盤を持っていたのが関東だったからね
その関東が敵に回ったらそりゃ負けます
72: 日本@名無史さん 2017/03/04(土) 14:38:18.66 ID:.net
>>71
それは違う。
正盛、忠盛、清盛は東国の受領国司になったことは一度も無いし、やはり平忠常の乱以降は、平家の勢力は東国から大きく後退している。
73: 日本@名無史さん 2017/03/05(日) 16:20:18.35 ID:.net
確かに一門が京都にいて、高い官位を占める貴族だからこそ、地方の武士たちも平家を支持する意味があった
都落ちして官位を失えば、平家の求心力は低下するから、次第に味方を集めるのも難しくなるね
74: 日本@名無史さん 2017/03/05(日) 18:59:32.14 ID:.net
そうは言っても、「一ノ谷の騙し討ち」までは十分に勝負になってたし、源氏将軍も三代で絶えているので、似たようなものかもしれん。
やはり足利直冬や懐良親王、古河公方、足利義稙のようなハングリーさが無いと、なかなか厳しいということだろう。
75: 日本@名無史さん 2017/03/05(日) 19:13:54.74 ID:.net
>>74
何がだまし討ちなんですか?
77: 日本@名無史さん 2017/03/05(日) 19:41:43.52 ID:.net
>>75
後白河法皇が平家方に停戦、和議を提案して、平家側が油断していた、戦闘態勢を解いていたところを鎌倉方が急襲して、平家方の名だたる武将が片っ端から討ち取られたこと。

まあ治天の君が、解官された賊軍、朝敵(※)に対して何をしようが、(※寿永3年1月26日に頼朝に対して平家追討の宣旨を出している)誰からも咎められることはないわけだけど。
78: 日本@名無史さん 2017/03/05(日) 20:17:52.87 ID:.net
一の谷の本陣が安泰で、まだ勢力のあるうちに鬼界ヶ島などの島嶼に拠点を作っておくべきだった。
屋島・彦島だけではなく、一門の武将を鬼界ヶ島に常駐させておき、食糧や武器も貯蔵しておけばよかった。
屋島が陥落した時点で、一門の大半は鬼界ヶ島に合流し、彦島には一部の武将を残すにとどめておけばよかった。

そうしておけば、壇ノ浦で敗れても、滅亡することはなかった。
81: 日本@名無史さん 2017/03/05(日) 23:10:20.15 ID:.net
でも鎌倉幕府で天下取った北条氏は平家だよ
82: 日本@名無史さん 2017/03/05(日) 23:27:54.30 ID:.net
平家と平氏混同されすぎ問題
管理人より:平家と平氏の違いとは。
86: 日本@名無史さん 2017/03/06(月) 20:39:04.39 ID:.net
壇ノ浦の決戦するくらいの兵力残ってるなら四国全力で制圧できるんじゃね?と思ったんだが。
なぜ海戦を選んだのか。
また、投身自殺を選んだのか。
101: 日本@名無史さん 2017/03/07(火) 22:34:30.86 ID:.net
>>86
四国の拠点屋島を奪われて、壇ノ浦で最後の戦いを挑んだんでしょ。
102: 日本@名無史さん 2017/03/07(火) 22:41:30.90 ID:.net
>>101
勝ってもその後の展望がないような。
補給は続かないし陸地は敵だらけ。
降伏するか、沖縄や奄美に新天地を求めるくらいしかなかったんじゃ?
107: 日本@名無史さん 2017/03/11(土) 06:20:03.71 ID:.net
秘密裏に海底基地を作っておくという道もあった。
壇ノ浦で入水して滅亡したと見せかけて、海底基地に逃れて、そこで平穏に暮らせば、源氏に見つかることはあるまい。

二位の尼が安徳天皇に語った「水底の都」をリアルに実現するということだ。

驕れる者は久しからず
…というわけで、平家の生き残り戦略を模索するスレなのですが、もうこれはほとんど、ヒトラーは南極で生きていた!とか、月の裏側にナチスの基地を作っていた!とかそんなレベルの話なんですかね。
管理人はあんまり詳しくないから、さほど書くこともありませんが、結局勝とうが負けようが、平家の生き残る道はほとんどなかった、かのようなスレの意見ではあります。
あんだけ戦に負け続けなければね…とは思いますが、敵方に義経などの戦上手もいるし、厳しいねぇ。

子供のころに、平家物語のこのへんの記述を読んで、まぁ最後は入水自殺とかするじゃないですか。なんで水に入ったくらいで死ぬんやろ…と思ってましたね。
いうほど沖合で戦ってるわけでもなし、鎧も木製で浮力ありそうだし、武器はさっさと捨てて陸まで泳いだらええがなという感じなのですが、案外当時のひとはまったく泳げないひとが多かったのかな?それでよく海戦を挑もうと思いましたなぁ。

この事件ってやっぱり、公家政治から武家政治への移行というか、結局武力を持ってるやつがエライよねっていう流れを決定づけましたね。
これ以後、ナニソレ幕府がいくつか作られることになり、幕府というのは戦時中の臨時司令部のような意味だそうですが、この状態が近代まで続くことに。
建前でいうと、日本はずーーっと内乱状態にあったということで、実際はそこまでもなかったのですが、本音と建前を使い分ける、日本人らしいと言えるんでしょうかね。

平家物語で、仏教の無常観をこれでもかとぶち込まれつつ、美しくつづられることとなる、平家の盛衰。
日本人の心に、「やっぱ人間謙虚にして、質実剛健がヨシ!」という気持ちを植え付けたのなら、彼らの死もムダではなかったかもしれませんねぇ。
後世に生きる我々も、これを他山の石とせねばなるまいて…。

平家物語 (岩波文庫  全4冊セット)
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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.1.29 16:41
    海の中にも都はあるからね
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.2.1 21:22
    都を追われて以降の平家は奥州藤原氏と呼応して鎌倉と対抗するしか生き残る道はない
    まぁそれやろうにも平家は平宗盛が暗愚、奥州藤原氏は秀衡は優秀だが中央の出来事に興味ないしその後の泰衡は盆暗なので無理だけど
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.5.19 13:59
    基本的に海か大きな川のそばで育ったのではなければ泳げないのが普通
    ましてや女性で泳げるものはほぼ居ない時代(海女などは別)

    着衣が泳ぎの障害となることは知られているが鎧となるとその比ではない
    それでも古式泳法にあるように鎧姿でも泳げるものは泳げてしまうから平知盛はもう一領の鎧を身につけたとも碇を担いで入水したともいう
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