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平家を長続きさせるためにはどうすればよかったの? @ [日本史板]


平家を長続きさせるためにはどうすればよかったの? @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2012/04/02 21:17:30
なんで平家政権は早く滅びてしまったんでしょうか?
平家物語 (Wikipedia) 『平家物語』(へいけものがたり)は、鎌倉時代に成立したと思われる、平家の栄華と没落を描いた軍記物語である。
保元の乱・平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事に描き出している。和漢混淆文で書かれた代表的作品であり、平易で流麗な名文として知られ、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しをはじめとして、広く知られている。
7: 日本@名無史さん 2012/04/03 06:24:31
平家の栄華は、外祖父になったことによる。
つまり、摂関家に成り代わっただけだから、そもそも長続きするものじゃなかった。

でも、滅ぶようなものでもなかった。


富士川と倶利伽羅の敗戦が痛かった。
富士川の戦い (Wikipedia) 富士川の戦い 富士川の戦い(ふじかわのたたかい)は、平安時代後期の治承4年10月20日(1180年11月9日)に駿河国富士川で源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦である。治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。
石橋山の戦いで敗れた源頼朝は安房国で再挙し、進軍しながら東国武士がこれに参集して大軍に膨れ上がり、鎌倉に入る。一方、甲斐国で挙兵した武田信義らは駿河国目代を討ち取った。その両者が駿河国で合流し、都から派遣された平維盛率いる追討軍と戦い勝利し、頼朝は南坂東で、武田信義ら甲斐源氏は甲斐・駿河・遠江での割拠を確立させた。
倶利伽羅峠の戦い (Wikipedia) 倶利伽羅峠の戦い 倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい、倶梨伽羅峠の戦い)、または、砺波山の戦い(となみやまのたたかい、礪波山の戦い)は、平安時代末期の寿永2年5月11日(1183年6月2日)に、越中・加賀国の国境にある砺波山の倶利伽羅峠(現富山県小矢部市-石川県河北郡津幡町)で源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦。治承・寿永の乱における戦いの一つ。
8: 日本@名無史さん 2012/04/03 08:41:19
平家の強大な権力の背景として天皇との姻戚関係に頼ったことと、強引な施策で京の貴族たちの反感を買い、400年にわたって権謀術数を鍛え上げてきた貴族に敗れたからだろ。

藤原道長 藤原頼道 後三条天皇 白河天皇
前例を挙げると、摂関家最盛期を作り出した藤原道長だけど、道長の死後、次代の息子・藤原頼道は、うまく天皇との姻戚関係を作れなかったがために、折り悪く、藤原家を母としない後三条天皇と白河天皇が非常に有能で、院政が始まってしまって、50年とたたない、あっという間にその栄華は終わってしまったし。
京は本当に恐ろしい所だよ。


源頼朝 その平家没落を反面教師にして、天皇と姻戚関係を結ばず、平安貴族の陰謀渦巻く京には近寄らなかったのが源頼朝だろ。
14: 日本@名無史さん 2012/04/03 18:48:25
藤原道長 >>8
詳しくは知らんが、
道長の政治はあぶれものを出さなかったらしいね。
めぼしい人たちは皆どこかの国司にはなれた、ってことかな。

とにかく皆から反感をもたれないように気遣った、まあ小心者だそうだ。

で、北条氏もだけど平氏も、全国に領国を持つようになってから滅んでいる。
まわりの恨み妬みを買ったのが不味かったのでは。
15: 日本@名無史さん 2012/04/03 19:03:56
白河天皇 >>8
白河天皇の外戚は藤原氏
ただし頼通ではなく頼通の異母弟能信が外祖父(養祖父)
実祖父は道長の叔父の系統である閑院流だった
堀河天皇 続く堀河天皇は頼通の子師実を外祖父(養祖父)とする天皇で摂関政治が復活したんだが堀河天皇早世であぼん
鳥羽天皇 本当に摂関政治が終焉したのは続く鳥羽天皇即位・白河法皇院政から
4: 日本@名無史さん 2012/04/03 00:55:16
鎌倉幕府の例から見る限り、京都から本拠地を移した方がよさそう。
5: 日本@名無史さん 2012/04/03 03:08:42
都の生活に慣れきってる平家には難しいな
10: 日本@名無史さん 2012/04/03 10:50:35
安土あたりに拠点を築くべきだったな。
東海からくる鎌倉軍と北陸からくる木曾軍に対抗するため。

比叡山の寝返りで平家は瓦解して京都の防衛もできなかったのだから、
比叡山より東側に防衛拠点が必要だった。
22: 日本@名無史さん 2012/04/04 23:55:34
>>10
そういう所は確かにある。
てか京都にせよ福原京にせよ、極めて守りにくい場所にあるな。
24: 日本@名無史さん 2012/04/05 00:19:58
>>22
都は基本的に土塁も石垣もなく防御施設が全くない
そういう意味では初めて武家政権が置かれた鎌倉も同じで
鎌倉幕府も結構あっけなく滅ぼされている
29: 日本@名無史さん 2012/04/05 11:35:37
>>24
鎌倉の場合は、海岸沿いに長く広がった今の鎌倉市域のイメージじゃなくて、基本的には鶴岡八幡から若宮大路が延びて海岸まで至る地域が想定された都市だったから、人口城壁はほぼ無かったにせよ、東西北は山、南は海で、地形そのものを天然の要塞として活用してた面はあるけどね。

現代でも、周辺が山がちの鎌倉市中心部へ出入りする抜け道はさほど多くないから、鎌倉市周辺の道路は、休日のたびに行楽客が押し寄せて大渋滞する。


それに福原も、或る程度、防衛を想定した地形を応用してた面もあるようだね。
神戸周辺の地形に詳しい人、解説お願いします。
45: 日本@名無史さん 2012/04/06 15:07:04
>>29
福原はただの行宮で本来都の建設が予定されていたのは和田らしいよ。
ただし平家の本拠地付近である神戸は背後が山なので平地が少なくとてもじゃないがそれまでの平城京・平安京みたいに東西南北十町の平地が確保できず、3分の1程度の小さな都が計画されていたらしい。
防御のために天皇を神戸に連れてきたんじゃなくて、あくまでも神戸が平氏の本拠地だったから。
土塁や城壁で囲んだ本格的な防御施設を予定していたこともない。
28: 日本@名無史さん 2012/04/05 07:21:23
近江京は防衛を考えて造営されたとも言える。
30: 日本@名無史さん 2012/04/05 11:48:39
詳しくはないが、神戸も大津市西部に似た細長い街だよ。
源義経 神戸は六甲山と海、大津は比叡山と琵琶湖に挟まれて船を使わないと、侵入経路が限られる。そのために義経は険しい道を通って、一の谷を奇襲したわけだし。
32: 日本@名無史さん 2012/04/05 15:10:39
堺はそうだね。
安土もそれっぽい。
39: 日本@名無史さん 2012/04/06 00:10:46
本拠地の位置は関係ないだろう。
平家一門以外に平家を支える有力な一族がいなかったからだろう。
例え、後継者が暗愚でもそれなりに支える家臣がいたらなんとか
なるだろうけど、平家にはそれを支える一族がいなかった。
40: 日本@名無史さん 2012/04/06 00:52:44
>>39
源氏の義朝のように勢力扶植に熱心じゃ無かったよね。
11: 日本@名無史さん 2012/04/03 15:00:50
安徳天皇 後白河天皇 安徳天皇と三種の神器を源氏に引き渡す
さすがに平家追討の理由がなくなるし
後白河法皇も無理追いするつもりはなかった
全滅はしなかったはず
16: 日本@名無史さん 2012/04/03 20:25:26
安徳天皇の返還か退位が不可欠なの?
17: 日本@名無史さん 2012/04/03 20:33:01
安徳帝を何処かに沈めて、最初から無かったことにしてしまっていたら問題なかったかもしれない。
20: 日本@名無史さん 2012/04/04 00:42:17
坂東平氏を冷遇したから、長く続かなかったのだろうな。
千葉・上総とか。
後醍醐天皇 後醍醐天皇が千葉氏を重用したら幕府はあっけなく滅んだ。
27: 日本@名無史さん 2012/04/05 06:13:34
安徳天皇 後白河天皇 安徳天皇など連れて行かず、後白河院を連れて行けば良かった。
行宮で女をあてがえば、いくらでも天皇が製造できる。

そもそも天皇を連れ回せば政権維持が出来るという発想が幼稚。
42: 日本@名無史さん 2012/04/06 09:41:01
源頼朝 平治期に頼朝の首を切っても平家は滅んでいただろう。
武家の棟梁として諸国の源氏にも恩典を保証していればよかった。

源平で左右の近衛中将を取り、日本を東西に分けて住み分ける。
48: 日本@名無史さん 2012/04/06 19:55:27
存続するだけなら九州の在地勢力の離反がなかったら筑紫遷都決行で十分に可能
50: 日本@名無史さん 2012/04/06 22:45:01
朝廷と一体化して生きるルート地方国家を目指すルート
51: 日本@名無史さん 2012/04/07 02:25:14
>>50
その二つとも、平氏は失敗しているよね。
52: 日本@名無史さん 2012/04/07 09:39:39
国外に逃げれれば面白かったんだけど、壇ノ浦の時点で裏切り食らいまくって逃げ場無くなったみたいなんだよな。

安徳天皇 フィリピンあたりまで安徳天皇連れて落ち延びたらとかね。
壇ノ浦の戦い (Wikipedia) 壇ノ浦の戦い 壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。
53: 日本@名無史さん 2012/04/07 10:01:45
平宗盛 平家の象徴が宗盛
弱すぎて無理
宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌ。

(『愚管抄』)

54: 日本@名無史さん 2012/04/07 11:13:34
平時子 安徳天皇 いや、象徴は二位の尼とか安徳天皇だろ。
平知盛 平宗盛 武の象徴は知盛で。

宗盛は多分、鳩山よりましな程度で。


つまりもっと安徳を前に押し出して行動すべき。
57: 日本@名無史さん 2012/04/08 23:10:53
後白河天皇 後鳥羽天皇 >>54
つうか、安徳天皇が西下した時点で都においては、治天の君後白河法皇の院宣によって後鳥羽天皇が即位、年号も変えてしまった。
朝廷や源氏はすでに安徳天皇は天皇ではなく先帝という認識。
平氏だけが天皇だと言って前面に押し出してもあまり意味はないという事実。
55: 日本@名無史さん 2012/04/07 13:50:33
安徳天皇 1.朝廷と一体化して、西日本(近畿か日本アルプスまで)を治める。
もちろん安徳天皇を天皇に。

2.神戸など、近畿に拠点を置いて、朝廷とは多少距離を置く。
ゆっくりと朝廷から支配権を奪ってゆく。


3.畿内を捨て、中国地方&九州だけを治める。
朝廷には新しい天皇が立つが、安徳天皇を中国地方に置いて
西国限定の王とする。
66: 日本@名無史さん 2012/04/11 23:41:49
平頼盛 もとから平家なんて下賎な武家の血筋を堂上にしておく義理は公家にはないし、頼盛一族に恩義を感じてた頼朝とその子孫が耐えれば、北条にも優遇しておく義理はないし、あとは人気の平家物語の華麗なる散華から逃げ出した連中なんて失笑されるだけ。
68: 日本@名無史さん 2012/04/14 00:33:54
平重盛 重盛が長生きしていたら
数代くらいは平氏政権続いてたじゃね
70: 日本@名無史さん 2012/04/16 12:12:18
平清盛 >>68
重盛って宗盛叩きの反動でいい人っぽく平家物語に描かれてあるけど
それほど有能ではなかったんじゃね?
平家の中でも浮いていて清盛も扱いに困っていたし
71: 日本@名無史さん 2012/04/16 22:49:26
平重盛 後白河天皇 平清盛
>>70
愚管抄を始め同時代の史料での評価高いし、実際、十八で保元の乱。二十一で平治の乱を経験し、あの後白河院と清盛の間に立ち、何とか死ぬまでは院と平家の関係を一応は保ったわけで、優秀ではあったろう。
平基盛 一門内での孤立も同母弟の基盛の早世に義兄の成親がアレだし本人の非とは言い難い。
見方によっては父清盛よりキツイ人生だと思う。
まぁ、平家政権の維持は清盛より長生きしても無理とは思うが、小松家を後世に残す事は可能なんじゃね?
74: 日本@名無史さん 2012/04/18 10:26:21
平清盛 >>71
清盛に至っては同母兄弟がはじめから存在せず継母有。
それでも一門をまとめ上げた。


同母弟が早世したから重盛が孤立したのは仕方がないというのは違う。
平家一門次期棟梁の地位を忘れ、平家よりも妻の兄藤原成親を採ったのは重盛本人。
むしろ、重盛自身が平家を捨て、異母弟宗盛に平家一門を投げた原因を作ったような感じだ。
重盛には何一つ非がなかったというのは判官びいきすぎるな。
76: 日本@名無史さん 2012/04/18 16:21:01
平家盛 >>74
清盛は家盛が早世したのが大きいだろ。
叔父の忠正とは元々仲悪かったと言え、バッサリ切り捨てる所は流石。
重盛にはない強さと言えるな。

平重盛 ただ別に重盛だって平家より成親を取ったわけではあるまい。
成親を切り捨てる事が出来ない甘さに非があると言えばその通りだが、そういう人物だからこそ殿下乗合事件があっても高い評価を同時代人から得られたとも言える。
殿下乗合事件 (Wikipedia) 殿下乗合事件(てんがののりあいじけん/でんか - )は、平安時代末期の嘉応2年(1170年)7月から10月にかけて、摂政・松殿基房の一行が女車に乗った平資盛に遭遇し、基房の従者が資盛の車の無礼を咎めて恥辱を与え、その後、資盛の父・平重盛の武者が基房の従者を襲撃して報復を行った事件。『平家物語』では報復を行った首謀者を平清盛として改変され、「平家悪行の始め」として描かれている。
77: 日本@名無史さん 2012/04/18 16:42:14
平清盛 >>76
さすがに大河ドラマの見過ぎw
家盛が死んでも忠盛と宗子の間には他にも男子があり、清盛が適任でないとなればいくらでも廃嫡しようとすればできたんだよ。
しかし、清盛は一門をまとめ上げた。

一方、重盛は鹿ヶ谷で自ら失脚、中宮平徳子の後見人も宗盛に代わり、自ら平家次期棟梁の座を降りた。
重盛を過大評価しすぎ。
78: 日本@名無史さん 2012/04/18 17:03:28
平頼盛 >>77
いや頼盛は年齢的に無理だろ。
家盛は官位でも正四位下の清盛に対し従四位下となってるし、祇園闘乱事件で清盛は立場が危うくなった事もあるし、池禅尼が崇徳院の皇子、重仁親王の乳母であったりしたわけで、生きていたら火種となる面が結構ある。


重盛の弱さは認めてるだろ。何度も繰り返さなくても良いよ。
重盛が清盛より長生きてしても政権存続は無理。小松家存続は可能かも。
父と院の間で、死ぬまで一応分裂を抑えた。
乗合事件があっても同時代人からの評価は高い。
別に過大評価とは思えないけど?
祇園闘乱事件 (Wikipedia) 祇園闘乱事件(ぎおんとうらんじけん)は、久安3年6月15日(1147年7月14日)に祇園社の神人と平清盛の郎党が小競り合いとなり、宝殿に矢が当たり多数の負傷者が発生した事件。平忠盛・清盛父子の配流を求める延暦寺の強訴の引き金となった。
79: 日本@名無史さん 2012/04/18 17:18:31
平頼盛 >>78
頼盛は父忠盛が死んだときにすでに21歳だったのだし、年齢的に無理ということはない。
忠盛が清盛を見放せば生前に嫡子の首をすり替えることは十分可能だった。


重盛は鹿ヶ谷の後、平家嫡男としての地位を手放したので、平家の庶流として一門と手を切り都で細々と生き残れたという議論なら余地はある。
ただし、平家一門や安徳天皇に従って壇ノ浦に一緒に行けば終わっていたが。
83: 日本@名無史さん 2012/04/18 17:33:27
平頼盛 >>79
今年の大河の清盛ならいざ知らず、21歳の頼盛にはキツイだろ。
清盛が黙って従うなら兎も角、流石にそれは許さないだろう。

機会が有れば為義と義朝の様に対立するだろう。
この時期の清盛は、それを可能とする力が一応あるし、院や摂関家も当然利用するだろうしね。
86: 日本@名無史さん 2012/04/18 17:59:08
>>83
平忠盛 忠盛が廃嫡を宣言すれば済むだけのこと
重盛の子維盛は平家の嫡流ではなくなっていたし廃嫡って意外に簡単なものだよ
91: 日本@名無史さん 2012/04/18 18:32:45
>>86
そう言う意味ならそれはそうだな。
98: 日本@名無史さん 2012/04/20 00:14:33
>>1

源氏の頼朝政権だって3代で潰れたんだから
しかも世継ぎは実権なしの傀儡将軍で2人とも暗殺されてしまう
平家よりも酷い有様だろう
99: 日本@名無史さん 2012/04/20 00:16:46
平清盛 平家の弱点は地方の豪族を味方に引き入れられなかったこと
清盛の子供を大量に地方に出向させればよかったんだ
60: 日本@名無史さん 2012/04/10 19:04:37
存続する術はただひとつ。
麦飯をたべること、これであります

なんか重盛派と清盛派が熱い考察を展開してましたね。これまだまだ続くんですが、いったん落ち着いたところで切ってます。
毎回、人名は可能な限り同時代の肖像を探してくるんですが、以下の人物が八方手を尽くしても探しだせず、大河ドラマの「平清盛」のキャストから引っ張ってきてます。ゴメンナサイ。
現代人はアゴが細すぎて、並ぶと大分違和感あるな…。
  • 平頼盛→西島隆弘
  • 平時子(二位の尼)→深田恭子
  • 平基盛→渡部豪太
  • 平家盛→大東駿介
あと、堀河天皇も探せなかったので、想像図のようなものになってます。

管理人はあんまし日本史は詳しくないんですが、スレ住人の話をなんとなく読んでるだけでも、当時の天皇というのが絶大な権力を握っていたのだなーというのがよく分かりますね。
トップ絵は「平家物語絵巻」より。
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元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1333369050/

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