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日本書記の記述を信じますか? @ [日本史板]


日本書記の記述を信じますか? @ [日本史板]
1: 名無しさん@お腹いっぱい 2012/08/26(日) 16:51:52.99 ID:.net
大和朝廷未満の歴史を抹殺している日本書紀を、日本古代史の教科書として信じますか。
管理人より:日本史板だけど考古学カテゴリーでの更新!
2: 日本@名無史さん 2012/08/26(日) 16:58:07.06 ID:.net
聖書の記述すら信じている人がいるからな
20: 日本@名無史さん 2012/08/30(木) 08:56:14.08 ID:.net
>>2
> 聖書の記述すら信じている人がいるからな
今はキリスト教徒でも聖書の記述を信じている奴は少ないだろう
21: 日本@名無史さん 2012/08/30(木) 16:38:06.83 ID:.net
アメリカでは進化論は「ひとつの考え方」として教えられていて絶対視することが禁じられているが、それすらも不満に思って子供を公立に通わせず、私立で天地創造説を徹底的に教え込む家庭も珍しくない
22: 日本@名無史さん 2012/08/30(木) 16:52:14.64 ID:.net
記紀の記述程度ならともかく聖書の記述まで信じ込ませる教育とは恐ろしいことね。
27: 日本@名無史さん 2012/09/10(月) 15:31:48.76 ID:.net
>>20
天地創造や創世論を信じて進化論を学校の教科書から排除するように要求してる団体がアメリカにある
これが結構大きな勢力みたいだよ
管理人より:そういう神様的存在が前提の進化論を「インテリジェント・デザイン」つって学術体系化しようという向きもあります。
3: 日本@名無史さん 2012/08/26(日) 20:16:44.69 ID:.net
>>1
「日本書紀」は「やまとのふみ」なので、「ヤマト王権」前の歴史が書かれていないのは当然。
「吾妻鏡」が東国(鎌倉)政権の史書であって、前の平安朝廷の歴史が書かれていないこと、「徳川実紀」が徳川幕府の史書であって、前の室町幕府の歴史が書かれていないこと、これとおんなじです。
5: 日本@名無史さん 2012/08/27(月) 00:31:04.27 ID:.net
正史として書いてあるのだから、何はともあれ、ここから認識するのが基本
それに「そもそも、古いことは諸説あってよーわからん」と書いてあるし、事実「別書に曰く」とシツコク注釈を入れてるところが多数あるんだから、その編集姿勢は評価すべき

大体、>>3の言うとおりヤマト王権前なんて書く必要もないし、伝説レベルでしか書けっこない
6: 唐松山 ◆V0F34EmQA 2012/08/27(月) 00:53:46.81 ID:.net
>伝説レベルでしか書けっこない
そんなことはない、しっかり正しい出来事が基本となっている。
これが、正しく認識できないのは、それを正しい暦に変換できなかったからである。
なぜならば、3国史にも間違いがあり、間違いのある3国史と整合できなかったからなのだ。
間違いのある3国史ならば、間違いのある数字でしか整合させられない。
新羅本紀に書紀の記事を合わせると

崇神天皇 189年~216年  五,六年の記事は、後漢193年=新羅192年~3年に対応。
垂仁天皇 217年~239年 239年邪馬台国官伊支馬
景行天皇 240年~261年 箸墓は箸陵(263年)。
成務天皇 262年~265年 46年伸ばす 262~311
仲哀天皇 266年~274年 312~320
神功皇后 275年~343年 321~389
応神天皇 344年~384年 390~430
仁徳天皇 313年~399年 359~445 神功三九年大歳を元年とする。
履中  400~  405年兄王は前年帯方界での行方不明。
反正  406~
允恭  412~  413年倭、高句麗が東晋へ朝貢その翌年が新羅の医者。
安康  454~
雄略  457~  嶋王は動かない。

10奈解泥師今196~230 ・11助賁尼師今230~247 ・12沾解泥師今247~261
13味鄒泥師今262~284
14儒禮泥師今284~298
15基臨泥師今298~310
16訖解泥師今310~356奈解王の孫。母は助賁王の娘命元夫人昔氏。
17奈勿麻立干356~402味鄒王の甥であり婿。母は休禮夫人金氏。妃は味鄒王の娘保反夫人金氏。
成務・仲哀の世継ぎは成立しない。味鄒・儒禮と訖解・奈勿の間の世継ぎは成立しない。
しかし、新羅192年・209年と奈勿=神功=百済王家は整合する。
4: 日本@名無史さん 2012/08/26(日) 22:13:25.66 ID:.net
信じる信じないって宗教かよ
7: つきピエ@絶景美男子 童貞 神の使い 2012/08/27(月) 01:04:27.62 ID:.net
若狭三方縄文博物館に行ってきた。縄文人は野蛮な人類かと思ったらそうではなく、日本史上、最も繊細で美しい心と姿と動きをしていたかもしれないと思った。
日本の神様の霊性が最も素直に現出した人類だったかもしれない。

女系の文化で素朴で優しく争いもなく、人を殺す武器になる鉄器が持ち運ばれても戦争をせず、水田耕作の文明が普及しないほど食べ物が豊かで、ウイルスにたいする抵抗力がないほど繊細で。
メダカが当たり前のように泳いでいた透明な大地には、どんな子たちがいたろう。

3000年前の戦国春秋時代に朝鮮半島と中国大陸から大量の難民が流れ込んできて、稲作農法と鉄器文明と共に大量のウイルスが持ち込まれ、縄文文化はその後すぐに滅んでしまう。
縄文時代の人は、どんなに繊細だったのか。どんなに美しかったのか。縄文人の血は我々にどれだけ受け継がれているのか。今の日本人から中国人・韓国人を引いた姿形が縄文人だとすると。。

縄文人は滅んでしまったのだとすると、それ以前は中国と韓国にルーツがある事になるよ。
13: 日本@名無史さん 2012/08/27(月) 11:35:01.11 ID:.net
>>7
まあ3000年前が無くても、遅かれ早かれ外国人の到来は起きてたろうけどね。
歴史にIFはないとは言うが、まず間違いなく、21世紀の今日に至るまで日本列島が外からの介入を受けることなく縄文社会を保ち続けてた、なんてことはないだろう。

あるいは、外圧や疫病に強力に対処出来る成長した国家を縄文人が築けてたとしても、その国家を作っていくプロセスで争いが生まれるだろうし、ウィルス対策を一例として、科学技術の先進知識を得ようとすれば、これはやはり外国との接触が不可欠となっていただろう。
その際、従来の縄文社会とは異なる価値観(政治思想・宗教・産業体制・学問・生活文化など)が流入したであろうことも、容易に想像できる。

縄文の精神(平和・自然・美意識)を理想とし、それを少しでも今の我々のうちにも具現化したいという気持ちは美しいが、かといって、そういう人たちに間々見られる弥生社会を短絡的に敵視化するような考え方には、私はあまり賛同できない。
18: 日本@名無史さん 2012/08/29(水) 21:19:45.66 ID:.net
>>7
縄文人は滅んでないよ。
10: 日本@名無史さん 2012/08/27(月) 10:19:22.33 ID:.net
>>1
記紀って新約聖書のようだねw
12: 日本@名無史さん 2012/08/27(月) 11:28:16.11 ID:.net
>>10
おれは旧約聖書だと思った。
15: 日本@名無史さん 2012/08/27(月) 19:38:41.53 ID:.net
>>12
旧約聖書のようなものとしたら日本書紀よりは古事記ではないか
16: 名無しさん@お腹いっぱい 2012/08/29(水) 21:03:23.32 ID:.net
日本書紀の編纂目的は藤原の絶対権力、権威を保持維持するために、藤原不比等が自らの生い立ち(百済の血)を消し去る事を目的としたのではないかとの推察がある。

自らの過去に関連する、不都合な事柄を、例えば、ヤマト建国に大きい影響を与えたされる弥生から四世紀に渡る、出雲の存在を抹殺したと思われる事実等々、不比等以前の歴史の事実を覆い隠すため、年代無視の神話化に走ったと推測される事柄が多い。
17: 日本@名無史さん 2012/08/29(水) 21:12:07.75 ID:.net
記紀を信じる奴は日本史勉強してない奴か苦手だった奴、それ以外なら天皇万歳カルト宗教の教えを信じてる奴
日本史を勉強した奴は記紀が日本史ではない事を知っている
25: 日本@名無史さん 2012/09/01(土) 16:52:37.97 ID:.net
>>17
古事記はともかく日本書紀なしにどうやって日本の古代史を知るの?
26: 日本@名無史さん 2012/09/09(日) 13:06:05.19 ID:.net
武内文書は、旧宮内庁にによって灰になった。
29: 日本@名無史さん 2012/09/11(火) 06:29:30.02 ID:.net
何を今更
31: サガミハラハラ 2012/09/27(木) 20:57:39.15 ID:.net
私、日本書紀の記述を絶対的に信頼しております。
32: 日本@名無史さん 2012/09/27(木) 21:14:29.61 ID:.net
信じる者は助われるよぉ~ん
各地の言い伝えを広範に編集してるわけであって、おとぎ話なわけネぇーだろっ ぼぉあ~かめっ! www
34: 愛知県民 ◆aQLFNNDU 2013/03/09(土) 14:48:02.91 ID:.net
私はこれまで九州王朝説に否定的だった。
倭の五王と歴代天皇の名前が次のように対応するからだ。

讃とホムタワケ(應神)ホム=誉める、賞賛する
珍とミヅハワケ(反正)ミヅ=見ず、珍しい
済とワクゴノスクネ(允恭)スクネ=救う、救済する
興とアナホ(安康)アナホは地名と思われるので不明だが
オシハ、又はオシハワケ(雄略のライバル)オキ=興
武とワカタケル(雄略)タケル=武

だが、足利高氏が後醍醐(尊治)天皇から「尊」の字をもらって尊氏になったように、近畿の天皇が九州の倭王から名前をもらったと考えるほうがよい。

ホムタワケ=讃の分家
ミヅハワケ=珍の分家
ワクゴノスクネ=幼子の済
オシハワケ=興の分家
ワカタケル=若い武

すべて、倭王が上位で天皇が下位であることを示すように思われる。
44: 日本@名無史さん 2013/03/10(日) 17:15:07.73 ID:.net
纏向遺跡から桃の種出てきたんだっけ?

まあ畿内説が有力なんだろうけど、如何せん神武東征があるからまだ九州説もあるのか…
最も邪馬台国→大和朝廷とは限らないけども。
35: サガミハラハラ 2013/03/09(土) 16:01:53.14 ID:.net
天皇の漢風シ号は、倭の五王の名を元に淡海三船らによってつくられたようですよ。
管理人より:「諡号」は○○天皇、みたいな名称。初期の天皇にはついてなかったので、平安時代に過去にさかのぼって諡号が贈られました。こちらなどをどうぞ。
36: 日本@名無史さん 2013/03/10(日) 08:44:09.53 ID:.net
面白いことに、科学的な研究や考古学が発展すればするほど、かつての逆皇国史観の古代史研究者の期待に反して、記紀の記述の裏付けが取れていく。稲荷山鉄剣銘だとかその他。

日本書紀の紀年については、すでに明治の学者によって、だいたいの考え方の道筋がつけられている。
逆皇国史観論者なんて、都合のよい部分だけ記紀を切り貼りしているだけだから、たいした学者の生まれなかった。
37: 日本@名無史さん 2013/03/10(日) 09:21:40.40 ID:.net
記紀では天皇は木花咲耶媛の子孫なので短命だ、とあるのに100歳までいきたとされる天皇が少なくない
これはつまり、記紀がそれ以前の言い伝えに忠実に記録されていることと、記紀成立あるいは言い伝えの伝えられる段階で複数の伝承が合わせられていることを示している
管理人より:昔の天皇がえらく長命なのは、当時は年齢の数え方を米の刈り入れを基準にしてたからで、実際は割る2くらいだ…みたいな話を聞いたことありますが、実際どうなのかな。
42: 日本@名無史さん 2013/03/10(日) 16:11:32.11 ID:.net
遡れるって言っても、応神ぐらいまでだろ
43: 日本@名無史さん 2013/03/10(日) 17:09:31.79 ID:.net
神武天皇的な大和朝廷の基礎を作った人物はいるんだろうが、欠史十代は後世の脚色があると思うけどね~。

何にしても古代日本史は卑弥呼の正体が鍵を握ってるわな。色々と都合悪いことがあるんだろうけど宮内庁は少なくとも
箸墓古墳ぐらいは調査許可出してもいいと思うの。
現状のままじゃ何時までたっても決め手となる物が出てこない。
45: 日本@名無史さん 2013/03/10(日) 18:22:54.49 ID:.net
日本書紀と古事記を信頼するのが当たり前。
ほかに信頼に値するものはないから。


考古学は記紀の記述をいじくっているだけ。
考古学で弥生時代の歴史を全部語ってくれるんだったら信じてもいいが…。
有利な根拠なんてのは全然ないのに、畿内説は有利、有利を念仏のように唱えている。
55: ローガン 2013/03/12(火) 15:45:47.99 ID:.net
>>45
>日本書紀と古事記を信頼するのが当たり前。
なら、神功の新羅の役が皇紀860年。建安五年(200)。九州の宮から戻り、若桜宮での崩御が皇紀929年。
こんなのが「信頼出来る記述だ」と言う主張に従えば、この神功こそが、倭人伝の女王。勿論、畿内大王家の一員。

>有利な根拠なんてのは全然ないのに、畿内説は有利、有利を念仏のように唱えている。
いや、君の主張に従えば、畿内大王家の女帝が、後漢末に九州経由で、半島を攻め内官家屯倉を定めている。
正に、広域倭国を君は主張している訳だ。(笑)
46: 唐松山 ◆V0F34EmQA 2013/03/11(月) 11:02:00.91 ID:.net
>日本書紀と古事記を信頼するのが当たり前。
>ほかに信頼に値するものはないから。
実際には、3国志百済本紀を信じている。だから、七支刀16日丙午も「16日丙午の存在しない169年」をあてがう。
書記の記述では、神功49年の領土分与、翌年にその確認に百済から使者が訪れる。その確認後の52年が七支刀 である。
そうすると、記年できるのは、神功50年以降の年度にならなければならない。
372年神功52年に369年(神功49年)銘の七支刀。よって 大いに狂いがある。
つまり、これだからこの数字を捨てたのが考古学であり、現在の纏向年代なのである。

>考古学は記紀の記述をいじくっているだけ。
考古学の50年遡上は七支刀も50年遡上させなければ整合しない。
326年神功52年 七支刀 東晉明帝太寧4年5月16日丙午(東晋17日丙午)
書紀はこのように存在する日付をあてがっているのだよ。
48: 日本@名無史さん 2013/03/11(月) 14:29:20.29 ID:.net
われわれ日本人のご先祖が遺してくれたのだから、四の五の言わずにありがたく信奉すべし
52: 日本@名無史さん 2013/03/12(火) 01:18:37.64 ID:.net
思いつきスマソ

邪馬台=山堆=杵築=出雲グループの有力メンバー(出雲グループは北九州~山陰・瀬戸内~近畿・北陸まで四国太平洋側・紀伊半島南部以外の全部を占めて居た)

投馬=当麻=イケ筋=依羅亡命先(他 熊蘇や隼人なども縄文人と混淆した豪族としてグループ化可能で四国太平洋側・紀伊半島南部~何と木曽三川により別の島扱いだった濃尾平野以東~縄文地域まで自由に往来)


---------------------

伝説の亡命者依羅(=神武=崇神)は自らの仇である大陸の覇者におもね続ける出雲グループをオーバーカムすべく、アメノイワフネ(まさかのアウトリガー付き丸木舟=一木削り出しで磐の様に分解しない)で四国太平洋岸を東進し紀伊南岸から上陸して邪馬台グループ最東端の山戸を電撃(神武東征)、反撃の為に南河内に殺到した出雲グループの首領である出雲物部氏は講和に際して抜群の血統(扶余王子)を持つ依羅を統一国家の大王に担いで姻戚として自らの権勢を増す算段を立て実行、崇神の死後に当麻グループを壊滅に追い込んで神武東征に於ける勲功と太平洋岸の利権を簒奪し、
当麻グループを何の取り得も無い蛮族扱いして歴史の闇に葬り去った。

でシンプルに辻褄が合うのでは?
53: 日本@名無史さん 2013/03/12(火) 12:20:48.20 ID:.net
もう古代史は電波説が多すぎてこれもうわかんねえなぁ
54: 日本@名無史さん 2013/03/12(火) 14:16:01.40 ID:.net
どっかのテレビ局が移動手段再現して検証してくれれば良いのに
57: 唐松山 ◆V0F34EmQA 2013/03/12(火) 16:03:04.29 ID:.net
>考古学は記紀の記述をいじくっているだけ。
考古学は記紀の記述に正しい年代を与えているのだよ。

天皇   西暦     増し(1章=19年 空白年の差し込み) 
神武天皇 42年~63年  3章 手研耳による空白年を含む。弥生後期、Ⅴ式土器の始まり。近江伊勢遺跡の勃興。
途中省略
開化天皇 184年~188年 ≒3章-2年 2年の異常 開化崇神は同じ暦
崇神天皇 189年~216年 ≒2章+2年 五,六年の記事は、後漢193年=新羅192年~3年に対応。近江伊勢遺跡などの衰退。
崇神58年=新羅209年=三国遺事211年任那建国。
3世紀前半の大型建物=珠城宮
垂仁天皇 217年~239年 4章 邪馬台国官伊支馬=垂仁・都市牛利(たしうり)=田島守
ホケノ山(225~250年) 楽浪鏡・埴輪(穴あき壺)石囲い木槨、殉葬墓。
景行天皇 240年~261年 2章 
3世紀初めの大型建物を取り壊し、土盛りと整地をして、中期の大型建物=日代宮
250年ころ 庄内式土器(纒向3類)が北部九州へ持ち込まれる(九州遠征)
倭人伝 使大倭監之、 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
大和は伊都国に勅使の如きを置き、女王国(九州)の北に置いた1大卒を監督し諸国を検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(大倭)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
箸墓(260±10年)最初の大王墓=景行墓
成務天皇 262年~265年 ≒3章 仲哀と同じ暦の可能性がある。
仲哀天皇 266年~274年 ≒0章 273年日食(神功元年に注入)一大率を渡海させる。
神功皇后 275年~343年 磐余稚桜宮は、桜井茶臼山。誉田御廟山までは110年。
326年 神功52年 七支刀 東晉明帝太寧4年5月16日丙午
応神天皇 344年~384年  百済本紀とは、46年の誤差がある。
仁徳天皇 313年~399年 神功三九年大歳を元年とする。
58: 日本@名無史さん 2013/03/12(火) 16:31:01.85 ID:.net
景行天皇はいたかもしれないが、景行天皇~神功皇后までの事跡は、九州の豪族の話を付け加えたもの。
景行天皇に該当する天皇さえいなくて、まるまる九州の豪族の話を、貼りこんだ可能性さえある。
64: 日本@名無史さん 2013/03/14(木) 23:15:40.17 ID:.net
歴史を元にしてるが歴史書じゃないもの
生き方を示唆した書だからな
68: 日本@名無史さん 2013/03/18(月) 15:23:16.94 ID:.net
邪馬台国の所在地、記紀・風土記の虚実に関わらず、天皇家の女系先祖が卑弥呼の姪である女王台与であることには、みんな異論ないよね?
つまり【天皇家の男系先祖は一体誰なのか?】が日本古代史最大の謎であることにいい加減気付くべき
69: 日本@名無史さん 2013/03/18(月) 16:46:09.90 ID:.net
>>68
【「いかなる功績によって」全国の蒼々たる有力豪族から大王として承認されたのか?】もね!

たぶん弥生時代の倭国大乱のエネルギーを前方後円墳築造に向かわせた功績だろうけど、卑弥呼の「殉死者を伴う径100歩の冢」とは明らかに違う希ガス
70: 日本@名無史さん 2013/03/18(月) 17:23:46.64 ID:.net
>>68
違うよ。
天皇(大王)家の男系先祖は崇神で良いのであって、卑弥呼(倭迹迹日百襲姫=崇神の大叔母)や台与(豊鍬入姫=崇神の娘)は、(のちの)大王家の「男系女子」。

言うなれば、卑弥呼や台与という「共立巫女王」を輩出した一族がのちの大王家であり、時の氏長だった崇神がその権威を背景に、箸墓築造以後350年に渡って続く「前方後円墳体制」を開始(肇国)したということ。
71: 日本@名無史さん 2013/03/18(月) 19:55:56.90 ID:.net
不比等が色々弄ったからなぁ。
蘇我氏を悪役にせねば!という大義名分がその根底にある。
72: 日本@名無史さん 2013/03/18(月) 20:38:52.80 ID:.net
蘇我といっても蝦夷-入鹿系ね。ほかと一緒くたにしないほうがいい。
乙巳の変後も、石川麻呂・連子・赤兄と蘇我倉系は大臣を出している。
それに不比等の嫡妻・媼子は馬子の曾孫。南家武智麻呂や北家房前の母である。
御承知のとおり、持統・元明の母が石川麻呂の娘であることからすれば、「不比等時代」の天皇たちは軒並み馬子の血を引いているわけだ。

またこの時代、蘇我一族の豪族からも多くの廷臣が出ている。
あと有名な石川年足墓誌が、藤原(中臣)氏との縁が深い摂津三島の地から出ているのも興味深い。
年足は蘇我の後裔・石川氏の宗家当主であり、武智麻呂・房前の従兄の子に当たる人物である。
73: 日本@名無史さん 2013/03/18(月) 21:02:33.01 ID:.net
>>72
言葉足らずですまない
確かに蝦夷-入鹿を嫌ってる節があるのが、やはり何かしら藤原の思惑を感じてしまうんだよね。
結局、乙巳の変後に石川麻呂の首も塩付けにされちゃうしね。これ、誰が塩付けにしたんだっけ?

不比等のやった事は、大伴、物部、蘇我のポジションを謀事でやすやすと手に入れ、それを手離さないための地盤固めをしたわけだね。
そして、鎌足の業績を正当化し、出自をぼやかすための工作をしてるように思えてしまう。
天武が完成を目指した日本書記の内容と、とれだけかけ離れているのだろうな。
74: 日本@名無史さん 2013/03/18(月) 22:36:03.66 ID:.net
>>73
日本書紀に、中臣蓮遠祖大鹿島って書いてあるが
しかも春日大社を造営してるし
ぼやかすので無くて、逆に語りたかった気がするが
76: 日本@名無史さん 2013/03/20(水) 21:55:18.28 ID:.net
馬子-蝦夷-入鹿の挙げた功績を、聖徳太子の功績に当て嵌め聖人君子とし、その子孫山背皇子を抹殺したという事に仕立てあげ、蘇我は悪の存在へとする事で、勧善懲悪のストーリーを仕立てたのは不比等ですか?
87: 日本@名無史さん 2013/03/24(日) 13:07:49.34 ID:.net
不比等がどうとか、まんま陰謀論
88: 日本@名無史さん 2013/03/24(日) 14:51:31.04 ID:.net
各家の史紀が違っているから、まとものものを作る、って言う記紀の序文の意図は、まんま陰謀論やね
90: 日本@名無史さん 2013/03/24(日) 18:24:47.41 ID:.net
日本書記ってこれ聖書ってより封印書だもん
人間の心の持ちようを綴ったりしてな
91: 日本@名無史さん 2013/03/24(日) 18:26:54.11 ID:.net
自分たちで好きなように想像して遊ぶのが正解なんだよ

王朝が変わる際に、それまでの歴史をいったんガチャンとぶった切るのは、中国に習ったものですかね。
新王朝の正当性の主張とは、さほどにめんどくさいものだった、というのは、洋の東西問わず、です。
中国はそうやって何度も何度もガッチャンコしてきて、文化の断絶があるわけですが、日本の場合は1回だけで済んだのは幸運だったかも。
しかも、大化の改新は政変に匹敵するクーデターぽく見えますが、建前上は王朝は変わってないことになっているから、あるいは血筋は保たれたんでしょうか。

というわけで、日本書紀以前にどのような史書があったのか定かではなく、「天皇記」「国記」「帝紀」「旧辞」などなどと呼ばれる史書もあったらしいですが、現在では散逸しています。それらにしても原典となる史書があった可能性もあるのですが、なんにせよ闇に包まれてる古代日本史。
日本書紀が参照してる書物のうち、もっとも古いのは5世紀なかばごろとされる「国史」「四方志」ですが、いかなる書物かは不明。

ちなみに、日本に製紙法が伝わったのは、4世紀終わりごろから5世紀初頭あたりだそうです。
だから、古事記や日本書紀が編纂された8世紀ごろには、もっと以前から史書も編纂されていたに違いないのですが、1冊たりとて残ってないということは意図的に破棄されたのだろう…という説が有力。
なにがあったのか気になりますが、民間伝承や神話などが混ざってるだろうし、あったとしても互いに食い違ったカオスなものになりそうですね。

天皇陵の古墳の発掘を行えば、あるいは多少別の文献が出てきそうですが、現在発掘は許可されていない。
天皇家の正当性が危ぶまれる資料が含まれているのではないか…などと、様々な憶測がありますが、現存する王家のお墓を荒らすのは、まぁけっこうな僭越だと言えますか。

あーでも気になるねぇ!

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博士ちゃんねる ヘッドライン

    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.13 22:27
    聖徳太子の記述だけ正しい。
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.13 23:18
    一部じゃ藤原氏は朝鮮半島から来た外様だからごまかすために云々とかいう人いるけど
    藤原氏のハプログループ分布は鹿島が中心で史書に鹿島が祖先とある通りの結果になってる
    そもそも漢氏東漢氏秦氏百済王高麗氏などやそれらの系譜は別に隠してないで堂々と活動してるのになぜ中臣氏だけごまかして隠す必要があったと考えるのか不思議
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.13 23:39
    中国の場合は王朝が変わってもそれ以前の歴史書を代々継承し続けてきたと聞いたことがある
    実際そうでもなければ魏志倭人伝なんて現在に残っているわけがない
    王朝が交代するのが当たり前だったとか日本に比べて段違いに歴史が古いとか理由はあるのだろうけど
    日本の場合は権力の根拠を万世一系に求めてしまったせいで相当な改竄や捏造が行われた可能性がある
      • ※16 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2020.3.18 11:57
      >※3
      大海人皇子による王朝簒奪を正当化するのが日本書紀の役割というやつですね
      だから大海人皇子は中大兄皇子と兄弟でなければならなかったし
      不比等は鎌足の子供でなければならなかった

      神武の東征も王朝簒奪の前例があったという天武の主張なのだと思う

      濃尾平野と伊勢湾を抑えていた豪族である大海人皇子
      鹿島香取を中心に関東平野を抑えていた藤原不比等
      この東国勢が手を組んで西国に攻め込んだのが壬申の乱
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.14 2:48
    安彦良和のナムジと神武は面白かった
    事実はもうどうでもいいだろう
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.14 9:37
    完全に信じると言うか、ヒントとして信じると言う程度かな。
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.14 12:27
    情報ソースが日本書紀か古事記しかないんだからそれを参考に考察するしかない。
    他の史書なり古文書なりが発見されない限りはどうにもならない。
    信じる信じない以前の問題じゃないかね?
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.14 13:08
    記紀を信じるは良いとして、両書の間ですでに記述の食い違いがあることを誰も指摘してないとは。
    史学的立場では記紀に限らず史料というのはいったんは疑ってかかるものではあるが。
    6さんが書いてる通りに。
      • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2020.3.14 18:02
      >※7
      古事記は昔から神話のお伽話扱いされてましたね
      だから日本史の資料足りうるのは日本書紀だけ
      ところがその日本書紀ですらどうも怪しい部分がちらほらある
      そこをどう解釈するかが昔から問題にされてきたこと
        • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
        • 2020.3.14 18:24
        >※9
        China向きに書かれたものを日本の史記だ!と我々日本人が誇るのも何だか不思議なもんだ。大和朝廷未満の歴史なんて明らかにしたら象徴天皇とそれに関わる日本人のアイデンティティを瓦解させる懸念があるので、モヤッとさせたままにするのが大正義である。
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.14 14:21
    寧ろシュリーマンみたいに神話から歴史を探求するのが考古学の面白さでは?

    例えば国譲りから製鉄民族の征服・融合、天岩戸から日食とか阿蘇山噴火、八岐大蛇の討伐から治水、狗奴国から熊襲、神武東征から邪馬台国を推測したり
      • ※15 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2020.3.16 16:57
      >※8
      だね。賛成。

      そもそも、今ある資料を否定してたら学問すら成り立たないと思うんだけどね。
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.14 18:17
    日本書記もプロパガンダで明らかに歪んでるし、江戸時代でも喧々諤々だからな。
    引用元が見つからんし、百済記やら宋書やらの大陸側の資料とも食い違う。
    まあ、参考資料程度に。実際の歴史や史実として信じるのは違う。

    ※6
    多角的に検証できる資料がない以上、史料価値は低い。
    • ※12 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.15 1:25
    ウリナラファンタジーばりに信じてる奴いるんだなw
    • ※13 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.15 14:51
    日本書紀の異伝を併記する記述法って、古代の王朝編纂の史書としてはかなり特殊だよね…。
    特に神話部分に関しては各豪族の出自を示すものでもあるから、パワーバランス的な配慮があったのかもしれん。
    • ※14 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.15 20:48
    話は外れるけど、地球は絶対平面マンが集まった地球平面協会なるものもある。
    ロゴのデザインが以外とカッコよくてムカつく
    https://www.tfes.org/
    • ※17 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.19 20:17
    以前という言葉を知らないから未満って書いてるのか。バーカだね。
    • ※18 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.4.2 23:55
    そのまま信じてるやつはいないだろ。民族のお飾り、神話としてそのまま尊重したいけどね
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