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主観に依拠しない事実はあるのだろうか? @ [哲学板]


主観に依拠しない事実はあるのだろうか? @ [哲学板]
1: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 18:17:32
例えば、「物体は運動の法則に従っている」というのは主観から独立した事実なのだろうか?

この場合においてまずはっきりとしなければならないのは事実とは何かということだが、ここでは辞書的定義に従って、事物の実際のありようとでもしておこう。修正する必要があれば適宜修正する。
2: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 18:25:14
>>1
じゃないけど、正直な話、主観と客観の違いを言えと言われても藻ともらしい説明をする自信がない。
3: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 18:35:25
主観は認識の主体で、客観は認識の主体(主観)から独立したものということでいいのではないかな。
4: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 18:40:35
ああ、そういう説明の仕方もあるのよね。
初めは一人か二人くらいの見方に過ぎなかったものが、より多くの人間の支持を得ることで、主観から客観になるという風に思っていた。
5: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 18:59:01
「客観」を言語の「使用」という観点から意味を捉えるべきなのでは
それの辞書的定義を用いるから、認識問題が対象の主客一致問題に還元されるんじゃないかな
7: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 19:33:34.18 ID:0.net
>>5
つまりどのような定義づけをすればよいのだろうか?
9: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 19:48:19.73 ID:0.net
>>7
人はどういったときに、「客観」という言葉を用いるか。
それは、誰にとっても同じようにものごとが了解されるときである。
それが「客観」という語の「使用」である。

では、その言葉の「使用」の本質(意味)は何か。それは普遍的に同一性のある認識のことであるだろう。
つまり、「客観」とは普遍性と同一性を備えた主観である
11: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 21:10:51.74 ID:0.net
>>9
なるほど
17: 考える名無しさん 2019/12/07(土) 19:17:49.85 ID:0.net
>>9
その説明は迷信とか俗説も客観の中に入り込むことになるね
管理人より:たしかに
6: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 19:28:22
事実とは、初めは何人かの経験に基づき、後に公的機関にそうだと認定される事柄を言う
という風に理解している。
10: 考える名無しさん 2019/11/26(火) 20:25:25
主観性を基準に置くなら、客観というの自体が不確かな物差しになってくるんじゃないか
素材を受け取るのも、それに対して正しいという評価を与えるのも全て主観が判断することになってしまうから
12: 考える名無しさん 2019/11/27(水) 03:58:58
人が理解するのは主観よ。
ものの認知も関係性も常に主観がなければ成立しないほどほとんどがそれな。
故にその力に反する逆位置にあるものを恐ろしくしらないので客観性についても主観でしか捉えられない。

論理性こそが主観であって、非論理を扱えないお前らが論じる限界がそこにある。
13: 考える名無しさん 2019/11/27(水) 13:32:48
自分は非論理を主観で扱っていないと妄信してるだけだろww
18: 考える名無しさん 2019/12/24(火) 05:59:46.87 ID:0.net
世界がある事実、これをどう解釈するか、
「我思う、故に我在り」つまり我が観測するから宇宙がある、宇宙と意味づけする。
故に観測可能な範囲とその観測現象を元に説明可能の範囲を宇宙(世界)としている。

その時点で意味にならなくても、認知できなくても、遠い時間経過後に認知できればそれは事実となる。
人類が認知できない世界やら技術やら現象があるとして、現在認知できないからその事実はない、依存などしていないのだよ、
それを否定すれば未来という事実は無いと 断言している精神障害者と同じだ。

おまえらのことだよ
19: 考える名無しさん 2019/12/24(火) 16:00:43.83 ID:0.net
>>18
がんばれ
20: 考える名無しさん 2019/12/24(火) 19:34:56.90 ID:0.net
>>18
そんだけ馬鹿だと苦労なさそうで羨ましいですね
23: 考える名無しさん 2020/01/02(木) 17:41:56.51 ID:0.net
『現実を求めて―――一物理学者の視線』において、ベルナール・デスパニャは、量子論を基盤に、現実それ自体について語るのは不可能であることを示している。現実がわれわれの前に潜在態から現実態へと現れ出るのは、われわれ固有の視線に関係づけられ、それによって条件づけられた時に限られる。
「強い」客観性というものがあるとすれば、そこでは現実が主体から完全に独立していて、「人間である観察者の共同体に対する、いかなる本質的指向性」をも持ち得ないことだろう。

このような客観性はわれわれの身体的・精神的枠組みの内部では不可能である。同様に、「強い」現実ないし内在的現実というものは「時空の枠の外部に位置し、われわれの持つ概念では記述不可能である」。

科学実験の場合ですら唯一可能なのは弱い客観性であり、そこでは、対象は確かに個々の観察者の変化に対しては不変だが、にもかかわらず人間である観察者の共同体との関係に依存している。現実はこの関係づけによって課されるヴェールを通してしか認識されない。

すなわちこれは弱い客観性の範囲内に限定された、ヴェールをかぶった現実である。この弱い客観性を、デスパニャは共同主観性と比較して捉えている。
『風土の日本』オギュスタン・ベルク(ちくま学芸文庫)P175~P176

オレはそんなに理解できてないけど参考になれば
ところで、前にVIPでもこんなスレがよく立ってたけど>>1は同じ人ではない?
30: 考える名無しさん 2020/01/02(木) 21:53:15.67 ID:0.net
客観は実在するが我々の認識は「客観と同質の主観」になるのが限界。要するに事実という実像と重なり合う虚像を作り出すのが精一杯である。
例えば、我々の視界(ひいては、五感を総合した認識世界)は、光や音の波を感知して、それを処理した結果出来上がる。
この時、我々の認識の材料は情報であり、その情報は、さらに言えば物体に反射した光等に依拠している。反射元となる物質は確実に存在するが、々がそれを真に(客観的に)認めることは出来ない。

科学等にも敷衍すると、我々が求めるのは「客観的事実」だが、我々の限界は「間主観的真理」、つまりは多くに認められた主観であり、これの元を辿ると「主観的真実」となる。
我々は今まで、そしてこれからも事実(客観)にたどり着くことはなく、間主観的真理をなんとか証明しようと努力して自分たちにそれが事実だと信じ込ませることしか出来ない。

というのが自論だが、どうだろうか。
31: 考える名無しさん 2020/01/02(木) 21:59:00.07 ID:0.net
連投になるが、>>1の具体的な疑問にこれを用いて答えると、我々の探し当てた物理法則は「真理」にあたる。間主観的に認められ、便宜上事実として扱っているものである。

人間が事実だと思っているものは全てこの、「便宜上、事実として扱う」の域を出ず、またこれを脱する方法もないため「人間が客観的事実にたどり着くことはなく、よって今のところ我々は事実を持っていない」といえる。
但し、先程の視界の例を用いるが、視界があるためには光、ひいては光を反射する元となる物質が無くてはならないから、客観的事実自体は存在する。
質問や反論があればどうぞ。
32: 考える名無しさん 2020/01/03(金) 23:30:18.71 ID:0.net
>>31
>視界があるためには光、ひいては光を反射する元となる物質が無くてはならないから、客観的事実自体は存在する。
「視界があるためには光、ひいては光を反射する元となる物質が無くてはならない」という事柄は「客観的事実自体」が存在することを保証してはいないと考えます。
なぜなら「光、ひいては光を反射する元となる物質」もまた、観察者に固有の知覚方法により関係づけられているため認識主体から独立してない為です。
33: 考える名無しさん 2020/01/04(土) 15:01:49.50 ID:0.net
論理的に考えることはすべて主観であり主体的なんだよ、何もわかっとらんな。
術を術をなさずに、術をなすとか考えろよほげ。

すべて観測者(なんらかの主体的意味を得る)がいる因果関係で全てを捉えている
それが理解できていないアホだろ。
意味がある、意味を授ける為に主がいないとかオカルトじゃないか
オカルトを扱う次元ならいいが、それ否定しているだろ?
40: 考える名無しさん 2020/01/04(土) 19:50:04
>>1
何で「物体は運動の法則に従っている」という例を出して来たのか
例えば、「目の前の石の重さを天秤で測定したら100gだ」とかではダメなのか?私はこれは事実と思うが?
どこが論点なのかよく分からない
41: 考える名無しさん 2020/01/04(土) 19:58:00.37 ID:0.net
「東京のxx年1月4日の天気は晴れと気象庁は発表している」
これは事実でいいよね?
主観が入るところある?
42: 考える名無しさん 2020/01/04(土) 23:53:39
>>41
>「東京のxx年1月4日の天気は晴れと気象庁は発表している」
これは”主観的”な事実だよ
また別の主観では「これは1月3日の天気についての発表ではない」とか、「曇りとは発表していない」とか「これは株価についての発表ではない」とか、いろいろな主観的な事実がある(こんな捻くれた解釈をする人はめったにいないけど)
個人の見方であれ、集団で共有された見方であれ、何らかの観点(主観)により「気象庁は発表している」という”事柄になるような”切り取られ方をしている点でこれは主観的事実ということになる

気象庁の人達が「東京のxx年1月4日の天気は晴れと気象庁は発表している」というのは事実だと認めていても、気象庁の行った”その行為”を気象庁がその人達の見方(主観)で「…発表している」と”認識している”というだけであって、主観を上回るものではない
43: 考える名無しさん 2020/01/05(日) 11:26:31.29 ID:0.net
「東京のxx年1月4日の天気は晴れと気象庁は発表している」という客観的データは、人が観測した主観であると言うことはできるし事実ではあるけど、それこそ、主観に依拠しすぎた表現でしかない
44: 考える名無しさん 2020/01/05(日) 14:25:03.55 ID:0.net
すべてを疑ってかかってたら生活できないから、ある程度のとこで線引はひつようだな
懐疑主義者も飯を食う度にいちいち毒が入ってないか分析などしないだろ
過ぎたるは及ばざるが如し
46: 考える名無しさん 2020/01/05(日) 15:23:37.24 ID:0.net
>懐疑主義者も飯を食う度にいちいち毒が入ってないか分析などしないだろ
贈り物が食べ物であれば、必ず誰かにおすそ分けするか、誰かにあげて、毒が入っていないか、その都度確認するよ。
誰かが食べ物をくれたら、その人と分け合って食べるし、人が集まって食べるときも同じ皿から盛り分けて食べるようにするのも、そういう意味も含んだ、昔からの人々の知恵だ。
49: 考える名無しさん 2020/01/05(日) 16:28:08
主観に依拠しない事実というより、客観を証拠としない事実はないというスレタイにしていない時点で、このスレミスリードでしかないな
52: 考える名無しさん 2020/01/05(日) 23:01:56
デカルトだって飯食う度に疑っちゃいなかったろ。哲学は生活とは切り離すべきだ。

して、事実とはそもそもとして客観であり、我々が事実として主観的に認識しているものはただの真実である。では事実は存在するか?
これは、ヒトの能力で終わらせることは不可能な問いである。何故なら、答えを出した時点で主観だからだ。故にこそ、我々は客観に近づくべく努力すべきなのだが、ともかく事実が存在するか否かの答えは不可知である。

そして不可知であるという認識も主観的であり、突き詰めれば万物万象は不可知である。さらにそれも不可知で、さらに……と続けても無駄だ。という文章も無駄で……このへんでやめておこう。

我々の現実は全て主観的な虚像であり、我々はそれをおのが主観の中で練り上げながら同時にその中に住んでいる。
主観と客観は完全な別物であり、我々に出来ることは、真実を見て、真理(間主観的になった真実。この言葉は真実と事実のあわいにあるものとして作られたが、その実真理を経ても真実は事実にならない。)を作り出し、それで自分を納得させることだけだ。

我々は永久に、渇きの中で、答え合わせの出来ぬまま彷徨うことを義務付けられているのだ。
それがあっていようと間違っていようと、答え合わせは絶対にできない。だから話しても無駄、という短絡的なニヒリズム的結論ではなく、故にこそ自身の矮小さを受け入れて生きることで幸福を得ようとすることこそ、あなたを救うだろう。
そうして初めて、常にかならず間違い続けるこの哲学という営為も主観的に意義深いものとなるだろう。
管理人より:詩的な表現でけっこう好き
50: 考える名無しさん 2020/01/05(日) 17:51:34
1が求めるものが何か次第だろ
厳密な意味では人間は客観には到達できない
客観的と言われることも、主観の集合でしかない


でも日常生活では気象庁の発表した天気は客観的事実とされる
「彼女がかわいい」なんてのとは区別されてる

1がただ厳密に客観というものが存在するか、しないかだけ知りたいのか?
あるいは何か別のことなのか、それ次第で考えるべきことがかわる
53: 考える名無しさん 2020/01/05(日) 23:20:52
>>50
逆に人間が定義した意味以外に客観など存在しないわけで、到達できない客観という想定が非論理的な主観に依拠しすぎた思い込みだろ
1が何を知りたいかなんて主観的な問題すら自覚していないならどうしょうもなくね?
54: 考える名無しさん 2020/01/06(月) 23:16:26
>>53
>到達できない客観という想定が非論理的な主観に依拠しすぎた思い込みだろ

という事も主観による思い込み

という事も主観による思い込み

という事も主観による思い込み




と無限に自己言及する構造を持っているから、原理的に解決不可能な哲学的難題(アポリア)となる
このことを自覚しておくのは無意味ではないので、ひとまず頭の片隅に置いといて、その後どう展開するか?
55: 考える名無しさん 2020/01/06(月) 23:19:24
>>54続き
例1
この手の問題は大体が「問いを立てる際に無自覚なまま前提としている条件」に間違いがあったりするから
なぜ1(や私達)は「純然たる客観的事実=<ほんとう>は有るのか?無いのか?」なんて問いが成立すると考えたのだろう?
つまり問題が間違っているので、この問い立てにおける所与の条件に対して焦点を合わせて掘り下げていく方向に進める

例2
全ての事実が主観的なものでしかないとしても、その主観的事実を共有しているからこそ私達はコミュニケーション可能だし、社会生活も成立している
では、”どのような”主観的事実を共有することが社会をより良いものにしていくのか?あるいは「理想的な間主観性」を求めることは危険なのか?
現在の私達が共有している主観的事実はどのように作られてきた(作られている)のか?このままで正しいのだろうか?という方向に進める

例3
たとえ「<ほんとう>は有るのか?無いのか?」という問いの立て方が間違っていたとしても、この疑問は今も昔も多くの人々によって抱かれてきた以上、人間の本質に根差した核となる部分があると見做してもいいはずだ
だから別のアプローチを考えてみよう、では、どのような方法が可能だろうか?という方向で進める

例4
その他(1~3以外の別な何か)

まだ1がいるならどうしたいか聞きたいけど、いなければ適当に成り行きのままにwww
56: 考える名無しさん 2020/01/06(月) 23:58:57
>>54
思い込みじゃないならそれを論理的に説明するという展開になり、思いこみであるならそれでお仕舞いってだけの話なんだが
58: 考える名無しさん 2020/01/10(金) 12:42:40
>>54
主観でしか見れない貴方には非主観的思考(非論理)が100%できないわけで、その貴方の論理思考では誰のそれも例外なく主観だと貴方の論理が説明できる
つまり貴方が否定するかぎり、世界は貴方を中心として回るのは変わらないし、貴方の思考では、主観以外の思考は不可能で井戸の中の蛙が主観以外の思考をしたことがないのに、そのぐらいできるぞとか言い出すのと同じ。

非論理をもって意味や結論を成して証明してみろ、それができないなら黙っていろ。
59: 考える名無しさん 2020/01/10(金) 13:03:37
主観主義的思考は客観や真理を否定するものかもしれないけど、現象学的思考はそれらをどのようにして構成するかを示すものだろうね。ちょっと違うかもね
61: 考える名無しさん 2020/01/10(金) 13:10:27.33 ID:0.net
主体ともって思考する奴は、観測しえない対象を思考できない、無能である。
これが本質だ、一般的には創造力という才能だ、貴方のは常に他者の劣化コピーでしかない。
63: 考える名無しさん 2020/01/11(土) 06:15:40.80 ID:0.net
>>61
>観測しえない対象
(「それ」という指示詞の使用は不適切だけど)”それ”は「対象」でもないし「存在」でもない、故に「観測しえない」という事態になる
観測に関する技術的問題でもなく、観測に関する能力の欠如でもなく、観測行為から不可分の根本的な原理上の問題により「観測しえない」

>一般的には創造力という才能だ
ここは良い線いってると思うよ、才能かどうかはさておくにしても、このテーマは論理的思考力はもちろんのこと、それ以上に想像力が問題になってくるからね

さて、では想像して欲しい「存在する」ことも否定され、「存在しない」ことも否定された<根本的な存在否定>=<非存在>を!
「無」でもなければ「不在」でもなく、もちろん「存在」でもない事を想像できれば「主観に依拠しない事実はあるのだろうか?」という問い
つまり「純粋な意味での客観現実はあるのか?ないのか?」と問う事自体が不可能であると理解できるはずだよ
76: 考える名無しさん 2020/01/13(月) 06:58:30.46 ID:0.net
主観は、身体という主観から独立した事実に依拠しているんでは。
79: 考える名無しさん 2020/01/16(木) 07:30:40.91 ID:0.net
人間は客観になれないのはそうだけど、客観的な想像は出来る。普通はそれで充分だろう

通常は客観的とされていることに、「それは主観でしかない」と言ったところで、それは役に立たない
むしろ通常言うところの主観と混ぜてしまうことで、その区別をなくすので有害だと言える
88: 考える名無しさん 2020/01/20(月) 22:06:59
答え合わせは絶対にできない。人間を超えたスケールの問題を人間が終わらせることは不可能である。
故にこそまず、「結論を出す」という姿勢そのものが間違っている。
偶然客観的事実と主観的真実が重なる可能性も否定できないし、重なっていない可能性もあるからだ。

思考は常に主観の上に成り立っているから、人間スケールの哲学においてはその絶望を括弧に入れて主観主義的に思考するのが妥当である。
そして客観的事実の存在等の純粋な哲学問題に関しては、我々は判断するなどという傲慢なことはせず、各々の答案を作り自分なりに高めることに終始すべきだ。
そこでは、他者の意見に触れ影響し合うことも大事だ。
しかし同時に間違っているなどという断定は絶対的に不可能である(この不可能性の自覚すらも分からない。が、無限に後退出来るためここで止める。)。
宇宙が四角い丸である、ということすら可能性の否定は出来ないのだから、自らの、ひいては人間の無能さを自覚してから考えるんだな。
89: 考える名無しさん 2020/01/21(火) 16:27:08.96 ID:0.net
>>88
君は掴めないものを掴もうとしている、
つまり掴めないと定義したものを、その真逆の矛盾が合同であるという方程式の証明ができうるという願望である。
部分的に、類似的に、側面部分だけ、そういう掴みはできるだろうが、それは全体を掴み得ることとは違うことである。

>「結論を出す」という姿勢そのものが間違っている。
これがそもそも、間違っている。
結論を出せない、不可能だと判明していものは、その前提を捻じ曲げて不可能を可能にすることが結論を出す本当の姿勢である。
これを実現するには、全ての否定、すなわち既知を例外なく革命すること、論理の否定の才が必要である、貴方は非論理を扱う方法すらしらないからだ。
98: 考える名無しさん 2020/01/26(日) 12:17:38.74 ID:0.net
>>89
典型的な「袋小路の哲学者」だな君は。
いいか、君の言う結論は「真理」、つまりは間主観的な結論だ。
これを出すことは人類にとって有益だし、哲学としても「納得のいく結論」は重要だろう。その探求は続けるべきだ。

だが、それは人間スケールに囚われた者の論理でもある。
不可知論的諦観、ニヒリズム的絶望を自覚し、率直に世界の冷たさを理解した上で、逆に積極性を得る。
このような逆説に至れないうちは、君は糞詰まりのつまらぬ哲学者のままだろうね。
君のその意見も、事実かもしれないし、そうでないかもしれない。
我々はひたすら答案を作ることしか出来ないのだよ。諦めたまえ。
90: 考える名無しさん 2020/01/25(土) 16:50:21
結論を出すと言うのは、「真」を見つけるということではなく、お互いの関係を合理的な関係に作り替えることであり、お互いが納得出来る可能性を作り上げることだろうね
95: 考える名無しさん 2020/01/26(日) 00:45:04
>>90
馴れ合いは思考することではない
96: 考える名無しさん 2020/01/26(日) 01:32:17
>>95
「自説の絶対視を止めて、柔軟に物事を考えて互いが納得可能な余地を探ろうとしなければ、各人は同じ結論を得られない」

これだけの簡単な話なんだけど、理解できませんか?
返信内容も日本語が不自由な人の書いたものにしか見えません、ちゃんと相手の言っている内容を理解してから返信してみてはどうでしょう。
自分本位を続けたいのなら、別にこのレスに返信しなくてもいいですよ。どうせ攻撃欲が抑えられないのでしょうし。

現在のデカルトたちが客観について思い悩むスレ。管理人途中からわけがわからなくなっちゃいました。
哲学板まとめは楽でいいのですが、巻末欄になにを書くのかでいっつも悩む。

「主観」とはGoogle先生によると
物事を認識する働き(を担うもの)。外界に対する自我(が持つ意識内容)。俗に、自分一個の意見。

「客観」とは同様に
主観の認識、または主体の行動の対象となるもの。また、主観または主体の作用とは別に、独立して存するもの。
んだそうです。
して、»1さんの問いとは、主観に依らない客観的事実ははたして存在するのか?という壮大な問いなのです。

管理人はひとまず「万人が誤解なく認識できる事実は客観的なのではないか」ということを思ったんですよ。
あるひとには幽霊が見える、あるひとには見えない、という状態で「幽霊がいる」とは断言できず、わからない。

しかしよく考えたらこれじゃダメなのかな?
例えば、地球からみた太陽は東から昇って西に沈んでいく、これは誰しも誤解なく認める事実です。
しかし、実際は太陽は動いておらず、大地(地球)のほうが回ってるわけだから、事実とは違うのかもしれない。地球が太陽の周囲を回ってるかどうかも、ひょっとしたらもっと大きなスケールで見れば事実と異なるのかもしれない。

物理法則というのは、観測から推論し、また観測によってそれを補強し…といった具合に行われるわけだから、観測結果が厳密に客観的なのか、という問題が常につきまとう、ということに。
こちらをご覧のドクター方が見てるこのサイトも、「見る」という行為がはたして万人が同じ結果を受け取っているかを客観的に示すことはできず、またサイトが「存在する」ということも客観的に示せない。
この文章を書いてる管理人だって、ひょっとしたら客観的に「存在しない」のかもしれない。

ね、困ったことになりました。こういうのはほどほどでやるのが吉でしょうか。

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.23 21:32
    覗き見と、幽体離脱があるではないか。

    赤い棘のある魚(アカカサゴ)の毒抜きをしないで食うと1メートル上空に自分が居て自分の後頭部から眺める日が1週間ぐらい続いた。
      • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2020.3.23 21:40
      >※1
      訂正
      赤い棘のある魚(アカカサゴ)の毒抜きをしないで食うと「1メートル上空に自分が居て、自分の後頭部から前方を眺めるようにして前がみえる日が1週間から1か月ぐらい続いた。」
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.23 21:34
    「俺の彼女は可愛い」←可愛いかどうかは民族・時代の美醜観による←主観
    「俺の彼女は可愛くて最高だ」←そいつの感性のツボに填まる造形←感性のツボと顔の美醜の合致←主観によらない事実
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.23 21:52
    〇 客観とは、誰もがそうなること。
    例えば砂糖は甘い、唐辛子は辛いと感覚神経で感じて誰もが決まりきった法則に従い違う答えは存在しない、存在するのであれば感覚神経を持っていないことである。
    〇 主観とは、砂糖の甘さの数値という0.0000001とかPh7の中性を自身の口内の汚れを加味した値である場合である。

    『赤い棘のある魚(アカカサゴ)の毒』というのは感覚神経の範囲で誰もがそうなる話。
    『覗き見』というのは誰もが見えた範囲でなら誰もがそうなる話。
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.23 21:55
    哲学には詳しくないから、このスレで議論している人たちは共通の「事実」「真実」「真理」「主観」「客観」やらの定義を持っているのだろうか、持っているのだとしたら教えてはくれまいかとモヤモヤしながら読んでいた。
    そこんところはちゃんと定義されていたりするんでしょうか?それともその定義は必ずしも必要ではないのかな
      • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2020.3.25 14:13
      >※5
      スレで議論してる人々がどうかはともかく、西洋哲学史ではそういった用語の定義のされ方はおおかたアリストテレスからきてますよ。
      • ※12 : ドクター・ノオ・ネーム
      • 2020.3.28 13:10
      >※5
      いくら哲学といっても日常的に使われている言葉についてはそんなに独特な使い方をしているわけじゃない。

      「事実」という概念は大抵「命題」や「判断」、「真理」や「虚偽」といった概念とセットで使うもので、
      「命題」という語についてはちょっと説明がいるかな?
      「命題」っていうのは、それについて正しいか正しくないかを言える文のことで、
      「西暦2020年3月時点の日本の総理大臣は安倍晋三である」とか
      「いまあなたは手にスマホを持っている」とか、そういう類の文のこと。
      「来年までには彼女欲しいなあ」とか「お前らいいから仕事しろ」といった文は命題じゃない。

      それで、ある「命題」を正しいかどうかを知るためにはどうするかというと、
      「事実」を参照するわけだ。
      例えばテーブルを前にして「ここにはコップが3つある」と言うとする。
      実際にテーブルを見てみてコップが3つあれば
      その命題は事実と合致している。
      その際にその命題は「真理」を語っている、と言われる。
      テーブルの上のコップが2つだったりして事実と合致していなければ「虚偽」だ。
      ちなみにテーブルの上にコップが3つあること(事実)を見て
      「コップが3つある」と言うこと(実際に口に出さずにそう思うだけでも良いが)を「判断」する、と言う。
      つまり「命題」はある事象を「事実」だと「判断」した文、
      「事実」は「命題」が「真理」を語っているかどうかの基準、
      「判断」は「事実」から「命題」を構成すること、
      という関係になっていて、「事実」という概念だけを取り出してもあまり意味はない。
      ちなみに「真理」という言葉は曲者で、哲学に明るくない人なんかは
      「なにかすごい秘密」みたいに思ったりすることがあるが、
      基本は上記のように「命題が事実を正しく語っていること」という程度の意味で、
      「世界の真理」という言葉も「世界について正しく語られたこと」といった意味になる。
      もちろん人間が世界について全く理解していないとすれば「なにかすごい秘密」と思うことも間違いではない。

      「真実」という語は哲学ではあんまり使わないかな?
      少なくとも術語としては見たことない気がする。

      「主観」と「客観」もセットで使う概念で、様々な広がりを持つ言葉ではあるが、
      最も根本的な意味は「認識する側」/「認識される側」
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.23 23:53
    「答えを求めなくていいもの」に対して「答えを求めること」自体が「答え」。

    意味のないものにも意味付けをするのが人間なので。
    「事実」という事象や過程を証明したところで、それを認識できるのは「同じ人間」。

    ついでに言語も同じく。
    日本語で(これを)書いたところで、これが今この瞬間に事実になったとする。
    しかし、この場所を知っていて、日本語を認識できるものにしかこの書き込みは認識できない。

    物凄い小難しく長ったらしく書いたところで、世のため人のために役に立たなきゃこんなもん。
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.24 11:03
    「コギト・エルゴ・スム」で、絶対っていう領域は神だけのものでしょう
    神という言い方が胡散臭ければ、自然とかに言い換えてもいいけど
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.24 15:10
    2 種類以上の定義が混じっているな。

    1) 一般的に常識と言われるもの=客観的な事実(事実とは限らない)
    2) 科学実験で可能な限り主観が入らないようにして得られた事実=客観的な事実(仮)
    3) 純粋に客観的な事実なんてないよ派
    4) その他

    常識なんて時代で変わるし、人によっても違う。
    科学的な常識も、新しい知見によって覆されることがある。
    客観的な事実なんて、その程度なもんだ。
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.25 16:57
    暇な奴らが多いな。することないんか
    • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2020.3.28 0:27
    哲学って誰でも出来ると勘違いしてるからこんなスレになる
    間主観で終わる議論をいつまでも・・・
    • ※13 : 学術
    • 2020.5.30 12:32
    主観のサインには絶対反応するから独立してない
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