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神社の起源ってなんなの? @ [民俗・神話学板]


神社の起源ってなんなの? @ [民俗・神話学板]
1: 天之御名無主 2010/10/21 15:11:36
神社はどこから来たのでしょう?
神社 (Wikipedia) 八坂神社 神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、日本の宗教の神道の祭祀施設[1]、及びその施設を中心とした祭祀儀礼・信仰を行う組織[2]。鳥居の内の区域一帯を、「神霊が鎮まる神域」とみなす。
(中略)
神社の起源は、磐座(いわくら)や神の住む禁足地(俗に神体山)などでの祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇であり、本来は常設ではなかった。例としては沖縄の御嶽(ウタキ)のようなものだったと考えられる。
創建が古い神社には現在も本殿がないものがあり、磐座や禁足地の山や島などの手前に拝殿があるのみの神社[15]、社殿が全く無い神社[16]がある。「神社には常に神がいる」とされたのは、社殿が建てられるようになってからだと言われる。
古代中国にも土地神などを祀る「社」が存在したが、屋根が付いた社を建てるのは「喪国の社」(『礼記』郊特性)とされ、日本の社とは異なる。そのため、多くの神社に社殿が造営された背景について諸説が述べられた。
4: 天之御名無主 2010/10/21 18:13:51
須我神社 神社として建てられたのではなく、別の目的だった建物が後に祀られるようになったのが最初の神社だと思う。
須我神社はスサノオとクシナダヒメのマイホームだったというし。
5: 天之御名無主 2010/10/21 20:24:45
祭事毎に建てられてた祠が仏教寺院に対抗するように巨大化、常設化されたんでしょ。
7: 天之御名無主 2010/10/22 00:17:38
>>5のおっしゃる通りで。
伊勢が仏教建築の影響を受けてるって話も別に奇説ではないしね。
9: 天之御名無主 2010/10/22 18:34:02
>>5
だから昔の出雲大社がでかいわけだ。
6: 天之御名無主 2010/10/21 20:43:37
金沙遺跡で日本の神社建築のルーツを発見=祭祀用の高床式建物―四川省成都市
2010年5月18日、四川省成都市郊外で01年に発見された約3000年前の「金沙遺跡」で、日本の神社建築のルーツと見られる高床式の祭祀建物の跡が見つかっていたことが分かった。
中国新聞網が伝えた。
10: 天之御名無主 2010/10/22 19:17:37
>>6
高床式ってたしかに日本の神社と同じだ、南方起源なんだ。

でも古すぎて、日本の神社建築とは直接つながらないかな
>>4 >>5 さんの言うように日本の神社建築はそこまで古くない
14: 天之御名無主 2010/10/25 21:49:44
>>10
元々は神社の建っている場所もしくは後背の山なり岬だったりが御神体だったり信仰の対象だったんだから、社という建築物が無くとも神の坐す場所という概念的な意味での神社はもっと古くからあったのでは?
11: 天之御名無主 2010/10/23 00:35:15
「先史日本の住居とその周辺」(1998、同成社)所収の「ユーラシア大陸における木壁組積構造の拡散」(太田邦夫)
によると、校倉構造は中央アジア西部から伝播したようで、いろいろ
書いてあるようなんで一読を。
12: 天之御名無主 2010/10/25 01:25:13
>>1 神社はどこから来たのでしょう?

a.神社建築の様式がどこから来たのかということなら、神社建築史の文献をあたるべき。
b.神社という宗教施設を作ろうという発想がどこから来たのかと言うことなら、大なり小なり宗教施設を持たない宗教はないんじゃないでしょうか。
15: 天之御名無主 2010/10/26 09:41:40
民俗学的定説は琉球の御嶽は日本の神社の原型だということ

琉球の御嶽は社も鳥居もご神体もない(現在ある鳥居は戦前の同化政策の一環として作られたもの)
偶像崇拝ではなく森や泉などの空間に神が降臨するもしくは宿ると考えた

ちなみに御嶽によっては御嶽の中心にイビ石といわれるご神体のようなものもあるが、これは本来は神が降臨する場所を示す指標と考えられている
また御嶽の構造(何かをする場所の位置関係)も本土の神社の構造と相似している

本土にも古い神社ではこういった形式の神社が残っているそうだ
御嶽 (沖縄) (Wikipedia) 斎場御嶽、三庫理(さんぐぅい) 御嶽(うたき)は、琉球の信仰における祭祀などを行う施設である。「腰当森(くさてむい)」、「拝み山」などともいう。
(中略)
御嶽の多くは森の空間や泉や川などで、島そのものであることもある。御嶽によっては空間の中心にイビ石という石碑があるが、これは本来は神が降臨する標識であり、厳密な意味でのご神体ではない(ご神体として扱われているところも多い)。宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。
16: 天之御名無主 2010/10/26 13:02:32
>>15
>御嶽
なんかの本に東南アジアにもあるとか書いてた。
18: 天之御名無主 2010/10/26 16:10:52
いや、御獄それ自体はもともとは空間を聖地と認識するもので、イビ石に対する偶像崇拝ではないと考えられている(実際はされているが)

>>16
それは初耳だ。興味深い
19: 天之御名無主 2010/10/26 19:01:58
>>18
たぶん「沖縄民俗文化論」(湧上元雄、榕樹書林、2000)だと思う。
沖縄では戦前にノロが弾圧を受けたとかいう内容もあって、その前後に御嶽と似たようなのが東南アジアにもあるとか書いてたと思う。
無かったらすいませんです。

今迄読んだ本のノートが山のように残ってまして、残務整理がまだでして。
17: 天之御名無主 2010/10/26 13:58:05
>>15
ご神体が岩って御獄そのものですよね

三輪山とかそうじゃなかった?
33: 天之御名無主 2010/11/03 01:33:10
>>15
御嶽(うたき)についてネットで少し調べてみたが、ノロ(祝女 女性司祭)が管理する男子禁制の聖域で、空間の中心にイビ石という石塚があり、神が降臨する標識とされている点、古代の集落跡で、祖先崇拝の要素が強い点など、塚を依代として扱うオボー信仰の要素を色濃く持っていることが分かる。

「拝み山」などと呼ばれることもあるなら、東アジアに広く分布しているオボー信仰の一形態と見ていいだろう。

したがって、沖縄の御嶽が神社のルーツなのではなく、オボー信仰が神道のルーツと見たほうが良い。
オボー (Wikipedia) オボー オボー(モンゴル語: овоо, heap)とはモンゴルで建てられる、一種のケルン(標柱)である。通常石または木で作られ、モンゴルの平原や平原にある小高い丘、あるいは山頂や峠のような高所に建てられることが多い。オボーはおもにチベット仏教の祭礼が行われる場所であるとともに、山岳信仰、テングリといった宗教的意味を示す役割を持つが、同時に境界標識や道標としての役割も持つ。
管理人より:正直、ただのゴミの山にしか見えん。笑
24: 天之御名無主 2010/11/01 19:32:50
神社が建てられる以前は、山、塚、古墳が信仰対象の中心。
これは、日本からモンゴルやチベットにかけて分布しているオボー(塚)信仰。


神々はもともと天上に住んでいて、天降りてさまざまなものに宿り、再び天上に帰っていくとされていたので、神社は本来神様の住まいではなく、人間が祭祀を行なうための場所として建てたもの。
その構造は高床式倉庫。
25: 天之御名無主 2010/11/01 22:09:41
大湯環状列石 >>24
東北にあるサークルストーンも、そのオボーっていうものなの?

恐山で石を積むの、思い出した。
あれはたしかにチベットに似ている。
27: 天之御名無主 2010/11/02 03:53:11
>>25
石を積むパターンもあれば、現代に残る地鎮祭のように、砂山を築くパターンもある。
高床式倉庫 (Wikipedia) 高床式倉庫(復元、吉野ヶ里遺跡) 高床式倉庫(たかゆかしきそうこ)は、高床建築の倉庫のことである。高床倉庫とも表記される。[1]
平地住居や竪穴式住居に壁立式で掘立柱を用いるものがあるが、高床建築は壁立式の側壁を用いない掘立柱建物の一種である[2]。住居としては東南アジアでとりわけ、雨期に出水する地域や山岳の傾斜に用いられている。それとは別にネズミなどの害を防ぎ、風通しをよくするために床が高く造られ、稲やとうもろこし、小麦などを蓄える倉として古くから世界各地で用いられた[3]。日本では、弥生時代に穀物を蓄えるための倉として用いられたと考えられている。神社建築様式の1つである神明造は、これから発展したとされる[4]。現在でも、アフリカ中央・南アジア・東南アジアに同様のものが見られる。
26: 天之御名無主 2010/11/02 00:53:49
高床式倉庫は、元々、米の貯蔵庫。
豊作に感謝して、高く積まれた米を拝むことが、稲作民たる日本人の宗教の原型。
30: 天之御名無主 2010/11/02 04:28:04
>>26
穀物を貯蔵する高床式倉庫にとって、最も問題になるのが、ネズミなどによって、飢饉に備えて蓄えている食料が食い荒らされてしまうこと。
そこで、ネズミを追い払う蛇(青大将)に対する信仰が生まれる。
じつは、ネズミは蛇の臭いを嗅いだだけで、怖がって逃げてしまい、蛇の臭いがする建物には寄り付きたがらない。
建物の周囲をぐるりと蛇の抜け殻で覆うだけでも嫌忌効果がある。

蛇の抜け殻を高床式倉庫の周囲に張る結界は、穀物蔵にしか効果がないものだが、高床式倉庫を神社へと改造したとき、蛇皮の代わりに藁で編んだ縄を廻らせて、建物の装飾としたのが、注連縄だと言い伝えられている神社もある。
28: 天之御名無主 2010/11/02 04:14:50
イタコの口寄せと、神社で巫女が神がかりして託宣をくだす神事は、実質的に同じ心理技法(自己催眠の暗示)だから、オボー信仰には、神(生前の業績を称えられて祭られている人物)の霊を、天上からヨリシロに降ろす要素が含まれている。

誤解を招くのを嫌って、非公開神事となっているが、祖先が眠るとされる古墳の前に立って、巫女が神楽を舞い、神話の伝承に基づいてイメージした古墳の埋葬者に神がかりして託宣する神事を継承しているところもある。
29: 天之御名無主 2010/11/02 04:20:01
神がかりの神事の舞は、一般的な巫女舞と異なり、舞い錐の舞と呼ばれている。
回っては回り返す舞い錐の回転動作を、巫女舞へと移し変えたものとされる。
舞い錐は、火起こしの道具で、その神秘の?回転パワーは、火の神を召喚できるが、同じ回転パワーの舞で、巫女のなかに日の神を召喚できるという発想が生まれたらしい。

日の神をまつる神社の多くが、回転パワーを表現する三つ巴の神紋を用いているのは、この巫女舞の動きを図案化したものだから。

3という数は、女性神官が政治に深く関わっていた、日本神道のルーツの一つとされる高句麗国の道教(神仙思想)でも、太陽を表す数とされていた。
太陽に棲むとされる鳥は3本足で、神武天皇の武力の象徴ヤタガラスとして日本に伝わっている。
古墳時代の日本では、朝昼夕刻の太陽を、朝\ 昼○ 夕/と3つに分けて表記して区別していた。
宇佐神宮 これは、太陽の3女神(日女神)として表現されることもあり、今も宇佐神宮に祭られている。
というわけで、三つ巴の紋は、太陽神を天上から神降ろしする神事のシンボル。

後世になって舞い錐による火起こしが、火打石などに置き換えられていき、回転パワーへの信仰が見失われたことで、三つ巴は流水紋とされ、屋根瓦に描く防火のシンボルとして一般に広く普及するようになってしまった。
しかし、舞い錐の舞から三つ巴の神文まで、綺麗に体系化された世界観が現存している。
銅鐸に左右交互に連続する渦巻き文様が描かれているが、これも火神か日神を召喚する神がかりの神事と無関係ではないとする見方もある。

非公開神事だが、ある程度のことは、姫神(日女神)の神事を現代まで伝承している人物のブログからも読み取れる。
38: 天之御名無主 2010/11/03 07:25:27
日本書紀(持統天皇)の時代に行なわれた宗教改革以前の古い時代の神道では、王族の祖先である男王神とそれを守護する妹姫神のワンペアが祭祀されていた痕跡は、伊勢神宮の内宮に建てられる神殿の敷地が、二つ存在することからもうかがえる。

八咫鏡 八咫鏡を作る前に、パイロット版として試作された鏡が日前国懸神宮に納められた記録があるが、この神社は伊勢神宮よりもそれだけ古い神道の姿を今に伝えているとも考えられる。
二殿併設の日前国懸神宮に祭られている神々は、朝廷の圧力によって時代とともに変えられた可能性があるが、社殿の形まで変えることは出来なかったようである。

問題は、斎宮制度の廃止によって、斎王が神がかりして得た神の力を、天皇が受け取って行使する、祭政一致の統治体制が、宮中祭祀として現存していない点にある。

ただし、天皇の即位にかかわる神事 大嘗祭の本祭の儀式では、悠紀殿と主基殿の二殿が一対のものとして建てられ、それぞれに神座が用意される。
したがって、一対の神々を祭っていることがうかがえる。

今日の伊勢神宮に天照大神が女神として祭られる形は、持統天皇を皇祖神と見立てる宗教改革の結果という説を唱える研究者もいる。
40: 天之御名無主 2010/11/03 15:10:39
>>38
大陸に何らかの起源があったのは当然でしょうね。
浦島伝説(海幸山幸)七夕(龍と瓜)桃太郎、いずれも中国に原型がありますし。
しかも七夕はかなり早い時期に伝わって日本の機織り巫女と完全に同化してますから。

しかし、そもそもが中国と言う国は人種のるつぼで東アジアの中心地です。
今の東京のようにあらゆる地方の人間が集まって出来た国であって、逆に言えば「中国の伝説=中国に初めから伝わっていた伝説」ではありません。
文化の輸出国であったと同時に輸入国でもあった国なので。

そう考えれば、石器~縄文期にはむしろ日本の方が先行していた経済活動(石器や土器の貿易)などのことを鑑み、また縄文人の影響が濃い可能性のある神道は必ずしも大陸輸入ではなく、逆であった可能性もあります。
特に高句麗語の下りは推測の域を出ませんね。
なにせ、最近の研究ではその存在すら疑われている言語ですから。
49: 天之御名無主 2010/11/21 23:39:54
>>40
中国に同じものがあるからといって直接の輸出入だけを考えるのは早計。
中国以外にも同じモチーフの説話は世界中にいくらでもある。特に浦島。

同モチーフ別系統の説話が後世になって習合するパターンだってありうる。
50: 天之御名無主 2010/11/22 14:44:08
柴又八幡神社 寅さんの地元、柴又神社って古墳の上に出来ているそうです。
古い神社ってだいたい、古墳とか霊場のようなところに出来ていると思っていいんですかね
51: 天之御名無主 2010/11/22 16:11:28
>>50
霊場(というかぶっちゃけ死体捨て場)に神社を作ることはかなり少ないだろうな。
ケガレの集まる場所なわけだから、そこを神社とする可能性はむしろ低い。

作るとすればむしろ寺。

神社があっても、まず寺があって、その鎮守として神社も作る中世以降のパターンとか、最初は寺のつもりだったけど廃仏毀釈の折に神社ということにしてしまいました、という八坂神社型とかじゃないかと。
古墳の上に作ってるのはけっこうある(俺の実家の近所にあるのもそう)とは思うが、古墳だと思って作ってるわけではないんじゃないかと思う。

あと、柴又八幡社はそんな古くないぞ。たかだか近世までしかさかのぼらんでしょ。
52: 天之御名無主 2010/11/22 22:58:19
>>51
>霊場(というかぶっちゃけ死体捨て場)
うーん、そういうものだったのか
53: 51 2010/11/25 16:09:58
>>52
ちょっと訂正。死体捨て場は言いすぎだったかもしれん。
霊場の中には修験などの信仰から観念的にでてきた、死体捨て場としての実績のないものも少なからずあるし。
ちょっと高野山あたりに意識をもってかれすぎてたかも。

ただ、いずれにしても、葬送の地すなわち死者の行き先として観念されているということにはちがいなく、理論的には黄泉なんかと一緒で穢れた場所のはず。
そこに神社を作ることは古代においては考えにくい。

中世になると信仰の形態がかなり錯綜するので、その中で従来は作らなかったようなところに神社(ないし神社もどき)ができることはあったかもしれない。
59: 天之御名無主 2010/12/01 02:18:12
>>51は、祖霊信仰という観点が完全に欠落している。
古い神社であればあるほど、聖地と葬地は重なってくるぞ。

ミモロとかミムロとかモリヤマとかモヤヤマとか調べてみるといい。
そもそも古墳というのは「祭祀の場」であって、それが、いわゆる「神社」の成立したと考えられる時代と重なっている以上、古墳と神社の関係が後付けだと考えるほうがむしろ不自然だろう。
神仏習合は確かに重要だが、その見解は、「葬式仏教」と呼ばれるようになった江戸中期以降の印象に影響されすぎているように見えるな。
60: 天之御名無主 2010/12/01 13:36:12
>>59
古墳の祭祀から直接以降した神社が皆無という現実の前にはしょせん机上の空論。
71: 天之御名無主 2010/12/06 16:15:19
>>60
>古墳の祭祀から直接以降した神社が皆無という現実の前にはしょせん机上の空論。
これ無茶苦茶だな。少なくとも民俗学の知識のある奴の言う事じゃない
72: 天之御名無主 2010/12/07 12:50:31
そうか?
とりあえず、「神社 古墳」でググってみたけど直接移行したと言えるものってなかったぞ。
古墳の近くに神社がある場合でもそれは中世に入ってから建立されている場合が多い感をもった。
少なくとも教科書に載るような代表的な古墳が神社になっていない&なっていたこともない以上
>>59は説として弱いと思う。

式内社云々はわからんけど。
77: 天之御名無主 2010/12/09 05:47:18
古墳は比較的新しいものだから、神社化(?)しているものは少ないだろうね、確かに。
でも、縄文時代や飛鳥時代の賢者だとか英雄だとかの墓が神社(といっても小さな祠程度のもの)になっている場合は多い。
「おそらくそうであろう」であって、確証があるわけではないけどね。
逆に、古墳時代よりも新しい墓が神社化している場合も結構ある。というかかなり身近すぎて神社として認識できないかもな。
管理されている様子が全くないように見える、何が祀られているのかもわからないような神社、祠はそんな風に生まれたの、かも。

かも、じゃ不満な人もいるのかもしれないが、俺はこれで十分。なんかロマンがあって好きだ。
78: 天之御名無主 2010/12/09 15:01:03
古墳が古墳であると忘れられた時期に、そこに新たに神性を見出して神社を創建した例も多いだろうな。
80: 天之御名無主 2010/12/12 22:20:49
伊弉諾神宮 古墳(御陵)が神社は有ります。
幽宮=カクリノミヤ。でググってね。
因みに幽宮は伊弉諾神宮の事。(多賀大社は延喜式では小社。淡路島の伊弉諾神社(昭和29年に神宮宣下。)は名神大社。また、単に「御神社」と表記される場合もありますた)
伊勢内宮とヤマトの都を挟んで東西同緯度、ほぼ等距離!
イワユル「太陽の道」の本道でつ。

多分、伊勢神宮の造営に併せて遷座、造営したのかも?と妄想。

神奈備は伊勢の森(常隆寺山)。奥の院ともされるやや南側の岩上神社(「布都御魂大神」)には巨大な岩石の磐座の御神体。(伊勢の森山の鬼門裏)

元々(明治以前)、墳丘(御陵)の御前に本殿が有ったものを明治政府が明治初期に一度立て直し、後年、何をトチ狂ったか墳丘を整備して人工基段を造り恐れ多くも伊弉諾大神の石室(恐れ多くも内部調査済み。地元口伝では・・・)を覆い隠すように真上に本殿を造立したのが現在(明治の二度目の改修)の形。
伊弉諾神宮の神池や後背地の湿地帯は御陵の環壕(取り囲んだ堀)の遺構と云われています。

カケマクモ綾に畏き皇御祖大神。伊弉諾大神。伊弉冉大神は今なお淡路国津名郡多賀の原の底津磐根に宮柱太敷き立て高天原に千木高知りて幽宮/日少宮に鎮座坐す。

先日参拝した但馬一宮(二宮説も)「粟鹿神社」も当にこんもりとした墳丘の手前に本殿と社殿が建ち並ぶ形。
神奈備山は南側に聳え立つ粟鹿山(三輪山に似た山容)。
こちら様の創建は出石神社(天日矛命/但馬一宮)よりもさらに古いとの由。

三輪山は一説に人工でないにしても皇祖大御神(天照大神や神武天皇では無い。ホントの皇祖♂。天照御魂大御神。ほか御神号は数多)の墳墓/磐座で神奈備山との由。
山麓の本殿を持たない大神神社はその拝礼場所。社殿が西向きなのも曰わく有りげ。(通常、南ないしは東向き)
81: 天之御名無主 2010/12/29 15:30:49
まずは、伊勢神宮の建築の謎を解いてみた方がいいんじゃないか。
唯一神明造は一体誰の設計で、何を手本としたのか。
82: 天之御名無主 2010/12/29 21:35:40
大麻使用してラリパッパになって祈祷してたから神聖な雰囲気が必要だったんだよね
83: 天之御名無主 2010/12/29 22:56:52
>>82
>ラリパッパになって
シャーマンだとそういうことがありそうなんだな
恐山は硫黄ガスだし
ギリシャ巫女のお祈りの場所もガスの出る洞窟だったそうだ
84: 天之御名無主 2010/12/29 23:15:44
丹生神社が水銀の鉱脈にあるんでしたっけ?
空海は水銀中毒だった説もありますね
雅楽なんてのは明らかにトランス状態に導く音楽だし神社や仏閣の建築構造はなんらかに共鳴するように作られてる気がする
85: 天之御名無主 2011/01/07 02:49:29
神社の起源っていうか・・・ 鳥居の起源はエジプト。
86: 天之御名無主 2011/01/07 08:19:55
>>85
詳しく聞こうか
87: 天之御名無主 2011/01/07 09:31:12
エジプトって言うよか、ユダヤ。
88: 天之御名無主 2011/01/07 10:16:56
>>87
もあもあ!

なんか正月だったせいか神社扱ってる雑誌多いねえ
89: 天之御名無主 2011/01/07 14:16:25
>>85
東南アジアでしょ
今でも村の入口にかかっていて、現役。
90: 天之御名無主 2011/01/08 04:15:19
>>86
鳥居の起源はアケトアテン

>>87
ユダヤ人はアテン教信者
後に迫害され、エジプトを脱出

>>88
パワースポットがはやってるからじゃね?

>>89
朱塗りの鳥居は?
鳥居らしきものじゃね?
91: 天之御名無主 2011/01/09 22:25:52
「起源」と「ルーツ」の違いを理解していない阿呆がいるようだな
92: 天之御名無主 2011/01/10 04:44:44
ルーツ【roots】
1.物事の根元・起原。

2.祖先。始祖。「―をたどる」
93: 天之御名無主 2011/01/10 18:34:48
>>92
日常会話の翻訳ならそれでいいだろうけど、場面によっては重大な誤訳にあたる。
英語において「roots」は「発祥」とは微妙にニュアンスが違う。
94: 天之御名無主 2011/01/11 00:06:16
どう違うの?
95: 天之御名無主 2011/01/11 07:06:27
定義の話をするなら単語は正確に頼むよ
roots、起源、起原、発祥が出てきてるぞ
どれが一緒でどれがどう違うのか説明してくれ
96: 天之御名無主 2011/01/11 14:58:53
それだけは言えない
97: 天之御名無主 2011/01/12 10:08:03
言え!さっさと吐くんだ!
98: 天之御名無主 2011/01/12 23:40:44
ゲロゲロゲ~

ハイ、ロマンあふれるスレでしたね。
管理人はこういう古代のミステリーというか、想像力の介在する余地が多めの分野が好きなもんですから、楽しいんですが、こういう地味~なスレはあんまり人気ないですね。
やっぱりこうスレでも出てたけど、原初の日本人というのは、東南アジア方面から黒潮に乗ってやってきたそうですから、そういうところの風習を汲んで、独自に変化してったんじゃないですかねー。
後から当時地続きだったベーリング海峡を通って、また別の連中が来て、渡来人等々などもハイブリッドしつつ、大和民族的なもんができるんでしょうが、その過程で、いろいろ混ざっていったんでしょうか。
それでいながらさほどカオスにもならず、なんとなく統一感があるのはおもしろいですよね。

トップ絵は伊勢神宮のどっかのなにかです(?)
伊勢神宮って管理人は1回だけ行ったことありますが、なにしろ広くて、山がまるごと神社みたいな、すごいとこですので、ぜひ1回くらいは行ってみてください。
木を切ったり動物を殺したりとかは厳禁!!!!らしいので、自然もたくさん残ってて、なかなか気持ちいいですよー。

だけど、中に無数の神社があるんですが、たいてい中に入れないんですよね。外から参拝しかできない。神社の外側というか、入り口の近くにもご丁寧に粗末な賽銭箱があって、「お前ら素人共はそれで充分だろ?(ップ!」くらいの勢いなんですね。感じわるーい。

「管理人も中に入って参拝したいよー、どうやったら中に入れんの?」って地元の人間に聞いたら、伊勢関係の行事(ゴミ拾いとか)に積極的に参加するとか、けっこうまとまったお金寄付するとかせんとダメなようです。それも地元民の紹介がいるとか。
なんだそりゃ…商魂たくましすぎるだろ…。

おそらくアレはきっと、本殿の方では、肌もあらわなセクシー巫女さんがストリップ・ショーでもやってんじゃないか、と睨んでいますけどね…。


元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1287641496/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.3.31 23:49
    アテネの盾(イージス)って
    ヤタノカガミっぽくね?

    ところで伊勢神宮の内宮は国家のお祈りする所だから
    庶民がはいってお祈りする所じゃない
    自分のために祈るのなら外宮か地元の神社でするんが正しいそうですよ
    • いえいえ、内宮の中にある無数の神社の話しですよ?
      内宮は誰でも入れるんですが、その中の神社の敷地内には入れないんですよ。
      けっこう中は広いんで、入りたいなぁと思ってですねw
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