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【虐殺】悲しい悲しい歴史のお話【輪姦】 @ [日本史板]


【虐殺】悲しい悲しい歴史のお話【輪姦】 @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/20(日) 12:52:32
淀殿 淀殿は生涯で三度居城が落城し、その度に父親、母親、息子を失い、最後は自分も死ぬ羽目に。
カワイソス
11: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/21(月) 16:12:04
>>1
淀殿の兄は最初の小谷城落城の際、幼児なのに肛門から口まで大火箸で田楽刺しにされとるぞ
そちらの方がカワイソスと思うが
13: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 00:06:45
>>11
そちらの方がというより、より淀殿がテラカワイソスになってきた(><)
18: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 16:10:35
>>11
>幼児なのに肛門から口まで大火箸で田楽刺し
豊臣秀吉 これを命じたのが若き日の秀吉だというのも・・・
淀殿カワイソス
19: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 17:17:41
織田信長 >>18
命じたのは信長だろ
市の子供ではないらしいが
21: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 18:27:02
>>19
万福丸の処刑に関しては秀吉の独断という説もあるぞ。
信長が命じたという資料はない。
22: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 18:44:21
>>21
敵の嫡男を処刑するのに信長に無断でやっていいのか?
それこそ独断でやったら怒られるだろうに
23: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 19:00:12
豊臣秀吉 というか…
万福丸の処刑や処刑方法については秀吉の意向がかなり強いと言われているんじゃなかったけ?
24: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 19:26:42
織田信長 信長は自分の叔母を逆さ吊りにして殺したくらいだから処刑方法の指示も出しただろう。
切腹を賜るか、はりつけになるか、串刺しになるか、処刑は勝者による見せしめである以上、どのような刑を課すかは周囲の同盟者への影響も考えて大変重要なファクター。
秀吉の一存なわけがない。

信長亡き後の秀吉は敵将とはいえはりつけや串刺しといった 残酷な殺し方はしていないしな。
26: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 21:31:16
豊臣秀吉 秀吉は織田信孝の母親も磔にしているよw
これは秀吉の一存だろう。
信長の意向なのか???

テラカワイソス >>24
20: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 17:50:00
淀殿 淀殿=戦国の世に咲いた大輪の牡丹
27: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/23(水) 00:42:42
淀殿は戦国を代表する悲劇のヒロインってこと?
28: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/23(水) 01:27:39
戦国を代表する悲劇のヒロインは三国同盟で駿甲相それぞれの国に嫁がされた姫たちじゃろ。
まさしく政略結婚の悲劇性を見事に現しているからのう。

淀も確かに半生は悲劇かもしれんがやりたいことをやり尽くして死んでいった感も否めないんでな、悲劇というのもまた違うような?
16: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 14:21:20
豊臣秀次 豊臣秀次の切腹命令に連座して三条川原で処刑された妻子妾たち
カワイソス
最も連座制でしょっ引かれる家族は皆カワイソウですが
3: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/20(日) 14:14:45
徳川は二条城で幕府の開府を勅許され、264年後に同じ二条城で大政奉還をして幕府が滅亡する羽目に。
カワイソス
4: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/20(日) 16:14:52
藤原経清 清原武則
前九年の役で敗れた藤原経清の妻は戦利品として拉致され、敵の清原武則にさんざん犯された挙句、子を産まされた。
その子は成長し、経清との間に生まれた子と戦うことに。

カワイソス
5: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/20(日) 16:33:10
>>4
つまり散々羽目られたわけだ
カワイソス
12: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/21(月) 16:44:16
>>4
藤原経清の妻安倍氏は清原武則に可愛がられたらしいがな
清原武則が安倍氏を可愛がっていたという理由は、安倍氏が前夫との間に生んだ連れ子の男子を殺しもせず扶養していたことでも分かる
清原武則にはすでに嫡男があったが安倍氏の産んだ男子と争っているし
14: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 00:14:19
負けたら男は殺される
それが武家の非情の掟。
カワイソスな例はキリがない。

それに対して優柔不断なら、>>4とか>>12の清原氏や平氏のようにいつか自分の一族に返ってくる。
前九年の役 (Wikipedia) 前九年の役(ぜんくねんのえき)は、平安時代後期の奥州(東北地方)を舞台とした戦役である。この戦いの結果、安倍氏が滅び、清原氏が東北の覇者となった。
8: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/21(月) 09:10:25
蒙古兵に拉致された対馬の女達はまる4日の間、一睡も出来ずに、4万の兵たちに代わる代わる犯され、揉まれ、射精された。
その挙句、掌に穴を開けられて束ねられ船の外に吊るされた。

テラカワイソス
39: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/26(土) 05:16:31
>>8
蒙古兵というが、実際に対馬のオンナをレイプして、手のひらに穴を開けて吊るしたのはチョーセン人。

今もむかしも強姦は朝鮮の国技
40: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/26(土) 10:56:50
>>39
国が侵され易い分、そうなるのかもなw
文禄慶長の役の際は、朝鮮の女たちが犯されまくっている。

明の辺境の祖承訓の兵たちにだw
42: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/26(土) 16:51:32
>>39
日本女を強姦することを罪だと思わない朝鮮男なんていません!!(AA略)

>>40
お前さんの意見には同意しかねる。

売春は今も昔も朝鮮女の主要な仕事です。
130: 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/07(水) 15:16:40
>>8
これウソ、日本軍が満州でしたこと
131: 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/07(水) 21:09:40
>>130
確かにおっしゃる通り真っ赤な大嘘だな。









実際には貴殿のご先祖もやったことだからな。
132: 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/14(水) 21:50:33
>>130
満州でなんで船があるんだよクソチョン
アムール川やウスリー川沿いに略奪でもしたのかw
9: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/21(月) 13:22:43
細川ガラシャ 細川ガラシャ夫人の付き人は夫忠興の怒りのとばっちりで、耳鼻を削がれて追放
テラカワイソス
25: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/22(火) 21:24:02
豊臣秀吉 小田原攻めを忘れてもらっては困る。
秀次妻女処刑と五右衛門処刑も。

前田利家 ついでに親友といわれる前田犬もかなり残酷。
その残酷さを批判する文が瓦に刻まれている。

荒木村重謀反後の小屋ごと丸焼き処刑を考案し実行したのも前田。この二人はかなりまずい。
「石川五右衛門 尾上多見蔵」歌川国員・画
管理人より:なんかいっぱい名前出てるけど、管理人はゴエモン好きなので大きいの挙げておこうっと…。しかし前田利家の肖像からにじみ出る人相の悪さたるや…。笑
30: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/23(水) 10:41:34
織田信長 天正10(1582年)織田信長は自分の留守中に遊びに行っていた安土城の女中たちの首を刎ね、彼女達を擁護した桑実寺の高僧までをも寺ごと放火して殺害
この僧は焼死に及んで「心頭滅却火もまた涼し」と言う有名な言葉を残す
32: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/23(水) 10:57:04
>>30
で、焼け死ぬ寸前の言葉を誰が聞いたんだ?
聞いた本人が助かってるなら、その坊主も助けろよ
台詞聞いてる余裕あるなら
49: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/27(日) 22:30:21
>>30
その最期の言葉は誰が聞いたわけ?
33: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/23(水) 12:31:36
400年以上前の伝聞にツッコミ入れてもw
桑実寺 管理人より:桑実寺はなかなか風光明媚なお寺でした。
2.25追記:コメ欄より「桑実寺の高僧ではなく甲斐の快川紹喜の辞世の句といわれてる。」だそうです。遅ればせながら今頃追記。
安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し
これが全文の模様。
35: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/23(水) 13:44:33
坂本龍馬 坂本龍馬の愛刀、陸奥守吉行は出戻り姉お栄の元旦那のもの
弟の雄飛を願って持たせたのだが、後日これを元夫に咎められ自害してしまった。

カワイソス
47: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/27(日) 13:32:02
>>35
それ結局ウソらしい。墓に書いてる既述と色々あわないんだと。
48: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/27(日) 16:46:36
竜馬の刀くれたとかいう姉の墓は発掘されてたよな。
かなり深く掘ってあって、家族の愛情の深さを示しているとか記事にはあったと思う。
44: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/27(日) 13:02:50
悲しい話なら、安寿と厨子王
45: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/27(日) 13:07:26
>44
それは物語w
安寿と厨子王丸 (Wikipedia) 安寿と厨子王丸[1](あんじゅ-ずしおうまる)は日本の童話。『安寿と厨子王』とも言う。悲劇的な運命にもてあそばれる姉と弟を描く。
57: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/28(月) 09:54:12
長州藩の奇兵隊その他の諸隊に参加した若者は維新成就と同時に、ほとんどが解散を命じられ、応じなかった者は処刑された。
その数130余命。
斬首された息子の亡骸を泣きながら背負って帰った母親の姿も見られた。
59: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/28(月) 15:33:52
>>57
幕末の悲劇と言われている会津白虎隊が(落城誤認により)自刃した19名を除いて、実際には全体の8割以上の290名の若者が生き延びたのとは対照的ですな。
60: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/28(月) 17:27:48
会津白虎隊(つーか会津軍自体)は、
悲劇の主役ではなく、
 喜 劇 の 主 役 だ か ら なwwwww
白虎隊 (Wikipedia) 白虎隊像 白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。
(中略)
このとき、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を目にし、結果総勢20名が自刃を決行し、一命を取り留めた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)を除く19名が死亡した。一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して悲観したとされている。一方、飯沼が生前に伝え残した史料によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、城が焼け落ちていないことを知りながらも飯盛山で自刃を決行したという。
52: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/27(日) 23:09:13
藤原仲麻呂 藤原仲麻呂の乱の娘は父が敗れた後千人の兵士に犯されたらしいぞ
58: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/28(月) 13:42:37
>>52
水を差すようで悪いが昔の数の表現は大概誇張されてる
百万の軍と言っても、その実は数十万だったりする
千人姦はさすがに生身では耐えられないって
61: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/31(木) 05:17:02
>>58
千人の男集団に犯されることになったんだろうが、突っ込んだのが何人か、中出ししたのが何人かは別問題
68: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/11(月) 14:23:00
>>52 >>58 >>61 >>68

日本史だけど「水鏡」によれば、藤原仲麻呂が恵美押勝の乱に失敗した際、かねてより「容色並ぶものなき美貌」とたたえられていた、仲麻呂の娘(藤原東子)が 千人の兵士に死に至るまで輪姦されたらしい。

詳しい研究本によれば、当時の媚薬や、性器への負担を軽減するような潤滑剤を駆使して、世間に公開のうえで徹底的に犯し抜いたそうだ。

仲麻呂の娘についての項では、例えば、潤滑剤は百日紅の樹液となにかを 調合したものであったとか、用いられた媚薬は今でいう覚醒剤の一種で あったとか、姫の乱れた化粧をきちんと直す係の者、薬を投与する医者 栄養士などが待機していて、凌辱は20日間に及んだらしいです。
ちなみに、最後は斬首だったそうです。


~エピローグ「藤原仲麻呂の乱」~
続日本紀によると764年9月18日に、仲麻呂は石村石盾(いわむらのいわたて)によって捕縛され、斬殺されたという。
同時に彼の家族や従者34名も斬られたというから、姫君がレイプされたのは、この日ということになる。
姫君が悲惨な目にあい、一族が皆殺しにされている中で、六男の刷男(よしお)だけは助命されたという。
刷男は幼少のころより、仏教修行をしていたからというのが、助命の理由であった。
同じく続日本紀によると仲麻呂の首は当日のうちに、京都に届いたとある。
孝謙天皇 孝謙女帝はかつて愛した男の首を見て、何を思ったのだろう?
そして、同じ女性である姫君の悲劇を知って、涙したであろうか?
藤原仲麻呂の乱 (Wikipedia) 藤原仲麻呂の乱(ふじわらのなかまろのらん)は、奈良時代に起きた叛乱。恵美押勝の乱ともいう。孝謙太上天皇・道鏡と対立した大師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した事件である。
62: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/31(木) 06:52:56
71: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/11(月) 16:02:05
射精された量は?
72: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/11(月) 16:58:39
ひとりあたり6mlとして6リットルか・・・・・・・

一升瓶3本強の量だよw
管理人より:('A`)
76: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/12(火) 12:45:25
藤原仲麻呂の系譜だと、藤原豊成というのが、乱のあと、なぜか生き延びて出世している
あと、すごく不思議なのが、乱のあと、ことごとく惨殺され、六男藤原刷男だけなら、続くのは、一つの系譜だけなのに、巨勢麻呂~九代略~実兼となっている
あとは、乙麻呂~是公~吉子(桓武帝婦人)
たぶん東子は、その前に、隠さないといけない出産をしていた可能性がある
この時代でありうるなら、父仲麻呂か道鏡の子

孝謙天皇の嫉妬や怒りが、藤原東子の輪姦に関係した可能性がある
道鏡 六男の刷男は六男ではなく、藤原東子と道鏡の子であるがゆえに、死を免れた幼子で、道鏡ゆかりの寺に引き取られた可能性が高い
おそらく、藤原東子の公開輪姦は、藤原東子が、道鏡の子を産んだためだろう
77: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/12(火) 13:00:20
おそらく、公開輪姦は、藤原刷男が藤原東子と道鏡の子ではないとするためにだろう
誰の子供かわからない子というわけだ

つまり、六男藤原刷男はこの時点では赤ん坊だった可能性が高い
道鏡ゆかりの寺に、この乱の時に預けられた赤ん坊、それが、藤原刷男だろう
飛鳥坐神社の天狗とお多福の結婚式は、藤原東子と道鏡の結婚式
藤原東子は、孝謙天皇に道鏡を奪われた上、そのことを隠すために公開輪姦の上、殺害された悲しい姫君なのかもしれない
おそらく公開輪姦は、道鏡と藤原東子の結婚と、藤原刷男を藤原東子が産んだことを隠すためだろう

そう考えたら、すべて柿本人麻呂の歌に通じてくる
78: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/12(火) 13:09:20
和気清麻呂 和気清麻呂
彼が藤原刷男であり、藤原東子と道鏡の子であった可能性がある

道鏡(僧)の子であったために、藤原刷男は死を免れた
藤原東子は非業の死を遂げたが、産んだ子は功なり、名を遂げたというのが、この話の結末だとおもう
79: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/12(火) 15:49:22
あるいは、自分を裏切った道鏡の子を守るために藤原東子は千人姦を受け入れたのかもしれない
子を思う母としてね
本当に悲しい話だよ

加えて、道鏡の思いはまだ、藤原東子にあったのかもしれない
愛する女性を千人の男に犯させ、命を奪った孝謙天皇を道鏡は冷ややかな目で見るようになる
道鏡の気持ちを引きとめるために孝謙天皇は、道鏡に次々と地位を与えたのかもしれない

考謙天皇は時の権力者であり、逆らえない
お義理のおつきあいを続けるものの、道鏡の気持ちは孝謙天皇にはない
また、愛する藤原東子を救えなかった苦悩、他の男に藤原東子が犯される様を思って、男たちへの憎しみ、深い嫉妬と哀しみに襲われる
気を引くために孝謙天皇は次々に道鏡に地位を与え、道鏡はとんとん拍子に出世していく
しかし、道鏡は少しもうれしくない
孝謙天皇が開眼した東大寺の大仏、東大寺をも、憎しみの目でみるようになる
こういうことだとおもう
管理人より:これはなかなか…、男女の情緒を因果関係に据えた感じのダイタンな考察。ロマンチックでいいですね。
連投さんの考察はまだ続きますが、長いので省略。
101: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/13(水) 23:47:06
今が平和のピークだと思うから(日本では)、楽しめとはいわないけど、せめてそれを感じて生きていきましょうw
102: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/16(土) 18:37:49
悲しい話って犯された話が多いのか?

しかし、おまいら実は悲しんでないだろw
103: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/16(土) 18:40:08
エロいネタをしたいやつ1~3人ぐらいが、必死に書き込んでるだけだろ
104: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/23(土) 10:51:57
もっと射精したくなるような話をキボン

ハイ、なかなか目を覆うばかりの惨劇ですね。歴史の闇です。
最後の方に出てた、絶世の美女と言われた藤原東子の肖像画を八方手を尽くして探しましたが見つからず。孝謙天皇みたくイラストすらないなんて、東子カワイソス(´;ω;`)
誰かイラスト書いてあげて。

トップ絵は黒田長政が描かせたという「大坂夏の陣図屏風」の一部。元の絵がアホほどでかいので、元絵のリンクはWikipediaでドウゾ。
この部分が全体のどこにあたるかさっぱり分からないですが、たぶんWikipediaに写ってない左隻の部分じゃないかなー。

その時歴史が動いた・戦国の「ゲルニカ」(無精庵徒然草)
↑こちらから画像を拝借しました。

どうでもいいことながら、秀吉の大きい肖像画が見つからなかったので、ひょっとしたら海外サイトにあるかも…と思って「hideyoshi」で画像検索した結果…。














「hideyoshi」の検索結果
オイィィ!?Googleてめェ、この落とし前どうつけてくれんだ、ゴルァ… ('A`)
仮にも日本の天下人やぞ…。
かつて朝鮮半島を恐怖に陥れた、「時空太閤HIDEYOSHI」実はちょっとツンツンした女の子だった…。
戦国武将や三国志の登場人物、はては戦闘機、戦車、戦艦まで、なんでもかんでも萌え化するのやめようヨ…。orz
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元スレ:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1200801152/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.9.28 18:25
    ほろ酔いで気分いいな
    歴史じゃないけどインドに仏教かなんかでぇ、前世の因果で生まれ変わったら百人に、千人だっけ?に屍姦された女の話が載っておるよ。あとこれも歴史かびみょうだけど高もろ直だっけ?の経験人数がすごいらしいよ南方熊楠の全集より(笑)
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.9.28 18:49
    そのキャラは単に秀吉って名前なだけで太閤殿下とは関係ないですよ!あ、ちなみに女の子でもないですよ!
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.9.28 18:50
    そのキャラは単に秀吉って名前なだけで太閤殿下の女体化とかそういうのではないですよ!
    それと女の子でもないですよ!
  1. >屍姦された女の話が載っておるよ。

    うひぃ!
    しかし南方熊楠全集なんて、すんごい本をお持ちですね。笑
    ------------------------------
    >そのキャラは単に秀吉って名前なだけで太閤殿下とは関係ないですよ!

    ええっ!?まじですか?


    >あ、ちなみに女の子でもないですよ!

    \(^o^)/
    でもねぇ、「hideyoshi」で検索してこれが上にくるのが問題であることに変わりはないです!日本人として断固として改善を要求しなくては!
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.15 10:42
    「心頭滅却すれば火もまた涼し」は桑実寺の高僧ではなく甲斐の快川紹喜の辞世の句といわれてる。
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.2.24 11:11
    レイプが国技やチョン認定などのレスはまとめてほしくはないなあと
  2. >甲斐の快川紹喜の辞世の句

    おっと失礼、これ見逃してました。追記してきますー
    ------------------
    >チョン認定などのレスはまとめてほしくはないなあ

    そうですね、申し訳ない。
    嫌韓なんてどこにでも湧くもんですから。
    今はだいぶん厳密に削ってますが、この頃はまだ基準が甘かったですね。
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2016.10.2 23:34
    黒田官兵衛が人命を大切にした等と歴史学者が世迷い言を述べていますが、
    大嘘でございます。彼は秀吉の軍師として竹中半兵衛と共に進軍し次々と
    秀吉軍が極小の損害で最大の戦勝をあげられる様に画策したのです。
    例えば、上月城を攻めた時に内乱で家老一派が城主を暗殺し手土産に首を
    差し出し助命を懇願した。ここで官兵衛は半兵衛と相談し、助命どころか
    名乗り出てきた家老一派とその眷属達を悉く裏切りの見懲らしに極刑に処
    したのだ。武将にとって謀反は最大の罪悪であった。また離反しなかった
    者どもは助命し秀吉軍に組入れた。中国攻めを優位にする為に二人はまず
    武将どもを城内で磔に処し城主一族に敵討ちさせた。そして残りの女子供
    達を国境まで引き出しそれはそれは酷たらしい極刑に掛けたのであった。
    成人女性(この当時は初潮が訪れる12才~13才ぐらいとされていた)
    は皆磔に架けられ、子供達は一本の太い棒杭に団子の様に十人程が次々と
    突き刺されて行き、一番上に肛門から身体に突っ込ませる留め刺しをやっ
    た。成人女性は股を大きく広げさせた大字磔に縛付けて嬲り殺しにした。
    穂先を男根の形に削った後家槍と言う長槍で『串刺しの予行じゃー』と
    大声で戯けて処女膜を次々と突き破っていき、既婚女性は肛門に突っ込ま
    れて腹に溜まった糞を気張り出させられた。乳首には竹串が十字に突き刺
    さされ、陰核と陰唇も削ぎ取られて焼き鏝が当てられ止血されたのだ。
    一刻ほど酷い嬲責めにされた後、血に飢えた雑兵達は竹槍を女達の股間に
    突っ込んで行った。『串刺し刑』と言う極刑で戦国時代には良く行われて
    いた刑罰である。竹槍の穂先が口から出てくるまで何度も何度も突き直さ
    れ槍の雑兵達は全身血塗れ糞尿塗れになりながら物凄い声を上げて突上げ
    ていた。この酷い見せしめの処刑を知った諸侯達は、次は己の番だと震上
    がり次々と人質を差し出して秀吉の元に帰順していった。官兵衛や半兵衛
    は人の命を大切にしたのでは無く、味方の命だけを大切にしただけだ。
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