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日本の刀剣武具甲冑について語る @ [日本史板]


日本の刀剣武具甲冑について語る @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/05(水) 20:59:10.66
日本の刀剣、鎧兜、装束などを語りましょう。
2: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/05(水) 21:20:16.19
5: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/09(日) 17:04:14.32
弩はどうして日本では定着しなかったのか?
6: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/09(日) 17:10:38.85
>>5
もともと幼少の頃より弓矢などの武芸の修練を積んだ「武士」が台頭してきたので、その結果その「武士」は高価で制作にかなりの技術が必要で面倒な弩を態々、武具として揃えることに魅力を感じなかったから。
(武士は最低でも3人張りの弓を使用する)
管理人より:3人張りというのは3人がかりで弦を張る強弓のことです。
7: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/09(日) 19:48:41.96
持ち盾、弩、投げ槍、尾布付きの手投げ剣、フレイル、古代の戦車から両刃の直剣までなぜ日本に定着しなかったのか?
8: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/09(日) 20:12:21.50
日本は山が多くて平地が点在。
しかも狼が多く(天敵も競合相手もいない)人里の移動は困難。

だから言語(方言)も多様。
 
その状態で地域の支配者が他の地域を攻めるにあたり人的損害は出せない。
日本では殺傷した住民に換えて移民を充てる訳にはいかないからだ。
2千人の動員を誇る軍団が一戦で500人も損耗したら補充も出来ないし防戦も難しい。
だから戦いでは死者が出ないような方法が選択されて武装も倣ったのだろう。
9: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/09(日) 20:58:34.06
>>8
根拠は地形だけ?
10: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/09(日) 21:14:55.67
>>9
むしろ
>狼が多く…
そんなに狼って恐いの?
11: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/09(日) 21:27:48.21
>>10
狼は怖いだろ。日本には狼だけはガチ、ということわざもあるくらいだし。
13: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/09(日) 23:59:46.73
おっかねーもんで、徹底的に狩り込んで、絶滅させたくらいだしな。
14: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/10(月) 00:29:26.79
なんで狼や熊と戦うときに役に立たない銃を使うんだろう。
日本刀で戦えば楽勝なのに。
15: 日本@名無史さん 投稿日:2011/10/10(月) 13:46:44.09
なぜ日本では狼を兵器として活用しなかったのだろう。
狼を使えば楽勝なのに。
21: 日本@名無史さん 投稿日:2011/11/01(火) 13:37:03.90
時代劇で甲冑に刀で切りつけて「うわぁ」と死んでしまうコントのような描写が多すぎ。
なら甲冑要らんじゃん。
26: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/08(木) 12:45:26.69
ドイツの若者が刀鍛冶と交流
日本とドイツの交流を深めようとドイツの若者が、瀬戸内市にある刀鍛冶を養成する施設を訪れ、日本の徒弟制度について理解を深めました。

この取り組みは、働く若者の交流を深めようと、日本とドイツ両国が毎年、若者を双方に派遣しあっているもので、ことしは吉備中央町の「国立吉備青少年自然の家」がドイツの20代の若者20人を受け入れています。
7日は瀬戸内市長船町にある刀鍛冶を養成する施設を訪問しました。一行はまず、刀に焼き入れをする工程で刀鍛冶が細長い鋼の板をおよそ800度の炎に入れて一気に水で冷やすと、刀に波紋が浮かぶ様子を見学しました。
このあと、刀鍛冶として修行している日本の若者と意見交換し、弟子は5年間は給料が支払われないため、アルバイトで生活費を稼いでいることや、弟子が住み込んでいる施設は、無料であることなど日本の徒弟制度について学びました。
ドイツで車両整備工の職人を目指しているミルコ・ゲーラーさんは、「日本の伝統的な手工業を体験することが出来て良かったです」と話していました。
また、ドイツ人を受け入れた備前長船日本刀傳習所の上田祐定代表は「日本の若者から何かを学んでくれればうれしいです」と話していました。
29: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/25(水) 12:38:44.76
蕨手刀っていうのは国産なの?
渡来人が製鉄技術を持ち込むまで日本には刀をつくる技術がなかったとなると、蕨手刀は輸入品になるのか?

奥州鍛冶という言葉を聞くけど、彼らは渡来人ではない土着の鍛冶なのか?
詳しい人教えてください。
蕨手刀 (Wikipedia) 蕨手刀
蕨手刀(わらびてとう、わらびてがたな、わらびてかたな)は、日本の鉄製刀の一種。蕨手刀が毛抜形蕨手刀、毛抜形太刀(太刀の起源)に発展したことから、日本刀の起源の一つとして言及されることもある。
(中略)
古墳時代終末期の6世紀から8世紀頃にかけて東北地方を中心に制作される。7世紀後半頃の東北地方北部の古墳の副葬品の代表例。太刀身の柄端を飾る刀装具である柄頭が、蕨の若芽のように渦をまくのがデザイン的特徴である。また、柄には木を用いず、鉄の茎(なかご)に紐や糸などを巻いて握りとしている共鉄柄(ともがねつか)である。
30: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/27(金) 18:42:52.83
蝦夷が当時は日本人で無かったとかいうような言い方すれば、蕨手刀もってことには・・・なるかいw

古墳の副葬品として出土するわけだから、被葬者が蝦夷だとしても、東北より南の文化の影響を受けてるのは間違いないよ。

こっちの古墳は西日本、関東で古墳築造が廃れてから作られてるからね。
33: 日本@名無史さん 投稿日:2012/05/01(火) 03:03:24.72
蕨手刀は全く同じものは大陸にはないが、同じコンセプトのものならある。
韃靼人の馬上刀がそれで、朝鮮や中国のような鋳造ではなく折り返しの鍛造。
岩手に多い事からも、基本コンセプトは北方ルートで流入した技術だろう。
日本の地理条件では馬上仕様の刀が独自に生まれる可能性は極めて低い。


そもそも韃靼はタタールの事で、製鉄技術の「たたら」の語源。
中央アジアで広く製鉄に携わった民族で、タタール人自体は強大な遊牧民兼強盗集団だが、鉄職人達はその部族長の財産にすぎなかった。
その重要性から代々職業を固定され、最下層の身分に置かれてこき使われた。
鉄職人はチュルクやアーリア人にもよく狙われ、支配者はコロコロ変わり、流浪と叛乱を繰り返した。

日本の製鉄は朝鮮半島から伝わったのは確かだが、一方通行だったとは思えない。
しばらくすると日本の技術の方が大陸を上回り、優秀な刀剣類は早くから日本の輸出品になる。
その逆転した理由はなんだったろうか。


蕨手刀は奈良から平安期に日本の独自の技術として発展し、やがて日本刀となる。
秋田美人、岩手の南部美人で知られる鼻が高く色白で、眼がうす褐色の特徴はトルコ系であるタタール人の特徴をよく示している。
奥州鍛冶とはチュルクあたりの支配を逃れて日本にやって来たタタール人だったかも知れないな。
管理人より:「たたら」の語源がタタール人!??トンデモ説ぽい…。
39: 日本@名無史さん 投稿日:2012/05/30(水) 20:59:07.50
>>33
中国は鋳造だけじゃなくて鍛造もやってる。ソースは「武器と防具 <中国編>」
102: 日本@名無史さん 投稿日:2012/11/30(金) 17:30:04.85
>>33
『ゆがめられた地球文明の歴史 ~「パンツをはいたサル」に起きた世界史の真実~』を読むと良いですよ。
書いてあります。
34: 日本@名無史さん 投稿日:2012/05/03(木) 21:28:30.56
>その重要性から代々職業を固定され、最下層の身分に置かれてこき使われた。
>鉄職人はチュルクやアーリア人にもよく狙われ、支配者はコロコロ変わり、流浪と叛乱を繰り返した。
突厥は柔然可汗国の「鍛奴」だったが支配者に取って代わって大帝国を築いているぞ
43: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/03(日) 18:38:04.18
鋳物でチェインメイルとか作ってたの?鎖の輪を閉じるのはどうすんだろ?
47: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/10(日) 16:12:22.92
>>43 チェインメールを構成する部品は、太めの針金を切って円にして、継ぎ目はリベットで留めている。
一つ一つの輪をそのように作るので非常に手間がかかるが、そうしないと重量に耐えられない

鋳物に使う鋳鉄は炭素分が多く、堅いがもろく、粘りがなく割れる恐れがあるので、鎧関係にはほとんど使わない。
薄く作るのが困難なので重量的にも不利。
古代ギリシャ時代のヘルメットと胴鎧などは青銅による鋳造。青銅は鍛造ができない。
54: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/13(水) 06:02:44.56
>>43
だってさ、ヨーロッパに鋳鉄と良質な鋼の製造に必要な高炉が導入されたのは13~14世紀なのに、ろくに調べていないくせに全ての日本以外の地域の武具は鋳物だったとか洋鉄は鍛造に向いてないとかいうような言い方する奴をたまに見かけるからさ。
もし日本以外の地域の武具が鋳物だったら、鉄製の鎖帷子は嘘になるし実用に耐えうるような板金鎧は造れない鋲も打てない等々の矛盾点が出る。

誰が広めたんだろ。いや、スレチだからやめとくわ。
48: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/10(日) 19:33:58.64
中国の製鉄技術史
戦国時代(B.C.476-221年)に始まった中国における鉄の鋳造技術 ---- その技術的源泉は、古代中国の青銅器の鋳造技術(紀元前18世紀)
古代ヨーロッパでは、青銅器は鍛造されていた。しかし古代中国では新石器時代の末期頃から鋳造で製造されていた。
49: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/12(火) 00:31:18.96
チェーンメイルで思い出したが、武士が鎖帷子を装備しだしたのはいつから?
太平記には鎖帷子を着てる記述があったり、同時代の武将の肖像画には鎧の下に鎖帷子着てるやつがあったりするけど。
50: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/12(火) 01:49:59.18
>太平記には鎖帷子を着てる記述があったり、
太平記のどの辺に出てきますか?
51: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/12(火) 08:22:52.40
近付に随て是を見れば長七尺許なる男の、髭両方へ生ひ分て、眥逆に裂たるが、鎖の上に鎧を重て着、大立挙の臑当に膝鎧懸て、竜頭の冑猪頚に着成し、五尺余りの太刀を帯き、八尺余のかなさい棒の八角なるを、手本二尺許円めて、誠に軽げに提げたり。
52: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/12(火) 08:25:28.11
爰に妙観院の因幡竪者全村とて、三塔名誉の悪僧あり。
鎖の上に大荒目の鎧を重て、備前長刀のしのぎさがりに菖蒲形なるを脇に挟み、箆の太さは尋常の人の蟇目がらにする程なる三年竹を、もぎつけに押削て、長船打の鏃の五分鑿程なるを、
53: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/12(火) 22:27:55.59
51-52
ありがとうございます。
鎧の下に着てるのは矢に貫通された時のためですかね?
55: 日本@名無史さん 投稿日:2012/06/13(水) 11:12:58.37
>>53
それもあるけど、白兵戦対策のが大きいんじゃない?
鎖帷子の記述が出てくる時期と騎馬武者のメイン戦法が、騎射から打物に変わる時期がほぼ重なってるし。
59: 日本@名無史さん 投稿日:2012/07/18(水) 15:13:46.53
60: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/21(火) 02:00:03.98
352 名前:日本@名無史さん [] 投稿日:2011/01/29(土) 07:02:09
侍の日本刀 対 騎士の幅広剣 Samurai sword VS Knight Broadsword
■氷のブロック斬り比較
日本刀…成功
西洋剣…失敗

■革張り胴人形斬り対決
日本刀…革を斬り裂き内部も破壊
西洋剣…革に相当めり込むが切り裂けず

■板金鎧斬り対決
日本刀…胴鎧にめり込む
西洋剣…無傷で弾き返される

■板金鎧貫通対決
日本刀…易々と貫通する
西洋剣…たわんで貫通できず

西洋剣の唯一の優位性だった鎧の上からなら日本刀に勝てるという話が疑わしくなってまいりました
61: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/21(火) 02:03:41.29
366 名前:日本@名無史さん [sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:05:19
>>352
そもそも、当時品の全体的傾向に関しては来航した外国人がこう報告してるしねえ。

バジル・ホール・チェンバレンチェンバレン
・日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。
刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。

ヴァーシリー・ゴローニンゴロウニン
鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。
それは極端な試練に堪へる頑丈なものである。
鋼その他あらゆる金屬の研磨にかけては、日本人は一頭地を抜いてゐる。

彼らは金屬の鏡まで作るが、それはガラスの鏡と同様に立派に反射するのである。
われわれは日本の指物や大工道具をたびたび見たが、それは丈夫さから云つても、仕上げの美事さから云つても、イギリス製に劣らない。
管理人より:「チェンバレン」はこのひとで合ってるかわからない。どちらも日本に来ていたひとです。
62: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/21(火) 02:04:58.25
369 名前:日本@名無史さん [sage] 投稿日:2011/01/30(日) 10:56:48

>>366
ゴローニンは海軍軍人だしチェンバレンに至っちゃ英語教師だろ。
刀剣なんて物が日常の場から消えて久しい時代の、専門家でもない人間の発言をやたらと持ち上げる理由が解らん。

この手の議論で「なぜ」日本刀の方が優れているのか科学的な観点から検証してる奴は見た事が無い。
例えば両者の物理的な構造な違いとはなんだ?よく言われる心鉄構造やら折り返し鍛錬は別に日本独自じゃないありふれた技術だ。

日本刀の常識を問う
仮に彼らの発言が事実だとして、じゃあ何が日本刀をそんなに優れた物にしてるのかというとオレには解らん。
63: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/21(火) 08:27:54.68
ナポレオンと同時代の軍人であるゴロヴニンが刀剣に関して無知とかのほうが、むしろ無理があるわw
73: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/23(木) 08:23:11.20
>>62

実際日本刀に苦戦した中国、朝鮮の武将たちの記録を見るに、他国から見た日本刀の恐ろしさは
1 中国風に言うところの短兵器の範疇を超えたリーチの長さ
2 そのバカ長い剣を軽々と扱う使い手
3 簡単に致命傷を与え、槍の柄すら両断する冗談のような鋭さ

の3点にあると見られる。2は武術の問題だから略すが「長く、鋭い刀身」というのは技術的なハードルがかなり高い。
刀身は乱暴に言えば鉄の棒材な訳だが、同じ鋼材を使っても長いほど折れやすく、曲がりやすくなる
(割り箸を1回折るのは簡単だが、折った割り箸を2回3回と折っていくとだんだん難しくなるのと同じ原理)
また、鋭い刃を作るには固い素材を用いる必要があるが、固い素材を使うと折れやすい。
さらに長くすると言うことは、必然的に刀身が重くバランスが切っ先寄りに偏ってしまう問題もある。

この問題を解決するためのブレークスルーが、靱性に優れた和鋼を鍛造する製法、鋭い刃を得るための小さな刃先角度と、強度を得るための大きな最大厚を両立できる片刃構造、バランスを補正する設計技術(柄の長さや柄頭、鍔の設計)ではないかと。
64: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/21(火) 08:31:17.60
こんなのもあるよな。

「武備志」
日本刀は極めて剛利、中国は及ばざるなり。


モンタヌス「日本誌」
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。
彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。
65: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/21(火) 08:40:11.99
甲冑がそんな簡単に切れるなら介者剣術とか生まれないから。
管理人より:Wikipediaの「剣術」によれば
甲冑を装着した武者同士の太刀による戦闘方法は、当然、巨人がただ刀を振り回せばよいものとは異なり、介者剣術と呼ばれ、深く腰を落とした姿勢から目・首・脇の下・金的・内腿・手首といった、鎧の隙間となっている部位を狙うような戦法であった。甲冑武者同士の戦闘は最終的には組み討ちによる決着に至ることが多く、その技法が組討術であり、後の柔術の源流の1つとなった。現代武道の柔道や合気道は、その柔術から派生したものである。
とありまーす!
66: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/21(火) 09:17:39.16
介者剣術を心得ていれば甲冑でよく武装した相手も一刀でこの通り。

「一五六六年十月二十日付、イルマン・ルイス・ダルメイダが志岐島より耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰」
・二十五歳の青年のキリシタン諸人に先登し、謀反人の側より一人よく武装して出でたる者と戦ひ、シストXisto(青年はかくのごとく称せり)一刀に彼を切殺し、敵の進み来たりし前その甲冑を奪ひ取りたり。
67: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/22(水) 08:59:52.44
介者剣術って甲冑自体でなく腋の下や小手裏などを狙って切る戦法なんだけど?
68: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/22(水) 09:02:50.15
だから甲冑着てる敵を斬り殺せるわけだ。
72: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/23(木) 00:32:18.87
大太刀とかだと「刃の付いた打撃具」みたいな感じだったろうな
南北朝あたりの騎馬武者同士の戦いでは
74: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/23(木) 09:07:42.02
>>72
打撃具なら身幅は狭く重ねは厚くなるはずだが、実際には南北朝期になると身幅は広く重ねは薄くなり、より切れ味を重視した姿に変わっている。
これを元寇の戦訓と見る向きもあるが、日本の合戦事情に適合していないなら即座にこんな風潮は廃れたはずであり、そこには打撃具であることを捨ててまで切れ味を求めなければいけない理由があるはず。
恐らくは増加していく軽装の悪党、足軽に対応したものかとも思う。
77: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/24(金) 06:37:15.02
>>74
南北朝期にゃ、長大な刀が流行ったというけど重ね薄いのは長大な刀を取り回しやすくするための処置じゃないの?
管理人より:「重ね」というのは刀身の厚みのことです。
18、刀の断面形状と切れ味の関係(刀剣研磨-研究室)
↑こちらにあるとおり、「重ねが薄い=切れ味鋭い」という単純なものでもないようですね。奥が深いのなぁ。
78: 日本@名無史さん 投稿日:2012/09/03(月) 20:36:41.62
毛抜刀ってどんなの?
毛抜形太刀 (Wikipedia) 国宝 金地螺鈿毛抜形太刀
毛抜形太刀(けぬきがたたち)は、平安時代中期頃に登場した太刀であり、日本刀の原型(起源)と考えられている刀である。「衛府の太刀」とも呼ばれた毛抜形太刀だが、『白河上皇高野御幸記(高野行幸記)』では、「俘囚野剣」とも呼ばれている。
81: 日本@名無史さん 投稿日:2012/09/08(土) 09:18:18.38
>>78
持ち手の部分まで鉄で一体に作られているのが毛抜形太刀。
横長の透かし彫りが持ち手の部分に彫られて、衝撃を吸収する構造になっている。

この形が毛抜きに似ていたことからその名がある。縁には金銅で伏輪をつけ、外観を整えると同時に持ちやすくしている。
刀身自体の反りは少ないが、鍔元近くに強い反りをつける。蕨手刀と日本刀の間をつなぐ存在と考えられている。
鎬作り、庵棟と刃物としての構造はすでに日本刀と同じ。

律令制下の六衛府の武官が用いた。神護寺蔵の伝源頼朝図の武人が佩用しているのがこれ。実物も少数ながら残る。
85: 日本@名無史さん 投稿日:2012/09/09(日) 23:46:00.16
>>81
詳しくありがとう!うちの県のお寺所蔵されてるのを、美術館で特別展示してあったのでどんなものか知りたかったんだ。
82: 日本@名無史さん 投稿日:2012/09/08(土) 09:41:38.51
衝撃を吸収する構造とは言われているが、せいぜいいくらかマシにするレベルみたいで、実際はかなり衝撃が手に伝わるみたいだな。
84: 日本@名無史さん 投稿日:2012/09/08(土) 12:57:55.81
日本刀は目釘で固定しているだけで、柄が刀身と一体化していない造りだから、西洋の剣と違って耐久性に劣り実用的ではない!

っていうのは昔よく聞いたなあ。
手に受ける衝撃については一切考慮なかったみたいだけど。
87: 日本@名無史さん 投稿日:2012/09/14(金) 22:03:20.67
【中国大陸での日本刀①】(例えばこんな日本びいき)
寶刀近出日本國、   寶刀近く日本國に出で
越賈得之滄海東。   越賈之を滄海の東に得。
魚皮裝貼香木鞘、   魚皮装ひ貼る香木の鞘、
黄白閒雜鍮與銅。   黄白閒雜す鍮と銅。
北宋の詩人・文学者にして政治家、欧陽脩の「日本刀歌」という漢詩の一節です。
欧氏は、1007年生まれ、1072年没といいますので、この日本刀を絶賛した漢詩は11世紀に書かれたものとなります。つまり平安時代の半ばには、日本刀の切れ味は、既に中国に知られていたということです。

古来、日本では日本刀を「かたな」「つるぎ」あるいは「太刀」などと呼んでいました。「日本刀」という言葉が使われたのは、この「日本刀歌」が、ほぼ最初のようです。

この後、宋代から明代にかけて、多くの日本刀が大陸に輸出され、好事家によって所蔵されることとなります。

また、これが契機になったのか、日本刀は漢詩のテーマとして流行し、唐順之、湯顛祖、宋懸登、陳恭伊、梁侃呈、王邦我などの名だたる詩人に歌われたとのこと。

切れ味のみならず、その日本刀の独自の美しさが、彼らの感性に響いたようです。
88: 日本@名無史さん 投稿日:2012/09/14(金) 22:06:47.30
【中国大陸での日本刀②】(例えばこんな日本びいき)
中国、明代の武将に、戚継光という人物がいます。
1528年生まれ、1587年没。

当時、後期倭寇(ほとんどが偽日本人)の跳梁跋扈により、明の治安が悪化。明軍が崩壊直前でした。
戚氏は、この状況下で「戚家軍」という直属の軍を組織し、独自の兵法・用兵術で倭寇撃退に活躍。その後は、北方の警備に従事。万里の長城の補強・増築し、モンゴルのアルタン・ハーンの侵入に対抗し、戦果をあげるのです。
勇猛なだけでなく、武芸に通じた名将でした。

「紀效新書」という兵法・武術の書物を著しています。その中の「拳経」では、宗太祖三十二勢長拳と呼ばれる武術が図版で紹介され、現在の太極拳でも用いられている「単鞭」などの技術も見られるとのこと

さて、明軍を苦しめた倭寇の強さの一因は、日本から輸出された日本刀でした。
同時代の軍学者、茅元儀の「武備志」には、「刀は軽快で、前後左右に飛び回り、剣で斬ろうと近づこうにも、刀の方が長く近づきにくい。また、槍で突こうにも柄ごと両断されてしまう」 との記述があります。
89: 日本@名無史さん 投稿日:2012/09/14(金) 22:08:35.42
武芸に精通した戚氏は、日本刀の切れ味だけでなく、それを使う用法、つまりは剣術にも着目していました。
彼の著書「紀效新書」によると、
長刀、倭の中国を犯すよりこれ始めてあり。彼らこれを持ちて跳躍光閃して前に進めば、我が兵は己に気を奪われるのみ。倭は躍を善くし、一たび足を逆えば別ち丈余、刀長は五尺にて、則ち丈五尺なり。我が短兵器は接し難く長器は捷ならず、身多く両断す

明軍が、遠い間合いから飛び込まれての日本刀の攻撃に悩まされていた様子がわかります。

1528年(嘉靖40年)戚氏は、倭寇との戦いを指揮。その際、「影流目録」を入手します。

「影流」とは、一般に言われる「陰流」のこと。
15世紀、室町時代の日本で、愛洲移香斎(愛洲久忠)によって創始。
後に剣聖、上泉伊勢守信綱により新陰流として発展し、柳生家によって、徳川将軍家の剣術として受け継がれる、剣術の一代流派。

兵法三大源流の一つです。

戚氏は、この目録を研究し、「辛酉刀法」という書物を著しています。
また、龍行剣という剣術を編み出したともいいます。

今回、いろいろと調べたのですが、この龍行剣と日本の剣術の関連性について
記述された資料は見つけられませんでした。
このことについて、存知の方がいたら、是非ご一報を。

ちなみに最近、中国で、彼を主人公にした、アニメ「戚継光英雄伝」が作成されました。これが余りに酷い代物で、ネットでは散々に酷評されております。
彼の偉業を知るものからすれば、泣きたくなるでしょうね。
管理人より:上記リンクはどちらも404ですが、元ブログは残ってるようです。
92: 日本@名無史さん 投稿日:2012/10/05(金) 12:37:46.69
義経の絵でよく見かけるんですが、太刀の上辺りにぶら下がってる白い輪っかのようなものの、用途と名前はなんというのでしょうか?
源義家 雁行図
管理人より:この掛軸は義家のものですが、この輪っかのことですね。
93: 日本@名無史さん 投稿日:2012/10/05(金) 13:11:11.13
白い輪のように見えるあれは糸を巻いたもので迷宮探索のときに使われます。
名前はアリアドネの糸です。
94: 日本@名無史さん 投稿日:2012/10/05(金) 15:47:38.77
弦巻(つるまき)。
掛け替えのための予備の弓弦を巻いておくもの。
96: 日本@名無史さん 投稿日:2012/10/06(土) 22:04:47.63
>>93
アリアドネの糸はギリシャ神話なんですね。
wikiを興味深く読ませて頂きましたありがとうござました!

>>94
それでした…!! 資料を探すのに名前が解らず難儀していたので誠に助かりました!!
ありがとうございます!
管理人より:アリアドネーは、テーセウスのミノタウロス退治で、テーセウスを手助けした美女。助けてやるからヨメにしてくれって言ったのに、すっかり忘れて船出してしまう、オッチョコチョイのテーセウスなのであった。まる。
123: 日本@名無史さん 投稿日:2012/12/15(土) 00:31:53.83
程宗猷 「単刀法選」
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。
中国の槍術なんか日本のものと比べると素人同然なのかな?
125: 日本@名無史さん 投稿日:2012/12/15(土) 00:54:04.88
それなら日本の槍術の凄さに関する記述ももっと多いと思う。
むしろ今まで相手にしてきた中国国内の剣術のレベルが低すぎて、対槍まで想定してる日本の剣術に太刀打ちできなかったのではないか。
126: 日本@名無史さん 投稿日:2012/12/15(土) 00:57:20.77
中国の刀剣より日本刀が優れてるから我々も日本刀を備えるべきだとか、言っちゃうくらいだもんな。
124: 日本@名無史さん 投稿日:2012/12/15(土) 00:49:52.40
宮本武蔵武蔵曰く刀はどんなところでもだいたい役に立つ武器。
突き抜けた性能はないが色々つぶしが利く武器ってことなんだろう。

ハイ。これは一応スレその2、なんですが、その1はまとめてるブログも多かろうと思って、こちらをまとめてみました。

刀は、刀身と柄は目釘で連結されてるわけですが、これって衝撃を吸収するためだったんですね。全然知りませんでした。
前から、わざわざ別にせんでも、柄も一緒に鉄で作ったらええがな…と思ってましたが、素人考えだったのか…。昔のひとはすごいなぁ。ひとつ賢くなりました。

まぁ日本刀というのは、ジャパニーズ・サムライ・ソードということで外人さんにも大人気ですが、これ職人技の結晶なんですよね。
刀身の鍛造はもちろん、元になる「玉鋼」の精錬職人、刃の研ぎ師、鍔の職人、柄の職人、鞘の職人、目釘の職人、etc、etc…といった具合に、全部のパーツが分業化されており、なかなか手間のかかるものだそうです。

管理人は以前に、昔先祖がお殿様から拝領したという脇差の名刀を見せてもらったことがありますけど、もぉー刃がギラギラしてて、ゆっくり動かすと空気もスパっと切れそうな鋭さ。
「触ってもいいよー」と言われましたけど、とてもとても、うかつに触ったら指がぽろっと落ちそうで、怖いのなんの。
よく映画で外人さんが、日本刀を振り回すシーンとかありますけど、実物を1回間近で観てみろと、言いたいですね。

トップ絵は尾形月耕の手による「稲荷山小鍛冶」。
平安時代の刀匠・三条宗近が朝廷からの作刀依頼で、満足いく刀が打てなくて困ってる時、氏神の稲荷明神が手伝いに来てくれたの図。
この刀は「小狐丸」と呼ばれ一条天皇の佩刀となったそうですが、現在は所在不明だそうです。ザンネン…。
稲荷山小鍛冶(尾形月耕・画)

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元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317815950/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.7.12 23:47
    59の動画、やっぱりただ叩いてるだけなんだよなぁ。剣道のと同じ。
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.7.13 1:40
    刀剣作りは記紀神話にまで遡れるんだから結構な歴史だよなあ
    出雲大社の宝物殿で青銅剣のレプリカが展示されてるけど、金ぴかなんだとよく考えれば当たり前の事に衝撃を受けた
    緑青が浮くからにはやっぱり時間が経ってるんだよな、としみじみ思う
  1. >59の動画、やっぱりただ叩いてるだけなんだよなぁ。
    できれば達人にやってほしいところですよね。
    でも素人が叩きつけるだけでも、はっきりした違いが出てるんで、まぁ優れた武器だと言えるのでは…。

    >刀剣作りは記紀神話にまで遡れるんだから結構な歴史だよなあ
    ほんとにそうですよね。
    昔の剣は直刀でしたけど、日本の風土にあった改良と研鑽がなされて現在に至るわけで、悠久の歴史がそこにあるんですよね。ロマンだ…。
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.7.13 17:23
    >空気もスパっと切れそう
    良い表現ですね。あの怖さ、迫力はなかなか他では味わえないですよね。
    職人さんの魂の成せる業なんでしょうか。
    • >あの怖さ、迫力はなかなか他では味わえないですよね。
      そう!そうなんですよね。
      やっぱどんだけ美しくてもひとを殺す武器なんだなー…と。
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.7.15 21:13
    アリアドネの糸に吹いた。やっぱり日本刀、特に野太刀には素人だけど浪漫を感じる
    • 室町時代の大太刀なんてものは、カブトも真っ二つ!なんて話もありますよね。
      細身で流麗な日本刀もいいけど、無骨で豪快な太刀もイイ!
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