人気サイト様 最新記事

博士ちゃんねる ヘッドライン

レスの強調ウゼェー!というドクターへ

レス内の強調表示をOFFにする コチラをクリックして切り替えてください。設定は30日間Cookieに保存されます。
現在のステータス:強調有効

日本史上で最も陰鬱として暗い時代はいつだったか @ [日本史板]


日本史上で最も陰鬱として暗い時代はいつだったか @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2013/01/28 09:50:59
民衆の生活レベル、絶望感、文化の停滞、政治の混乱など
総合的に見て、いつごろが日本最大の暗い時代だったのか
2: 日本@名無史さん 2013/01/28 10:49:04
現在
3: 日本@名無史さん 2013/01/28 14:50:25
新生児まで殺して食べていた天明の大飢饉のとき
天明の大飢饉 (Wikipedia) 天明の大飢饉(てんめいのだいききん)とは、江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉である。江戸四大飢饉の1つで、日本の近世では最大の飢饉とされる。
6: 日本@名無史さん 2013/01/28 20:52:08
マジレスすると江戸時代。
庶民にとっては縄文時代以下の地獄。
7: 日本@名無史さん 2013/01/28 22:04:11
戦国後期~安土桃山時代だろ。
連日戦争、虐殺、奴隷狩りだし、日本から海外に売り払われた奴隷は数十万と
言われている。
69: 日本@名無史さん 2013/03/30 01:20:14
>>7
真面目な研究資料ってないの?
戦国時代の隠れユダヤ人による日本人奴隷貿易。その実態を示す貴重な資料が見つかる。 (サンチュウ) 日本人奴隷貿易を示す貴重な資料が見つかったとのことです。
「日本人奴隷」3人、メキシコに…安土桃山時代
読売新聞 5月13日(月)14時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000675-yom-soci
(中略)
ペレスはマニラ在住時の96年、隠れユダヤ教徒として当局に逮捕され、有罪判決を受けた。次の異端審問のため一家は97年12月、マニラから太平洋航路でスペイン領メキシコ・アカプルコに移送された。その審問記録に、ペレスの「奴隷」として3人の名があった。
管理人:これをもって大規模な奴隷売買があったとは断言しにくいですね。ややユダヤ陰謀論ぽいですが、一応そんな説もあるよということで。
当時のキリスト教社会(ユダヤ教はもっと過激!)では、異教徒は人非人扱いであったということは事実ですから、あってもおかしくはないですけど。
10: 日本@名無史さん 2013/01/28 22:47:26
糖尿貴族が好き勝手してた平安時代
12: 日本@名無史さん 2013/01/29 23:22:32
8世紀中頃、東国から防人に徴兵された農民は悲劇。
行き帰り、滞在中の食料全部自分持ち
防人 (Wikipedia) 防人(さきもり / ぼうじん)は古代中国や、日本の飛鳥時代から平安時代、律令制度下で行われた軍事制度である。
日本の防人は、663年に朝鮮半島の百済救済のために出兵した倭軍が白村江の戦いにて唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から九州沿岸の防衛のため設置された辺境防備の兵である。
13: 日本@名無史さん 2013/01/30 07:16:20
>>12
防人は史実だろうけど、なんか合点がいかない。
例えば東京都のどこかから太宰府まで行くとして旅費自腹、貨幣経済は未整備。
貨幣がわりに米もって歩いたのかな?太宰府までたどり着かないと思うが。
京都辺りまで行けても、九州までは荷物の重さ的に無理では。

山上憶良は自分が地方勤務が嫌で、農民にかこつけて、自分の愚痴を書いたと根拠もなく想像してる。
山上憶良 (Wikipedia) 山上 憶良(やまのうえ の おくら、(斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。
春日氏の一族で、粟田氏の支族とされる[1][2]が、中西進ら文学系研究者の一部からは百済系帰化人説も出されている。
(中略)
憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ それその母も 吾(わ)を待つらむそ(『万葉集』巻3-337)
37: 日本@名無史さん 2013/02/07 20:35:18
>>13 あれ自腹は行きだけじゃなかったっけ?
都からは地方に赴任する役人が送ってくれるのかと思ってた
68: 日本@名無史さん 2013/03/30 00:10:00
マジレスすると>>12ではあるまいか?
母無し幼子を置いて…とかいう歌読むとかわいそすぎる
20: 日本@名無史さん 2013/02/01 14:18:07
治承・寿永内乱期 だと思います
旱魃、飢饉に加えて戦乱による食料、人員・金品の供出、平家軍、木曽軍、軍倉がこ後に略奪に来る状況により、村落は崩壊、
やっと耕作した田畑も、実る前に軍馬の餌にするために刈り取られたり
都の中心部だけでも数万の病死餓死した死体が数えられており、普通に地獄だったようです。
28: 日本@名無史さん 2013/02/03 14:18:51
いや、20の言ってる通り、治承寿永あたりだろうね。
大飢饉続きの中で従来の動員規模をはるかに超えた10数万から20万の軍兵や杣工が駆り出され
5年にわたって内乱を繰り広げた地獄みたいな時代

江戸時代なんてスーパー天国だよ
治承・寿永の乱 (Wikipedia) KGvdaUzA 治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱である。古代最後の内乱であり中世最初の内乱である。後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機に各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、最終的には、反乱勢力同士の対立がありつつも平氏政権の崩壊により源頼朝を中心とした主に坂東平氏から構成される関東政権(鎌倉幕府)の樹立という結果に至る。
一般的には「源平合戦(げんぺいかっせん、げんぺいがっせん)」あるいは「源平の戦い(げんぺいのたたかい)」などの呼称が用いられることがあるが、こうした呼称を用いることは適当でないとする議論がある(詳しくは後述)。また、奥州合戦終結までを治承寿永の乱に含めるという見解もある[1]。
23: 日本@名無史さん 2013/02/02 20:36:24
二十歳になったら有無を言わさず徴兵され、南方や孤島に送られ無茶な作戦で玉砕させられる若き帝国陸軍兵士もかわいそう。
31: 日本@名無史さん 2013/02/03 23:26:31
江戸時代農業の数量的発展(鬼頭宏『環境先進国江戸』P58)
         (万人) (万町歩) (万石) (万石)
 時期     人口   耕地   石高   実収石高
1600年頃 1.227  220  1.851  1.973
1650年頃 1.750       2.313  2.313
1700年頃 3.128  296  2.580  3.063
1750年頃 3.101       2.970
1830年頃 3.248  306  3.043  3.976
1870年頃 3.481  359  3.222  4.681
『数量経済史入門』、『明治維新の基礎構造』
33: 日本@名無史さん 2013/02/04 13:51:26
>>31
おや、江戸時代の実高は天明以降も順調に増えてるじゃないか
なんで人口が増えなかったんだ?
32: 日本@名無史さん 2013/02/04 02:33:30
赤紙が大量発行された時代
首都空襲、食料不足、広島原爆だった
35: 日本@名無史さん 2013/02/06 23:26:25
いつも思うが飢饉の時は魚取って凌いでればいいと思うがそうはいかないのか
36: 日本@名無史さん 2013/02/06 23:47:13
だいたい魚100gで100kcal
さんまとか油が多い魚ならこの倍

餓死しない最低限のカロリーが1200kcal/日とすれば
毎日さんま8匹食えば良い
イワナだと15匹ぐらいか

魚や肉のみで補おうとすると、毎日だし家族分も含むから
プロ中のプロじゃないと不可能な量になる


ご飯だと5杯ぐらいですむ
穀物は極めて効率がいいんだよね、保存できるし逃げないしw
穀物依存と人口増が飢餓の原因でもある
39: 日本@名無史さん 2013/02/09 08:55:16
後世からみれば平成も候補に挙がるのだろうか?
長引く不況、自殺者3万人超が十数年続く、日本始まって以来の人口減少化・・


でも、このスレで挙がってる他の時代に比べたら余程恵まれてるか
44: 日本@名無史さん 2013/02/12 08:18:14
兵農分離するまでは、農閑期に戦争してたよな
46: 日本@名無史さん 2013/02/13 19:43:13
鎌倉時代だろ
狭い鎌倉の中で陰湿な権力闘争の繰り返し
47: 日本@名無史さん 2013/02/13 20:07:07
>>46 政争って面では平安時代の道長あたりに匹敵するね。
歴代執権が軒並み早死になのもストレスから来る過度の飲酒が原因かな?
権力者があれだけ寿命が短いのも珍しい
58: 日本@名無史さん 2013/02/25 19:21:54
現代や江戸や戦前は「最も暗かった時代」ではあり得ないな。
59: 日本@名無史さん 2013/02/26 02:29:49
江戸の町民にとっては江戸時代は暗い時代じゃないな
うちの地方のように飢餓だらけの地方はちがうけど
60: 日本@名無史さん 2013/02/26 03:09:18
城下町は恵まれてるだろ何処も
61: 日本@名無史さん 2013/02/26 03:36:52
最初の方にも出ていたけど、やっぱ平安末期の
「治承・寿永内乱+養和の大飢饉+疫病大発生+M7級地震×3」
でFAかも知れないな、そら末法思想も流行るわ
養和の飢饉 (Wikipedia) 養和の飢饉(ようわのききん)は、養和元年(1181年)に発生した大飢饉である。源氏・平氏による争乱期(治承・寿永の内乱)の最中に発生した飢饉であり[注釈 1]、『源平盛衰記』や『方丈記』、『玉葉』、『吉記』、『百錬抄』など当時の状況を詳細に記す史料も多い。
前年の1180年が極端に降水量が少ない年であり、旱魃により農産物の収穫量が激減、翌年には京都を含め西日本一帯が飢饉に陥った。大量の餓死者の発生はもちろんのこと、土地を放棄する農民が多数発生した。地域社会が崩壊し、混乱は全国的に波及した。
66: 日本@名無史さん 2013/03/20 03:53:15
江戸時代の末期なんてまったく閉塞感漂ってないぞ

世界的に見たら江戸の城下町なんて大変な人口集住地だよ
南部の飢饉は米作モノカルチャーの失敗で、生産力じたいは中世のほうがはるかに低い
74: 日本@名無史さん 2013/04/03 18:19:44
満州・朝鮮などで多数の邦人が虐殺・強姦され
国内は米軍や三国人が横暴の限りを尽くした
1945年からの数年間
75: 日本@名無史さん 2013/04/03 22:10:23
将来への希望が乏しいという点では今が史上一番かもしれない。
ただ現状の生活面とかでは今はむしろ良い時代の部類に当然入るだろう。
今は希望暗黒時代、将来期待(短期でなく、長期においての。)暗黒時代
といってもいい。
こんな時代は縄文時代などにも存在しなかっただろう。
もし生活水準が壊滅的になれば逆に将来など考える暇もなく
悲観にふけっている暇もなくなると思うが。
76: 日本@名無史さん 2013/04/03 22:16:19
先の戦争の頃は生活という面では厳しかったが(もちろん戦争が終わって直後も)
国民が神州不滅と洗脳されていたから
世の中に悲観主義が覆うことはあんまりなかったと思う。

もちろん生活はどんどん悪くなる一方だったので
国民が悲観的でなくても辛い時代だったことは容易に想像できる。
地方は空襲もなく自給自足でいうほど悪くなかったらしいが・・・
79: 日本@名無史さん 2013/04/04 04:20:54
こういうスレで「現代」とか言ってる人って
想像力皆無なのか知らん?

喩えていえば、東日本大震災&福島原発事故並の
大災害が毎年、日常茶飯で生じているような時期が日本史にはたくさんあったわけだが、
それでも本当に「現代」の方が「陰鬱」で「空気が暗い」とか言うわけ?
83: 日本@名無史さん 2013/04/04 06:08:43
>>79
言っておくけど高齢化社会のほうが教育コストがかからないぶん、多産社会より負担は軽いんだぞ
生産年齢人口の上下でバランスが取れているにこしたことはないが、多産少死が実現したら必ず高齢社会が来る
長寿と言うのは文字通りおめでたいことだ
87: 日本@名無史さん 2013/04/06 01:12:28
>>79
福島事故が原爆投下と同程度の大災害だと信じて何も疑わない人々
ばかりなのを見ると、やはり今の日本は平和だなぁと思う。
何百万人が空襲を避けて疎開し、一瞬のうちに何万人が殺されたことと、
結局誰も死んでいない発電所事故と、違いは明確だが。
89: 日本@名無史さん 2013/04/28 11:19:06
方丈記読むと悲惨だね。
貧窮問答歌は読んだことないから分からない
方丈記 (Wikipedia) 『方丈記』(現代語表記:ほうじょうき、歴史的仮名遣:はうぢやうき)は、鴨長明(かものちょうめい)による鎌倉時代の随筆。長明は晩年、京の郊外・日野山(京都市伏見区日野町)に一丈四方(方丈)の狭い庵を結び隠棲した。彼が庵内から当時の世間を観察し、書き記した記録であることから「方丈記」と自ら名づけたのが本作品である。日本中世文学の代表的な随筆とされ、約100年後の『徒然草』、『枕草子』とあわせ「日本三大随筆」とも呼ばれる。
(中略)『方丈記』の中で長明は、安元3年(1177年)の都の火災、治承4年(1180年)に同じく都で発生した竜巻およびその直後の福原京遷都、養和年間(1181年~1182年)の飢饉、さらに元暦2年(1185年)に都を襲った大地震など、自らが経験した天変地異に関する記述を書き連ねており、歴史史料としても利用されている。
90: 日本@名無史さん 2013/04/28 22:37:13
気候寒冷化の時代がやはり大変だと思う
飢饉と戦乱が頻発する
日本だと南北朝から江戸中期くらいまでが
確かそうだったんでしょ?
91: 日本@名無史さん 2013/05/05 21:26:42
>>90
平安末期から寒冷時代だったらしい。
不作で飢饉続いたし、鎌倉時代には夏にも綿入れ着ていたことがあったらしい。
93: 日本@名無史さん 2013/05/19 08:44:41
>>90
古墳寒冷期

これは世界各地で証明されている。
気候寒冷化により中央アジア、モンゴルの遊牧民、騎馬民族が南下した時代。
中国では北方騎馬民族が活発に南下侵入し戦国時代になる。
日本では関東一帯に騎馬民族が古墳を多数築く。
関東の古墳からは馬具が大量に出てくる。

ヨーロッパではフン族HUN(匈奴)が西方へ移動しゲルマン諸族を押し出し
西ローマ帝国は崩壊する。
94: 日本@名無史さん 2013/05/19 08:57:19
>>93
その時代、倭は北上し朝鮮半島を支配したぞ
92: 日本@名無史さん 2013/05/17 00:50:44
小氷期は13世紀遅くくらいからでは?それまでは温暖期じゃないか
京で3度くらい気温が下がったのだろ。永井が鎌倉幕府滅亡の遠因に挙げてるね
小氷期 (Wikipedia) 小氷期(しょうひょうき、英:Little Ice Age, LIA)とは、ほぼ14世紀半ばから19世紀半ばにかけて続いた寒冷な期間のことである。小氷河時代、ミニ氷河期ともいう。この気候の寒冷化により、「中世の温暖期」として知られる温和な時代は終止符を打たれた。当初、小氷期は全球的な現象だったと考えられていたが現在はその規模に疑問の声が投げかけられている。例えば、過去1,000年間の北半球の気温の推定値は明白な寒冷期を示してはいない[要出典]。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、小氷期を「期間中の気温低下が1℃未満に留まる、北半球における弱冷期」と記述している。なお、氷河学的にはこの間や現在なども含めて氷河期の中でも比較的温暖な時期が続く、間氷期にあたる。
管理人より:以前聞いた小氷期の説明も↑に近かったと思います。なので、>>93はやや勘違いかな?
100: 日本@名無史さん 2013/06/22 10:48:04
戦後の日本に関していえば、民主党政権の3年間はガチ。
バカでも実感出来る程に日本を傾かせたから。
黒歴史そのもの

以前、福岡の「能古島」というところで、防人の狼煙の跡を見たことがあります。
1500年以上も前、遠く故郷を離れて、こんな寂しいところで、来る日も来る日も見張りを続けてたんだなーとおもいつつ。
でもまぁ、外国の歴史と比べて見れば全体を通して、日本は超幸運な国だと思いますよ…。
とてつもない日本 (新潮新書)
麻生 太郎
新潮社
売り上げランキング: 6,338


元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1359334259/

人気サイト様 最新記事

博士ちゃんねる ヘッドライン

  1. ドクターのコメントをお待ちしております!

  1. トラックバックはまだありません。


コメ欄での議論はおおいにけっこうですが、当サイトではドクター同士の罵り合いは禁止となっております。反論する際には、相手の意見・人格を尊重し、どうぞ冷静に。
*