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日本史における忍者の歴史について語るスレ @ [日本史板]


日本史における忍者の歴史について語るスレ @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/24(土) 21:32:03
忍者とは
何処から来て
何処へ去っていったのか


スレが無いので立ててみたよ~ん
5: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/24(土) 21:42:48
オン キリキリバサラ ウン バッタ~
管理人より:密教の「真言」という呪文のようなものが↑こんな感じですね。「バッタ~」とかあるのか知らないですが。
まんが猿飛佐助 OP ED8.23追記:悠久の時を経て、コメント欄でドクターから教えていただきました。感謝!
このアニメ管理人が生まれる前だなー。でも確かにバッタ~と言ってます。
6: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/24(土) 21:45:47
石川五右衛門
百地丹波
白雲斎
服部半蔵
千葉真一


けっこういるじゃん
7: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/24(土) 21:56:51
 ,.――――-、
 ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ
  | | (・)。(・)|
  | |@_,.--、_,> <
  ヽヽ___ノ
14: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/20(金) 17:47:51
そういや、近所でくの一を捕獲したよ
年の頃は11-12歳で外見は飛び抜けて可愛らしいけど、俺は一目みてピンときたね
あっこいつは悪の組織のくの一だ」ってね


白い肌に長い黒髪に膨らみかけた胸に赤いランドセル
素人にはただの可愛らしい小学生に見えるけど、それがくの一の擬態だってのは俺クラスの玄人には一目瞭然

捕獲には抵抗を受け苦労が伴ったけど、何とか成功したし、今は陰核や膣や乳頭や肛門を責めて口を割らせてるところ
でも流石にくの一未だに擬態を演じ続けてるし泣き叫んでるが口を割はしていない


くの一恐るべし
15: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/20(金) 18:31:58
>>14
玄人おそるべしw
22: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/24(火) 01:38:29
>>14
通報していい?
54: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/17(木) 00:02:48
>>14
人妻くの一を捕獲したら報告頼むぞ
16: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/20(金) 20:48:25
飛び加藤age
管理人より:「飛び加藤」というのは、加藤段蔵という有名な忍者(と言われているひと)。屋根の上をぴょんぴょん飛んでとても敏捷だったことから、このアダ名がついたと言われています。
18: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/21(土) 06:15:29
池波正太郎の「忍びシリーズ」とりも面白いよ。
フィクションだけどね。忍びの旗は特に良かった記憶がある。


甲賀の忍者屋敷には、過去二度ほど行った。
甲賀忍術屋敷

当時は、堀や高垣根を巡らした屋敷も相当にあったといわれており、個々の屋敷がまるで城(砦)の機能を有していたらしい。
21: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/23(月) 23:37:05
最後の活躍は島原の乱らしいな。
太平の世に忍者は職を失いましたとさ。
江戸時代中には超極秘だったはずの忍術が本になっちゃった。
23: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/01(火) 00:24:58
間宮林蔵>>21
忍者はともかく公儀隠密は幕末まで残った。間宮林蔵が有名だな。
多くの公儀隠密が薩摩にだけは浸透できなくて「薩摩飛脚」と呼ばれて、一旦薩摩に入れば戻ってこれないと言われていたが、間宮林蔵は薩摩での諜報に成功している。
27: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/09(水) 09:13:28
かなり昔だけど、TVで現代の忍者が出てたのを思い出した。
甲賀の忍びの家柄のオッサンで普通の職についてるんだけど、通勤中は股に鉄球を挟み込み拳を打ちつけながら運転。
当然、手はものすごい拳タコでゴツゴツ。
夜は鉄板の上に針を落として集中力と聴覚の強化。

他にも何やかんややってた。

カッコイイけどこんな時代に何してんだろう?」と子供ながらに思ってた記憶がある
28: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/10(木) 03:20:40
あ、そのTVワシも見たのう。平山行蔵を思い出し感涙っ!
30: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/10(木) 13:28:24
「推古天皇十年冬十月、百済僧観勒来之、仍貢暦本及天文地理書、并遁甲方術之書也。
(推古10年冬10月に、百済の僧の観勒がやって来て、暦の本、天文地理の書それに遁甲方術の書を貢いだ。)」(紀)
この「遁甲」というのは、占いのようなものだという解釈もあるが、忍術のことだという説もある。
少なくとも、ずっと後の時代では、遁甲=忍術 である。


また、天武天皇即位前紀の
能天文遁甲(天武天皇は天文遁甲が得意だった。」(紀)
も有名。
天武天皇=忍者 と言い切る説もあった。
管理人より:
         ナ ゝ   ナ ゝ /    十_"    ー;=‐         |! |!
           cト    cト /^、_ノ  | 、.__ つ  (.__    ̄ ̄ ̄ ̄   ・ ・
 ミミ:::;,!      u       `゙"~´   ヾ彡::l/VvVw、 ,yvヾNヽ  ゞヾ  ,. ,. ,. 、、ヾゝヽr=ヾ
 ミ::::;/   ゙̄`ー-.、     u  ;,,;   j   ヾk'! ' l / 'レ ^ヽヘ\   ,r゙ゞ゙-"、ノ / l! !ヽ 、、 |
 ミ/    J   ゙`ー、   " ;, ;;; ,;; ゙  u ヾi    ,,./ , ,、ヾヾ   | '-- 、..,,ヽ  j  ! | Nヾ|
 '"       _,,.. -─ゝ.、   ;, " ;;   _,,..._ゞイ__//〃 i.! ilヾゞヽ  | 、  .r. ヾ-、;;ノ,.:-一'"i
   j    /   ,.- 、  ヾヽ、 ;; ;; _,-<  //_,,\' "' !| :l ゙i !_,,ヽ.l `ー─--  エィ' (. 7 /
       :    ' ・丿   ̄≠Ξイ´,-、 ヽ /イ´ r. `ー-'メ ,.-´、  i     u  ヾ``ー' イ
        \_    _,,......::   ´゙i、 `¨ / i ヽ.__,,... '  u ゙l´.i・j.冫,イ゙l  / ``-、..- ノ :u l
    u      ̄ ̄  彡"   、ヾ ̄``ミ::.l  u   j  i、`ー' .i / /、._    `'y   /
               u      `ヽ  ゙:l   ,.::- 、,, ,. ノ ゙ u ! /_   ̄ ー/ u /
            _,,..,,_    ,.ィ、  /   |  /__   ``- 、_    l l  ``ーt、_ /  /
   ゙   u  ,./´ "  ``- 、_J r'´  u 丿 .l,... `ー一''/   ノ  ト 、,,_____ ゙/ /
         ./__        ー7    /、 l   '゙ ヽ/  ,. '"  \`ー--- ",.::く、
        /;;;''"  ̄ ̄ ───/  ゙  ,::'  \ヾニ==='"/ `- 、   ゙ー┬ '´ / \..,,__
 、      .i:⌒`─-、_,....    l   /     `ー┬一'      ヽ    :l  /  , ' `ソヽ
 ヾヽ     l      `  `ヽ、 l  ./  ヽ      l         )  ,; /   ,'    '^i
31: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/10(木) 14:18:21
織田信長以前と以後の兵制を理解しようね、まず。
例えば、豊臣秀吉は足軽時代、清洲城下で足軽長屋で暮らしていた。
これが画期的なこと。
つまり、信長が「いざ、出陣じゃ~」ってわめいたら、即出陣できる。


けど、普通の大名は、「いざ、出陣じゃ~」っていうと、重臣(豪族)連中が「承りました」って言って、領内で陣触れする。
具足を身に着けて御館様のとこに集結する。
で、そっから、出陣。
これは時間かかるでしょ?こんな時間かかるなら、この陣触れが出るのを、商人やら歩き巫女やら山伏に化けたのを潜伏させれば、ああ、出陣したねって言って、歩いて報告して間に合う。

けど、清洲で信長が、「いざ、出陣じゃ~」って言って、その日のうちに出陣されると、そんな軍隊が来るころと、潜伏した忍びが報告するのはほぼ同時。
これじゃ意味ないでしょ?
そういう、編成に時間がかかる封建社会の軍隊だと忍びはとても有効。
32: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/11(金) 08:47:00
>>31
相手側に攻め入る場合は当然ながら物資兵糧は備蓄以上に消費されるのだが

確かに目的目標が不明でも兵の移動はそれ自体が重大事
相手側の軍事動向は戦国以前からもっと効率的な諜報活動で行われていましたよ

軍事活動が表面化する以前に近未来の他国側の動向を掴むことを重要視されてたんですよ
39: 31 投稿日:2007/05/11(金) 23:17:35
おまえら文章読解能力ないのか?
諜報活動が信長の即時対応型&絶対王政的システムだとその効果が半減するけど、それ以前だと有効だと書いただけだが?

例えば、三好三人衆に京都の足利義昭が攻撃されたとき、織田信長が即日に軍を京都に向けて出した。
信長が進軍しろといえば、即日に進軍開始する。城下町に常時駐屯して、常時、荷駄隊が待機してるからな。
重臣連中(豪族)と評定せず、信長が命令を出すまではわからない、情報が漏れない。
こういう軍制になる以前はしのびは有効だと書いたんだよ。

>>32
>軍事活動が表面化する以前に近未来の他国側の動向を掴むことを重要視されてたんですよ
だから、俺はそういうことを書いたんだよ。豪族連中と評定もするし、出陣の準備期間もいるしな。
専門の荷駄隊もないから、豪族連中も手弁当だしな。
けど、城下町に常時出陣できる体制で常備軍が駐屯して、絶対王政的にトップが口に何かを出すまでは、確実な情報が来ない軍制になると、その効果は激減するってことだ。
34: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/11(金) 12:40:57
>>31
君は諜報活動というものを、まず理解しようね
36: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/11(金) 18:23:53
まぁ敵対させないか自滅させるのが一番の諜報だ罠
軍を動かされるまで情報が入って無いのは下の下のさらに下
45: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/12(土) 00:05:22
なんか個人攻撃みたいで悪いが基本的な部分をつっこませていただくと
歩き巫女」は武田の望月家の所属。信長の忍びは「響談」と言う偽書類を作る潜入工作員。

北条の風魔は物見武者と言う騎馬盗賊。それぞれ得意分野が異なる。

ちなみに江戸幕府は伊賀、甲賀、根来の鉄砲100人同心を常備し、後に紀州川村家が御庭番として加わる。

あと、陣ぶれには太鼓や法螺貝、狼煙、を使えばもっと早いし正確だけど・・・
33: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/11(金) 12:20:03
裏柳生って忍者なの?
確か、初代裏柳生は千葉真一だったよな。
48: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/13(日) 03:19:39
>>33
たしか裏柳生とは尾張柳生連也が浦姓だったからだとか
49: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/13(日) 15:08:57
オー博学だな!
浦氏が忍者みたいな諜報活動をしたの?
柳生烈堂(子連れ狼)
管理人より:「裏柳生」というのは、マンガ「子連れ狼」に出てくる、架空の集団のようです。総帥は柳生烈堂。画像はテレビ版です。

柳生連也斎についても、「柳生烈風剣連也」というマンガがあったようですね。
50: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/14(月) 01:27:33
と言うか柳生連也斎厳包=幼名島新六。あの島左近の孫だぜ・・・
51: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/15(火) 01:39:58
わかりづらいかな?ちょっと訂正

柳生連也斎厳包=浦連也、島新六
母は島左近の娘だった・・・?
柳生家と島家は筒井家臣で旧知の間


>47
伊賀上野市に行ったら、ピンクの忍び装束を着たくノ一が、美女からばあさんまでイロイロいた
たぶん相手の好みに合わせて取りそろえているんだと思う。奥が深い。。。。
52: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/15(火) 22:31:55
へぇー、柳生家と島家が縁戚とはね。
天敵三成の至宝島左近の血をひく者と柳生が交わるとは。
ある意味凄いことだよね。


俺も伊賀上野市へ行ったら、ピンクくの一と忍術合戦したいな。
38: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/11(金) 21:13:23
くの一は、上忍よりセックスを仕込まれ、絶対に逝かない術と必ず逝かせる術を修得する。
上忍は、そんなくの一を必ず逝かせるテクを身に付け、くの一を逝かせまくり、裏切れないよう調教するのだよ諸君。
凄いドラマだよな。
くの一の性技で骨抜きにされた歴史の舞台裏は沢山あるだろうな。
47: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/12(土) 23:02:04
くの一は、美人で構成していたのだろうか?
かすみ(NINJA GAIDEN 3)
あやね(NINJA GAIDEN 3)
管理人より:美人くノ一参考画像。「NINJA GAIDEN 3」にDOAのかすみとあやねが参戦!というニュースより。忍ぶ気まったくナシ。
55: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/18(金) 12:38:59
ついにくノ一の口を割らせた玄人たる俺
聖水や黄金で薄ら汚いし、隠核は腫れ上がり肛門や大隠小隠が捲れ上がり、乳頭が千切れ上がり生理が上がっても、女子小学生の擬態をとかないなんて、流石にくノ一、敵ながら天晴れ



母子家庭で姉のくノ一と母のくノ一がいると口を割ったが、それ以上は泣き叫ぶだけなんて、凄まじい精神力

しかし正義のプロフェッショナルにはこれだけの情報で必要十分
制服を着込み発育良好な女子中学生に擬態したくノ一と、熟れた感じの母親を擬態したくノ一を急襲し、責めぬくのが正義たるゆえん計画は立案済み

細工は隆々あとは仕掛けを御覧じよ
56: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/20(日) 01:53:13
くだらん文章考えるね
57: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/20(日) 12:47:13
くの一の忍法に朝までトロトロに溺れたい
58: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/22(火) 08:02:33
くの一忍法で白昼タップリ犯されたい
59: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/22(火) 12:35:36
最 低 だ な
60: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/24(木) 01:41:38
まあ、藤堂藩伊賀上野城の日本一の石垣は結構凄いよ。
忍者屋敷とかも有ってわりと面白かった。
65: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2007/05/29(火) 22:19:16
忍者はともかく、訓読みの「忍の者」であれば江戸時代、17世紀までは遡れますが、戦国期には相当する潜入・放火などを行う連中は、悪党などと雑多な名称で呼ばれており、「忍の者」とは呼ばれていません。
初見は何なのでしょうか。
忍というのは敵の城や陣に潜入することで、火付などとは区別されたようです。どちらも同一人が行ったようですが。
つまり、忍は忍を行う人間の技能の代表ではあったが、総称ではなかったと。
集団では「忍の衆」と呼ばれていますね。やはり江戸期の例ですが。
66: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/30(水) 01:12:01
忍者、忍び、という言葉自体は萬川集海に出てきますね。潜入・放火も忍軍法の一種と定義されています。
「清光親王籠城しける処、其の時天武天皇の御方より『多胡弥』と云う者を忍びに入れ・・・
多胡弥忍び入って城内に火を放ちければ其の城落ちしとなり。是和朝にての(忍びの)始めなり

(忍術問答由来章)

まあ、萬川集海は江戸期の編纂っすけどね・・・

孫子だと「」。中国では「細作」ですか。
一応シノビの読みは大伴細人が「志能便」(良き便りを志す者)と呼ばれたとか・・・まあ伝説っすけどね。
ちなみにくノ一の術の元祖はヤマトタケルの女装だとか。三船敏郎の女装はきつかったッスw
67: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/02(土) 01:02:34
真田信幸の家臣で上野沼田城に加沢氏の記録が有るそうです。
「吾妻住人の割田下総守とて勇猛の兵有り。第一忍の上手・・・」

(加沢記)



また見聞雑録には武田陣中に犬の皮を被った忍の者が入った記述が有ります
>被りし犬の皮を取り捨て小太刀を抜きて斬り結ぶ。。。飛びかかりて組合、忍の者力強く

(見聞雑録)

なんと忍法犬化けの術!やるなあ~

あと、和漢三才図会(江戸期)に『游偵シノビノモノ』という図が有るそうです。
>游偵は狗の革を頭から被り。。。符咒ありて百神を役う。。。其物を見ては則ち隠るべし。
犬神を模した修験者ではないかと言われています

また、上州治乱記に「北条の偸人者」という言葉が使われており、田村栄太郎氏の説では「偸人」なら「ぬすびと」だが「偸入」と読むなら「しのびいる」で、「北条の偸人者」は忍びの者と解釈もできるのではないかとか。

上記いずれも田村栄太郎氏の著作より抜粋。
まぁ、いずれも原文で読んだわけではないし文書の成立期もわからないのでオイラには結論は出せませんが
やはりふつうに忍びと言う言葉自体は有ったかもしれないッスね。
75: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2007/06/04(月) 00:09:14
>>66
これも近世の伝説だったと思います。

>>67
>忍法犬化けの術
『三才図絵』の挿絵が、まさにそれですよ。
犬の皮をかぶって、塀の上から松の木を伝って侵入しています。


>犬神を模した修験者ではないかと言われています
挿絵からは、そうは思えませんね。犬神というのも、四国の産ですし。
犬神伝説は、15世紀前半の阿波の文書に見えたというのが初見のようです
が、記録したのが江戸時代の書で、確実なのは江戸時代以降です。

それと、『加沢記』以下はいずれも江戸時代の成立ではないかと。
ほとんどの記録というかイメージは江戸時代の産物という気がします。
72: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/03(日) 07:01:53
忍者としての働きどころは、交通通信網のない時代に、如何に早く正確な情報を主に伝達できたか。
加えて主の指示に従い、時にはかく乱・工作活動も行なわれたかも知れないが。

真田幸村大坂夏の陣で名声を上げた真田幸村も、忍びの者による、かく乱があったのかもしれません。
73: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/03(日) 22:26:30
現代の警察、軍隊、外務でも諜報、攪乱、潜入工作はふつうに行われてるから当然やってただろうね
交通と言えば風魔の物見(斥候)は馬に巧み。武蔵党や真田や望月には馬牧が多い。
管理人より:真田幸村配下の忍びの者たちは、講談なんかでは「真田十勇士」と呼ばれ、大変な人気を博したそうですね。
真田十勇士のメンバーは以下の10名。

猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小助、由利鎌之介、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎。

架空、実在の人間が取り混ぜになっているようです。
76: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/04(月) 02:45:40
 天狗─山伏
  |    |
【秦氏】─忍者
  |    |
 武士─武道
77: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/05(火) 00:19:56
おっ!。先に書かれていた。
犬(狗)神を模した修験者と言うのは「天狗(アマキツネ)」=飯綱権現 と言う説ですな。

天狗草紙なる絵巻には裹頭の僧や稚児が集会する様子が描かれているそうです。
袈裟の裹頭、変声の僧は芸能で言う黒子のような存在であったとは勝野説。
僧兵の裹頭、変声から能狂言の仮面、変声。歌舞伎の黒子が派生したのではないか?とか。


しかし忍びの語源を探るだけでも意外と難しいッス。
もう少し軍事から宗教、芸能まで範囲を広げてみても良いかと思います。
78: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/05(火) 23:05:04
ところでこれはシノビ?
頼朝の上洛した際、後陣の随兵四十六番中、四十二番 楠木の四郎 忍の三郎 同五郎

『吾妻鏡( 文治六年十一月七日条)』

79: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/09(土) 01:39:38
とりあえず太平記っす。どうっしょ?
時の所司代都筑入道二百余騎にて夜討の手引せんとて、究竟の忍び共が隠れ居たる四条壬生の宿へ未明に押寄る。
楯篭る所の兵共、元来死生不知の者共なりければ、家の上へ走り上り、矢種のある程射尽して後、皆腹掻破て死にけり。

(太平記巻第二十四○三宅・荻野謀叛事 S2405)

82: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2007/06/16(土) 01:06:56
>>78
名字の地が「おし」だったのでしょう。忍城で有名な土地。

>>79
伝本によっては、巻25ですね。
工作活動をする専門集団というよりは、バラバラに隠れ潜んでいた兵たちのことでしょう。
もっとも、隠れ潜むという行動自体が一種の工作活動と言えなくもなく、14世紀らしい(前代には見られなかった)光景だと思います。

放火や忍び入ることを得意とした連中が勃興し始めたのが、この時代でしょうね。
83: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/18(月) 23:59:37
そうですね。
ただ忍びと呼ばれた下人、武者、工作員は居たと思いますが、工作活動をする専門集団、組織と言うのは、たぶん近代戦まで存在しなかったのではないかと思います。

例えば軍師は存在するが戦略を科学的に検証する参謀本部は存在しなかった。
物見、群盗は存在するが諜報機関は存在しなかった。
86: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2007/06/23(土) 22:28:55
>>83
仰る通りで、上忍・中忍・下忍という階層や鉄の掟などは存在しなかったでしょうね。
忍術書や兵法書に出てくる理想像はまだよく出来ていますが、事実とは異なるはず。

軍師の指図というのも占いよりで、敵が木気の方角にいるから金気の陣形で攻撃すれば勝てるなどと言っている。
陣形が本当に今でいう戦術的な目的で選択されたのか疑問も浮かびます。
87: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/24(日) 01:00:51
ああ、軍敗(軍配)ですね。
たしかに兵学、兵法(格闘技)の奥義書はそんな感じですね。
敵が○○の時には××の方角へ向けて◇◇の印を切れ」とかネタ満載です。

古代の孫呉が比較的合理的なのに比べても思い切りオカルトですね。
六トウ三略にしても義経記あたりでは世界を征服出来る書物と言う事になってしまいますしw

当時の戦術から考えても戦略的組織思想と言うより個人芸、職人芸の寄せ集めによる、経験とカンの戦術だったと思います。
もっとも大陸と違い日本のような地域の戦闘ではそれが一番強かったのでしょうけどw
88: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2007/06/26(火) 00:45:21
六韜』・『三略』は慶長年間に出版されていますし、孫呉の兵法とあわせて武田家などで読まれてはいたようですが、それよりも雑兵を利用しての放火や忍びの方が戦国期の戦という気がしますね。
姉川のような一日で終わる総当り戦の方が珍しかった。

『日葡辞書』に、「シノビ」の項目がありました。
戦争の際に、状況をさぐるために、夜、または、こっそりと隠れて城内へよじのぼったり陣営内に入ったりする間諜
だそうです。
例文は、「忍びが入った」。「の者」なしでも人を現したようです。

「軍配」として、
戦争のことについて占い判断をし、進発すべき日や戦端を開くべき日などを告げる者
という説明も見られます。
管理人より:「三国志」なんかを読むと、軍略の達人について「孫氏・呉氏の兵法に通じ、六韜・三略をそらんじ…」という描写がなされているので、古代中国ではとても有名な書物のだったみたいですネ!
80: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/10(日) 11:33:57
くの一が登場してないようだが?
81: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/10(日) 19:17:33
呼び方なんで飾りです
妄想さえできれば良いんですよ
84: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/19(火) 14:29:51
加藤鷹

本名加当鷹。日本出身と言われているが、詳しいことは不明である。
AV男優としての技術に優れ、最初は村西とおるの配下として仕えた。
このとき、とおるの命令で敵対しているAVメーカーからあるバイブを奪ってくるように命じられた。
すると鷹は、AVメーカーの警戒の目を見事にかいくぐってバイブを奪ってきただけでなく、そのメーカーと契約していた女優まで生け捕りにしてとおるの前に献上したのである。

ところがこの恐るべき腕をとおるから警戒されて、逆に暗殺を謀られることになった。このため、とおるのもとから去って、高橋がなりの家臣となる。

がなりのもとでも男優として優れた技術を見せたが、そのがなりからもやがて、そのあまりに優れすぎた男優としての技術を警戒されることとなる。
一説には、鷹が宇宙企画と内通したためとも言われている。

そして1569年、ハプニングバーに入っていたところを、がなりの命令を受けたチョコボール向井(またはミートボール吉野)によって暗殺されたのである。
享年67。

その優れた技術から、「飛び加藤」と称された。
85: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/19(火) 15:05:19
ナイスですね~
91: 日本@名無史さん 投稿日:2007/07/18(水) 19:39:30
忍者に憧れて伊賀地方に引っ越しした漏れさまが来ましたよ
92: 日本@名無史さん 投稿日:2007/07/22(日) 20:12:49
>>91
忍者になれた?
94: 日本@名無史さん 投稿日:2007/07/23(月) 18:50:24
4年くらい前、電車で伊賀、甲賀の駅を通ったな。
当時はそんな地名があることを知らなかったから衝撃を受けた。
そしてほんとに山、山、山・・・。
今でも忍者がいそうな雰囲気に興奮したよ。

1人で見知らぬ土地に行く途中で心細かったけど少し気が晴れた。
98: 日本@名無史さん 投稿日:2007/08/08(水) 11:48:50
披露宴とかどうなるんだろな。

ネームプレートがあっても人影はないが料理だけはキッチリ食べかけてあるとか
ケーキ入刀で何故かナイフ逆手持ちとか
ライスシャワーの替わりにまきびしシャワーとか
車の後ろにつける空き缶が竹のアレとか
ブーケトスに群がるくのいちズとか
引き出物が里の伝統工芸品の漬物とか

くノ一たちがキャーキャー言いながらブーケを奪い合う光景は、なんだか微笑ましいですが、実際には手裏剣と忍術の応酬で、煙玉が炸裂したり、分身の術で異常に人数が増えたり、ブーケを取った!と思ったら、変わり身の術でクマさんのぬいぐるみに変わっちゃたり、けっこう大変なことになりそう。

ハイ!というわけで、週末ですから、みんな大好き忍者スレのまとめです。元スレタイが「忍者の歴史」と短かったので長く伸ばしてます。
くノ一の房中術に関する妄想あり、一方で真剣な考察ありでなかなかおもしろかった。興味のあるドクターは元スレの続きもゼヒ読んでみてください。
もう忍者というと日本のみならず、海外でも、謎のシャドウ・アサシンということで、一種のアイコンと化してる感じですね。
実際の忍者ていうと、行商人とかに変装して、地味ぃーな諜報活動をしていて、まさに「忍ぶ者」なんですが、一方で小説・アニメ・マンガ・映画・ゲームなどでは、忍ぶ気まったくなしのド派手な忍法を使うキャラとして登場します。

「忍者」という言葉ができたのは、スレでもあるとおり、いつ頃か定かではないようですが、忍者相当の諜報活動を行う者たちは戦国時代からいたようですね。
「すっぱ」とか「らっぱ」とか「草」とか「根」とか、地方によっていろんな呼ばれ方をしていたそうですが。
大怪盗・石川五右衛門も実は忍者だった!とか、能の創始者、世阿弥・観阿弥親子も実は忍者だった!とか、いろんな説があっておもしろいですよね。

日本には現在CIAのような海外諜報機関というのがないことになっていますが、将来作ることになったら、その名称はゼヒともなにか適当な言葉の頭を取って通称「N.I.N.J.A.」ということにしてもらいたいところ。
きっと、海外からは一目おかれる存在になると思います。

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元スレ:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1174739523/

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博士ちゃんねる ヘッドライン

    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.8 22:54
    聖徳太子が養成した大伴細人が伊賀忍者のルーツというのは当の伊賀忍者が箔付けのために言いだしたことなんでしょう。武田、上杉、北条の忍衆は戦国の世が収まってしまうと江戸に移り住み、主に盗賊、遊郭、古着屋の三職に分かれて繁栄したそうです。
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.8 23:19
    ワイは滋賀の出身やけど
    甲賀には今でもへんな土塁の有る家とか有るでー
    知り合いに伴とか服部とか望月とかおるしな

    ちなみにスレの甲賀の末裔は川上仁一氏
    甲賀伴家忍びの伝の宗家や!大学で忍者学教えてるで~
    ほかに千葉の初見宗家とかも有名やで~
    胡散臭い言われてるけどどっちもどっちやで


    面白い情報やと甲賀の古い文献には
    毒飼いすべからづっていう文献があるんや~
    これは村の争いに毒殺すんなって意味らしいねん
    裏を返せばそれだけ毒殺術がひろまっとんたんやな~
    具体的な暗殺術がないなか時代的客観性の有る数少ない文献やで~(出展忘れたけどw)
    バンセンシュウカイも甲賀古士の訴状も当時代の資料やないんやで~

    最後に一つ言うとくけど
    こうがやなくてこうかが地元読みやねん
    ワイは手裏剣術とか体術は一通り仕込んでるでー
  1. >当の伊賀忍者が箔付けのために言いだした

    ↑ほーなるほど。
    伊賀は徳川方について、すっかり繁栄しましたよねぇ。半蔵門なんて名前つけてもらっちゃって。
    ----------
    >甲賀伴家忍びの伝の宗家や!大学で忍者学教えてるで~
    ↑ッ!!?
    大学で忍者学!!??(゚∀゚)

    >毒飼いすべからづっていう文献があるんや~
    おお、忍者っぽい…。

    >こうがやなくてこうかが地元読みやねん
    そういえば雑賀も「さいか」って読みますもんね。

    >ワイは手裏剣術とか体術は一通り仕込んでるでー
    ちょっ!リアル忍者ーー!??(゚∀゚)
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.9 12:40
    アメリカではアニメを史実と思ってインチキ忍者がはびこってる。
    まあ普通の忍者感はアニメによる全くのウソ。
    簡単言うと専門エクキパート集団。
    化学に詳しい火薬も造れるヤツに、宮大工、木登りスイミングなどだね。
    目的は爆破したり、一夜城など造ったり堀を泳いだり城を登ったりだな。
    忍法とか手裏剣シュシュもウソ。古武道はあるけれどね。
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.9 18:25
    ニンジャはいない。いいね?
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.9 19:40
    忍者が草で草
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.9 22:00
    ハットリくんは伊賀、ケムマキケムゾウ(*昔、杉良太郎がやってた)は甲賀、花のピュンピュン丸は風魔、風魔って本当にあったのっ?
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.9 22:05
    文献では聖徳太子以来ってことになるんだろうだが、そこから戦国時代に繫がるものがない
    平安時代の奇手を全部陰陽寮とかに追っつけるのはキツいし、室町時代の悪行を全部山賊野盗におっ被せるのもキツイ
    忍(しのび)ってのが「人の世に忍ばざるる得無い」立場なら、そんな奴どこの時代にもいるぞ
    忍者っていう職種じゃなくて、そう言うカテゴリーに存するってのを自称する人間がいるのはいつの時代にもあり
    で、時代(&当時の治世)によって、そういう輩がわっと一時的に増殖するのは仕方ないと思う
    ただ、そういう一次的騒動屋は昭和的暴走族と一緒で、それを自称する人間は絶対に”忍び”ではない
    「忍びとは、”心の上に刃を置く”モノ」って、そういうことらしいからね
  2. >忍法とか手裏剣シュシュもウソ。

    (´;ω;`)
    でも手裏剣はちゃんと残ってるからシュシュシュはないまでも、シュッ!くらいは…。
    --------------
    >ニンジャはいない。いいね?

    忍者はいますよ、アナタの心の中に。そして管理人の心の中に。
    --------------
    >自称する人間は絶対に”忍び”ではない

    ま、そうですね…。今もどこかに、人知れず「忍んで」いるかもしれませんよね。
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.11 17:34
    日本はスパイ組織を持っていないと言われてるけど、実際には諜報組織はある
    確立した中央集権勢力があれば、諜報機関を持つのは必然となるし、
    そうなると当然その役を担う人間が必要となる
    政権が交代して組織が一から作り直されたとしても、それを教えた人間がいるってんなら、
    今の時代にも何かしらそのエッセンスが残ってても不思議じゃない
    旧陸軍中野学校でも兵法書がテキストになってたくらいですからね
    • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.11.12 16:11
    三重県では、忍者で村おこしとか、大学と連携して忍者を餌に留学生を呼び寄せようとか、様々な情報戦を今でも繰り広げている。
    • ※12 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.12.28 11:51
    母の実家の本家の蔵には、如何にもたっぷり血を吸ってそうな刀や撒き菱や、その他、映画やコミックでしか見ない様な道具が沢山有りました。幼い頃よく蔵の中で遊んでいて、色々見ました。大人になってから思ったのは、「あの刀や諸々は、銃刀法違反だろ!!!」と云う事でした(苦笑)
    先祖はどうやら忍者だったようです。故叔父が郷土史研究家やってました時に、家系図を仕上げたんですが、それを見る限りでは、どうやら「忍者」の一族だったようです。

    最近、山口の毛利博物館の資料がカナリ整理されて判明した事の中に、「忍者たちの“その後”」を物語る内容の資料が沢山有ったそうです。それが発見されたのを受けて、学者~研究家達も「『忍者』って、実在したんだネ~」と言ってるのを聞きました。その時「…だョ!此処に子孫がいるョ」とか、聞こえない様に突っ込み入れてしまいました(^_^;)
  3. >今の時代にも何かしらそのエッセンスが残ってても不思議じゃない

    まぁ確かに。
    中野学校はスパイ養成所で、ずいぶん変わった軍人が多かったですよね。
    -------------------------
    >大学と連携して忍者を餌に留学生を呼び寄せようとか、

    良いことではないでしょうかw
    -------------------------
    >どうやら「忍者」の一族だったようです。

    忍者の末裔、ふたりめゲットだぜ!
    ていうか、超羨ましい~~~~!管理人も忍者の末裔になりたかったですよ~!
    ゼヒゼヒ、大声で主張していただきたいw
    • ※14 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.8.23 0:41
    一年前の話題にレスするのもなんですが

    >オン キリキリバサラ ウン バッタ~

    ttps://www.youtube.com/watch?v=-b7vnd8rhoY

    これのことかと
    • 当サイトは更新がトロイせいか過去記事もよく見られてるので、追加すべき情報はできるだけ追加したいと思っております。
      どうもありがとうございます!追記しておきました。
      アニメネタだったんですね。
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