人気サイト様 最新記事

博士ちゃんねる ヘッドライン

レスの強調ウゼェー!というドクターへ

レス内の強調表示をOFFにする コチラをクリックして切り替えてください。設定は30日間Cookieに保存されます。
現在のステータス:強調有効

日本史における武士道の発展と役割について @ [日本史板]


日本史における武士道の発展と役割について @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/20(火) 18:55:22.86
考えよう
5: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/21(水) 19:42:22.07
戦前の兵卒
戦後の社蓄
21世紀のネトウヨ

武士道で洗脳された平民という点では同じなのに、なんで一番下は国家に何の貢献もない穀潰しになってしまったのだろう。
6: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/21(水) 19:45:03.54
おお
こんなに書き込んでくれてありがとう

>>5
彼らに武士道はあるのかな?
7: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/21(水) 21:13:56.62
武士道とは死ぬことと見つけたり
8: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/21(水) 22:14:40.83
>>7
しかしそれは江戸時代にかかれた本にあること
それ以前の武士達はどう捕らえていたのだろうね
9: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/21(水) 22:43:41.23
武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかり也。
別に子細なし。胸すわつて進む也。
図にあたらぬは犬死などなどと云う事は、上方風の打上りたる武士道なるべし。

(『葉隠』)

10: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/22(木) 21:59:33.04
それは確か名誉が根本にあるよね?
11: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/23(金) 07:58:07.49
朝倉宗滴武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つ事が本にて候
14: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/23(金) 17:35:48.12
切り取り強盗は武士の習い
13: 1 投稿日:2011/12/23(金) 15:33:47.38
>>11
って戦国時代かそれ以前の武士は言っていたけど、確か葉隠れでは卑怯な価値方は負けるよりたちが悪いといっているんだよね
謎だわな


>>12
そういうのもあるの?
初めて聞いたよ
管理人より:「切り取り強盗は武士の習い」というのは、非武士階級が武士を揶揄して言っているのは確かですが、この当時の「強盗」には、現在のニュアンスはなかった、という説がありますね。「切り取り強盗」→「国盗り」であると。
従って、「戦争ばっかして迷惑な連中だなぁ」という思いはあっても、「武士なんてならず者の集まりだよ!」という意味合いではない模様。
17: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/26(月) 18:50:31.07
戦国の世が終わって、戦が無くなっちまって、戦争に憧れてる中二病患者と徳川幕府の支配を確立するための儒教がまじりあったのが武士道
戦争を知らない平和な時代の奴がかっこつけてるだけ
18: 1 投稿日:2011/12/27(火) 10:59:04.23
>>17
つまり戦国以前の武士には武士道はなかったと?
でも確かに武士道という言葉は、戦国末期で使われたし、武士道という概念は江戸時代や幕末に定義されたね
19: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 15:14:09.48
きょうテレビ付けたらたまたまNHKの「さかのぼり、日本史?」とかいうのをやっていた。

北条時頼東大の先生が石沢とかいうアナの質問に答える、という形式で進行するんだが、鎌倉時代初期は武士が血を血で洗う争いが最も激し時代だったらしく、農民は武士からさんざん痛めつけられ、収奪も日常茶飯で、だれかれとなく武士が気にいらないと殺していたそうな。
まるで今の北朝鮮そっくりなんだけど、朝鮮人と違うのは、そんななかで北条時頼が出てきて武士に対してものすごいきびしい規則を定め、農民を守る撫農民というのをやったおかげで、それからの時代がうまくまわり始めた、というように言ってた
21: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 21:08:01.55
>>19
お前さん詳しいな体験者か?俺は今の北朝鮮なんか知らんわ
22: 名無し募集中。。。 投稿日:2011/12/28(水) 21:00:48.04
伊達政宗武士道という言葉自体は伊達政宗からって聞いたけどな。
ただその意味は時代や人によって違う。
まあある程度の傾向はあるけど。
29: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/12(木) 23:06:56.20
武士というか、もののふのありかたについては、すでに源平合戦の頃に坂東武者が言っている。
主への忠誠とみっともない死に方を嫌う価値観。
33: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/16(月) 14:25:56.02
語源の「さぶらう」からしたら、貴人・天皇家や公家のボディガードが始まりなんかな?
34: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/16(月) 16:25:49.33
武士とは利欲を追わず、嘘をつかず、卑怯未練の振る舞いをせず、恥を知り、義のために、平然と命を投げ出す人。
35: 1 投稿日:2012/01/16(月) 17:50:00.99
>>33
俺もそう思うけど自分の領土を守るために武装した農民が始まりとも言うよね

>>34
でも戦国時代は裏切りめっちゃあったよね
武士は主君を七度変えないと武士じゃないとか言い切った大名もいたし
藤堂高虎管理人より:生涯を通して8回も主君を変えている藤堂高虎のセリフだそうです。
このひとのWikipdia記事の「人物・逸話」の項目を読んでるとなかなかおもろいっていうか、人心掌握術に長けた実際的・合理的な人物であることが伺えますね。管理人の中で好感度アップです。他にも
寝屋を出るよりその日を死番と心得るべし
など。毎日、今日は死ぬ日なんだと思って覚悟を決めて生きよ、という意味。
37: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/17(火) 17:13:38.24
日本の再建は武士道復興から!だれけきった今の若者を武士道教育で締め上げろ!!
39: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/17(火) 20:49:36.81
>>37
いるいる、こういうおっさん。
年齢相応のキャリアを築けずに同世代に対して抱いたコンプレックスを、若い世代に八つ当たりして憂さ晴らしするためのダシとして武士道を口実してんの。


戦前戦時中の突撃兵育成、戦後昭和の社畜育成にフル活用された武士道も、今じゃもうこんな使い道しかなくなってるってことなんだろうな。
42: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/18(水) 04:48:59.22
会社企業でも、今もそうだが、派遣社員、契約社員、下っぱの正社員などの平社員は、特に管理職に頭を下げるしかない。
封建時代はさらに厳しかった。代官などの武士が、 水戸光圀公に会えば、頭を下げてひざまずく。

今は霞ヶ関の官僚が、内閣官房長官に会っても頭を下げてひざまずく事はない。
そういう意味では、昔は合理的がさほどなかく、儀式のようなものにしばられていた。
44: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/18(水) 05:10:30.21
昔は合理性がさほどなく
昔の武士の給与が少なかった場合、武士は江戸の町で内職をしていた。
今でいう10万円の給与で、支出が16万円なれば、内職をして副収入を得るしかない。
多くの町人が武士に憧れていたが、武士は武士の世界で厳しかった。
また、武士の世界では暗殺や敵討ちなども行われでおり、武士は、武道を磨き、暗殺や敵討ちに備えなければならないので、睡眠をする時も多少は気を張っていた。
町人もそうだが、武士と武士で斬り合いが起きれば、官僚たる代官の武士が、馬に乗りとめにかかる事もあり、江戸時代は江戸時代なりに物騒な世の中であったらしい。
45: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/18(水) 09:17:50.88
>昔の武士の給与が少なかった場合、武士は江戸の町で内職をしていた。
今でいう10万円の給与で、支出が16万円なれば、内職をして副収入を得るしかない。
多くの町人が武士に憧れていたが、武士は武士の世界で厳しかった。
また、武士の世界では暗殺や敵討ちなども行われており、
武士は、武道を磨き、暗殺や敵討ちに備えなければならないので、睡眠をする時も多少は気を張っていた。
特に大商家や豪農に雇用されていた浪人=用心棒は、敵方の商家や豪農の人々を暗殺したりしていました。
豪農は農民の私兵のような人々を雇っていたと思うのですが、彼ら豪農などの土地の支配者が地域地域で、別な豪農と紛争を起こしていた可能性も高い。
農家は農民で小規模の紛争のようなあり、武家に仕官できなかった浪人も、豪農に雇われて、農家の紛争に参加していたと思います。

ただ、だいたいは代官様に取り押さえられるのですが。

武家も足軽という昔からある役所に徴兵、雇用された兵隊がいますが、彼らは上にたてつけば命とりになるので、余計な事はできません。
総じて武家も商家も農家、職人も大変な時代でもあり、その時代を支配していたのが武家という事になる。
47: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/18(水) 09:30:14.96
>農家は農民で小規模の紛争のようなものがあり、武家に仕官できなかった浪人も、豪農に雇われて、農家の紛争に参加していたと思います。
この豪農が二本差しを許されて武家になる。
すると、その二本差しの豪農の士気があがり、田舎の封建領主のようになる。
つまり郷士といった武士になる事ができるのです。

ただ、これら郷士やその私兵も、徳川幕府の藩の領土内の人々であり、藩の代官には逆らえなかった。
このように武士にも、郷士や浪人といった人々がおり、金持ちの農家や商人は武士=郷士という身分を手に入れたいという欲を持つのが、江戸時代の特徴かもしれない。
46: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/18(水) 09:21:16.36
>>45
時代劇の見過ぎだよw
49: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/18(水) 14:46:33.58
鎌倉武士のなんともいえぬ潔き気風の真髄となっているものもやはり平安時代の「あわれ知ること」である。
平安士女の生活と鎌倉武士の生活が相異なるから、その現れた事相はもちろん違う。
彼にあっては花鳥風月恋愛等に顕れたものが、これにあっては、軍陣の関係、忠孝の事蹟などに顕れたが、その外相をおいて、その真生命について見るときには、同じ情韻が溢れているのである。

自分の詠歌を勅撰集に加えたいばかりで、死を決して落ち行く旅の路から戻ってきて、夜、和歌の師の門を叩いた平忠度もある。
足柄山の月の夜に笙の秘伝を伝えた新羅三郎もある。
落花に対して風を恨んだ源義家もある。
梅の花を箙に插して敵陣に突進した梶原景季もある。
熊谷直実が平敦盛を逃がそうとしたなども、みな鮮明に鎌倉武士の風尚を示すものである。

これらはむしろあまり鮮明すぎて、鎌倉武士の風尚を浅くするかと思わるる事例に過ぎぬ。
実に鎌倉武士は武健であった。

(1/2)

50: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/18(水) 14:48:08.13
忠君の情が厚かった。
そしてその武勇や忠義に一種の気韻を与えて、花よりも美しからしめるものは、この「あわれ知る」という気風であったのである。


武士道は決して文字の上の解釈で知られるものでもなく、理屈や教条で組立てられるものでもない。
理屈や条規は、ただその形体である。その真体、精神はただ身証体得するほかには、これを捉える術はないのである。
鎌倉武士のあいだに禅学の流行したのも、その原因はこの辺にあるのである。

このことについては、武士はいつ死ぬか分からぬから宗教によったのだろうとか、在来の仏教が腐敗したから禅宗が流行ったとか、いろいろの解釈をする人があるけれども、我は禅の直覚的悟道と武士道の真髄なる物のあわれ、物の心を知るということと同じ趣があると思う。

(堀維孝)『国民道徳に関する講和』稿本。大正二年(2/2)

51: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/18(水) 15:06:07.06
明治の近代化以降、江戸時代の豪商は武士との競争に敗れて消えて行った。

商人達は、伝統主義に傾向するあまり改革をタブー視していたが
武士は西洋から複式簿記を取り入れ革新的に伝統主義を破壊していった。
56: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/24(火) 15:30:23.06
武士道とは、やはり支配者側を強固にするための道。

禁欲と、主君に対する義により、武士は己を正し、生活を整え。武士の武術稽古により、肉体や精神を鍛える。
武士は、町人を支配したが、やはり武士は責任が重く、殿様に牙をむくならば切腹になった。


現代に例えばサラリーマンが贅沢をせず、貯蓄をし、紳士的な生活をし、生活を整え、剣道や柔道の稽古をしたり、呼吸法をし、心身を鍛える。
ただし、サラリーマンが殿様たる社長に牙を向けば、切腹=クビになるぞ!という事。
昔は着物だが、今のサラリーマンはスーツにネクタイ締め。
だが大企業の社員さんも、武士道の考えはある。
64: 山武士 投稿日:2012/08/26(日) 21:35:15.91
武士道精神は現代に於いて復活されるべきである。
この空虚な現代と虚構に満ちた世を、自ら進む道を決断する生き方の指針としたい。精神は儒教による中庸をなし、世の中の判断は大義と仁道を基軸とする。
65: 日本@名無史さん 投稿日:2012/08/29(水) 13:22:57.29
武士道なんて江戸時代に朱子学の影響で創造されたもんなのに、何故か戦国時代の武将をそれに基づいて美化しちゃったりとか
75: 日本@名無史さん 投稿日:2013/01/22(火) 21:33:40.26
昔の人の写真を見ると顔つきが違うね。
引き締まったというか、常に生死が付き纏う生活に身を置いてるからか、殺気を感じる。


幕末の武士然り、零戦パイロット然り、男ならああ成りたいもんですな。
義和団の乱
管理人より:実を言うと、教科書に載ってた義和団事件の各国の代表者の記念撮影を見て、同様のことを管理人も思いました。
82: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/02(月) 15:40:23.21
まあ、武士の起こりを見たらヤクザと同じだよ。

ただ、ヤクザだって任侠道があるように、武士だって、ある程度の身分になって社会的地位が向上して、統治する段階になると、いつまでもヤクザみたいなことを言っておれなくなるから、仏教なり、中国の古典なり儒教なりから、道徳みたいなものを輸入して、身を整えてきたのだろうて

戦後の日本でも、警察が無力になってヤクザが治安代行をしていた時があっただろう?
山口組の三代目が一日警察署長をやっていてあのまま、政府がしっかりしていなかったら、おそらくヤクザの任侠道が道徳律として定まって、今頃は武士道と任侠道がミックスされた体制になっていたと思うぜ。
83: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/02(月) 15:53:47.34
ヤクザの起源を追ってもいいんだよ
そんな古い時代じゃあない
87: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/02(月) 19:30:53.10
>>83
今のヤクザの起源は比較的はっきりしているだろう?
旗本奴の時代だろう?
武士が統治者として自覚をしだした時期にあたる。

それ以前の戦国乱世は武士と、農民とヤクザと商人の境目があいまいだったからな
国芳もやう正札附現金男・幡随長兵衛(歌川国芳)
管理人より:「旗本奴(はたもとやっこ)」というのは、
江戸時代前期(17世紀)の江戸に存在した、旗本の青年武士やその奉公人、およびその集団、かぶき者である[1][2][3][4]。派手な異装をして徒党を組み、無頼をはたらいた[1][2][3][4]。代表的な旗本奴は、水野十郎左衛門(水野成之)[4]。代表的な団体が6つあったことからそれらを「六方組」(ろっぽうぐみ)とよび、旗本奴を六方(ろっぽう)とも呼ぶ[5]。
84: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/02(月) 16:56:00.17
アウトローであるはずの893が経済活動で大幅に幅を利かせるようになるのは戦後

もともと警察が朝鮮人の悪事に手を撃てないのを893を使って鎮圧したのがはじまり。
893も時代が変わると朝鮮人が牛耳ったりとかで今この有様。
85: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/02(月) 17:31:41.48
戦後、公職追放された軍部の一部人脈が地下経済に加わった経緯もあるだろ
そいつらも893化したんじゃね? だから地下経済が肥大化したんだと思
88: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/02(月) 22:16:53.73
そもそもが身分や職業で分けようとするから間違う。
武士という職業は基本はない。

もし武士という職業が明文化された形で確立していたならそれは室町将軍家や守護家レベルの家系が専属武士というたち位置立ったんだろう。


ただ彼らには武士という概念などないから貴族化した生活をしていた。あくまで統治者としての自覚は会っても、自らを武士という職業概念など持ち合わせてなどいない。

そもそも武士とはなに?
富裕農家が地域の名望的意味合いで必然的武装化し始めた概念的武士と、応仁以降地域基盤が完全崩壊して世の中で、偶発的に武装化し始めた戦国武士層(雑多出自)は、中世では同じ武士に分類されるが、質や意味合いはまるで違う。


武装富裕農家は武士としての成分は質は高いが、時代の寵児にはならなかった
かた時代かたや世の乱れにより出現した偶発的武装化によった戦国武士層は現代のマフィアに近いだろうが、結果として時代の寵児になった

時代がそれを許してしまった。
が、それらとて大義名分もつ公になればある程度の規律をもつようになる
自覚が芽生えるからだ。
89: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/02(月) 22:26:39.89
そしてそんな輩こそ武士という不確定的な抽象的、概念的意味合いしかもたない武士というたち位置にこだわる。

なぜなら自らを立証できるたち位置が存在しないからだ。
例えば富裕武装農家は武士的たち位置が失われようとも、存在としての価値は失われない。
何故ならば武装化していること事態に意味合いは存在しなく、あくまで手段としての武装武士化、ようは地域貢献の目的のための武士化であるからだ。

かたや戦国以降の武士は武装化していることが存在意義であり、武士的立場か失われたら、個としての存在価値が皆無になる。何故ならば雑多出自だからだ。
武士というたち位置にこだわらなければ、個として存在しない。
こういった階層こそが武士という概念的区部にこだわり、また固執してこだわった。
90: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/02(月) 22:34:14.17
武士とは単なる武器をもつもの程度の意味合いしかない。
例えばお前らが甲冑でフル武装してタイムスリップしたれもう立派な現代的意味合いでの武士だろ。
モチロン当時もそう認識しているはず。

ただなぜフル武装しているのかでたち位置も意味合いも違ってくる。

わかるよな?
フル武装は強奪のためなのか、かたや地域のためなのか。
しかし戦国時代はこんな真逆のたち位置でも同じ武士に分類されてしまった。

何が言いたいのか?

それは武士とたち位置に意味など存在しない。
武装してりゃ戦国以降は誰でも武士
武士であることに価値など一ミクロンも存在しない。


ここを現代人は勘違いしてんのよ
91: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/03(火) 13:25:33.78
しかしただの武装した農民と、神社で毎年流鏑馬や野馬追いするような武家の子孫の武士は意識も生活習慣もだいぶ違うよな。

農民や商人がただ見よう見まねで武装しても、騎射のやり方はわからない。
手柄を立てた足軽を馬に乗せたらすぐ乗馬ができるというものでもない。

もちろん誰かに習えばできるようになるが、その場合の武士道は従来のものから学んだもので、ただの武装した農民の意識とは違う。
95: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/03(火) 19:50:33.59
>>91
大前提忘れてるが、そもそも名門足利幕府が紀伊討伐で伊賀や甲賀にぼろ負けしたのはなぜだ?
その伊賀や甲賀、戦国の雑賀は貧農だらけだぞ

秀吉軍団は精強な生粋の武家出自軍団なんて聞いたこともないが強い
型にはまった流鏑馬程度や剣術程度が戦で通用するなら、室町武家衆はこんなにごとごとく滅ぼされてないはず
管理人より:赤文字のひとはタイポが多いのでいくつか修正してます。「悪魔で」→「あくまで」、「足かが」→「足利」など。
106: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/05(木) 13:25:17.55
戦国時代の最終勝利者は秀吉ではなく、家康だが、足軽農民武将の限界を証明したのが小牧長久手の戦い。

秀吉得意の水攻め、水軍攻撃も通用せず、武田相手に鍛えられた騎馬、使い武者、馬廻りを駆使した複雑な機動戦の前に秀吉も屈した。
109: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/05(木) 16:35:36.34
>>106
信雄を助けようと出向く家康を尾張以東で押しとどめつつ、本命の信雄を全力で叩きに行って勢力削りまくって、信雄が耐えきれなくなって講和(という形式の屈服)するように仕向けた戦いだから、戦術面では家康が勝ったとはいえ、戦略面では家康のほうが惨敗じゃん

そんなんで家康が秀吉に勝ったとか、寝言みたいなもん
小牧・長久手の戦い (Wikipedia)
小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)は、天正12年(1584年)に、羽柴秀吉(1586年、豊臣賜姓)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。当時は長久手ではなく長湫と表記された。
107: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/05(木) 14:13:23.60
長柄とか鉄砲は、乗馬に比べると習得しやすい。普段から馬飼う必要ない。
だから無理して平時から準備しなくていいともいえる。

しかし馬飼って、乗馬習って、早馬したり、馬廻りするのはすぐにはできない。
今でも金や時間がかかる。
108: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/05(木) 14:24:13.65
洋の東西を問わず、それこそローマ帝国や中国古代王朝の昔から、騎馬は特権階級の証だからな。
モンゴルみたいな特殊環境は別だけど、穀倉地帯で馬を飼うのは人口の一部しか無理だから、必然的にそうなる。
129: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/07(土) 01:08:13.56
江戸時代の斬捨御免だけはダメ
腕試しに農民を辻斬りとか普通にやってたみたいだし
150: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/07(土) 23:19:22.05
>>129
普通の武士はそんな野蛮で下劣な行動は取らない。
切捨てなんかしたらあとあと面倒なんだよ。

狂人認定され、周囲からの信用を無くし、武士としての価値はゼロになる。


辻斬りといえば幕末の薩摩藩士が深夜にコソーリとやってた。
昼間の示現流じゃ江戸の新流流派(神道無念流、直心影流等)には太刀打ち出来ないので、町人相手に深夜にズバッとお見舞いしてた。
97: 日本@名無史さん 投稿日:2014/06/03(火) 20:09:38.68
まあ、お武家さんが、自分たちのイデオロギーに、禅と儒教を取り入れたことはかなり注目されても良いとは思うのだが。

ハイ、前回日本史カテゴリーでは忍者がテーマだったので、 今回はお侍さんという感じの、安易なチョイス。

我々の思う「武士道」っていうと、やっぱり勇気や潔さ、主君への忠誠だとか、死に対する独特の美学だとか、まぁそういう部分がフォーカスされますよね。
このへんの価値観はスレでもあるとおり、江戸時代になって、つまり平和になってから醸成されたものらしいので、実際のところはもうちょっと泥臭いものではあったでしょうね。「なにしろ、これから戦争ですので」。

「武士」「侍」という名称はともかく、そういう職業軍人的な集団が現れたのは、平安中期(10世紀ごろ)ということになってますが、その起源については諸説あって明らかではないようです。
きっとおそらくは、貴族たちが護衛のため、あるいは権力闘争のため、はたまた領地の防衛のために抱えていた、腕の立つ傭兵のような存在だったかもしれません。これらが長い戦乱時代に、次第に力を持ってきて、階級社会に割り込んでいったというのが、実態でしょうか。

ここまでは、他国と同じような流れだろうと思いますが、どうも日本では、禅とか、仏教、儒教、神道的な価値観がないまぜになって、精神論的な部分がやたらと醸成されていく様子は、まぁなんだか、日本人らしいと言えるかもしれませんね。なんたって武士「道」ですから。

後世に生きる我々としては、武士の汚い部分については片目で見つつ、その上澄み液を後世に伝えていきたいもの。「武士は喰わねど高楊枝」ですよ。(全然違う!)
武士の家訓 (講談社学術文庫)
桑田 忠親
講談社
売り上げランキング: 29,487


元スレ:http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1324374922/

人気サイト様 最新記事

博士ちゃんねる ヘッドライン

    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.12.2 18:43
    ネトウヨの方たちは、商業ウヨクの方を除いて、自分のことを右翼だとは思ってませn
    先だって有名になった在特会だって、自称”保守”ですからね
    ただ、彼らが保ち守ってるものが、”何”かってことです
    少なくとも、彼らのやってることが、”国の為”になってるとは到底思えないですよね

    中世日本の武士層が、全てとは言わないまでも、時代によって官僚化したのは間違いないです
    軍部と文官を兼ねているというのは結構強大な権力で、軍事政権体制国家がその典型です
    そこが官僚化して腐敗化したら、そりゃ国家運営なんて上手くはいきませんよ
    絶対民主主義が必ずしも安定ではないものの、三権分立とかの対立・牽制する体制を、
    システムとして持つというのは、それなりの利点があると思われます

    権力にはそれに伴う義務と責任があります
    そのバランスが崩れたり、そのバランス感覚を持たない体制(や人間)には、
    決して権力を白紙委任してはならんというのは、歴史が証明してます
    白紙委任(=思考停止)しては、絶対にならんのです
    • >”国の為”になってるとは到底思えないですよね

      まぁあの、「ネトウヨ」という言葉の定義がよくわからんので、なにを持って「ネトウヨ」と呼ぶのかという問題もありますよね。笑

      ただそれはそれとして、いわゆるネトウヨ的なムーヴメントって、反中・反韓と自虐史観教育の反動ということだろうと思うんで、そのうち落ち着くのでは。
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.12.4 17:30
    日本の「~道」ってのは、基本的に論理で残すものではなく、「師匠達の空気を読」んで継承するものだから、あやふやでいい加減なもんなんだと思う。(日本の柔道の混乱は、その空気を諸外国が全く読んでくれない点にあるのだと思う)

    だから、時代の空気が変われば武士道も変化する。変化しない点があるとすれば、支配階層の支配を維持強化するという点だけだろう。
    だから、エスタブリッシュメントが武士道を語るのは理解できるが、貧乏人が武士道を語るのは北朝鮮の人が将軍様を称えているのと同じ洗脳の結果でしかない。
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.6.17 0:27
    司馬遼太郎も言ってたけど義とか忠という輸入品の概念より
    名こそ惜しけれ(命より名誉を惜しめ)の精神がより本質的なんだろうな。

    自力救済の世の中で、舐められて周囲からすべて剝ぎ取られ殺されるぐらいなら
    自分を舐めきった奴を殺すぐらいの気概でいたほうが自分のプライドも守れるし、上手くいったんだろう。

    本文で下がだらしないから武士道を導入したらいいなんて適当なこというやつがいるけど
    よっぽど自分がしっかりしていないと、現在の会社のように部下の名誉を汚そうものなら、部下が帰宅後武装し郎党を引き連れて自分を殺しにくるような殺伐とした世の中が本当にいいのかと問いたいもんだw
  1. トラックバックはまだありません。


コメ欄での議論はおおいにけっこうですが、当サイトではドクター同士の罵り合いは禁止となっております。反論する際には、相手の意見・人格を尊重し、どうぞ冷静に。
*