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世界史ちょっといい話 Part1 @ [世界史板]


世界史ちょっといい話 Part1 @ [世界史板]
4: 世界@名無史さん 2012/01/25 00:10:05
エリザベス二世がイギリスの田舎を見てまわったときのこと。
そのルートにある家で息子が母親にこう釘をさした。
「母さんは紅茶をあふれるほど注いで、ソーサーにこぼれたのをすするだろ。
あんな行儀悪いことは女王陛下の前で絶対にしちゃいけないよ」
母親はうなずいた。
後日、はたしてこの家に女王陛下がたちよったのである。
がちがちに緊張した母親は、息子の助言など忘れていつも通りのくせで紅茶を飲んだ。
そして女王陛下が帰ったあとで、母親は息子に自慢げにこう話した。
「おまえは行儀悪いなんて言ったけど、陛下だってソーサーにあふれた紅茶を
すすっていたわよ!」と。

女王陛下は内心もちろんこの飲み方に驚いていた。
しかし、自分が普通の飲み方をすれば相手は粗相をしたとあわてて、
恥ずかしがってしまうにちがいない。
そこで女王陛下は、とっさに相手をまねてソーサーから紅茶をすすったのだ。


君主たるもの、どんな相手でも気遣うというおはなし。
似た話で「フィンガーボウルから水を飲む陛下」というものもある。
エリザベス2世 (Wikipedia) エリザベス2世 エリザベス2世(英語: Elizabeth II、1926年4月21日[注釈 1] - )は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)を含む、16か国の主権国家(イギリス連邦王国)の君主である上に、54の加盟国から成るイギリス連邦およびイギリスの王室属領と海外領土の元首である。また、イングランド国教会の首長でもある。ウィンザー朝の第4代女王。実名は、エリザベス・アレクサンドラ・メアリー (英語: Elizabeth Alexandra Mary)。
5: 世界@名無史さん 2012/01/25 03:24:18
>>4
面白いな。しかしこういうのを見るとイギリスも恥の文化なんだなあ。
8: 世界@名無史さん 2012/01/25 18:08:23
イギリス人って皮肉屋な面が強調されがちだけど、結構ウィットに富んだ民族でもあるよね
>>4みたいな感じのディスりじゃない、その国や民族の良い面にスポットを当てた逸話が
ここで投下されて行くと良いな
10: 世界@名無史さん 2012/01/27 09:42:16
こういう風ないい話は、人の心を元気にするから理屈抜きにイイやね。
お姫様のファンガーボールの話を小学生の頃に聞いて感動したことがあるな。
9: 世界@名無史さん 2012/01/26 22:40:43
1937年国共合作が成立し国民党と共産党は一時停戦をすることになった。
長征残留部隊の司令官だった陳毅(後の10大元帥、政治局常務委員)は
停戦の通知を行うために湘?省ソビエト地区に入ったがそこの主席だった
譚余保(後の湖南省党副書記)は陳毅を党を裏切ったスパイだとして牢獄に押し込め銃殺しようとした。
しかし念のため党中央に問い合わせたところ
陳毅の通知は正式な党の指示であったことが確認され譚余保は陳毅に泣いて謝罪した。
さすがに陳毅は剛毅な男であり笑って譚余保を許したのであった。
11: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/27 10:08:57
光武帝が夜遅く帰った時、門が閉まっていて入れてもらえないということがあ
った。身分を門番に伝えても規則ということで開けてもらえず、しかたがない
ので朝帰りをした光武帝は、自分を入れなかった門番に褒美を与えた。


東ローマのレオン6世がお忍びで夜の町を歩いていたところ、兵士に不審がら
れたので、金貨を渡したところ見逃してもらえた。
更に別の兵士と出会った際も、金貨を出すことで見逃してもらえた。
こういうことを何度か繰り返していたが、最後に会った兵士は金貨を出すと逆
に怒り出し、皇帝を鞭打って牢に入れた。
翌日、牢から出られた皇帝は金貨を受け取った兵士たちに罰を、自分を牢へ入
れた兵士に褒美を与えたという。


春日局が門限を破って大奥に戻ろうとしたところ、門番に遮られて帰ることが
出来なくなったので、冬の寒い夜を外で過ごす羽目に陥った。
翌朝、門番は信用出来る男という理由で誉められ、褒美を貰った。


ナポレオンの陣中において、不審な男を兵士が誰何したところ、要領を得ない
ので引っ立てられた。男はナポレオンであり、兵士を賞賛して警備を任せた。
光武帝 (Wikipedia) 光武帝 光武帝(こうぶてい、前6年 - 57年[1])は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された[2]。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。
レオーン6世 (Wikipedia) レオーン6世 レオーン6世“ソフォス”または“フィロソフォス”(ギリシア語:Λέων Ϛʹ ὁ Σοφός, Leōn VI ho Sophos または ὁ Φιλόσοφος, ho Philosophos, 866年9月1日あるいは9月19日 - 912年5月11日)は、東ローマ帝国マケドニア王朝の第2代皇帝(在位:886年 - 912年)。中世ギリシア語読みでは「レオン」となる。“ソフォス”は「賢者」を、“フィロソフォス”は「哲学者」を意味するあだ名である。
春日局 (Wikipedia) 春日局 春日局(かすが の つぼね)/斎藤福(さいとう ふく、天正7年(1579年) - 寛永20年9月14日(1643年10月26日)は、安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。
ナポレオン・ボナパルト (Wikipedia) ナポレオン・ボナパルト ナポレオン・ボナパルト[1](Napoléon Bonaparte、1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期フランスの軍人・政治家。ナポレオン1世(Napoléon Ier、在位:1804年 - 1814年、1815年)としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。
フランス革命後の混乱を収拾して軍事独裁政権を樹立し、イギリスを除くヨーロッパの大半を勢力下に置いた(ナポレオン戦争)が、最終的に敗北し失脚した。
12: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/27 10:14:27
関東大震災の後、東郷平八郎邸はかろうじて焼け残ったので、若手将校が見舞い
に訪れたところ、それらしい屋敷の前で野良着をつけて後片付けをしている老翁
がいたので、「爺さん、東郷閣下のお屋敷はここか」と問うた。
すると老翁「そうだ」と言ったきり、振り向きもせず作業を続ける。
将校相手に態度がでかいのに怒って近づいてみると、老翁は東郷本人だった。
東郷平八郎 (Wikipedia) 東郷平八郎 東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の武士(薩摩藩士)、軍人である。階級は元帥海軍大将。栄典は従一位・大勲位・功一級・侯爵。 明治時代の日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人である。日露戦争においては、連合艦隊を率いて日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、アドミラル・トーゴー(Admiral Togo 、東郷提督)としてその名を広く知られることとなった。
13: 世界@名無史さん 2012/01/27 15:27:48
山野野衾氏はネタ豊富そうだからこのスレがネタ切れでストップしてる時なんかには書き込んで欲しいよね
14: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/27 17:44:10
悪い話もある人ですが、ピョートル大帝。
彼が崩御した原因は、真冬の河口で砂州に乗り上げた船からの救出作業に協力
するために、自ら水に飛び込んで体調を崩したこと。
ただ、生命の源(旧約聖書のサムソンしかり、類話は多いです)である髭を切る
などの西欧化政策から「あれは西洋人が成り代わっているのだ」という今でいう
ネトウヨの様な発言が一般市民の間からも出ていた状況であり、崩御は歓迎さ
れたということです。


>>13
貴方も書き込んで下さい。何より、>>1さんが立て逃げというのが頂けません。
ピョートル1世 (Wikipedia) ピョートル1世 ピョートル1世(ロシア語:Пётр I Алексеевич;ラテン文字表記の例:Pyotr I Alekseevich, 1672年5月30日 - 1725年1月28日)は、モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代のロシア皇帝(インペラートル / 在位:1721年 - 1725年)。大北方戦争での勝利により、ピョートル大帝(ピョートル・ヴェリーキイ / Пётр Вели́кий)と称される[1]。ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチの六男、母はナタリヤ・ナルイシキナ。
16: 世界@名無史さん 2012/01/27 19:41:27
変人哲学者として当時から有名だったディオゲネス
樽の中に住んだり公然の前でオ○ったり・・・。
しかし住民達からは暖かい目で見られていたらしく、悪い若者に樽を破壊されたときは皆でお金を出し合って新しい樽を買ってあげたらしい
ディオゲネス (犬儒学派) (Wikipedia) ディオゲネス (犬儒学派) ディオゲネス(英: Diogenes、紀元前412年? - 紀元前323年)は古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。シノペ生れ。シノペのディオゲネスとも。
犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して犬のような生活を送り、「犬のディオゲネス」と言われた。また、大樽を住処にしていたので「樽のディオゲネス」とも言われた。
22: 世界@名無史さん 2012/01/29 13:19:53
WW1に従軍した世界的バイオリニストのフリッツ・クライスラー。
戦後演奏旅行を再開し1923年日本にもやってきた。
演奏が休みの日、ある場所に訪れた。
クライスラー「今日は日本で最も偉大な場所に行きました」
日本人の記者「それはどこですか?」
クライスラー「乃木将軍の墓所です」
フリッツ・クライスラー (Wikipedia) フリッツ・クライスラー フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875年2月2日:ウィーン - 1962年1月29日:ニューヨーク)は、オーストリア出身の世界的ヴァイオリニスト、作曲家である。後にフランスを経てアメリカ国籍となった。ユダヤ系。
23: 世界@名無史さん 2012/01/31 21:11:01
中々思い浮かばないものだな
悪い話なら結構あるんだが
24: 世界@名無史さん 2012/01/31 21:39:50
別にいい話に限らなくてもいいと思うが
25: 世界@名無史さん 2012/01/31 22:24:41
いや、>>1にいい話って書いてあるし…

インドの騎兵三十人が、中央アジアのタタールの村を襲撃し、女も物も略奪 して回ったことがあった。
ところが、皆逃げ惑っている中で
一人だけ冷静な老婆がいて

「お前さんたち、悪いこと言わないから早くお帰りなさい。
もうすぐ娘が帰って来るが、そうしたらお前さんたち、おしまいだよ」

と言う。
だが、誰も本気にすることは無く、遂には老女自身も縛り上げ、馬の背 に乗せて連れ去った。
ところが、半里も行かない内に、後方を見ていた老女が喜びの声をあげた。
すさまじいばかりの砂煙と馬蹄の響きで、娘の帰還を悟ったのである。
娘はまず、遠くから奪ったものを置いて立ち去れば、命は助けようと言った。
そして、誰も本気にはしないと見るや、瞬時に三つ四つと矢を放ち、敵の騎兵を射落としてしまった。
インド人たちも矢を放つが、射程距離が違い過ぎて勝負にならない。
あっという間に半数が射殺され、残りも抜刀して突進して来た娘の手にかかり、全滅させられてしまったのであった。
27: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/02/02 22:26:10
>>25
2004年の私の書き込みじゃありませんか。懐かしい。
28: 世界@名無史さん 2012/02/05 10:24:06
>>27
うん、ムガル帝国誌から文字起こそうと思ったけどちょうど該当の部分がネットにあったんでちょっと改変して貼った
ムガル帝国誌も一応読んでますよ
サティの時に裏切った浮気相手を道連れにした話とか悪い話ばっかりあるよねあれ
38: 世界@名無史さん 2012/02/09 18:29:24
第二次大戦時の日本人捕虜が作ったウズベキスタンの国立ナヴォイ劇場
1966年の大地震の時、周囲の多くの建物が倒壊するなか
ナヴォイ劇場はビクともしなかった。

どういう境遇になっても日本人、国民性は変わらんわ
ナヴォイ劇場 (Wikipedia) ナヴォイ劇場 ナヴォイ劇場は、タシュケントにあるオペラとバレエのための劇場である。正式名称は、アリシェル・ナヴォイオペラ劇場(Alisher Navoi Opera and Ballet Theatre)。アリシェル・ナヴァーイーは、ウズベキスタンの伝説的な英雄で、文学、伝承でも度々取り上げられる人物[1]。第二次世界大戦でソ連の捕虜となった日本人が建設したことで知られる。
40: 世界@名無史さん 2012/02/09 19:06:37
すいません。↓でした。山野氏は前後に登場していましたが↓を書いたのは別の人物でした。

夜中にアッバース大帝がお忍びで街を歩いていたら
変な男たちの三人連れに出会って意気投合。
彼らは実は盗賊団で、これから王の宝物庫を荒らしにいくという。

面白くなったアッバース大帝も着いていって、道々お互い自己紹介をする。
盗賊1「自分は動物の言葉が分かる」
盗賊2「自分はどんな鍵でも開けられる」
盗賊3「自分は一度見た顔は決して忘れない」
大帝「自分は実は絶大な権力を持っていて、
   髯をちょっと捻るだけでどんな大罪人でも許すことができる」

途中で犬が吼えたのを聞いて盗賊1がいわく
「犬が言っている。『大金持ちはお前たちの中にいるのに、今宵お前たちは何処に行くのか』」
やがて庫に着くと盗賊2が鍵をこじ開けて四人で荒らしまわる。

翌朝大帝は王宮で兵士を呼びつけて昨夜の盗賊たちの人相を詳細に語って
「ひっ捕らえてまいれ!」と命令。
そこで三人の盗賊が捕まえられてきて、盗賊たちは顔を上げられずにがたがた震えている。
ところがそこで盗賊3がふと大帝の顔を見上げて驚いていわく
「俺たちは三人とも特技を披露した。今度はあんたが髯を捻ってくれ」

これには大帝も苦笑して彼らを許すしかなかったという話。
アッバース1世 (Wikipedia) アッバース1世 アッバース1世(1571年1月27日 - 1629年1月19日)は、サファヴィー朝の第5代シャー(在位:1588年 - 1629年)。
(中略)アッバース1世はサファヴィー朝を建て直すため、まずは内政改革を行なう。王朝創建以来、権力を牛耳っていた軍事貴族(キジルバシュ)を弾圧して政治から遠ざけ、代わって奴隷身分の優れた人材を多く登用したのである。地方長官にも家柄ではなく能力が重んじられて、奴隷階級出身者が数多く地方長官に任じられている。
45: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/02/09 22:47:15
特に良くも悪くもない話。
ある寒い日の未明。一人起き出したエカテリーナ2世は、ストーブに火を点けて
暖をとろうとした。
ところが、やがてとんでもない悲鳴が上の方から聞こえて来る。
それと察した女帝は、慌ててストーブの中に水をかけ、消火した。
かくして、女帝は使用者がいない間にストーブに繋がる煙突を掃除していた
少年に謝罪することとなった次第。


もう一つ。
大黒屋光太夫が謁見した際、女帝は船内に祀られていた伊勢の神棚を手にと
ると、偶像がないのに信心の対象とすることは、日本人の習慣であると評し
た由。『北槎聞略』が今手元にないので、うろ覚えですが。

フリードリヒ2世やルイ15世、同16世でも、面白がったでしょうね。
マリア・テレジアなら、嫌ったと思いますが。

>>40で伊勢盛時を、>>42でアミンを思い出しました。
エカチェリーナ2世 (Wikipedia) エカチェリーナ2世 エカチェリーナ2世(エカチェリーナ2世アレクセーエヴナ、ロシア語: Екатерина II Алексеевна, ラテン文字転写: Yekaterina II Alekseyevna、1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位:1762年6月28日(グレゴリオ暦7月9日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))。夫はピョートル3世、子にパーヴェル1世。
プロイセンのフリードリヒ2世(大王)やオーストリアのヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代表とされる。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し、大帝(ヴェリーカヤ)と称される。
大黒屋光太夫 (Wikipedia) 大黒屋光太夫 大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう、宝暦元年(1751年) - 文政11年4月15日(1828年5月28日))は、江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭。
天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。
42: 世界@名無史さん 2012/02/09 20:59:42
ロシア皇帝のパーヴェル1世は
「臣民が皇帝の為に血を流すのではなく
皇帝が臣民の為に血を流さねばならぬ」と言っていた。
但し、その具体的方法として皇帝が考えていたのは
君主同士の決闘であった。
パーヴェル1世 (Wikipedia) パーヴェル1世 パーヴェル1世(ロシア語: Павел I, ラテン文字転写: Pavel I(パーヴィェル・ピェールヴィイ)、パーヴェル・ペトロヴィチ・ロマノフ、ロシア語: Павел Петрович Романов, ラテン文字転写: Pavel Petrovich Romanov(パーヴィェル・ピトローヴィチュ・ラマーナフ))、1754年10月1日 - 1801年3月23日)は、ロマノフ朝第9代ロシア皇帝(在位:1796年11月17日 - 1801年3月23日)。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公・オルデンブルク伯としてはパウル(ドイツ語: Paul)。
母エカチェリーナ2世の崩御を受けてロシア皇帝に即位する。母帝との確執からエカチェリーナの政治を全否定する政治路線を採り、次第に廷臣の離反を生み、ついには1801年3月23日クーデターによって暗殺された。
当時から「マッド・ツァーリ」という悪名でも知られたが、現代ではこの悪名は反対派の付けた濡れ衣で、実際には狂ってはいなかったとされる。
43: 世界@名無史さん 2012/02/09 21:05:49
良い話かどうか分からないけど
その子ニコライ1世の話。

陸軍の主計官に会計を誤魔化して私腹を肥やしている男がいた。
発覚しそうになり主計官は自殺を決意した。
夜、いよいよと拳銃を手にした主計官の肩を叩く人がいた。
皇帝その人であった。
「今回だけは無かったことにしよう」と語りかけて
主計官は自殺を思いとどまった。
ニコライ1世 (Wikipedia) ニコライ1世 ニコライ1世(ロシア語: Николай I, ラテン文字転写: Nikolai I、ニコライ・パヴロヴィチ・ロマノフ、ロシア語: Николай Павлович Романов, ラテン文字転写: Nicholai Pavlovich Romanov、1796年7月6日 - 1855年3月2日)はロマノフ朝第11代ロシア皇帝(在位:1825年12月1日 - 1855年3月2日)、第2代ポーランド立憲王国国王(ミコワイ1世)、第2代フィンランド大公。父はパーヴェル1世、母は皇后マリア・フョードロヴナ。
34: 世界@名無史さん 2012/02/08 22:12:23
連合軍捕虜収容所での通話・
日本人=自害する。ドイツ人=脱走を謀る。イタリア人=歌い出す
・・・つまらんか
35: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/02/08 22:25:30
>イタリア人=歌い出す
アフリカ第二の高さを誇る山、ケニア山のレオナ峰(4985m)に初登頂した
のは、第二次世界大戦中にイギリスの捕虜収容所からこの峰を眺めていてど
うしても登りたくなり、物資を懐に入れるなど準備を重ねて脱走した三人の
イタリア人捕虜。
下山した三人は収容所に戻り、罰として一月弱の独房生活を強いられた
、と
いうのはいい話……なのでしょうかね。
36: 世界@名無史さん 2012/02/09 15:26:14
イタリア人はいつ見ても人生楽しそう過ぎて困る
37: 世界@名無史さん 2012/02/09 16:46:57
イタリア人すげぇな、まじで、、

註釈&整形大量なのですが、内容は面白いのでパート化することにしました。
トップ絵は乞食にマントを分け与える聖マルティンの絵(作者不詳)です。(トリミングしたので肝心の「begger」が写っておらず。クリックで拡大できます)
「いい話」でしかも絵画のテーマになってるものとかこれしか思いつかなかったのですが、次回以降このトップ絵を選ぶ作業も大変だ…。
女帝エカテリーナ 上 改版  中公文庫 B 17-3 BIBLIO
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元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1327366681/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.1.4 4:30
    >光武帝

    なお狩りに出かけて門限を守らず洛陽城から締め出されたことがこれを含め三回
    狩りに出かける際に「まだ乱世で暗殺の危険があるから出るな」と部下に命を賭けて止められたことが二回ある

    どんだけ狩り好きなんだよ
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.1.5 3:41
    サティーで思い出したけどこの風習は読み間違いからきている
    って説がありますな少し前に読んだマックスミュラーの本に書いてありました。
    神様にはいい話~な風習かもしんないけド
    人間にとっては最悪の風習ですね。
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