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中国歴代王朝で一番の暗君は? @ [世界史板]


中国歴代王朝で一番の暗君は?
1: 世界@名無史さん 2013/04/08 14:32:07
取り合えず胡亥と霊帝はどっちがより暗愚?
胡亥 (Wikipedia) 胡亥(こがい)は、秦朝の第2代皇帝。帝号は二世皇帝。現代中国語では秦二世とも称される。姓は嬴(えい)。始皇帝の末子。
父帝が行幸中に崩御すると、丞相の李斯と、かつての胡亥の傅役で始皇帝の側近の趙高に擁立されて即位する。しかしこの即位には疑問を有する者が少なからず存在し、二世皇帝は即位前後から趙高の勧めに従って長兄の扶蘇を自殺に追い込み、公子高ら兄弟を含む皇族や重臣を粛清。さらに始皇帝陵や阿房宮、万里の長城の建築を推進し、匈奴の侵攻に備えるべく大規模な徴兵を行なったことで人心の離反を招いた。
霊帝 (Wikipedia) 霊帝(れいてい)は、中国後漢の第12代皇帝。解瀆亭侯劉萇(建)の子。解瀆亭侯劉淑の孫。河間王劉開の曾孫。章帝の玄孫に当たる。
宦官と外戚の権力闘争で疲弊した後漢朝は、霊帝の治世において宦官の優位が決定的となったとされ、後世においても桓帝と並んで暗愚な皇帝の代名詞とされた。ただし、晩年の霊帝に取り立てられた蓋勲のように、奸臣たちに惑わされているだけだと評価した者もいる。
3: 世界@名無史さん 2013/04/08 14:51:14
暗愚比べなら両者とも万暦帝の足元?にも及ばない。
万暦帝 (Wikipedia) 万暦帝 万暦帝(ばんれきてい)は、明の第14代皇帝。諱は翊鈞(よくきん)。廟号は神宗。諡は範天合道哲肅敦簡光文章武安仁止孝顕皇帝。日本では一般的に治世の元号を取って万暦帝と呼ばれる。
万暦帝は相変わらず政治に関心を持たず、国家財政を無視して個人の蓄財に走った。官僚に欠員が出た場合でも給料を惜しんで、それを補充しないなどということを行い、このために一時期は閣僚が一人しかいない、あるいは地方長官が規定の半数しかいないなどという異常事態となった。
4: 世界@名無史さん 2013/04/08 16:30:52
東晋の安帝
安帝 (Wikipedia) 一切の意思表示ができないという重度の知能障害児であったが、太元21年(396年)に父帝が殺された後、皇帝として擁立された。安帝自身は政治を行なえず、最初は叔父の司馬道子・元顕父子による専横、元興元年(402年)に司馬道子父子が桓玄の反乱で殺され、翌元興2年(403年)には桓玄に禅譲を迫られて帝位を追われるという有様であった。翌永始2年(404年)に桓玄が殺され、劉裕の助力のもとに復位したが、今度は劉裕の専横を許すことになった。そして義熙4年(418年)に劉裕の手によって殺害された。齢37。子はいなかったという。
5: 世界@名無史さん 2013/04/08 16:58:43
西晋の恵帝
「米がないなら肉を食べればいいじゃない」
恵帝 (Wikipedia) 恵帝(けいてい)は西晋の第2代皇帝。生まれつき暗愚であり、西晋に混乱をもたらした。
6: 世界@名無史さん 2013/04/08 17:23:28
胡亥と劉禅だったら?
劉禅 (Wikipedia) 劉禅(りゅうぜん)は、三国時代の蜀漢の第2代皇帝。魏に降伏したため、皇帝としての諡は本来無いが、漢の後継を称する劉淵によって諡を贈られた。
12: 世界@名無史さん 2013/04/09 06:15:35
>>6
劉禅って三国志のおかげで有名暗君扱いだけど、アホかもしらんが暴君じゃ
ないからな。
13: 世界@名無史さん 2013/04/09 10:31:12
>>12
このスレタイは「一番の暗君」であって
「一番の暴君」じゃありませんが???
7: 世界@名無史さん 2013/04/08 18:26:30
劉禅は父の死後40年、孔明亡き後でも30年近く国を保っただろ
在位3年で滅んだ胡亥より圧倒的な実績だ
45: 世界@名無史さん 2013/04/13 18:56:04
>>7
胡亥は最強クラスだな
悪い意味で圧倒的
87: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) 2013/04/24 13:59:54
>>86
ああ、あとはスイッチを押すだけというところまでお膳立てされていたからね。
初代が暗君って本来ならあり得ないよw


ところで劉禅をちょっとだけ擁護してみる。
>>7>>15も言っているとおり、あの蜀の中だけでも人心が全くまとまらない動乱を
孔明亡き後も数十年も国を保つだけでも尋常じゃない。
その上、滅亡して魏の宴席で、
司馬昭から「都の暮らしはどうか?」と聞かれて
臆面もなく「蜀の田舎より楽しいです」と、
もはや実質上皇帝である司馬昭に答えたというエピソードも
最悪の暗君だからこその言動だとされるけど、
下手したら(つか下手しなくても)あっさり殺されるのがこの時代の常なのに、
この豪胆さは目を見張るものがある。
90: 世界@名無史さん 2013/04/24 20:27:58
>>87
暴政を敷かなかっただけで、別に国を保たせた訳でもない
酒と女と宦官が大好きだっただけ
暗君とは言い難いけどね
152: 世界@名無史さん 2013/05/01 18:29:48
>>87
新の王莽なんかも統治者としてはまるっ切り無能じゃないか
154: 忍法帖【Lv=12,xxxPT】(1+0:8) 2013/05/01 22:37:07
>>152
王莽は微妙なんだよな。
100%儒教による理想主義的政治としては必ずしも間違ってはいないけど、
100%儒教による理想主義的政治そのものがそもそも不可能だったという話だと思う。
8: 世界@名無史さん 2013/04/08 20:00:48
やっぱり王莽じゃないの?
王莽 (Wikipedia) 王莽(おう もう)は、新朝の皇帝。字は巨君。 史上初めて帝位の簒奪を遂げた人物であることから、王莽については政治面ばかりか人間性まで含めて批判的な評価が下されている。『漢書』を著した班固は「王莽伝」で以下の様に評している。
「王莽は口が大きく顎が短く、出目で瞳が赤く、大きなガラガラ声を出す。身長は7尺5寸(約173cm)もあるのに、底の厚い靴と高い冠を好み、ゴワゴワした張りのある毛を衣服に入れ、胸を反らして高いところを見、遠くを眺めるような目つきで左右の目を見る。」
こうした外見や人当たりに殊更拘りを見せ、儀式の際には髭や髪を黒く染めて若く見せようとした一方、符命や瑞祥によって自らの登用や即位を正当化させようとした際にも自ら渋々受ける振りをするなど奸智に長けていたと言われている。
9: 世界@名無史さん 2013/04/08 20:41:51
劉宋の前廃帝。
豚のように棒に縛り付けて吊るした叔父たちの目の前で
その母を近臣に強姦させた。

北斉の後主。何百匹ものさそりを桶に入れて
そこへ囚人を放り込み苦痛の極みに転げまわるのを見て大はしゃぎ。
徹夜で宮中の園でさそりを採集しまくっていた。
元々は異母兄が考案したものだが、
話を知ると「こんな面白いこと、なんでもっと早く知らせてくれなかった!」と言った。


北周の宣帝。臣下の妻をむりやり泥酔させて強姦し、反乱を招いた。
中国北部を統一した父・武帝の遺産を数年で食いつぶしている。
前廃帝 (Wikipedia) 前廃帝(ぜんはいてい)は、南朝宋の第5代皇帝。姓は劉、名は子業、小字は法師。
465年8月には自ら衛兵を率いて劉義恭・柳元景・顔師伯らを殺害し、9月には劉子鸞に死を賜り、11月には何邁を獄死させ、沈慶之を殺害するなど、宗室や高官を次々と処断した。また母の王太后が危篤の際には、「病人のところには鬼が出る」などと称して見舞いにもいかなかった。このような行動のために子業は宋朝における人望を失った。叔父の湘東王劉彧が腹心の阮佃夫・李道児らと謀って、この年の11月29日に後堂で子業を殺害した。
10: 世界@名無史さん 2013/04/08 21:56:52
春秋時代の衛の懿公。ペットの鶴が異常に好きで、官位や俸禄まで与えていた。
狄が攻めてきた時には家臣に見放され、「鶴に追い払わせればいいでしょう」と言われた。
懿公 (Wikipedia) 懿公(いこう、紀元前?年 - 紀元前660年)は、衛の第19代君主。恵公の子。
11: 世界@名無史さん 2013/04/08 22:11:00
唐の高宗もなかなかの暗君だと思うが女房のおかげで失政なく済んだな
高宗 (Wikipedia) 高宗 高宗(こうそう)は、唐朝の第3代皇帝。太宗の第9子。母は長孫皇后。
病気がちであった高宗は、政治において主導権を発揮することはなく、最初は外戚の長孫氏、後に皇后の武氏に実権を握られ続けた皇帝であった。
16: 世界@名無史さん 2013/04/10 04:51:31
道光帝
林則徐を罷免してフラフラと定まらない外交姿勢でアヘン戦争の傷口を最大限開いてしまった
道光帝 (Wikipedia) 道光帝 道光帝(どうこうてい)は清の第8代皇帝。諱ははじめ綿寧(めんねい)、即位後に旻寧(びんねい)と改めた。廟号は宣宗(せんそう)。在世時の元号の道光を取って道光帝と呼ばれる。
道光18年(1836年)、道光帝は林則徐を欽差大臣に任命し、アヘン密輸取締りを命じた。翌年、林則徐は断固たる態度で禁輸に望み、商人たちのアヘンを没収しこれを焼き払った。道光22年(1840年)、怒ったイギリスのアヘン商人は広州を攻撃し、イギリス本国も艦隊を出して清を攻撃した(アヘン戦争)。
313: 世界@名無史さん 2013/05/27 01:54:12
>>16
確かに戦争指導と外交はゴミカスだったけど、道光帝だけのせいに
するのはちょっと気の毒な気がする。人口爆発&阿片蔓延と巨額の
貿易赤字&乾隆帝の放漫財政のツケ&何の役にも立たない無駄
飯ぐらいの満州八旗と嫌な条件がそろってた上に、海防用の軍備が
全く更新されてなかった。康熙・雍正・乾隆時代からどころの話では
なく、明の万暦年間から。北京の物資の首根っこである大運河への
道、経済の中心地帯たる江南の大都市群を守るはずの舟山列島
定海砲台の砲が万暦年間製のまま放置されてる。あれは無理ゲー。
17: 世界@名無史さん 2013/04/10 07:28:06
林則徐を抜擢する目があっただけでもいいんじゃないか?

アヘン戦争の対応のマズさは同意だけど
18: 世界@名無史さん 2013/04/10 08:00:01
清朝は名君揃いだから失政があると余計に目立つな。
20: 世界@名無史さん 2013/04/10 19:13:41
皇帝が政治から離れて酒色に溺れた程度で国が傾いてしまう中国王朝を見ていると、
宗教狂い女狂い身障疑惑と色々いたのに余裕の安定感を見せた徳川幕府が凄く感じるな。
21: 世界@名無史さん 2013/04/10 19:22:42
>>20
中国システムは集権型の独裁だから、皇帝が無能なだけで傾く。

日本のシステムは、基本的にトップが無能な御輿でも廻る。
でも、中国みたいに優秀なトップが強烈な個性で引っ張るには不向き。

って感じか?
39: 世界@名無史さん 2013/04/13 08:55:35
>>21
多少スレ違いだが、民主党政権を経験したらそういうのんきな
ことを言えなくなった。
菅はまだ同情の余地があるとはいえ、鳩山はこのスレの話題になっても
おかしくない出来だと思うが?
とはいえ、鳩山は基本的に真面目で善意の人だろうww
真面目で善意(熱意)を持って行動したら最悪だったと言う形の中国の
皇帝は王莽、毛沢東、崇禎帝じゃないのかな
54: 世界@名無史さん 2013/04/19 23:38:56
>>39
崇禎帝はなんかカッコいい。
苛斂誅求やら、不要支出のカット(これが命取りに)など色々と理不尽なことをやったけど、
それら全てが明帝国すなわち天下のためにしたことだから。かなり勇み足だけど。
最期も、首を吊って髪で顔を隠し、
   「歴代諸帝に見せる顔がないので、このまま葬ってほしい」
だもんな。歴代諸帝よりずっとマシだから安心しろよと言ってやりたい。
「清史稿」にも「甚だしく暗くはなけれども」と記述されるくらいだし。
25: 世界@名無史さん 2013/04/10 21:22:06
>>20
逆に皇帝が暗愚で遊んでばかり
政務は家来に丸投げで自身はノータッチだったのが
結果として好結果を生んだというケースはないかな。
37: 世界@名無史さん 2013/04/12 00:19:28
>>25
皇帝ではないが
春秋時代の斉の景公と晋の平公が双璧
53: 世界@名無史さん 2013/04/19 23:26:23
>>25
さっきもどこかで書いたが、万暦帝と張居正はまさにそのとおりかと。
27: 世界@名無史さん 2013/04/11 00:19:05
明の嘉靖帝・隆慶帝・万暦帝の三代は全員暗君だけど
嘉靖末期~万暦初期は徐階・高拱・張居正といった有能な宰相達のおかげで
やや国が持ち直した時期だと思う

この場合 万暦帝は暗君というより幼君だけどね
28: 世界@名無史さん 2013/04/11 00:30:05
後漢や明は初期数人の皇帝以外は僅かな例外を除いて皆暗君なのに
よく約200年や約280年続いたな
30: 世界@名無史さん 2013/04/11 02:13:49
北宋の徽宗の名が出てないね
徽宗 (Wikipedia) 徽宗 徽宗 (きそう)は、北宋の第8代皇帝。諡号は体神合道駿烈遜功聖文仁徳憲慈顕孝皇帝(退位したので「遜」(ゆずる)という文字が入っている)。諱は佶。第6代皇帝神宗の六男(第11子)。芸術面では北宋最高の1人と言われる。
皇帝としての徽宗は自らの芸術の糧とするために、庭園造営に用いる大岩や木を遠く南方より運河を使って運ばせた(花石綱)。また芸術活動の資金作りのために、明代の小説『水滸伝』における悪役として著名な蔡京や宦官の童貫らを登用して民衆に重税を課した。
52: 世界@名無史さん 2013/04/19 17:47:17
東晋は在位短く若くして死んだ明帝以外暗君揃い
56: 世界@名無史さん 2013/04/20 14:51:12
つまり下落率だろ?

即位時から退位時までの間に
もっとも国力を低下させたものが最優秀暗君
68: 世界@名無史さん 2013/04/22 16:17:38
>>56
胡亥はどうよ。
70: 世界@名無史さん 2013/04/22 16:46:39
>>68
胡亥の場合は親父が大建設ラッシュで人民を疲弊させていて
即位時には人民がいつ爆発してもおかしくに状態に達していた

煬帝の親父は高句麗遠征に1回失敗した以外は
開皇の治と呼ばれる善政を敷いて人民に不満がなかったのを
煬帝が大建設ラッシュと3度の高句麗遠征失敗で亡国に追い込んだ
57: 世界@名無史さん 2013/04/20 15:41:39
それなら着実な治世を行った親父の遺産を使い果たしただけでなく
一気に亡国に導いた煬帝ということになるが
煬帝は暴君というイメージはあっても暗君という表現はイマイチしっくりこない
煬帝 (Wikipedia) 煬帝 煬帝(ようだい[1]、ようてい[2])は隋朝の第2代皇帝(在位:604年8月21日 - 618年4月11日)。煬帝は唐王朝による追謚である。中国史を代表する暴君といわれる[3]。
58: 世界@名無史さん 2013/04/20 16:55:06
南朝斉の蕭宝巻。

父の明帝が崩御すると16歳で帝位を継ぐが、もがりもせずに「気味が悪いからすぐに埋めよう」と言い出し、
喪主の礼として哭泣をするようにと言われても「喉が痛いからやだ」と拒否。
葬儀では忠臣が慟哭したが、頭巾が外れて禿頭が見えたので「禿鷹が哭きにきた」と手を打って大笑いした。

即位後は六人の重臣を殺害し、奸臣を近づけて重税を課し、多数の宮殿を造営して財政を破綻させた。
後宮に引きこもって幼馴染の潘氏を寵愛し、庭園の歩道を黄金の蓮華で敷き詰めたという。
また通行人を馬蹄で踏みつけるのが好きで、妊婦を踏み殺したりもしたという。
ついに反乱が起きて衛兵に殺害され、死後は諸侯に格下げされて「東昏侯」と呼ばれた。
蕭宝巻 (Wikipedia) 蕭 宝巻(しょう ほうかん)は、南朝斉(南斉)の第6代皇帝。明帝の次男。同母弟に和帝、蕭宝寅(中国語版)がいる。斉の3人の廃帝の一人で東昏侯(とうこんこう)と呼ばれる。
67: 世界@名無史さん 2013/04/22 15:51:05
バーサーカー:文宣帝
ジェノサイダー:洪武帝
と言った所かな。
両者共暗愚ではないな。
文宣帝 (Wikipedia) 文宣帝(ぶんせんてい)は、北朝北斉の初代皇帝。姓は高、諱は洋。渤海郡蓨県(現在の河北省景県)の人。
政務を省みなくなり、酒色に溺れて宮城の造営で10万の民を徴用するなど奢侈を極めるようになり、民衆生活を圧迫した。また文宣帝は自らが漢化した鮮卑族でありながら、その劣等感を常に持っていたために、漢族の大量殺害を実行し、同胞である漢化した鮮卑貴族の利益を維持した。
朱元璋 (Wikipedia) 朱元璋 朱 元璋(しゅ げんしょう)は、明の創始者であり、初代皇帝である。廟号は太祖(たいそ)。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。また、生まれた頃の名は、朱重八(しゅ じゅうはち)といい、後に朱興宗(しゅこうそう)と改名し、紅巾軍に参加する頃にさらに朱元璋と改名し、字を国瑞(こくずい)とした。
洪武帝は自分が老いるに従い後の心配をするようになった。皇太子に選ばれたのは長男の朱標であったが、朱標は優しい性格で、洪武帝から見るとあまりにも甘すぎると感じられた。一連の粛清事件は、この後継者のことを心配したためとも言われる。
洪武8年(1375年)には劉基が中書左丞相の胡惟庸に毒殺された。廖永忠も殺されている。洪武13年(1380年)には、胡惟庸の疑獄事件をきっかけとしてそれまでの功臣の大粛清を始めた。これは胡惟庸の獄と呼ばれ、胡惟庸らの誅殺により一旦は終結した。
69: 世界@名無史さん 2013/04/22 16:37:21
暗愚と言うより傀儡だな。
71: 世界@名無史さん 2013/04/22 17:16:56
>>69
暗愚だから傀儡になったと思うのだが…?
72: 世界@名無史さん 2013/04/22 17:21:17
胡亥の治世って一から十まで趙高の手の内だったような気もするが、
皇帝自らが先頭にたってどんどん国にダメージを与えていったのだろうか。

それとも趙高のようなやつが実験を握って好き勝手やっていたとしても、
その時君主位にあったというだけで責任は免れられないのだろうか。
趙高 (Wikipedia) 趙 高(ちょう こう、? - 紀元前207年)は、戦国時代末期から秦にかけての宦官、政治家。
74: 世界@名無史さん 2013/04/22 17:26:29
>>72
責任は重大。もう20代だったというし、
その気になれば兄の扶蘇を推戴することもできたし
自分が帝位に即いたとしてもいくらでもまっとうな施策はできた。
それを自分で自堕落、しかも残虐な道を選んだ。
78: 世界@名無史さん 2013/04/22 21:46:23
>>72
佞臣に政務を任せる
あるいは政務をほったらかしにして佞臣に実権を握られるって
暗君の最たるものだと思うが・・・
75: 世界@名無史さん 2013/04/22 17:53:13
胡亥の後を継いだ子嬰は趙高粛清してるし、
胡亥もやる気あれば趙高粛清してまともな政治するチャンスはあったんだな。
76: 世界@名無史さん 2013/04/22 18:05:36
陳勝・呉広の乱が起きたのは胡亥が即位した翌年のことだから
即位した時点でいつ反乱が起きてもおかしくない状態だったわけだし
けっきょく治世もわずか三年しかなかったから
秦滅亡原因の殆どは始皇帝が作ったと思う

それを考えると秦滅亡の責任を胡亥や趙高に押しつけるのは酷な気もする

かなりの暗君だったのは間違いないと思うけどね
陳勝・呉広の乱 (Wikipedia) 陳勝呉広の乱(ちんしょうごこうのらん)は、中国秦末期に陳勝と呉広が起こした、史上初の農民反乱。
79: 世界@名無史さん 2013/04/23 19:00:20
どっちにしろ、暗君とか言っても
胡亥みたいに何もしなくて宰相が好き勝手やってた(と見なされている)のは、
自ら音頭とって悪政を強いた他の暗君に比べたらランク低いよな。
80: 世界@名無史さん 2013/04/23 20:27:12
そっちは暗君でなくて暴君と呼ばれるような
81: 世界@名無史さん 2013/04/23 22:03:25
暗君って原語の意味としては、儒教関連だろう(多分)
ストレートに取れば愚かな君主ってところかなーって感じだが

暗君の正確な定義はともかく、
このスレ的には人民に害悪な君主っていいんだろうか
83: 世界@名無史さん 2013/04/24 00:29:52
>>81
国を再興して江南を華北のような大混乱と大虐殺から防いだとはいえ
東晋の元帝は暗君
上記は全て宰相 王導のおかげ
88: 世界@名無史さん 2013/04/24 14:15:51
後漢末期・三国時代・西晋・東晋は悲惨な戦乱が続いて人が次々と簡単に死んで行くのを見て
皇帝だけでなく全体的に人の心と頭が麻痺してしまったとしか思えない

とりあえず、註釈つけんの大変でした。
中国の歴史はカオスで、何度も民族的な断絶があるので、中国4000年とかちゃんちゃらおかしいです。

元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1365399127/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.8.21 22:37
    明でやっと皆のイメージする専制君主である「皇帝」が確立されたわけで
    それ以前は皇帝の力が弱かったから暗愚でもどうにでもなった。
    逆に明以降は孝武帝や建文帝、清の初期の名君みたいな
    有能な働き者の場合はとても良かったが、暗愚だとそりゃもう・・・。
    • わ、なんかすっごい昔の記事まで読んでいただいてありがとうございます。

      >明でやっと皆のイメージする専制君主である「皇帝」が確立された
      あーなるほど、そうだったんですね。
      確かに言われて見れば漢の頃あたりは、宦官なんかの官僚が強い力を持ってるイメージ。
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