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【家船】水上生活民について語ろう【モーケン族】 @ [民俗・神話学板]


【家船】水上生活民について語ろう【モーケン族】 @ [民俗・神話学板]
1: 天之御名無主 2012/01/21 07:56:31
かつては日本にもたくさんいた水上生活民の風俗、文化、歴史、彼らがなぜそんな生活を
選択したのか、なぜ続けられるのか、行政からどういう扱いを受けているのかなど、自由に語ってください。
3: 天之御名無主 2012/01/21 08:36:43
4: 天之御名無主 2012/01/21 09:27:32
7: 天之御名無主 2012/01/22 11:08:00
>>4で終了だな。
民俗板にこれ以上の知識を持っているやつは来ないわw。
9: 天之御名無主 2012/01/22 17:15:11
とは言え、モーケン族の情報なんてあんまなさそうだし
モーケン族 (Wikipedia) モーケン族 モーケン族(Moken)とは、ほぼ一年中海上で過ごす海洋民族。モーケンやモーケン人とも呼ばれる。モーケンは、自称でビルマ語では、サロン族と呼ばれる。別名「海のジプシー」。ただし「海のジプシー」という呼び名は東南アジアのいくつかの民族集団の総称であり、モーケン族のみを意味するものではない。オーストロネシア語族に属するモーケン語(英語版)の他、タイ語やミャンマー語を使用する。
10: 天之御名無主 2012/01/22 18:57:53
別府の湯治舟って、どういうものか分かる人いたら教えてください。
客が連日で湯治したくても、宿も何も無かったから、移動式の宿として使われていたということなんでしょうか?
家船 (Wikipedia) 家船 家船(えぶね)とは、近世から近代の日本に存在した一群の漂流漁民の総称である。
古代海部の系統をひく水軍の末裔とも言われているが、詳細は不明である。数艘から数十艘にて集団を形成(「~家船」と称する)して、本拠地を中心として周辺海域を移動しながら一年を送り、潜水や鉾を使った漁で魚介類や鮑などを採集する漁業を営なみ、1週間から10日おきに近くの港で物々交換に近い交易をしていた。家船が三津の朝市で漁獲品を水揚げする姿は戦後もしばらくは見られていた。
別府温泉では、持ち舟で寝泊まりしながら浜脇温泉や別府温泉に通う湯治の習慣が古くから見られ、戦後しばらくまでは続いていた。春には波止場に係留される舟は100艘近くにのぼり、湯治舟とよばれて季語にもなるほどの別府の春の風物詩となっていた。
50: 天之御名無主 2012/02/06 16:46:02
家舟と思われる物体なら、小さいときに見たなあ。
もう、34、5年前か。

市の中心を流れる川の河口付近、
河川敷に半分陸に乗り上げる形でおいてあった。
葦が高いもんで結構隠れててね、
大きさは6メートルぐらい、幅は2メートルもあったかどうか。
天井の低い2階建てで、高さも2メートル程度と思う。

大人は中で直立はできなかったんじゃないかな。
もしかしたら一階部分は倉庫だったのかもしれない。

扉と屋根が赤いトタンだった。たぶん錆び止め塗料の色だろうね。
中に毛布がたくさんあって
いつも白いシャツとか干してあった。
風化したポリ袋も全体にたくさんぶら下がってて、
その中によくわからないガラクタが詰め込まれてた事はよく覚えてる。


河川敷はただのヘドロと葦の湿原で、その頃は全く整備されてなかったんだが
その上に細い板で護岸から船まではしけを造っていてね、
同じ物が多分、ぽつんぽつんと5、600メートルぐらい間隔で
3、4隻あったと思うんだけど、他のはよく知らない。
子供の頃はテリトリーみたいな物があって、他校の校区には行かなかったからね。
高校生になった頃にはもう無くなってたな。

その流域は部落系が多くて、
漫画みたいな、トタン屋根に石を置いてる家もまだあちこちにあったよ。

ちなみに九州。
53: 天之御名無主 2012/02/07 08:04:43
>>50
それって>>10とはまた違うの?
55: 天之御名無主 2012/02/07 18:37:22
>>53
違うと思う。普通の田舎町だから。
さらにずっと昔は、その辺りは蛤の産地だったんだが
川が汚染されて死滅したんだよ。
たぶん、元はその漁舟だったんじゃないかな。

友達の親父さんは猟銃の免許を持っててその川で鴨を撃ってたんだが、
人家は近くにたくさんあるし川幅だって狭い。
今にして思えばよくこんなとこで・・・と絶句するよ。
現在なら間違いなく免許失効、下手すりゃ刑務所行きだろう。
まあ、つまり、地方はその当時はまだ、そのくらいおおらかで
今とは全然違ってたよ。
11: 2012/01/22 20:06:35
すいません、>>1に以下の文章を入れていたつもりでしたが、抜けてしまってました。

対象は、家船、ビルマのモーケン族、中国の蛋民、ベトナムのホーチミンやハロン湾の村々、
カンボジアのトンレサップ湖、セーヌ川やアムステルダムなどでクルーズ船で生活する人達などに
なるかと思いますが、長期航海者の生活や漂流民などの話も必要に応じてあっていいかと思います。
12: 天之御名無主 2012/01/22 21:40:50
>長期航海者の生活や漂流民などの話

一気に範囲広がりそう。
14: 天之御名無主 2012/01/23 12:03:26
昔の倭寇と水上生活民って、ほとんど似たようなものというか、
漁民とか水上生活民の一部が、海賊行為もやっていたんだろうな。
倭寇 (Wikipedia) 倭寇 倭寇(わこう)とは、一般的には13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の事である。和寇と表記される場合もある。また海乱鬼(かいらぎ)とも呼ばれる。
17: 天之御名無主 2012/01/23 14:08:24
>>14
松浦党がか?
松浦党 (Wikipedia) 松浦党(まつらとう)は、平安時代から戦国時代に肥前松浦地方で組織された武士団の連合。水軍として有名。
嵯峨源氏の流れをくむ松浦氏を惣領とし、渡辺綱にはじまる渡辺氏を棟梁とする摂津の滝口武者の一族にして水軍として瀬戸内を統括した渡辺党の分派とされる。祖の松浦久(渡辺久、源久)は、渡辺綱(源綱)の子の奈古屋授(渡辺授、源授)の子とされ、松浦郡宇野御厨の荘官(検校)となり、松浦郡に所領を持ち松浦の苗字を名のる。
18: 天之御名無主 2012/01/23 15:54:11
むしろそういうのの前身がじゃない?
とか、瀬戸内海の漁民とか。
家船で生活していた連中とか。
96: 天之御名無主 2012/03/05 22:23:51
>>14
>昔の倭寇と水上生活民って、ほとんど似たようなものというか、

というか、元祖日本の水上生活民が倭寇でしょ?
15: 天之御名無主 2012/01/23 12:47:21
マラッカ王国なんか、オランラウト族(マラッカ半島の水上生活民兼海賊)の力が無ければ、
建国できなかったぐらいだし。
16: 天之御名無主 2012/01/23 13:48:00
オランラウト族ってのもなんか変というか、あれ族なの?
マレー語で海の人って意味で、マレー半島とかアンダマン海に住む人を集合的に呼んだ名前だろ。
モーケン族が一番メジャーだけど。
23: 天之御名無主 2012/01/24 00:10:35
蛋家、蛋民、Aberdeen
蛋家 (Wikipedia) 蛋家 蛋民(蜑民、疍民。たんみん)とは華南の広東省、福建省、広西チワン族自治区、海南省、香港、澳門の沿岸地域や河川で生活する水上生活者である。
27: 天之御名無主 2012/01/24 08:47:27
>>23
なんだよAberdeenって
無言で単語だけ並べられてもわけわからん。
28: 天之御名無主 2012/01/24 09:10:50
>>27
香港だろ
24: 天之御名無主 2012/01/24 00:45:11
E0Go8Xxy
25: 天之御名無主 2012/01/24 01:31:11
>>24
今でもやはりいるんだなあ。

そう言えば日本の海女の語源がこの人たちから来てるって聞いた事がある。
26: 天之御名無主 2012/01/24 07:32:50
どういう風に語源になりうるの?
30: 天之御名無主 2012/01/24 12:20:14
>>26
Wikipediaより
中国の「蜑」、「蜑家」という語、
あるいは「蜑女」という表記を用いて、「あま」と読み、日本の漁民や海女を指す例が近世の文書に見られる。

例えば、『南総里見八犬伝』に、「蜑家舟」と書いて「あまぶね」と読む語が登場する。
36: 天之御名無主 2012/01/26 14:41:01
水上生活民が住んでる、下に杭打った家って、なんか呼び名があるんでしょうか?
87: 天之御名無主 2012/03/03 11:53:53
>>36
杭上住居とか高床住居とかかな
どっちも英訳するとpile dwellingだけど
89: 天之御名無主 2012/03/03 23:30:20
>>87
今日、『南アジアの漂海民―漂海民と杭上家屋民』って本を見つけたけど、杭上家屋って言葉があるみたいだね。
110: 天之御名無主 2012/03/22 18:54:26
>>89
ここでも、杭上家屋って表現されている。

海域ムラユ世界に溶け込む華人
http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/65295/1/field-2_p10.pdf
37: 天之御名無主 2012/01/26 18:52:13
595 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/22(日) 23:49:49.14
よく東南アジアなどの水上生活者の村で、杭を海中に打ち込み、
その上に板を渡して家を建てていたりしますが、そういう方式というか
構造に対する呼び名はあるんでしょうか?
桟橋でも無いし。


596 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/23(月) 00:13:24.68
水上家屋とかフローティングハウスとか言えば大体通じそうな気はするけど…
ウィキペディア先生によれば、その杭を使ったりしてるやつはケロンっていうみたいだね


598 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/23(月) 07:42:49.14
フローティングハウスって、船にちょっと手を加えて住居にした、実際に水に浮かんでいる家じゃないの?


599 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/23(月) 18:19:53.65
水上家屋って、杭打って住んでるやつとか、船加工して住んでるのとか、全部ひっくるめて指してるんじゃないのかな。
杭って言葉を使わずに、>>595を的確に指すのはちょっと難しいような。


600 名前:名無し物書き@推敲中? 投稿日:2012/01/23(月) 18:44:56.51
杭派、舟派、水草派 がある

さらに(普通は満潮時より上に床を作るが)
杭の上に浮くように作って干潮満潮に対応で来てるやつらも居る
通常装飾も無いたんなる適当な板で作るが
(住むわけではないが)京都の川床など、もうほとんど芸術って言っていいと思う
あんなもんでも民族でセンスが出る
91: 天之御名無主 2012/03/04 01:57:43
>>37
600の言うところの水草派がわからん

住居じゃなければアテスカのチナンパが当てはまるんだろうけど
あれは湖上を畑地として利用するだけで
住居自体は周辺の陸地か干拓地、埋立地に作るからなあ
チナンパ (Wikipedia) チナンパ チナンパは、沼地の表面の厚い水草層を切り取り、敷物のように積み重ねてつくった浮島の上に湖底の泥を盛り上げて作った湖上の畑のようなものを利用する収量の大きい農法である。アステカ時代のテノチティトランの周囲で行われていたことでも知られる。現在でもメキシコ・シティ南方のショチミルコに残っている。チナンパ農法は、たえず灌漑されると同時に、多くの養分を含んだ泥で栽培するので集約的に高い収穫を得ることができたし、あらゆる種類の作物を栽培することができた。
46: 天之御名無主 2012/02/04 15:47:08
家船の子が何人か小学校にいた。
貧しかったけど古くからの巻物があることが彼らの誇りと親から
聞かされてたみたい。。。
本当は、自分たちの方が海の権利を最初に許されたとかいう・・

大抵、小舟から降りた祖父母と住んでたみたいだけど、余り長くは
いなくて、学期が変わるといなくなったりしてたな・・・
ちょっと不思議な記憶として残っている
市か教育委員会かの担当の人が聞き取りとかしてたような気もする
47: 天之御名無主 2012/02/05 20:47:28
これは貴重な証言。
他にもなにか思い出したら、何でもいいので教えてください。
48: 天之御名無主 2012/02/06 13:55:57
相当古い話だから細部は曖昧。それより公の資料見た方がいい。図書館にあるはず。私が生まれた昭和30年代から少なくとも物心つく頃まで存在したのは確か
66: 天之御名無主 2012/02/12 08:06:51
43 名前:日本@名無史さん 投稿日:2012/02/11(土) 20:16:05.62
長崎出島の開港は変な人の侵入、伝染病の侵入、麻薬の進入等々の悪いものの検査に役立った。


44 名前:日本@名無史さん 投稿日:2012/02/11(土) 21:13:33.90
ヨーロッパでは出島のことQuarantineとして紹介してる。答えはそこにある。
管理人より:すごい単語が出てきたなこりゃ…。「quarantine」とは検疫のために(人や動物を)一時的に隔離することを意味します。
74: 天之御名無主 2012/02/15 00:15:38
まあ問題を上げるとすればQuarantine、検疫隔離は、
基本的に船上生活ではなかったということくらいかな。

指定された島に停泊させて隔離というのが基本だから。

ベネチアの制度はベネチア本島はじめ重要港を守るために、
その付近の島を指定しそこに入港者を生活させてるから陸上生活だね。

そもそもガレー船の占める比率が高いベネチア商船団は
補給なしで商品を積んだ状態で四十日も洋上生活するなんて困難なわけだし。
あと大航海時代以降もベネチアは地中海交易中心で
結構後世まで長期航海とも基本的に無縁。

ついでにいうとマルセーユも1388年に検疫隔離制度を始めたけど
これも30日間港外の島に船員を隔離するという制度ね。


というか>>66出島云々は、
四十日間の船上生活する制度とすら無関係
なわけだが。
70: 天之御名無主 2012/02/12 22:49:53
まあ、普通はベネチア市民を水上生活者とは言わんけどね

干拓して陸地を作ってそこに建造物を作るのと
定期的に水が来るところに高床式の建造物を作るのでは大違い
72: 天之御名無主 2012/02/13 09:53:45
Quarantineの制度自体が、船の上で40日間水上生活しろってことだったりするけどな。
75: 天之御名無主 2012/02/15 09:07:04
>四十日間の船上生活する制度とすら無関係なわけだが。

Quarantineと紹介されていたってことは、出島を
ベネチアなどの付近の島になぞらえて説明していたってことじゃ?
期間は遥かに長いし、その後本土に上陸が許されるわけじゃないから
俺らからするとかなり違和感はあるけど、当時のオランダ人からすれば
一番シンプルに説明できる言葉だったんじゃないかな。
76: 天之御名無主 2012/02/15 19:50:28
だからなに?
島になぞらえてるならますます陸上生活が前提でしょ?
ますます的外れかと。


ついでに言うと
>その後本土に上陸が許されるわけじゃないから
は大嘘。
嘘じゃないとしてもひどい事実誤認だね。

カピタンはほぼ毎年江戸に参府して将軍にお目見えしてる。
(正確には1790年まで毎年でそれ以降は四年に一度の計166回)
葛飾北斎の『絵本東都遊(えほんあずまあそび)』の日本橋本石町の絵でも
定宿長崎屋に滞在中のオランダ人を見物に行く町民が描かれてるよ。
カピタン (Wikipedia) カピタン カピタン(甲比丹、甲必丹、加比旦)とは江戸時代、東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者「商館長」のこと。元はポルトガル語で「仲間の長」という意味があり、日本は初めにポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を開始した為、西洋の商館長をポルトガル語のCapitão(カピタン)で呼ぶようになった。その後ポルトガルに代わりオランダが貿易の主役になったが、この呼び名は変わらなかった。本来オランダでは商館長のことをOpperhoofden(オッペルホーフト)と呼ぶが、日本では使われなかった。
管理人より:葛飾北斎の「絵本東都遊」の日本橋本石町の絵というのは↓これのことのようです。 2EDhh8Oy
77: 天之御名無主 2012/02/16 14:55:20
事実誤認も何も、当時そう紹介されていたんなら、それでいいんじゃないの?
79: 天之御名無主 2012/02/16 16:11:44
>>76
>その後本土に上陸が許されるわけじゃないから

ヨーロッパでやっていたQuarantineと違って、長崎の街を自由行動できるわけじゃなかった程度の意味じゃないの?
80: 天之御名無主 2012/02/16 16:21:08
あのさあ
>>76の書き込みへの反論にすらなってないよ
陸上生活前提という主張にはいっさい反論できてないもん。


>>76
現在では京都の伊根の舟屋が観光地化してるけど
江戸時代の名所図会とか浮世絵とかで紹介されてたりするのかな?
もしあるなら、当時どんなふうに紹介されてたのか気になる。
81: 79 2012/02/16 18:19:38
つーか、俺は75じゃないし、反論なんてしたつもりない単なる横レスだし。
そもそも>>76が何を主張しようとしているのかいまいち分からない。
頭に血が上っていろんなことにいっぺんに噛み付いてるから、話がよくわからんよ。
82: 天之御名無主 2012/02/16 19:24:44
喧嘩する話題でもないとおもう。

カピタンを務めたイザーク・チチングの書簡が弘文館から出ているが、それらによる限り、
残念ながら当時のオランダ人は出島のことをquarantineとは言っていない。

Nagasaki Mercantile oprichting(長崎商館)とかDejima(そのままだw)と言っている。
つまりquarantineは後世になって歴史研究の中で使われる学術用語であり、
当時の一般的な言葉ではなかったということ。


これは鎖国という語が志筑忠雄の『鎖国論』(1801年刊)が初出であり
江戸時代に使われた言葉ではなく明治以後に定着した歴史用語であると同様。

これでもうquarantineなんて話題に振り回されないですむはず。
イサーク・ティチング (Wikipedia) イサーク・ティチング イサーク・ティチング(イサーク・チチング、イサーク・ティツィングとも表記される。Isaac Titsingh。1745年1月10日-1812年2月2日)は、オランダの外科医、学者、在日オランダ商館長(カピタン)、駐清オランダ大使。アムステルダム出身。
ティチングは、東アジアで長く経験を積み、オランダ東インド会社の最高位職を歴任した。江戸時代中期の1779年から1784年の間3度にわたりオランダ商館長として日本に滞在し、1785年には、ベンガルのチンスラでオランダ東インド会社総督に就任した。清との貿易に関心を寄せたティチングは、1795年、実質的なオランダ大使として乾隆帝の治世60年記念式典に列席した。
83: 天之御名無主 2012/02/16 23:35:28
>>81
>>74>>76もおれが書いたけど。
>>70以来問題になってるのはQuarantineがこのスレで言うところの水上生活かどうかでしょ?

Quarantineの制度自体が>>72で言うように船の上で生活しろというものでなかった。
隔離はするけどそれは船上で生活させるわけではなく、
隔離用に島を指定しそこで生活させるものだったということ。
また、そもそも出島は検疫隔離とも無関係という二点が>>74の趣旨

これに反論するならせめて出島でも水上生活してたとか、
Quarantineの制度でも船上生活してたとかいうことを示さなければならないのに
>>75は「出島をベネチアなどの付近の島になぞらえて説明していた」とかいってる。

そんな話題をいくら並べても
Quarantineが水上生活であり、このスレで扱う話題だという根拠にはならないということ。


>>76の『ついでに言うと』以降は蛇足だね。
『その後本土に上陸が許されるわけじゃないから、俺らからするとかなり違和感はある』
とかいってる>>75の事実誤認を指摘してるだけ。
だから>>79の言ってることには賛同する。

ただ、きみも>>76の後半だけ見て吠えついてる。
改行までして『ついでに言うと』と前置きして、本題ではないと書いてるのに
そこだけ取り出して横槍されても迷惑。

とはいえ、>>82の江戸時代には出島をquarantineと言っていないという話で
議論をするまでもなくquarantineの話題をする意味がなくなったわけだけど、
双方に不快がないように一応書いとく。
112: 天之御名無主 2012/05/04 21:39:27
>>83
Quarantineを書いた者だけど話がながくくどくてよくわかんない。出島は単なる
検疫居留地。
歴史家って伝染病の話すると嫌がる。戦争の話すると興奮する傾向が
あるね。何でも軍事に結びつける人いる。
115: 天之御名無主 2012/05/05 01:19:41
>>112
残念ながら検疫目的の隔離場所は別(佐嘉領小嘉倉村属高鉾島)にあったので、
出島の役割は貿易統制とキリスト教布教禁止のためという一般的な理解で問題ない。



たいしたことは書いてないけど高鉾島は出島上陸の検疫所となっていたと明記されてる。
参考までに
「長崎市立小榊小学校学校紹介のページ」
http://www.nagasaki-city.ed.jp/kosakaki-e/syoukai/shoukai.htm
116: 天之御名無主 2012/05/05 03:35:11
>>112
少なくとも誰も戦争の話はしてないし軍事にも結びつけて無いだろ。
84: 天之御名無主 2012/02/17 11:04:25
わー、話追えねえw

管理人も話追えませんー!
学問板で議論が発生した時は、どちらの立場にいるかで色を変えてるのですが、正しく変えられてるか自信ないです。
まさかモーケン族だかの牧歌的な船上生活の話しから、出島の検疫の話しになるとは…。
なんていうんでしょう、スレタイ見ただけだと、マーク・トウェイン的な、冒険ちっくな話しだと思ったらとんでもないことでした。
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元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1327100191/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2014.7.27 14:21
    子供時代が懐かしく色々調べていてここに来ました。昭和47年(1972年)生まれです。
    中学2年まで品川、目黒川沿いに住んでいました。今現在は天王洲アイルになっているあたりで、川は埋め立てられ高層マンションが立ち並んでいるようですね。

    今考えると危ないですが・・・。目の前が川で船が数隻停まっていたので、よく弟と遊びに行っていました。そこに住むおじさんと仲がよく、お菓子をもらったりしていましたね。そのおじさんの船(木で出来ていたはずです)以外にも数隻停まっていましたが(これらは人は住んでいなかったと思います)、床部分についた重い扉を開けると汚物が入っていました。落ちたりしていたら・・と考えると怖いですね。弟とはう●こ船と呼んでいました。川が干潮になると(すぐそこは東京湾ですので)干潟で色々なものを拾って遊んだり懐かしいです。

    当時は川を挟んだ向かい側にゴミ集積所があり(今は分かりません)そこに船をつけてゴミを積んでいました。埋立地に持っていっていたんでしょうね。川を挟んで船に積み込まれるゴミの音が家にまで聞こえてきましたよ。

    遊んでいた川はなくなり、風景は一変しましたが懐かしい思い出です。
    • おおおお!なんてこった!
      こんな昔の地味スレまとめにコメントがつくとは夢にも思いませんでした!!笑
      このスレひそかに良スレだろ…と思ってたのに、まるでアクセスなくてガッカリしたものですが…。

      なんだかこれも非常に非常に貴重な体験なんではないでしょうか。
      管理人は水上生活してるひとって観たことないのですが、戦後の混乱がちょっぴり残ってるような時代だったのかな。

      でもこう子供時代を思い返してみると、今よりもずっとヤバかったですよね。いろいろと。笑
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.6.10 15:39
    私(純粋日本人)の住んでいるこの島にも多くの水上住居があります。木造の家々は割合と天井が高く、中は常に薄暗く(暑さ対策)、思ったよりずっと広い事に驚きます。
    手摺などない、板を渡しただけの狭い木の通路が海上に張り巡らされています。
    そこを自転車がチリンチリンとベルを鳴らして走って来ます。バイク(日本では原付かも)さえブブーーっと渡って来て、玄関先の空けてある空間(前庭?)に停めていたりします。バイクや自転車を置いていないと、植木鉢や藤のイス等がある事が多いです。
    家々の玄関も窓も常に開け放たれていて、暮らしが垣間見れます。幼い子供達が家からパッと出て来て、板の通路をきゃっきゃと走って行くので、私が案内した人は「ここに住んだら絶対に何度か海に落ちるよねー」と言いました。
    家の前で魚釣りをしていたり、すぐ下にボートが留めてあったり、所々に祀られている神様、板の通路の周りの洗濯物や、よくある(熱帯の)大雨の時を想像したり……色々と興味深い所です。
    島に親戚や友人が遊びに来ると案内します。やっぱり、皆さん日本やヨーロッパからいきなりでは、現地の生活剥き出しの路地に踏み込んで行くのに躊躇しますが(はっきり言って怖い)、一度は海の上を歩いてみてほしいからです。
    いつか、なくなってしまったり、全て商業施設に変わってしまったりするのかな…と思ったもするので。
    住人が寝静まった夜もまた眺めもよく、夜風が心地よいですが、これは流石に現地人の男性に同伴してもらわないと……です。
    • こーれも貴重な体験談。現在の日本でも離島にはまだそういう習慣があるのかなぁ。
      すごく風情があってオシャレな感じがしてステキです。
      南の方はだいぶん、すんでるひとものんびりしてるそうなんで、そういう生活が残っていてもおかしくはないですよね。
      いいなぁー!!
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.6.11 0:57
    ※管理人様
    ありがとうございます。
    ここは日本ではなくて、本場の熱帯ではありますが。
    • あーなるほど、国内と勘違いしてしまった。
      てことはリアルモーケン族のような方がおられるんですね。
      なにしろ貴重な体験談をどうもです~
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