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【人身御供】人柱伝説について語ろう【生贄】 @ [民俗・神話学板]


【人身御供】人柱伝説について語ろう【生贄】 @ [民俗・神話学板]
1:
僕の近所の溜池には人柱の伝説があって、犠牲になった乙女をマツっている神社まであります。
これってほんとなんでしょうか?
人柱なんてほんとにあったのか疑問です。

溜池にはそういったなんらかの伝説がくっついてる場合がよくあると聞いたこともありますが。
誰か人柱について詳しい人教えてください。
2: 天之御名無主
ロンドン橋・・・
管理人より:まず「人柱」について。
人身御供の一種。大規模建造物(橋、堤防、城、港湾施設、などなど)が災害(自然災害や人災)や敵襲によって破壊されないことを神[* 1]に祈願する目的で、建造物やその近傍にこれと定めた人間を生かしたままで土中に埋めたり水中に沈めたりする風習を言い、狭義では古来日本で行われてきたものを指すが、広義では日本古来のそれと類似点の多い世界各地の風習をも同様にいう。
日本だけの話ではないんすね。
ロンドン橋
マザーグースの歌に「ロンドン橋落ちた」というのがありますが。
London Bridge is broken down,
Broken down, broken down.
London Bridge is broken down,
My fair lady.
「My fair lady」の部分は「Lady Lee」だったりして諸説ありますが、人柱にされた女性なのではないか?というまことしやかな説も。また、「金と銀の橋では盗まれるから見張り番を置こう」という歌詞があることから、これが人柱なのではないかという説も。
自然の力に対抗するためには犠牲が必要…という考え方はヨーロッパでも当時からあったそうです。
3: 非決定性名無しさん
ここが参考になるかな。
320 新しい人柱を入れた? という疑問

本当は、この前の319番がオモシロイんだが非公開となっている。
公開してもらうよう頼んでみては?
6: 非決定性名無しさん
記憶は曖昧だが、関東大震災で皇居のどっかが壊れて、それを修復する為、基礎を掘り返したら人骨が数体出てきた、ちゅう内容だったような。

で、問題になったのは、天皇家も人柱立てたのかどうか、だったと思う。

こういう事、あんまり書くとマズイかしらん。
7: 天之御名無主
民話には沢山あるよね
有名なのは「雉子も鳴かずば撃たれまい」っていうのがありますね。
8: nanashi
>>7
長柄の人柱伝説だね。
物いわじ 父は長柄の人柱 鳴かずば雉も 射られざらまし


>>6
大正時代、皇居二重櫓下から、人骨が出てきて人柱か否かの論争が起きたらしいね。
そのとき、南方熊楠が「人柱の話」と言う随筆を書いて、実際に近世まで人柱が行われていたこと説いた。
長柄橋
管理人より:「長柄橋」というのは大阪の淀川にかかる橋のひとつで人柱伝説があります。管理人は一時期大阪にいたことがあるんですが、この近くに住んでました。懐かしい。
推古天皇の時代(飛鳥時代)、長柄橋の架橋は難工事で、人柱を立てることになった。垂水(現在の吹田市付近)の長者・巌氏(いわうじ)に相談したところ、巌氏は「袴(はかま)に継ぎのある人を人柱にしなさい」と答えた。しかし皮肉にも、巌氏自身が継ぎのある袴をはいていたため、巌氏が人柱にされた。 巌氏の娘は父親が人柱になったショックで口をきかなくなった。北河内に嫁いだが、一言も口を利かないので実家に帰されることになった。夫とともに垂水に向かっている途中、禁野の里(現在の枚方市付近)にさしかかると一羽の雉が声を上げて飛び立ったので、夫は雉を射止めた。それを見た巌氏の娘は「ものいわじ父は長柄の人柱 鳴かずば雉も射られざらまし」と詠んだ[3]。妻が口をきけるようになったことを喜んだ夫は、雉を手厚く葬って北河内に引き返し、以後仲良く暮らした。
9: スネーカー教徒
人柱の伝説、習俗は世界中にあるそうです。
ボルネオのミラナウ族は柱穴を堀り奴隷娘を落として殺しました。

朝鮮では1528年に成同という人物の隣家の子供達が突然失踪しました。実はこの成同という人物が家を建てるときに埋めていた事が発覚しました。

ソロモン諸島ブーゲンビル島のブイン族
人狩りをし、その奴隷を殴り殺して頭、手、足に解体、柱壁に縛り、これらに槍と矢を投げる。
3日後それらを埋め、10日後に掘り出して骸骨を中心の柱の隣に置く。

ヨーロッパでも人の血を注いだとか、少女を生きたまま壁に取り込んでしまったと言う伝承。また人の変わりに人形や動物とかを使うケースもあります。

日本もたくさんの人柱伝承はありますね。自分の隣町にも橋の建設の為の人柱の伝承があります。
柳田國男の主張、水神に仕える巫女が物語として語り歩いた、と南方熊楠の主張、どっちなんでしょ。伝承のある場所から人骨が出たと言う考古学的証拠は見つかっていないのでしょうか?

「人身御供」はどのように論じうるか? ?近代知識人による「人身御供」という問題の扱い方から?
10: nanashi
日本の場合、人柱伝説は多いけど、習俗として実際に存在したかについては否定的な立場の人が多いし、そこら辺をつっこんで研究している人も少ないね。
仮に伝承のある場所から人骨が出てきたとしても、>>9のリンク先にあるように、あっさり否定されるだけのような気がする。

人柱は呪術であるから、その事実を直接文献に残す訳もなく、その事実は口伝として残るだろうから、考古学的に実証することは無理ではないかな。
11: 天之御名無主
北海道の常紋トンネルは囚人を人柱にして作ったトンネルなので幽霊が出ると言う話は有名です。今は閉鎖してますが。
12: nanashi
>>11
常紋トンネルは、囚人労働が廃止された大正元年から三年がかりで建設されたトンネルだから「人柱」の噂になっているのは、タコと呼ばれる労務者のことだよ。
常紋トンネル付近には、苛酷な労働によって死亡したタコの死体が埋められているらしく、その数は百数十人と言われている。
「常紋トンネル」という本の中に、トンネルの補修中、壁面から人骨が発見されたとの話が載っているね(ただし、その著者が確認した訳ではない)。


これが、人柱なのか、単なる死体遺棄なのか、タコを暴力でまとめるための見せしめなのかは、人骨発見だけではわからないよね。
14: 天之御名無主
>>12
常紋トンネルの壁面から人骨発見というのは事実だよ。
まず昭和12年から周辺の発掘作業が始まり、昭和34年6月24日の地蔵建立までに、常紋トンネルの周辺から49体の白骨が発見された。
それらは全て、トンネルに至る線路の土台に寝かせられる形で発見されたそうだ。
その後昭和45年9月10日、トンネル内の待避所の壁が崩れ、中から立ったまま埋められた人骨が発見された。
現地の民間団体が中心となって47年にトンネル内部の発掘作業が行われ、55年までに計10体の人骨が発見された。


トンネルのある留辺蘂町には、常紋トンネル殉難者追悼碑も建てられてるよ。
19: スネーカー教徒
死にまつわる意外な話
より:
オランダ人カロンが、すすんで人柱になる日本人のことを記している。
「日本の諸侯が城壁を築くとき、多少の臣民が礎として壁下に敷かれんと願い出ることがある。
自ら志願して敷き殺された人の上に建てた壁は壊れないと信じられているからである。
許可を得て礎の下に掘った穴のなかに横たわって重い石に潰される。
ただしかかる志願者は、平素苦役に疲れた奴隷だから、望みのない世に永らえるより、死ぬほうがましと考えているのかも知れない」(4)
この記述が本当なら皇居の人骨も人柱のように思えてきます。
22: nanashi
>>19
築城にまつわる人柱伝説って、多いよね。
二重櫓下から出てきた人骨に関する伝説や由来などは不明みたいだけど、それが人柱であった可能性は否定できないと、おれも思う。


柳田国男の「水神に仕える巫女が物語として語り歩いた」ってのは、治水にまつわる人柱伝説を、歴史的事実としてではなく物語として説明するのには有効かもしれないけど、治山や築城にまつわる人柱伝説に関しては、無効だよね。
これに関して、柳田国男は、どういう見解をしめしていたのだろう。
20: 天之御名無主
日本各地の人柱伝説は「長柄の人柱伝説」のパターンが多いね。
人柱を立てようと提案した本人が人柱になるってケース。
物語として面白いから、そのパターンの伝説が全国各地に広まったんだろうか?
21: 天之御名無主
>>20
ひねくれて考えると、人柱にしちゃった連中らが「あいつが誰かを人柱にしようぜ!」って言い出したんだってことにしちゃってるなんてね。

あまりの根性の悪さに我ながら鬱になりそうだ・・・。
23: 天之御名無主
皇居って江戸城跡n
24: スネーカー教徒
>>23
この二重櫓って家康が建てたんでしたっけ?後の代だっけ?
頭に載せられていた古銭もいつの時代のものだったのかな?詳細がわからない。

結局、柳田、南方、共に結論が出なかったんですよね。
南方熊楠の説にしても伝承がある場所で人柱と思われる人骨の発見の事例は聞いた事が無いですね。


あと人柱という思想は柱を重要視する神道からきてるのでしょうか?陰陽道かな?
25: 天之御名無主
>>24
寛永六年(1629)に京都伏見陵の櫓を移築したもので、安政三年(1856)の大地震で、損傷した際に大修理を加えたのみで、それ以来一度も手を付けていなかったらしい。
しかし、二重櫓に関する正確な記録が残っているわけではないので、ホントのところ、いつ誰が二重櫓を造ったのかは、わからないのではないかな。

江戸城も、家康が入る前からあった訳だし・・・。
26: _
江戸城のあったところが、もともと墓地のあったところだという話で、なんか決着してなかったか?
29: 天之御名無主
>>26
二重櫓下の人骨は、当初十六体発見され、工事中にも発見が相次ぎ、最終的に合計二十一体が確認されたそうだ。
これに関して、墓地説、工事関係者埋葬説、人柱説等、様々な意見が出て、論争に発展したようだけど、結論は出ぬまま立ち消えになった。


墓地説については、副葬品が一文銭以外ほとんど無いこと、木棺や甕棺などの形跡がないこと、埋葬する際の穴の深さはそれほど深くないだろうから、築城工事の際に気がつかぬ訳はないこと、気がついたにもかかわらずそれを取り除かずに神聖な城郭を建築する訳がないことなど、否定的な意見があったようだ。
27: 天之御名無主
人柱とか人身御供っていうのは遡ればハイヌウェレまで行き着くのかもしれない。
30:
>>27
ハイヌウェレって?
32: 大根オナニーズ
>>30
インドネシア・ウェマーレ族の神話に出てくる女。
彼女の死体を埋めると、そこから沢山食べ物が出てきた。
これを連想させる奇習がポリネシア地域に存在。
縄文時代途中まで、日本にもあったといわれている。
女の人形(土偶)を壊して埋めることでそれの代用とした。
江戸城内郭
管理人より:「江戸城」にはこういう図が添付されてますが、これによると、現在の皇居は西ノ丸あたりだそうで、スレで言われてる「二重櫓」というのは、図の「伏見二重櫓」のことでしょうかね?管理人あんまり城に詳しくないのでご存知の方がいらしたら教えてください。
5.26追記:コメント欄で教えていただきました。現在では「伏見櫓」というそうですが、位置はココであってるそうです!
女神ハイヌウェレ
ハイヌウェレ型神話」というのは、殺された神様の死体から作物が生まれたという、世界中にある神話の類型のことです。由来はインドネシア、ウェマーレ族の女神ハイヌウェレから。この女神サマの良い画像を探したんですが、このふてくされた顔でウンコ座りの画像しか見当たりませんでした。
33: 天之御名無主
どこの昔ばなしか忘れたが、何度築いても壊れる川の改修工事で「人柱を・・」って話が出た時に、殿様が「一意専心」と書いて「これを石に彫って使え。人柱なぞまかりならん」と言って今度はしっかり完成させたそうな。
36: 天之御名無主
>>33
毛利元就の「百万一心」の類話だね。
元就が郡山城築城の際、人柱のかわりに「百万一心」と書いた石を埋めたと言う話。


しかしこの話、裏を返すと、当時は築城の際に人柱をたてる風習があったということにもなるな。
34: 天之御名無主
人柱とは少し違いますが、「入定(にゅうじょう)」といって、坊さんが穴を掘って生き埋めになり、息をするための竹筒だけ地上に出して、死ぬまで鉦を鳴らす、という話は各地にあります。
私もある地方寺院境内で、近世後期に入定した僧の墓を見たことがありますが、入定はかなり詳細な伝えがあって、実際に行われたものが多いのではないかと思っています。
とくに、出羽の鉄門海上人などの即身仏(ミイラ)は現存するので確実ですが、これらも土中入定したのをあとで掘り出してミイラにしたものらしい。

私が見た墓とは違いますが、入定伝説はたとえば
善雄寺窖薬師如来厄除け
生き成仏の話
鉄門海上人を安置する湯殿山注連寺

内藤正敏「焼身・火定と土中入定」(『仏教民俗学大系』2)には入定の伝説が多く集められていますが、興味深いのは、入定する人が「○○の病を治す」などの願をかけ、そのため後世その病の治癒神として信仰されたという話が多く、その中には病ではなく「水害を止める」「地滑りを止める」など、人柱的な願もみられることです。
事実を伝えているとすれば「自発的な人柱」ということになるでしょうが、証明は難しいでしょうね。
鉄門海上人(注連寺)
管理人より:3番目のURLはサルベージしても中身が見られませんので、別途鉄門海上人のお姿を引っ張ってきております。鉄門海上人の伝説についてはコチラをどうぞ→出羽の即身仏 鉄門海の生涯
35: 天之御名無主
>>34
新潟県中頚城郡板倉町大字猿供養寺の人柱供養堂は、地滑りを止めるため、旅の僧侶が自発的に人柱になったという伝説が昔からあり、実際それらしき人骨が発見されたので、建立されたものらしい。
即身仏型の人柱伝説だといえる。


地すべりの人柱
60: 天之御名無主
>>35
俺もその話聞いた
伝説では昔、地すべりを止めるため、ある僧侶が龍に秘儀を伝授してもらったという話で、実際その秘儀とは地中に座禅して人柱になると言うものだったらしい。
その後、地すべりはなくなり、その話は伝説と化していたが、昭和のはじめ道路工事か何かで地中を掘り返したとき、座禅したままの人骨が出てきたという話だった。
37: スネーカー教徒
女性の代わりに僧侶やお遍路さんが人柱になるパターンも確かに多いですね。
43: 天之御名無主
お遍路さんが人柱になったのは、その後の身元確認が困難で都合がよかったからでは?
44: ひでよし
糸魚川沿いにある、新潟県中頚城郡板倉町の猿供養という集落には人柱堂と言うお堂があるそうです

この地域は、古来より地滑りが多く、村人が困っているのを見かねた旅の僧が人柱になったという伝承が、地元には伝わっています

昭和12年、田の仕事をしていた村人が、人骨と宋銭の入った大甕を掘り出し、調査の結果、鎌倉時代のものだと判明したそうです
その人骨を祀っているのが人柱堂だと言うことです

>>43
お遍路さんが人柱になったのは、何らかの宗教的理由によって、自ら志願したと考えた方がいいのではないでしょうか
(人柱になることで、極楽浄土に行けると考えられていた、とか)
49: 天之御名無主
あの、1さん遅レスで済まないけどあなたの家の側の池って、香川県の「平池」?
たしか平安時代に造られたんだよね。池の堤幾ら固めてもぐに崩れるから、占ってみたら「機織り道具持った娘が通るから捕まえて人柱にせよ」とでて、その通りにしたら完成したってやつ。
50: 天之御名無主
いわざらこざらですね。
たしか人柱を提案した人の娘が人柱に選ばれてしまって言わなければ良かった、来なければよかった、
と言う話だったと思われ。

細部忘失。
52: 天之御名無主
うちの近所の川(結構大きく有名)は昔(江戸時代くらい)よく氾濫して付近は洪水になって死人もいっぱい出てたらしい。
それで土手みたいなものを作ったらしいのだが、やっぱり水で押し流されてしまう。
仕方がないので人柱をしたら土手も押し流されなくなり洪水もなくなった。
川の近くにはその人柱になった人たちを供養する神社があります。
54: 天之御名無主
まだ出ていないのでカキコします。「遠野物語」に載っていた話。

松崎村の矢崎に母也堂という祠がある。
かつてここに年老いた巫女が娘と共に住んでいた。
婿を取ったがどうも巫女の気に入らない。しかし娘との夫婦仲は良いので何か良い方法はない物かと思案していた。


その頃、猿が森川の用水の取り入れ口と堤がいつも崩れて、村の衆は困り抜いた挙げ句に巫女に相談した。
巫女が占ってみると、「明後日の夜明け頃白装束で白馬に乗った男が通るから、その者を人柱にせよ」とのこと。
その占いを受けた巫女は「良い機会が来た」とばかりに婿に白装束を着せ、白馬に乗せて夜明けの時間に隣村に使いに出した。

事情を知らない婿が通りかかると待ちかまえていた村の衆が彼を捕まえる。
話を聞いた婿は「神の思し召しとあらば喜んで人柱になろう。しかし人身御供には男蝶女蝶が揃うのが良いとされている。私の妻も連れてくる。
と、妻、つまり巫女の最愛の娘を呼びだした。

妻も人柱に為ることを承知し、二人で白装束になって馬ごと川に飛び込んだ。

そのとたんに大嵐が起こり、三日三晩荒れ狂った挙げ句4日後におさまった。
村の衆が川にいってみると大岩が現れていた。それを土台にして立派な堤が完成した。

巫女は計略が食い違い、大切な娘まで死なせたことを嘆いて入水自殺した。その霊を祀ったのが母也堂である。
55: 山野野衾
うちの祖母に昔聞いた田舎の人柱伝説です。
昔人柱が必要になったので、誰をその役にあてるかで村の顔役達が悩んでいた。
盆踊りに来た娘の中から選ぼうという事になったが、自分達の娘は人柱に取られたく無いし、行かせぬ訳にも行かなかった。

そこで誰かが「袖に継ぎあてのある(貧乏人の)娘を人柱にしよう」と言い、他の者達もそれに賛同した。
普通ならここで偶然庄屋辺りの娘がひっかかるところだが、この場合は狙い通りになったという。


やばいので場所はとりあえず伏せさせて戴きます。
58: 天之御名無主
人柱の話って、実はほとんど実話で、伝説ぢゃないような気が・・・(゚Д゚)
59: 天之御名無主
民俗学プロパーは絶対に取り上げないけど、近世の人柱は単なる伝承なのかねえ。
柳田の言説は苦し紛れのような気がする。

決定的な史料や遺物の発見は難しいだろうから、それこそ民俗学の出番だと思うが。
ドイツではライン河畔の城の遺構から伝承通りにペアになった白骨が出たそうだけど。
61: 天之御名無主
古くなった橋を壊す時はかなり慎重になる。
特に戦前の鉄橋は橋げたから人骨がわんさか出てくることが珍しくないから。

ほとんどが工事中に死んだ朝鮮人だそうだが。
葬るのもめんどくさくて「人柱」ってことで橋げたの空洞部分に放り込んで蓋をしたってことでしょうか。
64: 天之御名無主
>>61
近代の奴は人柱じゃないでしょ。
日本の支配下や占領下にあった場所には「あそこには労務者が埋めてある」ってな話どこにもあるよ。

大陸だと掘り返して展示してある。
75: あらいぐま ◆9klrrr3OOI
人柱ってもなんで「柱」って言うの?
世の中の為に死んで神になる=人間の神(人柱)
という発想からのネーミングなのかな。

過去レス読んでて気になったのは、お坊さんが身代わりにとか、進んで犠牲になったとかいう辺り。
神を「柱」で数えるのは神道だし、そもそも仏教で生贄というのもなんだかな。
お坊さんたちは、ただ道義的精神で、本来犠牲になる所だった娘たち(あるいは人たち)の身代わりになったのかもしれないなとふと思った。
76: 天之御名無主
ああ、柱って神を数えるときの「柱」だったのね、「柱、梁」とは違ったのね。
人間を柱にして建築物を造るから「人柱」だと思っていたよ。
77: あらいぐま ◆9klrrr3OOI
>>76
あ、そういうイメージもあるのか。
>柱・梁

わからない、どっちが本当なんだろう。
>神と建築材料
(←こう表現するとすごくイヤだな)
78: 天之御名無主
8-1. 内川新田(うちかわしんでん)の開発
このページの下のほうでも実際の人柱伝説が一つ紹介されてるよ。
俺の地元の話しなんだけど、子供の頃聞いてすごく怖かった覚えがある。
箱の中に食べ物と鈴を入れて…」とかなんか妙にリアルだし。
79: あらいぐま ◆9klrrr3OOI
>>78
空気のことを考えると、3~4日鈴が鳴っていたというのはちょっと疑問に感じるけど、マジだったら可哀想だなぁ、俺だったら絶対ヤダ(TДT)
80: 天之御名無主
人柱の話は九州に多いらしい。
江戸期の石橋の改修によく発見されるのが、人を入れた穴..。

大概、橋脚の石の下に敷石があり、そのまた下にある基礎石から発見される。
基礎石は河原の地勢と面一に埋め込まれているが、改修の際この基礎石の橋脚の真下にあたる辺りに、四角く切り込んで掘られた穴が見つかる例がある。
人骨・装身具等は発見されにくい事から、実際に放り込まれたかは甚だ疑問。


ただ、天明、明和などの全国的飢饉による人命軽視の風潮がはびこる中で、いかなる悪趣が実践されたかは我々日本人の歴史からすれば考え得るに足るだろう。
62: 天之御名無主
しかし、人柱に女性が多いのは女性にはなにか特別な力(子供を生むとか)がある、と思っていたからでしょうか?
63: 天之御名無主
水の神様はむさくるしい野郎がお嫌いなのです

ハイ、なかなか民俗学ぽくて良スレでしたね。
現代では「人柱」というと犠牲精神そのものを表す言葉になってる感がありますでしょうか。ソフトウェアのベータ版にもなってないようなものを「人柱バージョン」とか呼んだり、それを果敢に試すひとを「人柱er」とか呼んだり。

まぁ「火のないところに煙は立たぬ」と言いますし、人柱伝説がすべて伝承である!とはどうも言い切れないように思いますけどねぇー。

このテの話で非常に不思議なのは、それまで何度も何度もうまくいかなったのが、人柱をやった途端にピタリと収まる、という点ですよね。科学的に考えれば因果関係は一切ないはずで、ピタリと止まるわけないですしね。
ひょっとしたら、昔の日本ではまだまだ神々の力というものを、実感として感じることができたのかもしれません。今となってはもうわかりませんが。
管理人は子供の時に、こういう人柱のお話を読んだものですが、やっぱり生きながらっていうのは怖いですよね。いくら世のため人のためとはいえねー。同じ立場にあったら、同様のことができるだろうか…と子供心に深く考えさせられたものですよ。

これはtwitterのフォローワーさんに、聞いた話。
閉所で長期間の絶食の修行?みたいなものをしていたお坊さんに、村のひとがカワイソウだからつって、空気穴からお餅を差し入れたところ、空気穴に詰まってしまって…
というエピソード。小さな親切大きなお世話!という感じですが、あるいはそういう悲喜こもごものドラマもあったのかもしれません。

トップ絵はやはり人柱伝説のある、富士川のあたりにある「雁堤(かりがねつづみ)」にある、「人柱護所神社」の画像。
このへんは急流が多いそうで、かつては水害によく悩まされたと言われています。そこで古郡重高ら父子3代にわたって、「雁堤」という巨大な堤防を完成させたわけですが、人柱を使ったという伝説が残っています。
堤防工事に莫大な費用と50年という歳月が掛かっているにもかかわらず、水害の解決には至っていなかった。そのため人々は、神仏のご加護に頼るしかないと考え、富士川を西岸の岩渕地域から渡ってくる1000人目を人柱にたてる計画をした。
とある秋のこと、夫婦で東国の霊場を巡礼中に富士川を渡ってきた老人の僧が1000人目にあたった。地元の人々が説明をしたところ、最初は驚かれたが「私の命が万民のお役に立てば、仏に仕える身の本望です」と快く引き受けてくださり人々は涙した。 (人柱になった僧自身は999人目や1001人目で、1000人目が家族あるもので、それを見かね自ら人柱を志願したとも言われている。)
人柱は、堤防を何度築いても流されてしまう、雁堤の特徴ともい言える曲がり角に埋められることになった。 僧は埋められる事前に「鈴の音が止んだ時が自分が死んだ時である」と言い残して地中へ潜った。木製の箱に入れられ、人柱として土に埋められた後も、約21日間ほどに渡って空気坑から鈴の音は聞こえたという。
このお坊さんの御霊を祀る神社です。
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元スレ:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/997027668/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.25 21:28
    人間を建材にして強度は大丈夫なのかな
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.25 22:02
    小泉八雲が松江大橋の人柱伝説について書いていますね。伝説の影響なのか、明治時代に近代的な橋に架け替えられたとき、新橋を1000人目に渡る人が人柱にされるという噂が民衆の間に流布したので、折節その年の祭り時、例年なら観光客で賑わう筈が客足がピタリと途絶えて周辺の商店街が難儀した、という話が語られています。
    人柱が形式化した物なのかわかりませんが、トランシルバニアのルーマニア人の間では、建物を丈夫にするために基礎の下に置く影を売る影商人なるものが近代まで存在していたそうです。影の上に石を置かれた人は間もなく死ぬと信じられていたとか。
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.25 23:57
    イエスとかそうなんじゃないの?
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.26 1:07
    >スレで言われてる「二重櫓」というのは、図の「伏見二重櫓」のことでしょうかね?
    そうですよ。今だと、伏見櫓と言います。
    また、正確には皇居っていうと全域なので、西ノ丸辺りは「御所」ですね。
    平日に参観許可を得れば、伏見櫓は二重橋から眺めることも出来ます。
    • ※5 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.26 2:33
    大陸云々は文革の死体を日本人のせいにしたものだし。

    それはともかく、壁の中から人骨、と言う辺りが分厚い壁で建物を支える欧州らしい
    話だと思います。平清盛に人柱を禁止して、経文を書いた石で人柱の代わりに
    した話があったはず。
    • ※6 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.26 17:19
    北海道の道東方面に「黄金道路」「百人浜」っていう地名がある
    初めての北海道ドライブなんで、ロマンチックな名前だと妙に頭に刻み込まれた
    で、旅行の土産話として地元出身の先輩に話すと、由来を教えてくれた
    黄金道路は、崖と海に挟まれた険しい場所を切り開いたため、当初予算を大きく上回る、
    「金の延べ板を敷き詰めて作ったのと同じくらい価値のある道」ってことだそうで、
    掛かったのは金だけじゃなく、当然人の命も随分つぎ込んだそうだ
    その上、百人浜ってのは、その昔沖合いで客船が難破して、溺死体が百体も流れ着いたとかが由来って、
    もう全面的にロマンに浸れない話
    どちらも、本当かどうかは知らない

    まあ、古来の伝承にある人身御供の話はほとんどが史実だろうし、例え話に置き換わったものも、
    ほぼほぼが人柱にまつわるモノと見て間違いないだろうね
    兵馬俑3000体なんて、人形に置き換えてるだけ可愛いモンですよ
    • ※7 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.26 18:14
    信州信濃の早太郎伝説
    • ※8 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.26 19:33
    香川で育ったんだけど、小さい頃幼稚園で人柱の昔話聞かされたよ
    玉藻城と平池と、丸亀城もだったかな…?
    とにかく、あちこちの人柱話を無意識に聞かされてた
    • ※9 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.26 19:49
    人柱どころか「古神道」では日常的に「人身御供」を行っていたんじゃないかと思う
    聖徳太子や蘇我氏が強引に仏教を日本に導入しようとしたのも それが原因じゃないのか
    そして仏教の影響で人身御供をやめて、伊勢神宮に代表される「国家神道」が確立したのかも
    • ※10 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.26 21:32
    人柱ではないけど横須賀の走水の弟橘伝説。
    誰かを救う為、我が身を捧げると言う系譜もあるよ。
    それは仏教のたとえ話の影響かな?
    • ※11 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.26 22:48
    古神道というか、神道以前のシャーマニズム?時代の風習なのかな人柱
    人柱じゃないけど、諏訪の宮司殺しに興味があって、今いろいろ本を読んでるところだわ
  1. 案外アチコチに人柱伝説があるようで、盛り上がってますね!


    >新橋を1000人目に渡る人が人柱にされるという噂が

    1000人目ってけっこう多いのかなー。そりゃ大当たりしたくないですよね…。
    --------------------
    >そうですよ。今だと、伏見櫓と言います。

    ありがとうございます!追記いたしました。
    --------------------
    >経文を書いた石で人柱の代わりに
    >兵馬俑3000体なんて、

    ほほーなるほど、身代わりでなんとなならなかったのかなぁ。
    それにしても北海道100人浜は壮絶ですね…。
    --------------------
    >人柱ではないけど横須賀の走水の弟橘伝説。

    人身御供のハシリといってもよいでしょうか。弟橘媛のこともちょっと書こうかと思ってたのに、まとめてるうちに完全に忘れちゃいましたぁ
    • ※13 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.28 0:04
    香川育ちです。
    「いわざらこざら」だけでなく、ちょっと大きなため池には何かしらありますね。
    子供向けの『香川県の民話』と言うような題名の民話集にも二、三ありました。
    県内各地のさまざまな民話を集めた、と言うにもかかわらずため池の人柱の話がかさなるのは、それだけ多く伝わっていると言うことでしょうか。
    小さいころから身近に聞いてきた話が多いので、怖いと言うより大事にお祀りすべき神様という意識があるように思います。
    • ※14 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.28 11:54
    似た内容の人柱伝承ばかりで多くは眉唾ものって話はよく聞く
    ・作った時にはそんな伝承ないのに何十年何百年後に人柱伝承が突然記録にでてきたり不自然なものが多い
    ・わざわざ人柱に選んで、祀ってたりしてるのに人柱にされた人についての情報が皆無、場合によっては1つの人柱伝承で、時代によって人柱になった人の性別や身分が違ってたりしているのもある

    行ってないのに『人柱を行った』という箔や説得力を付ける為に行ったのではと言われている
    また、建築作業中に事故などで亡くなった人を縁起が悪いという理由で人柱という事にした可能性も高い
    確か、信長が近江に造らせた城には事故で亡くなった人の当時の記録はあるのに後世では人柱伝承になってるのがあった
    当時の記録には一切人柱については触れない

    人柱伝承については全く無かったとは思わないけど不自然な伝承が多いとは思う
    • ※15 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.28 15:32
    偏見だけど、よくある通りがかりのお坊さんを人柱にする話って絶対脚色入ってるよね。
    アレ自発的にじゃなくて、散々もてなして断れなくしたんだと思ってる。
    • ※16 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.28 22:47
    人柱というか生け贄文化はどこの文明にもあるよね
    • ※17 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.30 16:06
    肉が腐って強度が落ちるものを建物の土台に埋める事はないよ
    史記で白羽の矢に書かれてるから無学の人の与太話には面白かっただろうけど
    教養のある人達にとっては論ずるにも値しない類のものだと思いよ
    • ※18 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.30 22:43
    中国の万頭は人柱を止めさせる為
    諸葛亮孔明が小麦粉の生地に肉を包んで作った
    なんてののも横山三国志で見たわ。
    • ※19 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.31 7:23
    人柱伝説は誰かを助けるために身を捧げた人を偲んで語り継がれたものだろうか。
    それが他からの強制力によってというのが前面に出るのは
    どんな理由であれ命を大切にとの先人のメッセージが語り継がれた理由だろうか。
  2. >ちょっと大きなため池には何かしらあります

    四国というと溜池が多いから、けっこうあるようですねー。
    --------------------------
    >全く無かったとは思わないけど不自然な伝承が多い

    なるほどなるほど。そういう結果として残っちゃった人柱もあることでしょうね。
    --------------------------
    >中国の万頭は人柱を止めさせる為

    吉川英治の三国志にも同じことかいてました!横山光輝が下敷きにしたのと同じかもしれませんが。
    --------------------------
    >どんな理由であれ命を大切にとの先人のメッセージ

    そういうのもアリですね。その思い、我々が受け継いだッ!!
    • ※21 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.5.31 17:03
    伝承なんてそもそも不自然なもんです
    それをどう読み解くかってのが史家の役目
    生贄の時代ならともかく、人身御供の時代に下がれば、
    どう考えてもそれはイリーガルなことなんですよ
    少なくとも大っぴらにはできないものなんで、
    逆にこと細かい記述が残ってる方が出自が怪しいと踏むのが常識
    そんなものを残してたら、記述者どころかそれを黙認したお上すらも、
    お咎めの対象になりますからね
    似たような伝承が多いのは、都市伝説の怪談が人口に膾炙して、
    似たような亜種が氾濫するのと同じ現象です
    ただ、局地的に一定の傾向が見られる場合は、何かしら”種”になるものが、
    その地にあったと考え、そこから逆に”伝承”を読み解いていくのです
    日本書紀と古事記を並行して読み解くのと同じことです

    記紀でいうと、スサノオノミコトのヤマタノオロチ伝承でも生贄の記述があります
    それを、体制側のスサノオが贄を助け、なおかつその元凶を断つというのが伝承
    贄の風習を体制は禁止した、もしくは制圧の理由にしたということ読み解き、
    ならば、贄の風習があったかどうかを検証していくっていうのが手順になります
    • ※22 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2017.8.15 19:48
    前に珍百景で、どっかの田んぼの中に立てられた細長い石は何?という投稿があって
    番組で村人が話してた

    300年ほど昔、川の氾濫に困って人柱をたてようと話し合っていたところに
    偶然通りかかった旅の坊さんが自分が人柱になろう、その後祀ってくれれば神としてこの地を守ろう
    とかいうことでその細長い石は坊さんの供養のためのものだったと伝えられていると

    それを見た当時はそんなカモネギ話...とか思って怖かった
    >>34のような願かけの自発者なのか、または通りすがりの犠牲者であるのかはわからないが
    石はどう見ても神として祀っているとは思いがたく、ただ石だけ立ててそこに放ってある感じだった
    墓ではない(下に遺体はない)が見た目は墓
    よく覚えてないが、年に一度は供養らしいことはしてるんだったかな...

    確か坊主殺しは罪深いせいか、強い祟りがあると恐れられたとどっかで聞いたような
    実際何があったかは知らないが、とにかくそこで坊さんが人柱になったことはあったようだな
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