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日本海、オホーツク海を巡る古代海洋交易 @ [考古学板]


日本海、オホーツク海を巡る古代海洋交易 @ [考古学板]
1: 北陸の縄文人 投稿日:2009/10/20(火) 21:39:46 ID:8OM47Lfb
北海道の黒曜石がアムールに伝わったり、アムールから教えてもらった可能性の高いけつ状耳飾が見つかったりして、列島と大陸で交流があったには違いないだろうが、その実態は公知ではない。
賢者よ、どうかその高き智慧をこのスレッドに現し賜え。どうぞ。
オホーツク海
管理人より:「オホーツク海」↑このように、北はロシア、西は樺太、南は千島列島、東はカムチャツカ半島に囲まれた、日本より北にある海域でーす。
「アムール」というのは、現ロシア極東連邦管区内のアムール州周辺付近のこと、もしくは「アムール川」周辺付近のことかな。当スレはちょっと他サイトからのコピペが多めになっております。
2: 出土地不明 投稿日:2009/10/20(火) 23:37:46 ID:EhGGRhc0
オホーツクの古代史 (平凡社新書) 最近新書出たじゃないか。
オホーツクの古代史 菊地俊彦 平凡社新書
面白かった…後半、くどい表現があったがw 本にまとめるのに時間がかかったから、何度も書いちゃったんだろうな。


****

この本によると、中国の唐の時代に記述がある「流鬼」はギリヤーク民族のことで、ギリヤークは北海道オホーツク海で活動したオホーツク文化の担い手で、その頃遙か北方のカムチャッカ半島北部にやってくるセイウチの牙を契丹と交易して利益を得ていたとか。
契丹では、セイウチの牙の工芸品を貴重なものとみなして集めていたとか。
3: 出土地不明 投稿日:2009/10/20(火) 23:52:01 ID:EhGGRhc0
ギリヤーク民族の最盛期は7~8世紀頃か。
奥尻島まで進出していたことが2002年の発掘で明らかになり、これによって、阿倍比羅夫が奥尻島で蝦夷の言葉が通じない人たちと交戦したという文献史料が、ギリヤーク人であったとするのが無理のない解釈ということになっている。


阿倍比羅夫が戦ったのは粛慎というツングース系民族だが、ギリヤークもツングース系民族であった。

****

ここまで書いて wikiでギリヤークの項を調べると…英語版や中国語版の方が情報がいっぱいあるじゃないかw
なんなんだ。日本にも数千人ギリヤーク民族がいるはずなのにね。
ニヴフの子供たち
管理人より:ギリヤーク民族は「ニヴフ」とも呼ばれる、樺太~日本までに住んでる少数民族。ずいぶん色が黒いけど、これは雪焼けの結果でしょうか。照り返しがけっこう強いですもんね。
4: 出土地不明 投稿日:2009/10/21(水) 00:00:11 ID:chkCTZTa
■「黒曜石の道」
白滝村の黒曜石を使った石器は、道内各地から出土している。
さらに遠くサハリンや大陸までも運ばれていることがわかっている。

黒曜石の道

白滝産黒曜石や加工技術が人類の拡散やマンモスのオーバーキルのキーとなった可能性はないだろうか?
http://www16.ocn.ne.jp/~srtk-gp/shiratakiGPHP2008/image26.gif
管理人より:2つ目の画像はサルベージできず。
5: 出土地不明 投稿日:2009/10/21(水) 00:01:09 ID:chkCTZTa
黒曜石の道
黒曜石の道
6: 出土地不明 投稿日:2009/10/21(水) 06:33:01 ID:90PYr9Sh
舟はどんな種類のものを使用してたんでしょうか?丸木舟?
漁撈民が、大陸間の仲介貿易をしてたんですか?
9: 出土地不明 投稿日:2009/10/21(水) 20:09:42 ID:90PYr9Sh
★丸木舟は古久里浜湾を走る
対岸の吉井城山遺跡や茅山遺跡からは、夏島貝塚から出土した釣針の倍近い大きさの釣針が見つかっています。
数十人規模となった集落人口を養うためには、より大型の魚を採る必要があり、三浦半島では、人類最初の交通手段としての舟が発達していきました。
三浦半島の縄文人は、早くから丸木舟を造り、当時衣笠付近まで入り込んでいた古久里浜湾内を縦横に舟で行き来し、湾内で魚を取っていのでしょう。
大型の丸木舟は三浦半島ではまだ発見されてませんが、この時期は、4~5人乗りの大型の丸木舟も造られ、大型魚の群を追いかけて、外洋に漕ぎ出していたと想像しています。
三浦半島にいた縄文人は、いち早く外海に進出を始め、徐々に、太平洋岸の地域や伊豆諸島と海を越えての交流を活発に行うようになります。
★丸木舟は太平洋の荒海を超えたのか?
縄文早期中葉の時代にすでに神津島産の黒曜石が三浦半島の複数の遺跡から発見されています。
縄文早期後半になると、対岸に位置していた茅山遺跡から出土した「茅山式土器」(植物繊維を含む粗雑な粘土を使い、多くの条痕がある)が、大島、新島のはるか南に浮かぶ三浦半島から150キロも離れた御蔵島へ運ばれていたことが確認されています。
縄文人の海に対する強い思いは、我々の想像を遙かに超えていたのです。
丸木舟は古久里浜湾を走る - 三浦半島・時空を超えて ー空想とロマンの歴史ー
10: 出土地不明 投稿日:2009/10/22(木) 00:05:58 ID:wEY2AQXM
■北海道と北東北の交流
北海道と北東北地方の縄文前期~中期の遺跡か発見された土器には、極めて高い類似性が見られます。
形は筒型で、口縁部は山型の突起のあるもや、ラッパ状に開いてひも状の貼り付け装飾が施されているのが特徴です。
この時期に津軽海峡の両側の地域に発達した文化は、円筒土器文化と呼ばれています。
土器以外でも石器や石製品等にも両地域の共通点が多くみられ、海を渡っての交流が盛んだったことを示しています。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/sbs/joumon/life/exchange2.htm
12: 出土地不明 投稿日:2009/10/22(木) 00:24:52 ID:wEY2AQXM
■東北地方に縄文遺跡が多いのはなんで?
ウィキペディアで縄文遺跡一覧で遺跡数を数えてみました。 
北海道 ・・・6
東北地方・・・35
関東地方・・・37
中部地方・・・20
北陸地方・・・10
近畿地方・・・16
中国地方・・・11
四国地方・・・9
九州・沖縄地方・・・21
東北地方に縄文遺跡が多いのはなんで?

>>上記で、縄文中期と後期の人口密度の絵がある。
西日本の密度が低いことに驚く。
縄文・弥生時代の人口密度
管理人より:人口密度の図というのが上記。同じサイトから拝借。東日本の方が多いんですネェー。
16: 出土地不明 投稿日:2009/10/22(木) 08:53:02 ID:37aTHe9S
>>12
縄文初期は九州も多い
しかし何度か有った火山噴火で壊滅的な打撃を受けて減ったと考えられる
その後も警戒してあまり住み着かなかったんでないかな
17: 出土地不明 投稿日:2009/10/22(木) 21:29:05 ID:wEY2AQXM
【古代から続く交易】
舞鶴における交易の歴史は、縄文時代まで遡ります。
平成十年二月、舞鶴湾口に位置する浦入遺跡群(千歳)から、外洋航行に使用していたとみられる約五千三百年前の丸木舟が出土しました。
また、同遺跡からは奈良時代から平安時代後期の大規模な製塩炉跡や鍛冶炉跡も確認されており、古代から広域的な交易があったと推定されています。
日本海の拠点“舞鶴港”古代から海とともに発展その時々に重要な役割

>>16
1万年前なんて、本当に途方もない昔ですね。

【最古の定住集落の発見】
1997年5月27日「上野原遺跡で縄文時代早期前葉、約9500年前の国内最古の最大級の集落発見」とのニュースが流れました。
既に有名になっていた青森の三内丸山遺跡が約5500年前であるのですから、それより4000年以上古い縄文遺跡であり、しかも九州の鹿児島県ということでもびっくりさせられたのです。
ここの遺跡で竪穴住居跡52軒、この52軒の中の10軒の竪穴内の埋土に、桜島起源の火山灰(約9500年前)が混入された状態で発見されたのです。
縄文遺跡をめぐる旅?鹿児島県上野原遺跡
18: 出土地不明 投稿日:2009/10/22(木) 23:26:16 ID:D3G92usK
>>17
そのサイトの言葉を借りよう
日本の縄文時代を、文化、交易、言葉、食材など、全般的に見なおすことが大切ではないかと思った。
縄文遺跡をめぐる旅?新潟県糸魚川市 長者ヶ原遺跡

日本では、北海道から九州・長崎までの間、10ヵ所のヒスイの産地が知られている。
にもかかわらず、北の北海道・青森のように、400~700キロも離れているのに、糸魚川産のヒスイが大量に発掘されているのである。
九州では、ヒスイそのものではなく、量としては蛇紋岩系の石材による玉類が多く発掘されている。
しかし、1つ2つかならず糸魚川産のヒスイが、その中に混じっているということで、これも不思議なことの一つである。
14: 出土地不明 投稿日:2009/10/22(木) 00:55:57 ID:wEY2AQXM
古代日本海には、数々の大型建物の遺跡が存在する。
これらは、環日本海の諸民族の交易のための、ランドマークタワーとして建てられた、世界貿易センターではなかったか。
日本海学 —文化をつなぐ日本海—

>>沿海州で大型建物遺跡が存在しそうだが、まだ見つかっていないのか?
19: 出土地不明 投稿日:2009/10/22(木) 23:47:05 ID:D3G92usK
あと縄文時代は、八丈島や琉球とも交易してるよ
20: 出土地不明 投稿日:2009/10/23(金) 00:50:45 ID:16y0NJH4
>>19
琉球弧の考古学
-南西諸島におけるヒト・モノの交流史-  小田静夫
キーワード:港川人 沖縄先史文化 丸ノミ 貝斧 貝 開元通宝 ヤコウガイ カムィヤキの道
琉球弧の考古学 -南西諸島におけるヒト・モノの交流史-
21: 出土地不明 投稿日:2009/10/23(金) 00:52:23 ID:f8rVwc2D
朝鮮南部と縄文,倭人文化圏

「東アジアのゴホウラやイモガイ,オオツタノハ製品,その他の南海産貝製品出土圏」

東アジアのゴホウラやイモガイ,オオツタノハ製品,その他の南海産貝製品出土圏

日本と韓国の結合式釣針の分布 日本と韓国の結合式釣針の分布

「朝鮮半島南部の勾玉文化圏」 朝鮮半島南部の勾玉文化圏
24: 出土地不明 投稿日:2009/10/23(金) 02:07:04 ID:3p9Ts3VV
日本原産の黒曜石の発見された遺跡
日本原産の黒曜石の発見された遺跡アムール川のかなり上流まで行ってる

日本の黒曜石は3万年前から採掘されている。
黒曜石の採取・加工は集団的分業体制で行われていたらしい
しかも集団分業制で採掘が有ったらしい
この辺が最古かな。

どうみてもブリヤート人は縄文人?が北上したものだろう。
北海道の縄文人も本土と同じ形質だし、南下の証拠は今の所無い、その交易範囲から行って北上が優性だと思う
アイヌと縄文人は昔は一緒だったけど、何千年か前に仲が悪くなり分かれたんだと思う
25: 出土地不明 投稿日:2009/10/23(金) 16:26:35 ID:Z9tX+aiC
>>24
ブリヤート人はO2bを持ってるよな
ブリヤートから日本ではなく、日本からブリヤードの可能性が高いな
管理人より:「O2b」というのは男系で受け継がれるY染色体を元にした「ハプロタイプ」と呼ばれる分類法による、遺伝子グループのひとつ。
日本人の遺伝子の起源について Y染色体ハプロタイプの簡易一覧
↑こちらによると、日本人は「D2」と「O2b1」が多いですね。
ブリヤート人の幼女
ブリヤート人」は、モンゴルとロシアの国境付近、中央アジアのモンゴル系民族。バイカル湖畔発祥です。帽子がモンゴルぽいですが、このへんはけっこう混血が進んでいるので、いうほどモンゴルぽい顔立ちでもないみたい。
27: 出土地不明 投稿日:2009/10/23(金) 22:00:55 ID:cRcfu7Sb
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれるプラントオパールが見つかった」と、発表。
約6000年前に「米作り」が行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点のサンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパールが検出された。
また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。

■稲作やお米関連のミニ知識■

稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
29: 出土地不明 投稿日:2009/10/23(金) 22:34:25 ID:n4xDDEzR
>>27, >>28
> 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
> 小麦などのプラント・オパールも見つかり
プラント・オパールは稲以外に無いと思い込んでるのかね、
イネ科は古くは禾本(カホン)科と呼ばれ、小麦、ハト麦はもちろん、竹笹以外の単子葉植物を広く指すのだが、、、
30: 出土地不明 投稿日:2009/10/23(金) 23:20:56 ID:1Oa3fh/z
ほれww
2005年2月には、岡山県の灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパールが大量に見つかった。
その量は土1gあたりプラントオパール2000~3000個という大量のもので、これはただ単にイネが何らか理由で持ち込まれたという規模ではなく、まさに栽培されていたというレベルである。
管理人より:稲作の考古学についてはかなり前にまとめてるので、コチラもどうぞ。
31: 出土地不明 投稿日:2009/10/23(金) 23:38:46 ID:16y0NJH4
北海道というのは、意外なほど農耕が盛んだったのではないか。
というのは、[『松浦武四郎日記』を見よ]加藤晋平さんの指摘によると、ヒエ、アワ、ソバなど、その外側では、タバコ、カボチャ、ゴショイモ、シソ、トウガラシ、ナス、センダイカブ…、かなりの作物を作っていることがわかる。カブも作っている。しかも、カブだけ作らないで、カブとアワを混ぜて種をまいている。非常に作物の種類が多い。

このなかには日本の本土のほうから種子が行ったものもあるが、たとえばセンダイカブとかタバコやトウガラシとかいうものは、むしろシベリアから入ってきた。つまり沿海州を経由して入ってきたものではなかろうか。

今では沿海州というところは、ずっとレベルが落ちてしまったけれども、かつてはそこに理想的な、一時は非常に栄えた農耕文化があったのではなかろうか、そう見られる。

沿海州と北海道とが深い関係にあったということは、日本のほうの歴史でいえば、ちゃんと明らかであった。
蝦夷征伐のときにミシハセ(粛慎)まで行ったとある。沿海州である。
『続日本紀』(元正天皇養老二年八月条)を読むと、渡嶋(北海道南部)の蝦夷が馬一〇〇〇頭を朝廷に献上したという記事がある。ほかの地方とはケタが違う。
それだけの馬を今の北海道南部のアイヌが飼って持っていたのだ。
野馬の放牧ではなかったかと思われる。
http://members.jcom.home.ne.jp/lerrmondream/nothhis1.htm
32: 出土地不明 投稿日:2009/10/24(土) 01:59:59 ID:neULN99r
縄文時代は調べれば調べるほど面白い
気象変動が大きかった時代に適応した優れた文明だと言える
個々の遺跡で見れば断絶も多いが、日本全体で見ればずっと継続している
なんだかんだといいながら1万年継続した希有の文明


しかし、ゆとり教育は縄文は無しで、弥生時代から日本の歴史が始まる
ひどすぎる、いんぼうか!

最近復活したと言う噂が有るが、どうなんだろ
33: 出土地不明 投稿日:2009/10/24(土) 08:00:53 ID:fwY5//l6
>>32
こんな話もあります。
東北や北海道の縄文の人たちの中には、気候変動が激しかったので、寒冷化したときには、農業をやめ、採集生活に戻った。
農耕は、せっかくの堅果を実らせるナラや照葉樹林を草地にしてしまう理由で、非常に高リスクを伴う選択だったのかもしれませんね。
36: 出土地不明 投稿日:2009/10/24(土) 19:27:45 ID:r6RjZEtw
鋤先骨耜「骨製の鋤,骨耜」
日本にも時代は下るが全国に有ったのでは西日本、関東では火山灰ローム層の酸性土壌の為、骨製の物は大部分消滅したと思われるが、一部東北,北海道の貝塚等で出土する。
地方なので土器同様時代がかなり下る。


北海道根室(弁天貝塚) 骨鍬,骨耜
骨製の鋤骨製の鋤骨製の鋤北方文化資料 北海道(弁天貝塚)(検索件数83件)

「骨製の鋤,骨耜」 7000~5000年前 長江,河姆渡遺跡出土 浙江省博物館蔵
骨製の鋤考古学:中国編

稲作農業
日本人はるかな旅展(国立科学博物館)
37: 出土地不明 投稿日:2009/10/24(土) 20:02:33 ID:TR6BpeNx
単に日本海交易で土器やその他文物で東北・北海道南部と一致している沿海州南岸方面から入ってきたものだろ。

長江江南なら九州・西日本からわんさか出土しないとおかしいからな。
38: 出土地不明 投稿日:2009/10/24(土) 22:17:59 ID:fwY5//l6
>>36 >>37
丸木舟での移動距離は、高々200kmぐらいかなあ。
海岸沿いの拠点間で、物々交換、あるいは、相手先で見聞きしたことを、自分の集落に帰ったときに伝えたことも考えられます。
拠点Aと拠点B 拠点Bと拠点C.....拠点Nと拠点N+1と、いうような複数の繋ぎ間で、長い時間を得て伝わったと思います。
39: 出土地不明 投稿日:2009/10/24(土) 23:30:19 ID:TR6BpeNx
お目が高いね。
日本海を縦断したと思っていたが、リスクを考えるとその可能性も高いんだよな。


その航路は基本的に渤海使の航路に準ずると思うよ。
向こうから日本に来るときは朝鮮東岸経由で、日本から向こうに行くときはサハリン西岸経由で航行する。
弥生人に関しては間違いなくこの航路で来ているね。
http://homepage2.nifty.com/tsuruga/bokkaisi.html
渤海使の航路
渤海使が利用した日本海の海流図
管理人より:元ページがサルベージできないので航路と海流図を別途画像探してきました。こうやって海流に乗ってドンブラコして来たんですかねー!(参考:古代大陸との北方航路~脱北漁船のニュースから古代の渡来人と文化の輸入
40: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 00:11:47 ID:Ho/i1YTE
38のリレー説を考えると、桜町遺跡の高床式倉庫や富山周辺で見つかる円筒土器やケツ状耳飾りは、日本海を縦断して持ち込まれたものではなく、晩期の三内丸山遺跡との交流によって移植されただけかもしれんね。

ただし、三内丸山遺跡の集団だけは沿海州沿岸部と接触してるな。
道南の奥尻島から沿海州沿岸まで日本海縦断で350kmくらいだから、何とか丸木船で頑張って日本海縦断したのか、或いは、樺太経由で安全に大陸に渡ったのかまでは分からんが。
43: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 11:37:32 ID:GjhabM4w
>>38
八丈島の例が有るからもちろん休憩を挟みながらだろうけど、外洋越えで300kmをクリアできてた
八丈島はじめて物語

しかも新潟からも伝わってるし

日本海なら500kmは行けると思う。同じ舟、同じ船乗りで
44: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 13:02:58 ID:CagMgNg4
>>43
ありがとう。500kmも漕げるのか。
時速40kmの船で12時間半、丸木船ならぶっとうしで2日ぐらいか?

日本海縦断をするメリットは、よほど大きかったんだね。
47: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 14:45:55 ID:GjhabM4w
>>44
500kmぶっとしは分からないけど、八丈島に行く場合は100kmぐらい島がまったく無い区間が有り、黒潮という横からの強い海流があるから、200kmぐらいは無停止で行けたと思う
沿岸沿いに停泊有りなら事実上距離無制限かもw


太平洋側は黒潮に乗ったら行ったきり帰って来れないが、日本海なら北に行っても、海流に乗って大陸廻りで割と楽に帰って来れる(今これをすると拿捕されるが)
冬はともかく夏なら波も静かだから便利だったと思う
管理人より:丸木舟ひとつで日本海を縦横無尽に行き交う交易船…というのはなんだかドキがムネムネする。すごいなぁー古代人。
49: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 16:33:34 ID:X553ogdx
やっぱ三内丸山人のエリート船乗りたちは道南から沿海州南岸までの350km日本海丸木船越えをやってのけたのかもな。

そうでなくても時間をかけて樺太北部から沿海州沿岸に渡り、そのまま南下するという沿岸伝いコースでいくらでも沿海州南岸と交流できる訳なんだが。
51: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 18:45:19 ID:CagMgNg4
>>49
樺太経由の場合は、ニブフ、ウィルタ、ナナイなどとの交流も可能性ありますね。
ニブフは毛皮と器具の交換をする話、見たよ。
53: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 19:44:25 ID:zd9P4em3
海を行くときカヌーの速度は時速約4キロだそうだから、2ノット≒時速4kmでまったり航海しても350kmなら三日半で着いてしまうから、ベテランの船乗りならその気になれば何の問題も無くやれてしまうものなのかもしれん。
65: 出土地不明 投稿日:2009/11/11(水) 23:08:38 ID:Dtry0cCx
大きな木彫りのカヌーによるこの海の旅は、一度旅立つと二年は帰れない。
なぜならアリューシャン列島の海の道は気象の変化が激しく、一年のうち、夏の数か月しか航海できないからだ。

出発から二年たち、男たちがたくさんの交易品を積んで南東アラスカの故郷に帰ってきてみると、そこには人影がまったくなかった。
村に残していった妻も子供もお年寄りたちも誰一人として姿が見えず、彼らがどこに消えたのかも、なぜ消えたのかも全く分からなかった。
丸木舟の記憶・・北海道のフゴッペ洞窟
54: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 21:54:58 ID:jale272L
バヌアツの縄文土器
今から約30年ほど前、日本からおよそ6000Km離れた南太平洋のバヌアツ共和国で、フランスの考古学者ジョゼ・ガランジェ博士が縄文式土器と類似する土器片14点を発見。
この土器片は当初、フィジーで出土する『叩き目文土器』に似ていると発表されていた ...

九三年から行われている太平洋の土器分析の権威、ウィリアム・ディキンソン米アリゾナ大学名誉教授(地質学)による同土器片の成分分析では、バヌアツに存在しない鉱物添加物を含み、しかも青森県出土の典型的な円筒下層c、d式土器の鉱物添加物と組成、量とも一致することがわかった。

続いて、最近、英オックスフォード大学などの熱ルミネッセンス法による年代測定で約五千年前のものであることが判明したため、研究チームは文様、製造技法、粘土成分、年代などを総合的に判断、日本で作られた縄文土器(複数)が、何らかの原因で、バヌアツに運ばれたものと結論づけた。
56: 出土地不明 投稿日:2009/10/25(日) 23:23:40 ID:ztsC/yRW
>>54
八丈島に渡ろうとして道に迷った縄文人が漂流したのかも
数日掛かるから土器に水や食糧を詰めてたはずだし


海流が時速2kmとすると1日で48km、だいたい50km/日として100日で5000km移動海流はぐるっとめぐってるから、200~300日耐えれば着きそう
丸木舟は沈まないから、転覆しても何度でも復旧できる
10人乗ってるとして1人づつ食って行けば結構頑張れるな・・・
57: 出土地不明 投稿日:2009/10/26(月) 00:23:59 ID:b3Is1JqE
違うな。

クルーは全員船上で死去してるだろ。
人骨と縄文土器を積んだ船だけがドンブラコッコ、ドンブラコッコと、バヌアツの砂浜に打ち上げられましたとさw

ちょw最後ww
船の上で300日…とか、古代のご先祖様は、なかなか気合の入ったド根性船乗りであったのは間違いないようですね。笑
水とかどうしたんだろ。

まったくもって(傍目には)地味なスレですが、当サイトにおいでのドクター方は、きっと豊かな想像力をお持ちのことと思いますので、このスレから湧き上がる「古代のロマン」を感じ取っていただきたいと思っております。
未知の世界への憧れ、探究心というのはいつの時代にも共通のものかもしれませんが、四方を海に囲まれている日本はなおさらそれが強かったのかもしれません。そしてそのアツい血潮は、我々の中にも受け継がれているはずです。

黒曜石でできた矢じり
黒曜石というのは、ガラス質の黒く輝く鉱石ですが、割ると鋭角を残す性質があるので、古代にはナイフや矢じりに使われたそうです。これがオホーツク海を超えて、遠くアムール川上流まで伝わっていったなんて、ロマンがあって良いですね。
丸木舟たって、それを作る道具も貧弱なんだし、なかなか根気のいることではなかったかと思いますけど、まったく未知への探究心というものはすごいもんです。

なんとなく、極東アジアの文化というと、古代中国が担っている印象がありますが、日本もけっこう頑張ってるということで、縄文時代の頃って日本がすごく輝いてた時代かもしれません。(今もけっこう輝いとるけどね!)
7.7追記:当記事を「かつきちのヘミシンク放浪記」さんにてご紹介いただきました(こちらの記事)。どうもありがとうございます~。
7.19追記:当記事を「提督の野望 海軍広報 Ver7.0」さんにてご紹介いただきました(こちらの記事
他にもたくさん!どうもありがとうございます!
日本の土: 地質学が明かす黒土と縄文文化
山野井 徹
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元スレ:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1256042386/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.7.4 20:44
    渤海の使節が船で南下して遭難し対馬海流に乗ると能登半島や東北の日本海側に漂着する。平安時代の越の国では渤海吏の船修繕用材木を確保する為の保護林が定められていた位頻繁に来ていたらしい。
    古代日本の都飛鳥奈良の地は今でこそ内陸で海へのアクセスが間遠に見えるけれども、古代には大阪湾から大和川を遡って今は消滅した湖につながっており、小野妹子と一緒に来た隋の返礼使は船で三輪山の麓に上陸したというほどの水の都でもあった。
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.7.5 11:10
    記紀神話の国産みの部分はこういう航海の情報がもとになってるんだろうなあ
    でないと淡路島、四国、九州、本州なんて順番にならないだろうし
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.7.5 14:52
    北前船を思い出した。北海道の昆布が沖縄料理の代表格になったり
    中国の漢方薬の材料が富山の薬になったり。
    地図見ると地の理、地理って大切だなと思う。
    朝鮮半島はどう見ても大陸の一部、併合したのが間違い、台湾はギリギリokだったとか、地図の上からね。話それました。
  1. >対馬海流に乗ると能登半島や東北の日本海側に漂着する。

    海流に流されちゃうんですよね、そんな話も見ました。
    -------------------------
    >記紀神話の国産みの部分

    あーなるほど。そうかもしれませんねぇー。ロマンすなぁ。
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    >地図見ると地の理、地理って大切だなと思う。

    日本は実に良い位置にいますよね!地の利は超大事です。
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