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歴史研究24年。「光秀=天海」だけはガチだと思うのだが @ [日本史板]


歴史研究24年。「光秀=天海」だけはガチだと思うのだが @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 2012/07/22 17:30:21
歴史小説家が自分の小説を売れるようにするために、歴史を面白おかしくいじくり回し、様々な新説が誕生してきた。
どれもこれも小説ネタとしては面白いが、荒唐無稽なものばかり。また簡単に反証されてしまうようなものばかり。

だが、
「惟任光秀が小栗栖で命を落としておらず、後に天海大僧正になって徳川幕府を支えた」
という説だけは、真実の気がする。

当時知っていたのは、禁裏と家康側近。そして光秀と共に戦ったことのある徳川家武将の一部のみ。
箝口令が敷かれていたと思うし、書面に残してもいないだろう。
ただ、徳川宗家や各武将の直系の末裔は、口伝で伝え聞いていると思うのだが。。

筆跡鑑定の結果は、
TV東京→光秀もしくはごく近い近親者
NHK→本人ではないが似ている字があり親戚の可能性に言及
だった。
明智光秀 (Wikipedia) 明智光秀 明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。戦国大名・織田信長の重臣の一人で、日本史の謎の一つとされる本能寺の変を起こした事で有名である。
本姓は源氏で、のちに朝廷より惟任の姓を賜る。家系は清和源氏の摂津源氏系で、美濃源氏土岐氏支流である明智氏。通称は十兵衛。雅号は咲庵(しょうあん)。惟任光秀とも。妻は妻木煕子。その間には、細川忠興室・珠(洗礼名:ガラシャ)、嫡男・光慶(十五郎)、津田信澄室がいる。
(中略)光秀は小栗栖で死なずに南光坊天海になったという異説がある。天海は江戸時代初期に徳川家康の幕僚として活躍した僧で、その経歴には不明な点が多い。
5: 日本@名無史さん 2012/07/22 23:12:13
でも、数ある異説の中で、一番信憑性が高いと思う
6: 日本@名無史さん 2012/07/23 01:24:12
戦の時、天海が甲冑をつけて家康に献策していたっつーのがこの説を裏付けるものだわな
戦の後の人心を掴む術ではなく、戦術自体を家康指導できるなんて、あの時代は利家くらいしかいないだろ
7: 日本@名無史さん 2012/07/23 14:10:42
細川家に伝わる光秀からの書状って本物なん?偽物って言ってる史家が多いらしいけど。
8: 日本@名無史さん 2012/07/23 15:33:30
光秀が家康に戦術指南できるくらいの頭持ってたら
本能寺の変なんか起こさなかっただろ
9: 日本@名無史さん 2012/07/23 16:29:40
>>8
あんた、完全に勝者を賞賛する偽歴史に騙されてますがな。光秀公の武将としての能力は、信長以上でっせ。
11: 日本@名無史さん 2012/07/23 16:45:05
>>9
でも秀吉以下なんだよね?>光秀
14: 日本@名無史さん 2012/07/23 19:03:15
>>11
そりゃあんた、藤吉郎は10万の大軍引き連れるから、ナポレオンクラス、どーやったって勝ちまっせ。
まあ、奇策では藤吉郎の方が上なのは認めるけど、同数の兵力じゃ引けを取らんと思いますわ。
15: 日本@名無史さん 2012/07/23 19:17:43
>>14
おかしいな。
明智光秀が1万4千の兵を率いて、たった40人足らずの兵しかいない
本能寺の織田信長を攻めて勝ったのは「明智光秀の能力が信長より高かった」からなんだろ?

だったら、光秀もたかだか9倍の兵なら勝たないとw
16: 日本@名無史さん 2012/07/23 19:40:45
>>15
横レススマソ
あのときは信忠の方も討たなきゃならなかったでしょ
当時の本能寺は土塁があって、ほぼ城
城攻めでは、相手の数倍~10倍の兵で囲むのは当然では?
野戦とは違うでしょ

誰かも書いていたけど、勝者の歴史本、「太閤記」「信長公記」「惟任退治記」なんかは信用すべきではないと思うけど
当時光秀は、秀吉と並んで織田家で一番重用されていたのは事実だし
18: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:16:28
>>16
山﨑の合戦も秀吉による城攻めでしょ
明智光秀は背後に勝竜寺城を控えた場所で秀吉軍を迎え撃ち
実際に敗走して勝竜寺城に逃げ込んでいる

そこも囲まれたためあわてて坂本城まで逃げ帰る途中死亡
19: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:25:23
>>18
城を出て戦ってるんだから野戦でしょ。
野戦で押されて城に逃げ込んでも、城方の防備が整う間もなく、というか味方がまだ城に
逃げ込みきらないうちに寄せ手が押し寄せるわけだから、籠城にはならない。
22: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:29:04
>>19
勝竜寺城は立派な城

土塁程度の本能寺とは比べものにならない立派さなんだけど?


本能寺が城攻めだというのも怪しいもの

明智光秀過大評価
24: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:34:47
>>22
城が立派でも城から出て陣を構えているんだから、籠城戦ではなく野戦であることには変わりない。
25: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:39:53
>>24
光秀に全く籠城する気がないならね
秀吉をどこで迎え撃ってもよかったのに
光秀はあえて勝竜寺城の側から離れなかった
26: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:45:03
>>25
籠城する気があろうがなかろうが、現実に両軍は城の外で衝突しているんだから籠城戦ではなく野戦だよ。
27: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:48:22
>>26
野戦だったら数で勝てないのは当たり前?
そんなことないよね。

桶狭間で勝った信長より優秀な光秀なら勝って当然。
29: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:55:35
>>27
野戦だから勝てるとか勝てないとか、そんな話は一文字も書いてないが?
野戦な籠城戦かという区分なら、山崎合戦は明らかに野戦だといったまで。
反論は書いてあることに対してお願いします。
書いてもないことへに反論されても答えようがないから。
35: 日本@名無史さん 2012/07/23 22:39:17
>>27
飛躍しすぎ。
東海一の弓取りなんて言われた今川義元なんて、デブってお歯黒までしてた。人数だけで、まるで弛んだ軍。

秀吉軍は、清水宗治を切腹させ、あの毛利と和議を結んで勇んで帰ってきて、士気抜群だよ。
中国大返しの疲労って意外となかったと思う。道々に炊き出しを用意して、荷を軽くして走らせたわけだし。
自分自身が足軽からあがってきているから、無理はさせないし、兵の使い方が上手いよ。

今川と秀吉を比べるのはおかしい。
28: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:49:29
>>26
野戦だったら兵の大小はそれほど問題にならないんだよね。
能力だけが勝負。
管理人より:ちょっと何言ってるかよくわからないですね。orz

光秀は当時一流の軍略家だった→でも秀吉以下なんでしょ?→秀吉は10万も大軍連れてんだから無理だしょ→光秀も大軍で信長討ってるんだから、大軍だからって負けていいことにならん→本能寺は城みたいなもの、城攻めに大軍であたるのは当然→(光秀が秀吉に敗れた)山崎の合戦だって城攻めじゃん→違うよ城から出てるから野戦だよ

要約すると、野戦だったから光秀が大軍の秀吉に負けたらからといって、光秀<秀吉とはならない!という主張ですよね。(あってるかな
17: 日本@名無史さん 2012/07/23 19:54:57
俺の勝手なイメージだと、光秀は秀吉のように奇策を思いつくひらめきはないけど、
戦の定石はぬかることなくきっちりと打ってくる性格な気がする。

秀吉のみたいに、勝てるはずもないくらいの兵力しか与えられなくても、
たんとか勝つ手立てを探し出すひらめきはないが、勝てるだけの兵力を与えれば、
取りこぼすことなく確実に勝ちを手にしてくる有能な官僚。
21: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:26:56
秀吉って大軍の割には光秀に苦戦してますね
23: 日本@名無史さん 2012/07/23 20:31:39
>>21
秀吉軍は中国から昼夜走り続けて引き返してきて疲れてるだろ

京都で11日間ゆっくり休息を取っていた光秀軍は
全然疲れてなかっただろうに
31: 日本@名無史さん 2012/07/23 21:04:30
動機だけでは証拠にならない。
信長を殺したい動機のある武将や公家なんて山ほどいるし。
36: 日本@名無史さん 2012/07/23 22:51:10
>>31
状況で判断するしかないけど、
家康は目の上のたんこぶが死んだときに勢力を拡大してる
事前に計画していたみたいにね

今川義元、織田信長、豊臣秀吉
特に義元と信長は不可解な出来事で死んでる
義元が死んだときは岡崎城に入って三河を取り戻し、
信長が死んだときは甲斐・信濃を強奪
甲斐侵攻に邪魔な穴山梅雪の死も不可解
穴山信君 (Wikipedia) 穴山信君 穴山 信君 / 梅雪(あなやま のぶただ[2](のぶきみ) / ばいせつ)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣で、御一門衆のひとり。幼名は勝千代(かつちよ)。母南松院殿は武田信虎の娘で武田信玄の姉にあたる。
(中略)6月2日には京において信長が横死する本能寺の変が起こったため、家康と別行動で急ぎ甲斐に戻ろうとしたが、『三河物語』によると、金品を多く持っていた信君一行は、家康従者に強奪されることを恐れて別行動をとった結果、山城国綴喜郡の現在の木津川河畔(現在の京都府京田辺市の山城大橋近く) で落ち武者狩りの土民に襲撃されて殺害されたとされる[8](田原にて明智光秀の家臣の警戒線に引っかかり家康と間違えられて殺されたという説もあり)。[要出典]穴山氏は、嫡男である穴山勝千代(武田信治)が天正15年(1587年)に急死したため血統は断絶しているが、信君が継承した甲斐武田氏の名跡は徳川家康の息子の武田信吉が継承した。
32: 日本@名無史さん 2012/07/23 21:53:48
家康に信長を討つ主犯的な役割を担う度胸があったとは思えない。
そんな度胸があるなら、もっと前にやっていたはず。
信玄をしのぐ猛将の武田勝頼を打ち破った信長の長篠の戦いの手法を目の前にし、信長の綺羅星のような家臣団を見て、刃向かえるはずがない。
光秀から事前に知らされていた可能性はあるが、家康主謀には思えない。
33: 日本@名無史さん 2012/07/23 22:02:23
光秀が官僚的なイメージを持つ人が多いが
フロイスの記述だと結構違うんだよな
ルイス・フロイス (Wikipedia) ルイス・フロイス ルイス・フロイス(葡: Luís Fróis [luˈiʃ frɔjʃ]、1532年 - 1597年7月8日(慶長2年5月24日))は、ポルトガル出身のカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を記したことで有名。
37: 日本@名無史さん 2012/07/23 22:57:04
確かに穴山梅雪の亡くなり方は不自然だな。
豊臣恩顧の加藤清正もおかしかった。
じゃ、すべて服部半蔵が暗躍してるのかな。
歴史小説じゃないけど、歴史の半分は忍びが作ってるのかも。
40: 日本@名無史さん 2012/07/24 11:26:05
梅雪は消されたんだろうね。
武田滅亡前から内通し、主家が滅んだら洋梨。

実際、変以降に甲斐信濃に侵攻。武田旧臣も徳川に靡いて豊臣政権に対抗、後にはナンバー2の座をゲット。
秀忠の隠し子も、武田旧臣保科家に預けてるし、あの辺は史書には書かれてない秘密の関係がありそう!
真田の徹底抗戦も、何か事情がある気がしてます。
43: 日本@名無史さん 2012/07/24 14:04:24
天海が明智光秀なら愛妻煕子ら一族が眠る近江坂本西教寺を
庇護しないのはおかしいだろ
48: 日本@名無史さん 2012/07/24 20:06:22
天海は、西教寺の近くに日光に先駆けて日吉東照宮を作ったよ
やはり坂本の地と縁が深いのは確かだな
49: 日本@名無史さん 2012/07/24 21:48:44
日光も日吉も、東照宮って、御祭神が家康と秀吉なのな。信長が入ってない。

それって、天海=光秀が、信長には恨みがあったけど、秀吉には恨みはないってことになるね。
つまり、秀吉黒幕説というのは、あり得ないってこと。

秀吉に恨みを持つことがあるとしたら、
「なんで中国からあんなに早く京都に戻って来ちゃったんだよー。もう少しゆったりしてくれれば、和議結んで一緒に政権運営したのにー。」
なんてことくらいか。
もしくは、秀吉が天下を取った後、信長公を持ち上げ光秀を謀反の大悪人として仕立てたストーリーを喧伝しまくったことくらい?

やっぱり光秀が信長に抱く気持ちって、「神仏を畏れない鬼畜」というものだったんだろうなー。
50: 日本@名無史さん 2012/07/24 22:54:29
残念ながら当時の世評は全く真逆。
あれほど信仰心あつい信長を殺すなんて、光秀って鬼畜だわぁーって反応。
現代人はこういう話になると必ず比叡山が本願寺がっていうけど、
当時は叡山本願寺ざまぁ~って反応。
こういうのちゃんと留意しながら歴史ってもんはみた方がいい。

東照宮だって、信長が入ってないのは子孫がミニ大名やってたからじゃ?
変に祀ったりして徳川の対抗勢力として成長されたら大変だ。 

でもフィクションで光秀アゲアゲするのはいいと思う。
51: 日本@名無史さん 2012/07/24 23:20:10
家康自身、別に秀吉に恩こそあれ、憎悪の対象じゃないよなあ
ムカついたのは、淀の権勢と秀頼にでしょ
信長にはムカついてたと思う
我慢に我慢を重ねたからねえ
52: ジャック 2012/07/25 07:13:05
俺も可能性はあると思うが違うと思うがそうであって欲しい。
鼻息で吹き飛ぶ程だが証拠残りすぎ。
でも残ってる証拠だと光秀じゃなくてもその秀満とか親戚、
家臣とかでもokじゃん。
明智平も主君・光秀(自らが慕う光秀)の名前を残したい。
罪深き存在は自分は逆賊明智にくみした、明智光秀が死にそうな所助けたとか

将軍の名前だって慕う光秀にあやかったとか
光秀の近い人物だったら斎藤との再会も顔見知りで納得がゆく。

へうげものの説とか多少目をつぶれば結構筋通ってるし。

http://blog.livedoor.jp/ryuj75/
53: 日本@名無史さん 2012/07/25 09:06:55
家康との初対面で、人払いして一刻(2時間)も2人で話してたなんていうのは、光秀本人でないとあり得ないだろ。
織田家の武将同士で軍議に出てて、顔見知りだったわけだし。
陪臣ならあり得ない。
だから、俺は光秀本人だと思うね。
54: ジャック 2012/07/25 10:41:42
>>53
確かに...
貴殿は天海の寿命の長さについてどう心得る?
代替わり説?or長寿説。


でも、信長が糞忙しい光秀を接待役にしたほどだから当時からの
光家の親密度は高い。

一介の僧が光秀談義花咲かしたとか思いがたい。

やはり光秀=天海は本当なのか...
というか本当であって欲しい。

秀満説は秀満説で好きだがやっぱ光秀説の方が好き。

代替わり説も微妙だけど
もし天海が光秀だったらずっと代替わりせんでほしい。
56: ソーヤー 2012/07/25 19:17:26
>>54
やぁ、ジャック。

天海116歳没年説を採るとさすがに無理はあるけど、105歳くらいならあり得る話かと。
以前の泉重千代さん120歳越えの例もあるし。
生年の疑惑はあるけど、あの人だって、近代科学に生かされたわけじゃない。

すり替わって2代に渡って天海を務めたなんて方が、現実離れしてる(笑)。

あの家康が、上にも置かず、言うことに従ったのだから、相当の人物だったと思われる。
息子の秀満だったと考える方が矛盾あり。


やはり、徳川将軍家で元服して名前に「光」という字を入れたのが家光だけというのが、一番の証拠のような。
後になっても、「光」が入った将軍家は誕生してない。
水戸の光圀は、家光から一字をもらったんだろうし。

本能寺の変のときに、源氏の流れを汲む2人(光秀・家康)で、天下を分かち合う密約があったんじゃないかと邪推しちゃう。
不幸にもあの流れになり、光秀は表舞台から消えることになったけど、家康は功労者の光秀を厚遇した。

表向きの政は、征夷大将軍の家康。裏の将軍、宗教の長は、光秀。みたいな。
で、次の世の跡取りは、家康と光秀の2文字を取って名付けるみたいな。
あんな日和見主義の細川家を優遇したのも、そのためのような。
55: ジャック 2012/07/25 10:43:56
やはり、そこ考えて天海は光秀クラスかそれ以前にも高僧として名が通っていたかだな
だが前半期の天海の資料は全部怪しく取って付けたようなのばかり。

光=天の証拠が多すぎる。
71: 日本@名無史さん 2012/07/26 13:19:19
細川ガラシャは娘なんだから知ってたはず。
あのお坊さん何で父上に瓜二つ???
73: 日本@名無史さん 2012/07/26 14:32:24
>>71
ガラシャは天海と会う機会がなかったかもな。
本能寺の変の後は幽閉されているし、幽閉が解かれた後は大阪屋敷住まいだから、
女はあまり出歩かないだろうしな。

天海は大阪にはそれほど頻繁には行ってないだろうし。
77: 日本@名無史さん 2012/07/26 19:28:30
>>73
でもガラシャの旦那の細川忠興には会ったでしょ
忠興は何回も家康のところへ行ってるんだから
ついでに孫の細川忠利にもね
参勤交代のため大名は隔年で江戸屋敷に住み
江戸城に登城しなきゃいかけなかったし
58: 日本@名無史さん 2012/07/25 22:09:31
日本史の異説で一番信憑性あるもんなー。
真実であってほしい!

管理人は日本史あんまり詳しくないので、どこまで註釈いれたらいいかよくわからない…
光秀=天海説は聞いたことありますけど、どうも日本史板住民の感情からすると、(史実かどうかはわからないけど)光秀が生きていてほしい!というのがあるようですね。
真田幸村だって、源義経だって、「実は生きてた(テヘ」説があるので、死後もそうやって慕われるのは、幸せなことかもしれません。

トップ絵はなんか戦国無双というゲームに出てくる明智光秀。当然のごとくイケメン。
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元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1342945821/

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