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日本史に出てくるエチーな話を語るスレ @ [日本史板]


日本史に出てくるエチーな話を語るスレ @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/03(日) 01:22:05
さぁ、語ってくれ!!
3: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/04(月) 14:47:16
藤原頼長やはり藤原頼長が相互男色で、尺八や兜合わせをやりまくって居た話が面白いのう!
4: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/04(月) 15:50:39
武士道はゲイからはじまった。
5: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/04(月) 23:59:58
西郷隆盛西郷隆盛と稚児の話はあまりにも有名。
西郷「ハアハア…よかっ!
7: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/05(火) 15:00:20
南国では男色はいたって普通
9: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/18(月) 22:46:13
このスレ男色ネタ多いなw
15: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/19(火) 23:00:04
5<< 7<<
男色が普通だったら当然百合も普通だったはずだよな。
男色なんかどうでもええわ!百合話は無いんかい!百合話は!
管理人より:先行きが不安なスレだ…('A`)
6: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/05(火) 02:54:48
87: 日本@名無史さん 投稿日:2007/07/30(月) 08:27:41
>>6
「木梨軽皇子と軽大娘皇女の近親相姦」
あれは、軽皇子(孝徳天皇)の権威を貶めるために、書紀成立時に作った話って説がある。
孝徳天皇の嫁はんの間人皇后は、中大兄との近親相姦を匂わされており、ま、旧政権に対する天武政権の嫌がらせみたいなものだな。
軽大娘皇女(衣通姫)
管理人より:大変美しい女性だったと言われていますが、「お兄さま」にあたる木梨軽皇子との悲運の恋に涙する軽大娘皇女…。
※あくまでもイメージです!
10: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/19(火) 01:25:27
良スレあげ
17: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/20(水) 11:50:52
藤原薬子いや、どう考えても平城太上天皇と藤原薬子だろ。
平安京の嵯峨天皇と平城京の平城太上天皇が対立して二所朝廷になっちゃうし、ついに平城太上天皇の変(藤原薬子の変)に発展するし。
1000年以上も昔の話とはいえ、今では口には出せないねぇ
30: 日本@名無史さん 投稿日:2006/10/01(日) 11:45:43
>>17
平城天皇って、嫁(藤原薬子)を嫁の兄貴(名前忘れた)に寝取られたんじゃなかったっけ?
管理人より:藤原薬子は桓武天皇の皇太子安殿親王(後の平城天皇)に仕える女官のひとりで、皇后は藤原帯子です。しかし(たぶん)妖艶な美女であった薬子の魅力に取り憑かれ、不倫の仲に。桓武天皇大激怒で、薬子は島流しに。 その桓武天皇の死後、ふたたび宮廷にあがり、兄の藤原仲成とともに専横を極め、ひとびとから相当恨まれた模様。悪女すなぁ。藤原葛野麻呂とも通じていたらしく、自らの美貌を最大限に活用した結果、最後には自害を命じられてしまいます。。
29: 日本@名無史さん 投稿日:2006/09/30(土) 21:43:18
豊臣秀吉徳川家康
秀吉家康のロリグルイ
32: 日本@名無史さん 投稿日:2006/10/13(金) 09:06:43
羽柴秀吉への宇喜多直家夫人の超濃厚サービスとか

宇喜多秀家母ちゃんの床上手のおかげでムスコの秀家が五大老までなれたみたいな
円融院
管理人より:床上手のセクシーママは「円融院」というひとですが、肖像画見当たらず。「鬼武者Soul」というゲームのイラストと、息子さんの顔から想像をたくましくしていただきたいと思います!
34: 日本@名無史さん 投稿日:2006/10/20(金) 03:46:25
孝謙天皇松田修の本に孝謙天皇のオ○ニーの話があったけど
詳しいことわかる人いる?


あと、百合は知らんが、女性用ハウツーオ○ニーの本はあったらしい
37: 日本@名無史さん 投稿日:2006/10/26(木) 21:01:41
道鏡道鏡ってすごい絶倫なの?
38: 日本@名無史さん 投稿日:2006/10/27(金) 11:54:18
道鏡よ、なぜそなたは膝が三つあるのじゃ。
39: 日本@名無史さん 投稿日:2006/10/27(金) 16:22:21
新版 好色五人女 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) 西鶴の『好色五人女』なんか読むとハァハァなんだけどな。
 でも、日本史じゃないか。文学だよな。
43: 日本@名無史さん 投稿日:2006/11/21(火) 23:15:02
藤原仲麻呂だったか橘奈良麻呂だったかの娘が、敵兵1000人にヤラれた話。
てか最初の20人くらいで擦り切れるだろうなぁ。骨盤も砕けちゃうよぉ~
管理人より:絶世の美女と謳われた藤原東子は、一度に1000人の兵隊さんを相手したわけではなく、お医者さんとお化粧直しの女官&ローションまで付けて、何日にも渡ってアレをアレされたとか。詳細はコチラを。
45: 日本@名無史さん 投稿日:2006/12/19(火) 00:01:16
源氏物語はロリとよばいの話ですな。
妄想も紙を消費するに足ると世に認めさせた最初の作り話
53: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/05(月) 04:14:47
足利義満足利義満が天皇の嫁と不倫してたって話がなかったっけ?
だから一休さんと将軍様は実は孫と祖父だって聞いた記憶があるんだけど
55: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/05(月) 12:56:26
> 足利義満が天皇の嫁と不倫してたって話がなかったっけ?
> だから一休さんと将軍様は実は孫と祖父だって聞いた記憶があるんだけど
あんなクソ生意気な小坊主がなぜ打ち首にならないかというと、実は将軍様が孫とじゃれてるだけだから、という説は聞いたことあるなw

実際には、一休さんの父である後小松院の誕生時には、義満の権勢はまだそこまで大きくなかったから・・・。
54: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/05(月) 08:28:57
徳川吉宗吉宗ヤリチンだったらしいな
57: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/16(金) 18:04:32
千姫家光と千姫の姉弟近親相姦の話しを昔本で読んだ記憶がする。
58: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/16(金) 19:50:26
そういう乱倫ものは、ほとんどが与太話だからな。
高い身分の人間をそういう乱れた性関係にして、密かに楽しむ庶民の夢が生み出した事実無根のメルへンだ。
77: 日本@名無史さん 投稿日:2007/06/15(金) 19:04:10
『とはずがたり』お初は二条14歳、後深草院30歳ぐらいだったっけ
『源氏物語』と違って一応史実(事実?)なんだよね
88: 日本@名無史さん 投稿日:2007/07/30(月) 08:56:33
『台記』に記されている男色の情景が仲々ステキですネ!
相互濫吹」というのは、男性どうしの相互フェ○チオの意謂でしょうネ!!!
93: 日本@名無史さん 投稿日:2007/08/24(金) 15:26:27
えぇぇ~
日本人って歴史好きかと思ってたけど、こんなもんなのー?
ぜんぜん話出てきてないじゃん。
96: 日本@名無史さん 投稿日:2007/09/19(水) 01:41:25
いくらエロ話が出ようとも、昔の美人はブスだからぜぜんぜんぼlっきしない
101: 日本@名無史さん 投稿日:2007/09/30(日) 01:42:26
>>96
逆に、昔の価値観ではブスと評価されて、今でいう美女が散々虐げられるのを想像してみようw
107: 日本@名無史さん 投稿日:2007/11/07(水) 18:26:45
藤原師輔関白藤原忠実の語録『中外抄』(藤原忠実の語録)に、先祖の藤原師輔(九条殿)のことについて「九条殿はまらのおほきにおはしましければ」とある。
師輔は、まらが大きかったせいかどうかは知らないが、元妻藤原盛子などの妻がありながら次々と内親王を姦淫、3人までも妻にした。


このうち最も高貴だった康子内親王は、醍醐天皇と中宮穏子の皇女で、村上天皇にも尊重された同母姉。
康子内親王は35歳まで処女を貫いたために、「まら(男性性器)」の大きい師輔とやるのは大変だったでしょう、という話らしい。
摂関家にも随分下世話な伝承が伝わっていたようだ。
管理人より:なにしろ名前が「もろすけ」だもんなぁ…。
120: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/13(日) 22:21:02
新皇はこのことを聞いて、女人がはずかしめをうけないように勅命を下したが、勅命以前に兵卒らにことごとく凌辱されていた。
そのなかでも、貞盛の妻は、服をはぎ取られて裸にされてどうしようもなかった。眉の下の涙は顔の白粉を流し、胸中の炎は心の中の肝を貫いた。思いのほかの恥が自らの恥となったのである。

会稽の恥をそそごうとした報いに、その会稽の敵に会ってしまったようなものだ。どうして人のせいにできようか、どうして天を怨むことができようか。生前に受ける恥は、自らに原因があるのだから。

そこで傍らにいた陣頭の武将らが新皇に奏上した。
例の貞盛の妻は、顔立ちが美しいものです。罪科は妻にはありません。できれば恩詔をたれて、早く本拠に送り返してください」。
新皇は「女人の流浪者は本拠地に返す、というのが法の通例である。また、身よりのない人、孤独な人に哀れみを垂れるのは、古帝の良い手本である」と勅した。そこで一かさねの衣服を賜って、その女の本心を確かめるために勅歌を詠んだ。

よそにても風の便に吾ぞ問ふ 枝離たる花の宿(やどり)を
(離れたところにいても、香りを運ぶ風の便りに、枝を離れていった花の行方を私は訪ね求める)

貞盛の妻も幸いに温情ある処遇にあったことから、これに唱和して詠んだ。

よそにても花の匂ひの散り来れば 我身わびしとおもほえぬかな
(離れたところにいても、花の香りが散ってやってくるのだから、私の身の上がわびしいものとは思いません)
承平・天慶の乱 将門記 9 将門の最期
121: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/13(日) 23:04:42
常盤御前常盤御前だろ。
義朝の女だったのを奪い、手篭めにしたときの清盛と常盤はどんな気持ちだったんだろうか?
そのシーンが見たかった。
128: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/24(木) 18:17:52
日本神話からしてエロイだろうに。
129: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/25(金) 00:30:07
古事記読みながらマスかけますか?
ほう、そうですか。
130: 日本@名無史さん 投稿日:2008/01/25(金) 09:11:05
>>129
エロイこととマスをかけるかどうかは別物だろ。
お前は、江戸時代の春画を見ながらマスをかけるのか?
134: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/09(土) 22:32:51
>>130
恥ずかしながら春画でシコッたことあるよ(^O^)
鈴木春信の絵だった
135: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/09(土) 22:36:18
>>134
なんというカス。
137: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/10(日) 00:15:33
普通に春画はおかずだろ?
古事記や日本書紀はおかずにならん。

フランス院書房はおかずになる。
寺小姓と上臈(鈴木春信)
管理人より:というわけで参考までに鈴木春信の春画でそんなモロでないやつをひとつ。
139: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/13(水) 18:03:24
教科書に出ない古典』だったかな?なんかそういう本があって
陛下、夕べはあの女と何発やりましたか?
5発じゃ
みたいなやり取りの書かれている作品なんかも取り上げられてるんだってね。
誰か詳しいこと知らない?
141: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/15(金) 22:22:30
>>139
あー、多分私その本持ってる
和泉式部が最初にあのぷれいしたとか、伊藤博文が好色を天皇にたしなめられたとか書いてあるやつ
違ったらごめ
142: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/16(土) 08:51:43
>>141
本当?タイトル教えてください!!
143: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/17(日) 09:55:12
それ日本書紀に載ってる話じゃないのか
一晩だけ関係した采女が妊娠したもんだから天皇が本当に自分の子か疑って、家臣に相談したら「一晩に何回召されましたか?」ってきいて「七回やったよ」って返事した。
そしたら家臣が「女の体はデリケートだから一晩でもそれ位すれば妊娠しますよ」って答えたもんだから、采女はめでたくおきさきになりました。
で、皇女が産まれたんだけどいまいち疑心暗鬼だった天皇が物陰から家臣にその皇女を見せたら「あの娘は誰ですか?陛下にそっくりだけど」って答えたんで、認知した。
っつー話ではなかったっけ?
144: 日本@名無史さん 投稿日:2008/02/18(月) 17:25:34
>>143
日本書紀に雄略天皇の話として出てくる。
物部大連目が、あの童女(春日大娘皇女)は大層天皇に似ていると皆が申しております、(身に覚えはございませんか?)と指摘。
雄略天皇は、みなそのように申すが、私はその女(采女和珥童女君)をたった一晩しか召したことがない、(本当に私の子だろうか?)と回答。

目が一晩に何度お召しになりましたか、と聞くと雄略天皇は「七たび召しつ」。

そこで、目は、孕みやすい人は袖を触れ合っただけで孕むと申します、まして天皇は一晩に七度もおやりになったのだから、天皇のお子でございましょう、と言ったので、天皇は娘とその母親を認知した
という話。
81: 日本@名無史さん 投稿日:2007/07/17(火) 07:35:11
これは平安時代の歴史書である「故事談」という作品に書かれています。
清少納言寛仁元年(1017年)、清少納言は朝廷での務めを引退し、出家して尼となり、兄の清原致信(きよはらのむねのぶ)の家に身を寄せていました。
その年の3月、致信と敵対する源頼光が暗殺者を送り込み一家を惨殺します。
その時、清少納言は僧の姿をした男の兵士と勘違いされ暗殺者に襲われました。
切り殺されそうになった清少納言は着物の裾を広げ、マ○コを暗殺者たちに見せつけました。
当時パンツなんてないですからね。当然「ある」と思っていた暗殺者は、「ない」ってことが分かったんで、女性の殺生はしないとして引き上げました。
82: 日本@名無史さん 投稿日:2007/07/17(火) 22:43:36
清少納言の落ちぶれ様は色んな逸話があるなぁ
83: 日本@名無史さん 投稿日:2007/07/17(火) 23:02:03
相変わらず機転の利く人だったんだね。

ハイ、そゆわけで久しぶりのエロ記事。昨日巻末欄で「下品な記事はやる気が出ない」とか書いといて、舌の根も乾かぬうちにこの有り様ですよ。ついてきてくださいよォ~ドクターの皆さん。
こゆのやると相互リンク先から切られやしないかといつもヒヤヒヤします。
この記事が公開される頃、管理人は急遽出張で週末だというのに名古屋ですからね。もうどーにでもなぁれ、という気分なわけです。やってられません。

一晩に7回とか、だいぶん雄略天皇の見栄も入ってると思いますが、昔の天皇陛下は強壮であられたわけですね。男性も粉吹く勢いですが、女性も大変!昔のセックス事情はいったいどんな感じだったんでしょう。気になる。

和泉式部途中でちょっと出てきた和泉式部ですが、このひともなかなか美女として有名で、かつ恋愛には奔放だったようですね。藤原道長からは「うかれ女」などと呼ばれ、夫であった橘道貞、藤原保昌のほかにも、為尊親王、敦道親王、源俊賢、源雅通、源頼信、藤原頼宗、道命阿闍梨などなど多数!「初めてやったプレイ」とやらが気になるけど、3Pのことでしょうか。
世の中に 恋てふ色は なけれども 深く身に染む ものにぞありける
(世の中に恋という色は無いけれど、まるで色が染みこむ様に深く身に染みて感じます。)
という粋な和歌を残しているそうです。

『佐竹本三十六歌仙絵巻』より『小野小町』
トップ絵は「佐竹本三十六歌仙絵巻」より絶世の美女と名高い「小野小町」。鎌倉時代、藤原信実の手による画だと言われていますが、確かなことはわかりません。
才女としても知られる小野小町ですが、きっと当時はモテモテでイケイケのワンレンギャル(死語)だったんでしょうねー。
男女色くらべ (艶色 浮世絵千夜一話)
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元スレ:http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157214125/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.8.23 15:26
    道鏡巨根説は陽物崇拝の神である道祖神と道鏡が結びつけられて生まれたそうな。
    道祖神の祭りを道饗祭(どうきょうさい、みちのあえまつり)というところから
    両者が混同されたという説があります。
    称徳女帝と道鏡の関係を下卑たものとして広めたのは鎌倉初期の「古事談」で
    内容は歴史を題材にした道楽もので信憑性なしとか。
    「道鏡は 座ると膝が 三つ出来」「道鏡に 崩御崩御と 称徳言い」
    • ほうほう、そうなんですか。
      なんとなくロシアのラスプーチンといい、お坊さんはそういう伝説があると、禁欲のイメージとあいまって、効果的に映るのかな!
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