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征夷大将軍っていつから源氏だけになったの? @ [日本史板]


征夷大将軍っていつから源氏だけになったの? @ [日本史板]
1: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/09(金) 00:09:45.62
いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないってなったの?
鎌倉時代にも摂家から将軍を迎えてるし、信長を将軍につけようとしたりしてるし。
いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないっていう不文律ができたのか誰か教えて。
3: 坂上田村麻呂 投稿日:2011/12/18(日) 19:52:01.43
清和源氏以外に平氏や藤原氏、そして皇族も就任しており、征夷大将軍になれるのは源氏に限られている訳ではない。
また征夷大将軍イコール源氏長者のような印象があるが、これは足利義満以降の事である。


織田信長織田信長が征夷大将軍にならなかったことについては、三職推任問題のように議論が続けられており定説がある訳ではないが、少なくとも俗説のように「織田家が平氏の系図を称していたため征夷大将軍にはなれなかった」のではないことは明白である。

豊臣秀吉豊臣秀吉についての俗説では、征夷大将軍となるために源氏である足利義昭の養子になることを執拗に計ったが失敗したため、近衛家の養子となって関白に任ぜられたとされる。
しかし実際には、秀吉が自ら征夷大将軍就任を断っている事実がある。
また朝廷にとって関白就任の方が征夷大将軍就任よりも遥かに抵抗感が強く、秀吉はむしろ征夷大将軍就任よりも困難である関白就任を実現させている立場である。

徳川家康徳川家康についての俗説では、征夷大将軍に任命されるに当たって、系図を偽造して清和源氏と称したとされる。
しかしながら実際の家康の目的は、当時称していた藤原氏を捨てることで豊臣政権からの独立を明確にするため(上述の通り、豊臣秀吉は関白就任にあたって一時藤原氏を称している)である。

その際に家康が源氏を称したのは、かつて織田家が平氏を称していたためそれを避けたからである。

以上が当を得た解釈であり、征夷大将軍就任に巷間で説かれるような制約が存在したとは考えにくく、源氏でなければ征夷大将軍になれないという俗説は事実に反し誤りであり、源平交代思想も然りである。
18: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/23(金) 12:57:00.73
>>3
多聞院英俊の日記は、同時代史料なんだが、いまいち評価されてないな。
秀吉が正親町帝からの将軍任官提示を断ったと書いているんだがな。
管理人より:「征夷大将軍」は朝廷の官職のひとつで「東夷を征討する軍事司令官」という意味。東方を征討する軍で太平洋側を進む将軍を「征夷」と呼び、日本海側は「征狄(鎮狄)」、九州方面は「征西(鎮西)」と呼ぶそうです。
正式に「征夷大将軍」という官職として任官したのは790年大伴弟麻呂が最初だそうです。彼の副官である有名な坂上田村麻呂も後に大将軍に昇格し、東北平定していますが、それ以後本来の意味「東夷を征討する」ということで任官したひとはいません。「武門の最高職」のような意味合いは源頼朝あたりくらいからだそうです。
6: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/18(日) 23:39:14.17
家康の場合、祖父の清康の時から新田流源氏(世良田)を称しているといういきさつも大きいんじゃないかな。
世良田と得川は同族だし。
10: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/19(月) 15:11:26.84
>>6
家康の親父の代には藤原姓だったんじゃなかったっけ。
家康も初期には藤原姓を名乗ってるんだよな。
12: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/20(火) 00:23:13.96
>>10
家康の「藤原」は、近衛前久に三河守任官の取り次ぎを頼んだ都合からでしょう?
そもそもが、「得川の惣領が二筋に分かれていて、片方が藤姓になって云々」という、無理やりな理屈で「藤原家康」になったということだし。
7: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/19(月) 05:46:34.27
頼朝は伊豆~鎌倉拠点、尊氏は鎌倉の御家人、家康は関東の太守だったけど、東国を制してない秀吉が征夷大将軍はないだろ。
信長もそうか。

秀吉は中央を押さえたからすばやく関白になっておくほうがよかった。


家康が将軍になることはかまわないが、源氏を私称するのはなぁ。
13: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/20(火) 01:23:30.26
家康の氏素性については三河物語の通りでいいだろ
14: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/21(水) 20:05:30.42
いつから源氏だけなんて説がはやりだしたんだ?
15: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/21(水) 22:20:24.68
足利義満律令的には根拠がないけど、足利義満が征夷大将軍と共に源氏長者も補任されたことが、慣例化したからでは?
そもそも、摂政も元々は皇族しかなれなかったのがいつの間にか藤氏しかなれないと言う慣例ができたわけだし。

徳川家康が足利義満と同じように源氏長者になったことから、征夷大将軍=源氏の慣例を確定化させたわけじゃないかな?
ただ、あくまでも「慣例」なので、例外もありえるわけで、それが豊臣家の関白世襲化や江戸幕府の宮将軍擁立あるわけで。
16: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/22(木) 08:44:36.81
足利義昭>>15
1597年に足利義昭が没し、征夷大将軍と源氏氏長者就任に文句を言う人がいなくなったため、その隙間に家康が入り込んだだけの気がするなあ。
義昭が生きていればその養子になるとか面倒な手続きが必要だった気もするが。


秀吉は近衛家の養子になるなど関白就任に当たって面倒な手続きを取ったが、家康は誰の養子になることもなく偽の系図を源氏にくっつけるだけで済んだ。

聖徳太子摂政に関しては藤原氏以前に就任した例が一つしかなく(伝説の聖徳太子)、律令に何の規定もないので、関白同様、ほぼ平安時代に藤原氏が始めた役職に近い気が。
摂政が法的根拠を持つにいたったのは明治時代の皇室典範が初めてで、このときに初めて皇族限定(皇后や皇太子など)の役職になった。
その後、昭和天皇が皇太子時代に就任した例がある。
17: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/23(金) 01:03:51.86
15-16
ちょっと待てよ。
岡野公彦によれば、足利義満以降も久我家が源氏長者になってるだろ。
足利義昭は源氏長者にはなっていない。
19: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/24(土) 10:04:08.33
秀吉が近衛家の養子になったことからの派生なのかな。
正直、秀吉がどうしても征夷大将軍になりたいのならば足利義昭の養子にならなくても、徳川家康みたいに出鱈目系図を用意して源氏を自称すれば済むこと。


近衛前久はこの頃明智光秀に協力したとの噂を立てられ隠居に追い込まれていたが、
娘の近衛前子を秀吉が養女として代わりに入内させてあげるなど、
状況打開のために前久のほうから言い出した可能性すらある。
前久唯一の男子には子がなく、近衛前子が産んだ後陽成天皇の皇子が近衛家を継いでいる。
21: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/25(日) 00:07:48.63
鎮西大将軍ではダメなのか?
鎌倉、室町の前例にもとづいて征夷大将軍でないといかんのか
22: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/25(日) 00:20:12.32
征夷大将軍
摂政
関白
太政大臣

偉さ(格式)の序列は?
23: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/25(日) 11:25:34.19
摂政=関白>太政大臣>征夷大将軍

征夷大将軍自体はそれほど高い官職ではない。
家康は足利義満などの例にならって太政大臣を兼任することで、より高い地位につこうとした(征夷大将軍を辞した後も太政大臣だけを称している)。

江戸時代の将軍でも将軍就任と同時につくのは内大臣じゃなかったか。
すべての将軍が太政大臣を兼任していたわけではない。
24: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/25(日) 13:05:22.62
>>23
家康の太政大臣任官は死の直前だ。実質上、贈官と変わらない
25: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/25(日) 18:54:51.40
家康は死の一月前に太政大臣になってるね。
当然、将軍職を譲って大御所だった。


徳川秀忠数年太政大臣であったのは秀忠だけ。
他の将軍は太政大臣にまでのぼってすらない。
朝廷に対し、もっとも威勢があったのは秀忠かもね。
26: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/25(日) 20:00:03.04
源義仲木曽義仲から
27: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/25(日) 21:23:37.84
ところが義仲は征夷大将軍ではなく征東大将軍だった
30: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/26(月) 21:04:53.48
坂上田村麻呂田村麻呂は清和源氏
31: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/26(月) 23:46:18.96
なんでやねん
32: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 09:27:40.46
>>31
本来は坂上氏だが、征夷大将軍任官前に源氏に改姓してる。それが慣例だったんだな。
33: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 12:35:02.64
>>32
坂上田村麻呂が源氏になったことは一度もない。

>>30
坂上田村麻呂は清和天皇よりもずっと以前の人。
34: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 14:09:13.26
最初に源姓を名乗ったのは嵯峨天皇の子供。
坂上田村麻呂が征夷大将軍のころ、嵯峨天皇はまだ10歳くらい。
35: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 19:01:16.78
>>34
田村麻呂は嵯峨天皇の養子になって源姓を下賜されたんだ。だから、征夷大将軍になれたんだ。
36: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 21:41:04.95
じゃあ大伴弟麻呂は?
40: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/28(水) 09:29:38.38
>>36
いなかったことにしよう
管理人より:坂上田村麻呂は、娘の坂上春子が葛井親王を産んでいて、清和源氏の源流となったひとだそうです。坂上田村麻呂と阿弖流為こちらのページによると、
嵯峨天皇の作といわれる「田村麻呂伝記」には「身長五尺八寸、胸の厚さ一尺二寸、眼は鷹のように鋭く、黄金色の髪を豊かに蓄えている。怒って睨めば猛獣もたちまち倒れ、笑って眉をゆるめると幼児もたちまち懐く」とあるが、このころから坂上田村麻呂伝説が生れた。
なんと金髪の長身イケメンで覇王色の覇気を使いこなす模様。征夷大将軍におれはなる!!
大伴弟麻呂は、上にも書いたように、初めて「征夷大将軍」として蝦夷討伐に赴いた軍人さん。しかし彼以前にも征夷大将軍相当の官職はあり、「征夷将軍」とか「征東将軍」とか呼ばれたそうです。肖像画見当たらず。
37: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 22:26:36.34
征夷大将軍自体には、摂関同様官職としての格があるわけじゃないんで、単にその時々の力関係で上下が変わる。
室町時代の摂関は、将軍に伺候し裾を取ったり、将軍の機嫌次第で解官、追放されたりという立場にあったから、公家社会も含め
将軍>摂関
という序列だね。
42: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/28(水) 21:36:04.61
>>37
将軍自体の序列は摂関>将軍だよ。
将軍だけじゃ序列が低いので左大臣や右大臣などを兼務して、公家との序列のつりあいを合わせているんじゃないか?
45: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/28(水) 23:19:14.05
>>42
そもそもどちらにも序列を規定する根拠が存在していないんだよ。
で、宰相の将軍でも、平気で大臣や摂関を伺候させたり首を飛ばしていたのが、室町以降。
46: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/28(水) 23:58:14.43
>>45
それはみんなわかっているだろうよ。
事実上の権力者ではなく、制度上の序列の話をしているんだろう。

現在のイギリスに似ているかもな。
イギリスでは君主の国王は別にして、現在でも組織としては内閣より枢密院の方が上位だし、序列も核ボタンを持っている首相は、大法官やカンタベリー大主教よりも下位。
管理人より:「カンタベリー大主教」というのはイギリス国教会における最高職で、次席はヨーク大主教
ヘンリー8世が宮女のアン・ブーリンと結婚するため、アラゴン王家のキャサリンと離婚しようとしましたが、袖の下が足りず法皇クレメンス7世は拒絶(本来カトリックでは離婚は禁止されています)。怒ったヘンリー8世は、ローマ・カトリックと袂を分かちイギリス国教会を設立することに。このふたりの子供がエリザベス1世。
41: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/28(水) 09:37:01.72
歴代征夷大将軍
大伴弟麻呂→坂上田村麻呂→文屋綿麻呂

源頼朝そもそも源氏が征夷大将軍になったのって、源頼朝が初めてなんだよな。
44: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/28(水) 23:13:01.59
武家の棟梁が征夷代将軍
公家の棟梁が源氏長者

信長は天皇を越えようとしたが、家康は天皇の下のトップを目指したんじゃないか?
47: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/30(金) 11:12:12.51
信長が天皇を超えるためには、海外進出が必要では?
海外領土も含めた大日本帝国のようなものを新たに建国し皇帝を名乗る。
天皇は山城の国の大神主のような存在に。
49: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/31(土) 17:49:27.80
>>47
それ、普通に秀吉の政権構想じゃん
48: 日本@名無史さん 投稿日:2011/12/30(金) 11:36:30.72
国内の統一さえできない奴に、どうやって海外進出ができるのか。
51: 【大吉】 【516円】 【東電 71.9 %】 株価【E】 投稿日:2012/01/01(日) 01:18:49.99
家康が藤原から源に変えたから、将軍は源氏ってイメージになったのでは?
でも、家康は将軍より源氏長者を見据えて源氏に名乗りを変えた気がする。
52: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/01(日) 02:36:23.17
新田氏の系図を盗んで家系を捏造した件か?
54: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/02(月) 03:07:48.38
源氏であればいいってもんではないな。
清和源氏正嫡といえば頼光の系統になるんだろうが、将軍はやはり鎮守府将軍だった頼信~八幡太郎~頼朝の武門の系譜。

実際、武家政治の仕組みを頼朝が確立したこともあるが。

百歩譲って、義為よりわかれた新田、足利。
結局は足利と新田得川(実際は偽の徳川)が将軍となっている。
佐竹、武田あたりだと弱い。
57: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/03(火) 10:28:17.08
コレは簡単、信長と秀吉はイエズス会の手下及び協力者だったから。
南蛮人と連帯してた人間が征夷は無い。
一方の家康は明らかに反イルミナティであり征夷大将軍が相応しい。
67: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/13(金) 10:25:59.43
>>57
信長は兎も角秀吉がイエズス会の手下なら「サン・フェリペ号事件」は起きないと思うのだがw
管理人より:「サン=フェリペ号事件」は1596年、土佐の国に漂着したスペインのガレー船・サン=フェリペ号の積み荷を押収した事件。当時秀吉はすでに「バテレン追放令」を出した後でした。
59: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/04(水) 00:24:36.58
幕末の源氏長者って誰なの?
61: 日本@名無史さん 投稿日:2012/01/04(水) 07:26:44.90
徳川慶喜>>59
江戸幕府歴代将軍は第2代徳川秀忠一人を除いて全員源氏長者に任命されている。
徳川慶喜の辞官納地まで、慶喜が源氏長者だったはず。
よって、幕末の源氏長者は徳川慶喜ということになる。

ちなみに慶喜が官職を辞した直後、一時期、源氏で最上位となった久我建通が源氏長者だったともいうが史料には書かれておらず不明らしい。
76: 日本@名無史さん 投稿日:2012/02/23(木) 15:38:41.64
征夷大将軍職そのものが本来大した役職じゃないのに、なぜ天下人の代名詞のようになったのか、教えてごじゃれ
78: 日本@名無史さん 投稿日:2012/03/14(水) 23:54:44.42
>>76
電話もメールもないような時代に長距離遠征を行えば、遠征軍の最高司令官がいちいち朝廷のお伺いを立てながら戦うことは物理的に不可能である
だから遠征軍の最高司令官たる征夷大将軍は出陣すれば、朝廷に相談せず自分の意思だけで行動できる特権が与えられる
そこで征夷大将軍になって今出陣中です、ということにすれば何でも思いのままの事実上の独立政権が作れるから天下人の代名詞となった

よく比較される関白や太政大臣にはこのような特権は存在しない
79: 日本@名無史さん 投稿日:2012/03/15(木) 09:17:04.35
>>76
頼朝が征夷大将軍という名前の響きに漬かれたからとしか言いようがない
ただの将軍だけより、ずっとサマになるからな

別に征夷大将軍にならなくても既に政権の体をなしていたし
77: 日本@名無史さん 投稿日:2012/03/12(月) 17:56:18.56
戦時下の非常事態の時に、軍の最高司令官として天皇の考えを逐一聞かなくても良いという職権を、過大解釈したから
82: 日本@名無史さん 投稿日:2012/03/16(金) 09:25:52.76
家康って、上杉謙信みたいにさっさと吉良の養子にでもなっておけば、後世「偽源氏乙www」って煽られずに済んだのにな・・・・

家康の残した業績は多大で、正直、信長や秀吉よりもずっと偉大な人物だが、この点だけは、残念に思う。
83: 日本@名無史さん 投稿日:2012/03/16(金) 14:39:09.14
>>82
家康の悪いイメージは維新政府によってつくらたものだから何やっても悪く言われたと思う

そうだったんだ~。
管理人もてっきり征夷大将軍には源氏の人間しかなれないと思ってたんですが、実際はそうでもないんですね。 管理人家の家系も清和源氏由来ですから、世が世なら将軍様にもなれたのになぁ…。でも清和源氏の家系なんて履いて捨てるほどいるし、「ドキッ!源氏の子孫だらけの将軍職総選挙」でもやりますか。日本人の大半が参加することになりそう。笑

最後の方の流れは、やっぱり実権を握ってる人物が一番強いということでしょうか。シビリアン・コントロールなんていう概念はまだまだない時代ですから、いったん手にした非常時大権を手放さず…という例は歴史上枚挙にいとまがないですね。
将軍製造機としての天皇という側面も、皇帝製造機としてのローマ法皇とちょっと似てるかな。

スレでは「○○家の養子になれば…」ていうのがチラホラありますよね。血がつながってないのはエエんかよ、と言いたくなりますが、日本では厳密に血統主義が守られるのは皇室くらいなんだそうで、血よりも家名や氏素性を継ぐことを重視したとか、そんな話を聞いたことあります。そういや管理人のじーちゃんもひいじーちゃんも養子ですもんねぇ。

とまぁ、そんなこんなで、征夷大将軍のリアルに迫るスレでした。

トップ絵は土佐光信の画による「清水寺縁起絵巻」より。横長すぎるのでここには貼りませんが、「重要文化財:清水寺縁起絵巻」←コチラのサイトで全部見ることができます。坂上田村麻呂の蝦夷討伐を描いた作品ですが、例の清水寺を作ったのも彼なんだそうです。
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元スレ:http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1323356985/

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    • ※1 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.9.16 21:41
    家康が長男を殺していなければ、何の問題もなかった。
    • ※2 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.9.16 22:32
    なんとなくだけど、日本人って過去とか慣例とか気にしちゃっうっていうか。
    源氏が征夷大将軍になって長く政権を取ると、それが権威としてイメージされてしまって、みんなを納得させるのにイメージを利用してるってからって感じする。
    • ※3 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.9.17 7:45
    >>78: 日本@名無史さん 投稿日:2012/03/14(水) 23:54:44.42
    >>電話もメールもないような時代に長距離遠征を行えば、遠征軍の最高司令官がいちいち朝廷のお伺いを立てながら戦うことは物理的に不可能である
    >>だから遠征軍の最高司令官たる征夷大将軍は出陣すれば、朝廷に相談せず自分の意思だけで行動できる特権が与えられる
    >>そこで征夷大将軍になって今出陣中です、ということにすれば何でも思いのままの事実上の独立政権が作れるから天下人の代名詞となった
    >>よく比較される関白や太政大臣にはこのような特権は存在しない


    だから戦争なんかしてない江戸時代も幕府(戦地の幕営)って言うんだよね
    今戦争中だからって明治まで朝廷に言い続けてたとw
    • ※4 : ドクター・ノオ・ネーム
    • 2015.9.17 11:44

    だから戦争なんかしてない江戸時代も幕府(戦地の幕営)って言うんだよね今戦争中だからって明治まで朝廷に言い続けてたとw


    この建前が実は幕末の倒幕運動につながってる。名目上、征夷大将軍は征夷=外敵を倒すことを目的にして特権を与えられた官職なのに外国と勝手に和睦するのはおかしいという理論が成立する訳。
  1. >家康が長男を殺していなければ、

    信康でしたっけ。なかなか優秀な男だったとも言われていますが。
    ----------------------
    >それが権威としてイメージされてしまって、

    そういうところもあるでしょうね。
    でも慣習だって長く続けば法律効果を持つものだし、案外馬鹿にできません。
    ----------------------
    >戦争なんかしてない江戸時代も幕府(戦地の幕営)って言うんだよね

    これ実は管理人もスレ読むまで知らなかったんですよ。
    学校で教えてくれなかったもん…笑
    ----------------------
    >特権を与えられた官職なのに外国と勝手に和睦するのはおかしい

    なーるほど、逆手に取られちゃったわけですねぇ。
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